<2006年 8月10日>
物憂げな霊園の、雨の中僕はアズマの墓石に花束を添えた。
死者に送る花束がどんな物が良いかもわからず、適当に青い花と黄色い花を組み合わせた単純に色鮮やかな花束は、混ざり合わない油と水のように明確に霊園の景色から不自然に浮いていた。
「なんで死者に向日葵と紫陽花を供えるんだよ」
その言葉に踵を返すと、そこには茨がいた。ヘアーワックスで丁寧に作り上げたであろうその髪形は、雨に濡れてしまい枯れた向日葵のようであった。右手に空へ広げたビニール傘を、左手は畳まれたビニール傘を僕に突き出している。使え、の意らしい。
「アズマは、向日葵と紫陽花が好きだったろ」
ビニール傘を受け取る。それを広げて、再びアズマの墓石に目をやる。「きっと喜ぶさ」
茨は鼻で笑い、傘をくるくると回した。
「あんの腐れジジイ、本当に死んだのかよ」
それは追憶して悲しみが溢れる感情よりも、気持ちの整理が追いつかないそれに聞こえた。
あの破天荒で、呆けてもいないのに何をするかもわからない老人の突然の死は、茨にとっても僕にとっても、皆にとっても信じがたい事態ではあった。神は死んだと説いたニーチェさえも、彼の死には驚かされるのではないだろうか。
「そうだ」茨は傘を畳まずそのまま手を離し、地面に落とす。「どいてろ」
僕が言われるがままに墓石の前から数歩足を運び、空間を開ける。そこへ茨が数歩行き尽くし、墓石の前で立ち止まった。直後、茨は関節を曲げながら片足を上げて、墓石に向かって真っ直ぐ関節を伸ばした。手加減も知らない勢いの蹴りが、直撃した。正直驚いたが、蹴りの後の茨の言葉はもう予想できていた。
「これで貸りは無しだ。腐れジジイ」
やっぱりな、と僕は頬を上げる。そっと茨の傘を拾い、それを手渡した。茨を受け取らず、墓石を見つめていた。気付いていないのかと更に突き出すが、茨は受け取らない。
「茨?」
僕は茨の顔を覗き込む。茨は、卒業式を終えたか恋人と別れたかのように何処か心残りが残る表情を浮かべている。少なくとも、満面の笑みには見えなかった。
「……もう、1年も経つんだな」
「え?」
「あの腐れジジイが死んでからだ。…姫野も花崎も言ってる」
覚えているのは僕だけじゃなかった、と少し安堵した。もしかしたら姫野も花崎も忘れてるんじゃないかと心の奥底で、僕は不安を覚えていたのだ。彼の命日を忘れていないということは、皆彼を忘れていないということだ。
「皆覚えているんなら、生きてるも同然だね」
曇り空を見上げた。カラスが曲線を描いて、滑空している。