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フラゲ

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『文藝SS漫画化企画応募作 タイトル:フラゲ』

春、四月、新学期。
ここ新都町には、一つの伝統がある。

「フラグゲッター」

誰もが一度は耳にしたことがあろう、
「新入生、転校生が登校途中の曲がり角で、パンを咥えた美少女と衝突する。」
そう、ありえない恋愛フラグだ。

だが、この町では実際に起きる・・・いや、行われる由緒ある儀式だ。

四月最初の登校日。
女子生徒たちが自らの人脈と情報源をフルに活用し、入学式始業式へと向かうイケメンの
登校ルートで待ち構え、目標補足と同時に全力で体当たりする。
それを成功させたものだけが、華やかな青春を謳歌する権利を得ることが出来るのだ。

まさに今、4丁目の鈴木さんちの角で、良子はカリカリに焼いたトーストを口元へと運ぼうとしていた。

 「あと20秒ね。」良子は心の中で呟いた。

高校受験が終わると同時に、近隣の中学の卒業アルバムでくまなく品定めして
遂に見つけた目標の名は「吉岡太郎」。
身長178cm体重72kg、3丁目の17番地に住む次男坊。(2つ上の姉と3つ下の弟あり)
明るく活動的な性格で中学ではサッカー部に所属し、すっきり通った鼻筋と
少し眠たげな二重の瞳をもった、良子のストライクゾーンど真ん中のイケメンだ。(調査によるとまだ童貞)

既に中学時代の同級生から、吉岡が家を出て一つ先の十字路を曲がり
こちらに向かっているとの情報を良子は得ている。

 ザッザッザッ・・・

ゆっくりと足音が近づいてくる。

 「今だ!」

トーストを咥えた良子は全体重を右足に乗せ、チーターのように走り始めた。
この角度、このスピードで体当りされたら、さすがのサッカー少年も身をかわすことは出来ないだろう。
標的は曲がり角の向こうからやってくる男子生徒──

 「・・・違う!」

良子はまだ真新しい学校指定の鞄ごと右腕を電信柱に叩きつけた。
バチンという弾けるような音と、チェーンが千切れて綺麗な放物線を描くキーホルダー、
そして肘まで突き抜けるような鋭い痛みとともに、良子は進行方向を変え
目の前に現れたピザデブをすんでの所でかわすことが出来た。

 「ガセネタかっ!」

予期せぬ出来事に目を丸くし、次の瞬間何かを悟ったのか頬と耳を真っ赤に染めた男子高校生を尻目に、
「ごめん人違い。」と捨て台詞を残した良子はトーストを左の手に持ち替え、
右の手の甲に滲む血と地面に落ちたキーホルダーに少しも気を留めることなく吉岡の家目掛けて走り始めた。

 「良子ゴメンネ。」由紀は心の中で呟いた。

今頃全然違う相手に体当りして、慌てふためいているであろう良子の姿が脳裏に浮かび、
由紀はちょっと後ろめたい気分になった。

中学でサッカー部のマネージャーをしていた由紀は、もう2年も前から吉岡に目をつけていた。
他校との練習試合で初めてその姿を目にした時の、頭から足指の先まで雷が駆け抜けるような感覚を、
そして、良子が吉岡にフラグを立てると言い始めた時の、胸の奥底をギュッと掴まれたかのような感覚を、
由紀は今でも鮮明に思い出すことが出来る。

でも今日この瞬間から、由紀のそんな感覚は遠くへ薄れていってしまうだろう。
吉岡とともに過ごす青春は過去の記憶とは比べ物にならないほど甘く、濃密なものになるだろうから。

 キィ・・・

事前のリサーチより2分ほど遅く、吉岡の家の玄関が開いた。
由紀は木村さんちの塀越しに吉岡太郎の姿を確認すると、しゃがみこんでから、
右手で握りつぶしそうになっていたトーストを口に咥えた。

 「なんだよ。こんなの聞いてねーよ。」

吉岡は自分の目を疑った。
「あんたはそこそこ女ウケしそうな顔してるから、今日は曲がり角に気をつけなよ?」
と姉に笑いながら忠告されてはいたが、家の門扉を出たところで視界に飛び込んできたのは
2つ先の十字路から全力ダッシュで近づいてくる少女の姿だった。

その左の手にはくっきりと歯形のついたトーストを、
紫色に腫れ上がり血の滲んだ右の手には、歪になった通学鞄を握りしめ、
必死の形相で一直線にこちらへと向かっている。

 「見つけた!」良子は叫んだ。

その声に吉岡より早く反応したのは由紀だった。
フラグを立ててしまったら、何があってもその日は一緒に登校するのがフラグゲットの掟。
当たり損ねる事のないように、動作の緩慢な大柄の偽ターゲットをメールで教えたというのに!

──でも今はそんなことを考えている暇はない。良子は既にトップスピードで吉岡の下へと
向かっているのだから。

 「負けるか!」由紀は叫んだ。

良子の姿に一瞬たじろぎ、「右か?左か?それとも後ろに逃げて遠回りして学校に行くか?」
とにかく目の前の少女をどう避けるか脳髄をフル回転させていた吉岡は腰を抜かしそうになった。
1つ先の十字路の木村さんちの角から、また一人少女が現れたのである。

 「由紀!?んおまぇガセネタ掴ませやがってっ!!」

良子は息を切らせながらそう言うと、既にふやけ始めた左手のトーストを咥えた。

 「仕方ないじゃん!あ、あたしが先に見つけたんだからっ!」

全速力で角を曲がるときに少しよろめいた由紀は、トーストを落とさないように咥え直しながら言った。

一方は額に汗と、右手に血を滲ませ。
一方は目に涙をうっすらと浮かべながら。
2人の少女は肩を並べて、髪を振り乱し、渾身の力で真っ直ぐ少年へと向かっている。
お世辞にも恋に焦がれる乙女、とはいえない姿で。

吉岡は、ぶつかるというにはあまりにも強い衝撃を両の胸に受けながら思った。

 「ああ、車に撥ねられる猫ってこんな気分なんだろうな。」
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