夢日記の考察
夢日記をつけていると気が狂うという都市伝説があるが、これをうまく理屈っぽく説明してみようと思う。
よく言われることだが夢とは断片化した記憶を整理する際に現れる映像である。ちょうどパソコンのデフラグと同じような機能だ。夢の大半は自分が経験したものの寄せ集めであることからこのことがよくわかるだろう。夢日記を付けるということは整理された記憶の上に新たに断片化された記憶を書き込むということになる。例えるとそれは散らかった部屋の写真を撮って、その部屋を整頓した後にその写真を飾るようなものである。
だが夢日記とはしょせん単なる日記に過ぎないと言うこともできるだろう。AとBが組み合わさってできた記憶はCでしかないとも言える。しかしその新たな記憶CはしばしばAとBを喚起させる。部屋を整頓するたびにその前の写真を撮って部屋に飾る習慣をつけるとしよう。何十枚か並んでいる写真を見てこの写真は何時のものだというのは問題ない。しかしそこに映っている散らかった物を見るたびにそれはその物に関する記憶を引き出すだろう。
そういった記憶を引き出すものは少しならば問題が無い、しかしそれが何百何千と重なっていくと脳の機能に支障をきたす恐れがある。人間の記憶は必要のないものや印象の薄いものは忘れるようになっている。これは忘れるという正常な脳の機能であり、記憶の代謝行動でもある。しかし夢日記を書き連ねるとそれが喚起させる記憶と記憶が網状にネットワーク化され、忘れるはずの記憶を網を引くことによって思い出してしまうのである。
先に述べたように忘れるということは正常な機能である。しかしこれができないようになるとトラウマのように記憶を引きずってしまうようになる。それは次第に成長や代謝を許容しないようになる。つまり現在の自分を見失ってしまい、時の止まった過去に生きるようになるのである。このような状態が気が狂ったと言われるのである。