優子
大学に入ると彼はすぐに髪を茶色に染めて、整髪料で後ろに流すスタイルに変えた。彼はこの行動によって初めて自分の容姿というのは自己表現の手段の一つでしかなく、自己の本質を表すものではないのだと理解した。
優子に会ったのは彼が大学に入ってからすぐのことだった。高校が一緒だったことからその姿には見覚えがあり、彼が初めて話しかけたのは大学の入学式のことだった。彼女は当初は彼の容姿の変化に多少の戸惑いはあったものの、もともと人懐っこい性格からかすぐに彼と同調した。彼女はふっくらとした体つきで気が強く、入学した当初は彼女の学校におけるさまざまな苦労などをよく聞かされていた。
「私はその人にたいして良いことをしたと思ってたのにその人は単なるおせっかいだって言うのよ」
彼女の口ぶりはとても自分に自信があるという感じだった。そして彼が最もひっかかったのが彼女の言う『善良』が高校の倫理の授業で習ったプラトンの言うようにあたかもそれがどこかに存在するような言い方だったことだ。しかし彼もまたそのような考えを捨て切れないのも事実であった。彼はその頃デカルトを崇拝し、自己の存在こそが確固たるものだと考える実存主義者であった。そしてデカルトの言うように彼もまた完璧なものごとについて思いを馳せていた。完全なる自己、このように思索する自分こそ確固たる自己の本質であるということ。
「その人のキャラがまた変でさー」
彼女の話を右から左へ流しているとこんな言葉がふと耳に入る。果たしてその人を特定する『キャラ』なるものが本当に存在するのかと。
「あったまわるいんだよねー、これだからA型はさー」
このとき初めて哲人は知識のみで生きる人間の愚かさを実感した。彼女は知識の文脈のみで自分を構成している。その知識を周りに当てはめている分には構わないが、一たびその知識が否定されればそれは脆くも崩れ落ちるだろうと感じた。
「それでついに怒っちゃったんだけど、なんか私らしくないよねー」
彼は彼女のいう『私らしさ』を想像してみた。しかしその後しばらく彼女の話を聞いてみても彼にはその『私らしさ』が理解できないのであった。
彼はその時初めて彼女と同様に知識に齧りついている自分を発見した。デカルトを知識の上で知ることはいいが、それを肯定する必要が無いことに気づいた。そして彼はデカルトとだらだらと話し続けているバカ女に別れを告げた。