翼竜ハルバト
そんな頃、学園の職員会議室では今回のクエストの難易度の設定が適切であったかどうかを話し合っていた。
「では、184項のクエストです。え――、ハルバト退治100ポ――ハルバトだとっ?」
「おい、誰だ。ハルバトなんてふざけたモンスターをクエストに設定したやつは!」
「本来この時期はせいぜいガルゴイルでしょう」
ざわざわと会議室は慌ただしくなった。
「行った生徒はいるんですか?」
「スーシィ、アリス、カイン、シーナの転送記録があります」
「何故止めなかったのですかっ!」
いつの間にか事態は責任の押し付け合いとなる。
【静まれぇい!】
円卓の一番奥から、老人の怒号が響き渡った。
びりびりとした緊張が一気に駆け巡り、教員たちは皆言葉を失ってしまう。
「このような由々しき一大事、お主らが憶持も無しに進めておったのでは話しにならん」
老人の一言で教員たちは冷静になる。
「ただでさえ、レレヌ・ビスカから魔法律改正のしわ寄せが来ているこの忙しい時期に……」
「嘆いていても始まりません。
まずはクエストの設施段階で問題がなかったか確認することと、この生徒三名については早急に救援を出すことです」
男のメイジが一人立ち上がる。
「ですが、二年の進級試験は命と隣り合わせであって当然の試験。
危険なのは確かですが、ハルバトを知らないメィンメイジなどあり得ません。
彼らは自らの意志でこのクエストを選んだのは事実です」
それに賛同したかのようにもう一人のメイジが立ち上がる。
「そうです。現に過去に何度も二年での進級試験で死亡、瀕死という生徒は出ていた。
メイジとして国に仕えるならば、己の実力を見極め、力量にあった選択を行うのは当然のことですぞ」
「……しかし、彼女たちのポイントは現時点で異例のゼロ以下。
多少危険でも100ポイントともなれば飛びつくのは当然で、そこに酌量の余地があって然るべきですぞっ」
協議は平行線となり、アリスたちを即刻救援すべきという意見と、原因の究明に留めておくべきだという二論に分かれた。
「よいじゃろう、ではまず原因の明解に努めよ。ゆめゆめ首尾を怠るではないぞ」
老人フラムの声で一同はいきよく返事をした。
…………。
風の吹き荒れる絶壁。一行はマナの続く限り切り立った壁を登り続けていた。
「そろそろ限界だよ、僕は」
ランスはそう言うが、この辺にはまだ休めそうな場所はない。
「あそこなら休めそうよっ」
アリスが指さす先には突起があった。
「崖と平行しながらゆっくりと近づこう」
ユウトはそういってわずかな凹凸を頼りに体を横へずらしていく。
「しかしあんたってば本当に身軽なのね。フライの速度に追いつけるほど登るのが速いなんて信じられないわ」
「俺の元いた世界じゃこうはいかないよ」
ユウトの身体能力はここで鍛えられたものもあるが、それ以上にこの世界の常識より遙か上にあった。
限度はあるが、ある程度の力技なら出来ないことはない。
「はぁ、はぁ」
息を切らしてランスが断崖の出っ張りへと降りる。それに続いてアリスやシーナも降りた。
ユウトが着くとシーナがフライを掛けてくれる。
「ランス、あんた前から思ってたけど、だらしがないわね」
「冗談はよしてくれ……はぁ、僕はこの使い魔を持ちながらフライを使ってるんだ」
単身でのぼれば何てことはないと言いたげなランス。
「ユウトは魔法なんて使わずに登ったわよ」
「使い魔と比べるなよ……」
ひゅおっと強い風が吹く。
「うわっ――」
自身のフライを解除までしていたのか、ランスは飛ばされそうになった。
それをユウトが何とか掴み抑えると、ランスは震えていることに気がつく。
アリスやシーナの服も軽くなびく。
「段々フライで防げる風でもなくなってきたわね」
「ユウト、やっぱりこの先はユウトの分もフライを使います」
だめだとユウトは制止した。
「相手はハルバトだ、登りきった後に魔法を連発できるくらいのマナが残っていなきゃ勝てない」
実際、アリスとシーナのマナは普通のメイジよりずっと多い。
特にアリスが内に秘めるマナの大きさは先の事件でも明白であったように、底を見ない。
あれが全て体内マナだとしたら、大気の精霊マナを利用する通常魔法はほぼ無尽蔵に行使できるだろう。
本人はそんな資質には気がついていないようだが……。
ここに来て全く疲れを見せていない二人とは対照的にランスはもう疲労困憊といった様子だ。
流石にこれ以上は無理と踏んだのか、ランスの口から重くるしく言葉が紡がれた。
「僕を置いて先に行ってくれ……」
「ようやくその気になったようね」
アリスが口を尖らせて言う。
「アリス……そんな言い方はないだろ」
「いつも私を見下しているからよ」
ランスはさっきの風で、ぐうの音もでないほどに恐怖していた。
「ああ、悪かった。君はみんなが言うよりずっと強かなヤツだ」
アリスも急にランスが素直になったのを見て悪く思ったのか、口を閉ざす。
「このままここで大丈夫ですか? モンスターとか……」
シーナはランスを気遣っていた。
「さすがにそれくらいは自分でなんとかするよ」
ランスはそう言うも、その消え入りそうな声は頼りなく、。
「本当にいいんだな?」
ユウトはランスに男としてのプライドか、命かという問いを投げかけた。
「ああ……」
「じゃあ行こうか、二人とも」
ユウトは背中にツェレサーベルの剣を確かめると再び断崖に飛び移った。
「ごめんなさい、気をつけて下さいね」
「そっちの方が大変だろう」
シーナの声にランスは自嘲めいた笑いをした。
「あんた、結局なんで着いてきたのよ」
「…………」
ランスはわずかに視線を逸らして呟いた。
「?」
風に攫われたその言葉をアリスは求めなかった。
「じゃあね、上を見たら殺すわ」
「まてっ」
「何よ」
「使い魔は終わったらユレンのやつに返してやってくれ、部屋は――」
迷惑をかけたなとランスは最後にいって小さく蹲った。
ランスはやがて霧に隠れて見えなくなり、ユウト達は頂上へ近づいているのを感じていた。
「もうすぐだ」
霧が晴れたとき、山の終わりが見えた。
「何よ、ここ……」
「凄いですね」
山の山頂はまるで楽園だった。
湧き出る水や草木に花、それを透き通った空気で通して見る艶やかさがある。
神秘的な何かが漂う場所だった。
「こんなところにハルバトがいるっていうの?」
アリスは惚けていたが、ユウトは殺気と気配を感じて剣を引き抜いた。
その時、頭に直接語りかけるような声が響く。
『ほう、これを見抜くか……人の子よ』
くぐもった明晰さを持たない声がずっしりと重圧をかけてユウトたちを襲う。
「きゃ――何これ、不快だわ」
湧き出ていた水が赤くなると景色は徐々に豹変していった。
「空間が赤色に……」
草木は枯れ出し、地面は腐敗した色となり、空すら赤く染まっていった。
『グォオオ――我が家へようこそ、歓迎するぞ』
現れたのは翼を持つ禍々しい巨躯。
龍のような頭を持ち、体は無数の鱗で覆われていた。
マナの大きさからただのモンスターではないことが容易に理解できる。
人語まで話すところを見ると、もはや数百年は生きた類だ。
そして、元々寿命が低いモンスターが長く生きる術は一つしかない。
「エレメンタルの力か……」
『いかにも……この高山にはエレメンタルが絶えない。寄ってくる他の同種も多いしな』
通りで敵が一匹も出なかったのはそういう理由か、とユウトは納得した。
ユウトは剣を構えて、アリスたちを背中につける。
「敵は空間を閉鎖して使用マナの上限を固定した。
こういう場合はより大きな魔法を使って戦った方が勝つ。
知りうる限りの強力な魔法を連発してやるんだ」
「ちょっと、何いきな――」
『グォォォオオオオオ――――』
突如三人に放たれたのは火炎球だった。
ユウトの言葉が真実であったからこそ、ハルバトは攻撃せざるを得なかったといえる。
「くるぞっ、散れ!」
じゅるりと音がしたのはアリスの髪の毛だった。
「ああっ? あんた、なんてことしてくれんのよ!」
アリスが跳んだ後に残った髪は焼け焦げて短くなる。
「おい、そんなこと言ってる場合か!」
『グゥゥウウウウウ――――』
ハルバトは尻尾の先に炎を纏ってユウトを払った。
「Melva!(水流)」
シーナは既に詠唱していた魔法を解き放つ。爆発のような水の流れがハルバトの尾をあらぬ方向へいなした。
「助かる!」
この隙を好機にとらえ、ユウトはハルバトの背中に肉迫した。
尻尾を大きく仰ぎ、バランスを崩した背中を守るものはない。
――ザシュ。
軽快な肉を裂く音が響き、ハルバトは雄叫びを上げた。
「グググ――人間ごときが……」
シーナがあれほどの魔法を放つことは誰も予想できなかったに違いない。
それだけにユウトは今の一撃が致命傷に至らなかったことを悔やんだ。
「これも修行だ……」
大剣を持っていれば一撃だっただろう。
しかし、あの剣を使うと逆に強すぎるだけにユウトは己自身の力を過小評価さえしている。
『Flables!(真球の火)』
今度はアリスから光りが飛ぶ。
エレメンタルで強化された火は本来なら林檎ほどの大きさしかなさない魔法も三十セントはある炎の塊へと変化する。
だが――、炎はハルバトの首に当たると吸い込まれるように消えた。
『ありがたい……お前のマナを理解した』
「えっ?」
【でも、こういうのって意外とリスキーなのよ】
スーシィの声が頭の中で木霊した。
エレメンタルを通しただけで、そのエレメンタルを仲介役としてマナの性質を理解されてしまう?
一つの予感めいた悪夢が駆け巡る。
炎はハルバトに直撃したものの無傷、さらに背中の傷も癒えだしていた。
ハルバトはゆっくりと体をアリスの方へと向けた。
アリスはその事態を飲み込めないまま、呆然と立ちすくんでいる。
いや、誰一人として魔法によって動けないのだ。
『チャームで動けなくなるとは、まだまだお前たちは子供なのだな』
アリスの周囲がハルバトのマナによって歪む。
突如、アリスの背中からむわっと濃度の高い気体が浮き上がった。
それは吸い上げられるようにハルバトの鼻腔へ取り込まれた。
がくりと片膝を折るアリス。とてつもない疲労感が全身を駆け巡る。
それが己のマナを抜き取られたものなのだと理解する。
「は、反則よ……こんなの……」
「アリス! 止まるな!」
「アリスさんっ――」
ごうっと鳴り響いたと同時に巨大な尾の鉄槌がアリスを襲った。
既に開いた距離が返って単体攻撃を許すこととなる。
チャームが解け、シーナがアリスに飛びついた。
爆発にも似た粉砕が起こる。
地面は縦に揺れ、ハルバトの尾の先は床をめくり上げていった。
「っくそ……」
間一髪でユウトは二人を遠くへ突き飛ばしたものの、
ユウトの右肩は尾の攻撃を掠め、おかしな形状になってしまった。
紅い空に投げ出されたユウトは半回転し、二人とは大きく離れたところへ着地する。
『愚かな人間だ。なぜ弱い者を庇う』
「さぁな、お前の方が詳しいんじゃないのか」
『――……フハハ。愚かな――』
ハルバトは追い打ちを掛けるように躊躇うことなく再び二人の頭上に尾を振り上げた。
「させるか!」
ユウトはハルバトへ跳躍する。
肉迫した瞬間にハルバトは半回転。
二人を攻撃すると見せかけて、ユウトへ襲いくるのが見えた。
それはハルバトの罠であったが、ユウトは腰の捻りだけでその攻撃を紙一重で回避、左手に持ち替えていた剣で突く。
ぶしゅりと血飛沫が上がり、ハルバトの眼球に剣が刺さった。
『グ゛ウ゛ウ゛ウゥゥゥゥ――バカな……なんだその動きはァ――貴様人間ではないなッ。ググ……』
眼球を狙った一撃が見事にきまった瞬間その断末魔が響く。
あの脳まで届く深い一撃を受けてはハルバトといえど、時間の問題だろう。
「やったか……?」
『……』
頭角のように眼から突き出た剣に腕を伸ばし、その強靱な腕でそれを掴んだ。
『グォオオオオ――――』
ハルバトはそのままずぶずぶと剣を引き抜くと崖の下へと放る。
放物線を描いて崖下に消える剣と同時に、赤い空が徐々に晴れていく。
幻影だった泉や木々も消え、そこにあったのはただただ転がる無数の白骨たち。
「――っ」
シーナはその光景に息を呑む。アリスはスペアの杖を取り出して眉を寄せた。
『ふはははは、どうだ私が殺した人間たちの数だ。
そして貴様は私に二度も攻撃を与えた数少ない上質な肉!
その骨までしゃぶり尽くしてくれるっ!』
ハルバトは潰れた眼窩から目玉を垂れ下げて、血潮をまき散らしながらユウトへ振り返る。
ユウトに動く体力はあまり残っていない。
徐々に砕かれた右肩が激痛と共に腫れてゆく。
「何故倒れない……」
『……ゆくぞ』
その翼がぶわりと一仰ぎしただけでユウトの目前に巨体が降り立つ。
だらりと垂れ下がった右腕と武器のない状態では、ユウトは当然この鋼の巨体相手に防戦一方となってしまった。
迫り来るのは爪と翼を駆使した連携攻撃。頭上を掠める突風に肩が悲鳴を上げ、痛みで倒れそうになる。
「Melva!(水流)」
ユウトを手助けするためにシーナが無心にハルバトの背中に魔法を飛ばす。
「(ありがとう、シーナ)」
攻撃は効いていないが、追撃を免れた。
それからシーナはそれをいくらか繰り返すもユウトの劣勢は変わらない。
「そんな……まるで効いていない? さっきまでは確かに――」
シーナは詠唱の長いダブルワンドも考えた。
ユウトがじり貧に瀕しているのは理解している。
それだけに間に合うのだろうかと逡巡する。
徐々に避けられなくなっていくユウト。
その鈍さは激痛による集中力の低下が原因にあった。
『どうした、やはりダメージは貴様の方が上ではないか! 私はまだまだいけるぞ』
「頭を破壊されてまだまだも何も……」
もはや相手が跳躍(と)べないと解るや、翼と腕、尾を使った攻撃を集中してくり出してくる。
そしてついに横払いになぎ払われた右翼にユウトは見切りを誤った。
「ぐわっ――」
伸縮自在である翼を後方へ避けてしまっただけで、ユウトは致命的な窮地に立たされてしまう。
追撃の尾を食らい、地面をボールのように転がっていくユウト。
幸い崖端から切り返していたおかげで、中央へ投げ出された。
「……やだ」
その時、アリスは二つの影が動かなくなったのを見て突然よたよたと走り出した。
おぼつかない足取りが、ユウトへ向けられる。
そこにたどり着くまでに十数秒はあったが、ハルバトはまるで解っていたと言わんばかりに停止していた。
「アリスっ、駄目だ来るな!」
首に両腕を巻かれるユウト。アリスの温もりが静かに伝わってくる。
「――っ」
『――フッ、ハハハ、何と愚かな……何故お前たち人間はそうも自分以外のもののために死に急ぐ――』
ハルバトは尾を振り上げた。
「「Melva!(水流)」」
シーナの一撃はダブルワンドで倍増しにした攻撃だ。
人間大の岩なら砕きかねない水圧で尾がわずかに揺れる。
しかしそれはハルバトにとって興じを損なう逆鱗であった。
どすりと一羽ばたきするとシーナの前へ立つ。
『小娘、お前は数少ない水の使いだからと最後まで生かしてやりたかった。
だが、そこまで死にたいのならやぶさかではないぞ――』
ハルバトの全身からマナの熱気が溢れ、シーナは身が竦んだ。
刹那、龍の口からどっと吹き出したのはまさに灼熱の業火。
何が起こったのか? ユウトたちの反対方向の半分が一瞬にして苛烈な炎の海に包まれる。
『骨と化すが良い!』
シーナの実力ならば、少しは耐えられるだろうとユウトは頭の隅でどこか安堵していた。
だがこれは助けに行かなければと思う。
しかし、体が動かない。アリスのきつい抱擁がそれを許していなかった。
そして猛威はさらに勢いを増して頂きの一部を文字通り消し去るほど長く続いた。
「ま、まて……」
うっすらと汗が滲んでくる。
ユウトは意識こそ保っているものの、これだけ打撃を受けた後ではアリスさえ退けられない。
光りが熱によって屈折し、見るもの全てに歪みを与える。
数百メイルは通り越した、炎の柱という名の爆風が突き抜けていく。
『フハハハ、これでは骨も残らんな』
「――――っ」
その間アリスはユウトにしがみつき、必死に耐えていた。
嗚咽も懺悔もない、ただ仲間の死と己の死を思い震えているのだ。
ハルバトが攻撃を中断する。
そこには岩が融解し、黒ずんだ地表が紅色をまぶし、煤煙(すすげむり)と共にあった。
そしてそこにシーナの姿はない。
「そ、んな……」
『小娘、素晴らしいマナだったぞ。
たった一部を理解し吸収しただけで、この力……エレメンタルよりも格段に良い。
そうだ、そこの男だけを殺し、お前は取り込んでやろう』
今度こそ終わりだとハルバトは尾を振り上げる。
ユウトは何とかアリスだけでも逃がそうと構えた。
「Tella Winc!(障壁)」
尾は再びはじき返される。
ハルバトは予測しなかった防壁にうねりながら横たわった。
それと同時にユウトたちは風に包まれ、声の主の方へ引き寄せられた。
「なんとか、間に合ったみたいだね」
現れたのはランスだ。その肩にはアリスの預かっていた小動物のような使い魔も乗っている。
「悪い、助かった」
「礼ならユレンに言うんだな。こいつがみんなの危機を知らせたんだ」
そう言ってランスはユウトに目配せするが、その顔は何故か朱に染まった。
ユウトはぼろぼろ、アリスはユウトにしがみついたまま気を失っている。
「――っ、酷い有様だな。だが、そうか……そういうのも悪くはないな」
ランスはハルバトを見据えてユウト達の前へ出る。
「君がいればハルバトでも勝算はあると思ったんだが……。
まぁ、君ら二人が逃げるまでの時間稼ぎくらいなら僕がなんとかするさ」
じりと砂を蹴るランス。続いて半透明の球体も出て行った。
「あいつ一人で何とかできる相手じゃない……」
「うわあっ――」
ランスは魔法を繰り出したが、それを突き破る威力で翼に殴打される。
時間稼ぎの間に逃げろと言うが、あれではすぐに殺されてしまうだろう。
『まだ愚かな人間がいたとはな……そうやって私に盾をつくことが、どういうことか教えてやろう』
「へえ、喋るのかい」
ハルバトはついに空へ出た。円を描くようにランスの上空を飛び始める。
ランスは起き上がると、ふらふらとした足取りで空を仰いだ。
『私の風切り羽は風だけを切り裂くのではない』
ランスの足下に突如亀裂がはいる。
「?」
ユウトは駆けだすしかなかった。
アリスを置いて、ただランスが死ぬことだけを防ぐために。
――ズン、ズン、ズン。
一定のリズムで加速していく、地面に穿たれる深い溝。
まるで突然地面が消えていくよう。
その数は深さと数を徐々に増していき、ランスがそれに気づいた時にはもう逃げ場がなかった。
『死ね、愚かな人間』
「イクラ! 逃げろ」
ランスは魔法で使い魔を吹き飛ばす。
一カ所に集中していく無数の『見えない斬撃』。
ハルバトは翼とわずかなマナによって空気を刃に変えていたのだ。
「ぐあああっ――――」
ずばずばと肉の切り裂かれる音と、血沫はランスのものではなかった。
それを代わりに受けたのは使い魔だった。
「な、ユウト……お前っ」
腕と脚は骨が見えるほど切り裂かれ、背中に無数に浴びた斬撃はユウトの肺と腎臓を深く傷つけていった。
ランスにはゆっくりと血潮を飛ばして倒れるユウトが見えた。
恐らくはこの中で誰よりも強かったはずの男が地面に伏す。
――どさ。
「あ……ああっ」
ランスは自分がそうなっていたことを想像し、どれだけ無謀なことをしでかしたのかようやく理解に至った。
目の前の怪物は、一生徒ごときが手に負える相手ではないのだと。
戦意を完全に喪失したランスは後から聞こえてくる詠唱に気づかない。
それは、空中に舞うハルバトも同じであった。
「lolo ultulmerl…kiki uruikmel…dada slorijiol…imim aliekso….(エレメンタルに対なるものたちよ)」
『ふはははは、そうなると確信していたぞ。間に合うよう威力を半減しておいて正解だったな。お前が消えれば後は――』
「Kile nla Atem ――(爆ぜろ)」
『ぶッおごkfj――』
ハルバトは突然大爆発し、黒煙にまみれた。
それはさながら出来の悪い花火が打ち上がったようでもある。爆風でランスは地面に這いつくばった。
「ユウトッ!」
ランスを通り過ぎて行ったのは小柄な少女だった。
背中を舞う髪はユウトと同じ、珍しいブラックカラーだ。
「ユウト、しっかりしなさい」
あれだけ強かったはずのハルバトがたったの一撃で煙を出しながら物言わぬ肉塊となって崖下へ落下していく。
驚くべきは、その少女の卓越した魔法にあった。傷ついたユウトに駆け寄った彼女はおもむろに回復魔法を行使し始める。
回復魔法は学園内でも水属性を持つ教師しか使えないというのに、彼女は全く苦もなくその力を扱っているのだ。
「……」
みるみるうちにユウトの受けた傷は癒えていき、逆に彼女の方は額に汗が滲んできていた。
「良かった――内蔵損傷の早い段階で治療にあたれたのが幸運だったわ」
何事も無かったのかと思うほど、ユウトは先ほどのむごたらしい姿からただ眠っているだけかのような普通の状態へと戻った。
「…………」