『――詳しくはメールで連絡が行くと思うから、そちらで確認して。それじゃあ、また』
先日の騒ぎの後、俺達を救ってくれたGM『ネイパス』はそう言って去っていった。その言葉を思い出しながら、俺はメールボックスを確認した。未読、98件。
「うわ……、スパムが一杯」
受信欄に並んだメールのタイトルを見ながら、キキョウが驚きの声を上げる。一方のスミレはといえば、どうという事は無いといった様子で画面を眺めていた。
「このアドレスで色々と登録してるからな。9割2分以上はこういうメールだ」
「ふーん……。こんな事に労力を割いてるなんて、バカバカしいよね」
「そういう連中にも考えがあるんだろうよ。……これか」
一覧の底の部分にある『運営より、プレイヤーの皆様にお知らせ』というメールを発見した俺は、送信元のアドレスを確認する。運営の使っているメールアドレスだ。タイトルをクリックすると、お馴染みの文章と共に『緊急事態に際しての対応について』というトピックが表示された。
「『今回の事態に際し、運営はGMを派遣し、問題の解決に全力を注いでいます。また、プレイヤーの皆さんには後日運営の指定する場所に集合して頂きます。皆さんの理解と協力をお願いします……』だそうです。そのうち集合が掛かるようですが、運営の皆さんはどうするつもりなんでしょうか」
スミレが俺に尋ねるが、正直なところ、俺にも想像はつかない。
「その辺りはよく分からない。ただ、プレイヤーが1箇所ないし数箇所に集合するとなると、敵性NPCがそれに目をつける可能性があるな……」
その場合、対抗可能な戦力が揃っていれば返り討ちにできるだろう。が、それが不可能だとしたら一網打尽にされるというリスクを孕んでいる。それをあえてやるという事は、何か策があっての事なのだろうか。
「ところで、大河さんとは連絡取れないの?」
唐突に、キキョウがそんな事を尋ねた。俺は、首を横に振る。
「あの混乱の後だったからな。連絡先を聞く暇も無かったんだ」
「それに、同じ学校に通う人間です。また会う機会があるかもしれませんから、その時に聞けば良いと思いますよ」
「スミレの言うとおりだな。……」
そう言ったところで、あの時交戦した相手の事をふと思い出した。
セラフといったか、あの機体の持ち主も含め、あれは尋常ではなかった。おそらく、あの時の司令機に精神を操られていたと見るのが妥当だ。だとしたら、また近いうちに再び逢いまみえる事になる可能性があるな……。その時、GMの援護は期待できないから……。
「……どうしたの?」
急に手が止まった俺に対し、キキョウが不思議そうにこちらを見つめている。
「いや、何でもない」
そう言って誤魔化すと、俺はメールの内容が表示されたウインドウを閉じた。
他の生徒が、物珍しそうな表情でこちらを見つめている。そう思いながら、加賀美野――メタリナの意識が融合した少女――は久々に通学路を歩いていた。膝辺りまで伸びた髪は、彼女が長きに渡って心を閉ざしていた証拠。しかし、長い前髪の奥で見え隠れする瞳には確固たる自信の火が宿っていた。
長い間自室に引き篭もっていた彼女が突然学校に行くのには、とある理由があった。かつて噛み締めさせられた屈辱と絶望。それを、与えた人物へ返しに行く事。
(本当に大丈夫なのかな……)
本来の彼女の意識が、メタリナの意識に問いかける。
(私に任せておきなさい。だって、貴方の苦しみは私の苦しみだから)
そう答えると、彼女は目の前に立った校門をくぐった。
教室に入ると、あちらこちらからひそひそと呟くような声が聞こえてきた。が、それには全く臆する事無く、彼女は自身の席へと向かった。
(なるほど、これは酷いわね……)
一面落書きに染まった机を見下ろし、メタリナは心の中で呟きを漏らした。『いじめ』。特定の人物に対して有形無形の嫌がらせを行い、その者の精神、果ては命までも追い詰める陰湿な行為。具現化前にデータとして把握していたものの、それがすぐ目の前に出現するとは思わなかった。
(所詮は低脳で野蛮な行為じゃない、くだらない)
そんな事を呟きながら、彼女はカバンからウェットティッシュを取り出し、落書きを拭き取り始めた。全部、というわけにはいかないものの、目立つような落書きは殆ど拭き取れるレベルのものだ。
彼女が一通り拭き終えたと同時に、周囲からホッとしたような声が上がる。その声に少し苛立ちを感じながらも、彼女はティッシュをゴミ箱に放り込んだ。
「あれー?なんだ、アタシの傑作消しちゃったの?」
背後からそんな声が聞こえ、彼女は振り返った。
(清洲さんだ……どうしよう)
彼女の意識が、眼前の女子生徒――清洲――に怯える。が、メタリナに臆する気配はない。
「あんな落書きが傑作?……笑わせないでよ」
「何、久しぶりに学校来たからテンション上がってるってわけ?」
彼女の挑発的な返答に、清洲が馬鹿にしたような口調で応酬する。が、かつてとは正反対の態度に困惑しているようでもあった。教室にいた生徒達が緊張した面持ちで2人を見守り、不気味な静寂がその場を支配する。
暫くして、清洲から進んで口を開いた。相変わらず自信のこもった、ただし何かに怯えているかのような、若干震えた声で。
「まあ、今は時間無いから後で。……叩きのめしてあ・げ・る」
「期待しておくわ」
そんな清洲に対して、彼女は皮肉たっぷりに言い返した。清洲は教室の隅にいる数人に目配せすると、自分の席に座った。突然思い出したかのように、教室が再びざわつき始めたのを確認すると、彼女はため息をついた。
(どいつもこいつも、下衆以下の屑ばかりね)
(そんな事……無い)
彼女が遠慮がちに反論すると、メタリナはぶっきらぼうに言い返した。
(貴方にはそうかもしれないけど、私からすれば屑同然よ)
「あの女ッ!馬鹿にしたような口を利きやがって……ッ!!」
昼休み、清洲とその取り巻きが根城にしている空き教室で、彼女は無造作に置かれた机を罵声と共に蹴り飛ばした。
「何怒ってんのよ。あんなの私達で懲らしめればいいでしょ?」
「そうそう、気にする事無いっすよ」
加賀美野に対しての怒りをあらわにする彼女に、取り巻きが諌めるように言う。その傍らでは、いかにも危険そうな話し合いが進んでいた。
「いっそ屋上呼び出して突き落としてやったら?うちらが脅せば自殺扱いで済むし」
「それはまんま過ぎんだろ。やっぱ、いつもの場所に呼び出してボコるのが一番じゃね?」
「それで行こう。……ただし、今日はいつもより過激に。それでいいっすよね、清洲さん」
取り巻きの1人が確認すると、清洲は黙って頷いた。
「じゃあ、放課後連れて来るから」
(何とか放課後を迎えられた……。でも……)
(心配しなくても、あっちから呼び出してくるんじゃない?)
何処か不安そうな彼女とは裏腹に、メタリナがやけに冷静な態度で切り返した。今日は部活があるせいか、教室に残っている生徒は殆どいない。
(これからどうするの……?相手は大勢いるんだよ?)
(大勢?)
彼女が呆れた声で言う。
(違うわ。まともに相手するのはただ1人、清洲とかいう生徒だけ)
その時、教室の入り口付近から声が掛かった。
「加賀美野~、ちょっといい?」
彼女は、そちらに視線を向けた。案の定、清洲の取り巻きらしい女子生徒が2人、意地悪そうな笑みを浮かべている。
「お呼び出し?」
「そういう事っす。ま、詳しくはあっちについてのお楽しみって事で」
「勿論、あんたに拒否権は無いわよ。おおよそ察しもついてるだろうし、ねぇ?」
そのわざとらしい言い方に吐き気さえ感じながらも、彼女は相変わらず自信満々な表情で頷きを返した。
人気の無い女子更衣室でお仕置き、ね。取り巻きに案内された部屋の前に立った彼女は、そんな事を思った。確かに、ここなら邪魔が入るという事もない。部活の人間は部室なり外の更衣室なりを使うから、尚更好都合というわけだ。
「どうしたの?さっさと行かないと、無理に押し込むわよ?」
彼女が臆したとでも思ったのか、彼女の背後に立っている生徒が挑発の言葉を掛ける。まったく、この類の人間はどいつもこいつも……。
「用事が済むまではここに立ってるから、怖くなったら呼びなさい。あたしも加勢してあげるから」
「その必要はないと思うわ。じゃあね」
そう言い捨てると、彼女は更衣室の中へ踏み込んだ。彼女の体が完全に入ると同時に、背後のドアが閉じられる。退路は無い、いや……元から必要ない。
彼女は、前方に視線を向けた。部屋にただ1つ置かれた椅子――俗に、パイプ椅子と呼ばれるタイプの椅子――、そこに、清洲が腰掛けていた。
「……久々の学校生活、楽しかったかしら?」
そう言って、清洲はゆっくりと立ち上がった。
「ええ。割と楽しめたわ」
「そう、それは良かった。……それじゃあ、私も楽しませてよ」
その手にパイプ椅子の背もたれが握られる。が、彼女は相変わらずの態度を取り続ける。
「その鈍器で殴られる様で楽しませて欲しいのかしら?」
「そんな程度では終わらないけど、まずはそれかしら。――」
その言葉と共に、手にした椅子が振り上げられた。
「まずは1発!」
そう言って、清洲が椅子を振り下ろす。その一撃を、彼女は受け止める仕草さえ見せず――わざと食らった。鈍い音が1回、室内に響く。
「う、嘘……!」
予想外の反応に、清洲は鈍器から慌てて手を離した。が、時既に遅し。パイプ椅子を脳天に受けた彼女の額から、真っ赤な血が滴り落ちる。そして、自信気な表情のまま……、前に倒れた。
「や、やっちまった……。手加減はした筈だから死にはしないだろうけど……」
床に広がっていく血に動転しながらも、清洲は動かない彼女の首根っこに手をかけた。とりあえず、予定通り殴ってやるかと思いながら。
「あ、あんたが悪いんだからな!ちゃんと受け止めるなり避けるなりしないから……」
彼女の上半身を引き上げると、清洲はもう片方の拳を構えた。そして、彼女目掛けて振り落とさんとした瞬間。
「――受け止めちゃったら、面白くないじゃない」
「な……っ!?」
突然の彼女の言葉に、清洲の動きが止まった。まさか、演技だなんて……。
「演技じゃないか――、とか思ったでしょ?実際、一瞬だけ意識が飛んだわよ」
血だらけの顔を凝視している清洲を見て、彼女はけらけらと笑った。その狂気染みた表情を見て、清洲はやっと気づいた。
「お前……加賀美野じゃない……!?」
「どうかしら?半分正解だけど、半分間違い。……ああ、それと周りの様子も確認した方がいいわよ」
清洲の知る加賀美野ではない『何か』は、そう言って笑った。慌てて周囲を見回すと、部屋全体が不気味なほどの赤に染まっていた。
「何、これ……!?あんた、一体何をしでかし――」
「さあ?少なくとも、救援は望めないわよ」
「どういう――」
清洲は、彼女の胸倉に掴みかかろうとした。が、その手が真横から遮断され、根元を掴まれる。
「なっ?」
一瞬たじろいだ彼女の両腕を掴む少女に、彼女は笑みを浮かべたまま命令する。
「セラフ、排除して」
「了解」
その言葉に応答すると、少女は更衣室の窓――そこから見える風景も、赤に染まっている――に清洲を押し付けた。そして、開いた窓から彼女を外に押し出そうとする。
「え、ちょ……!」
「ねぇ、ハムラビ法典って知ってる?」
必死に抵抗する清洲に向かって、彼女が問いかけた。
「それの原則はね……、目には目を、歯には歯をという等価法則なの」
「まさか……。冗談でしょ?」
「今まで私を傷つけた分、ちゃんと清算して貰わなきゃ困るじゃない。だから――」
その瞬間、清洲の体が窓枠の外に飛び出した。その目に、誰もいない校庭が映る。おかしい、まるで別の空間に出たかのような……。
「これでチャラよ」
その言葉とともに、閉鎖空間が一気に解除された。直後、鈍い衝撃音とともに、校庭側から悲鳴が上がる。
(嘘……!)
彼女が絶句すると、メタリナは怪訝そうに尋ねた。
(あなたが望んだ事でしょう?彼女の……清洲っていう生徒の破滅は)
(だけど、これはやり過ぎだよ!)
(やり過ぎ?あなたがこれまでに受けた傷を一度に返しただけの事よ。……大丈夫、死ぬ事はないわ)
そう言うと、彼女は黙り込んでしまった。生温い奴め、とメタリナが毒づく。ほぼ確実に、頭部以外から先に地面と激突した。その後頭を打ったかもしれないが、メタリナの言うとおり死に至る程のものではない。彼女は笑みを浮かべると、血溜まりの上に倒れた。被害者を強調するための芝居ではなく、本当の貧血で。
「――やけに静かっすね」
更衣室の前で腕組をしつつ、取り巻きの1人が呟いた。いつもの仕置きなら、もっと派手な物音――例えば、人が殴られる音とか罵声――が聞こえる筈なのだが、部屋は不気味な静寂を保っている。
「まったく……。ヤベッ、先公が来た」
もう1人が、向こう側から駆けてくる人影に気づく。まさか、清洲の奴何かやらかしたか……?
「何か慌ててるみたいっすね。……先生、どうしたんっすか?」
取り巻きがのん気な口調で尋ねると、教師はやや苛立ったような口調で答えた
「どうしたも何も、清洲が更衣室から転落した。今救急隊員が応急処置を施している」
「落ちた……?あの清洲さんがですか?ご冗談を――」
「冗談じゃない!……いいから、そこを開けろ」
彼の緊迫した表情に、さすがの彼女も本当らしいと理解したらしい。慌てて、更衣室の電子ロックを解除した。すぐさま、彼が扉を開く。
「!」
部屋に踏み込もうとした彼が、その場で立ち止まる。その先には、血まみれになって倒れている加賀美野の姿。そして、床にはおびただしい量の血が水溜りのように広がっているのが確認できる。
「加賀美野、しっかりしろ!……おい、もう1台救急車を呼べ。早く!」
「りょ、了解っす」
眼前に広がった惨状におろおろとしていた彼女が、慌てて携帯電話を取り出し、119番をダイヤルする。そしてもう1人の少女は、その場に立ち尽くしたまま呟いた。
「冗談……でしょ?」
「――両脚の複雑骨折と頭部裂傷、それと打撲が大小数箇所。幸い、頭部への損傷はそれほど酷くありませんでした」
「そうですか。良かった――」
「ですが、それ以上に精神的なダメージを負っているようでして。大半の記憶を喪失している上に失語症となると、相当酷いショックを受けたと思われますから……」
病室の外から、そんな会話が聞こえてくる。ベッドの上に横たわる少女は、ドアの方に空虚な瞳を向けたまま、それを聞いていた。
「――しばらく入院が必要でしょう。それと、親族以外は面会謝絶とさせて頂きます」
「わかりました。色々とご迷惑をお掛けします」
「こちらこそ。御子さんが早く回復されるよう、全力を尽くしますので」
そこで、会話が途切れた。
しばらくしてドアが開き、女性が部屋に入ってきた。彼女は少女の傍に寄ると、その手を優しく握った。
「麗奈(れいな)、気分はどう?」
「……」
名前を呼ばれた少女は、何か言おうと口を開いた。が、何かを躊躇うかのように口をつむぐと、申し訳無さそうな表情をして視線を落とした。
「無理しないでいいわ。貴方に何があったのかは分からないけど、今は休んだ方が良いわ」
彼女の言葉に対して、麗奈はかすかに頷いた。
「学校には休学届を出しておいたからね。何か持ってきて欲しい物があったら、メモ用紙か何かに書き並べておいて。お母さん、仕事忙しいからたまにしか来れないけど、できる限り会いに来るから」
早口でまくし立てるようにして言うと、彼女は腕時計に目をやった。
「それじゃあね」
そう言って、彼女が麗奈の手を離す。そして、一度も振り返る事無く病室を出て行ってしまった。部屋には麗奈1人が取り残される。
彼女は、自分の両手に視線を落とした。ここで目を覚ますまでの事は、本当に断片的な事しか覚えていない……。それも、人を殴った記憶。弱気な女子生徒を呼び出して、一方的に暴力を振るう自分の姿。痛がり、恐怖に怯える彼女をあざ笑う自分。
「……」
これが本当なのだとしたら、私は……。両手をぐっと握り締めながら、彼女は失われたその姿に恐怖を抱く。まるで、かつての自分が苛めていた相手と同じように。
あれから、数日が経過した。清洲が転落した時の状況も相まって、校内のあちらこちらから彼女の噂が聞こえてくる。
「加賀美野さんをパイプ椅子で殴ったとか……。不登校にしたのも清洲だって――」
「自分の行動がバレるのが怖くなって、自分から飛び降りた――」
「ありゃ天罰だよ。あたし達も気をつけないと罰が当たるかもよ~?」
そんな会話を聞きながら、彼女は廊下を歩いていた。幸い、頭の傷はそれほど酷いものではなかったらしく、数針縫う程度で済んだ。対象が再起不能にまで陥った事を考えれば、十分過ぎるほどのリターンを得たと言ってもいい。それに……。
「加賀美野さん、怪我の方は大丈夫ですか?」
クラスメートの1人が、彼女に声を掛けてきた。あの時、こちらの様子を傍観していた1人だ。脅威が無くなった途端、この態度とは呆れる。
「これ?見た目ほど大した事は無いよ」
「そうですか。あ、その荷物持ちますね」
「いいよ、そんな事しなくても」
おまけに、怪我人だからと言って、何かと手伝おうとしてくる。とことん偽善に染まった生徒ではあるが、利用するに越した事は無いないだろう。
彼女は、本来の意識に向かって話しかけた。
(これで、あなたの望み通りになったわ)
(望み通り……)
そう、彼女を脅かす存在がいない世界。それが今、目の前にある。
(さて、今度は私の願いを叶えさせて貰うわよ)
(それは?)
彼女に尋ねられ、彼女――メタリナ――は笑みを浮かべた。
(今は教えられないわ。時期(とき)が来るまではね……)