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第三話:「デートじゃない」

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 ―恥ずかしい。
 新宿駅東口、アルタ前。わたしは一人、煙草を吸いながらそわそわとしていた。
 「恥ずかしい」の原因は、わたしの服装にある。ワンピースを着ているのだ。男の子と、小林くんと会う日に、ワンピースを着て街中に立っている。それもライブに行く日に。事の発端は、昼過ぎに来た小林くんからのメールだった。

 『今日って17時でいーんでしょ?いつも前行くの?』
 『うん、17時にアルタ前。今日はゆっくりでいいかな』
 『じゃあさ、スカートで来てよ!期待してるから。(笑)』
 
 メールを読んだまま、部屋に立ち尽くした。可愛い洋服なんて、持っていない。そもそも男の子と二人で会う時に、お洒落をして行った事が無い。『持ってないよ また後で新宿で』とだけ返し携帯電話を閉じた。可愛い女の子が着るような流行の洋服は持っていない。
 …でも、少しだけスカートやワンピースも持っている。古着屋で買ったワンピース、高崎さんと遊んだ時に「可愛い」って言ってもらえたんだよな。小林くんに、可愛くないメールばっか送っちゃったな。これでいつもの洋服じゃあ、愛想すら無い人だって思われちゃうよね。少しくらい、たまになら…。そんな言い訳を必死で考えながら、わたしはクローゼットを開いた。

 そんなこんなで、今わたしは、高崎さんに褒めてもらえた古着屋で買った花の刺繍の入った茶色のワンピースにブーツを履いて、新宿で小林くんを待っている。
 二十分も前に着いてしまったわたしは落ち着き無く煙草を吸い、五分前になった所で小林くんに『広場で煙草吸ってるね』と送り、いよいよそわそわして立っているのだ。やっぱりいつも通りの方が良かったかもしれない。仲の良い女の子同士ならまだしも、こんな日にこんな服装はやっぱり無い。いつものわたしじゃないもん。おかしい、恥ずかしい。小林くんだって笑っちゃうかもしれない。
 悶々としていると、携帯電話が鳴った。丁度十七時、小林くんだった。

 『もしもし?』
 『ごめん!今東口出た!』
 『大丈夫だよ』
 『灰皿ある所に居んの?』
 『うん、横に立ってるからすぐ分かるよ』
 『今その辺り着く…あ、居た!』

 電話が切れる。周りを見ると、小林くんが左から走ってくるのが見えた。

 「悪ぃ、遅れた!」
 「時間通りじゃん、遅れてないよ」
 「待たせちゃったでしょ、ごめんな」

 大丈夫だってば、と笑うわたしとその手の煙草がまだ長い事を確認すると、小林くんはニカッと笑い、俺も吸っていい?と言いながら煙草を取り出した。
 バイト先と同じ黒のメッセンジャーバッグから、マルボロのメンソール。黒のコンバースのスニーカー。小林くんの細い足にサイズの合ったジーパンに、白地のTシャツに水色のカーディガン。黒い帽子を被っていた。

 「帽子」
 「え?」
 「帽子被ってる所、初めて見た」

 ああ、と頷くと、「バイトは自転車で行ってるからさー、飛んじゃうから帽子被らないんだ」と答えた小林くんは、わたしをまじまじと見る。
 そっちこそ珍しいじゃん、なんて言いながら、わたしの髪の毛を軽く引っ張った。今日はお団子にしていないで、伸びた前髪だけピンで留めて髪の毛を下ろしているから。恥ずかしくなったわたしが「まとめる時間が無かった」と言い訳すると、ふぅん、と小林くんは笑う。

 「ロフトって席ある?」
 「ステージと別の所にもカウンターあるよ。煙草も吸えるし」
 「あ、部屋別なの?」
 「んー、カウンターはライブやる所のすぐ横だから、多少は音漏れるよ」
 「へぇ。あそこ、ご飯旨いんでしょ?」
 「オムライス美味しいよ。好きなんだ」
 「俺お腹減っちゃったよ。今日はオムライスな!」
 
 わたしが煙草の火を灰皿で消すのを見ると、小林くんも煙草を消した。早く行こうぜ、と言ってまたニカッと嬉しそうに笑うものだから、わたしもつられて笑ってしまう。
 ロフトのある駒劇近くへ二人で歩きながら思う。ワンピース、変じゃなかったかな。
 ロフトのある建物の前。小林くんが物珍しそうに、キャバクラの看板を眺めている。看板の中でにっこりと笑う派手な容姿のキャバクラ嬢は、少しだけ宮子ちゃんを思い出させる。
 家を出る直前、宮子ちゃんからメールがあった。

 『デートって今日でしょ?!後でミヤにも教えてね!約束!』

 文の中には、たくさんの絵文字が散りばめられている。教えるような事なんて、何も無いのに。…でも、宮子ちゃんからのメールを面倒に感じた事って無いな。彼女はいつでもわたしが苦手な類の話ばかりをするけれど、戸惑うだけで、不思議と嫌ではない。
 看板の中のキャバクラ嬢を見つめていると、同じ看板を眺めていたはずの小林くんは、いつの間にかわたしの様子を面白そうに眺めている。「女の子にそんな堂々と見られたら、俺が見れないじゃん」なんて笑うから、わたしは急に気恥ずかしくなって「入ろうよ」とだけ言って足早に階段を降りた。
 地下への階段は、暗く細い。ブーツはやっぱり降りにくい。

 薄暗いロフトの床の照明が当たる一部分が、ぬらりと光っている。
 「オムライスは?」と嬉しそうに言う小林くんの言葉に押されて、手早くロッカーに荷物を入れて奥へ入ると、バーカウンターには短いけれどもう列が出来ていた。前に並ぶ人がオムライスを頼んでいるのを見て、また嬉しそうにニカッと笑う。子供みたい、と思いながらもわたしもつられて笑ってしまう。

 「チケット俺の分も取ってくれてありがとな」
 「いいよ、自分の取るついでだったしさ」
 「断られると思ったんだけどね」
 「どうして?」
 「だってオマエ、あんま俺と喋ってくんないじゃん」

 淋しいなー、とニヤニヤしながら顔を覗きこまれると、どうにも目のやり場が無い。返事に困った瞬間にカウンターのスタッフの前に着いた。「オムライス!ふたつ!」と随分威勢の良い調子で頼み、ケチャップで何を書いてもらうかを真剣に悩んでいる。何にしようかとぶつぶつ話すお調子者を見ながら、またも自分が笑っている事を感じた。
 そんなわたしを尻目に、注文を終えた小林くんは相変わらずの調子で「何処座る?」とはしゃいでいる。丁度空いていた一番奥のソファに座るなり、今度は「どれくらいでオムライスが出てくるか」を本気で楽しみにしている。

 「ケチャップの文字、何て頼んだの?」
 「そりゃ出てくるまで言えねーよ」
 「じゃあ早く出来上がらないと困るね」
 「だろ?相原も文字頼めば良かったのに」
 「思いつかなかったんだもん」

 今日のイベントのバンドで誰が好きだとかどの曲が好きだとか、そんな事を話す。高崎さん以外の人とこういう風に話すのって、久し振りだな。いつもはこんな話したって、みんな不思議そうな顔するだけだもん。小林くんはこういう話、好きなのかな。
 笑いながら話しているうちに、スタッフがオムライスを運んで歩いてくる姿が見えた。
9, 8

  

 『SPORTS』

 黄色いオムライスの上で、赤いケチャップの文字が主張をする。両端のSの字が、それぞれ横に垂れていた。

 「ちょっと読みにくいな」
 「字が多いんだよ」
 「あー…でもさぁ、他に思いつかなかったんだよ」
 「好きなの?運動」
 「馬鹿、『SPORTS』だよ」
 「変わんないじゃん」
 「平仮名で『うんどう』は無いだろ?」

 とりあえず食べようぜ、という小林くんの言葉を合図に、揃って目の前のオムライスを食べ始める。当たり前かもしれないけれど、食事中の小林くんは普段と違って静かだった。わたしのオムライスのケチャップはありがちな大きな波線で、それはまるで何かの地図記号のようだった。
 先に食べ終わった小林くんは、わたしが食べる様子を眺めていた。人に見られながら食べるのって、こんなに緊張するものだったっけ。

 「相原、美味そうに食べるね」
 「オムライスが美味しいからね」
 「ゆっくり食べなよ」
 「見られてると落ち着かないよ」
 「そりゃ悪かった」

 大袈裟に肩をすくめてみせた小林くんが周りの人に視線をやっているうちに、急いで残りのオムライスを食べ終える。早くねぇ?と笑う姿が、意味も無く少しだけ悔しかった。

 「ごちそうさま」
 「はい、ごちそうさま!」
 「待たせてごめんね」
 「さっきは俺が待たせたから、これで帳消しだな」
 「ん、煙草吸う?」
 「ステージの方の灰皿がいいな。もうすぐ始まるしさ」

 席を立ちながらドリンクのお代わりを聞き、カウンターにお皿を返すついでにビールを二つ頼む。カウンターの中のスタッフは、笑顔で手早くビールを用意する。
 白い泡のたっぷり入ったビールを片手にステージへ向かうと、さっき入った時よりは幾分人が増えていた。それでも今日は、いつもより客数が少ないのだろう。開演直前にしてはまばらな空間へ、足を踏み入れる。
 ◇

 客席がざわめいている内に、照明が一層暗くなる。ざわめきは静かになる。
 遠藤賢司とカレーライス。わたしが産まれるずっと前から唄っていたお爺さんが、ステージにゆっくりと上がる。妙ちきりんな格好をしているお爺さんは、妙ちきりんに温かい空気を持っていた。

 時間が過ぎていく。

 「カレーライス」だなんてふざけたバンド名だけど、ゆっくり楽しそうにやるその姿を見て、ただ漠然と、いいなぁ、と思う。いいなぁ。

 時間が過ぎていく。

 曲名まで「カレーライス」だもんな。大真面目にカレーライスについて唄っている。カレーライスは温かさの象徴なのだろうか。

 時間が過ぎていく。

 エンケンがしみじみと、呟くように話す。

 「女の子って、良いよねぇ」

 この人は何を言っているのだろうか。彼はどう見てももう「お爺さん」だ。女の子がどうこうなんて時代は、とっくに過ぎ去っている。左に立つ小林くんを盗み見ると、わたしと同様にぽかんとしていた。そりゃそうだ。

 「あったかいんだよねぇ」

 ぽかんとしている客席なんて知らん顔で、エンケンは話を続ける。

 「いつまでも柔らかくてね、あったかいんだよ」

 もう一度左に立つ男の子を盗み見ると、男の子は柔らかく笑っていた。

 温かい時間が過ぎていく。

 ライブが終わった後、小林くんは「あったかかったな」とだけ言った。わたしも「あったかかったね」とだけ答えた。騒がしい新宿のど真ん中に居るのに、ひどく温かかった。

 ◇
11, 10

  

 それでも外に出れば、やはり此処は新宿のど真ん中。ロフトを出て階段を登り切った途端、喧騒が押し寄せる。

 「時間ってさぁ、不思議だよな」
 「何で?」
 「だってあの人、俺達が産まれるずっと前から唄ってるんだろ?」
 「それを生で観たり聴けたりするのって、幸せじゃない?」
 「うん。でもそれ以上に不思議な感じがする」
 「歳の差があるから?」
 「簡単に言ったらそうなんだろうけどさ。そうじゃなくて。俺はどんどん大人になっていくけど、あ
 の人の気持ちって若いまんまなんだろ?そうゆうのって、時間が変な風になってるみたいな感じがし
 ねぇ?上手く言えねーけど」

 一瞬黙った後、小林くんは「でも、あったかかったな」と繰り返した。
 相槌を打ちながら考える。温かかった。温かい遠藤賢司が言う所の「女の子」も、本当に温かい生き物なのだろうか。
 女の子は苦手だ。根拠の無い幸せを背負って笑顔で歩いているその姿を見ると、根拠も無く怖くなる。歌舞伎町にも新宿駅校内にも山手線の外回りにも内回りにも、世界中に幸せを背負った女の子が溢れている。
 自分を不幸だとは思わない。ただ、根拠の無い幸せが理解出来ないのだ。

 着いたよ、と背中を軽く叩かれる。品川駅だった。隣に立つ男の子は、オマエほんと考え事好きだよなぁ、と言った。
 
 「たまにはバイトにも髪下ろしてくればいいじゃん」
 「バイト中は邪魔になっちゃうよ」
 「でも新鮮でいいよ」
 「何度もやったら新鮮じゃなくなっちゃうよ」
 「屁理屈ばっか言うなよ。その方が可愛く見えるよ」

 咄嗟の屁理屈が出ないわたしを確認すると得意そうに笑い、じゃーな!と言い残して、小林くんは京急線の改札へ歩いて行った。
 京浜東北線のホームへ歩きながら、思い出す。大事なのはワンピースだったのに。でも、褒めてくれたからそれで良いのかもしれない。
 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。…本当は嬉しいんだ。
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