1.止まない喘ぎ <9.11>
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重い扉をそろそろと開け、一人の少年が白い建物の中に足を踏み入れた。
薄暗い部屋の床には隙間もないほどに布団が敷かれていた。それぞれの布団の上に人が座り、あるいは横になっている。
今部屋に入ったその少年を除き、部屋にいる全てが女性だった。彼女らは一様に肩を強張らせ、扉から顔を背けて俯いている。
「母さん?」
扉を閉めた少年が小声でそう言うと、俯いていた女達がぱっと顔を上げ、振り返って少年を見上げた。女達の顔に安堵の色が浮かぶ。
一人の女が立ち上がり、少年に歩み寄った。
「ロイ」
名前を呼ばれた少年は近づいてくる母を見上げ、微笑んだ。
「母さん」
「ここに来ちゃ駄目だって言ったでしょう」
母は言いながらロイの頭を優しく撫で、愛おしそうに抱き締めた。
「ごめん……でも、ここに来ないと会えないから」
息子の言葉を聞き、母の目に涙が滲んだ。再び力を込めてロイを抱き締め、名残惜しそうに体を離す。
「さあ、早く自分の部屋に戻りなさい。今度はお母さんが会いに行くから」
「いつもそればっかり。今度っていつ?」
母は答えることができず、目を逸らした。ロイは続ける。
「僕、もう嫌だよ。母さんにも会えないし、毎日重い荷物を運ばされて。昨日だって同じ部屋の人が鞭で――」
「しっ!」
母は慌ててロイの口を押さえた。
「何度も言ったでしょう、そんなこと言っちゃ駄目。今は我慢するのよ。いつかきっと、昔みたいに一緒に暮らせる日が来るから」
ロイが黙り込み、彼の目に涙が溜まり始めた。
母はゆっくりと、ロイの口を塞いでいた手を離していく。ロイは訴えるような目で母を見た。
「いつかって、いつだよ。それに昔みたいにって言ったって、もう父さんは――」
その時、乱暴に部屋の扉が開いた。母の顔がさっと青ざめ、部屋中に緊張が走る。母の視線につられ、ロイは扉の方を振り返った。
開け放たれた扉から、数人の男がぞろぞろと部屋に入ってくる。国に仕える兵士だろう。制服を着てはいないが、ある者は腰に銃を、ある者は剣を差している。
部屋中にひしめき合う女達を見下ろしながら、兵士達は部屋をうろつき始めた。時々、俯いている女の顎に手をかけて、顔を上げさせている。
一人の兵士が、ロイの母を見つけてにやついた笑みを浮かべた。
「お、いたいた」
兵士と目が合った母の顔から血の気が引く。その兵士の声に反応した他の兵士達が、一斉にこちらを振り向いた。
「なんだお前、またその女か」
「もっと若いのが沢山いるだろ」
ロイの母に歩み寄っていた兵士が立ち止まり、振り返る。
「わかってねえなお前ら、女は若けりゃいいってもんじゃねえんだよ。それに、この女は声もいいんだ。へへ」
母は兵士達の会話を聞きながら、ロイに耳打ちした。
「逃げなさい、早く」
ロイは何が起こっているのか理解できないまま、口をぽかんと開けて母を見た。母はロイの肩に両手を置き、慌てた様子でもう一度耳打ちする。
「早く!」
母の真剣な表情にロイは我に返り、なんとか頷いた。少し震えている足を動かして立ち上がり、扉に向かって駆け出す。
「あん? なんだ、このガキ」
兵士は自分の横を駆け抜けようとするロイを無造作に蹴飛ばした。バランスを崩したロイは布団に倒れ込む。
側にいた一人の女性が咄嗟に手を差し伸べようとしたが、すぐに引っ込めた。
「ロイ!」
母が素早くロイに駆け寄った。包み込むようにロイを抱き締め、慈悲を乞うように兵士を見上げる。
「お願いします、この子だけは」
母子を見下ろす兵士は顎に手をやり、笑みを浮かべた。
「へえ、何かと思ったらお前のガキか。女と俺達以外は立ち入り禁止だぞ、坊主」
他の兵士達もぞろぞろと集まってくる。
対照的に、近くにいた女達はその場から後ずさり、ロイと母を中心に人の輪ができた。
「まあ……せっかく来たんだから、社会勉強でもさせてやるか」
兵士達が顔を見合わせて笑った。
母はロイを守るように抱き締め、肩を震わせている。
兵士達は力任せに母と子を引き剥がした。母が半狂乱で泣き叫ぶ。
「やめて、お願い! その子だけは、その子だけは……!」
仰向けに寝かされて暴れる母の両腕を二人の兵士が抑え、一人が腹の上に馬乗りになった。
「あんまり手間かけさせんなよ。あんたがいつも通り大人しくしていれば、ガキは殺さないでおいてやる」
母は涙に濡れた目で兵士を見上げた。唇が震えている。
「本当……ですか……?」
ロイはすぐ近くで兵士二人に押さえられ、母の方に顔を向けさせられている。薄く口を開けて震え、声も出ないようだ。
母に覆いかぶさっていた兵士がにやりと笑った。
「ああ、本当だ。安心しな」
母の力が抜けていくのを確認し、両腕を押さえていた兵士は手を離す。
ロイを押さえている兵士がにやつきながら、顔をロイの耳に近づけた。
「よく見とけよ坊主。おまえのママが今から、とっても楽しい事をするからな」
兵士達はどっと笑った。ロイは答える事ができず、怯えきった表情で母を見つめた。
兵士に乗られている母が、涙を流しながら横目でロイを見る。
「見ないで、ロイ……」
母は、息子の目の前で衣服を剥ぎ取られた。一児の母である事を感じさせない、整った体の線が露になる。横でその様子を眺めていた兵士達が唇を舐めた。
「いい体してんじゃねえか。俺も今日はこの女にするか」
「俺もだ」
順番を争い始めた兵士達の輪の中で、母は男に体中を弄ばれた。母は口を強く結び、涙を滲ませながら耐えている。
目の前に映るあまりの光景にロイが顔を背けると、兵士は無理矢理に母の方を向けさせた。ロイが耐え切れず目を瞑ると、兵士は脅し文句と共にロイの頬を張った。
服を脱いだ兵士が、同じく既に全裸となっている母に覆いかぶさり、重なって動き始めた。しかしそれでも母は目と口を固く閉じており、声一つあげない。男は動きを止め、母の顎を手で掴んだ。
「おい、どうした。いつもの喘ぎ声を聞かせてくれよ」
母は目を固く閉じ、涙を流しながら首を横に振った。男は母の顔に顔を近づける。
「ずっと黙ってるつもりなら、殺すぜ」
母は顔が青ざめたが、それでも答えない。男は笑い、再び動き始めた。母の耳元でそっと囁く。
「ガキの方をな」
体を揺すられながら、母の歯がガチガチと鳴った。少しして、その口から声が漏れ始める。
ロイは両手で耳を塞いだ。しかしその手は兵士によってすぐに剥がされる。母の嬌声が、容赦なくロイの耳に響いた。ロイを押さえつけている兵士が耳元で囁く。
「お前の母ちゃんも好きだな。あんなに気持ち良さそうに声あげてよ」
「淫乱な女だ。息子の前であんな格好して恥ずかしくないのかね」
ロイは再び耳を両手で押さえ、声にならない声で叫んだ。その手が再び兵士によって剥がされた時、彼はそのまま意識を失った。
「……!」
悪夢から開放され、ロイは目を覚ました。息は荒く、額には玉のような汗が浮いている。
ロイは体にかけていた布団を払いのけ、辺りを見回した。暗く狭い部屋の中で、数人の男女が死んだように眠っている。
夢で聞いた母の嬌声が、耳からしばらく離れなかった。
この国では、十八歳から三十五歳までの女は強制的に、ロイの母がいた部屋に収容される。
その部屋に出入りできるのは国に仕える男のみで、彼らは中にいる女を自由に選び、性欲を満たす。行為によって女が妊娠した場合、堕胎は許されない。
母がロイの目の前で恥辱を受けたのは、今から四年前の事だった。ロイは四年経った今でもなお、あの日の光景を夢に見る。
ロイの母は既にこの世にいない。息子の前で数人の兵士に犯されたあの日の三日後、夜中に一人で部屋を抜け出し、海に身を投げた。
既に父を亡くしていたロイは、その時点で両親を失ったことになる。
ロイは今年で十六歳になった。
成長期にあって、彼の身長は四年前に比べて著しく伸びており、日々課せられる肉体労働によって、痩せてはいるものの逞しい身体を造っていた。その顔からは幼さが消えつつある。
しかし、他の全ての国民と同じく、彼の表情にはまるで生気が感じられない。
母が言った「いつか」は未だ来ず、国は何も変わっていなかった。