10.誓いの口づけ <12.28>
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「それじゃ、君は命を賭けてその石の力を……」
服に袖を通していたカルツが動きを止め、ベッドを振り返った。
「うん」
サナはベッドの上で下着に脚を通しながら頷き、微笑んだ。
「何て事を……」
カルツは言いながらベッドに歩み寄り、サナに口づけた。そのままサナを抱き締め、サナの肩に顎を乗せる。
「本当にありがとう、僕は幸せ者だ……。でも、これからはもうそんな危ない事はしないでくれ」
「うん」
「これからは、生涯かけて僕が君を守る。ずっと一緒にいよう」
サナの目に涙が滲んだ。鼻をすすり、小さく頷く。
「……うん」
カルツは顔を上げ、微笑んだ。サナも涙ぐんだ顔で、微笑み返す。
「国政を立て直すのに、少し時間がかかるかもしれないけれど……落ち着いたら、君を王妃として公に紹介しよう」
「えっ……あたしが、王妃」
「嫌かい?」
「いや、そうじゃないけど……なんか実感沸かないなあ」
「すぐに慣れるさ」
カルツはそう言って笑い、側に落ちていた上着を手に取った。サナも自分の服を手に取り、身につけていく。
「ね、カルツ」
「うん?」
「あたし、行かなきゃならないところがあるんだ。スントーって村なんだけどね」
「スントー……サナに石をくれた人のいるところだね。何か用事?」
「うん。実はね、城に来るまでにあたし、街に紛れ込んでたんだ。その時に知り合った二人をこの国から逃がして、その村へ向かうように言ってあるの。この城に来る少し前の事なんだけどね」
カルツは驚いた表情でサナを見つめ、続きを待った。
「あたしが城に乗り込むってことは言ってあるから……成功した事を知らせに行かないと」
「そうか……わかった。それは早く行ってあげないといけないな」
「うん。あと、石もその二人に預けてるんだ。本当はあたしが持ってないといけないんだけどね」
「……石を……預けてる?」
「うん。本当は一旦スントーに戻って、おじいさんに預けてくるつもりだったんだけど……色々あって、その余裕がなくなったんだ。それでその二人に――」
「そうか……それで……」
カルツはサナの話の途中で、彼女に背を向けて腕を組んだ。
「……道理で、どこを探しても見つからない筈だよ。君の衣服も、君の身体も、くまなく探したっていうのに。まさか掟を破って他人に預けているとはね……まあ、君らしいといえば、君らしい」
サナはカルツの背中を見つめ、怪訝そうな顔をした。
「え……あたし、掟のこと話したっけ……?」
カルツはサナに背を向けたまま笑い出した。ゆっくりと振り向き、ベッドに腰掛けているサナを見下ろす。
「サナ、僕が言っている事の意味がわからないか? 恋は盲目とはよく言ったものだ」
サナの唇が震え始めた。胸の鼓動が早まり、心臓の音が耳に響く。
「冗談はやめて、カルツ……さっきから何言ってるの」
カルツは軽く目を瞑って苦笑し、やれやれと両手を広げた。
「あまり混乱させると可哀想だから、はっきり言ってあげようか」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、カルツはサナに問いかけた。
サナは言葉が出ず、ただ震えながら、無意識に首を横に振った。
カルツは笑みを浮かべ、震えるサナの両肩に手を乗せて口を開いた。
「いいかい……ウルに王の座を継がせたのは、この僕だ。あくまで表向きにね。実際は五年前からずっと、この国の舵は僕が取っている」
カルツは冷ややかな目でサナを見た。
「そして、ばあやを通じて君に石の話をさせたのも、僕だ。彼女は君をスントーにけしかけた後、今も元気に城で暮らしているよ。あれから数年かかってしまったが……ありがとう、君のおかげでようやく、全ての駒が揃いそうだよ」
サナがカルツの言葉を理解するのには、数分を要した。理解した瞬間、彼女の頭の中は真っ白になった。続いて激しい頭痛が襲い掛かる。振り払おうと頭を激しく振り、サナはふらつきながら立ち上がった。
苦しむサナを意に介する様子もなく、カルツは横を向いて話を続けていた。
「恐怖政治でこの国を支配する事は、そう難しくなかった。ウルの暴力的な性格については国中に噂が広がっていたし、城内の兵士達は父が死ぬ以前から、既にこちらに取り込んでいたからね。従わない者は目立たないように、様々な方法で始末してきた。僕が子供の頃から、数年かけてね」
サナは思わず耳を両手で覆った。
「あとは単純な流れだ。父の死後、ウルが兄である僕を人質に取り……まあ、そう見せかけただけだが……無理矢理に王座に就く。そしてウルの命令のもと、兵士達が暴力で民衆を抑えつける。ここまでは予定通りだ。ただ、問題はあった。いくら人間が暴力による統治に弱いとはいえ、このままでは反乱が起こってしまう可能性は捨てきれない。そこで僕が欲しかったものが、人を超えた力だった。民衆の希望を根元から削ぎ落とすことが出来るような、ね」
カルツは言葉を切り、サナを見た。サナは頭を押さえ、俯いて話を聞いている。
「伝説の石の在りか……継承者が持ち続けるという掟……色々と調べたんだけどね。石を譲り受けるには、持ち主に認められなければならない。悪人に渡すわけにはいかないというわけだ。奪い取ろうにも、相手は石の力を持った超人だ。どうしたものかと思っていたところに、街を歩く君の姿を見た」
俯いていたサナがびくんと反応する。カルツはそれを面白そうに見つめ、話を続けた。
「君を見た瞬間、これだと思ったよ。見るからに純粋無垢なこの少女を僕に心酔させ、石を取ってきてもらえばいいと」
サナが肩を震わせながら顔を上げる。
「じゃあ……じゃあ、あの時、追われていて偶然あたしの家に来たっていうのは……」
「もちろん、作り話さ。僕が君の後をつけたんだ」
「……そんな……」
うなだれるサナを横目にカルツは壁に歩み寄り、何の目印もない部分を手で押した。牢獄のように照明がないように見えた部屋に、明かりがつく。
「石と君に関する計画は、城内でもほとんどの者に秘密にしてあった。この計画を知っている者は僕とばあや、あとはさっきこの部屋にきたゴラスだけだ。ウルにさえ話していない。まあ、あいつに話したところで理解できるかどうかは疑わしいが」
サナはゴラスの事を思い出した。彼は侵入者であるサナとの戦いに参加せず、計ったようなタイミングでこの部屋を訪れ、カルツの命令を受けてこの部屋を出て行った。
「全部……今まで全部、演技だったの? 嘘だったの……?」
カルツは薄く笑った。
「君が来るのを待って五年もの間、この質素な部屋で過ごした。明かりを消せば、牢獄のようにも見えただろう。さっき、侵入者の連絡を受けて明かりを消し、自分で自分の手を鎖に繋いだのさ。そもそも、おかしいと思わなかったかい? 牢獄なのに中から鍵がかけられるなんて」
カルツはからかうようにサナを見下ろした。
サナは震える唇を噛み、ゆっくりと腰を上げる。
混乱する頭をどうにか沈め、意識的に大きく息を吐いて呼吸を落ち着け、顔を上げてカルツを睨みつける。
「詰めが……甘いよ」
「そうかな」
堂々とサナを見つめ返してくるカルツの顔から、サナは思わず目を逸らした。横を向いて、何とか言葉を搾り出す。
「あなたの目の前にいるのは……人を超えた力を持つ、奇跡の石の継承者なんだよ」
「そうだね」
「対してあなたは、武器も持たない普通の人間」
「確かに、僕は武器を持っていない。ウルと違って戦闘は得意じゃないからね」
カルツはおどけたように両手を広げた。
「なら、どうなるか……わかるでしょ……?」
拳を握り締めて震えるサナを見て、カルツは微笑んだ。一歩、サナに向かって足を踏み出す。
「サナ、君を愛してる」
「ふざけないで……」
「僕の為にここまで来てくれて、本当に感謝してる」
言いながらカルツはサナに歩み寄っていく。サナは後ずさりを始めた。
「やめて。来ないで」
サナの背中が冷たい壁に当たった。カルツが手の届く距離まで近寄り、そこで足を止めた。
「サナ……」
カルツはサナの肩に手を置いた。
「触ら……ないでよ……」
サナはカルツを押しのけようと、彼の胸を手で押した。しかし、その手には全く力が入っていない。
「君はこの五年間、僕を助ける為に全てを懸けてきてくれた」
「…………」
「サナ、君は……この国を救うために、ここに来たのか?」
カルツはサナの頬に手を添えた。サナの目には涙が浮かんでいる。
「あたしは……!」
「違うだろう。君は僕を助ける為に……その為だけに、ここに来たんだ。僕の為だけに生きてきたんだ。そして僕は、その君のおかげで目的を果たす事ができる」
「やめて……」
カルツの顔が徐々にサナに近づき。二人の額がそっと触れあった。
「ありがとう。これからも僕の為に生きてくれ。死ぬまで、ずっと一緒にいよう。君を愛してる」
「やめて……やめて…………」
カルツの唇が、サナの唇に触れた。
力の抜けたサナの身体を、カルツは抱き寄せた。サナはされるがままに、カルツに抱き締められた。
口づけを終え、カルツがサナの体を離すと、サナはその場に崩れ落ちた。