14.相応しき者 <2.4>
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カルツは顎に手をあて、観察するようにロイを見た。
「やはり、止めは刺していなかったか。彼女らしいな」
ロイはカルツを睨み、傍らに倒れているサナと、少し離れたところに倒れているレイリを見た。
「サナに……レイリに、何をした……」
「大した回復力だ。常人なら数日は目を覚まさない状態だというのに……ああ、そもそも常人なら生きていないか」
カルツは質問に答えず、からかうように笑った。代わりにウルが一歩前に出る。
「その馬鹿な女はな、お前を庇ったんだよ。自分で倒しといて、世話ねぇな。分けのわからん女だ。あと、向こうのはお前の女か? ちょろちょろしてやがったから、顔面を蹴り飛ばしてやった。鼻くらい、折れたかもな」
ロイは拳を握り締めた。肩が震えだす。
「この……野郎……!」
ウルを睨むロイをカルツは鼻で笑い、背を向けた。
「丁度いい力試しだな。もうその少年に用はない。好きにしろ」
カルツは言いながら、兵士達の方へ歩いていった。ウルはその言葉に、嬉しそうに顔中に笑みを浮かべた。
「わかった、兄貴」
ウルはロイに向き直り、手で挑発の構えを取った。
「かかってきな、小僧。石の力を使うのにふさわしいのが誰なのか、王である俺様が身を持って教えてやるぜ」
ロイは湧き上がる凄まじい怒りを必死で抑え、深い呼吸で息を整えた。サナとの激戦で受けた傷や腫れは、先程よりは治っている。全身に痛みは残っていたが、動けないほどではなかった。
ロイはウルを睨み上げ、地を蹴った。
カルツは近くで整列していた数人の兵士達のもとに戻り、彼らに指示を与えるべく口を開いた。
その時、目の前にいる兵士が目を見開いた。
「カ、カルツ様……」
兵士はカルツの後方を指差している。カルツは振り返った。
そこには砂埃が舞い、その中でウルが地面に背をつけて倒れていた。ウルを見下ろすようにロイが正面に立っている。
「……何だと?」
カルツは目を疑った。相手のロイは満身創痍の上、体格においても戦闘の経験においてもウルとは天と地ほどの差がある。同じ条件ならばウルが圧倒的に有利な筈であった。
唖然としてその光景を見つめていた周りの人々に、再び希望の光が射す。民衆は皆拳を握り締め、ロイの勝利を天に祈った。
倒れていたウルは、今起こった事が信じられないといった様子で顔を歪め、激しくロイを睨みつけながら立ち上がった。ロイは肩で息をしながら、構えを取る。
「この……小僧があ!」
ウルはロイに突進した。鍛え抜かれた丸太のような足で、強烈な蹴りを繰り出す。
しかしロイには、ウルの体の動きがはっきりと見えた。幼い頃から戦闘の経験を積んでいるだけあってウルの動きには無駄がなかったが、サナに比べ、動きそのものが数段遅いのだった。
ロイは頭を下げて蹴りをかわし、体勢の崩れたウルのみぞおちに拳を叩き込んだ。ウルの体がくの字に折れ、続けて下がった顎に向けて拳を振り上げる。ウルの体は宙に浮き、そして重力によって地面に叩きつけられた。
圧倒的にロイの方が優勢である事を理解し、民衆に歓喜の声が上がった。
対照的に兵士達には明らかに動揺が見られ、中心にいたカルツの表情からも、余裕の笑みが消えている。
「一体どうなっているんだ……ウルは石の力を完全に引き出せなかったのか……?」
「そうじゃないよ」
カルツはその声に振り向いた。その顔に再び驚愕の色が浮かぶ。
そこにはサナが立っていた。背中に受けた銃弾は貫通しており、わき腹の近くが赤く染まっている。
「サナ……生きて……」
「奇跡の石は、触れた人の潜在能力を引き出す石……触れる前の強さは関係ないの。触れた者がどこまで強くなるのかは、誰にもわからない」
「……ウルよりも……あの戦闘狂よりも、あの平和そうな少年の方が、潜在的な戦闘能力が高かったと……?」
「そうだね」
サナは切なげに頷いた。
「…………そう……か」
カルツは溜息をついて目を瞑り、少しして目を開けた。その顔は、既に普段の静かな表情に戻っている。
彼は広場の中央に目を向けた。同じくサナも視線を向ける。
砂埃の中、ウルがロイに倒される度に民衆から歓声が上がった。ウルは狂ったように雄叫びを上げ、手当たり次第に武器を取り、ロイに飛び掛っている。
「じゃあ、あの少年を倒した君は……この国で一番強いということになるな」
「あたしは、数年かけて力の使い方を訓練してきたから。ロイが同じ訓練を積んだら、あたしより強くなるかもしれないね」
「そうか」
カルツは大きく溜息をついた。
「君が言った、僕の詰めが甘いというのは正解だったな。こんな事に頭が回らないとは、我ながら情けないよ。奢れる者は久しからず、だな」
サナは答えない。ただ複雑な表情でカルツの横顔を見つめていた。カルツは広場の中央を見据えたまま、口を開く。
「もう一度、彼を倒してくれ……と言っても、君はもう戦ってはくれないんだろうな」
カルツがゆっくりと顔を傾け、サナを見た。サナは黙って頷く。
彼は少し悲しそうに、しかし穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。
サナの胸が熱くなり、目に涙が滲んだ。自分の人生を弄んだこの男が、誰よりも自分の気持ちを理解している。サナは胸を押さえた。
「あたしは、馬鹿だ……」
サナは消え入りそうな声で呟いた。目から涙が溢れ出す。
「自分でもわからない……あたしはそれでもあなたを……」
サナは両手で顔を覆った。涙は止め処なく溢れ続ける。カルツは広場の中央をじっと見つめたまま、口を開いた。
「そうだね、君は馬鹿だ……自分を道具のように扱い利用してきた僕を、未だに慕っているなんてね。だけど、僕は君以上の馬鹿だな」
再び、広場の中央で歓声が上がった。
倒されたウルは必死の形相で起き上がろうとするが、既に足がふらつき、意識も朦朧としている。
「君はもはや僕を信用してはいないだろう。もう君にとって、僕の言葉に意味はないのかもしれない。だけど最後に一つだけ」
ウルがようやく立ち上がった。声にならない叫び声を上げ、ロイに突進する。
「僕は……本当に、心から君の事が好きだった。街で君の姿を見た時からずっと……その気持ちは今も変わらない」
サナは俯いて震えながら、喉から声を搾り出した。
「……ふざけないで……」
「君が無事で……本当に良かった」
涙でくしゃくしゃになった顔で、サナは顔を上げた。
「そんなこと今更――」
サナの言葉は途中で止まった。
カルツは、顔を上げたサナを穏やかに微笑んで見つめていた。
その右手には銃が握られ、自身のこめかみに向けられている。
「待っ――」
サナの手が届く寸前に、銃声が轟いた。至近距離で放たれた銃弾はカルツの頭を貫き、彼の血と命を空に散らした。
カルツが地面に倒れ込むと同時に、広場に大きな歓声が起こった。
広場の中央には、ロイに倒され完全に気を失ったウルが、大の字になって倒れていた。
東の空から昇り始めた陽の光が広場を照らし、ネティオの長い夜が明けた。