物語る
書こうと思ってもかけない。そういうことは多々ある。
そんな時、私はぶらりと散歩に出かけることにしている。
机を前に物事をひねり出すよりも、体を動かしたほうが浮かびやすいときもあるからだ。
私は近くの公園へとやってきた。木の多い公園である。
その中にあるベンチでぼんやり煙草をふかすのが、考えに詰まったときのお気に入りとなっている。
ベンチにどかりと座り込むと、胸ポケットから煙草を取り出し一息ついた。
生い茂るこの葉から漏れさす柔らかい光が暖かい。
木が風に揺れかさかさと鳴っている。
ふと気がつくと、私の隣に一人の女性が座っていた。
そして静かにこういうのである。
「私もうすぐ死ぬんです」
「へえ……」
あっけにとられ、情けない言葉しか出なかった。
初めて会う女からの突然の告白ではあるが、別段奇妙な感じはしなかった。
「どうして僕にそんなことを話すんだい?」
「誰かに聞いてほしかったんです」
女はこう答え、にこりと笑った。
「あなた、よくこのベンチに座ってますよね。しかもこんな難しい顔をして」
私の顔を真似しているのか、女は眉間にしわを寄せている。
「そんな顔してないよ。ただ少し考え事をしているだけさ」
「どんなこと考えてるんですか?」
「僕は物書きなんだよ。小説家。最近、不調でね。なかなかいいアイデアが浮かんでこない」
私は自然に自分の悩みを打ち明けることが出来た。先ほどの告白を聞いていたからであろうか。
不思議なほど女との距離が近く感じる。
「何かよいものを書こうと気負ってるんじゃないですか?」
「誰だってよいものは書きたいよ」
女の物言いに、僕は少しむっとしてこう答えた。
実際その通りである。
自分の作品が評価の対象となり、そして非難される。
それが恐ろしくなり、筆が進まないのだ。
「あなたが書いたものはあなたのもの。でもあなたの手を離れ、他の人が読む頃には
それはあなたのものではなくなっているのよ。
そんなもの気にしても仕方ないわ」
「僕が書いたものはあくまで僕のものさ。僕が書きたいことを書き、それが読者に伝わらなかったら、
それは僕の書き方がまずかったというだけ。未熟ってことだよ」
ふわりと風が女の髪をさらおうとしている。女は私の顔に近づき、こう続けた。
「あなたは書きたいことを書きたいように書けばいいの。他の人がどう思うのかなんて考えなんかに
縛られちゃ駄目よ。だって、他の人はあなたの作品から読みたいことしか読まないんだから。
それこそあなたの考えなんて関係ないのよ。
書くことが好きなら、書くことであなたは満足しなきゃね?」
優しい甘い香りが私の鼻に届いていた。頭の回転がひどく鈍くなっていく。
「ねえ、私のことを書いてよ。私と出会ったこと。私と話したこと全部。
私はあなたの小説の中で生き続けたいな」
気がつくと、周りは茜色に染め上げられていた。
先ほどまで気持ちよくそよいでいた風は、いつの間にか淀んだ空気を運んでいる。
いつの間にやら眠っていたのだろうか。一人がけのベンチだったので体が痛い。
ふと隣を見ると、一本のゆりが生えていた。
花は地面に落ちている。まだ落ちて間もないのであろう。瑞々しさが残っている。