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三話 闇より深し狂気 六章

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 数メートル先の藪から出てきたのは、口に猿轡をつけられ、両手を縛られた月宮だった。月宮は体を打ちつけたが、怯まず必死にもがいている。
「刑事さん!?」
 ムゥが月宮の方へ行こうとするが、絶がその手を引いた。
 困惑しながらムゥが振り向くと、絶は紅い目で林の中をじっと睨んでいた。
「久方ぶりだな。・・・少年」
 林の中から冷気のように透き通った声がした。すると月宮が出てきた藪からぬっと男が現れた。男の姿は月に照らされよく分かる。
 ―――白髪の頭。朽ちた目。そして左目が――無い。
 間違えようが無い。絶が探し続けた的、敵。ムゥもそれを認識すると両手に鉤爪を現した。
「やっと見つけた・・・俺たちの敵」
 紅い瞳が睨むのを、男はさも可笑しそうに鼻で笑った。
「ふん。敵ねぇ。・・・君は私の側だと思っていたんだが?」
「俺をお前のような奴と一緒にするな。吐き気がする。」
「おやおや・・・その反抗的な態度。私は君に感謝されるはずなんだがね?能力の使い心地はどうだい?」
 男は体調を聞くようにそう言った。絶は男の言葉に苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「使い心地だと?最悪だよ、何もかも。お前と会ってからな!」
 吐き捨てるように言った絶を見て、男はクククと笑った。
「その様子だと・・・『両親は殺せた』らしいな。」


 数瞬、男が何を言ったのか理解できなかった。
「『両親は殺せた』か・・・だと?」
 もう一度男の言葉を口にする。
「君の心に付け込んだ時に私は暗示をかけていたんだよ。『身近なものを全て殺せ』とね。どうだい、人を殺したときの、親を手にかけた時の気分は?心が震えるだろう?最高に気分が良いだろ?」
 悪魔のように叫ぶような笑いが、月宮の抵抗する音も遮り、響いた。男の声以外森の中には何も聞こえない。
「・・・あぁ、すごく最高の気分だぜ・・・」
 ムゥはその声に悪寒が走り、後ろを振り向いた。そこで絶はうっすらと笑みを浮かべていた。
「ぜ、絶さん!?」
 もしかしたら・・・と、頭によぎった。絶はすでに男の攻撃を受けていて気が触れてしまったのかと。
 だが、絶は怯えた顔をしたムゥの頭に手をやり、声をかけた。
「大丈夫だ。俺はいつもどおりだ。最悪で、最低で、吐き気がするほど胸糞悪い気分だが、今までのことが台無しにならねーから、最高の気分なんだ。初めから俺の敵はあいつで、最後まであいつなんだ。」


 そう、絶は初めからずっと考えていた。
 ・・・全部、初めから何もかも自分一人の妄想で、黒神に出会って能力を引き出されたのではなく、ひとりでに発現して、能力を試すために親を殺した。殺した後に捕まるのを恐れて、逃げた。疲れて、自暴自棄になって蒼夜を殺そうとした。
 自分は親を殺す動機を持っていた。
 両親は何かにつけて、勉強をするように絶に言い聞かせた。そして絶がそれに従わないと激しく絶をどなった。
 ――――なぜ、そんなこともできないのか。それでもは自分達の子供なのか、と。
 両親は二人とも、上流階級の仕事に就き、そして功績を挙げているらしかった。それを子供に期待とともに押し付けようとする。
 絶は二人ともに嫌悪感を抱いていた。絶は二人があくどい事をしてその地位にたどり着いたことを知っていたからだ。二人からしてみれば、子供の絶は老後の自分達を支える一種の『保険』のようなものでしかないのだと、絶は悟っていた。
 そして、見栄を張るために元いた土地を捨て、静かな地方に引越し、屋敷のような大きな家を建てた。
 常に人を見下している態度をとる。権力を誇示しようとする姿。その全てが絶の周りから人を去らせた。絶に友達は出来なかった。
 両親が憎かった。ただ、憎かった。物心ついたときから今に至るまで。

 これまでの経歴は、あの詩歌 響と似ていた。だから絶は同情したのかもしれない。だが、それからは違う。

 響はまだ殺していない。自分は殺している。
 ムゥはまだ殺していない。自分は殺している。
 蒼夜と三重は分からない。殺したことがあるかもしれないが、それは仕事だ。自分は殺している。

 それでも独りは嫌なんだ
 

 蒼夜を追う車の中で晒した自分の心情はそのようなものだった。
 誰からにも、自分にさえも認められない放棄した助けだった。
 そして、放棄されるはずだった救いは、とても近くにいた奴に拾い上げられた。

「私が許してあげますよ。そんなこと。全部。絶さんは自分でいけないことだと分かっているんでしょ?責任を負ってるんでしょ?・・・だったらそれでいいんですよ。ね、三重さん」
「・・・・・・ALL OKよ。ムゥちゃんはいつも正しいわ。絶君は馬鹿なのよ」

 蒼夜と初めて合ったときも
「自分が正しいと思ってやったんならそれでいいじゃねーか。許す許さねーは周りが決める。罪を負わせるのは自分だ。周りじゃなく自分自身がてめぇに負わせるんだ。」

 響は言った。
「ん、何?一緒にいる理由?だって私達もう親友じゃん。・・・え、違うの?んじゃ恋人?キャー恥ずかしー。何言ってんだろ、自分!・・・この豚カツもらうよ~」

 やっと。分かった。自分は独りじゃないことが。
 そして、今までの自分にけじめを付けるためここまできたことも・・・・・・


「お前を殺して、俺は俺なりのけじめを付ける。ただそれだけだぜ。」
 絶は黒神をしっかりと目に据えて放った。
 ムゥは言葉を聞いてにっこりと笑った。
 黒神はつまらなそうに笑うのを止めた。
「そうかい。君がこっちに来てくれたら後で殺すはずだったこいつを・・・」
 黒神は月宮を蹴って転がした。
「今、利用しないといけないじゃないか?」
 そう言って月宮の口の布をナイフで裂いた。
 

 月宮の口に巻かれた布が取り去られた直後、月宮は大声で叫んだ。
「藤木さんッ・・・・てめぇ、黒神ッ!藤木さんをどこにやしたんだ!!」
 手首の縄が無ければ黒神に飛び掛らんばかりの勢いでまくし立てた。
「あの場に置いてきた。・・・・この森は深い。誰にも見つからずゆっくり土に戻れるかもしれんな」
「・・・貴様ッ!」
 黒神はゆっくりと絶たちに向きなおした。その顔に不気味な笑顔が戻っている。
「この男はお前達の知り合いだろう?そして唯一能力を持たない二人組み・・・・・この意味が理解できるかね?」
 絶は男の言葉に顔を歪ませた。黒神の言わんとすることが分かったからだ。黒神はその反応に満足げに続けた。
「先ほど、私はこの男と恰幅のいい男を見つけ、私はこの二人が上司と部下という関係だと推測した。・・・・そこでだ。私の能力は精神状態を不安定にし、能力を引き出すこと。そして私への絶対的服従。しかし、この能力には欠点がある。それは先に能力をかける対象がすでに不安定であるときにしかこの能力は通じないということだ。」
 男はあっさりと種を明かしたばかりか、欠点まで露呈させた。明らかに余裕を見せ付けているのを絶は感じた。
「だからさ、私はこの男の目の前で上司を殺した。・・・この銃で胸を。身近な人の死というものは特に心が揺らぐからね。そして、それは死を見慣れていないほど衝撃は大きい。目の前だとさらに・・・・」
 黒神は胸から黒い拳銃を取り出して撃つ真似をした。
 そんな――――と、ムゥが唖然とした顔で呟く。
 月宮を暴れさせる事象は、同時にムゥにも衝撃を与えた。

「・・・底まで腐ってやがる」
 絶も嫌悪感を強くした。
「そんなことで度々憤慨していては戦場では生き残れん。手段なんて数えるほども無いのだ。自分だけ生き抜こうとすればな。さて、前置きが長くなったが・・・・そろそろ始めよう。私と君達のゲームを。」
 黒神はそう言って、地面で暴れている月宮に歩み寄っていた。月宮に能力を使うために。
 ムゥはソワソワと、それを見たり、絶を顔を伺うのを交互に繰り返した。
 そのとき、絶は残り少ない時間の中で、慎重に考えていた。
 ――――早くしないとあの刑事が奴によって暴走させられるだろう。だから黒神が能力を使う前に、もう既に走り出さないと間に合わない。
 ・・・しかしだ。何か頭に引っかかるものがある。
 さっきの黒神の行動。あれをしなければ俺たちは黒神の意図に気づかなかったかもしれない。つまり、黒神はリスクを負ってでも俺たちに『あえて』話したということになる。
 これは、やはり・・・・

 と、絶が思考をまとめようとした時、すぐ横にいた姿が見えないのに気づいた。前を見るとムゥが黒神に向かって走り出していた。
 恐らく、俺が考え終わるのをムゥは我慢が出来なかったんだろう。
 一歩で2メートル駆けているような錯覚を見せるほど、素早く足を切り替え走る後には一陣の風が吹き落ち葉が舞った。
 あいつは痛みを知っているからこそ、俺より、誰よりも優しい。それが時には隙になるほどに・・・
「ムゥ、それは罠だ。止まれ!」
 ムゥは聞こえたか聞こえなかったかどちらにせよ。止まることはなかった。絶は焦りを感じながらその後を追うが追いつくはずが無い。
 ムゥはすでに黒神を射程範囲に捕らえていた。黒神が一直線で突っ込んできたムゥに拳銃で弾を放つが、それを横に跳ねてかわし間髪いれず飛び込んだ。勿論両手に鉤爪を付けて。
 黒神はそれが自分に向かうのを笑いながら見つめた。
 
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 ブワッッ!何かが急速に突っ込んできた。
「・・・・・ッ何!?」
 目の前が瞬時に乱れる。激しい風圧を感じ、メキメキッと、腕が折れる音がした。クルクルと回転する視界の中で、ムゥは飛ばされたんだなと感じた。
 激しく回転しながら、数メートル先の地面に向かって落ちていく。ムゥは本能に従って地面に四つんばいで着地しようとする。
 どんな高さからでも、どんな体勢からでも完璧に着地できるはずの方法。だが、その方法は片手でも欠ければ、完璧ではなくなる。
 ムゥは両手、両足で地面に着地する。しかし、折れたほうの腕に力が入らず、勢いを殺しきれなかった。地面に体を打ち付けて、一度跳ねて地面を転がり、木の幹にぶつかった。

「ムゥッ・・・クソ!」
 ムゥは絶の声に反応しなかった。絶は黒神の方に視線を戻し、両ポケットから静かに投擲用ナイフとサバイバルナイフを取り出した。
「素直なのは、女性としてとても好ましいが、戦場では愚直。すぐに命を落としてしまう。・・・ここで摘み取るのもいいだろう。さて・・・・」
 黒神はナイフを手に取った、絶を見た。
「こいつと体術で戦おうというのかね、少年。私は全く勧めないがね」
 黒神の横に突如現れた巨体は、荒々しい息を吐き出し、目は絶を一点見つめたまま離さない。
そいつの足元には弾け跳んだスーツの破片が飛び散っている。それをかつて着ていた月宮は理性を失くし、口から溢れる溶解液でスーツを溶かしている。
「グォッ、ガルルルルルr!」
 月宮は体を大きく逸らし、耳をつんざくような、雄たけびを上げた。
「今までの月宮さんの暴れ様は・・・お前が既に能力を使って、理性が保てない状態になっていたからだ。そして、後は少し恐怖を与えてやれば、植えつけられていた能力が目覚める」

 黒神が銃を取り出したのは、藤木の結末を語るためでも、ムゥを撃つためでもない。元々、月宮に死の恐怖を与えるためだった。
 だから、ムゥに銃が当たらずとも、黒神は余裕を見せていた。

 全ては計算の内―――


「だが、私も少し、焦っていたよ。少年のような『例外』が起きていたら、致命的だっただろう。まぁ、予定通りというところか。・・・・少年よ、もう一度問おう。私の下に来ないか?私はその『例外』な力の使い道を提供しよう。」
「俺は、おまえを、『例外』を『例外』で『例外』なく潰す。それだけだ」
「それでは、こいつを殺れるのか?身内では無いとはいえ、全く知らない顔では無いだろう。それを貴様は殺せるのか?殺せたとして今までと同じことを言えるのか?」
 黒神は勝利を確信し、絶を動揺させようとまくし立てる。
 尚、黒神の言葉は的を得ていた。絶は月宮を傷つけることは出来るが殺すことなど全く考えていなかった。
 だから・・・徐々に赤み掛かる瞳でもってして黒神を威圧した。
「お前は何故、人を殺す?」
「愚問だ。人を殺っするのは、わが快楽故に・・・」
「つまらねー殺し合いは、これで終わりだ!」
 そう言った直後に絶は走り出した。

「グッルルルル!」
「やつを始末しろ」
 獲物が近寄ってきたのに興奮を抑えきれない月宮に、黒神は冷めた声で命令を下す。月宮はそれを聞いて本能か、忠誠心かあやふやなまま、絶目掛けて飛び込んだ。

 絶は迫ってくる、月宮の足に投擲ナイフを投げた。しかし、月宮は素早く足をずらしてかわし、尚も足を踏み込み鋭い爪を突き出した。
 絶は、それをしゃがんで避け、懐にもぐりこむのと同時に突き出された左腕の横にサバイバルナイフを突き刺し、空いている片方の手は手品のように、素早く胸から新たなナイフを取り出した。
 月宮は左腕にナイフが刺さるのを見ながら、さら拳を突き出した。
 ナイフが手首から肘まで切り裂いていくが、腕を前に出したことにより、重心が前に傾き、勢いを乗せた右腕を繰り出すことができる。さらに前に進むことで絶が後ろへ避けてもそのまま、当てることが出来、倒れるように繰り出すことで、先ほどのような下への回避を封じる。
 月宮は、確実に仕留められるのを確信して、拳を振りぬく。その後には拳に、どろりとした脳漿の感覚があるはずだった。

 しかし、感覚はやってこない。かわりに顎が蹴り上げられ、呆然として空を見上げていた。
 対する絶は、空を舞っていた。

 ―――絶は、月宮が拳を繰り出そうとした瞬間、左腕に深く突き刺さったナイフを軸にして、懸垂をするようにナイフの柄を握った片手に力を込めた。それから、倒れてくる月宮の胸に足を突き出し、胸の上を駆ける様に3歩踏み込んだ。
 そして最後の一歩は勢い良く顎を蹴り上げながら、足を空に向かって伸ばし、素早く回転する。そして、そのまま絶は逆上がりの要領で、空中で、体勢を立て直した。

 月宮は、何故、自分が空を見上げていて、視界に絶が宙を舞っている姿が見えるのか疑問に感じたが、それもすぐに頭の片隅に追いやった。同時に本能の赴くままに獲物を目で捕らえる。
 そして、空中で何度も身を翻そうとしていた、絶の体に横から振り上げた右腕を叩きつけた。

 絶は、されるがままに真横に吹き飛び、体を冷えた地面に打ち付けた。とっさの判断だったからなのか、月宮の右腕の力は想像より弱かったが、受身も取れず背中から落ちた絶は数瞬息が出来ずもがいた。
 それから、月宮が用心深くも歩み寄っているのを倒れたまま見つめた。だが、その瞳に諦めの色は見えない。
「・・・・・・やった、か」
 やっと絞り出した声はかすかに震えていたが、自信に満ちていた――――

 月宮は左手から流れ出している血に見向きもせず、絶を観察する。さきほど絶に当てた右腕には確かな感触が残っていなかった。だから、絶は倒れた振りをして、近づく隙を窺っているのかもしれない。
 そうは考えながらも、月宮は一歩足を踏み出す。絶はピクリとも反応しない。うっすらと開いた瞳に紅い光は無い。
 後一歩で射程範囲内、――――入った。絶は動かない。
 月宮はそれを確認すると、体をのけぞらせる。そして腹の底から喉まで迫ってきた溶解液を膨らました口に溜める。目標との距離は4~5メートル、いきなり飛び掛ってきても十分対応できる。動かなかったら勿論、それで終わりだ。
 いよいよ始末できるほどの溶解液を溜めると、体を前に倒し口から勢い良く溶解液を放った。溶解液は散り散りになりながらも放物線を描いて、絶の元に飛んでいく。
 だが、ここで月宮は見てしまった。溶解液が飛んでくるのを、その翠の瞳で捕らえた絶の姿を。

 月宮の考え通り、絶は反撃のチャンスを狙っていた。倒れたように見せるために一旦能力を解除し、神経を耳に集中させ月宮の行動を探った。
 二歩近づいて、立ち止まった。
 少し、沈黙があった後、滴る血の音に混じってピリリという音がした。それは溶解液が口内に当たる音で、ムゥと対峙していた怪物が発していた音と同じものだという事に気が付いた。
 月宮は当然距離をとっているだろうが問題無い。『月宮自身が無防備に』なれればよかった。
 右手は取り出していたダガーナイフ、左手は拳を強く握り締めた。目に能力が集まるのを感じて目を開けた。
 翠の瞳は紅のときよりも薄く世界を映し出した。その目で紅より幻想的な世界の中で迫ってくる溶解液を即座に見つける。そして素早く溶解液と逆側に回転して回避する。

 ヒュンッ

 後ろから何かが風を切る音が聞こえたと同時に、月宮は足に何かが刺さったのを感じた。意表をついた痛みに思わず、何があるのかをつい確認してしまった。
 そこには先ほど絶が投げたはずの投擲ナイフが刺さっていた。地面に刺さっているはずのナイフが何故飛んできたのか、そんな疑問が脳裏によぎったが次の瞬間、『それ』を理解した。
 木の葉の隙間からこぼれる月光が照らしたのは、ナイフに繋がれている細い糸だった。その糸は絶の手元へと伸びている。投擲ナイフは月宮を威嚇するためのものではなかった。最初からこの『奇襲』のために用意していたのだ。そして、それにかかった月宮は絶に体勢を立て直す時間をやってしまった。


 だが、月宮はそれで逆に『安心』した。
「グルルルル・・・・」
 ・・・それは絶が奇襲を仕掛けてきたから。奇襲しか、してこなかったから。絶には自分をひれ伏せるほどの強大な力を持ち合わせていないからこそ、奇襲を転じて逃げているのだ、と月宮は思った。
 絶に未だ、まともに攻撃が出来ていないが、このまま行けば月宮は仕留める自信があった。逃げるのは攻めるより疲れるからだ。逃げる者は相手に合わせて体を動かし、対応しなければならない。そして、万が一当たればそこで終わりだ。対してこちらは自分の意思で力を振り回すだけでいい。何故なら・・・・反撃を受ける心配が無いから。

 月宮は獲物を仕留めるため足を踏み出そうとした。・・・だが足は動かない。ナイフが刺さったままの右足はそこから血が流れるだけでどこも異常は見られない。感覚的に足が『重い』ように感じるだけで・・・
『グルルr?』
 訳も分からず反対の足を前に振り出すと、振り子が反動を受けたように体が自然に後ろに倒れこんだ。しかし背中は地面につくことは無く、空中で浮遊していた。月宮は横から見るとTのような格好で二度目の空を見上げていた。

 なんだ、これは
 体は・・・ どうなっているんだ?

 月宮は何故自分がこんなことをしているのか分からなかった。ただこのままでは自分の身が危険なことは分かった。
 手で空を押して体勢を立て直そうとしてみた。だが、金槌が水の中でもがいているように体は全く動かなかった。
 足を元に戻そうと後ろに振る。すると体は同じように釣られて前に振られ、ちょうど直立の姿勢に戻った。
 だが、音も無く近づいていた目の前の影に、初めて危険を感じた。
「あんまり動かないほうがいい・・・もう、終わっているから」
 五十センチも離れていないようなほど、間近に絶はいた。腕をだらりと下げて、ナイフを手に持っていた。翠の双眸は月宮から全く離れない。そしてゆっくりと口を開く。
「ナイフは・・・『反撃』ではなくて『確認』するために投げた。別に致命傷を与えなくても良かった。当たりさえすれば、『固定』できる。・・・そろそろ抜かないと」

 ブチッ

 何かが引きちぎれる音がした。月宮はその音の正体が見えずにいた。だが、次の音は聴覚から痛覚で感じていた。
 ブチッブチブチチチッ!
 足に突き刺さっていたナイフが全く力を加えていないのに、独りでに下がっていく。そして筋肉を、細胞の一つから押しつぶしていく感覚。痛みを介してやっと月宮は気づく。重いのは足じゃなくて、ナイフだ―――
 原因に気づいて、しかし、核心にたどり着けない月宮は、過去を振り返ることしかできなかった。

 何をされた?
 それより、何かをする暇が奴にあったか?

 体が触れ合ったのはたった三十秒程度。そのわずかな時間でナイフを刺され、蹴りを喰らった。・・・しかし、そんなことで『世界の理から外れた』ことができるのか?
 他に、他に奴が不自然な動作をしていたことは――――

 ・・・あった。一つだけ、今思い出せば不可解なことが。

 奴が体を蹴り上げた後、空中に飛んでいる時、―――奴は回転していた。それも、飛び上がった時の縦回転じゃなく、横に。わざわざ体を空中で一回止めて、自分で捻って回転した。
 それは、無意味な行動だ。攻撃を与えられたのならば、もう一度体の上に着地して外に跳ぶか、駆け上がったまま距離を離して地面に着地すればいいのだ。
 それをしないのは、単なる馬鹿か、その行為に勝算がある者だけ。この目の前の敵は―――

「!?」
 絶を見ようをしたとき、月宮の目の前は真っ赤に染まった。いや、目に異常はない。それは赤いものが目の前を通ったからだった。
 その赤いものは小さい球体になっていて、触れば割れてしまうシャボン玉のような見た目で、時折形を波打つようにゆらゆらと姿を変えた。
 気づけば目の前には、それが多数に浮かんでいた。赤い球体達はゆっくりと上へ上へと上っていく。
 突如現れた、それらに月宮は驚くことを忘れて唖然としていた。絶はそんな光景を見ながらも語った。

「俺の能力はどうやら、【物と物の間にある『関係性』を絶つ】ことが出来るらしい。俺の目は、一つ、一つのつながりを、一つの『固体』として認識出来てそれに干渉することができる。・・・最初に俺が断ち切ったのは人と生命のつながりだった。そして次は人と世界のつながりを。つまり、生命とつながりが切れるってのは、死ぬってことだ。そして、世界とのつながりが無くなるのは、――――存在自体が消えてしまう、最初から無かったことになる」
 絶は、月宮の目の前で言葉を紡ぎながらも、月宮に意味を伝えようと思ってはいなかった。それは相手のいる、独り言―――
「でも、俺の能力は完璧じゃあない。遠い過去から存在を完璧に消し去るのは不可能だ。ケシゴムじゃなくて、ホワイトインクだ。そいつが起こした出来事だけは残り、そいつが生きていたという事実だけが消える。だが、ここでまた俺の能力は特殊で、そいつの存在が消える数時間ほど前の出来事は一緒に消すことができるらしい。つまり『起こったことが、起こらなかった』状態になるんだ」
 一気に喋り切り、絶はそこで一旦、話すのを止めた。
 月宮から目を離し、月の光が当たらない闇を見つめた。そこに闇に同化するように黒神がひっそりと睨んでいた。
 そこから後は、黒神に向かって話し出した。
「人の存在を消すことが出来るんだ。そこまで行ってしまうと『絶てないモノ』があると思うか?だから、探してみた。空中でそれを見つけて傷つけて、試してみた。ちゃんと出来たか心配だったが、大丈夫みたいだしな」
「何が言いたい?」
 黒神は押し殺した声を返した。だが、絶は黒神から月宮に顔を戻し、そして顔が青くなっているのを見ながら、呟いた。

「液体は『無重力』にあると、球体になろうとする性質があるんだ。・・・それは血液だって同じこと」
 月宮が赤い球体をたどると、絶が最初に切り裂いた傷から飛び出していた。それを見て月宮はやっと球体の正体が分かり同時に恐怖を感じた。
 これは自分の血だ―――
 絶が月宮から絶ったつながりとは『重力』だった。
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 頭で考えるより先に、本能で体が動いた。と、でも言わんばかりに。
 月宮は体が浮く浮遊感を感じながらも、ゆっくりと体をそらし、構えた。
「月宮さん、あんまり動かない方が良いですよ。出血がひどくなりますから」
 爪がゆっくりと、絶の顔目掛けて突き出された。絶はそれを避けずに月宮を見つめていた。そしてそのまま爪が頬を突き破ろうとするのを、雨粒が顔に当たるぐらい気にせず、頬で受け止めた。
 フワッと、頬は最大限まで押され、そして反動で爪をゆっくりと押し返した。
「理科は苦手なんですけどね……。運動エネルギーってあるじゃないですか? あれって質量だったか、重力だか知りませんがそれに速度の二乗で求められたはず。重力なら、もう完璧にですが、質量だったとしても……このスピードで、威力が出るわけ無いです。それに頬の一つや二つ――捨ててもどうってことは無い。ねぇ月宮さん」
 冷めた目で、質量を感じてしまうほど翠の視線を受け、後ずさり、も出来ない状況で後ずさり、つまり体を硬直させた。
 蛇の前の蛙
 体の奥底から、敵を排除しろと命令が聞こえてくるが、関係ない。本能が既に離れている。

「そして、俺は今からあなたを解放します。この『目』で。あなたの束縛を『断つ』」
 今度は絶がゆっくりと月宮に向かっていく。ナイフを片手に携え、冷徹な面持ちで近づいてくる。
 月宮はそれを、巨体故に上から見下ろしていた。体は先ほどから動かない。
 だが、絶が『近づいてくることで』その理由も変わった。月宮は意識的に体を動かさない。それは違和感に気づいたから。

 殺気が感じられない

 覚悟を決め、意識を冷静を保ち、近づくからこそ分かる、気の質。
 視点の先は、自分を通り越し、遠く後ろを見て離さない。

「黒神。……お前はただの馬鹿だ。人に恐怖を与えて一人で楽しむ吐き気がするほどの馬鹿だ! だから、間違えた」
「何が言いたい? 小僧」
 全貌を見ていた黒神は、絶の声に静かに反応した。
「欲望のままに動いた、お前は無差別に能力を使い、そして偶然にも俺に能力を与えた。浅はかさ故の失敗を犯した。そして、失敗に気づかず、すぐに潰さなかったそれが間違い。俺はお前、お前は俺が――――互いに天敵となった」
 話しながら、絶は月宮の脇を抜け、後ろに回った。
 そして、月宮の背中から出る緑色に光った帯を握り締めた。手の平に燃えるように熱く痛むほど、冷たい感触が伝わった。
 しかし、絶は決して手を離そうとは思わなかった。
「お前が能力を与えるなら、俺がそれを断ち切ろう。お前がこの世に毒を吐くなら、俺がお前を世界から切り離そう。お前が人を殺したら、俺がその分切り刻んでやる」
 片手に持ったナイフを緑の帯に、すっと差し込む。
 命の線の時とは違う―――鼓動の音は聞こえない。力を入れずにそっと刃先を走らせると帯は綺麗に避けた。
 そして、帯は手の内から雪が解けるように消え、徐々に薄くなり、やがて消えた。

 すると、絶の後ろから光が溢れ出し、絶と黒神を照らし出した。
「うおぉぉぉぉおおおおおお!!!」
 月宮が吼えた。自分の体が光に包まれていることを自覚しているのか分からないほど、激しく吠え立てていた。
 その体は、光で煌々と照らされている間に縮み出した。手足に生えた棘が体の中に包み込まれていき、棘を包み込んだ体も、また小さくなっていく。いや、それは体が変わっていく様子などではない。……体が元に戻っていくただそれだけ。
 そして、光が完全に消えたとき、月宮は元の人の姿に、――体の至る所に傷跡を残して、戻り、急に力なく倒れた。
 月宮にかかっていた黒神の能力が解けたのだった。

 絶はそれを確認すると、ナイフを取り出した。月宮との戦いは終わった。そのせいで月宮は傷つき倒れている。早く助けないと手遅れになる。
 ……だが、その前に決着をつけなければならなかった。
 絶は黒神の方を向き、そして……


    ダンッ

 絶の手からナイフが滑り落ちた。
 ――赤く染まった右手に全く力が入らない……

 黒神は――拳銃を構えて硝煙に巻かれながら、再び嬉々とした表情を作っていた。
「天敵……貴様が私の天敵か? ……そうか。私は……これを待っていた。望んでいた! 可笑しい、オカシイ、おかしい。これをどういう術(すべ)で私は伝えればいい? ……高揚感!優越感!、こんな言葉では私を語りつくせぬ! あの時も私はこれを感じた。だから蘇った!未練だ!未練が私をこの世に繋ぎ止めている!」
 黒神は声高らかに叫んでいる。その合間にも笑いは止まらず、侵食する。
 絶は右手首を握り絞め、痛みを抑えながら黒神の言葉を聞いていた。
 黒神はちぐはぐで意味の分からない言葉を喋り続けている。だが絶はその中になにか異質が混じっているように感じた。
 しかし、違和感の正体は掴めなかった。
 それより、今は時間が無かった。右手の出血は思ったより酷い。血が止まらない。体を打ちつけたときに内部を傷つけたのかもしれない。
「感謝する、小僧。貴様のおかげで、私の新たな目的が見つかった。だから、私がお礼に君を葬ろう……安らかに死ねぇ!」
 黒神は絶に拳銃を向けた。引き金が引かれる。

 銃声が鳴った。


 ……金属音と共に、黒神の手から拳銃が弾けた――黒神にとっても予想外だったのか、右手を押さえて、拳銃が飛んだ逆の方向を憎々しげに睨んだ。
 絶も音のした方を向いた。

 そこには死んだはずの藤木警部が拳銃を構え、立っていた。
 苦悶の表情浮かべ、左手で胸の辺りを指が食い込むように押さえ込んでいる。右手は息をするたびに起こる肩の揺れにも、関係なく銃口を黒神から離さないように、拳銃を握り締めていた。
 左手の下から血が流れ出している――多分、傷跡には銃弾が埋め込まれているのだろう。
「元、軍人が……生き死にの確認も、出来ねぇようじゃあ、お終いだな」
 体を動かすのさえ大変そうなのに、藤木は口元を吊り上げて、挑発するように嫌味を放った。
 その姿を食い入るように見つめていた黒神は、面食らった表情をした後に、同様に笑みを浮かべた。
「記憶にそんな事柄もあったねぇ。だが、済んだ事柄はどうしようもない。それより、先のことを考えなければ。……お前は死に損ないの体で何をしに来たのか? と。……もし、私を殺そうとでも考えてるなら、話にもならないがね」
「俺たちの仕事は人を殺すことじゃない。機械的に拘束して、後は法が決める。仕事に情を入れてちゃあ、この仕事は務まらねぇよ」
 藤木の言葉に、黒神はさらに顔をゆがめて聞き返した。
「ならば、何故ここに来た? あの場に留まっておれば、むやみに寿命を縮めるようなことも無かっただろう?」
「はっ、何言ってんだ。警察は罪人を拘束する――だが、その元は人を守るためにあるんだろうが。人を守れなきゃ意味がねぇんだよ。そのために自分を犠牲にするのが警察だ! ……だから俺は、守りに来たんだよ俺の手でな」

 痛みに堪えるため、心に余裕を持たせるため、相手に油断を与えるため――様々な理由から作られた藤木の笑みは、今、安心を与えるものに変わり、本物になった。
 ゆらりと、黒神が腕を突き出した。突き出された腕の先には新たな銃身が現れた。クッと笑いながら標的に狙いを定める。
 そのとき、絶が黒神に飛び掛った。だが、あっけなく黒い棒のような足で横になぎ倒された。
「……っが! くそっ」
 藤木に注意を向けた黒神の隙をついたはずだった。だが、黒神は油断などしていなかった。逆に戦闘に向け周りの気配に敏感になっている。
「おとなしくしていろ、小僧。貴様の相手は後だ」
 絶に吐き捨て、次に藤木に向けて放った。
「犠牲にしてまで守るだと? ハッ! お前達は私を今まで捕まえることが出来なかったではないか。それが出来ないから犠牲が出る。お前達は無能だ! どれほど功績を残そうがお前達は無力だ。結局、自己を犠牲にし、人を救うことなど出来はしないのだ!」
 絶の耳に黒神の声が二重、三重と重なって響いた。体に限界が来ている。痛みすら薄れてゆく――。
 しかし、意識が、闇に落ちていく前に藤木の声が聞こえた。
「分かっている。時には人を救えない、窮地に陥ることがあるってこたぁ。だがな……それを助けるのも、俺達、そして仲間なんだよ」
 藤木の言葉に何かを感じ、突然――黒神が後ろを振り返った。だが、集中していたからこそ反応できたそれも、既に遅かった。

 キューンッ
 空を切り裂くような音。
 はっと、絶は混濁する意識を持ち上げた。
 黒神の足から血が噴出し――体が後ろに倒れていくのを見た。ならば今の音は……

「よう、絶。……何やってんだ?」
 後ろを振り向いた。
 割れたサングラスを掛け、ボロ雑巾のような革ジャンを着る男と、男を肩と体にまとった水で支える、傷だらけの女――蒼夜と三重がこちらを見ていた。
「あんたらこそ、何やってたんだよ……」
 それはこっちのセリフだ と、続けたかったが違うものが胸に込み上げてきて後が続かなかった。
 出来損ないの二人三脚のような足取りで二人がこちらに近づいてきた。
 黒神が痛みでうめきながら体を起こした。
「ぐぅおっ・・・屑どもが、悪あがきにでおって!」
「あぁん!? 屑はてめぇだろーが。てめぇが八年前に飛行機なんざ起こさなかったら誰もここには来てねぇんだよ」
 八年前――蒼夜の家族を乗せた飛行機便『スワローテイル』は黒神によって引き起こされた大量殺戮によって初陣に墜落することとなった。その大量殺戮の犠牲には蒼夜の家族も入っている。
 八年間。憎むべきものを追い続け、執念の旗の下、追い続けた敵を前にした蒼夜の心境は絶には計り知れなかった。今すぐにでも殺したいほどの殺意を抱えているはずなのに、蒼夜の表情は妙に冷静で、強かった。
「……八年前? ――ふっ、そうか。あのときの小僧か! 俺様の目を焦がし八年も燻らせた俺様の汚点。……そして俺様の天敵!」
 興奮しているのか声を荒げる黒神。足を撃たれたというのにうれしさを隠し切れない子供のようだった。
 さらに、興奮のし過ぎで一人称まで変わってきている。
 窮地に立たされ、精神的に限界が来ているのだろう。――と、そう思っていたそのとき、くるりと体をねじり、黒神が藤木の方に頭を向けた。

『「俺様を見ろぉぉぉっ!!!」』
 肌にジリジリと伝わるような恫喝が鳴った。

 ――完全に油断していた。今までのも全て芝居だったのかっ!藤木は蒼夜たちに近づくために、結果的に黒神に近づいていた。
 初めに対峙していたときは距離が離れていたから、力の射程範囲外だった。しかし、今は『一般人』の藤木があれを見ると、確実にやられる――。
 既に藤木は黒神の声に反射的に反応して、顔を睨むように見ていた。黒神の顔には勝ち誇ったような笑みがこぼれる。
 そして、何秒か経ち――
「どうした。そんなにその手負い目の勲章を自慢したいのか?」
 藤木は睨みつけた格好のまま、皮肉を放つ。えっ、と絶は思わず声を出した。完全に黒神の力が決まったと思ったからだ。そして驚いたのは絶だけではなかった。
 黒神の顔から笑みが消え去っていく。どうやら絶と同じことを想像していたらしい。
「……ゆるがねぇよ」
 蒼夜が呟くように言った。
「特にお前に対してはな、黒神。お前はあまりにも大勢の大切なモノを奪いすぎた」
 蒼夜の言葉の意味は理解できなかった。だが、言葉を聞かなくても結果は分かった。藤木の心が黒神の邪悪な心に打ち勝ったのだ。

「悪あがきはどっちの事だ。用心のために片方の足を打ち抜いて置いたほうが……おっと」
 ふいに黒神が側に落ちていた自分の拳銃を取り上げようとした。だが、拳銃は弾に弾かれて滑って手から離れた。
 蒼夜は中指と人差し指の間に拳銃の弾を挟んで、それを中指でストッパーを掛けていた親指で弾いて弾を撃っていた。勿論当った瞬間に薬莢(やっきょう)内で発火が起こり、激しく温度が上がるがそれも蒼夜だと全く関係が無い。
 簡易式拳銃なるもので黒神の拳銃を弾いた蒼夜は、用心のためか一発の弾を二本の指で挟んでから三重に支えられながら近づいた。
 三重は先ほどから喋るそぶりを見せない。様々な理由が思い浮かんだが、今は蒼夜と黒神に意識を集中させた。
「これで、お前の悪事もおしまいだ。大人しく牢のなかで判決を待って一生悔いていろ」
 黒神が顔を上げた。その顔はどこまでも無だ。
「ここで、殺さないのか……?」
「勘違いするな。八年前の俺なら、てめぇを殺すのには一切躊躇しなかっただろうぜ。だがな、俺はもうあの時とは違う。裏向きだが一応警察だ。ガキじゃあるまいし感情だけで動くことなんて、もうできねぇよ」
 最後に蒼夜はそう言った。

「だから、お前達は無能なのだよ……」

 藤木が黒神の腕を回し、手錠を掛ける直前、黒神はそう口走った。まだ余力があるかのように力を込めた声で確かに。しかし、手錠を掛け終えると、突然力を失くしたように体を折り、ガクリとうな垂れるように体を倒し、動かなくなった。 
56, 55

  




 八年間に渡る大量殺戮事件、首謀者――黒神 明は捕まり、これで事件は終結を迎えた。

 だが、絶の胸には言い知れぬ不安が渦巻いていた。

 何かが引っかかっている。
 黒神の言動、特に最後は口調を変えてしまうほど取り乱していた。敵がどうとか言っていたが――。
 それに残した言葉。
 何か含みを感じるような――。

 遠くの方で蒼夜達がムゥを呼び覚ます音が聞こえた。
 ……考えすぎだろう。少し敏感になり過ぎただけで、特に意味の無いことなんてのはよくあることだ。
 このことはもう忘れよう。
 振り払おうと頭を少し振った。すると急に頭がズキンと鳴った。同時にめまいが起きてバランスを崩し、膝をついた。
 世界が回り出した。
「がぁっ……はぁ、っぅあ!」
 頭の中で鐘が鳴り続けているように音が響いていく。痛みも徐々に鋭くなっていく。月宮との戦いの間にぶつけた所が悪かったのか。
 視界が赤に染まり始めた。血を流したときの感覚のそれと似ているが違う。生暖かくない。液体窒素が降りてきたかのように、痛みと寒気が額を降りてきた。
 世界が円になる。外周は高速でゆがみ、あやふやだ。だが、円の中心にいるうな垂れたままの黒神の姿は服のシワ一つ一つが、細かく確認できるまで鮮明に見ることが出来た。
 
 ズキッ

 そして、次の瞬間理解する。
「何故、黒神が死んでいる……」
 太く赤の波打つ『存在』の線はある。だが、駆動する『生命』の点が見つからない。生命の点が無いのは無機物か死体だけだ。だから黒神は死んでいることになる。
 自殺したのか、だとしたらこの距離でどう気づかれずに死んだんだ?
 黒神に近寄り、脈をとる――動いてない。
 妙に重たくなった黒神の体を仰向けに地面に倒した。そしてさっき落としたナイフを拾って黒神の服を裂いた。青白くなった肌に傷跡は見られない。
 やはり銃やナイフでの自殺はありえない。だとすれば後は毒物を使って――いや、それよりもあの黒神が本当に自殺なんてしたのか?
 いつも心の隙を伺い、獰猛でそして冷酷なあいつが自殺なんてするとは思えない。むしろ脱走しかねないと思うほどに。
 そのときギリッと何かが締め付けられるような音がした。立ち上がり周りを見渡しても何も見当たらない。だが二度目の音でそれが足元から聞こえる音だと分かった。
 ギュルリと嫌な音を立てて黒神の死体の左腕、その皮膚自体が動いているように見えた。だが皮膚はそのまま中に吸い込まれるかのように縮んでいく。またそれに反比例するように体から水が溢れ出てきた。
「おかしい……何が起こっているんだ?」
 左腕は完全に水分を出しつくし、ミイラと化し手錠から抜け落ちた。次第にミイラ化は腕から肩に掛けて進行していく。
 絶は能力を紅から翠に変える。

 「……そういうことかっ!」
 藤木を殺し損ねる――不安定な一人称――最後の言葉――、黒神の不自然な言動が全て繋がった。
 だとしたら俺がしなければいけないことは――

 砂利を蹴る音が聞こえる。誰かが近寄ってくるのが分かった。
「絶君、大丈夫? 今、応援呼んでるけど、山の中だからもう少しかかると思うわ」
 ぎこちない歩き方で三重が現れた。目だった外傷はないが体には相当負担が掛かっているらしい。
「俺は大丈夫です。兄貴達はどうなんですか?」
「蒼夜たちは他の所で休ませているわ。ムゥちゃんも月宮刑事も命に別状は無いわ。それより拳銃で撃たれた藤木警部が一番危ないわね」
 仲間の心配と疲労が相まってか、三重の顔にいつもの笑顔はなかった。
 それを見るのがいたたまれなくなって目を逸らしてから、ナイフの確認をした。残り三本だった。
 そのとき三重がザザッと後ずさりした。目の前にあるのは例の黒神の死体だった。
「何、……これ?」
「黒神はまだ生きています。……いや黒神を操って事件を起こしていた『真の敵』が」
「黒神を操って、いた? それってどういう……」
「今は時間がありません!俺は今から奴を追います。三重さんは兄貴達の側にいてください」
 三重の言葉を遮り、口早に伝えて身を翻した。俺はあいつを逃がしてはいけない。決着をつけるためにここにきたのだから。
 駆け出そうとしたとき後ろから三重に声を掛けられた。
「絶対に無事で帰ってきなさいよ。みんなで待っているから」
 思わず後ろを振り返った。もしかしたら止められるかもしれないと思っていたから。
「必ず……戻ってきます」
 そう残して俺は奴を追いかけた。


 絶が翠の目で見たとき黒神の死体には『能力』の線が見えなかった。つまり能力が消滅したのだ。
 絶が観察した、黒神が能力を使って姿を変えられた元村人の怪物の死体には能力が残っていて姿は怪物を維持していた。
 あのとき黒神の能力が働いているせいからだと思ったが、黒神の言葉でその考えは消えた。やつの能力は『能力をむりやり発現させ意識を乗っ取りあやつる』と、確かに言っていた。ならば死体の村人は独自の能力を持っていたことになる。
 ということは能力は、死んでもその存在がすぐに消えてしまうことがないように、持ち主から消えないことを示していた。
 ならば、どうして黒神の死体から能力が消えていたのか。
 絶が感じていた違和感はここに繋がっていた。
 黒神が急に取り乱し始めたとき絶は黒神を見て、まるで『人格が入れ替わった』ように感じた。それも空気とか雰囲気とかから全て。いままで見てきた黒神からもっと強大な『悪』を感じた。
 あの時は気のせいかと思っていたが、ミイラ化する黒神を見て気づいた。
 例えば、能力自体に意思があった――むしろ何かの魂が黒神に乗り移っていたといったほうが分かりやすいだろうか。
 黒神は数年前に既に力尽きていた。だが、その魂が乗り移ったおかげでその魂の器、『人形』として生き返った。魂は黒神にわずかに意識を書き換えて意識の奥へと身を潜めてた。書き換えられた意識は主に攻撃性の高い、破壊衝動。
 それから黒神は自分の意思だと思いつつ破壊を繰り返した。
 ここまでほとんど憶測だが、もしそうだとすればその魂は最後のあの場に興奮とともに出てきたのだ。
 だからぎこちない喋り方をした、行動もあいまいだったりした。ミイラ化は体から魂が抜け出したから。これが絶の結論だ。
 本当にそれが正解なのかは絶自身分からない。だが、絶は確実にその魂に近づいていることを感じた。

 翠の世界が霧に包まれた。良く見るとそれは細い糸が集まったもので森の奥へと続いている。それをたどっていくと段々と霧が濃くなってきた。
 そしてうっそうとした木々の中で線の霧に包まれた闇を見つけた。と、同時に駆け出した。霧が素早く動き出した絶の動きに反応して押し寄せてきた。八方からくるそれを両手に持ったナイフで切り落とし絶は闇へと一歩一歩着実に進んだ。
 残り4、5メートル。側面への圧力で右手のナイフが折れてしまった。そこに穴を埋めるように霧がながれこんできた。体が押しつぶされるほどに強固な壁となって行く手を阻んでくる。体力の消耗が激しい。
 そのとき闇がかすかに笑ったように感じた。実際に目には見えなかったが確かに感じ取った。
 薄れ行く意識が静かに収まっていく。チャンスは一回。右に力を入れつつゆっくりと呼吸を整えた。
 絶は左手のナイフを闇に向かって投げた。ナイフは闇との間に出てきた霧によって弾かれた。その後霧が絶を押しつぶそうとした。だが、そこに絶の姿は無い。
 絶は飛んでいた。投げたナイフと同じ方向に最後のナイフを握り締め。霧は後ろから追ったが絶の方が早かった。
 そのまま、絶は全体重をナイフに掛けて闇の前の霧を突き刺し、闇もろとも引き裂いた。

 エピローグ:断って紡いで絡まって


 霧が晴れた――

「ん……うぅ」
 窓から差し込む日の光が顔に当たって眩しい。薄く目を開けると、木の枝から鳥が鳴きながら飛んでいくのが見えた。朝が来たことを目と肌で感じてから、絶はのそりと体を布団にもぐりこませた。
 鳥が居なくなったことで部屋が不気味なほどに静かになった。
 そういえば、朝なのにムゥが起こしに来ないな……と、思った瞬間に絶は気づいた。
「……なんで鳥が見えてんだ?」
 家の後ろは工場の跡地でタイヤや鉄骨しかない。木などは言うまでもなく生えていない。
 慌てて体を起こして周りを見渡すと壁一面、白で統一された部屋だった。脇に小さな白いタンスが置かれている。その上に白い花瓶があり、唯一そこに飾られた花だけが色を持っていた。
 いかにも清潔感のある光景を見て、やっとここが病院だと気づいた。
「――っ!」
 ベッドから降りようとした拍子にベッドについた右手が痛んだ。右手に包帯が巻かれているを見て弾丸が手の平を貫いたのを思い出した。自分だけじゃない。他のみんなも深手を負っている。
 ――みんなは無事だろうか。
 タンスの引き出しを一つあけてみると着替えが入っていた。値札が付いたままの新しいものだった。すぐ側に置いてあった鋏で切り落として着てみる。ちょうどいいぐらいの大きさだった。

 廊下に出ると突き当たりで看護士が台車を押していくのが見えた。他には誰も居ない。患者はあまりいないらしい。ネームプレートが掲げらていない部屋を三つ通り過ぎてそう思った。
「ぜーつ君!」
 四つ目の部屋に差し掛かるところで後ろから声を掛けられた。振り向くと誰も居ない。すぐ側で声を掛けられた気がしたが……。
「……気のせいか」
「気のせいじゃないって、ちょっと待ってよー!」
 はっきりと今度は遠くから声が聞こえた。もう一度振り向くといつものようにヘッドホンをつけた姿の響がいた。片手に提げた木のバスケットを軽く揺らしながら小走りで駆け寄ってきた。
「お前いつもつけてるのか、それ」
 指差したのは勿論ヘッドフォンだ。響は「ああ、これ?」といいながらそれを頭から外し、首に掛けた。
「私って能力のせいなのかもしれないけど、音にとても敏感なの。普通に外を歩くだけでも騒音ってあるでしょ。それを聞いているだけで失神しちゃいそうで。だからこれは自分を守る鎧なのよ」
 いつも会うときに同じ姿だった理由が分かった。
 ――こいつも結構苦労しているんだな。しかし、そんな状態でゲーセンに行くのは果たして大丈夫なのか? へたすれば街に出るよりもうるさいと思うが……。そんなことを考えていると響が、それからと口を開いた。
「こんなに可愛い子を置いてかないでよね」
 頬を膨らましてわざとらしい演技をする。
「自分のことを可愛いとか……気持ちわるっっつあ!!!」
 キーンと突然耳に金属音が響いた。すぐ側で鳴らされたのか大音量だ。三半規管がおかしくなる。誰だこんなことをしたのは! ……やばい、本当に気持ち悪くなった。
「         」
 響がすごく人を見下した顔で何か言ったのが見えたが、まだ耳鳴りが続いていて何も聞こえない。
「ちょっと待ってて! 何も聞こえないだよ」
 それから少しして耳鳴りが止んでから響の方に向き直る。響は今さっきとは打って変わって怖いくらいの笑顔でこっちを見ている。今さっきの金属音は絶対能力を使ってこいつが出した音だ。やっと落ち着いた頭で今さっきのことを考えていると響が声を掛けてきた。
「どう、少しは自粛するってことを覚えた?」
 何故か説教される形になっている。それが少しムッときたので反論を返す。
「自粛するのはお前の方だ。……たくっ。今のはマジで気持ち悪っっあああ! お前のことじゃねーよぉぉぉ!!」
 完全に墓穴を掘った。
 世界がグルグル回っている。……これは本格的に耳の検査も受けるべきかもしれない。


 夏楼蒼夜のネームプレートの掛かった病室のドアを開けた。
 中は絶が寝ていたほとんど変わっていなかった。一つのベッドにタンスに花瓶。ベッドの上には蒼夜が体を起こして寝ていた。視線の先には三重が椅子に座っている。蒼夜は患者服、三重はいつもどおりの不二子スタイルだ。
「よう、絶起きたのか」
 そう言ってこちらに顔を向ける蒼夜。その頭にいつもの覇気が感じられない。
「兄貴。……頭、黒に染めたのか?」
 頭を占めているのは黒髪。それにいつものように棘のように突き出した質感も見られない。
「いや、元々俺の髪は黒だったぜ。今まで赤に染まってたのは常時、能力を使える状態に保ってたからだ。お前だって能力を使うときは目が染まるだろ。あれと同じだ」
 蒼夜はその黒い髪を指で梳きながら、そういえばと続けた。
「お前いつから俺の呼び方変えたんだ? 前は『兄貴』ってよんで無かっただろ」
「ああ、蒼兄ってやつ? あれはこの前、発音が某大手家電製品会社に似てることに気付いて呼びにくくなったから変えた」
 それを聞くと蒼夜は複雑な顔で「そうか」とだけ呟いた。
 そんな蒼夜を見て少し笑い三重が口を開いた。
「もう体の方は大丈夫みたいね。後はその右手だけかぁ」
 包帯の巻かれた手を指差す。確かにそれ以外に包帯は巻かれていないし、痛みも無い。弾丸が完全に手の平を貫いていたから、治りも他に比べてより時間が掛かるのだろう。
 包帯の上から押して確認してみる。ひりひりとした痛みを感じる。抉れているが肉の質感を感じた。
「もう、傷が治り始めている。……手術のおかげか」
「それもあるけど、それよりも『能力』の効果の方が高いわ。『能力』を持ってから身体能力が格段に上がったのは見て分かるように、体の治癒力も上がっているのよ」
 そして三重の目線は蒼夜に移った。
「俺が『能力』休めているのは、その治癒力をさらに上げるためってわけだ。これでも内臓はボロボロでな」
 無理な笑顔を作り、冗談ぎみに笑って蒼夜は体を指差した。患者服のしたは見えないが傷がいくつかあるようだった。
 そのとき……

 トスッ

 カチャッ

 物を置く音が聞こえたすぐ後に何かが抜かれる音がした。
「あなた誰?」
 拳銃を構えつつ三重は、フルーツの入ったバスケットを、蒼夜の隣のタンスの上に置く響に問いかけた。冷静になれば、響の見た目からして絶と年が変わらないのは明白だが、音も無く部屋に侵入する、そして蒼夜の側に立っている状況が三重の警戒を解けなくさせていた。
 響もいたずらのばれた子どものように「あの……えっと……」と言葉をつまらせて、困ったようにこちらを見ている。
 確かにこの誤解を解くには俺がでるしかないらしい。
「三重さん。こいつは俺の友達で見舞いに着ただけだから。その拳銃下ろしてくれない?」
「あの、初めまして、絶君と同じクラスの響詩歌と言います」
 響は自己紹介をした後丁寧にお辞儀した。いつもヘラヘラしていてもすることは出来るらしい。三重もその態度からか、ようやく拳銃を下ろした。
「どうやら、俺たちの敵じゃあないみたいだな」
 蒼夜がそういってピンッと張り詰めた空気が緩む。
「いやー、ごめんなさいね。初めての人にこんな物騒なもの向けちゃって。でもこの病院に私達が居ることは誰にも知らせていないはずだし、それに関係者以外はここは入れないはずだから……」
「そういえば、ここって普通の病院じゃないのか? 思ったよりも人が少ないように見えるんだが」
「ここは警察病院なのよ。普通は病院ごとに警察が受け入れられる場所を指定するのが普通だけど、ここは警察専門の病院なのよ。だから大きな事件なんかが無いと人があまりいないのよ」
 こちらを向いて三重が答えた。
 それで銃撃戦も起こっていない今、他に人影が無いのか。
「えっと、絶君が2日も学校を休んでいるのがおかしいなと思って、昨日私がたまたま校長先生の部屋を通り過ぎたら、たまたま電話する声が聞こえて、たまたまこの病院に入院していることを聞けたので来ました」
「ああ、俺が連絡入れた時か。……それにしても、えらくたまたまが多いな! もしかして君も能力者じゃないのか?」
 蒼夜が言うと響は首を傾げて「よく分かりません」と言った。途端に蒼夜の目線は俺の方に動いた。説明しろという意味だろう。
「多分、能力が発現しているんだと思う。体から直接音を出すこととか出来るし。絶対音感は最初からだっけ?」
「まぁ、それは小さい頃に身につけたよ。後、人より音に敏感に反応することが出来ます。例えば……」
 と言って響は目を閉じた。どうやら音を聞くことに集中しているらしい。俺たち三人も静かに見守る。

「……今、すぐ外の廊下を歩いている人が居ます。体重は40キロ辺り――女性ですね。音の振動具合からみて若い人ですね。私と同じぐらいだと思います。この病院は関係者以外立ち入り禁止とのことでしたから……ムゥちゃんじゃないでしょうか。重心が右に偏っているので何か持っていますね。後、5秒ぐらいで中に入ってくるでしょう」
 淡々と響が話し終えた直後、ガラッと扉を引くムゥの姿があった。
 その右腕にはビニール袋がぶら下がっている。買い物帰りのようだった。
「ただいまーです。……あ、絶さん。それに響さんも」
「よう、ムゥ」
「チャオ、ムゥちゃん」
 驚いた様子のムゥに俺たちは声を掛けてやる。俺はともかく響がいるのは予想外だったのだろう。二、三度俺たちの顔を見てからやっと話し出した。
「こんにちは、響さん。絶さんもやっと起きたみたいですね。……そうだ! 今さっきちょうど買ってきたのでみんなで食べましょう」
 ムゥが笑顔でビニール袋から出したのはいつもどおり魚肉ソーセージ。やっぱりなと思うのと同時に、やっと戦いが終わったことを実感することが出来た。ソーセージを受け取り礼を言った後、頭をなでてやるとこそばしそうにムゥも笑った。
「なかなか、……よっと。とても有能な能力だと思うわ」
 三重がムゥから貰ったソーセージを指から発したスライサーで開けてから蒼夜に向って言った。響の能力のことだろう。
「後は経験さえあれば調査隊として重宝するな……」
 なにやら二人でスカウトの検討をしているらしい。響は一般人だって言うのに……。いや、そうでもないか。

 そんなことを考えているとあの戦いの場にいた二人を思い出した。
「そういえば、藤木さんと月宮さんはどうなったんだ?」
 胸に弾を打ち込まれた藤木とむりやり能力を発現させられた月宮。どちらも深い傷を負っている。
「ああ、藤木さんなら『妻に無駄だと言われた贅肉のおかげで助かったよ。これで少しはダイエットしなくて済むだろうな』って電話で笑ってたし。もう一人の方も一応命の心配はねぇらしいぜ。多分上の階に居るだろうから、また今度顔合わしてくればいいんじゃねーか?」
「そうするよ。そっか、みんな無事なのか……」
 口に出してみて改めて胸が熱くなる。そしてほっとした。
「昔のお前からは絶対聞けなかった言葉だな」
 ニヤニヤした笑いを浮かべて蒼夜が言う。昔の自分――あの頃から自分は成長できているのだろうか。
 自分でも良く分からない。でも
「良い傾向だろ?」
 蒼夜はそうだなと笑って答えた。すると響が「後、もう少し素直だったらいいのにー」とちょっかいを出してきた。
「大きなお世話だ」と言うと
「そんなところがさー」
 と響が追い討ちをかけて場を和ませた。


「なぁ、絶。俺たちはあいつと決着をつけられたと思うか?」
 蒼夜がおもむろに切り出した。病室には俺と蒼夜以外誰も居ない。他の三人は遊びに行くために先に行ってもらっていた。
「黒神を操っていた俺たちの本当の敵を最後まで追いかけたんだろ?」
「……ああ。だけど、止めを刺したかはわかんねぇ」
 なんせ相手は意思のある黒い霧のようなものなのだから。能力を消滅させることの出来る目を使っていても確証は持てなかった。
「そりゃ、そうだな。相手は普通ものじゃなかったわけだしな。……だが、あいつが消えたとしてもこの街には、俺たちの街には強い影響力を残していったらしいぜ」
 ここ数日の間。街では奇妙な事件が続いているらしい。もしかすると能力がらみの事件かもしれないと蒼夜は言った。そして、多分そうなのだろう。
「能力が発現したやつは、自ら事件を引き起こした奴と、能力に引き込まれた奴が居ると思うんだ。今までは俺たちが全て対処していたが、今後はそういうわけにも行かなくなるかもしれない」
「それで、俺の力が使えるのか?」
 人の命を奪う能力――そして能力を消すことの出来る能力。蒼夜はああ、と肯定を示した。
「するか、しねーかはお前の自由だがな。へたすれば命にかかわることだ――」
「やるよ、俺は。どうせなら高校も辞めようか」
 どうしようもないと思っていた自分が人の役に立てるのなら、そんな思いが込み上げていた。 蒼夜は苦笑いで続ける。
「高校はちゃんと卒業まで通えよ。じゃねーと、家から追い出すからな」
「分かったよ。めんどくせぇけど、俺にはもう行く当ても無いからな」
 そうして二人して笑った。
「それじゃあ、そろそろ行って来い。置いて行かれるぞ」
「別にいいよ。行き先は分かってんだから。それじゃあ、行ってくるよ」
 じゃ、と言って病室を出た。
 廊下には相変わらず人が居ない……と思っていたら突き当りで手を振るムゥと響がいた。それをみて自然に顔が笑った。
 そして、俺は二人の方へ向かって歩き出した。


                    <完>
58, 57

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