蝋燭
「ねぇ、小林。もう学校来ない方がいいんじゃないの? あいつ」
結局、誰かに罰が下る事などなかった。罪の意識を誰かが感じていたとしても。
傷を負ったのは小笠原だけで、いや、小林もそうなのかもしれない。
僕は小林の右手首の今までは見なかったアディダスのリストバンドに目を向ける。
「……分からない」
「分からないって言うけど、多分学校いて辛いの小笠原だよ?」
遥が当然と言った顔で小林に言い募る。
僕達三人は体育館の片隅で顔を見合わせていた。周りでは一年生らしい数人がバスケットボールに興じていて、掛け声と共にボールの叩きつけられる音が小気味よく響いている。
「ね、康弘もそう思うでしょ?」
「……まぁ、そうだけど」
僕は歯切れの悪い返事を返した。
なんせ彼女が小笠原に良かれと思って言っているのが容易に分かったからだ。僕は若干居心地が悪くなる。
彼女が学校に来なければいいと僕が思うのは、自分自身のためだろうと内心が告げていた。
「精神病とか私はよく分からないけど、病気なんでしょ? じゃあ、しょうがないじゃん。学校来て疲れるんなら来ないほうがいいって」
「……皆が長瀬さんみたいに思ってくれればいいんだけど」
「思わないから学校いるの無理だって話でしょ?」
あまりにはっきりとしたその物言いに、小林は黙り込んだ。
あの発狂の翌日、すっかり忘れてしまったかのような表情で朝やってきたのだが、それは小笠原の意思なのだろうか?
「小林が学校に来いって言ったのか? それとも小笠原が来たいって言ったのか?」
「……彼女だよ」
助け舟を出したような形の僕の質問に、溜め息交じりに答える。
小林は今でも、彼女の意思を優先させてあげる事が最善であると思っているのだろうか。
「あのさぁ、小林」
遥がピッと人差し指を向けた。
「ああいう子は、引っ張ったあげたほうがいいと思うのよ」
「え?」
「だから、アンタが背中で支えてあげようとしてるのはいいと思うけど。どっちかって言ったら前に出て手を引いてあげたほうがあいつにはいいんじゃない?」
「……なんだか随分と抽象的だね」
遥が軽い舌打ちを二度繰り返した。それと同じように人差し指と親指がくっついて、また離れる。
「アンタだけを見てればいいんじゃん?」
「どういう事?」
「十人に好きって言われるより、一人に大好きって言われる方が幸せな時もあるっしょ」
お前が言うか。
僕は遥の口から出るのはなんだか不似合いのような気がする台詞を聞きながら、彼女が「小林、小笠原の事が好きなんじゃない?」と言っていたのを思い出す。しかし僕はふと、あの時救いを求めるように小林を探した――結局どうにもならなかったが――彼女を思い出し、好きなのは小笠原の方なのではないだろうか、と考えていた。
「僕がその一人になればいいって事?」
「そう」
「……どうかな」
「いいじゃん。なんか問題でもあるの?」
「……僕はそういうキャラじゃないと思う。柳君とかならまだいいのかもしれないけど」
「なに言ってんだよ」
急に話を振られて、僕の表情が歪む。
「俺彼女いるし」
「そういう恋愛とかじゃなくて、なんて言うのかな」
「はっきり言えよ」
そう催促する。僕も小笠原も黙りこむと、彼は観念したようで切り出した。
「僕は、結局のところ誰かに深入りはしないタイプなんだと思う。いや、正しく言うと出来ない、と言うか」
「そんな事ねーよ。皆お前に相談とか持ちかけてくるじゃん」
「それって頼りにしてるってことでしょ?」
「そうなんだけど、なんて言うか、ほら、深入りしないからこそ話せるんだと思うんだよ、皆。仲が良すぎて逆に言いにくくなったりする事とかあるでしょ? そういう時のガス抜きの様な立場なんだと思う、僕は。皆、困って相談してきたとしても、それが解決すれば皆元の場所に戻っていってしまう、居心地の一番いい場所に」
一年生のシュートが放物線を描いてリングへと向かう。少々目測がずれたのかリングに当たってしまい、ガン、と音が鳴った。
小林が一度それを見てから首を振る。
「使い捨ての電池みたいなものじゃないかって。必要な時だけ持ち出して、用がなくなれば捨てられる存在。僕が誰かの中で一番になる事なんてないような気がする。僕が必要とされる時は、それ以上に必要な誰かとの繋がりを保とうとする時だけで、それが終われば用済みで――いい人なんて言われるけど、それってかなり表面的な言い方だよね。僕個人を指してるわけじゃないような気もするよ。ただ、「僕みたいな人はいい人」って言われてるだけなんじゃないかと思いもする」
「ちょ、ちょっと待てよ。小林」
自分の声が裏返っていた。
にわかには受け入れがたい彼のその言葉に僕は躊躇う。
これが小林の本音なのだろうか? 僕が思っていた小林は誰にでも優しく、いつでも誰かの背中を支えてあげられ、そして誰にでも微笑んであげられる男だ。だがその裏で、もしかすると彼は誰にも悟られずそんな寂しい思いをしていたのだろうか? 背中を押した時、自分から離れていく姿を見て、悲しくて涙を流したりしていたのだろうか。
「えー、考えすぎじゃない?」
「……そうかな」
あくまであっけらかんと遥が首を捻る。
「だって相談って誰にでも出来る事じゃないじゃん。あたしとか誰にも相談されないよ?」
「そりゃお前はな」
「うっさい、康弘。小林はさ、自分に相談するのは身内の中で波風立てたくないから自分に来るんだって思ってるのかもしれないけど、でもそれでも人選ぶし。やっぱどうでもいいとか興味ない奴には自分の弱みみたいなとこ見せられないじゃん。そういうの見せれる奴って貴重だと思うの」
「僕だから、見せれるって事?」
「そうじゃない?」
しばし沈黙。そして苦笑を浮かべた。「どうだろうなぁ」と頭をかきながら小林が言う。
「今、僕が長瀬さんに相談してるみたいだね」
「いいじゃん。アンタが相談する役もたまには」
体育館の開放された入り口に人影が見えた。振り向くと麻奈が靴を脱いでこちらへとやってこようとしている。昨日の事を聞いた彼女は、なんとか小笠原と話してみようと思ったようだが、その顔を見る限りはうまくいかなかったようだ。
「……そういう意味では小笠原さんは確かに僕が一番近いような気はしてる。本当に僕を必要と思ってくれている気もするけど」
「けど?」
「やっぱりまだどこかで、他に打ち解けられる誰かが見つかれば、自分はもう必要なくなるんじゃないかな、なんて思いもしてる。本当は彼女が誰かと仲良くなれるなら喜ぶべき事なんだろうけど」
「順位つけなきゃいいじゃん」
「簡単に言うね」
「二人とも仲いいでいいでしょ。めんどくさいじゃん」
僕が黙っているのを見て麻奈が隣に腰掛けた。二人のやり取りを聞きながら、僕は麻奈に「どうだった?」と尋ねる。彼女は無言で首を横に振った。なにも言わないところを見るとかなりの距離を感じたのだろう。
小林は、遥の言葉に若干明るくなったものの、それでもやはり以前とは違う弱々しさを感じさせながら
「結局のところ、彼女の意思を曲げてまで僕といる事が、正しいのかどうか分からない」
そう、解決とは到底程遠い結論を出した。
「……繊細なんだよ。昨日あんなに取り乱したのも、あの傷を見られることによって余計皆が自分から離れていく事を想像したんじゃないかな」
そろそろ戻るよ、と言う小林を見送って僕達三人はそれぞれ溜め息を吐いた。
「で、どだったの? 小笠原は」
「うん……正直、全然話せてないの。心ここにあらずって感じで」
「なんだかなー」と遥が金髪を掻き毟った。
「とりあえずしばらくほっとくしかないんじゃない? 無理でしょ、ね、康弘」
「かもしんないな。結局小林にしかどうにも出来ない気がする」
小笠原が望むものとはなんなのだろう? ぼんやりと思う。
小林の中にはそれを見出す事が出来ているのだろうか? 確かに彼の彼女への接し方は僕には真似の出来るものではないが、そうは言っても、そうやって今まで小林のように親身に彼女に触れるものが一人もいなかったとは――下世話な言い方をすれば下心も含んだ上で――思えない。以前晶は校外に誰か心を許せる人物がいるんではないかと言っていたが、毎日ここにいる事を思えばその可能性は少ないように思える。
(根本的に、俺達に彼女の求めるなにかが欠けているって事か?)
小林にあって、僕達にないもの、それは一体なんなのだろうか。
「こんな事になって、クラスの奴らを集めた奴も参ってんじゃない?」
「……あ」
小笠原の何気ない一言に、僕は間の抜けた声を出した。
麻奈も僕がなにを思ったのかすぐに理解したようだ。
「そっか、遥ちゃん知らないよね。あれね、誰が2-Cに集まろうって言い出したのか分かってないの」
「え? なにそれ」
「私も友達からメールをもらったんだけど、その子も回ってきたメールを私に送っただけで……結局最初に誰がメールをしたかは分かってないの」
「俺はてっきり小川あたりだと思ってたんだよな。あいつの事だから実はあれ送ったの俺でした、みたいなオチなのかと思ってたんだけど、今になっても言い出しそうな気配がないし多分違うな」
「……うへぇ、なんか気味わる」
気味悪い。
確かにそうだ。単なる思い出作りのためにこうやって僕達を呼び出したというそれだけの理由なら、名乗らない事への説明がつかなくなる。そしてそれ以外の理由があって名乗り出ないと言うのなら、確かにその分からない理由によって集まった事は気味が悪いと言えるかもしれない。
「……まさかな」
ある考えがふと過ぎる。だが僕はそれを言葉にする前に自分の中で否定した。
「ところで遥。仙道と話したんだろ? どうなった?」
「あー、付き合ってだって」
「……仲直りどころじゃねーじゃねーか。で?」
「振った。うぜぇって言った」
あっさりと言う遥を僕は少々尊敬の眼差しで見つめた。
仙道にそんな台詞を吐けるのはこの学校でこいつくらいだろう。
彼女はぺろりと全く悪びれない様子で舌を出す。
「あいつガキ臭いんだよね。喋り方とか。マジない、勘弁」
「で、あいつ納得したのか?」
「なんか泣きそうになってた」
「……仙道君って泣くんだ」
麻奈が感嘆したようにぽつりと呟いた。遥が「あんたも康弘に告白されて泣いた?」とからかうと彼女は顔を赤くする。その反応に満足したように笑うと、彼女はいつものようによっこいしょと立ち上がった。
「けど音楽室に戻ろうかなって」
「なんだ? 仙道に頼まれたのか?」
「ううん、他の子。なんか前の事謝ってきてさ。私も意地張って飛び出てきたけど。やっぱ元々つるんでたし、最後までこのままいるのもどうかなって」
そう言う彼女の表情はすっきりとした清々しいもので、なんだか太陽のようだった。
「そうなんだ。そうだよね、友達とはやっぱり一緒にいたいもんね。ちょっと寂しいけど」
「別にたまにはそっちにも顔出すって。これでお別れって訳じゃないんだから」
「そっか、そうよね」
僕を挟んで二人が笑いあった。全く対照的に見える二人だが――元々あまり会話を交わしていたとも思わない――やはり女同士通じるものがあるのだろうか。
「じゃ、行くわ」
「おう」
「またね」
バカみたいなミニスカート。そこからすらりと伸びる細い足。見られる事に抵抗などない、むしろ見せびらかしているようにいつでも堂々としている。彼女はバスケットに興じている面々の中をよける事も無くあっさりとコートの真ん中を通り、思わず手を止め視線を送る男達の視線を尽くいなしながら体育館から出て行った。
「……全く、たまにあいつの鉄の心臓が羨ましくなる」
「本当」
「いや、見習わなくていいぞ」
真顔でそう言う僕を、彼女が面白いと言った感じで笑う。
「麻奈、これからなんかある?」
「ううん?」
「ちょっと智史達の様子でも見に行こうかなと思うんだけど」
結局、誰かに罰が下る事などなかった。罪の意識を誰かが感じていたとしても。
傷を負ったのは小笠原だけで、いや、小林もそうなのかもしれない。
僕は小林の右手首の今までは見なかったアディダスのリストバンドに目を向ける。
「……分からない」
「分からないって言うけど、多分学校いて辛いの小笠原だよ?」
遥が当然と言った顔で小林に言い募る。
僕達三人は体育館の片隅で顔を見合わせていた。周りでは一年生らしい数人がバスケットボールに興じていて、掛け声と共にボールの叩きつけられる音が小気味よく響いている。
「ね、康弘もそう思うでしょ?」
「……まぁ、そうだけど」
僕は歯切れの悪い返事を返した。
なんせ彼女が小笠原に良かれと思って言っているのが容易に分かったからだ。僕は若干居心地が悪くなる。
彼女が学校に来なければいいと僕が思うのは、自分自身のためだろうと内心が告げていた。
「精神病とか私はよく分からないけど、病気なんでしょ? じゃあ、しょうがないじゃん。学校来て疲れるんなら来ないほうがいいって」
「……皆が長瀬さんみたいに思ってくれればいいんだけど」
「思わないから学校いるの無理だって話でしょ?」
あまりにはっきりとしたその物言いに、小林は黙り込んだ。
あの発狂の翌日、すっかり忘れてしまったかのような表情で朝やってきたのだが、それは小笠原の意思なのだろうか?
「小林が学校に来いって言ったのか? それとも小笠原が来たいって言ったのか?」
「……彼女だよ」
助け舟を出したような形の僕の質問に、溜め息交じりに答える。
小林は今でも、彼女の意思を優先させてあげる事が最善であると思っているのだろうか。
「あのさぁ、小林」
遥がピッと人差し指を向けた。
「ああいう子は、引っ張ったあげたほうがいいと思うのよ」
「え?」
「だから、アンタが背中で支えてあげようとしてるのはいいと思うけど。どっちかって言ったら前に出て手を引いてあげたほうがあいつにはいいんじゃない?」
「……なんだか随分と抽象的だね」
遥が軽い舌打ちを二度繰り返した。それと同じように人差し指と親指がくっついて、また離れる。
「アンタだけを見てればいいんじゃん?」
「どういう事?」
「十人に好きって言われるより、一人に大好きって言われる方が幸せな時もあるっしょ」
お前が言うか。
僕は遥の口から出るのはなんだか不似合いのような気がする台詞を聞きながら、彼女が「小林、小笠原の事が好きなんじゃない?」と言っていたのを思い出す。しかし僕はふと、あの時救いを求めるように小林を探した――結局どうにもならなかったが――彼女を思い出し、好きなのは小笠原の方なのではないだろうか、と考えていた。
「僕がその一人になればいいって事?」
「そう」
「……どうかな」
「いいじゃん。なんか問題でもあるの?」
「……僕はそういうキャラじゃないと思う。柳君とかならまだいいのかもしれないけど」
「なに言ってんだよ」
急に話を振られて、僕の表情が歪む。
「俺彼女いるし」
「そういう恋愛とかじゃなくて、なんて言うのかな」
「はっきり言えよ」
そう催促する。僕も小笠原も黙りこむと、彼は観念したようで切り出した。
「僕は、結局のところ誰かに深入りはしないタイプなんだと思う。いや、正しく言うと出来ない、と言うか」
「そんな事ねーよ。皆お前に相談とか持ちかけてくるじゃん」
「それって頼りにしてるってことでしょ?」
「そうなんだけど、なんて言うか、ほら、深入りしないからこそ話せるんだと思うんだよ、皆。仲が良すぎて逆に言いにくくなったりする事とかあるでしょ? そういう時のガス抜きの様な立場なんだと思う、僕は。皆、困って相談してきたとしても、それが解決すれば皆元の場所に戻っていってしまう、居心地の一番いい場所に」
一年生のシュートが放物線を描いてリングへと向かう。少々目測がずれたのかリングに当たってしまい、ガン、と音が鳴った。
小林が一度それを見てから首を振る。
「使い捨ての電池みたいなものじゃないかって。必要な時だけ持ち出して、用がなくなれば捨てられる存在。僕が誰かの中で一番になる事なんてないような気がする。僕が必要とされる時は、それ以上に必要な誰かとの繋がりを保とうとする時だけで、それが終われば用済みで――いい人なんて言われるけど、それってかなり表面的な言い方だよね。僕個人を指してるわけじゃないような気もするよ。ただ、「僕みたいな人はいい人」って言われてるだけなんじゃないかと思いもする」
「ちょ、ちょっと待てよ。小林」
自分の声が裏返っていた。
にわかには受け入れがたい彼のその言葉に僕は躊躇う。
これが小林の本音なのだろうか? 僕が思っていた小林は誰にでも優しく、いつでも誰かの背中を支えてあげられ、そして誰にでも微笑んであげられる男だ。だがその裏で、もしかすると彼は誰にも悟られずそんな寂しい思いをしていたのだろうか? 背中を押した時、自分から離れていく姿を見て、悲しくて涙を流したりしていたのだろうか。
「えー、考えすぎじゃない?」
「……そうかな」
あくまであっけらかんと遥が首を捻る。
「だって相談って誰にでも出来る事じゃないじゃん。あたしとか誰にも相談されないよ?」
「そりゃお前はな」
「うっさい、康弘。小林はさ、自分に相談するのは身内の中で波風立てたくないから自分に来るんだって思ってるのかもしれないけど、でもそれでも人選ぶし。やっぱどうでもいいとか興味ない奴には自分の弱みみたいなとこ見せられないじゃん。そういうの見せれる奴って貴重だと思うの」
「僕だから、見せれるって事?」
「そうじゃない?」
しばし沈黙。そして苦笑を浮かべた。「どうだろうなぁ」と頭をかきながら小林が言う。
「今、僕が長瀬さんに相談してるみたいだね」
「いいじゃん。アンタが相談する役もたまには」
体育館の開放された入り口に人影が見えた。振り向くと麻奈が靴を脱いでこちらへとやってこようとしている。昨日の事を聞いた彼女は、なんとか小笠原と話してみようと思ったようだが、その顔を見る限りはうまくいかなかったようだ。
「……そういう意味では小笠原さんは確かに僕が一番近いような気はしてる。本当に僕を必要と思ってくれている気もするけど」
「けど?」
「やっぱりまだどこかで、他に打ち解けられる誰かが見つかれば、自分はもう必要なくなるんじゃないかな、なんて思いもしてる。本当は彼女が誰かと仲良くなれるなら喜ぶべき事なんだろうけど」
「順位つけなきゃいいじゃん」
「簡単に言うね」
「二人とも仲いいでいいでしょ。めんどくさいじゃん」
僕が黙っているのを見て麻奈が隣に腰掛けた。二人のやり取りを聞きながら、僕は麻奈に「どうだった?」と尋ねる。彼女は無言で首を横に振った。なにも言わないところを見るとかなりの距離を感じたのだろう。
小林は、遥の言葉に若干明るくなったものの、それでもやはり以前とは違う弱々しさを感じさせながら
「結局のところ、彼女の意思を曲げてまで僕といる事が、正しいのかどうか分からない」
そう、解決とは到底程遠い結論を出した。
「……繊細なんだよ。昨日あんなに取り乱したのも、あの傷を見られることによって余計皆が自分から離れていく事を想像したんじゃないかな」
そろそろ戻るよ、と言う小林を見送って僕達三人はそれぞれ溜め息を吐いた。
「で、どだったの? 小笠原は」
「うん……正直、全然話せてないの。心ここにあらずって感じで」
「なんだかなー」と遥が金髪を掻き毟った。
「とりあえずしばらくほっとくしかないんじゃない? 無理でしょ、ね、康弘」
「かもしんないな。結局小林にしかどうにも出来ない気がする」
小笠原が望むものとはなんなのだろう? ぼんやりと思う。
小林の中にはそれを見出す事が出来ているのだろうか? 確かに彼の彼女への接し方は僕には真似の出来るものではないが、そうは言っても、そうやって今まで小林のように親身に彼女に触れるものが一人もいなかったとは――下世話な言い方をすれば下心も含んだ上で――思えない。以前晶は校外に誰か心を許せる人物がいるんではないかと言っていたが、毎日ここにいる事を思えばその可能性は少ないように思える。
(根本的に、俺達に彼女の求めるなにかが欠けているって事か?)
小林にあって、僕達にないもの、それは一体なんなのだろうか。
「こんな事になって、クラスの奴らを集めた奴も参ってんじゃない?」
「……あ」
小笠原の何気ない一言に、僕は間の抜けた声を出した。
麻奈も僕がなにを思ったのかすぐに理解したようだ。
「そっか、遥ちゃん知らないよね。あれね、誰が2-Cに集まろうって言い出したのか分かってないの」
「え? なにそれ」
「私も友達からメールをもらったんだけど、その子も回ってきたメールを私に送っただけで……結局最初に誰がメールをしたかは分かってないの」
「俺はてっきり小川あたりだと思ってたんだよな。あいつの事だから実はあれ送ったの俺でした、みたいなオチなのかと思ってたんだけど、今になっても言い出しそうな気配がないし多分違うな」
「……うへぇ、なんか気味わる」
気味悪い。
確かにそうだ。単なる思い出作りのためにこうやって僕達を呼び出したというそれだけの理由なら、名乗らない事への説明がつかなくなる。そしてそれ以外の理由があって名乗り出ないと言うのなら、確かにその分からない理由によって集まった事は気味が悪いと言えるかもしれない。
「……まさかな」
ある考えがふと過ぎる。だが僕はそれを言葉にする前に自分の中で否定した。
「ところで遥。仙道と話したんだろ? どうなった?」
「あー、付き合ってだって」
「……仲直りどころじゃねーじゃねーか。で?」
「振った。うぜぇって言った」
あっさりと言う遥を僕は少々尊敬の眼差しで見つめた。
仙道にそんな台詞を吐けるのはこの学校でこいつくらいだろう。
彼女はぺろりと全く悪びれない様子で舌を出す。
「あいつガキ臭いんだよね。喋り方とか。マジない、勘弁」
「で、あいつ納得したのか?」
「なんか泣きそうになってた」
「……仙道君って泣くんだ」
麻奈が感嘆したようにぽつりと呟いた。遥が「あんたも康弘に告白されて泣いた?」とからかうと彼女は顔を赤くする。その反応に満足したように笑うと、彼女はいつものようによっこいしょと立ち上がった。
「けど音楽室に戻ろうかなって」
「なんだ? 仙道に頼まれたのか?」
「ううん、他の子。なんか前の事謝ってきてさ。私も意地張って飛び出てきたけど。やっぱ元々つるんでたし、最後までこのままいるのもどうかなって」
そう言う彼女の表情はすっきりとした清々しいもので、なんだか太陽のようだった。
「そうなんだ。そうだよね、友達とはやっぱり一緒にいたいもんね。ちょっと寂しいけど」
「別にたまにはそっちにも顔出すって。これでお別れって訳じゃないんだから」
「そっか、そうよね」
僕を挟んで二人が笑いあった。全く対照的に見える二人だが――元々あまり会話を交わしていたとも思わない――やはり女同士通じるものがあるのだろうか。
「じゃ、行くわ」
「おう」
「またね」
バカみたいなミニスカート。そこからすらりと伸びる細い足。見られる事に抵抗などない、むしろ見せびらかしているようにいつでも堂々としている。彼女はバスケットに興じている面々の中をよける事も無くあっさりとコートの真ん中を通り、思わず手を止め視線を送る男達の視線を尽くいなしながら体育館から出て行った。
「……全く、たまにあいつの鉄の心臓が羨ましくなる」
「本当」
「いや、見習わなくていいぞ」
真顔でそう言う僕を、彼女が面白いと言った感じで笑う。
「麻奈、これからなんかある?」
「ううん?」
「ちょっと智史達の様子でも見に行こうかなと思うんだけど」
「順調……かなぁ?」
計りかねる、まるで遠くを見ているような様子で答える智史と、その向こうで浦沢と原田に囲まれ、泣きそうな顔をしている晶を見比べた。
「ストロークそんな大きくなくていいよ。勢いで出すんじゃないんだから。ダウンの時無駄に力を込めすぎ。もっと正確に」
「…………」
「指が浮いてる。ちゃんと抑えて」
「…………」
「はい、頑張って! 晶!」
椅子に座った晶の背後で真尋が肩を叩いた。
晶は口答えする事など無駄な抵抗だと既に理解しているようで黙々と――表情は渋いが――言われた事を繰り返している。
まるで幽霊にでも取り付かれているかのような光景に、幾分心配してしまうが智史に言わせれば随分と上達しているらしい。
「浦沢の教え方がいいのかもね。ああ見えてやりだすと止まらないみたいなんだ。付きっ切りで見てやってる」
僕はへぇ、と彼を見やる。、確かに教え方は丁寧で幾ら晶が失敗してもそれにピリピリしたりと言う事はないようだった。生来の性格からか口調自体は多少冷たく感じるが、意外にもいい先生をしているようだった。
先程僕らがやってきたときも軽い挨拶をした程度で、すぐに口を開こうとしていた晶を引っ張っていってしまい、特にやる事がないらしい智史と麻奈の三人でその光景を眺める。
「まぁ、最初は皆ここで躓くんだよね」
原田がにこやかにそう言った。浦澤が鞭なら、彼は飴と言ったところだろうか。
「ねぇ、智史君。ラジオやるまで学校には戻らないの?」
「んー。そうだね。演奏さえちゃんと出来るようになったら行くだろうけど。いつになるかな」
背伸びをしながらそう答える。
智史なら小笠原の件についてなんとか出来るだろうか?
そうふと思いもしたが、現状彼女に構える余裕はないだろう。僕は小さな折りたたみ式のテーブルに置かれている開かれたノートを見た。そこには細かく文字が躍り、中には二重線が引かれたりしている。どうやらスケジュールだったり、ラジオで喋る内容を考えて記載しているようだった。僕の視線に気がついたらしく智史が「恥ずかしいから見るな」と閉じてしまった。
「真尋もこうやって付き合ってくれてるし、なんか合宿みたいで楽しいんだよ、今」
「マネージャーじゃないわよ、あたし」と真尋が口を挟んだ。智史がそれに笑い返す。どうやらもう以前のギクシャクした関係は改善されたようだった。この雰囲気がそうさせるのかもしれない。全員個性はバラバラだが同じ目的を持って取り組む、と言うのはそれだけでその場に活気のようなものを感じさせた。
「歌はなんにするんだよ?」
「まぁ、ありきたりだけど――」
去年恋愛系のドラマで使われたバラードソングの名前を口にする。僕の趣味ではないその曲だったが、ドラマの効果もあってか、シンプルな作りのその歌は爆発的に売れたようだった。
「お前はもっと激しいのがいいんだろうけど」
「ま、智史らしい選曲でいいと思うよ」
「なぁ、康弘」
「あん?」
智史が一度麻奈を見て、言いよどんだが「まぁ、いいか」と照れるように頭をかいた。
「あのさ、麻奈には言ってなかったんだけど、俺里美の事が好きだったんだよ」
ギターの音が大きくなった。そのおかげだろうか真尋達にその台詞は届いていないようだった。
「……知ってる」
「……なんでだ!? あ、康弘から聞いた?」
「ううん、康弘君見てたらなんとなく分かってた」
「……そ、そうなの?」
些かショックだったのか、彼女の言葉に「そうかな。俺ってそんなに分かりやすいのかな」と愚痴る。
「ま、まぁ、とにかくそうだったんだよ。で、康弘とさ、話したりしてさ。言われたんだよ、こいつに。もう忘れた方がいいとか。次の恋探せとか」
「あー、言った言った」
「じゃあ智史君、次の恋探す気になったの?」
麻奈がぐいと身を乗り出す。その目が少し期待に輝いていたが、智史は「いや」と首を振った。
「けどなんて言うかな。俺正直最後まで引きずりそうだなって思ってたんだよ。ちょっと前まで。里美に気持ちも伝えられなかったし、彼氏と楽しくやってるんだろうな、とか考えたらちょっと空しくなったりしたしさ」
「で、今はどうなんだよ?」
「恋愛の傷は恋愛でしか癒せない、とか言うけどそんな事ないかもなって。こうやってスタジオでさ、皆とやってて思ったんだ。全然里美とか恋愛とか関係ない事だけど、このラジオが無事に終わったら、俺の中でなにか変わる気がする」
智史が吐息を一つ吐き、僕達の方を振り向いて「なぁ?」と尋ねてきたが、僕達の反応を見て彼はぎょっとしたような表情になる。
「あれ? ……俺が言ってる事おかしいかな?」
「いや……いいと思うよ、なぁ、麻奈」
「……うん、そうだね」
きっと、いい反応が返ってくるとでも思っていたのだろう。
だがどうやら僕達は揃って気難しい表情を浮かべてしまっていたようだ。
麻奈がちらちらと横目で真尋の様子を伺う。晶に構っているので康弘の言葉は届いていなかったのはおそらく幸運と言っていいだろう。
困り果てたような僕達を見て智史が「え? え?」と疑問の表情を浮かべる。
その疑問に僕は全て包み隠さず答えを教えてやりたくなるが、そんな事をしたら後で真尋になにをされるか分かったものではない。
バカだな。ホントバカだな、お前は。正しいけどバカだな。
彼の言葉が脳内でリピートされ、僕は麻奈と視線だけ合わせ無言で首を振った。
恋愛とか関係ない事だけど
『十四日です。今月に入ってから二週間。明日で半分。いっつもこの頃になるとあー、宿題しなきゃなー、とか毎年考えてたなぁ。まぁ、結局また一週間くらいなにもやらずに、最後までそのまんまだったりするんだけど』
その声がラジオのものだと気付くのに多少時間がかかった。
「…………」
ベッドの上でゆっくりと寝返りを打つ。目を開けなくても朝だと言うのは分かった。
(……なんでラジオ?)
昨日付けっぱなしにして寝てしまっただろうか? 記憶を辿ろうとするが面倒くさくなり、どうでもいいと判断する。
『僕猫を飼ってるんだけど、こいつが可愛いんだ。よく噛まれるんだけどね。顎を撫でてあげる時本当幸せそうな顔するんだよ。あれ、人間で言ったらどこ触ってる感じなのかな』
「……しらねーよ」
「あ、起きた?」
そう呼ばれて、僕は部屋にいたのが自分だけではなかった事に気がついた。
まだ重い瞼をなんとか持ち上げる。そんな僕を麻奈が見下ろしている。
「おはよ」
「おはよう」
体を起こしベッドから足を投げ出す。その足元に転がっているビールの空き缶を見て、僕は昨日の事を思い出した。
「俺、昨日結構飲んでた?」
「うん。覚えてない?」
「待って。思い出す」
部屋の片隅に麻奈の服がキチンとたたまれて置かれている。僕のスエットとTシャツを今彼女は着ているが、サイズが大きいために足元をずるずると引きずっていた。
「康弘君、智史君の文句ばっかり言ってたよ」
「あー、そうだ。思い出した」
手を叩く。昨日スタジオから彼女を誘って家へと戻った僕は、智史の事を麻奈に酒を飲みながら延々と愚痴り倒していたのだった。どうやらそのまま記憶を失ってしまったらしい。
「でも康弘君の言いたい事は分かるよ。ちょっと真尋が可哀想」
一体、昨日の僕はなにを言ったのだろうか。
喉が渇きを訴え水でも飲もうとベッドから布団をはいで立ち上がる。
そんな僕を麻奈が顔を赤くして目を背けると
「……あの、服」
と囁かれ、僕は自分が全裸だと言う事にようやく気がついた。
『八月も半分過ぎて、あと残り半分かぁ。それで終わっちゃうと思うと、寂しいな。今ラジオ聴いてる人も聴いてない人もどうやって過ごそうとか考えてるんだろうなぁ。俺? 俺はねぇ……って聴いてないか。けどどうしようかな。釣りでもしようかな。釣りといえばうちの猫釣ってきた魚うまそうに食べてくれるんだよね』
計りかねる、まるで遠くを見ているような様子で答える智史と、その向こうで浦沢と原田に囲まれ、泣きそうな顔をしている晶を見比べた。
「ストロークそんな大きくなくていいよ。勢いで出すんじゃないんだから。ダウンの時無駄に力を込めすぎ。もっと正確に」
「…………」
「指が浮いてる。ちゃんと抑えて」
「…………」
「はい、頑張って! 晶!」
椅子に座った晶の背後で真尋が肩を叩いた。
晶は口答えする事など無駄な抵抗だと既に理解しているようで黙々と――表情は渋いが――言われた事を繰り返している。
まるで幽霊にでも取り付かれているかのような光景に、幾分心配してしまうが智史に言わせれば随分と上達しているらしい。
「浦沢の教え方がいいのかもね。ああ見えてやりだすと止まらないみたいなんだ。付きっ切りで見てやってる」
僕はへぇ、と彼を見やる。、確かに教え方は丁寧で幾ら晶が失敗してもそれにピリピリしたりと言う事はないようだった。生来の性格からか口調自体は多少冷たく感じるが、意外にもいい先生をしているようだった。
先程僕らがやってきたときも軽い挨拶をした程度で、すぐに口を開こうとしていた晶を引っ張っていってしまい、特にやる事がないらしい智史と麻奈の三人でその光景を眺める。
「まぁ、最初は皆ここで躓くんだよね」
原田がにこやかにそう言った。浦澤が鞭なら、彼は飴と言ったところだろうか。
「ねぇ、智史君。ラジオやるまで学校には戻らないの?」
「んー。そうだね。演奏さえちゃんと出来るようになったら行くだろうけど。いつになるかな」
背伸びをしながらそう答える。
智史なら小笠原の件についてなんとか出来るだろうか?
そうふと思いもしたが、現状彼女に構える余裕はないだろう。僕は小さな折りたたみ式のテーブルに置かれている開かれたノートを見た。そこには細かく文字が躍り、中には二重線が引かれたりしている。どうやらスケジュールだったり、ラジオで喋る内容を考えて記載しているようだった。僕の視線に気がついたらしく智史が「恥ずかしいから見るな」と閉じてしまった。
「真尋もこうやって付き合ってくれてるし、なんか合宿みたいで楽しいんだよ、今」
「マネージャーじゃないわよ、あたし」と真尋が口を挟んだ。智史がそれに笑い返す。どうやらもう以前のギクシャクした関係は改善されたようだった。この雰囲気がそうさせるのかもしれない。全員個性はバラバラだが同じ目的を持って取り組む、と言うのはそれだけでその場に活気のようなものを感じさせた。
「歌はなんにするんだよ?」
「まぁ、ありきたりだけど――」
去年恋愛系のドラマで使われたバラードソングの名前を口にする。僕の趣味ではないその曲だったが、ドラマの効果もあってか、シンプルな作りのその歌は爆発的に売れたようだった。
「お前はもっと激しいのがいいんだろうけど」
「ま、智史らしい選曲でいいと思うよ」
「なぁ、康弘」
「あん?」
智史が一度麻奈を見て、言いよどんだが「まぁ、いいか」と照れるように頭をかいた。
「あのさ、麻奈には言ってなかったんだけど、俺里美の事が好きだったんだよ」
ギターの音が大きくなった。そのおかげだろうか真尋達にその台詞は届いていないようだった。
「……知ってる」
「……なんでだ!? あ、康弘から聞いた?」
「ううん、康弘君見てたらなんとなく分かってた」
「……そ、そうなの?」
些かショックだったのか、彼女の言葉に「そうかな。俺ってそんなに分かりやすいのかな」と愚痴る。
「ま、まぁ、とにかくそうだったんだよ。で、康弘とさ、話したりしてさ。言われたんだよ、こいつに。もう忘れた方がいいとか。次の恋探せとか」
「あー、言った言った」
「じゃあ智史君、次の恋探す気になったの?」
麻奈がぐいと身を乗り出す。その目が少し期待に輝いていたが、智史は「いや」と首を振った。
「けどなんて言うかな。俺正直最後まで引きずりそうだなって思ってたんだよ。ちょっと前まで。里美に気持ちも伝えられなかったし、彼氏と楽しくやってるんだろうな、とか考えたらちょっと空しくなったりしたしさ」
「で、今はどうなんだよ?」
「恋愛の傷は恋愛でしか癒せない、とか言うけどそんな事ないかもなって。こうやってスタジオでさ、皆とやってて思ったんだ。全然里美とか恋愛とか関係ない事だけど、このラジオが無事に終わったら、俺の中でなにか変わる気がする」
智史が吐息を一つ吐き、僕達の方を振り向いて「なぁ?」と尋ねてきたが、僕達の反応を見て彼はぎょっとしたような表情になる。
「あれ? ……俺が言ってる事おかしいかな?」
「いや……いいと思うよ、なぁ、麻奈」
「……うん、そうだね」
きっと、いい反応が返ってくるとでも思っていたのだろう。
だがどうやら僕達は揃って気難しい表情を浮かべてしまっていたようだ。
麻奈がちらちらと横目で真尋の様子を伺う。晶に構っているので康弘の言葉は届いていなかったのはおそらく幸運と言っていいだろう。
困り果てたような僕達を見て智史が「え? え?」と疑問の表情を浮かべる。
その疑問に僕は全て包み隠さず答えを教えてやりたくなるが、そんな事をしたら後で真尋になにをされるか分かったものではない。
バカだな。ホントバカだな、お前は。正しいけどバカだな。
彼の言葉が脳内でリピートされ、僕は麻奈と視線だけ合わせ無言で首を振った。
恋愛とか関係ない事だけど
『十四日です。今月に入ってから二週間。明日で半分。いっつもこの頃になるとあー、宿題しなきゃなー、とか毎年考えてたなぁ。まぁ、結局また一週間くらいなにもやらずに、最後までそのまんまだったりするんだけど』
その声がラジオのものだと気付くのに多少時間がかかった。
「…………」
ベッドの上でゆっくりと寝返りを打つ。目を開けなくても朝だと言うのは分かった。
(……なんでラジオ?)
昨日付けっぱなしにして寝てしまっただろうか? 記憶を辿ろうとするが面倒くさくなり、どうでもいいと判断する。
『僕猫を飼ってるんだけど、こいつが可愛いんだ。よく噛まれるんだけどね。顎を撫でてあげる時本当幸せそうな顔するんだよ。あれ、人間で言ったらどこ触ってる感じなのかな』
「……しらねーよ」
「あ、起きた?」
そう呼ばれて、僕は部屋にいたのが自分だけではなかった事に気がついた。
まだ重い瞼をなんとか持ち上げる。そんな僕を麻奈が見下ろしている。
「おはよ」
「おはよう」
体を起こしベッドから足を投げ出す。その足元に転がっているビールの空き缶を見て、僕は昨日の事を思い出した。
「俺、昨日結構飲んでた?」
「うん。覚えてない?」
「待って。思い出す」
部屋の片隅に麻奈の服がキチンとたたまれて置かれている。僕のスエットとTシャツを今彼女は着ているが、サイズが大きいために足元をずるずると引きずっていた。
「康弘君、智史君の文句ばっかり言ってたよ」
「あー、そうだ。思い出した」
手を叩く。昨日スタジオから彼女を誘って家へと戻った僕は、智史の事を麻奈に酒を飲みながら延々と愚痴り倒していたのだった。どうやらそのまま記憶を失ってしまったらしい。
「でも康弘君の言いたい事は分かるよ。ちょっと真尋が可哀想」
一体、昨日の僕はなにを言ったのだろうか。
喉が渇きを訴え水でも飲もうとベッドから布団をはいで立ち上がる。
そんな僕を麻奈が顔を赤くして目を背けると
「……あの、服」
と囁かれ、僕は自分が全裸だと言う事にようやく気がついた。
『八月も半分過ぎて、あと残り半分かぁ。それで終わっちゃうと思うと、寂しいな。今ラジオ聴いてる人も聴いてない人もどうやって過ごそうとか考えてるんだろうなぁ。俺? 俺はねぇ……って聴いてないか。けどどうしようかな。釣りでもしようかな。釣りといえばうちの猫釣ってきた魚うまそうに食べてくれるんだよね』
「酷いと思わない? 小林君」
「うーん、そうだね。でもそれは向こうも良かれと思って言ってるんじゃないかな?」
「そうかもしれないけど、言い方ってものがあると思うの」
「それはそうかもしれないね。けどほら、あの子も悪気はないと思うんだ」
「そうかなぁ」
尚も自分を正当化しようとする女子生徒の発言に、小林は根気よく頷き返していた。
麻奈と揃って学校にやってきた僕は――もう僕達が付き合っているのは周知のようだった――彼女が他のクラスの生徒と話してくるからと出て行ったのを見送り、窓際に置かれた椅子に座りぼんやりと教室の様子を眺めていた。
皆出かけたのか、教室にいるのは数人で多少の退屈を感じながら僕は欠伸を噛み殺す。
小林の傍にもう一人女子生徒が加わる。訳知り顔の彼女は「今回はあんたが悪いんじゃない?」などと冷めた様子で言われ、俯いた彼女を小林が宥めようとしていた。どうやら話は余計ややこしい方向へ進もうとしているらしい。
「ねぇねぇ、康弘」
「あん?」
くいくい、と僕の袖を紅が引っ張られる。椅子に座っているのに、立っている彼女と僕の頭の位置はそう変わらず、相変わらず小動物のようだった。どうやら彼女も暇を持て余しているらしい。珍しい事に蒼と一緒でもなかった。
「一人でいるとか珍しいな。蒼とケンカでもしたか?」
「そんな事ないです」
ぷぅ、っと顔を膨らませ不満そうにそう答える。
「蒼は彼氏さんとデートだって」
「……あいつ彼氏いたのか?」
「実はいました」
「……お前は?」
「……いません」
「……なんかわりぃ」
がっくりと肩を落とした紅に謝ると、ふるふると首を振る。「いいんです。元彼の事はすっぱり忘れたもん」と言うが、僕は彼女に元彼がいたと言う事実もまた衝撃だった。
「相手は中学生か? それともロリコンか?」
「え?」
「いや、なんでもない。で、どした。暇なんか?」
「うん、それもあるんだけど、あのね、康弘。久美ちゃんの事なんだけど」
「あー」
短く返事を返す。僕と紅は視線を同じ方向へと向ける。
そこにはまるで壁と同化したかのように、殆ど動く様子を見せない体育座りの小笠原の姿がある。今日もいつもと同じ長袖の黒い服に身を包んでいた。
「私、なにか出来る事ないかな。康弘はなにかないですか?」
そうやって僕に詰め寄ってくる彼女の目には真剣さがはっきりと映っている。
「ねーよ」
だが僕はそうはっきりと返した。
「え?」
「あのさ、紅。あいつはちょっと俺の手には負えんわ。小林に任しとけって。智史がいたらあいつもなんかしてくれたかもしれないけど」
「そんなそんな。康弘だって困ってる時助けてくれるじゃ――」
「あいつは無理」
僕は逃げ出すように窓の外へと体を向けた。
空は青く晴れ渡っているが、僕はそこにあの雨の日の光景を思い返す。
運動場に這い蹲り、泥に塗れながら泣き続けていた小笠原。
――死にたい
僕になにが出来ると言うのだろう?
彼女にとって僕の存在などもはや忌み嫌うものでしかないのだろうか。もしそうなら僕が出来るのはこうやって彼女に近づく事をせず、刺激を与えないようにしているだけだ。
「なぁ、紅」
どう説明したものかと迷いながらのままに口を開く。しかしそれを遮るように再び紅が僕の袖を引っ張った。先程よりも弱々しいくい、くい。
「康弘、逃げてる」
「……はぁ?」
眉間に皺が寄ったのが自分でも分かる。彼女がそんな僕を見て俯くが、手は離れない。
「逃げてるだけです、康弘いつもだったらそんな簡単に諦めない。なんで今度はダメなの? 今度も諦めないで」
「……逃げてねーよ。泣くなよ。ただやり方がいつもと一緒じゃ無理なんだって」
「康弘なにもしようとしてない! いつもはやり方が正しいかどうかなんて考えないくせに!」
その声は姿と同じように小さいが、その意志の強さは今にも溢れ出しそうなほどだった。
僕は返す言葉が見つからず、誤魔化すように彼女の頭を撫でるが、紅はいやいやと首を振る。
「お前が言いたい事は分かるよ、紅」
「……だったら」
「けど本当どうしたらいいか分かんねーんだよ、俺」
「……康弘は康弘がやりたいようにすればいいです」
彼女が顔を上げる。
「紅も間違っちゃうかもしれないけど、でもなにもしないよりいいと思うです」
「……そうは言うけどさ」
「麻奈ちゃんも久美ちゃんに話しかけたりしてるんだよ、ずっと前から」
「あぁ、まぁ、なんとなくは知ってるけど」
「麻奈ちゃんもうまくいかなくて困ってるけど。最近康弘ドタバタしてるからこれ以上苦労させたくないからってなにも言わないから一人で頑張ってるんだよ、でも本当は康弘にもなんとかしてもらいたいって思ってる」
僕はその言葉に少々面食らった。確かに麻奈と小笠原の事を話す事はあまりなかったがそれは彼女の気遣いだったのだろうか。
それでも
「麻奈は関係ないだろ」
「でも!」
「分かったよ」
「え?」
「お前の話だろ。麻奈は関係ないだろ、今は。お前が俺に頼んでるんだろ。分かったよ」
「え? え?」
「逃げんなって事だよ」
僕は椅子から立ち上がった。首を捻りこきりと鳴らすと、すぐ傍にあった雑誌を手に取りぐるぐると丸める。
僕がなにを言いたいのか理解したらしい紅の顔がぱっとその名のとおり高揚していた。
(……さて)
なにかが変わる。そんな事はあり得ない。こうやって立ち上がったところで僕の中に新しいなにかが目覚めるなんて劇的な事などあるはずもない。
だからこそなにかを変える事が劇的なんだろう。
僕は丸めた雑誌を口元に近づけ窓から少し顔を出した。
二、三度深く深呼吸をゆっくりとする。そして、一気に吐き出した。
「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ああ~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~」
少し呆けたような僕のその声はどこまで響いただろう。運動場を超えて、フェンスを越えて、道路を越えて、その先にある川を越えることが出来ただろうか。どこまで届かせる事が出来ただろうか。
「ちょ、なに?」
クラスメイト達が突然の僕の行動に驚いたようにこちらへと振り向く。
背中越しに視線を感じ、どこかで似たようなことがあったな、と僕はのんびりと思う。
そうだ。あのコンビニだ。放置されたコンビニで気まずさに押しつぶされそうになっていたあの時の事だ。
あの時、振り向いた僕はなにかを変える事が出来ただろうか?
確かに冷やすとおいしかったチョコレートを僕にくれたおじさんは元気だろうか? お兄さんとお姉さんは今まで手のつけなかった商品に手を出してみたのだろうか?
そして、僕はあの日から変わる事が出来ただろうか? そして今日や明日を変えられるだろうか?
もし変える事が出来なくても、いいじゃないか。あの時だってそうだったじゃないか。
だけど、変える事を諦めたら、本当の終わりだ。
「なんでもねーよ。ちょっとやりたくなっただけだ」
振り向いて僕は全員を見渡す。僕が椅子に再び座りなおすと次第に怪訝そうな顔をしていた皆もそれぞれ自分達の会話へと戻っていた。
「康弘」
「ま、なんかすっきりしたよ。最近自分でも空回りが酷かったんだ」
そう言うと、ようやく笑顔を取り戻し、首を縦に振ってくれた。
僕はなにが出来るだろう?
声は届く。小笠原も先程の僕の声に反応しこちらを見ていた。あとはその声になにを添えよう。
「じゃあ、私謝ったほうがいいかな、小林君」
「うーん。そう思うならそれもいいかもね」
相談はまだ続いているようだった。
僕はふと視線の端の小笠原が小林を見ているのに気がつく。
その横顔は少し寂しそうで、僕はもしかするとそれをずっと見落としていたのかもしれない。
「……ごめん、そろそろいいかな?」
「うん、ありがと。小林君に聞いてもらってよかった」
女子生徒が立ち上がり離れると、小林は小笠原へと近付いていった。彼も、彼女の表情にすぐに気がついたらしい。
僕達に欠けていて、小林にはあったもの、それはもしかするとこんなシンプルな事だったのだろうか?
僕は椅子に片足を乗せ、そこに顎を乗せながら思案に暮れる。
僕や紅がなにを思っているか、あの二人は分かっているだろうか。
「うーん、そうだね。でもそれは向こうも良かれと思って言ってるんじゃないかな?」
「そうかもしれないけど、言い方ってものがあると思うの」
「それはそうかもしれないね。けどほら、あの子も悪気はないと思うんだ」
「そうかなぁ」
尚も自分を正当化しようとする女子生徒の発言に、小林は根気よく頷き返していた。
麻奈と揃って学校にやってきた僕は――もう僕達が付き合っているのは周知のようだった――彼女が他のクラスの生徒と話してくるからと出て行ったのを見送り、窓際に置かれた椅子に座りぼんやりと教室の様子を眺めていた。
皆出かけたのか、教室にいるのは数人で多少の退屈を感じながら僕は欠伸を噛み殺す。
小林の傍にもう一人女子生徒が加わる。訳知り顔の彼女は「今回はあんたが悪いんじゃない?」などと冷めた様子で言われ、俯いた彼女を小林が宥めようとしていた。どうやら話は余計ややこしい方向へ進もうとしているらしい。
「ねぇねぇ、康弘」
「あん?」
くいくい、と僕の袖を紅が引っ張られる。椅子に座っているのに、立っている彼女と僕の頭の位置はそう変わらず、相変わらず小動物のようだった。どうやら彼女も暇を持て余しているらしい。珍しい事に蒼と一緒でもなかった。
「一人でいるとか珍しいな。蒼とケンカでもしたか?」
「そんな事ないです」
ぷぅ、っと顔を膨らませ不満そうにそう答える。
「蒼は彼氏さんとデートだって」
「……あいつ彼氏いたのか?」
「実はいました」
「……お前は?」
「……いません」
「……なんかわりぃ」
がっくりと肩を落とした紅に謝ると、ふるふると首を振る。「いいんです。元彼の事はすっぱり忘れたもん」と言うが、僕は彼女に元彼がいたと言う事実もまた衝撃だった。
「相手は中学生か? それともロリコンか?」
「え?」
「いや、なんでもない。で、どした。暇なんか?」
「うん、それもあるんだけど、あのね、康弘。久美ちゃんの事なんだけど」
「あー」
短く返事を返す。僕と紅は視線を同じ方向へと向ける。
そこにはまるで壁と同化したかのように、殆ど動く様子を見せない体育座りの小笠原の姿がある。今日もいつもと同じ長袖の黒い服に身を包んでいた。
「私、なにか出来る事ないかな。康弘はなにかないですか?」
そうやって僕に詰め寄ってくる彼女の目には真剣さがはっきりと映っている。
「ねーよ」
だが僕はそうはっきりと返した。
「え?」
「あのさ、紅。あいつはちょっと俺の手には負えんわ。小林に任しとけって。智史がいたらあいつもなんかしてくれたかもしれないけど」
「そんなそんな。康弘だって困ってる時助けてくれるじゃ――」
「あいつは無理」
僕は逃げ出すように窓の外へと体を向けた。
空は青く晴れ渡っているが、僕はそこにあの雨の日の光景を思い返す。
運動場に這い蹲り、泥に塗れながら泣き続けていた小笠原。
――死にたい
僕になにが出来ると言うのだろう?
彼女にとって僕の存在などもはや忌み嫌うものでしかないのだろうか。もしそうなら僕が出来るのはこうやって彼女に近づく事をせず、刺激を与えないようにしているだけだ。
「なぁ、紅」
どう説明したものかと迷いながらのままに口を開く。しかしそれを遮るように再び紅が僕の袖を引っ張った。先程よりも弱々しいくい、くい。
「康弘、逃げてる」
「……はぁ?」
眉間に皺が寄ったのが自分でも分かる。彼女がそんな僕を見て俯くが、手は離れない。
「逃げてるだけです、康弘いつもだったらそんな簡単に諦めない。なんで今度はダメなの? 今度も諦めないで」
「……逃げてねーよ。泣くなよ。ただやり方がいつもと一緒じゃ無理なんだって」
「康弘なにもしようとしてない! いつもはやり方が正しいかどうかなんて考えないくせに!」
その声は姿と同じように小さいが、その意志の強さは今にも溢れ出しそうなほどだった。
僕は返す言葉が見つからず、誤魔化すように彼女の頭を撫でるが、紅はいやいやと首を振る。
「お前が言いたい事は分かるよ、紅」
「……だったら」
「けど本当どうしたらいいか分かんねーんだよ、俺」
「……康弘は康弘がやりたいようにすればいいです」
彼女が顔を上げる。
「紅も間違っちゃうかもしれないけど、でもなにもしないよりいいと思うです」
「……そうは言うけどさ」
「麻奈ちゃんも久美ちゃんに話しかけたりしてるんだよ、ずっと前から」
「あぁ、まぁ、なんとなくは知ってるけど」
「麻奈ちゃんもうまくいかなくて困ってるけど。最近康弘ドタバタしてるからこれ以上苦労させたくないからってなにも言わないから一人で頑張ってるんだよ、でも本当は康弘にもなんとかしてもらいたいって思ってる」
僕はその言葉に少々面食らった。確かに麻奈と小笠原の事を話す事はあまりなかったがそれは彼女の気遣いだったのだろうか。
それでも
「麻奈は関係ないだろ」
「でも!」
「分かったよ」
「え?」
「お前の話だろ。麻奈は関係ないだろ、今は。お前が俺に頼んでるんだろ。分かったよ」
「え? え?」
「逃げんなって事だよ」
僕は椅子から立ち上がった。首を捻りこきりと鳴らすと、すぐ傍にあった雑誌を手に取りぐるぐると丸める。
僕がなにを言いたいのか理解したらしい紅の顔がぱっとその名のとおり高揚していた。
(……さて)
なにかが変わる。そんな事はあり得ない。こうやって立ち上がったところで僕の中に新しいなにかが目覚めるなんて劇的な事などあるはずもない。
だからこそなにかを変える事が劇的なんだろう。
僕は丸めた雑誌を口元に近づけ窓から少し顔を出した。
二、三度深く深呼吸をゆっくりとする。そして、一気に吐き出した。
「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ああ~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~」
少し呆けたような僕のその声はどこまで響いただろう。運動場を超えて、フェンスを越えて、道路を越えて、その先にある川を越えることが出来ただろうか。どこまで届かせる事が出来ただろうか。
「ちょ、なに?」
クラスメイト達が突然の僕の行動に驚いたようにこちらへと振り向く。
背中越しに視線を感じ、どこかで似たようなことがあったな、と僕はのんびりと思う。
そうだ。あのコンビニだ。放置されたコンビニで気まずさに押しつぶされそうになっていたあの時の事だ。
あの時、振り向いた僕はなにかを変える事が出来ただろうか?
確かに冷やすとおいしかったチョコレートを僕にくれたおじさんは元気だろうか? お兄さんとお姉さんは今まで手のつけなかった商品に手を出してみたのだろうか?
そして、僕はあの日から変わる事が出来ただろうか? そして今日や明日を変えられるだろうか?
もし変える事が出来なくても、いいじゃないか。あの時だってそうだったじゃないか。
だけど、変える事を諦めたら、本当の終わりだ。
「なんでもねーよ。ちょっとやりたくなっただけだ」
振り向いて僕は全員を見渡す。僕が椅子に再び座りなおすと次第に怪訝そうな顔をしていた皆もそれぞれ自分達の会話へと戻っていた。
「康弘」
「ま、なんかすっきりしたよ。最近自分でも空回りが酷かったんだ」
そう言うと、ようやく笑顔を取り戻し、首を縦に振ってくれた。
僕はなにが出来るだろう?
声は届く。小笠原も先程の僕の声に反応しこちらを見ていた。あとはその声になにを添えよう。
「じゃあ、私謝ったほうがいいかな、小林君」
「うーん。そう思うならそれもいいかもね」
相談はまだ続いているようだった。
僕はふと視線の端の小笠原が小林を見ているのに気がつく。
その横顔は少し寂しそうで、僕はもしかするとそれをずっと見落としていたのかもしれない。
「……ごめん、そろそろいいかな?」
「うん、ありがと。小林君に聞いてもらってよかった」
女子生徒が立ち上がり離れると、小林は小笠原へと近付いていった。彼も、彼女の表情にすぐに気がついたらしい。
僕達に欠けていて、小林にはあったもの、それはもしかするとこんなシンプルな事だったのだろうか?
僕は椅子に片足を乗せ、そこに顎を乗せながら思案に暮れる。
僕や紅がなにを思っているか、あの二人は分かっているだろうか。
そうは言ったものの、一体どうしたものかと考えたところで妙案がすぐに浮かぶ訳もなく、僕は当てもなく廊下をぶらぶらとしていた。すると向こう側から僕と同じように浮かない表情をした知った顔を見つけた。
僕はそれをやり過ごそうとしたのだが、そいつは僕を目ざとく見つけると瞬時に全力疾走でこちらへとやってくる。
「やーなーぎー!! ちょっと来てえええ!!」
「……うるせぇぞ、仙道」
泣きそうな顔で今にも僕に抱きついてきそうな仙道を引き離す。
こいつの頭の辞書に落ち着きと言うものはないのだろうか。
僕の言葉などまるで聞く様子もなく「来てー来てー」と腕を引っ張られ、周囲の奇異の目線を恥ずかしく思いながら僕は屋上へと連れてこられた。
「で、なんだ。遥にまた告白したのか?」
「……なんで分かっちゃった? 俺の心読んだ?」
「読むまでもなく分かるわ」
手摺へと顔をつけうな垂れる仙道に、僕は愛想のない返事を返す。
遥から聞いた話では、以前の騒動の事について音楽室の連中と三年生で話す機会をもったようだった。あの時は熱くなっていたためどちらも擦り寄る事はなかったが、どうやらその話し合いはうまくいったらしく今はすっかり音楽室の連中は大人しくなってしまっている。仙道自身も遥に、周りに迷惑をかけるなと強く言われ、振られたくせに律儀に守っているらしい。
「俺、偉くない? ここまでしてるんだから付き合ってくれてもよくない?」
「いや、全然。それ恋愛と関係ないだろ。もっと根本的な事だろ」
「……俺の、なにが、悪いの?」
そう本気で尋ねてくる仙道に、僕はマルボロを取り出すと口に咥え、彼にも一本渡す。
もし僕に絵を書く才能があるなら画用紙にでも描き残し保管したくなるような夕焼けが続く空に白い煙を吐き出した。
「知らんわ。逆にお前あいつの好みとか知ってんのか?」
「……そういえば」
なぜか合点がいったと言うように手を叩くとすくりとその身を起こした。
満足げに僕を見る。力んだのか煙草がぐしゃりと折れて「あつっ!」と慌てて放り投げた。
「それだ。やなちん」
「へんな愛称つけるな。なんだ、それって」
「好みを聞いて、俺がそれになれば付き合ってくれる」
「……いや、おい、お前さ、ちょっと勘違いしてないか」
「じゃ。行ってくるよん」
そう言うと彼は先程のように駆け出していくと階下へと続くドアへと飛び込み、さっさと姿を消してしまった。
「いや……好みってなるとかならないとかでどうにか出来る事じゃないだろ」
勢いが良すぎたのか、まだギシギシと揺れている金属製のドアを見つめぼやいたが、当然それは聞こえるはずもない。恐らくこのまま遥の所に行って再び玉砕をするのだろう。
先程仙道が投げ捨てた煙草を踏んで火を消しながら、その当てつけ――仙道と遥のどちらからかは分からないが――が僕へとやってこないように祈りながら僕はそれでもそのバイタリティには舌を巻いた。
「……何度でも、何度でもってか。でもなぁ、遥ならいいけどなぁ、小笠原の場合はなぁ、一回のミスのダメージが半端ねーんだよなぁ。まぁ、しょうがねっかぁ。好みと一緒で相手選べねーもんなぁ」
ああでもない、こうでもないと、しばらく屋上で思案に暮れたあと教室へと戻った僕は、窓越しに運動場で体を動かす事に満足したのか校舎へと戻っていく生徒達を見ていた。ややあって照明が落とされる。暗くなった景色の中になにか糸口はないだろうかと目を凝らす。
「ねーよな、やっぱ」
小笠原は小林に見送られ教室から出て行くところだった。彼女はいつも同じような時間に学校を後にし、寝泊りをした事は一度もなかった。きっと明日朝にまたやってくるのだろう。
明日、明日はなんとか出来るだろうか?
だが実際のところ明日の僕達が迎えるのは、それ以上の混乱だった。
僕はそれをやり過ごそうとしたのだが、そいつは僕を目ざとく見つけると瞬時に全力疾走でこちらへとやってくる。
「やーなーぎー!! ちょっと来てえええ!!」
「……うるせぇぞ、仙道」
泣きそうな顔で今にも僕に抱きついてきそうな仙道を引き離す。
こいつの頭の辞書に落ち着きと言うものはないのだろうか。
僕の言葉などまるで聞く様子もなく「来てー来てー」と腕を引っ張られ、周囲の奇異の目線を恥ずかしく思いながら僕は屋上へと連れてこられた。
「で、なんだ。遥にまた告白したのか?」
「……なんで分かっちゃった? 俺の心読んだ?」
「読むまでもなく分かるわ」
手摺へと顔をつけうな垂れる仙道に、僕は愛想のない返事を返す。
遥から聞いた話では、以前の騒動の事について音楽室の連中と三年生で話す機会をもったようだった。あの時は熱くなっていたためどちらも擦り寄る事はなかったが、どうやらその話し合いはうまくいったらしく今はすっかり音楽室の連中は大人しくなってしまっている。仙道自身も遥に、周りに迷惑をかけるなと強く言われ、振られたくせに律儀に守っているらしい。
「俺、偉くない? ここまでしてるんだから付き合ってくれてもよくない?」
「いや、全然。それ恋愛と関係ないだろ。もっと根本的な事だろ」
「……俺の、なにが、悪いの?」
そう本気で尋ねてくる仙道に、僕はマルボロを取り出すと口に咥え、彼にも一本渡す。
もし僕に絵を書く才能があるなら画用紙にでも描き残し保管したくなるような夕焼けが続く空に白い煙を吐き出した。
「知らんわ。逆にお前あいつの好みとか知ってんのか?」
「……そういえば」
なぜか合点がいったと言うように手を叩くとすくりとその身を起こした。
満足げに僕を見る。力んだのか煙草がぐしゃりと折れて「あつっ!」と慌てて放り投げた。
「それだ。やなちん」
「へんな愛称つけるな。なんだ、それって」
「好みを聞いて、俺がそれになれば付き合ってくれる」
「……いや、おい、お前さ、ちょっと勘違いしてないか」
「じゃ。行ってくるよん」
そう言うと彼は先程のように駆け出していくと階下へと続くドアへと飛び込み、さっさと姿を消してしまった。
「いや……好みってなるとかならないとかでどうにか出来る事じゃないだろ」
勢いが良すぎたのか、まだギシギシと揺れている金属製のドアを見つめぼやいたが、当然それは聞こえるはずもない。恐らくこのまま遥の所に行って再び玉砕をするのだろう。
先程仙道が投げ捨てた煙草を踏んで火を消しながら、その当てつけ――仙道と遥のどちらからかは分からないが――が僕へとやってこないように祈りながら僕はそれでもそのバイタリティには舌を巻いた。
「……何度でも、何度でもってか。でもなぁ、遥ならいいけどなぁ、小笠原の場合はなぁ、一回のミスのダメージが半端ねーんだよなぁ。まぁ、しょうがねっかぁ。好みと一緒で相手選べねーもんなぁ」
ああでもない、こうでもないと、しばらく屋上で思案に暮れたあと教室へと戻った僕は、窓越しに運動場で体を動かす事に満足したのか校舎へと戻っていく生徒達を見ていた。ややあって照明が落とされる。暗くなった景色の中になにか糸口はないだろうかと目を凝らす。
「ねーよな、やっぱ」
小笠原は小林に見送られ教室から出て行くところだった。彼女はいつも同じような時間に学校を後にし、寝泊りをした事は一度もなかった。きっと明日朝にまたやってくるのだろう。
明日、明日はなんとか出来るだろうか?
だが実際のところ明日の僕達が迎えるのは、それ以上の混乱だった。
「ラジオ聞いた?」
「うん、聞いたよ。なんだろうね?」
「なんの話?」
それを聞いたのはトイレから戻ってきた時だった。
口を挟んだ僕に、二人が首を捻りながら答える。
「なんか昼の十二時からラジオかテレビをつけてほしいんだって」
「なにそれ? なんか面白い事でもあるの?」
そう言う僕に彼らは否定を返した。
「いや、違うんだよ。素人がやってるような奴じゃなくてさ。ちゃんとした放送局のものらしいんだ」
「へぇ」
最近は放送局からちゃんとしたラジオなどまったく流れていなかったので聞き逃していたようだ。しかし夏休みに入った頃から全くなくなってしまった放送を今更始めるなど何事だろう。
「もっかして、隕石を壊す方法が見つかったとか」
「だったら最高だよなぁ」
二人がはしゃいだ。確かにそんな放送が流れてくれば僕達は大歓喜する事だろう。
腕時計で時間を確認する。あと二時間もなかった。見渡せば黒板の下あたりにラジオが既に準備されていた。
「なんなんだろうな」
少し、僕を含めた全員が浮き足立っているのが分かった。
智史たちはこの事を知っているだろうかと僕は電話をしてみる。しばらくして繋がったもののやはり知らなかったようで、その話をすると後で学校に行くかもしれないと明るい声が返ってくる。
テレビで見たいなぁ、と誰かが言い出し数人がどこかから本当にテレビを持ち出してきた。
点けてみると、そこにはなにもない青い画面が映し出されるもののわぁ、と歓声が沸く。最近はテレビも放送されることが殆どなくなりノイズの画面ばかりだったので、その画面だけでも放送局が動いているのだと思うと皆感動のようなものを覚えたのだった。
「そろそろだな」
「うん」
僕は集団の前の方へと麻奈を連れて身を乗り出した。
周囲も一体なにが流れるのかと色めきたっていて騒がしい。
「なるぞ」
小川がそう言って、それが合図かのように皆が沈黙した。
青い画面だけだったテレビが一瞬パチンと弾けたような線を走らせる。その直後出てきたのはなんの変哲もないどこかの自然を映し出しただけの画面だった。
「なんだこれ?」
誰かの疑問の声が浮かぶ。
それでも僕達は画面を凝視していた。まだここからなにかあるのだろうと信じて。
信じて。
きっといい事があると信じて。
夏休みのその向こうが訪れる事を信じて。
さぁ、早く言ってくれ。早く。
救いの言葉を言ってくれ。
僕達はずっと待っていたんだ。ずっとずっと前から。
そして今、その希望はこれ以上空気が入る余地のない風船のように膨れ上がっている。今にも破裂しそうなそれをなんとか次の言葉を我慢して待っているんだ。
さぁ、早く。
『本日八月十五日を持ちましてあらゆるライフラインの供給が停止となります。本日八月十五日を持ちましてあらゆるライフラインの供給が停止となります。水道、ガス、電気など本日を持って利用できなくなります。迅速な対応を行うようお願い致します。繰り返します。本日八月十五日を持ちまして――』
破裂。
風船が破裂する。
最悪の形で。
『国は責任を放棄した!! 国民全員を切り捨てたんだ!! あんな説明だけで、あと十二時間でどんな対応を取れと言うんだ!? これが政府のやり方か!? 国民の事を思うならもっと早く――』
『どうすんだよ。明日から飯とか。俺冷凍食品そうとう溜めてたのに。もう意味ねーじゃん』
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね全員死ね』
『つかさ、お前ら今までなんで電気が使えるか、とか電車が走るのかとか考えた事なかったの? 俺の親父偉い政治家なんだけどさ。あれボランティアなんだよ。あとは犯罪者とか。そういう奴らがお前らのために供給を行ってた訳。お前らがカラオケで盛り上がってる時にさ、単なる気がいいだけの人がお前らのために供給作業をしてくれてた訳。それも限界あんだろ。日本全部やってたんだぜ? 可哀想だろ。善意に頼りすぎなんだよ。もう開放してやれよ』
『せめて一週間前とかに言えない訳? 糾弾されるのが怖いんだろ? だからあんな音声だけ流してさっさと終わりにしてるんだろ!? おい!! なんか言えよ!! ちゃんと説明しろよ、おい!!』
『まぁ、そんなもんでしょ。国民にいい顔する必要とかもうないしな』
『皆、お別れだね。もうラジオも出来なくなるね。今まで話を聞いてくれてありがとう。嬉しかったよ。最後に一つだけいいかな? 実は最近人を殺した。うん、本当に。あまり感慨もなにもなかったよ。聞いている皆はどうかな? 僕が変わったかどうか分かる? 人を殺すと人が変わるとか、あれ嘘みたいだね』
『一つだけ言い訳をさせてほしい。誰もこんな海賊ラジオなど聞いていないかもしれないが、もっと早く言うべきだと言う意見もあった。結局は保身に回った訳だが私達を探さないでほしい』
『今日電車を動かす予定だったんだけど、もうやめとく。意味、ないし』
『あははははははははははははははははははは。もう笑うしかないでしょあはははははははははははははははははははっははははっははは!!』
『隕石に殺される前に、お前らに殺された』
破裂。
止む事のない破裂。
「うん、聞いたよ。なんだろうね?」
「なんの話?」
それを聞いたのはトイレから戻ってきた時だった。
口を挟んだ僕に、二人が首を捻りながら答える。
「なんか昼の十二時からラジオかテレビをつけてほしいんだって」
「なにそれ? なんか面白い事でもあるの?」
そう言う僕に彼らは否定を返した。
「いや、違うんだよ。素人がやってるような奴じゃなくてさ。ちゃんとした放送局のものらしいんだ」
「へぇ」
最近は放送局からちゃんとしたラジオなどまったく流れていなかったので聞き逃していたようだ。しかし夏休みに入った頃から全くなくなってしまった放送を今更始めるなど何事だろう。
「もっかして、隕石を壊す方法が見つかったとか」
「だったら最高だよなぁ」
二人がはしゃいだ。確かにそんな放送が流れてくれば僕達は大歓喜する事だろう。
腕時計で時間を確認する。あと二時間もなかった。見渡せば黒板の下あたりにラジオが既に準備されていた。
「なんなんだろうな」
少し、僕を含めた全員が浮き足立っているのが分かった。
智史たちはこの事を知っているだろうかと僕は電話をしてみる。しばらくして繋がったもののやはり知らなかったようで、その話をすると後で学校に行くかもしれないと明るい声が返ってくる。
テレビで見たいなぁ、と誰かが言い出し数人がどこかから本当にテレビを持ち出してきた。
点けてみると、そこにはなにもない青い画面が映し出されるもののわぁ、と歓声が沸く。最近はテレビも放送されることが殆どなくなりノイズの画面ばかりだったので、その画面だけでも放送局が動いているのだと思うと皆感動のようなものを覚えたのだった。
「そろそろだな」
「うん」
僕は集団の前の方へと麻奈を連れて身を乗り出した。
周囲も一体なにが流れるのかと色めきたっていて騒がしい。
「なるぞ」
小川がそう言って、それが合図かのように皆が沈黙した。
青い画面だけだったテレビが一瞬パチンと弾けたような線を走らせる。その直後出てきたのはなんの変哲もないどこかの自然を映し出しただけの画面だった。
「なんだこれ?」
誰かの疑問の声が浮かぶ。
それでも僕達は画面を凝視していた。まだここからなにかあるのだろうと信じて。
信じて。
きっといい事があると信じて。
夏休みのその向こうが訪れる事を信じて。
さぁ、早く言ってくれ。早く。
救いの言葉を言ってくれ。
僕達はずっと待っていたんだ。ずっとずっと前から。
そして今、その希望はこれ以上空気が入る余地のない風船のように膨れ上がっている。今にも破裂しそうなそれをなんとか次の言葉を我慢して待っているんだ。
さぁ、早く。
『本日八月十五日を持ちましてあらゆるライフラインの供給が停止となります。本日八月十五日を持ちましてあらゆるライフラインの供給が停止となります。水道、ガス、電気など本日を持って利用できなくなります。迅速な対応を行うようお願い致します。繰り返します。本日八月十五日を持ちまして――』
破裂。
風船が破裂する。
最悪の形で。
『国は責任を放棄した!! 国民全員を切り捨てたんだ!! あんな説明だけで、あと十二時間でどんな対応を取れと言うんだ!? これが政府のやり方か!? 国民の事を思うならもっと早く――』
『どうすんだよ。明日から飯とか。俺冷凍食品そうとう溜めてたのに。もう意味ねーじゃん』
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね全員死ね』
『つかさ、お前ら今までなんで電気が使えるか、とか電車が走るのかとか考えた事なかったの? 俺の親父偉い政治家なんだけどさ。あれボランティアなんだよ。あとは犯罪者とか。そういう奴らがお前らのために供給を行ってた訳。お前らがカラオケで盛り上がってる時にさ、単なる気がいいだけの人がお前らのために供給作業をしてくれてた訳。それも限界あんだろ。日本全部やってたんだぜ? 可哀想だろ。善意に頼りすぎなんだよ。もう開放してやれよ』
『せめて一週間前とかに言えない訳? 糾弾されるのが怖いんだろ? だからあんな音声だけ流してさっさと終わりにしてるんだろ!? おい!! なんか言えよ!! ちゃんと説明しろよ、おい!!』
『まぁ、そんなもんでしょ。国民にいい顔する必要とかもうないしな』
『皆、お別れだね。もうラジオも出来なくなるね。今まで話を聞いてくれてありがとう。嬉しかったよ。最後に一つだけいいかな? 実は最近人を殺した。うん、本当に。あまり感慨もなにもなかったよ。聞いている皆はどうかな? 僕が変わったかどうか分かる? 人を殺すと人が変わるとか、あれ嘘みたいだね』
『一つだけ言い訳をさせてほしい。誰もこんな海賊ラジオなど聞いていないかもしれないが、もっと早く言うべきだと言う意見もあった。結局は保身に回った訳だが私達を探さないでほしい』
『今日電車を動かす予定だったんだけど、もうやめとく。意味、ないし』
『あははははははははははははははははははは。もう笑うしかないでしょあはははははははははははははははははははっははははっははは!!』
『隕石に殺される前に、お前らに殺された』
破裂。
止む事のない破裂。
「……嘘だろ?」
「……やだ」
誰かの言葉も耳に入らない。
僕は呆然とその場に座り込み、微動だにせず固まっていた。
だがポケットに入れられていた携帯電話が鳴り、僕はおずおずと取り出す。
酷い放心状態で自分がなにをしているのかもよく分からないが、ディスプレイの表示を見て僕ははっとなった。
「……もしもし」
『康弘? もしもし』
「母さん……テレビ見た?」
『康弘も見たのね? 母さん心配で――』
そう言う母さんの声が途切れ途切れになる。僕は思わず電話を強く握り締めるが、声はそんな僕をあざ笑うかのようにどんどん遠くなっていく。
「母さん!? おい、おかん!!」
『……や……じょう――』
通話が切れ空しくツー、ツーと言う音だけが鳴る。僕は慌てて着信履歴を呼び出し通話ボタンを押す。
しかし耳を当てた僕に聞こえてきたのは『現在回線が混み合っております』という機械的なアナウンスだけだった。
「ふざっけんなよ、おい!!」
僕は携帯を振り上げて床へと投げつけようとした。だが寸ででそれを押し留める。まだしばらくは電話は繋がる筈だった。代わりに開いた手で床を思い切り殴ると立ち上がった。
「……康弘君?」
走り出そうとしたところで麻奈が僕をそう呼び止めた。
不安に満ちた目が僕を捉える。僕は、そんな彼女をここに置いていく事に罪悪感を覚え足が止まる。
気がつくと目を伏せていた。
どうしてこんな事になる。溢れすぎた希望にその絶望はとても耐えられそうにない。あまりに無力だ。幾ら歯軋りをしても抗えない巨大な存在に潰されそうになる。
僕は麻奈へと近づき、そのまま抱きしめる。
「なぁ、麻奈。おかんが俺の事心配してんだ。もう半年くらい会ってねーんだよ。絶対今不安でしょうがないはずなんだ。だからちょっと待っててくれ。な?」
麻奈は離れたくなかったのか少し手に力を込めたが、それでも「……うん」と頷いた。
僕は校舎を飛び出すと公衆電話を探そうとしたが、そもそも自分が今硬貨を持ってない事に気がつき家へと一旦戻らざるを得なくなった。自転車ならともかく走るとなるとそこそこ距離があるが、僕は構う事無く全力で駆け抜ける。念のために走りながらも携帯電話をかけてみるがやはり繋がらない。
職員室にある電話を使おうとも思ったが、どうやら皆同じ事を考えていたらしく職員室は騒然となっていた。
僕もその中に加わり、電話を奪い取ろうとしたがそうやって揉みあっている内に誰かが電話線を切ってしまった。これほどの騒ぎになるならむしろ全員が使わなければいいと判断したようだった。
僕は荒い呼吸を上げながら部屋へと戻りテーブルの上に置きっぱなしになっていた財布を取り上げ小銭をぶちまけた。百円と十円を乱雑に掴み取ると再び外へと飛び出る。
だがそこで僕が見たのは公衆電話から伸びる長蛇の列だった。
「……嘘だろ」
他の公衆電話を探すべきだろうか。しかし場所を変えたところでそこでもまた列が作られているなら時間の無駄にしかならない。焦燥を抱きながら僕は列へと並んだ。
立ち止まると今までの筋肉への負荷が思い出したように全身を襲った。水分が欲しかったが列を離れる訳にもいかず諦めて息を整える。
列に並んでいる人数を数えてみる。十五人と言うところだろうか。年齢も性別もバラバラだが、全員が同じように苛立ちや悲壮感のようなものを漂わせながら、携帯電話が繋がらないかと何度も試していた。
(……どんだけ待てばいいんだよ)
皆、離れた場所に大切な人がいるのだろうか?
「うん、うん……うん……大丈夫じゃないよ……どうしたらいいかわかんない」
受話器を持っている社会人らしい女性が泣き声でそう答えていた。中々会話が噛み合わないようで遅々として進まないその様子に皆苛々としているようだが、当の彼女はそんな事にはまるで気がつかないように次々と硬貨を電話へと押し込んでいる。
だがそれを誰にも責める事は出来ない。自分達の番が来た時に、スムーズに喋る余裕など誰にもないのだから僕達に出来るのはただ、話が最後まで終わるか、硬貨が切れてしまうのを待つだけだ。
「もしもし! もしもし!」
どうやら彼女は後者だったようで、もう聞こえなくなった声をそれでも求めてヒステリックに叫んでいた。
彼女は真後ろにいた人物に小銭をくれないか、とせがむ。だが相手はそれは無理だと拒否されると彼女はその場に蹲り泣き咽んだ。声をかけられた相手は幾分申し訳なさそうな顔をしたものの、彼女の体を押しのけるとボタンに手をやる。
僕達は再び聞こえる陰鬱な声を聞きながら、それでも自分の番が来るのをじっとひたすらに待ち続けた。
ようやく自分の順番が回ってきて、僕は小銭を電話へと入れた。結局携帯電話は繋がらなかった。僕より少し前に並んでいた人は一度幸運にも繋がったようだが、やはりすぐに切れてしまった。
『はい』
「おかん? 康弘だけど。今公衆電話からかけてる。あんまり手持ちがないからそんなに話せないんだけど」
『あぁ、そう。でもよかったわ、声が聞けて』
母さんの安堵の溜め息を聞きながらも、僕はなるべく早口で答える。
「テレビかなんか見ただろ? 明日から電話も繋がらなくなる、母さん元気か?」
『元気よ。康弘、一人で大丈夫? 水も出なくなるのよ?』
話しながら小銭を入れる。入れすぎたのか釣り銭口から何枚か弾き出された。僕は慌ててそれを取り出そうと手を伸ばす。
「なんとかするよ。なぁ、母さん」
『なに?』
違う、そうじゃない。僕が言いたいのはそんな事じゃない。
『康弘?』
「母さん、俺」
そういった所で僕は手元が狂ってしまったのか、取り出した小銭をぶちまけてしまった。
しまった、と思い拾おうとするも受話器を放すのをためらい、そうしている間に小銭は見えないところへと転がっていってしまう。
『康弘? どうしたの。康弘?』
「な、なんでもない。母さん、違うんだ。俺母さんに言わないといけない事があるんだよ」
だが、動転してしまったのかうまく言葉を紡ぐ事が出来ない。
小銭切れを告げる電子音が鳴り、僕は足元にせめて十円でもないかと見回すがそんな僕をからかうかのように見当たらない。
『康弘』
「え?」
『電話ありがとね』
「なに言って」
そこで通話は切れた。
僕は諦めきれず受話器を置くレバーを何度も押して小銭が出てきたりしないだろうかと、抵抗をするが、全くの徒労でしかなく「いいかな」と後ろから声をかけられる。
返事も出来ず僕はよろよろとそこから離れた。列はまた新たな人が並んだらしく減った様子はない。ふと離れたところに十円が転がっているのを見かけ、それを拾いポケットへとしまったが再び列に並ぶ事はやめておいた。
既に二時間以上ここにいたようだ。再び自分の番を待つために並ぶ気にもなれなかった。
「…………」
なんであんな失敗をしてしまったのだろう。悔やんでも悔やみきれず、公衆電話から少し離れた場所まで歩いたところで頭を抱えて座り込んだ。
(なんも言えてねーじゃねーか。なんでこんな事になるんだ。もっと落ち着いてれば……ちゃんと話せたし、金を落とす事もなかったのに)
泣きたくなる。
だがしばらくそうしてから、僕はゆっくりと立ち上がって一つの結論を出した。
「……行かなきゃ」
「……やだ」
誰かの言葉も耳に入らない。
僕は呆然とその場に座り込み、微動だにせず固まっていた。
だがポケットに入れられていた携帯電話が鳴り、僕はおずおずと取り出す。
酷い放心状態で自分がなにをしているのかもよく分からないが、ディスプレイの表示を見て僕ははっとなった。
「……もしもし」
『康弘? もしもし』
「母さん……テレビ見た?」
『康弘も見たのね? 母さん心配で――』
そう言う母さんの声が途切れ途切れになる。僕は思わず電話を強く握り締めるが、声はそんな僕をあざ笑うかのようにどんどん遠くなっていく。
「母さん!? おい、おかん!!」
『……や……じょう――』
通話が切れ空しくツー、ツーと言う音だけが鳴る。僕は慌てて着信履歴を呼び出し通話ボタンを押す。
しかし耳を当てた僕に聞こえてきたのは『現在回線が混み合っております』という機械的なアナウンスだけだった。
「ふざっけんなよ、おい!!」
僕は携帯を振り上げて床へと投げつけようとした。だが寸ででそれを押し留める。まだしばらくは電話は繋がる筈だった。代わりに開いた手で床を思い切り殴ると立ち上がった。
「……康弘君?」
走り出そうとしたところで麻奈が僕をそう呼び止めた。
不安に満ちた目が僕を捉える。僕は、そんな彼女をここに置いていく事に罪悪感を覚え足が止まる。
気がつくと目を伏せていた。
どうしてこんな事になる。溢れすぎた希望にその絶望はとても耐えられそうにない。あまりに無力だ。幾ら歯軋りをしても抗えない巨大な存在に潰されそうになる。
僕は麻奈へと近づき、そのまま抱きしめる。
「なぁ、麻奈。おかんが俺の事心配してんだ。もう半年くらい会ってねーんだよ。絶対今不安でしょうがないはずなんだ。だからちょっと待っててくれ。な?」
麻奈は離れたくなかったのか少し手に力を込めたが、それでも「……うん」と頷いた。
僕は校舎を飛び出すと公衆電話を探そうとしたが、そもそも自分が今硬貨を持ってない事に気がつき家へと一旦戻らざるを得なくなった。自転車ならともかく走るとなるとそこそこ距離があるが、僕は構う事無く全力で駆け抜ける。念のために走りながらも携帯電話をかけてみるがやはり繋がらない。
職員室にある電話を使おうとも思ったが、どうやら皆同じ事を考えていたらしく職員室は騒然となっていた。
僕もその中に加わり、電話を奪い取ろうとしたがそうやって揉みあっている内に誰かが電話線を切ってしまった。これほどの騒ぎになるならむしろ全員が使わなければいいと判断したようだった。
僕は荒い呼吸を上げながら部屋へと戻りテーブルの上に置きっぱなしになっていた財布を取り上げ小銭をぶちまけた。百円と十円を乱雑に掴み取ると再び外へと飛び出る。
だがそこで僕が見たのは公衆電話から伸びる長蛇の列だった。
「……嘘だろ」
他の公衆電話を探すべきだろうか。しかし場所を変えたところでそこでもまた列が作られているなら時間の無駄にしかならない。焦燥を抱きながら僕は列へと並んだ。
立ち止まると今までの筋肉への負荷が思い出したように全身を襲った。水分が欲しかったが列を離れる訳にもいかず諦めて息を整える。
列に並んでいる人数を数えてみる。十五人と言うところだろうか。年齢も性別もバラバラだが、全員が同じように苛立ちや悲壮感のようなものを漂わせながら、携帯電話が繋がらないかと何度も試していた。
(……どんだけ待てばいいんだよ)
皆、離れた場所に大切な人がいるのだろうか?
「うん、うん……うん……大丈夫じゃないよ……どうしたらいいかわかんない」
受話器を持っている社会人らしい女性が泣き声でそう答えていた。中々会話が噛み合わないようで遅々として進まないその様子に皆苛々としているようだが、当の彼女はそんな事にはまるで気がつかないように次々と硬貨を電話へと押し込んでいる。
だがそれを誰にも責める事は出来ない。自分達の番が来た時に、スムーズに喋る余裕など誰にもないのだから僕達に出来るのはただ、話が最後まで終わるか、硬貨が切れてしまうのを待つだけだ。
「もしもし! もしもし!」
どうやら彼女は後者だったようで、もう聞こえなくなった声をそれでも求めてヒステリックに叫んでいた。
彼女は真後ろにいた人物に小銭をくれないか、とせがむ。だが相手はそれは無理だと拒否されると彼女はその場に蹲り泣き咽んだ。声をかけられた相手は幾分申し訳なさそうな顔をしたものの、彼女の体を押しのけるとボタンに手をやる。
僕達は再び聞こえる陰鬱な声を聞きながら、それでも自分の番が来るのをじっとひたすらに待ち続けた。
ようやく自分の順番が回ってきて、僕は小銭を電話へと入れた。結局携帯電話は繋がらなかった。僕より少し前に並んでいた人は一度幸運にも繋がったようだが、やはりすぐに切れてしまった。
『はい』
「おかん? 康弘だけど。今公衆電話からかけてる。あんまり手持ちがないからそんなに話せないんだけど」
『あぁ、そう。でもよかったわ、声が聞けて』
母さんの安堵の溜め息を聞きながらも、僕はなるべく早口で答える。
「テレビかなんか見ただろ? 明日から電話も繋がらなくなる、母さん元気か?」
『元気よ。康弘、一人で大丈夫? 水も出なくなるのよ?』
話しながら小銭を入れる。入れすぎたのか釣り銭口から何枚か弾き出された。僕は慌ててそれを取り出そうと手を伸ばす。
「なんとかするよ。なぁ、母さん」
『なに?』
違う、そうじゃない。僕が言いたいのはそんな事じゃない。
『康弘?』
「母さん、俺」
そういった所で僕は手元が狂ってしまったのか、取り出した小銭をぶちまけてしまった。
しまった、と思い拾おうとするも受話器を放すのをためらい、そうしている間に小銭は見えないところへと転がっていってしまう。
『康弘? どうしたの。康弘?』
「な、なんでもない。母さん、違うんだ。俺母さんに言わないといけない事があるんだよ」
だが、動転してしまったのかうまく言葉を紡ぐ事が出来ない。
小銭切れを告げる電子音が鳴り、僕は足元にせめて十円でもないかと見回すがそんな僕をからかうかのように見当たらない。
『康弘』
「え?」
『電話ありがとね』
「なに言って」
そこで通話は切れた。
僕は諦めきれず受話器を置くレバーを何度も押して小銭が出てきたりしないだろうかと、抵抗をするが、全くの徒労でしかなく「いいかな」と後ろから声をかけられる。
返事も出来ず僕はよろよろとそこから離れた。列はまた新たな人が並んだらしく減った様子はない。ふと離れたところに十円が転がっているのを見かけ、それを拾いポケットへとしまったが再び列に並ぶ事はやめておいた。
既に二時間以上ここにいたようだ。再び自分の番を待つために並ぶ気にもなれなかった。
「…………」
なんであんな失敗をしてしまったのだろう。悔やんでも悔やみきれず、公衆電話から少し離れた場所まで歩いたところで頭を抱えて座り込んだ。
(なんも言えてねーじゃねーか。なんでこんな事になるんだ。もっと落ち着いてれば……ちゃんと話せたし、金を落とす事もなかったのに)
泣きたくなる。
だがしばらくそうしてから、僕はゆっくりと立ち上がって一つの結論を出した。
「……行かなきゃ」
学校へと戻ってきた僕を向かえたのは今尚続く混乱だった。
教室でじっとしていられないのか廊下は満員電車のように人の群れが出来上がり、その上で皆あちらこちらへと動こうとするので数歩進むだけでも困難だった。
それを乗り越えて教室へと戻り、僕はそこに麻奈と智史達の姿を見つける。スタジオにいた面々は全員帰ってきていた。
「智史」
「……あぁ、康弘か」
「いつ帰って来たんだ」
「さっきだよ」
「スタジオにいてもしょうがないじゃん」
晶が小さく漏らした。
「ラジオも出来なくなったしね。しょうがないから全部置いてきたよ」
智史が力なくうな垂れる。彼だけでなく全員が失望感に包まれていた。
「あんなに頑張ったのに」
真尋が膝に顔を埋めた。
全てが終わった。そうとしか言えないような皆の様子に僕はなにも言えない。
智史がラジオをやる事に決めた決意の重さ。それだけじゃない。晶だって出来もしないギターを頑張ってこなそうとしていたし、真尋だって智史だけじゃなく、全員の事を応援してたはずだ。原田も浦沢もだからこそあんなに熱心にやってくれていたと言うのに。
「……全部無駄だったね」
「そういう事言わないでよ」
重い浦沢の台詞に原田が嘆くようにそう言った。
それ以上、誰もなにも言えず沈黙が続き、それに耐えかねたかのように晶がボロボロと涙を流し始めた。
「ごめん……俺がもっと頑張ってギターもっと弾けるようになってたらラジオもっと早く出来たのに。本当ごめん。これなら最初から出来る奴探してさっさとやっときゃよかったよな。けど俺原田と浦沢が教えてくれてちょっとずつ上手くなるの分かって……嬉しくてさ。絶対弾けるようになろうって思ってたんだけど……ごめん、智史。俺のせいでラジオ出来なくなっちまって」
「いいって。お前のせいじゃないよ」
「けどさ……」
「いいんだって」
晶の肩を智史が叩く。
怒りなんてない。
だけどそこにあるのは諦め。
優しくも、なんともない、単なる慰み。
「俺も晶と一緒にやれたらいいと思ってたしさ。それにさ。こんなもんだよ、人生って。無理な事は無理なんだよ。中途半端なままで終わってしまう事なんて、珍しい事じゃない」
自分に言い聞かせるように、もう一度「こんなもんなんだよ、人生なんてさ」と噛み締めるようにそう告げる。
里美の事もそうだった。ラジオもそうなってしまった。しょうがない。
悪いのは誰のせいでもない。
俺のせいなんだ。
そう言っているように聞こえた。
「そんな暗い顔するなよ、康弘」
「……わり」
智史に呼ばれ、僕達は二人だけで学校から出ると近くの川原で腰を下ろした。
「俺さぁ」
「ん?」
「……辛いよ」
「…………」
「なんか……言葉も出ないな」
「なぁ、智史」
「ん?」
「俺、お前の今の辛さがどれくらいか分かってやれてるかな? お前がどんだけひたむきにラジオをやろうとしてたかも分かってる気がしてた。けど、今分からねえんだよ。最近いっつもそうなんだ。俺の言葉なんか単なる上っ面程度でしかなくてなにを言っても相手の……本当の辛さってのを分かってやれてるんだろうか、って思うんだ。所詮俺が言ってるのは俺の自己満足で、そんなの意味あんのかなって」
「……いいよ、それで」
「……そうなのかな」
「……俺は、お前は俺の事分かってくれてると思うよ。例えちょっとずれててもさ。そういうの大事なのは正解かどうかじゃないって。お前がさっき言ったひたむきなものがあれば、それは分かってあげてるって事だよ。皆一番求めてるのはきっとそのひたむきさで、それがあるから……初めて信じる事が出来る」
そう言うと顔を膝に埋めた。
その体が小さく震えている。
「だからさ……なんか言ってくれよ。里美になにも出来ないまま会えなくなって、ラジオだってやる前にどうしようもなくなってしまった俺に、なんか言ってくれよ、康弘」
なんて僕は情けない男なんだろう。
こんな今にも崩れ落ちそうな智史に、それでも救ってもらっている。
本当は今一番救って欲しいのは自分自身だと言うのに。
皆の前で出来る限り強がった智史が、僕に本心を打ち明けてくれた事。その信頼に今僕が応えなくてはいけない番なのに。
「智史」
「…………」
「よくやったよ。お前マジでここまで頑張ったよ。だからさ……少し、休もうぜ」
「……うん」
頬を涙が流れた。止まる様子がないそれを僕は構う事無く受け入れる。
二人揃ってバカみたいに泣いていればいい。
泣いて、涙と一緒に体の中から悲しみも流れてくれればいい。
「俺、実家に帰ろうと思うんだ」
「いつ?」
「今日にでも行こうと思ってたんだけど。なんかこのままお前ら置いて帰るの悪い気するんだけど、おかんと親父の事が心配でさ」
智史が顔を上げ、二人で煙草を吸って黄昏ている頃そう切り出した。
「そっか。県外だもんな」
「うん」
「帰ってくるんだろ?」
「いつになるかは分からないけどな」
「俺もそれがいいと思うよ。けど行くのは明日からにしたほうがいいんじゃないかな。今から準備して出てもどうせすぐ夜だ」
そう言われて少し悩んだものの「そうだな」と頷いておく事にした。僕としてもなんだかこのまますぐに行ってしまうのは薄情のような気がしていたのだ。
僕達は学校に戻ろうと立ち上がる。川原を出て、通学路に戻ると僕ら以外にも結構な人数の生徒で溢れていた。その手には大小それぞれのビニールの袋が握られている。
「あ、康弘と智史じゃん。智史久しぶりー」
振り返るとそこに皆と同じように遥が何人かの女子とビニール袋を提げて歩いていた。
皆一様に濃い化粧と派手な格好で一瞬気圧される。
「あんたらも買い物? ってなんも持ってないね。これから行くとこ?」
「買い物って買うんじゃないだろ。てか皆なに取りに行ってんだ?」
「はぁ? アンタなんも考えてないのね」
バカにするように言われるがもはや反論する気力もなかった。
むしろ今日は色々考えすぎてそれ以外の事に回す余裕もなかったのだ。
「飲み水とか。あと私はこれ」
遥が取り出した物を見て僕は「あぁ」と納得したように頷いた。確かに必要になるものだろう。
そうして歩きながら僕はふと彼女へと向き直った。
「そう言えば、お前原付持ってたよな」
「へ? 持ってるけどどうかした?」
「頼む! 貸してくれ! 数日!」
「え!? ……まぁ、使ってないからいいけど」
僕の勢いに飲まれたかのように思ったよりも簡単に了承を得た。
ポケットに入れてあった鍵を僕は受け取る。学校へと帰ってくると「あれね、私の」と駐輪場に置かれている原付を指差す。
僕は「ありがとな」と礼を告げる。後で今日中に一度ガソリンを満タンに入れておいたほうがいいだろうと計画を立てながら校舎へと戻る。
教室でじっとしていられないのか廊下は満員電車のように人の群れが出来上がり、その上で皆あちらこちらへと動こうとするので数歩進むだけでも困難だった。
それを乗り越えて教室へと戻り、僕はそこに麻奈と智史達の姿を見つける。スタジオにいた面々は全員帰ってきていた。
「智史」
「……あぁ、康弘か」
「いつ帰って来たんだ」
「さっきだよ」
「スタジオにいてもしょうがないじゃん」
晶が小さく漏らした。
「ラジオも出来なくなったしね。しょうがないから全部置いてきたよ」
智史が力なくうな垂れる。彼だけでなく全員が失望感に包まれていた。
「あんなに頑張ったのに」
真尋が膝に顔を埋めた。
全てが終わった。そうとしか言えないような皆の様子に僕はなにも言えない。
智史がラジオをやる事に決めた決意の重さ。それだけじゃない。晶だって出来もしないギターを頑張ってこなそうとしていたし、真尋だって智史だけじゃなく、全員の事を応援してたはずだ。原田も浦沢もだからこそあんなに熱心にやってくれていたと言うのに。
「……全部無駄だったね」
「そういう事言わないでよ」
重い浦沢の台詞に原田が嘆くようにそう言った。
それ以上、誰もなにも言えず沈黙が続き、それに耐えかねたかのように晶がボロボロと涙を流し始めた。
「ごめん……俺がもっと頑張ってギターもっと弾けるようになってたらラジオもっと早く出来たのに。本当ごめん。これなら最初から出来る奴探してさっさとやっときゃよかったよな。けど俺原田と浦沢が教えてくれてちょっとずつ上手くなるの分かって……嬉しくてさ。絶対弾けるようになろうって思ってたんだけど……ごめん、智史。俺のせいでラジオ出来なくなっちまって」
「いいって。お前のせいじゃないよ」
「けどさ……」
「いいんだって」
晶の肩を智史が叩く。
怒りなんてない。
だけどそこにあるのは諦め。
優しくも、なんともない、単なる慰み。
「俺も晶と一緒にやれたらいいと思ってたしさ。それにさ。こんなもんだよ、人生って。無理な事は無理なんだよ。中途半端なままで終わってしまう事なんて、珍しい事じゃない」
自分に言い聞かせるように、もう一度「こんなもんなんだよ、人生なんてさ」と噛み締めるようにそう告げる。
里美の事もそうだった。ラジオもそうなってしまった。しょうがない。
悪いのは誰のせいでもない。
俺のせいなんだ。
そう言っているように聞こえた。
「そんな暗い顔するなよ、康弘」
「……わり」
智史に呼ばれ、僕達は二人だけで学校から出ると近くの川原で腰を下ろした。
「俺さぁ」
「ん?」
「……辛いよ」
「…………」
「なんか……言葉も出ないな」
「なぁ、智史」
「ん?」
「俺、お前の今の辛さがどれくらいか分かってやれてるかな? お前がどんだけひたむきにラジオをやろうとしてたかも分かってる気がしてた。けど、今分からねえんだよ。最近いっつもそうなんだ。俺の言葉なんか単なる上っ面程度でしかなくてなにを言っても相手の……本当の辛さってのを分かってやれてるんだろうか、って思うんだ。所詮俺が言ってるのは俺の自己満足で、そんなの意味あんのかなって」
「……いいよ、それで」
「……そうなのかな」
「……俺は、お前は俺の事分かってくれてると思うよ。例えちょっとずれててもさ。そういうの大事なのは正解かどうかじゃないって。お前がさっき言ったひたむきなものがあれば、それは分かってあげてるって事だよ。皆一番求めてるのはきっとそのひたむきさで、それがあるから……初めて信じる事が出来る」
そう言うと顔を膝に埋めた。
その体が小さく震えている。
「だからさ……なんか言ってくれよ。里美になにも出来ないまま会えなくなって、ラジオだってやる前にどうしようもなくなってしまった俺に、なんか言ってくれよ、康弘」
なんて僕は情けない男なんだろう。
こんな今にも崩れ落ちそうな智史に、それでも救ってもらっている。
本当は今一番救って欲しいのは自分自身だと言うのに。
皆の前で出来る限り強がった智史が、僕に本心を打ち明けてくれた事。その信頼に今僕が応えなくてはいけない番なのに。
「智史」
「…………」
「よくやったよ。お前マジでここまで頑張ったよ。だからさ……少し、休もうぜ」
「……うん」
頬を涙が流れた。止まる様子がないそれを僕は構う事無く受け入れる。
二人揃ってバカみたいに泣いていればいい。
泣いて、涙と一緒に体の中から悲しみも流れてくれればいい。
「俺、実家に帰ろうと思うんだ」
「いつ?」
「今日にでも行こうと思ってたんだけど。なんかこのままお前ら置いて帰るの悪い気するんだけど、おかんと親父の事が心配でさ」
智史が顔を上げ、二人で煙草を吸って黄昏ている頃そう切り出した。
「そっか。県外だもんな」
「うん」
「帰ってくるんだろ?」
「いつになるかは分からないけどな」
「俺もそれがいいと思うよ。けど行くのは明日からにしたほうがいいんじゃないかな。今から準備して出てもどうせすぐ夜だ」
そう言われて少し悩んだものの「そうだな」と頷いておく事にした。僕としてもなんだかこのまますぐに行ってしまうのは薄情のような気がしていたのだ。
僕達は学校に戻ろうと立ち上がる。川原を出て、通学路に戻ると僕ら以外にも結構な人数の生徒で溢れていた。その手には大小それぞれのビニールの袋が握られている。
「あ、康弘と智史じゃん。智史久しぶりー」
振り返るとそこに皆と同じように遥が何人かの女子とビニール袋を提げて歩いていた。
皆一様に濃い化粧と派手な格好で一瞬気圧される。
「あんたらも買い物? ってなんも持ってないね。これから行くとこ?」
「買い物って買うんじゃないだろ。てか皆なに取りに行ってんだ?」
「はぁ? アンタなんも考えてないのね」
バカにするように言われるがもはや反論する気力もなかった。
むしろ今日は色々考えすぎてそれ以外の事に回す余裕もなかったのだ。
「飲み水とか。あと私はこれ」
遥が取り出した物を見て僕は「あぁ」と納得したように頷いた。確かに必要になるものだろう。
そうして歩きながら僕はふと彼女へと向き直った。
「そう言えば、お前原付持ってたよな」
「へ? 持ってるけどどうかした?」
「頼む! 貸してくれ! 数日!」
「え!? ……まぁ、使ってないからいいけど」
僕の勢いに飲まれたかのように思ったよりも簡単に了承を得た。
ポケットに入れてあった鍵を僕は受け取る。学校へと帰ってくると「あれね、私の」と駐輪場に置かれている原付を指差す。
僕は「ありがとな」と礼を告げる。後で今日中に一度ガソリンを満タンに入れておいたほうがいいだろうと計画を立てながら校舎へと戻る。
「もうすぐだな」
僕が時計を見てそう呟くのと同時に誰かが息を呑んだのが分かった。
なんとなく、皆が黙り込み、僕は腕時計のゆっくりと動く秒針に視線を向ける。
残り十秒。
心のどこかで、あのテレビはまだもしかすると冗談で日付が変わった瞬間「ドッキリでした」なんてそんな放送が流れるんじゃないだろうか。なんて思いもする。
五秒。
いや、そんな事はないか。残念ながらそんな笑えない冗談をわざわざこんな大掛かりにやる必要もない。
三秒。
二秒。
時計から視線を外し、僕は白い光を放つ蛍光灯を見やる。
一秒。
窓の外へと視線を移す。
今日が、終わる。
ガタン。そんな音がどこかでなったような気がするがそれはきっと錯覚だろう。
八月十五日が終わり、八月十六日へと日付が変わるのと同時に校舎中の明かりが全て落ちた。
「……うわ」
窓の光景に僕は思わず感嘆を漏らす。
それは一つの波のようだった。民家やマンション、そしてデパートから遠くに見える高速道路のイルミネーションのような明かりまで、全てがゆっくりと波が引いていくかのように消えていく。まるで全ての生命が静かにゆっくりと眠りにつこうとしているようだった。
「……消えちまったな」
全てが完全に消えたのを確認して僕は振り向く。
「倒すなよー」
「分かってるって」
そう茶化すような声に僕は苦笑をした。
目を凝らしてしまうような白い人工的な光とは違う、穏やかな無数の赤い灯りが教室の中にぽうっと浮かび上がっていた。
「なんかクリスマスみたいだな」
「はい。康弘君」
麻奈が僕に近付いてきて、両手に持たれていた蝋燭の一つを僕に差し出す。
受け皿のようなものの上に置かれた緑色のキャンドルを僕は受け取ると、それが甘い香りをしている事に気がつく。
「アロマキャンドルだよ。落ち着かせてくれる効果があるんだって」
「洒落たもん用意したなぁ」
「せめて気分だけでもよくなれたらなって思って」
「なるほどね。なぁ、麻奈」
「なに?」
「俺、明日からさ、実家に帰ろうと思うんだよ」
「え?」
「いきなりなんだけどさ」
「……いつ帰ってきてくれるの?」
「いやぁ、まだ分かんないな。でさ、いきなりなんだけどさ、よかったら麻奈一緒に来てくんないかな」
「……え?」
「だから、一緒に俺の地元に来ない?」
僕が時計を見てそう呟くのと同時に誰かが息を呑んだのが分かった。
なんとなく、皆が黙り込み、僕は腕時計のゆっくりと動く秒針に視線を向ける。
残り十秒。
心のどこかで、あのテレビはまだもしかすると冗談で日付が変わった瞬間「ドッキリでした」なんてそんな放送が流れるんじゃないだろうか。なんて思いもする。
五秒。
いや、そんな事はないか。残念ながらそんな笑えない冗談をわざわざこんな大掛かりにやる必要もない。
三秒。
二秒。
時計から視線を外し、僕は白い光を放つ蛍光灯を見やる。
一秒。
窓の外へと視線を移す。
今日が、終わる。
ガタン。そんな音がどこかでなったような気がするがそれはきっと錯覚だろう。
八月十五日が終わり、八月十六日へと日付が変わるのと同時に校舎中の明かりが全て落ちた。
「……うわ」
窓の光景に僕は思わず感嘆を漏らす。
それは一つの波のようだった。民家やマンション、そしてデパートから遠くに見える高速道路のイルミネーションのような明かりまで、全てがゆっくりと波が引いていくかのように消えていく。まるで全ての生命が静かにゆっくりと眠りにつこうとしているようだった。
「……消えちまったな」
全てが完全に消えたのを確認して僕は振り向く。
「倒すなよー」
「分かってるって」
そう茶化すような声に僕は苦笑をした。
目を凝らしてしまうような白い人工的な光とは違う、穏やかな無数の赤い灯りが教室の中にぽうっと浮かび上がっていた。
「なんかクリスマスみたいだな」
「はい。康弘君」
麻奈が僕に近付いてきて、両手に持たれていた蝋燭の一つを僕に差し出す。
受け皿のようなものの上に置かれた緑色のキャンドルを僕は受け取ると、それが甘い香りをしている事に気がつく。
「アロマキャンドルだよ。落ち着かせてくれる効果があるんだって」
「洒落たもん用意したなぁ」
「せめて気分だけでもよくなれたらなって思って」
「なるほどね。なぁ、麻奈」
「なに?」
「俺、明日からさ、実家に帰ろうと思うんだよ」
「え?」
「いきなりなんだけどさ」
「……いつ帰ってきてくれるの?」
「いやぁ、まだ分かんないな。でさ、いきなりなんだけどさ、よかったら麻奈一緒に来てくんないかな」
「……え?」
「だから、一緒に俺の地元に来ない?」