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第一話『可能性が摘まれた世界』

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 面真(ほおつきまこと)の一日は、体の上に置かれた障害物を排除することで始まる。
 今の季節は寒い。保温効果としてはこれ以上無いものと言える。が、それとこれとは話が別である。人様の部屋に侵入するばかりか、人様の安眠を妨害するなど、人の所業ではない。ならば。
 今さっきまで熟睡していた真は、今も気持ちよさそうに眠っている障害物を両手で無常にもベッドから落とした。続いて、床に激突した音と共に、カエルが潰れたような声が聞こえてくる。
 そんな声を聞きながら、どうせ起きないだろうと真はそれを放置しつつ、寝巻きから普段着へ着替えると部屋の外へ出た。
 賃貸マンションに住む真だが、それなりにこの部屋を気に入っている。一人で使うには少々広いリビングに、キッチン。加えて和室一部屋に洋室二部屋、トイレと風呂はもちろん別々で。
 そう、一人で使うには少々広い。そして、家賃も高い。そんなものだから、この部屋には真とは別に、もう一人住人が居る。それを鬱陶しいと思うこともあるが、一人で居る寂しさに比べれば許せる範囲内のこと。
 真はそんなことを思いながら、珈琲メーカーの電源を入れて、リビングの中央にあるテーブルに着く。そこで、先程から感じていた事を呟いた。
「寒い」
 寒かった。優雅に動いていたかに見えて、実は非常に寒かった。とんでもなく寒かった。真はゆっくりとリビングを見回し、窓の設けられた場所で動きを止める。ああ、なるほど。外では雪が降っていた。寒いわけだと真は一人納得すると、椅子から立ち上がり、やや早足で自室へ向かう。……許せる範囲内ではなかったのだ。
 自室では、障害物がたくましいことに、真の掛け布団をベッドから剥ぎ取るばかりか、それを自分の体に巻き付けていた。所詮はいつも通りの光景なのだが、真は先程見た惨状を思い出し、布団に包まる障害物に近寄ると、何の躊躇も無くそれを蹴り上げた。
「ひぎぃ!」
「ひぎぃじゃねえだろノータリンの乳足りん。あれほど毎日窓は開けっ放しにするなって言ってあるだろう。凄く寒いぞ」
 障害物がもぞもぞと布団の中で動くと、真っ白な布団とは逆に、真っ黒な短い髪、それだけが気だるそうに姿を見せる。
「寝ている乙女の腹を蹴るばかりか、ノータリンだなんてどういうことなの」
「今自分に都合の悪い所だけスルーしただろ」
「……めん君はこれで僕に対して計九十九回乳足りんと言った。あと一回言ったら百回記念式典を開催するよ」
「うるせえさっさと起きろ乳足りん。チンコ付けて男にするぞこの野郎」
 二人は一通り殴り合うと、リビングへ移動した。
「うわあ、寒い」
「伝子君、何故“俺の部屋”に戻ろうとする。お前は先ず一言、俺に言わなければならない事があるはずだ」
「おやすみ」
 伝子――御浜伝子――は、そのままふらふらと手を振りながら、真の部屋へ戻ろうとした。が、真がそれを許すはずも無く、むんずと首根っこを掴まれた伝子は、ずるずるとその惨状の前まで引きずられた。
「ジャージが伸びるじゃないのさ。それと寒い。めん君には謝罪を要求する」
「要求したいのは俺のほうだ、目の前を見ろ目の前を」
 真は腕を組みながら、顎で目の前を指す。伝子はつられて目の前を見ると、しみじみと一言呟く。
「いい景色だね」
「違う」
「雪が降ってる」
「見れば分かる」
「割と吹雪いてる」
「論点はそこじゃない」
「雪と言えば?」
「雪だるまだな」
「雪だるまと言えば?」
「俺は今お前を無性に雪だるまにしてやりたい」
「ごめんちゃい」
 真は笑顔を浮かべると、開いたままになっている窓の一角、その傍で当然のように積もっている雪に伝子の顔を突っ込ませた。声にならない悲鳴が聞こえた気がしたが、真は構わず力の限り押し付ける。
 そして何十秒か。さすがに気の毒になってきた真は手の力を緩める。すると、バネ仕掛けのような動きで、伝子の上半身が跳ねた。続いて、真っ赤になった伝子の顔が真のすぐ傍まで寄ってくる。
「死ぬかと思った。めん君はやはり血も涙も無い冷たいやつだ」
「どうでもいいから早く掃除しておけ。掃除しないと朝飯は抜きだ」
「死ぬ気で掃除させてもらいます」
 即答した伝子に気分を良くした真は、素直に朝食を作ることにした。



 ……トントントン。リビングに家庭的な音が響く。
 真は無愛想な男だ。髪は長くなったら自分で適当に切っているため野暮ったく、顔は三白眼が効いて強面であり、極めつけは性格がきつい。しかし、真は料理が上手であった。
 トントントン。軽快なリズムでほうれん草を切り終わると、真は事前に準備しておいたフライパンにバターを入れ、コンロの火を点ける。じゅうじゅうとバターが溶けるにつれ、部屋にバター特有の食欲を刺激する匂いが漂い始める。そこに、真は素早くほうれん草を入れると、菜箸で掻き混ぜる。フライパンから溢れるように入れられたほうれん草が、あっという間に縮み、相応の見た目となった。
「めん君ー、まだー、お腹空いたー」
「うるさい。雪でも食ってろ乳足りん」
「そう、そうだよ! 僕には乳が足りない! だから早くそのバターっぽい匂いがするものを! 早く!」
 なんて騒がしいヤツなんだ。真は心の中でうんざりしながら、仕上げに岩塩を少々と胡椒一つまみをフライパンに入れ、コンロの火を消す。
 そのまま流れるように食器を準備して、テーブルの上にそれらが並び終わる頃、甲高い音と共にトースターからパンが飛び出した。
「いただもぐもぐ」
「おい、ちゃんと言えよ、おい」
「もぐもぐ」
 寝起きの一悶着からようやくの朝食。マナーのマの字も知らないと言わんばかりに、目の前で朝食をかっ込む伝子を見て、真は溜め息を一つ漏らす。なんてお気楽な。それが時に羨ましいと思うこともあるが、この光景を見ているとそれが気の迷いだったのだと思い知らせてくれる。
 柔らかい口当たり。ほうれん草のバター炒めを口に運んで咀嚼し終わると、市販の物よりも苦味の強い、自家製のマーマレードが塗ってある食パンを一口かじる。やはり自分で作った物はうまい。真はじみじみ思うと、物凄い勢いで朝食を口に入れる伝子を見て、げんなりとしたものを感じてしまう。もう少し味わって食べて欲しいのだが、コイツに“ゆっくりしろ”と言うこと自体が無理難題なのだ。そう自分に言い聞かせ、真は朝食に集中することにした。
「もぐもぐでした」
「おい、ちゃんと言えよ、おい」
 イライラと文句を言う真を他所に、伝子はじっと自分の胸元を見て、一言。
「胸が大きくなった気がする」
「ありえないな。何故なら、まだ俺の内蔵式スカウターが未だにお前を女だと認めていない」
 ガッシ、ボカッ。
 二人は一通り殴り合うと、並んで食器を洗い始めた。
「そういえばめん君、昨日野良猫から聞いたんだけどさ、またここらで人殺しがあったみたいだよ」
 カチャカチャ。食器同士がぶつかり合う音をバックに、伝子が唐突にそんなことを言い出した。爽やかな朝に似つかわしくない言葉が真の耳を通り過ぎる。だが、真は特に表情を変えることも無く、食器に集中しながら応える。
「人殺しなんて毎日起こってるだろう。そんなどうでもいい話を聞くために、お前は窓を開けっ放しにしていたのか」
「いや、どうでもよくないし。僕が思うに、これはまたメテメテしい奴の仕業と思うんだよね」
 メテメテしい。伝子の造語はどうでもいいとして、と。真は少し考える。つい一週間程前、真は一人のメテオ・チルドレンを殺したことを思い出していた。例に漏れず変人臭い、手に負えないバカ面だったと記憶している。話に聞けば連続殺人犯、死んで当然と言えた。……さて、どう見るか。
 真はいつの間にか手を止めて、深く考えていた。“奴等”が早々目立つことをするだろうか、と。世の中だってバカだけ生きているわけじゃあない。短期間に不可解な殺人事件が立て続けに起これば、真っ先に疑われるのは“奴等”だ、そんな危険を冒すとは思えない。
 そこまで考えたとき、真の顔に突然水飛沫がかかった。真はゆっくりと右隣に立つ伝子を見る。そこには、してやったりと言わんばかりの表情を浮かべた伝子の顔。……やれやれ、本当にガキだな、と。真は一人心の中で苦笑しながら、目にも留まらぬ速さで手に持っていた食器、そこに溜まっていた水を伝子にぶちまけた。
「冷たいじゃないのさ」
「お前は報復という言葉を思い知るべきだ」
「……ガキだね、めん君」
 そのまま台所の床が水浸しになったのは言うまでも無く。
 食器を洗い終わった二人は、ゆったりとした空気を感じながら、リビングに置かれたソファーで並ぶように座っていた。流れでソファーに座ったはいいが、強烈な眠気が二人を襲う。これではいけない、せっかくの休日を惰眠などという究極的な無駄行為に使うわけにはいかない。真は自分の体に鞭打つように、眠らないようにと口を開いた。
「伝子、さっきの話だが、メテメテ……いや、メテオ・チルドレンが絡んでいると思ったのはなんでだ?」
 真は喋りながら伝子を見て、閉口した。もう寝ている。俺よりも起きるのが遅いばかりか、俺よりも寝るのが早いだなんて。真はその事実が無性に許せなくなり、おもむろに傍に置いてあったクッションを手に取ると、それを伝子の顔に思いっきり押し付けた。
 ……十秒。動きが無い。……二十秒。もぞもぞと動き始めた。……三十秒。暴れ始めた。……四十秒。何やら喚いているが、クッションが持つ予想以上の防音効果により、何を言っているのか聞き取れない。真は一人クッションの防音効果に感心すると、伝子の顔からクッションを離した。
「僕はその内めん君に殺される気がする」
 本日何度目かの真っ赤な顔を見せながら、唐突にそんなことを言い出す伝子に向かって真は微笑みながら応える。
「悔しかったらお前の胸で俺を窒息死させてみろ。まあ、百年経っても無理だろうがな」
「……その前に僕がめん君をブチ殺す」
「殺人予告か。めん君とやらには合掌だな。……なんだ、その目は。俺の名前はほおつきだぞ」
 ぽすぽすぽす。真は伝子の非力なパンチをクッションで的確に受け止めながら、はたと、何故こんな不毛なことになっているのかを思い出した。
「待て、伝子。そんなことよりも聞きたいことがある」
「そんなことって、そんなことって。僕の胸はそんなことどころの話じゃあないんだよ!」
「そうだな、そもそも無いもんな。それで聞きたいことが」
 ぽすぽす。いい加減うんざりしてきた真は、少しお灸を据えてやろうと、一つ思いついた。対象は自身の右手でいい、ほんの少し、冷たくするだけ。真は自分の右手に意識を集中させる。
 ぽす。伝子のパンチが来た瞬間、真は左手でそのパンチした腕を掴むと、ぐいと引き寄せる。必然的に伝子の体は真の胸の内に収まるような形になる。……伝子の顔が、瞬時に赤くなった。何を勘違いしているんだ、コイツは、と。真はおもむろに右手を伝子の背中、ジャージの中に突っ込んだ。
「ひゃあっ」
「お前が色っぽい声を出すな。気味が悪い。……体が冷えて落ち着いただろう、そろそろ聞きたいことをほぶっ!」
 速い。クッションで防御する間もなく、真の顔に一つの拳がめり込んでいた。
「――でね、そのホトケさんは見たまま文字通り、ぺちゃんこになってたらしいんだよね」
「なるふぉどな」
 真は膨れ上がった自身の右頬を撫でながら、伝子の話に耳を傾けていた。
 その死体は、あまりにも現実離れした“結果”として、そこに残されていたという。その死体はアスファルトにめり込み潰れ、紙のように薄くなっていたという話。ギャグ漫画のような光景が真の頭に浮かぶ。
「しかしだな、その野良猫の話は信用できるのか。そもそも畜生共と俺達とじゃあ、見えてるものが違う」
「畜生ってなんだい! 猫はめん君が思っている以上に賢いんだぞ!」
 本当にすぐ顔が赤くなる奴だ。と、真はくどくどと猫の素晴らしさについて語り始めた伝子を適当にあしらう。
「まあ、話はわかった。事と次第によっては、俺達の休日は返上だ」
「ええ……言わなきゃよかった……」
 横で立ち上がる真を見て、伝子は溜め息をつく。メテオ・チルドレンが関わると、真はいつもこうだ。こういう時の真は、あまり好きじゃない。そんなことを思いながら、伝子はソファーに寝転がることで、“出かけたくありません”アピールを真に見せ付ける。
 が、真はそんな伝子に目もくれず、いそいそと外出の準備をし始めた。
 なんで無視するの。伝子は今すぐにでも立ち上がって殴りかかりに行きたい衝動を抑えながら、コートを羽織る真を見て、我慢する。特に理由があるわけじゃあない。ただこのアピールを始めてしまった手前、簡単に動きたくなくなっただけだった。
 けれども真は出かける準備を止めることなく、気付けば、伝子の目の前には準備を終えた真が立っていた。
 真はわざとらしく周りをきょろきょろと見渡し、真下に居る伝子の位置で視線を止め、一言。
「おお、そこに居たのか、伝子。板が落ちているかと思ったぞ」
「ブチ殺すぞ!」
 ガッシ、ボカッ。
 二人は一通り殴り合うと、部屋を後にした。



第一話『可能性が摘まれた世界』



 雪が降っていた。しんしんと、緩やかに。
 積もる様子は無いけれど、冬の真っ只中に居るという気分は十二分に味合わせてくれるだろう天気。そんな中で、真と伝子は白い息を吐きながら、街の中を歩いていた。寄り添うようにして歩いている姿は恋人か、はたまた兄弟か。端から見ればどう見えるのか。少なくとも、二人にとってそれは気にするべきことではないようで。
「で、そのホトケさんがあったという場所はどこなんだ?」
 真は周りの景色を適当に視界に入れながら、伝子に話しかける。
「確かYAMASHITAの近くだったと思う」
 答えながら、伝子はピンクの手袋をつけた両手を顔の正面に持ってくると、ゆっくりと息を吐き続ける。20歳という歳で動物の絵がプリントされたピンクの手袋を着けるそのセンスは如何なものか、そう口にしないのは真のほんの少し残された優しさである。
「YAMASHITAと言うと、カレー屋か」
「そう、その店の近くの路地裏にあったらしいよ」
 真はカレーのYAMASHITAについて記憶を掘り起こす。何度か仕事の帰り道に寄ったことがあるが、一度頼んでみたカレーアイスは非常に不味かったことを思い出す。あれは二度の食べたくない味だ、と真は舌に嫌な味が広がるのを感じると、思い出すことを止めた。
 会話が途切れる。大通りを歩く真は、正面、遠くの開けた場所に目をやる。――復興はまだまだかかりそうだ。倒れたままになっている高層ビルを見て、真は三年前を思い出す。
 三年前。それは突然起こった。
 深夜に差し掛かる時間帯、突如、この街に隕石が飛来した。その規模は北海道旭川隕石に匹敵するとも言われ、死者は二千人以上にも上った。当時のマスメディアは、その北海道旭川隕石との関連性について騒いでいたと記憶している。
 そう、またも、隕石は飛来したと思われる場所には無かった。街を蹂躙し、人を殺し、やるだけやって当の隕石は見つからない。正に不可思議。十八年前と同じく恐怖を植えつけた隕石の傷跡は、まだこの街に残っている。
「それにしても久しぶりの休日なんだしさ、もっと楽しいことしようよ、楽しいこと。生憎の天気だけど、せめて映画に行くとかさあ」
 と、伝子が話しかけてきたことにより、真の思考が途切れる。見れば、周りの景色は復興の遅れている地域を抜け、逆に真新しくなった町並みへと変化していた。
 じっと見つめる伝子に対し、真は特に反対する理由が見つからないことに気付く。そう、真は趣味というものを持たないが、強いて言えば、映画が好きなのだ。問題の路地裏を見て、特に何も無ければ行ってもいいかもしれない。そう思った時、不意に真が着ているコートの内側が振動した。
 真はゆっくりとコートの内側に手を入れて、振動の元、携帯電話を取り出す。……ああ、これが鳴る理由は一つしかない。
「もしもし」
<おや、まさか一発で出るとは。面さん、珍しいこともあるものですね>
 今になっては聞きなれた、癖のある太い声が鼓膜を震わせる。……ああ、このオッサン、本当に鬱陶しい声をしている。真はうんざりしながらも、あるのだろう用件を聞くため、黙ったまま耳を傾ける。
<わかっているかと思いますが、いやはや、立て続けで申し訳ありませんが、メテオ・チルドレンですよ>
「わかってると思うのならさっさと本題に入れ」
<冷たいですね、凍らす能力だけに。……ブフォッ>
 ……どうしてくれようか。どこが面白いのか全く理解できない真は、うんざりした気分が段々と苛々した気持ちに変わってきているのを感じていた。
<失敬。本題を言いますと、私の“予測”により、件のメテオ・チルドレンが本日深夜二十三時に、カレーのYAMASHITA付近の路地裏に現れることが確認されたんですよ。アンチ・メテオとしては、殺人を犯したチルドレンは排除したいのです。無論、選択権はありますがね?>
「どうせ俺が断らないことくらい、わかっているだろう。……その仕事、引き受けた」
<僥倖僥倖。では、よい休日を>
 ぷつっ、と。通話が切れ、真は携帯電話をコートの内ポケットにしまう。……何が“よい休日を”、だ。あからさまな皮肉過ぎて怒る気も失せる。真は一連の会話で僅かな苛立ちを感じていると、そこで真のコートがぐいぐいと引っ張られた。目を向ければ、ああ、存在を忘れ去っていた伝子が、真を見つめていた。その表情は喋らなくても分かってしまうくらい、“遊びたい”と訴えかけていた。
 なんとも面倒。真はそう思いながらも、やれやれと首を振りながら口を開く。
「聞いていたと思うが、仕事だ。あのオッサンよりも早くメテオ・チルドレンに気付くとは、野良猫恐るべしだな」
「そうじゃなくて! なに、やっぱり休日返上なの? 今日なの? なんで?」
「俺に言われても困る。恨むなら暴れまわっている隕石野郎にしておけ」
 伝子は真の言葉を聞くと、「むう」と唸るもそれっきり黙ってしまった。真も別に伝子をいじめたくて仕事をしているわけではない。いじめる方は普段の生活の中で済ませている。真には真なりの“理由”があり、また、伝子にも真に懐く“理由”がある。ただ、それだけのことだった。
 二人はどちらが喋り始めるか、そのタイミングを見失ったまま、当ても無く街を歩き回る。見れば世間は気の早いクリスマス模様を見せており、街路樹に取り付けられた電飾やデパートの店頭に置かれた等身大のサンタ人形が、今が冬なのだと主張してくる。
 そういえば、三年前も街はこんな空気に包まれていた。真はちらちらと降る雪を額に感じながら、昔に思いを馳せる。
 隕石が落ちてきて、伝子と出会ったのも、そう、こんな時期だった。“今こうしている理由”が同じ頃に在ったような気がしたけれど、真はそこで思考を止める。ノスタルジックがノイズによって掻き消された。
<めん君、メテメテしいのが後ろに付いてきてる>
(ほう)
 真の頭に響く声は、今も隣で歩いている伝子の声だった。――俗に言うテレパシー、ESP、超感覚知覚。そんな言葉を思い出しながら、真は自然な素振りを装い立ち止まると、靴紐を結ぶフリをする。その、屈み込む動作の一瞬、後ろを見る。
 その瞬間だけ、立ち止まった人間を三人見つけた真は、すぐさまその三人の顔を思い浮かべた。
(サングラスをかけた茶髪のドレッド男。黒縁メガネをかけたスーツ姿の若い男。女物特有の線の細いメガネをかけた学生女。どいつだ)
<ちょ、ちょっと待って、情報量が多すぎるから、ちょっと待って>
 お前は旧式のパソコンか。そう言いたくなる気持ちを抑えて、真は靴紐を結ぶフリを続ける。
<あのね、意識してると聞こえるんだからね、それ。旧式のパソコンに頼ってる自分が情けないと思って欲しいよ。……あ、わかった>
(早く言え)
<メガネをかけてる人だよ!>
 真は靴紐を結び終わったフリをすると、無心で伝子の足をつねった。
「ひぎぃ!」
(公衆の面前でなんて声を出しているんだお前は。ミスターナッシング羞恥心めが)
<ミスターじゃないし! そもそもつねったことを棚に上げてよくも――あ、わかった。サラリーマンっぽい人だよ。今、携帯で話すフリしながら、僕達の様子を見てる>
 まるで化かし合いだな。真は心の内で苦笑すると、行き先を思い浮かべながら歩き始める。……真は思う。今に限ったことではなく、この、まるで誰かに仕組まれているような進み方が気に食わない、と。
 真は、YAMASHITA付近にあるという路地裏に向かっていた。





 男は、ただただ憤慨していた。せっかくの休日だと言うのにスーツを着て、こんな生ゴミの臭いが鼻に付く場所に来なければならないことに対し。
 そこで、男は立ち止まる。“二人”を尾行している内に、どうやら知っている場所に来てしまったようだった。そう、生ゴミの臭い。男はつい先日、この臭いに悩まされたばかりだった。正に、この場所で。その時の事を思い出し、男の口元が自然と釣り上がる。
 ああ、そうだった、この場所は間違いなく。男は高ぶるものを感じながら、一歩一歩を踏みしめる。
 季節も季節、陽はとうに落ち切り。路地裏と言う場所に残った光は、境界線となる端と端から滲む街の光のみ。生憎の天気で月も無く、しかし、そんな暗闇において男は確固たる自信を持って歩を進める。
 忘れるはずも無かった。
 あの憎き上司、会社に入社したばかりの頃から自分に限って強く罵倒し、酷い時は手まで出してきて。つい先日まで、それに耐えてきた。耐えてきたのだ。男は未だ根深い怒りを抑え、硬直した体を弛緩させる。
 思い出したのは、あの夜のカタルシス。積もりに積もり、溜まりに溜まった怒りと憎しみ全てが、あの日に放出された。時間にして刹那、その一瞬に置いて、男は絶頂にも似た快感を覚えた。そして、その余興はまだ頭の中で胎動するように残っている。――この場所で、殺した。一瞬で殺した時の快感が、まだ頭に残っているのだ。まるで虫を潰すように、地面にめり込んだメタボリック症候群を見た時は、涙が出るほど笑ったものだ。
 だから、男は今回の“仕事”を承諾した。あの感覚をまた味わえるのだと信じて。
「うげろげろー。めん君、やっぱ帰ろうよ。アイツちょっとイッちゃってるよ」
 男は声が聞こえてきた方向をゆっくりと見る。そこで、ここに来た目的を思い出した。陶酔している場合ではない。仕事なのだ。
「おい、ナチュラルに声を出すな。気付かれただろうが」
「だってー!」
「黙れノータリンの乳足りん。いいから後ろに居ろ、凍えたくなかったらな」
 まるで緊張感の欠片も無い二人を前に、男は冷静に目の前の二人を分析する。男の方は纏っている空気からしてメテオ・チルドレンで間違いないだろう。少なからず自分にある狂気に似た空気を男は真から感じていた。それに対し、男は伝子を見て困惑していた。この女からは、同じものを感じない。何故、普通の女がここに居るのか。
 男はしばらく考えたが、それを止める。今から殺すモノの観察をして、何の意味があるのか。
「おいお前、爽やかな顔にしてはえげつない事をやったそうじゃないか。それに対して何か思うところはあるか」
「……一体何の話です? というか、貴方達は誰ですか? 通りかかっただけなのですが」
 しらっと、男は真顔で嘘を吐いた。そう、嘘。伝子は瞬時にその言葉が嘘だと分かると、真に真実を伝える。男からは、一切の曇り無く、殺意しかないことを。
「なるほどなるほど。……“最後”に聞くぞ。お前、人を殺した時、どう思ったんだ?」
 真の言葉、“人を殺した”という部分で、男の体が硬直する。……ありえない、知られるわけがない、目撃者など彼等以外にありえるはずがない。そう、ありえない、不可思議たる言葉。それは即ち、目の前に立つ彼が“不可思議”だということに他ならない。
 動揺を悟られないよう冷静を保つ男。黙っている真を前にして、男は静かに呼吸を繰り返しながら、メガネの位置を直す。……この相手に対し、隠すことは無意味、男はそう結論に到った。そうだ、“殺せ”と言われたからには、その対象にはそれなりの理由があるのだろう。心を読むだなんて、人間社会における秩序を乱しかねない。そうだ、“殺さなければならない”のだ。
 そこから、男の顔には今まで抑えていた物が溢れるように、一見無害に見えた顔に醜悪な笑みを広げた。
「快感、でしたよ。なんせ長年の憎しみがこもった相手でしたからね」
「そうか」
 真は男から発せられた悦び混じりの声に対して淡白に応えると、一人、白い息を吐き出す。……ああ、寒い。心まで凍えてしまいそうだ、と。頭、その芯から冷えてゆくような感覚が広がっていく。真は既に、目の前に立つ男を人間として捉えてはいなかった。
「それで、心が読めると言うことは私がここに居る理由もわかっているのでしょう? だんまりですか? ここに来て、まさか、恐怖しているなんてことはないですよね? ふふふ」
 黙ったままの真に対し、自分を隠す必要が無くなった男は、何が嬉しいのか、嬉々とした口調で喋り続けていた。と、そこで男は連なる自身の声を止める。男は今になって気付いたのだ。周囲の気温が、異様な程まで下がっていることに。
 事実、男は今、自分の体が震えていることに気付いた。
「な、何が起こって――」
「今日は冷えるからな。そりゃあ体も震えるだろう。だがまあ、心配しなくてもいいぞ。さっき言っただろう、“最後”だってな。お前はもう喋らなくていい」
 真は後ろを振り返り伝子が十分に離れていることを確認すると、再度、男に視線を戻す。
 ……やはりメテオ・チルドレンなんてものは、存在してはいけないのだ。真はただそれだけを考え、瞼を閉じ、意識を集中する。そう、イメージする。自分の周囲に広がる現実を食い潰すイメージ。この限られた範囲の中だけは、現実に起こり得ない事を起こすことが出来る。そんなイメージ。
 真のイメージが強くなるにつれ、現実に変化が起きていた。せいぜい十℃程度だった気温は氷点下に落ち込み、水溜りは瞬時に凍りつき、周囲の壁には白い霜が降りる。
 そんな中で、真は先程よりもさらに濃くなった白い息を吐き出すと、目を開く。
「お前は楽に殺さない。人殺しってのは絶対的な悪なんだよ。それを理解するまで、俺はお前を苦しませる」
 と、そこで真の脳にノイズが走る。
<メリー苦しみます?>
(おい。不謹慎だろ。お前の胸くらい不謹慎だ)
<おい>
 飽くまで無表情で。しかし頭の中では伝子と言い争う真。対し、それに対峙している男の表情には、明らかな恐怖が広がり始めていた。





次回:第二話『アンチメテオ』
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