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オレンジの光の中で

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「私ね、桜ちゃんのことが好きなんだー」
 あたしは寝ていた。ウソです。目がちょうど覚めたところでした。でも、起きて早々そんな言葉が頭上から降ってくれば寝てるフリをするしかない。
 それからしばらく経ってから、あたしは何気ない風を装って頭を上げた。
 目の前には、一番の友人の顔。夕陽の差す教室はあたしたち二人きりで、あたしはまともに彼女の顔を見れないのをごまかすために、ぐるりと視線を巡らせた。
「みんなは?」
 編んだ髪を左の肩口から垂らした友人――堀川牡丹は、さっき自分が口にしたことなど忘れてしまったようにいつも通りの穏やかな笑みを浮かべて答える。
「二十分くらい前かな? みんな帰っちゃったよ。授業も全部終わったし」
「え、あたしなんで取り残されてるの?」
 疑問とともに無意識に目を合わせて、失敗したと思った。
 顔が熱い。赤くなっているのを自覚する。
 こんなのおかしい。告白みたいなことを口にしたのは牡丹なのに、これじゃああたしの方が意識してるみたいじゃないか。
「そんなの、桜ちゃんが爆睡してたからでしょうに」
 困った顔の牡丹を見て思い出した。五時間目の数学。あの声がボソボソと小さくて、聞きとりづらくて、話が回りくどいことで有名な《夢見させ屋(ドリーム・ナビゲーター)》高木の授業だ。
 どうしてもノートをとる気になれなくて、バッタリと机に倒れ込んで……。そこから先の記憶がない。
「……いや、でもみんな薄情だよ! 起こしてくれたって良かったのに!」
「起こしたよ?」
 何を当然のことを、とばかりに牡丹が言う。
「え?」
 出鼻をくじかれたあたしは裏返った声を上げてしまった。
「ホームルームの時に先生が。なのに、桜ちゃんぜーんぜん起きなかったし、その後周りで掃除しててもピクリともしなかったんだよ? さすがに、それを起こせって言うのは酷だと思うな」
 困ったような笑顔の牡丹。
 牡丹は、いつも笑っている。泣いているところや悲しんでるところなんて、中学校に入ってからずっと一緒にいる私だって見たことがない気がする。
 いつも落ち着いてて、ゆったりした空気をまとっている。そばにいるだけで安らげるような、あたしの一番の友達。
 そんな彼女が、あたしを好きだという。
「……すいませんでした」
 がっくりと、再び机に突っ伏すあたしの頭の上に、牡丹の手が置かれる。
「まあまあ、私が残ってたんだしいいじゃない」
「……うん」
 ゆっくりと髪をすいていく指が心地いい。
 もう九月も終わりだというのに、最近は暖かい日が続いている。高木の喋りのせいもあったけれど、この陽気では誰だって季節はずれの春眠に耽りたくなるものだと思う。
「地球温暖化サマサマだねー」
 私の心を読んだような言葉に、心の中だけで同意した。
「あー、なんかまた眠くなってきたなー」
「こーら、そんなこと言ってたらダメだよ。あんまり遅くなると、見回りの先生だって来ちゃうよ?」
 そんなことを口では言いつつ、牡丹はあたしの頭を撫でる手を止めない。その手があたしを眠りに引き込もうとする一番の要因なのに、まるで自覚がないんだから。
「うーん、もうちょっと」
 その手を、もっと味わっていたいということもあって、ごねる子供のように組んだ腕の中で顔をぐりぐりと動かす。
 けれど次の彼女の一言は、あたしの眠気なんてどこかへぶっとばしてしまうほどに衝撃的だった。
「二人っきりなのに寝てたりしたら、私、桜ちゃんの唇奪っちゃおうかなー」
 ささやく声に、ドキリとした。
 いつもならこんなの、簡単に冗談にしてしまえるのに。どう返していいのかすら迷ってしまう。
 どうしよう……っていうか、何であたしはこんなに意識してるんだろう。顔が熱い。頭がぼーっとして考えがまとまらない。
 今更に気付いた。あたしが寝てる時に牡丹が言ってたのは『そういう意味』じゃなかったのかもってこと。だとしたら、いきなり先走って意識しまくってるあたしって……。
「桜ちゃん?」
 あたしがずっと黙っていたからだろう。頭の上から声がかかる。反射的に目をつぶってしまう。
 たとえば、たとえばの話だ。あたしがこのまま寝たフリを続けていたら、牡丹はどうするのだろう。本当に……その、アレだ……を、するだろうか。
「さーくーらーちゃん?」
 横から顔をのぞきこまれている気配がした。牡丹の細い息遣いが聞こえる。
 ぎゅっと目を瞑っていると、不意に口元に何かが触れた。
「……ッ!」
 ものすごい勢いで目を開いてしまうあたし。
 目の前すぐ近くには、上気して目を閉じた牡丹の顔が……なんてことはなく、「引っかかった」と言わんばかりの自慢げな笑みを浮かべた牡丹と、あたしの唇に触れたすらっとした人差し指。
 あたしが驚きの声を上げるのを遮るように、唇の前に添えられていた。
 目が合って、何も言えない。そりゃあそうだ。寝てるフリをしていたのなんてバレバレで、なんでそんなことをしていたかなんて――
「して、欲しかった?」
 それしかないんだから。
「え……いや、あ、うー……」
 ここまでしておいて今さら隠してもしょうがないのに、あたしはまだ踏ん切りがつかない。
 でも、仕方ないじゃないか。恋愛ってのは、そう簡単に割り切れるものじゃないのだ。それが同性ともなれば尚更なのだ。自分で恋愛とか言って恥ずかしくなってきた。そんなこと、口に出せるわけがない。
「じゃあ、桜ちゃん」
 でも、それでも牡丹は一歩を踏みこんできた。
 いつもと同じような笑顔で、でも、あたしの顎をすくいあげるように持ち上げた指は、少し震えていて。
「目……閉じて?」
 一押しが欲しかった。あたしにも牡丹にも。
 あたしにはこの気持ちを認めるきっかけが、牡丹には気持ちを受け入れてもらえる確証が。
 だからその時、低くなった太陽から強いオレンジ色の光が射しこんできたことに、あたしは素直に感謝した。
 ぎゅっと目を閉じる。そっと何かが唇に触れる。今度はそれが何かなんて、確認するまでもない。
 眩すぎる光の中で二つの影が重なる光景は、傍から見ていたらとても素敵なものに違いなくて、あたしはそれを絵にでもして残しておけたらと思わずにはいられなかった。
 恥ずかしくて、口には出せないけれど。
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