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3・終わらない

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僕達は取りあえず、キャロルのいた部屋をでて、左側に向かって進むことにした。この道が正解という確証はなかったが、この状況で、時間をかけて考え込むわけにもいかない。廊下ではお互いに無言でいた。
 途中、いくつもの部屋を見つけたが、中には誰もいなかった。女も、女の仲間も、被害者も。湿気た空気が存在するだけだった。
 いったいどの位歩いたのだろう、コツンコツンと不気味に響く足音が気にならなくなってきたころのことだった。
 突然キャロルが口を開いた。
「ねえ、マルコ。何か、違和感を感じない?」
「違和感って何ですか」
 何かと問うたものの、僕も違和感を感じていた。だがそれが何かといわれるとはっきりとはわからないというのが本音だ。
 何かむず痒いものが、のどもとで出掛かっている、しかし出てこない。気持ち悪い。
「あんた、『魔術師と灰』をどこまで読んだの?」
「一応、全部。といっても、途中で山本黄世が亡くなったので」
 違和感との関連を感じられないが、答える。
「そう。自殺したのよね。じゃあこれ、知ってる? 山本の自殺の理由って、奥さんの変死からって」
 初耳だった。そんな事があったなんて。調べれば、わりと簡単にわかるのかもしれないが。
「奥さん、名前何ていったけな。忘れたけど、頭部が丸ごと無くなっていたらしいよ」
「それは、首切り殺人の様な……? 確かに変死ですね」
「そうじゃないの。変なのはここから。何とね、奥さんには首から上がなかったのにも関わらず、現場に血の痕は全く無かったの。普通首切りならば、大量の出血があるでしょ?
けれどもそれがない。しかも首の切り口はカサカサに壊死していたんだってさ」
「壊死。おかしいですよ。そんな事が・・・・・・」
「静かに、だから、変死」
 声を荒げかけた僕をキャロルは短く制した。
「まあ、そんな無残な妻の姿を見てしまった愛妻家の山本はしばらくして首をつって自殺。ああ、あの時、ショックだったなあ。あんないい所で未完なんてウソってもんよ」
 彼女はどこか演技がかった様子で言うが、それはショックを受けた自分の心を隠そうとするための本当の意味での演技に見えた。
「それが、違和感と何の関係があるんですか」
 一人愚痴を呟いていたキャロルに僕は言った。僕も気持ちは同じだが、話が脱線しているような気がする。
「うん。『魔術師と灰』の六巻の最後でマルコとキャロルは古びた塔の中で魔王の追手と戦って、そんで、勝った所で終わってたわよね」
「はい」
「ううむ。それがね、ねえ、マルコ。私達が今いるここ。第六巻の塔の描写と、同じじゃない?」
 ゴクリ。
眼が覚めた気分になった。のどもとに引っかかっていた何かが取れた。
そうだ。この景色をどこかで見たことがあると思っていた。その時はただの、デジャビュだと思い、忘れていたが、実際に見た事があったのだ。ただし、目でではなく、僕の脳の中で、なのだが。
「そうか、ええ。そうです。僕も今、わかりましたよ。ここは六巻に出てきた塔です」
「マルコ、キャロラインのメモといい、この塔といい。あの女何を考えているんだか」
 そんなことを話しているうちに冷たく、薄暗い壁が続いている光景が終わり、僅かな光が見えてきた。生臭いほこりの匂いが、生き生きとした、土と草木と太陽の匂いにかき消されていく。
 キャロルが喜びの声を上げながら、出口に向かって走っていく。
「おお、日の光だ」
 両手を天に向かって広げ、仰々しく言う。後を追い、僕も外に出た。日の光が顔を直撃してしまい、反射的に顔をしかめる。刺す様な日光が僕の全身を舐めているのを肌で感じる。
 暑い。
 どういうことだ。
この暑さ、まさかとは思うが。

「あはは、これは面白いわ」
 キャロルがその場で、きれいなターンをし、僕を指差して笑った。
「ここ、どこなの?」
「日本ではないでしょうね」

 古びた塔の外には見渡す限り、どこまでも深い緑が広がっていた。
不思議な森だ。一本一本の木々が、それに付属する色濃い葉が風により、それぞれが独立した生き物の様にざわざわと音を立てて揺れている。上を見上げると、ずいぶんと面積の狭まばった青空がのぞいている。太陽がまぶしい。

「取りあえず、部屋から、建物から逃げ出せばどうにかなるっていうのは、甘い考えだったようですね」
 太陽に向かって呟く。
 ここがどこだか分らなかったが、外に出れば、何かしらの施設なり、交通機関があると思っていたのに。まさか、こんな場所にさらわれるとは。
 ここはいったいどこなのだ。
「でも、あの女もここに来たのよね。しかも、いくら若い女の子とはいえ、担いでくるのは大変よね。案外、すぐそこに、何かしらの町があるかも」
 キャロルは木の影に座り込んで言った。
「この場所じゃあ、自家用ヘリも入ってこれないだろうしね」
 そう言って、キャロルは笑った。冗談のつもりだったのだろう。大して面白くもないのに、つられて、僕も笑う。


僕達は結局、塔から離れることにした。この塔で、ただ、大人しく捕まっているのと、見知らぬ地に逃げ出すのと、どちらが正しい選択なのかは僕には分からなかったが、キャロルはやけに、森を進むのに積極的だった。
「まあ、塔の中でじっとしていても、助かる確率はあるわ。でもね、マルコ。あんたは誘拐されて、身代金なり何なりをあの女にむざむざ奪われてまで、助かりたいの? 『魔術師と灰』の青年マルコはもっと正義感が強くて、勇気があったよ。拉致なんかには、絶対負けないわね」
「僕は、マルコではありません。それを言うならば、キャロラインはあなたよりももっと冷静で、聡明でしたよ。少なくともこんな、右も左も分からない状態で、目的地を適当に勘で決めるようなキャラクター性はもっていません」
 皮肉のつもりで言ってみたが、さして効果はなかったようだ。キャロルはニヤリと笑った。
「ますます私達のキャスティングは逆ってわけ。じゃあ、どうする? あんただけでも塔に戻るの。別に私は構わないわよ」
 キャロルは勝ち誇った顔で言う。
 彼女葉は分かっていたのだろう。こういえば、臆病な僕が折れるであろうという事を、彼女は聡明だ。ただ、キャロラインの役に合っていないように感じるのは、それ以上に勇気があるように見えるだけだからだ。
事実僕の主張は一刀両断され、キャロルの後ろに従って、森の中を歩いている。
 沈黙の中、ガサガサと草木を踏み進む音だけが、ただあった。

 僕はこのような状況の中、自分の命のことでもなく、家族のことでもなく、マルコ。僕のオリジナルのことを考えていた。
 暑い。『魔術師と灰』の中でも、マルコは蒸し暑い森の中を進んでいく場面があった。
マルコは平気だったのだろうか。なにしろ竜の吐く灼熱の息を防ぐ魔術師だ。この位の暑さならば、何ともないのかもしれない。でも、気象と竜の炎は違うだろうか。案外、彼も今のマルコ、つまり僕みたいにまいっていたのかもしれない。作中にはそのような描写は無いが、分からない。
 焼けつくような暑さが僕を包み込み、汗が前髪を濡らす。ああ、暑い。暑い。暑い。なぜだ。なぜ暑い。僕があの女に会った日は今とは真逆の寒さの冬だったのに。
「おい、マルコ、うるさいわよ。」
「え」
「暑い暑い言っても仕方ないでしょう」
彼女は僕とは違って、疲れの見えない、はっきりとした口調で言う。どうやら、あまりの暑さに知らず知らずのうちに口に出してしまっていたらしい。
「暑いって、言えばさあ」
 キャロルは僕の前で、草木を踏み分けながら振り返らずに言う。
 やけに真剣な声だ。僕は何事だろうと足を止める。

「私いつも思ってたのね。エイミ先生は、マルコがいなければ・・・・・・あ、あんたじゃなくて、原作の方よ。そうなれば、バジルに勝っていたんじゃあないかなぁって。マルコ、あんたはどう思う?」
「はい?」
 何かと思えば『魔術師と灰』の話だった。エイミ先生。バジル。共に作中の登場人物である。
 エイミ先生は主人公マルコの頼りになる師として、バジルは強力な敵キャラクターとして書かれていた。
 足を止めたことを後悔しつつ、彼女の後を追うことを再開する。
「たしかに、マルコはあの時、明らかに先生の足手まといでしたよね」
 僕は額の汗を手の甲で拭いながら答える。
 こんな話でも、暑さを紛らわせてくれたらラッキーだ。
「でしょ。でしょ。作品の中だと、バジルの方がエイミ先生よりも強いような書き方がされているけれど、私はエイミ先生のが強いように思うのよ」
 キャロルは張りのある声で言った。暑くはないのだろうか。
「でも、僕はもしも、先生とバジルが何の邪魔もなく、一騎打ちをしたとしても、バジルが勝つと思いますよ」
「そっかなあ。エイミ先生の防御壁は堅いと思うけどなあ」
「いやいや、バジルの炎の方が強いですよ。事実先生は骨も残らずに焼け死んでしまった」
「そう。まだ未熟だった、マルコを庇ってね。今の私達よか、何万倍も熱かっただろうな。漢字が違っちゃうからね。私、あのシーン泣いたよ。まさか、あんな所で死ぬとはね、思っていなかった」
 僕も、彼女の言った場面で感動に瞳がうるんだことを覚えている。泣くまではいかなかったが、彼女の気持ちは良く分かる。
「でも、あの場面で先生が死ななかったら、話が進まないでしょう」
 キャロルがこちらを振り向いた。額を見たが、ほとんど汗はかいていない。
「マルコ。そんな身も蓋もないことを。あんた、物語を愛する心は無いのかい」
 キャロルは大げさに溜息を吐く。だが、そこには嫌悪はこめられてはいなく、逆に少し笑みも浮かべていた。
『魔術師と灰』はマイナーな小説だ。今まで語り相手がいなかったので、喜びもあるのかもしれない。無論、それは僕にも当てはまっていた。
「しっかし、暑いわねえ」
「暑いと言っても仕方ないで……」
 僕が前の会話を返しかけた所で、前を歩いていたキャロルが歩みを止めた。
「どうしたんですか」
「いや、あれ」
 キャロルは前方を指差す。そこにはこの森には似合わない『奇妙』が静かにこちらを見ながら、木製の椅子に座っていた。

「あれは、何でここに……」
 僕はキャロルの横に並び、唖然とする。女の黄色い眼が妖しく光った。
「青年マルコ。少女キャロライン。どうぞこちらに」

 間違いなく、僕の家に侵入していた、あの不気味な女だった。
 キャロルの横顔を見ると、彼女は強い敵意を持って女を睨みつけていた。そして、そのまま女の目の前まで堂々と歩いていった。僕も後を追う。
「あんたねえ、何のつもりなのこんなことして。犯罪よ、犯罪。今すぐ帰しなさい」
 相変わらず時代錯誤としか言いようのない格好をした女は、キャロルの罵声をものともせず、ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「心配しないでください。あなた達は無事に、家に帰ることが出来るでしょう。あなたの家族にも何の危害も加えません。誓いましょう」
「何によ」
 キャロルは少し拍子抜けしたようだった。僕も女の言っていることが分からない。何の意味があるというのだろう。
「あなた達、『魔術師と灰』は知っていますね?」
「ええ。あのメモを置いたのはあなたなのですね。いったい何なのですか?」
 僕は努めて冷静に問う。
「コホッ。説明はします。場所を移しましょうか。ここは暑いです。飲み物をいれますよ」
 女がそう言うと、突如、大地が揺れた。
「わあ、ちょっと何よこれ」
 周りの木々が音をたてて揺れている。上下左右に世界が暴れている。僕とキャロルは地面に膝をつき、体を守るために体勢を丸くする。
どういうことだ。余震はまったく感じなかった。地震というものはこうも突然、何の前触れもなく起こるものなのか。しかもあの女の態度。まるで彼女がこの現象を起こしたかのようだ。
 この縦横無尽に回っている大地の上、女は平然と微笑んでいた。
 赤い唇が、地震に揺れながらも開いた。

「コーヒー。紅茶。アップルジュース。オレンジジュース。コーラ。緑茶。何でもありますよ」
 しかしその地震は一瞬にして、止んだ。無意識に大きく息を吸う。だが、肺にため込んだそれを、吐き出すのをほんの少しだけ、忘れてしまった。
 なぜならば。

「私達、何か想像以上にすごい世界に入っちゃってる?」
 キャロルが目を見開いて、ほおを引きつらせながら、誰にともなく言う。
 無理もないだろう。僕も同じ心境だった。まず、彼女とさほど遠くない顔をしているはずだ。死ぬほどかいていた汗もすっかり引っ込んでしまった。
 そこは今まで立っていた、草と土と大地のそれではなくなっていた。僕達三人は、歴史の教科書の中でしか見たことのないような、煌びやかで、華やかで、眩しい、城の中に立っていた。
 女の黄色い目が僕等を見ていた。
「夢と希望。そして、剣と魔法の世界へようこそ。歓迎いたします」
 
5, 4

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