聞くだけ無駄だったなと、微糖缶コーヒーを啜りながら嘯いた。
といっても、その話そのものに価値が無かったわけではない。ただ、僕にその話を理解するだけの知恵が備わっていなかっただけである。
梔子高とポポロカは、ポポロカやハユマが何故この場所に来たのかを、何をしに来たのかを、親切丁寧に僕に語って聞かせてくれた。
ただその内容たるや、宛らマウンテンゴリラに釈迦の説法を説くのと同程度に、僕にとっては意味が解らないやら言葉が理解出来ないやらで、甘酸っぱく卑猥な展開を期待していた数時間前の僕に目覚まし代わりのヘッドバッドの一つでもくれてやっていたら、まだ少しくらいは理解出来ていたのではないかなと、今の僕は後悔の念に身を焦がされながら帰路についている次第である。
反芻、しよう。それで僕の言っていることが尤もであるか、はたまた「え、何でこれが理解出来ないの?」なのか、判断を仰ぎたい。