《シュレーディンガーの猫を知っているかい? 例えば君の目の前に、一匹の猫がいたとする。この猫を箱の中に入れて、一ヶ月間放置したとしよう。……そんな目をするなよ、これは例え話さ、実際にそうするわけじゃない。続けるよ……そして一ヵ月後、その箱を開けてみる。果たしてその猫は、生きているのだろうか? それとも哀れ、その生を絶ってしまっているだろうか?》
《答えはその両方。生きている猫も存在するし、死んでいる猫も存在する。でも、それはおかしいよね? 猫は一匹しか居ない以上、生きている猫と死んでいる猫が同時に存在することなど有り得ない、君はそう解釈する筈さ。それは、君がコペンハーゲン解釈に則って物事を観測しているからだ》
《ならば、観測しなければどうなるだろう? 君が猫を箱の中に入れて、そのまま一ヶ月だろうが一年だろうが、或いはその猫の入った箱の存在を忘れてしまうまで放置し、最終的にそれを観測しなければ、猫はどうなるだろうか?》
《その時点で君は、その猫が死んでいるのか生きているのかを観測出来ない。予想は出来るだろうね、ただ観測は出来ない。よって猫は、生きてもいるし死んでもいる》
《ただし、それは『生きている猫』と『死んでいる猫』が同時に存在するわけではなく、『生きている猫がいる世界』と『死んでいる猫がいる世界』が同時に存在するってことなのさ。波動関数の概念を捨て去った結果、世界は分岐したまま広がって行き、新しい分岐を作る》
《そうして生まれる概念が『パラレルワールド』。つまり平行世界ってわけさ。実際問題として、君が猫を観測しようがしまいが、世界は分岐するだろうね。極論を言えば、そもそも猫を箱に入れる必要すら無いだろう。何故なら重要なのは『猫の生死とその分岐』であって、それを観測する方法は無数に存在するからだ。……君は、そんな顔も出来たんだね。とりあえずお茶でも飲んで落ち着いてくれないかな? 具体的な話はこれからするからさ》
《さて、私達はポポロカから『コミニカ』という単語を聞いたよね? このコミニカっていうのは、私達の世界で言う『言葉』と同一の意味を持つと考えても差し支えの無いものだ。ところが、私達がこれまで生活を続けて来た上で、ポポロカのように『コミニカ』という単語を使ったことは無い筈だ。仮に使っていたとしても、それはポポロカ達の使う『コミニカ』とは、概念と差す意味が違う》
《つまり、過去に世界は分岐を迎えていたのさ。この概念に『言葉』と名付けるか『コミニカ』と名付けるか、とね。尤もこれは、無数に存在するであろう選択肢の中の一例に過ぎないんだけれども。言ってみれば、それは親枝だよ。トーナメントの試合表や家計図やなんかを逆から読み説いた図、と言ったら解り易いかな? その天辺の部分だね。勿論、まだまだ上は存在するんだろうけれども、今はそこを親枝と思ってくれて大丈夫だと思う》
《ポポロカは、その概念に『コミニカ』と名付けた側の世界の存在だろう》
《多分その時点ではまだ、ポポロカ達が住む世界は、私達の住む世界と何ら遜色の無いものだったのかもしれない。そういった選択を何度も何度も繰り返し、リオラの存在に気付き、カスカという文化が生まれ、ポポロカ達の世界は誕生したんだろう。もしかしたら私達の世界とポポロカ達の世界は、それほど枝分かれした先にあるわけではないのかもしれないよ? 使用している言語が違う時点で、相当前に枝分かれした世界なのは予想出来るけれども、言語の相違という問題を解決すれば、こんなに明確な形で意思の疎通、コミュニケーションが図れているんだ。これはポポロカ達が、私達の世界と比較的類似する選択をして来た世界に生きている証拠にも成り得る》
《ルービックキューブがあるだろう? ルービックキューブの一つのピースを一つの世界と仮定して、それがいくつもいくつも、放射状に広がったのが、パラレルワールドの実体だと考えて欲しい。世界は無数にある、選択肢が無数にあるようにね。観測対象が一であれば、その選択肢は最低でも二以上存在し、その選択肢そのものを観測対象とするならば、その二以上の観測対象に対する選択肢もまた、最低でも二以上存在する。そうして世界は天文単位レベルにまで膨らんでいるのさ、今、この瞬間にもね》
《ポポロカは、『生きている猫がいる世界』と『死んでいる猫がいる世界』を同時に観測出来る、数少ない存在らしい。それは本人の口から聞いたから確かさ、本人が嘘をついていない限りはね。尤も、出来るのは観測のみであって、存在そのものは御多分に漏れず分岐するらしいのだけれども》
《そしてポポロカ達の世界には、更にとんでもない人がいるらしい。その人が今回、こんな事態を引き起こした張本人とも言えるだろうね》
《選択結果の改変、と言えばいいのかな? その世界に存在する筈の無いものを存在させたり、或いはその逆だったりと、因果律を完全に無視した、世界そのものの『改変』が可能な人物らしい》
《ポポロカ達はその人のことを、何と言ったかな……〈ンル=シド〉と呼んでいるようだ》
「〈ンル=シド〉は、ポポロカ達のように生まれ育ってそこに存在するわけじゃなくて、世界の分岐摩擦で生まれた塵の集合体が、既存の存在に融合して誕生するものなの。ダカチホやミヤコが、ある日突然〈ンル=シド〉になるようなものなのよ。〈ンル=シド〉は、一杯いっぱいある世界の中に、たった一人しか存在しないの」
「ポポロカは、そうして誕生した〈ンル=シド〉への、接触及び対応の役目を担っているのよ。だからポポロカは人よりも沢山たくさん頭が良いし、人よりも沢山たくさんカスカを操ることが出来るの。そしてどの世界に於いても、ポポロカのように〈ンル=シド〉の誕生に備えられた存在は在るのよ。それは、ポポロカじゃないポポロカなのね。自分達の世界とは、別の世界に存在する自分。ポポロカやおじじ様は『異空間同位体』って呼んでるの」
「でもでも、ポポロカじゃ〈ンル=シド〉に干渉することは出来ないのね。接触は出来るけど、干渉は出来ないの。誰が決めたのかは解らない。だけど、それは決まっていることなのよ。だからハユマ様が居るのね」
「ハユマ様は、〈ンル=シド〉の定義に干渉することが出来る唯一の存在、〈エティエンナ〉なの。〈エティエンナ〉もまた、〈ンル=シド〉同様に、単一の存在なのよ。一杯いっぱいある世界に、たった一人の存在なの。〈エティエンナ〉は、摩擦そのものの摩擦によって誕生する存在。つまり、〈ソル=シド〉が誕生することで誕生する、〈ソル=シド〉とは対になった存在なのね」
「ハユマ様とポポロカは、〈ンル=シド〉を討伐しようとしたの。おじじ様は、〈ンル=シド〉を処分する選択肢を取ったのね。だからハユマ様は〈エティエンナ〉として、〈ンル=シド〉を斬った」
「……浅かったのね。そのままポポロカ達は、〈ンル=シド〉の力で違う世界に飛ばされちゃったの。ハユマ様とポポロカが、丁度同じ世界の同じ時間に飛ばされていたのは、物凄い奇跡なのよ。良かった良かったなのなの」
《斯くして二人この場に参上仕った、ってわけだね。……何て顔をしているんだい、せっかくのイイ男が台無しだよ?》
《まぁ、尤も私とて最初は半信半疑だったよ。半信半疑というより、面白い子だなぁとしか思わなかったって言うのが正直なところだね。でも、今朝君が話してくれたことを聞いて、果たしてそれは本当に蔑ろにしていいものかと疑問に思い始めてね》
《完全に信じたわけではないさ。ただ、考慮する必要はあるのかもしれない。図らずも、こうして私と君、仲良く騒動に巻き込まれたわけだしね。それに、せっかくこうしてポポロカを我が家に招くことが出来たわけだし、しばらくはお姉さん気分を味わっていたいっていうのも本音の一環ではあるかな》
「ダカチホがそう言ってくれて、良かった良かったなのよ。ポポロカには、こっちの世界のことがよく解らないのね。それに、ハユマ様の捜索や安否の確認もしないといけないから、拠点が必要だったのよ。少しの間、お世話になりますなの」
《……さてと。とりあえず、ざっとではあるけど、説明はこれで終わりだね》
《「解ってくれたかな(のね)?──」》