「とはいえ、これまでの研究や議論を以ってしても、その結果を導くことは困難であるのが現状で御座います」
「今はどうですか? 僕が右往左往して、どうにかこうにかなる可能性は?」
これまでの研究やら議論とやらには、僕の存在は考慮されていなかった筈だ。僕のような人物が参加したところで劇的に状況が変わるとは思えないが、何かしらの変化は出る筈である。
しかしそんな考察結果とは裏腹に、板垣さんの表情は晴れない。
「現状ではまだ、有力な方法は発案されておりません。こればかりは、私の異空間同位体含む上層が至らなかった結果でしょうな。〈ンル=シド〉の無力化という結論に落ち着いたため、他の案への意識を疎かにしてしまったようです」
「そう、ですか」
尤も、考察した所でコレという結論は出せなかっただろう。当事者である僕達ですらも明確な方法を思いついていないのだ。幾ら叡智に溢れる者達の集いとはいえ、卓上の理論では限界がある。
ふと、叡智という言葉を思い描いた所で思い出した。
「今回の件、梔子高には漏らしてはいけないんですよね? それは一体何故ですか?」
その瞬間。
板垣さんの表情が、目に見えて曇った。
初めて見る顔だった。使用人として見ていた頃の板垣さんは、僕と梔子高がどんなことをしようとも、こんな顔はしなかった。
「ミヤコ君には、聞かせねばならないでしょうな」
当然、予想はついた。
あの板垣さんでさえ、こんな風に、思うところを隠し切れていないのだ。
きっと、それほどの事柄が、そこには存在する。
ならばどうするか?
「聞かせないでいいと、言うとでも思いますか?」
「いいえ」
聞かねばなるまい。
それが例え、どんなに痛烈な現実であったとしても、だ。
「〈ンル=シド〉という存在には、異空間同位体は存在しないことはご存知ですか?」
知っている。確か初めてポポロカに会った日、ポポロカはそう言っていた筈だ。
「それは、紛う事無き事実です。例え世界が天文単位を持ち出さなければならないほど膨大に存在したとしても、〈ンル=シド〉は一人しか存在しない。それは絶対で御座います」
既知の情報にしろ、板垣さんに太鼓判を押されると安堵する。そんな滅茶苦茶な奴が何千何万といても、困るだけだ。
「しかし、その寄り代となる人物は、その限りではないのです」
「どういうことですか?」
コーヒーを啜りながら問う。何故なら、少し難しい話になりそうだったからだ。頭を落ち着ける必要がある。
「〈ンル=シド〉には、異空間同位体は存在しません。ただ、ノマウス氏という一つの存在には、異空間同位体は存在するのです。何故なら〈ンル=シド〉になる前は、彼は何の変哲も無い一つの存在に過ぎなかったからです」
コーヒーを啜った。
「えっと……つまり、〈ンル=シド〉じゃないノマウスなら、異空間同位体が存在するってことですか?」
多分それは、〈エティエンナ〉は単一の存在であるが、〈エティエンナ〉であるハユマの異空間同位体、つまり僕は存在しているのと同じ理屈なのだろう。
「概ね、その理解で構わないでしょう。そしてそれら異空間同位体は、ノマウス氏が〈ンル=シド〉となった今でも、確かに存在しております」
……コーヒーを、啜った。
とはいえ、今度ばかりは啜る理由が違う。確かにややこしくはあったが、事柄は理解出来た。
今度の啜りは、嫌な予感を抑える為の行動だ。
「流石に勘が良い。お気付きになられましたか」
「ええ」
再び、両目を掌で覆う。
尤も、本当に勘の良い人なら、最初の時点で気が付いたのかもしれない。
梔子高に情報を漏らしてはならない理由について、話をしていたのだ。
それなのに何故、ノマウスの話になる?
ノマウスの、異空間同位体の話になる?
もう何を言われても驚かないと、僕は言った。そして現に、今でも驚いてはいない。
ただ、うんざりした。もう、勘弁して欲しい。何でこう、次から次へと……。
「ノマウス氏の異空間同位体は、千穂お嬢様。梔子高千穂、その人に御座います」