「──それが、僕の推論だ」
「ふーん」
ノマウスの、耳から服用するマイスリーとも言えるような超理論を延々聞かされたものの、延岡都のそれに対する感想は、三文字で表現出来る腑抜けたものだった。『絶対』や『全能』など有り得ないと延々語り聞かせておきながら、〆に「他にも方法はある。『絶対』に」などとは、随分なお言葉である。落語でも始めると良い。空き缶が飛び交うこと間違い無しだ。
どこかで、聞いたことのあるような気もする。
どこで聞いたのかは……知らん。忘れた。大方、誰かさんの長口上の一つだったのだろう。
誰かさんと言えば、だ。
流石は異空間同位体、と言えるだろう。
この目の前のニヤケッ面は、本当に誰かさんに似ていると、延岡都は思った。
確か、自室のベッドで、今後のことを考えていた筈だったのだ。
しかし、毛布の温もりというものは中々に凶悪な野郎で、まだまだ考えることが山積みである延岡都を、そんなことは知ったことかと言わんばかりに眠りの世界へ引きずり込んだ。
そして、ここに居た。
予想はしていた。おそらく何かしらのキッカケがあった時、自分はこんな風に、真っ暗な、目を開けているのか開けていないのかすらも解らない、音も無い世界に降り立つのではないか、という予想を。尤も、まさかこんなタイミングでそれが発生するとまでは予想出来なかったが。
いよいよ、のっぴきならない状況になった、ということだろう。
「居るんだろう? ポポロカ」
延岡都は、虚空に向かって呼び掛けた。
必ず、居ると思ったからだ。
仮にこれが夢であれば、それならそれで良し。夢じゃなかったならば、こんなことが出来る人物に心当たりは一人しかいない。
そしてその予想は、見事に的中する事になる。
「……ごめんなさい」
まるで、空気の断末魔のような声だった。内輪で仰げば掻き消えてしまいそうな、微かな、しかし悲痛に満ちた声。
斯くしてポポロカは、確かに延岡都の正面に存在した。
「何があったのか、説明してもらってもいいかな?」
延岡都が問いかけるも、ポポロカはいつものように、淡々と説明することはしない。ただ俯いて、下唇を噛み締めている。
「ポポロカが僕に何をしたのかの説明はいいや。多分、それは重要じゃない。僕には理解出来ない方法で、ポポロカは僕をここに呼んだ。それでいいと思う」
それに、説明されたところで理解は出来ないだろう。この段階まで来ると、流石の自分でもそれくらいの予測は出来る。
それなら、自分に理解出来ることを聞こう。
「教えて欲しい。僕がここにいることは、キッカケなのかな? これをキッカケと認識して構わないんだろうか?」
「〈ンル=シド〉が、自分自身の崩壊を開始したの」
舌を打った。……二通りの仮説のうちの、的中して欲しくない方を取ったか。
「ここは、世界の外側。崩壊して、活用が不可能になった情報が流れ着く、ゴミ箱とも言える場所なのよ」
よく見れば、ポポロカの体は、水につけた和紙のように薄く透けている。
「意識だけを、ここに連れて来たの。今、ポポロカとミヤコの肉体に何をしても、ポポロカ達が目を覚ますことはない。意識がここにあるから、肉体は活動することが出来ないのね。植物人間が、一番近しい表現なのかもしれないの」
ポポロカが、息を詰まらせた。取り返しのつかない失敗を報告する時、人はこんな風に息を詰まらせる。
「……ポポロカの力じゃ、元に戻せない。ミヤコの意識を元の肉体に戻すことは、もう出来ない。ポポロカがここに留まることも、そう長い間は出来ないのね」
「うん、解った」
しかし延岡都は、事も無げにそれを受け入れた。
嬉しかったのだ。
ポポロカが、こんな風に人の迷惑を顧みずに行動したことが、嬉しかった。
「ポポロカ」
ポポロカは、何も言わない。ただ、下唇を噛んでいる。
「安心して。僕が、必ず何とかするから」
ポポロカは、何も言わない。ただ、下唇を噛んでいる。
「ノマウスは……ポポロカのお父さんは、絶対に消させやしない。必ず元通りにする」
弾かれたように顔を上げて、延岡都を凝視した。
どうして?
目が、そう問うていた。
様々な意味合いがあるのだろう。どうしてそのことを? どうして許すのだ? どうしてそんな風に、自信満々で宣言出来るのだ?
「ポポロカ。もう、我慢するのは止めなよ。迷惑だなんて思わない。ポポロカはもっと、ワガママになっていいんだ」
延岡都は、先だってのポポロカの言葉を反芻する。
どんな結果になっても、それが自分の望んだ結果や、ベストを尽くして出した結果ならば、一切文句は言わない。すべてを受け入れる。
例えそれが、〈ンル=シド〉を……父親を犠牲にした結果だったとしても、だ。
良く出来た子である。自分の気持ちを押し殺して、偉い人達の決定に従って、これまで動いてきたのだ。偉いねと、良い子だねと、褒めて然るべきだ。
……。
そんな筈、ねぇだろ。
四歳だ。保育園に赴くような年だ。デパートで、母親にお菓子を強請って泣き喚く年なのだ。テレビゲームよりも、真っ赤なスポーツカーの模型に目を輝かせる年だぞ?
父親が。母親が。恋しくないものか。
そんな非情な決定に、文句一つ言わずに従っていい筈があるものか。
「……助けて」
延岡都の言葉が引き金だったのかは、解らない。
だがそこには、理性にギチギチと締め付けられた本音は、確かに存在していた。
そしてそれは、音も無く決壊を始める。
「パパを、殺さないで。パパを、助けてあげて下さい……お願い、します……」
おそらく、延岡都がこれまで目の当たりにしたポポロカの仕草の中で、一番その身に相応しい仕草だった。
「も、もう、ポ、ポロ……ポポロカじゃ、な、に、何も、出来、出来な……」
泣いたのだ。
唇を噛み締めて、ぽろぽろと、泣いたのだ。
「大丈夫。僕に任せて」
延岡都はポポロカの頭に手を乗せて、満面の笑みでその哀願を承った。
実のところ、良い方法があるわけでは無い。作戦も無ければ、秘策など持っている筈も無い。
ただ、まず始めにやることは決まっていた。
怒鳴りつけてやるのだ。場合によっては鉄拳制裁である。
ポポロカの懇願は聞き入れよう。だがしかし、自分の望むように行動するという公約を無効にするつもりは無い。
世界がどうとか、知ったことか。僕は、僕の許せない理由で、〈ンル=シド〉とやらを責め立ててやるのだ。
「お願いします……お願いします……」
そう何度も何度も呟きながら、徐々にポポロカの体が透明度を増す。
そして、消えた。跡形も無く。
最後まで「お願いします」と反芻しながら。
残ったのは、延岡都一人。
……と、もう一人。
「さて、と」
延岡都は、誰に聞かせるわけでもなく嘯きながら、指の骨を鳴らした。
「もう一人」に対する鉄拳制裁の気、満々である。
そして。
相対した。
今回の騒動の張本人であり、本人含む皆々の頭痛の種であり、延岡都基準の殴り倒したい男ダントツ一位。
ノマウス、その人である。
「始めまして、だね。君がハユマの異空間同位体か」
「始めに、言っておくよ」
かつて誰にも見せたことの無いような憤怒の形相を隠すことなく、延岡都はノマウスを睨めつける。
「僕が、アンタを殴らなくてもいい理由があるなら、今のうちに言っておいてくれ」
尤も、聞いても理解は出来ないことは解っていた。解っていたし、理解出来たところで拳を緩めるようなことをするつもりは、一切無い。
「考えうる限り最悪の方法を選んでくれやがって。当然、誰もが納得出来るような理由があるんだろうな? もしも限界まで考えもしないでこんな方法を選んだのなら、僕なりの制裁をさせてもらう」