第五話 闇に魅入られた少年
「おいおい、見たかよ。あの馬場の泣きそうな顔。ああなっちまったら人間オシマイだよな」
「ホント、なっさけないっすよねぇ。恥ずかしくないんスかね、生きてて。
ったく、妙な女の代打ち連れてくるからどうなるかと思ったけど、なんてことなさそうっすね」
八木と倉田のボンクラどもがピーチクパーチク囀っている。
馬鹿が。わからんのか? 自分らがどれほど見当ハズレの凡夫なのか……。
俺は学生服の内ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
さっきの半荘中、あのシマとかいう女も吸っていた。女は酒もタバコも控えるべき、という家で育った俺にはいささか不快な光景だった。女はただ男に従っていればいいのだ。
俺の祖父、雨宮源三もそういう考えの男だった。
結構、周囲からは勘違いされていると思うのだが、俺は祖父が嫌いじゃなかった。むしろ敬愛していたと言ってもいい。
あの苛烈で容赦のない生き様は幼い頃から俺を強烈に惹きつけていた。
どんな手段を用いても構わない。
敵は潰せ、弱者から絞れ、強者を打ち倒せ。
だから後悔はしていない。俺はやつをマネただけだ。
祖父を始末したことも……
これから馬場天馬を始末することも……
やつの信条になんら反するところはないはずだ。
「なあ、雨宮。どうしてあのシマって女、今回の勝負をかぎつけたんだろうな」
役満の打ち込みですっかり勝った気の倉田が問い、同じく浮かれ顔の八木が答えた。
「馬場のイトコかなんかじゃないっすか? 顔もちょっと似てません?」
「あー、ひょろっちくて弱そうなとこは結構似てるかもな、ひひひ。雨宮はどう思う?」
「……俺が知るか」
知ってても誰がてめえらなんぞに教えるか、家畜が。
しかし俺も気になっている案件ではあった。
嶋あやめ。
恐らくGGS-NETの会員だろう。
なぜなら、シマも馬場も、平然といる部外者のカガミに何も言わない。つまりジャッジの存在を認識しているということだ。
そして恐らく、やつらは昔からの知り合いではない。かといって道でバッタリ会って打ち解けた、というわけでもないだろう。そんなイベントはゲームの中だけだ。
なんらかの事件をきっかけに知り合い、今回のギャンブルを馬場がシマに打ち明けた、というところか。ひょっとすると自殺しかけた馬場をあの女が助けでもしたのかも。
シマの目的はひとつ。あの女狐は、今回の勝負の裏にあるもの、それを狙っているのだ。
俺は苦々しい思いを煙と一緒に吐き出した。
馬場は、このギャンブルを俺の気まぐれかなにかだと思っているのだろう。
しかし、俺はやつを一生奴隷にしたところで何の益もない。
どうしてこんな面倒なことになってしまったのか。
すべては雨宮家の元当主、源三じじいが言い出したことだ……。
祖父の容態が急変したと知らされたのは、一昨日のことだった。
以前から老衰によって合併症を引き起こし、寝たきりになっていたのだが、ついに来るべき時が来た、と付き添いの医者が宣言したのだ。
遠い昔から続く雨宮家の現当主がついに死ぬ。つまり世代交代の時期である。
源三の息子とその嫁、つまり俺の両親は、俺が生まれてすぐ事故で他界した。だから順当にいけば次の当主はこの俺、雨宮秀一が受け継ぐ座である。
となれば各地に散らばっていた雨宮の分家が宗家である我が家に集結し、源三の安否の心配もそこそこに、俺に媚を売り始めるのは当然の成り行きだった。
まず金、そして若い娘たちを飽きもせずに献上してくる。一日にさばける量にも限界があるというものだ。若いからなんとかなったが、年を食ったら面倒になるかもしれない。
そしていよいよの際、俺は当主のみが着ることを許された燃えるように赤い陣羽織、そして代々伝えられてきた刀(べつに名刀というわけではないが、一応本物の真剣である)を腰に挿して源三の床へと参上した。
そこには医者と、正確な相続を見守るためにやってきたGGS-NETの専属ジャッジと、雨宮家の重鎮と言える者たちが雁首を揃えていた。
どいつもこいつも、マヌケ面のクズ野郎にしか見えんが、偉そうにふんぞり返っている。
と、珍しい顔を発見した。弟の竜二が退屈そうにあぐらを組んで源三を見つめていた。
「よう、おまえも来たのか」
竜二は俺を一瞥すると、再び祖父を見守る作業に戻った。
「ふん、妾の子のくせに……言っておくが、財産なんぞもらえるなどと思うなよ。この家の敷居をまたがせてもらえただけ、ありがたいと思うんだな」
「ああ」
竜二はそれだけ答えた。
こいつは母親に育てられているから名字も違えば住む家も違う。だから兄弟などと思ったことはない。
こいつもそう思っているだろうか……なにを考えているのか昔から不明瞭なやつ。
そういう点では、馬場天馬に似ている部分もあるかもしれない。
「……秀一。おお、竜二もいるのか……」
源三がうっすらとひび割れた瞼を開けた。
安心しろ、じじい。もうすぐその目を必死こいて持ち上げる必要もなくなる。
俺は祖父の傍らに膝をつくと、頭を下げた。
「当主様がお言葉を残すと聞きまして馳せ参上いたしました、孫の秀一であります。
どうかご安心ください、ここにあなたを苦しめるものはございません」
あるのは死という安らぎだけだ。俺は下げた頭を盾にして、唇を歪めた。
『お言葉を残す』……つまり相続についての言葉を残して死ぬ、ということだ。
雨宮家では代々遺言状などは使わず、死ぬ瞬間の当主の言葉によってのみ、相続を決定する。だからこの場は決して誤魔化されることのないよう、重鎮と次期当主候補が全員で当主の最期の言葉を聞き届けるのだ。最近は科学技術が発達したので、この場はテープレコーダーと監視カメラによって二重に記録されている。
さあ、終生の言葉を吐くのだ。
財産をすべて、秀一に渡す、とな。
だが乾ききった唇から流れ出た言葉はその場の誰もが予想していなかった言葉だった。
「天馬は……? 天馬はどこだ……」
「はあ……? 当主様、天馬とは誰のことで?」
重鎮の一人が疑問を発する。おそらく、この名を知っているのは俺と、やつとクラスメイトの竜二だけだろう。
このじじい、ようやく死ぬかと思えば、なにを言い出すんだ?
「秀一……覚えているか……昔、おまえを怒ったこと……」
「ええ、覚えておりますとも、当主さま。私と、馬場天馬、ナギサの兄妹が屋敷の地下に勝手に秘密基地を作って遊んだことを、あなたはひどく叱られました。
私も下賎な庶民を我が光栄ある雨宮の地に土足で踏み込ませたことを深く反省したものです。
それが、どうかしましたか?」
「……わしは……怒ったかな……」
「ええ、それはもうひどく。しかし私が悪うございましたことゆえ、当然であります」
源三は、苦しげに眉をひそめた。
「違う……思い出せ、秀一……わしは……わしは……」
面倒くさいが、まあいい。老いぼれの最期の道楽に付き合ってやるとするか。
俺は目を閉じて回想し始めた。
馬場天馬、ナギサの兄弟と知り合ったのは、なんてことはない、やつらはうちの土地に勝手に忍び込んできたのだ。面白そうだのなんとか言ってな。いわゆる探検ごっこってやつだ。
それをちょうど、勉強漬けの毎日に嫌気が差して逃げ出していた幼い俺が発見し、屋敷(当時は俺の勉強部屋ならぬ、勉強屋敷として使われていた)の地下に匿ったのだ。
飯などは夜食を分けてやればいい。昼間は勉強するフリをして、機を見計らっては地下室へいってトランプだのバブルくんだのを使って遊んでいた。
「やりい、ロイヤルストレートフラーッシュ!」
「ずるーい、シュウくんイカサマしてるー」
「いいんだよ、勝てば! ……うわ、やめろ天馬! バブルくんなんかぶちまけたら泡が……それは『しょーかき』なのに!」
勉強の邪魔になると言って使用人を追い出せば、屋敷の中は絶好のかくれんぼのフィールドだった。
「もういいかあい」
「まあだだよお」
「もういいかあい」
「もういいよお」
何日もそんな生活を続けていれば、当然ながら不審に思われることもでてくる。
ついに天馬とナギサは祖父、源三直々に発見されてしまった。
「ここで何をしておるかっ!!!」
最悪の事態に、俺は心底震え上がった。
源三はたとえどんな近しい者であっても、ミスをしたものを許さなかった。
祖父に一生の忠誠を誓った右腕が、ある日ゴミ箱の中から右腕だけになって発見された時は逆に笑えたものだ。
だから俺は土下座して謝った。
「ごめんなさい、じいさま、ごめんなさい……許して……」
本当に殺されると思った。死にたくなかった。失いたくなかった。
勉強漬けとはいえ、俺にも雨宮の生活が凡人には決してできぬ恵まれたものだという理解は当時からあったのだ。
それに対して天馬は怯え震えるナギサを庇って言った。
「なんだ、おまえ」
俺は恐怖のあまり吐きそうになった。源三の眉が逆立った。
「お、おまえだと……貴様、誰に向かって口を聞いているかわかっているのかっ!」
耳をつんざくような怒声を天馬はうっとうしそうに眉をしかめただけで受け流した。
「知らん。名前を言わないやつのことをどうして知ってるんだ。おまえ、俺の名前が知りたきゃ名を名乗れ。」
偉そうなことをほざいていたが、実はこのセリフ、アニメのパクリなのだ。天馬はかっこつけていたに過ぎない。
しかし源三はまるで雷に打たれたように目を見開いていた。
俺はたぶん今日が自分の命日なのだろうと思った。
「……わしは雨宮源三。おまえは?」
天馬は耳をほじりながら答えた。
「馬場天馬。こいつは妹のナギサ。そっちはアンタ、名前知ってる? 秀一っていうんだぜ」
「わしの孫だ、よく知っておる」
「じゃあ問題。秀一が好きなおかしは?」
「はあ?」
俺の心臓はもう早鐘を打つどころじゃない。いつ爆発するんだろうとマジで思っていた。
ナギサの顔色はだいぶ前から蒼ざめているを通り越して真っ白だ。
源三じじいは、しばらく迷ったあと、
「……ヨーグルトか?」
天馬は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ヨーグルトはおかしじゃねーよバーカ。そんなことも知らねえのか、じじい。遅れてるなあ」
「せ、正解を教えてくれ」
「自分の孫だろ。自分で聞けば。じゃ、シュウ、俺帰るわ。いくぞナギサ」
そう言い残して、天馬は堂々と正面玄関から出て行った。俺と源三は呆然としてその背中を見送った。
ぽつん、と源三がこぼした。
「正解を教えてくれないか」
「……カントリーマーム」
源三はその夜、カントリーマームをトラック一台分買ってきた。
それからの生活は、俺にとって苦々しいものとなった。
祖父は確かに以前と比べれば丸くなった。それは子供心に過ごしやすいと思ったし好ましいとも感じた。
俺が気に入らなかったのは、やつの新しい口癖だ。
「あの天馬という友達を見習え」
どうも源三は天馬に幻想を抱いてしまったらしく、事あるごとに天馬のことを持ち出しては俺と比較した。
実際の運動能力や頭脳に関して、天馬が俺を上回るものなど存在しなかったのだが、源三がそのことを知るすべもない。
天馬はあれ以来、俺に気を遣ったのか顔を見せなくなってしまったからだ。
「天馬を見習え、あれぐらいの度胸がなくてはいかん」
どうして俺があんなクズと……。
「馬鹿者、もう音をあげるのか? 天馬が笑っているぞ」
俺の方が優れているのに……。
「まったく、生まれてくる家を間違えたようだな、秀一」
頼むから黙れ、くそじじい……。
殺してやりたくなる……!
そして、あの事件が起こったのだ。
のちに馬場天馬の評判を地の底に落とす原因となった、『えんぴつ事件』である。
天馬が昼休み、えんぴつを取った取らないでケンカした女の子を、放課後階段から突き落としたのだ。
しかし天馬は犯人ではない。
なぜならやったのは、俺なのだから。
どうしてそんなことをしたのか、記憶にはもうない。恐らくムカムカしていたのだろう。
理由もなく人を突き落とすくらい、あの時の俺は平然とやってのけたろう。
そしてその女子が昼に天馬と口論していたことを思い出し、第一発見者ぶって、教師にこう囁いたのだ。
「天馬が落とした」と。
もちろん天馬は否定した。しかし、すでに扱いづらい子どもとして教師にマークされていたやつの言葉は誰にも信じてもらえなかった。
なにせ見たと言っているのが近隣一帯を取り仕切る大地主の跡取り息子である。嘘も真になろうというものだ。
「俺は違う! 俺はやってない!」
いまだに俺がムカつくのは、やつが素直に認めず最後まで抵抗したことではない。
やつは一度たりとも言わなかったのだ。
「秀一が嘘をついている」と。
思い出すだけでむかっ腹が立ってきた。俺はいささか強い口調で源三に呼びかけた。
「失礼ですか、お疲れですか? もしご自分の判断で後継者をご決断できないようなら、我々が決めさせてもらいますが……」
「ふざ、けるな……ごほっ。わしは……いないから不思議に思っただけだ……。
その後継者がな……」
「何をおっしゃっているのやら。やれやれ、やはり当主様はお疲れのようだ。無理もない。
おい、みなの衆。もうこれ以上この方に過酷な仕打ちをするものはこの秀一が許さん。これよりこの雨宮家の当主は、この……」
「……馬場天馬だ。彼にこの雨宮の土地、すべてを譲渡する……!」
空気が凍り付いていた。
誰もなにも言わない。ただ俺と源三に並々ならぬ注意が集まっていた。
俺は我慢の限界に達した。横になっていた祖父の胸倉を掴み上げると、高々と吊るし上げた。
昔、あんなに巨大で太陽のように不遜な存在だった祖父は、いまでは枯れ木のように軽く、細かった。
「じじい、いい加減にしておけよ。てめえは由緒ある雨宮家を潰す気か?」
じじいは苦しげに息を吐きながらも、その鋭い眼光で俺を睨み返してきた。
「わしは……すべて力で手に入れてきた。
金も、土地も、食い物も、女も、すべて奪ってきた。
しかし……心が満たされることなどなかった……どこまでいっても、どれほど手に入れても埋まらなかった……。
金も物も、それで手に入れた人も無意味だったのだ。
わしは死の間際になってそれを悟った……。
だから、もういいのだ……」
「もういい、じゃねえ。なにを仏ぶってる。
極楽浄土へいくのはこの俺に財産すべてを譲り渡してからだ。
その後はせいぜいゆっくりと天国の露天風呂に浸かるがいい。さぞや心も満ちるだろう」
「秀一……。おまえは欲望の塊だ……。
雨宮に生まれれば、そうなることは必然やもしれぬが……。
最後にチャンスを与えてやる。おまえが獣に堕ちるか、人になれるか……これはきっと、その分水嶺になるだろう」
「人とは勝った者のことだ。敗者は家畜。
すべてアンタが俺に叩き込んだことだ。いまさらひっくり返すのか?」
「……そうだ。恥も外聞もなく宣言しよう。
わしは間違っていた。すべては煩悩に打ち勝てなかった我が弱さのせい……。
秀一よ、生まれたときから成功を約束された者よ。
おまえが真の強者なら、奪ってみせろ。
おまえをおまえたらしめる金……それを得るがいい。
いいな、カガミ! ちゃんと記録したか!」
座敷の片隅にいた男がむっくりと立ち上がった。身長二メートルを越す大男である。
「確かに、源三様の『お言葉残し』……記録させていただきました。
現在の雨宮家当主は、存じ上げませんが、馬場天馬どのであります」
俺は迷わなかった。
腰の日本刀を抜き、男の首筋を切り裂いた。
つもりだった。
男はいつの間にか俺の背後にいた。くそ、少年漫画じゃねえんだぞ。
男はぼそぼそと暗い声を投げかける。灯りがほとんど落とされている部屋の中で聞くそれは、まるで死神のようだ。
「秀一様、どうか早とちりなさらぬよう。
あなたが財産を相続するチャンスはまだあります」
そう言ってカガミは懐から一枚の写真とフィルムを取り出した。
見るとそれは、高校生らしき男女の行為中の写真である。
「なんだ、これは。こんなものをくれと頼んだ覚えはない」
「忘れちまったか、秀一……ナギサちゃんの顔を……」
言われて初めて俺はその顔に面影を認めた。
「こんなものをどうしろと」
「それを脅しにして……天馬と勝負して勝てば……財産は貴様のものだ。
だが負ければ……無一文でこの寒空の中に放り出されることになる。
クク……
自分の一生くらい、自分で掴んで見せろ、秀一っ……!」
「てめえも親から金を継いできただけのくせに、偉そうにするな。
地獄で俺の玉座を暖めているがいい」
俺は刀に力を込めた。
「当然ながら、馬場天馬どのを殺害した場合、財産はすべてGGS-NETへ寄付されます。べつにそれでもよろしいのですがね、私は」
カガミの減らず口を聞きながら、俺は刀についた血をぬぐった。
いまさらどうなることでもない。馬場天馬から奪い取るしかなくなったのだ。
雨宮家、その全財産を。
恐らく妹を背景にして脅せば勝負には乗ってくるだろう。あいつはかっこつけだからな。
最後の抵抗がてら、俺は憎まれ口を叩いた。
「あんたを殺せば、すべては闇の中……違うか」
「はは。無理でございます。すでに秀一様と源三様の勝負はNETに記録されていますから、私が死んだところでなにも変わりません。
それに、私も今日で引退なのでね」
俺はちょっと驚いた。カガミは俺が生まれる前から、雨宮の常勝を見守ってきた、いわば戦友のような存在である。
「ずいぶん突然だな」
「ええ。娘が育ってきたものでね、そろそろ後進の育成に回ろうかと思いまして」
そう言って帽子のツバを下げる。
「では、雨宮の勝利を祈っていますよ、ぼっちゃん」
「ああ、退屈な勝負になるだろうさ。
俺は神に愛されているんだから……」
だから、俺は負けるわけにはいかない。
俺が俺であるために、負けることは許されないのだ。