静寂の闇に支配された深き森に
「うわぁ~!!!」
突然の悲鳴。
男の身体が崩れ落ち、少女がゆっくりと側へ寄る。
「…この程度か…前評判とは随分と違うじゃないか」
誰に聞かせるともなく呟き…そして…
跳躍した。
その刹那、先まで少女が居た、丁度その場所を目がけて無数の矢が飛来する。
しかし少女は相変わらず無表情で全てをかわす。
この程度のことは彼女にとって日常に過ぎないのであろう。
続いて無数の火弾があらゆる方角から飛来するも、
「堅 守 壁」
不可視の障壁により全てを無効化する。
しかし、余裕であった彼女も、此度の飛来物に対しては、一瞬表情を大きく動かすー
巨大な拳
そうとしか形容出来ない巨大な何かが彼女の眼前に迫っていたー
「くっ」
ここで少し息を漏らし、若干表情をゆがめながら大きく後退する。
ドッゴォ!!!!!!!!!!
轟音と大量の砂塵を伴い、その何かは地に墜つ
「…連続トラップ…?私の気配に気づいた者が居る、と?」
戦慄しながら少女は呟き、周囲の警戒を強める。
…静寂
暗く、深き静寂が再び森を包んだ。
「…終わった…か…」
少女は気を抜く。
…これがまずかった。
少女は冷静さを欠いており、それ故足下に対する警戒を怠っていた。
その上広がる闇に目を眩まされ、完成しようとしている魔法陣の存在に気づくことができなかった。
そして、今、完成した魔方陣がー
少女が油断する、正にその瞬間を狙っていたかのようにー
*
「…どうだ?」
「んー こりゃ確実に死んでますナ」
森を見下ろす切り立った崖の上、月明かりに照らされる三つの影。
「根拠は?」
その中の一人、仁王立ちで眼下を見つめていた女が尋ねる。
「だって、ムりっすよ。あのタイミングじゃあ、防御も間に合わないだろうし、逃げた様子もねーですし…」
それにもう一人、女の足下で同じく眼下を覗いていた男が答える。
「…」
女は目を瞑り、しばしの沈黙の後…
「…タナ、スキャンだ」
今度は他方の男に話しかける。
「え?」
その男は、女が話しかけている相手が自分だと、直ぐには気付くことができなかったようで、
思わず気が抜けたような声を漏らしてしまった。
「『え?』じゃない、『ハイ』、だ。しっかりしろ、新入り。」
「あ…ハイ!!失礼しま…」
「早くしろ」
ここで、漸くその男、タナは『スキャン』を始めた。
ースキャンとは、一定範囲内の生体反応の有無を走査することであり、またこれを可能にする特殊能力そのものの名称でもある。
この時代、魔族軍に所属する者には少なからずこの能力を持つ者が居た。
そして、能力の及ぶ範囲、精度は本人の資質に大きく依存する。
タナのスキャンは
視界中の任意の一点から、半径500m球内において、触覚・聴覚を用いて生体反応を探ることができる。
触覚は表面のみであるものの、反面聴覚の精度は非常に高く、生体の内部、心臓の鼓動すら認識することができる。ー
「何の反応もありません…死体すら…。」
ゆっくりと目を開け頭を振りながら答える。
「逃げたか、撤収するぞ。」
女はそれを聞くや否や、踵を返し始めながら声を上げる。
「え?追わなくていいんスか?」
それを聞き、氏名不詳の男は怪訝な顔で女の方を見る。
「『え?』ではない。『ハイ』、だ」
それに対し女は澄んだ声で、このように言い含めた。
「ハイッ!!!」
これに対し、男二人は慌てて答え、女が向かおうとしている方角へと歩き始める。
しかし、女は急に足を止め、首を少し回して再び森の方へと目を向けた。
(あんな小娘一人に私を向かわせただけでも納得いきかねるが…剰え深追いを禁ずるとは…
何を考えておいでなのだ?父上は…)
険しい表情で眼下を覗きながら、女、田中由希は絶えない疑問に思いを巡らせていた。ー
*
それから数刻の後、静寂を取り戻したかのように見えた森の奥で
モコ
地面が盛り上がる。
ボンッ!!!
間の抜けた音を伴いながら、瞑目した少女が地中から飛び出した。
そしてゆっくりと目を開け、
ドンッ
胸を強く叩く。
「はぁっ…はぁ…きっつー。
…ったく砂が口に入るわ、服は破れるわで散々だよ、全く。」
独り言は性癖のようで、ぶつぶつと一人文句を垂れ流す少女、セイラ。
魔法陣からの攻撃は完全に防ぐことはできなかったものの、極力威力を殺し、致命傷を避けていたのだ。
そして更に研ぎ澄まされた彼女の感覚は、三人の監視者の存在に気づき、地に潜り、
そして、タナのスキャンから逃れるために自ら心臓を停止させた。
それほどの危険を冒してまで、魔族軍との戦いは避けたかった。
自分はあの三人には敵わない…そう、魔族軍にとっては彼女など所詮は生意気な小娘に過ぎない、
取るに足らない存在であったのだ。
この時点では まだ…
プロローグ
城。
所謂絢爛な城ではなく、
中世の日本の城、つまりは砦のような様相を呈して荒野の中央にそれはあった。
その中で相変わらず険しい表情を崩さずに歩く長身の女。
その女に対して、衛兵たちは直立で敬礼を送っている。
そう、彼女は、田中由希はこの城を国王から賜った者、つまりは城主なのである。
しばらく仏頂面で歩みを進めていた彼女だが、とある人物を認めて表情が緩み、口を開く。
「レグ!!来てくれたのか?神界から戻ったばかりで疲れているだろうに…。態々済まんな。」
「だって姉様に早く会いたかったから…。それより姉様こそお疲れのようですが…?」
心配そうに口を開く弟、レグゼンヴァ。それに対し、彼女は目を細め、弟の頭をなでながら答えた。
「何、気にすることはない。私には優秀な部下がついているのだからな。」
「あ、そういえば…」
「ん?どうした?」
「父様が、来てますよ。姉様に会いに。」
それを聞き、彼女の表情が強ばる。
(…陛下が見えているだと…?なぜこんな辺境の城などに態々…)
訝しみながらも、弟から居場所を聞き、そこへ向かった。
*
もともと大きくない城の、一際粗末な小部屋にその男は居た。
魔族軍の総帥であり、国家元首、魔王である。
「陛下、今日はどういった御用件で?」
女は慇懃な態度で接する。
それに対し、王は
「娘の顔が見たくなった…では理由にならないかな?」
軽薄とさえとれるような態度で答えた。
だが、父王がこのような態度をとるのはいつものことなので、彼女は、それを完全に無視して切り出した。
「…経過の報告を申し上げます。タナのスキャンで”逃亡は”確認できなかったため、撤退いたしました。
…仰せの通りに。」
「ふーむ。やはりか。」
王は相変わらず軽い調子で
「地中でやり過ごしたのだろうね。心拍を止めて。予想はしていたが、やはり改めてぞっとするね。」
続けた。それを聞き、彼女の苛立ちが更に募る。それに気がついたのか、
「…そう怖い顔をしないで欲しいな。今、僕からは何も話すことが出来ないが、彼女を追っていくうちに
必ず君の疑問は氷解すると確信しているんだ。」
このように話した。
「…報告は以上です。これ以上用件がないのなら、私はこれにて。」
飄々とした父王とのやりとりに嫌気がさし、出て行こうとする彼女。
「…ザノよ。」
王が呼び止める。
「まだ…何か?それと私は田中家の由希の名は捨てていません。ザノグレンドゥなどという名前では…」
「…この先君の進む道は、決して平坦とは言えないものだろう。
でもね、君には、その強さを失わずに、真っ直ぐと進んでもらいたいんだ。
絶対に、自分を見失うようなことはないように。」
このように、意味深な言葉を、急に真剣な調子で言われたので、彼女は反応に困り、
「はぁ…」
間抜けな返事と共に退室してしまった。
*
(…結局何のためにいらしたのだ?陛下は…。態々引き留めてまで意味不明な事を仰るし…
てかマジでどういう意味だよ?)
釈然としない感情を抱きながら黙々と自室に歩みを進めていた彼女であったが…
ドンッ!!!
不意に背後から強い衝撃を受け、
「ぐばぁっ!!!」
盛大な悲鳴を上げながら前のめりに倒れる。
「ね…姉様っ?!大丈夫?!」
どうやら弟、レグゼンヴァの所行のようである。
何度呼びかけても一向に反応してくれない姉に、業を煮やし、つい手が出てしまったようだ。
「…レグ…相変わらずの…バカ…ぢ…か…ら…」
力尽きた。