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十三話目「帝都竜京」

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 ジョウゼが目撃されたのは、帝都の中枢部に程近い地区だという。ぼくらは朝食をご馳走になると、キタメさんに礼を言って駅へ向かった。
「叔母さんも歳とらねえな。まあ、テンマ公爵ほどじゃねえけどな。あの人や皇帝陛下はほんとに若いままらしい……そういや前に、オレのじいさんがカキョウ姫殿下を見たと言っていたよ。五十歳を超えているはずなのにどう見ても、十五歳くらいにしか見えなかったそうだ。相当美しい人だというんで、オレも一度会ってみたいもんだがな」
 イツに連れられて町を行くと、テンマの兵士たちの姿がちらほら見られた。路面電車の中、街角、喫茶店の店先で、あの臙脂色の外套が目を引いた。
「噂のジョウゼのせいかね。彼女と手を組んでいるやつらを、テンマは一網打尽にしたいんだろ。悪党どもの秘密結社がずっと前からあるからな。だが、いつだってジョウゼは逃げ延びていたんだ。ただ者じゃあねえのは違いねえな」
 ジョウゼは「怪盗」と呼ばれていたこともあったという。テンマの本社や貴族の邸宅から、金目のものや魔法の道具を盗み出し、結社の活動に一躍買っていたらしい。イチナが逃走したときもジョウゼは研究所に侵入していた。隔壁が、何らかの強力な魔術で破壊されていたそうだ。
 しかし彼女は相手から挑んでこない限り、人間を殺めることはなかったという。〈首切り魔〉のときも、連続少女殺人のときも、逃走経路の確保に協力していただけらしい。帝都を混乱させることが、彼女の目的だったと推測されている。もっとも、帝都で発生している殺人は数知れず、密かにジョウゼにもまた、邪魔者を殺めているのではないかという疑惑は常にある。
 彼女のみならず、帝都の闇には数多くの犯罪者・怪人・盗賊が跋扈している――その中でジョウゼが異質なのは、何十年も前から歳をとらないということ、そしてテンマに反目し、なおかつ捕らえられていないという点だ。過去の記事を読んだ所によると、実際に対峙したテンマの兵士は、何らかの魔術により焼死したり、また人格喪失の状態に陥ったりしたという――魂をなくしたかのように。今も彼女はテンマの追跡を退け、暗躍を続けている。

 列車に乗り込んでからも、車内に兵士たちを何人か見かけた。車内はほとんど満員状態だったので、座席を確保することに意識が向くと、そう気にはならなくなった。ようやく座って窓の外を見ると、これから向かう鉄の都市が陽光にきらめいていた。
 それは町というより、ひとつの巨大な建造物だった。リザもまたその意味では同じだが、しかし規模がやはり、比べ物にならなかった。空を覆ってしまうほどの機械仕掛けの都市は、ぼくらを待ち構えているかのようだった。
 聞くところによると帝都リュウキョウの地下には、広大な空間が眠っているらしい。クラマさんから聞いた都市伝説の数々は、そうした未知の地下空洞の存在から生まれたもののようだ。下水や地下鉄の廃線、通路が複雑に絡み合い、どこがどこに通じているのか、完全に把握しているものはいないという。どんな腕の良い案内屋も、奥底へ行くのはためらう。物の怪がいてもおかしくはないだろう。
「しかし帝都は、ほんとうに妙な場所なんだよな」列車が動き出す前にイツが言った。「この世の場所とは思えないんだ。いや、悪い意味で言ってるんじゃねえぜ。到底この時代この場所にあるはずのない町が、どこからか運ばれてきたような感じさ。例えばそう、別の世界からな」
 クラマさんも言っていた。国中の魂が引き寄せられ、果てなく広がり続けている奇妙な町だと。
 ある意味では、昨晩の満月と同じなのかもしれない。リュウキョウという場所へひきつけられた魂はそのまま町へ吸い取られていく。町の奥底に潜むなにかへ……。
 ぼくが考えていると、列車が走り出した。
「ミア?」
 彼女をふと見ると、汗をかいている。顔は青ざめ、苦しそうだ。これまでこんなことはなかったというのに。
「どうかした? 乗り物酔い?」
「……大丈夫」
 そうは言いつつも、彼女はやはり辛そうだ。この列車にこれ以上、乗っていたくないような……。
「ミア、帝都へ行きたくないのかい」
「……」
 彼女がこちらを見た。開かれた目の中には確かに、焦燥があったように見えた。しかしそれはすぐに、いつもの無表情にかき消された。
「なんだい、まさかさっきした、帝都の地下に化け物がいるって話を真に受けたのか? ありゃ子供を脅しつける言葉さ、早く寝ないとワニの怪物が来る、ってな」イツが笑ってそう言った。

 列車が駅を離れると、辺りの景色は次第に変わっていった。
 アイレンの雑多な住宅が、無骨な金属の管や壁、巨大な柱に変わっていく。空は徐々に建造物に飲まれ、やがて広大な空間へとぼくらは突入した。
 それは確かに、別世界と言って良いものだった。とてつもなく大きな時計の中にでも入ってしまったかのように、蠢く機械、絡み合う管、鉄の橋、レール、道路、建物、それらがひしめき合っている。そしてそれぞれの大きさが、この列車を軽く上回るのだ。さらに、ぼくが始めて見る数の人たちが、その上にいる。鉄橋の下を見れば、ほの暗い縦穴がずっと続いている。
「驚いたかい」イツがそう言うと、ぼくはただ頷くだけだった。
「中枢部に近づけばこんなもんじゃないさ。悪党の数ももちろん増えるから、スリには注意するんだ」
 列車はやがて速度を落とし、駅に到着した。
 穴に面した階層のひとつが、そのまま駅舎になっていた。どこまでが駅でどこからが町なのか区別できなかった。列車を降りるとすぐに商店がずらりと並んでいる。露天商も多い。出口がどちらなのかはまったく分からない。
「まずは落ち着くことさ。あとは看板を見ること。それができれば迷いはしない」
 イツはそう言ってぼくらを導いてくれた。
 駅を進むと大きな出口があり、その外は大通りだ。と言ってもまだ建物の中だけれど、天井は果てしなく高い。
「さあて、オレはそろそろ行くかな。蝶を仕入れにさ」
 そう言うイツをなんとか引き止めたかったが、彼は握手をして去っていった。
「ま、いつかまたどっかで会うだろうよ。それじゃあな。迷ったら誰かに聞きな」
 たちまちのうちに彼は人ごみの中にまぎれてしまって、どこにいるのか分からなくなってしまった。初めからそこにいなかったかのように。
 ぼくは取り敢えず彼に言われたことを思い出した。まず落ち着くこと、そして看板を見ること。
 流れる雑踏を前にぼくは、深く息を吸い込んだ。
 混乱は多少和らいだようだったけど、それでもどちらに行ったらいいか判明したわけではなく、ぼくは諦めて建物の壁にもたれかかった。
 さあ、次はどうしたらいい? ぼくはもうひとつの選択肢を思い出した。

 そうして、人に聞こうとはしたものの、相手が目的の場所を知らなかったせいでうまくいかず、ぼくは途方にくれミアの手を握った。電車の中で垣間見せた表情とは違い、何の感情をも見出せないいつもの彼女だ。……さて。ここからどうしたら、ジョウゼのところへ行けるだろか。そしてぼくは結局のところ、彼女に会ってなにをしたい? 自分の過去が分かるだろうか? 相手は怪盗で、冷たい目をした魔女だ。そうやすやすと教えてくれるものだろうか? 回想の中の彼女はぼくに危害を加える様子はなかったが、現実では安全にいけるだろうか?
 考えるぼくの手をミアが引いた。
 どうしたんだろう? これまで彼女がぼくを、どこかへ導くということは一度もなかった。すべてぼくの判断に任せていたはずなのに。
 彼女はぼくを連れてどこかへ進んでいく。大通りから細い道へ入り、暗がりの中へ。それは彼女と初めて歩いた、リュウズの町を思い起こさせた。しかしもちろん、同じ裏路地でも様子はまったく異なり、どこからか聞こえる機械音が絶え間なく、心音のように鳴り響いていた。ああそうか。ぼくは思った。この町は生きている。それ自体が脈打ち人々を引き寄せている。テンマがこの町を作り管理しているのではなく、彼らは単に町と共生しているだけなのだ……町は生物の体内のごとく、動いている。人間たちはその中でとらわれていることに気づかず生きている。いずれこの町は国じゅうに広がっていくだろう。そうなったら……この国すべてが帝都に、いや帝都で死んだ竜の王、その体に飲まれるということになる……
 ミアの手からは体温が失われ、暖かい血ではなく冷水が流れているかのように感じた。それでもぼくは彼女の手を放さない。流れる風景の中、走り続けていると、不意にさまざまな映像が浮かんできた。同時に、頭の中に痛みが走った。そして、あの懐かしい気持ちが溢れて来る。夕暮れの町を歩くような、どこか切ない気持ちが。

 ぼくは探偵だった……捕まえられなかった相手はない。怪盗、殺人鬼、逃げた飼い猫、すべては手の中にあった。〈首切り魔〉もそうなるはずだった……
 ぼくは貴族の家に生まれた少年だった……広い庭でいつも婚約者の女の子と遊んでいた。ぼくはいつだって彼女を捕まえることができた。ちょっと走るだけで良かった。そうするだけで、薔薇の茂みに彼女が隠れる前に追いつけた。だけどある日、彼女は走ることができなくなった。話すことも……ベッドに横たわる彼女にはすでに表情がない……体温も……凍りついたように動かない彼女を前に、ぼくは泣くこともできず立ち尽くしている……
 ぼくは自由のない令嬢だった……毎日部屋から出ることもできず町の喧騒とだけ会話している……人々にわたしは話しかけはするけれど、一度も答えてくれたことはない。あのときもそうだった……赤い月の夜、行われた火祭り……死んだ人間の魂が、炎とともに空に上っていく。家を抜け出したわたしが話しかけても、誰も見向きもしてくれない。わたしがそこにいないかのように。わたしは幽霊のように街をさまよう……
 ぼくは作家だった……いつも不機嫌だ……来る日も来る日もぼくは白い紙の上で人を殺した。できるだけ残虐に。彼らはどこへ行くのだろうか? 俺が殺した人間は天国へも地獄へも行けない。ただそこに無残な姿でいるだけだ。本が最後のページを迎えたとき彼らは消える……飼っている黒い猫は今日も俺を睨み付ける……軽蔑しているのか? 存在しない人間たちを殺し続ける俺を。そうして俺は、自分の生きる希望が、白紙の上の人々を殺すことだと気づく……
 ぼくは一人の旅人だった……一度も帝都から出たことはないがそれでも、同じ場所へ二度と行くことはなかった。この町は一人の人間が歩くには広すぎたから。しかし、あるとき桜の木を見てからぼくは、その場所にだけは毎年やって来ようと思った。春が来るたびに。
 決して前に行った場所へたどり着けなくても、ぼくはその木のある場所にだけは来ることができた。今年もまた春がやって来る……
 ぼくは一人の戦士だった。この土地はぼくらの王国だった。ときどき小さな人間たちがぼくに挑んでくる。彼らはひと吹きで吹き飛んでいく……それでも彼らは挑んできた。わたしは敗北するということを知らなかった。しかしある日、西の果てから勇者がやって来た。彼はわたしにこう言うのだ……「お前たちの王と戦わせてほしい。わたしが勝ったならこの国をもらう、それでどうかな?」
 わたしはせせら笑い、彼に挑む……あれはいつのことだったのだろう? 百年、二百年、五百年前? いや、千年前のことだ……

 ぼくが気づくと、そこは暗い空間だった。辺りは高い壁に仕切られて、機械の鼓動だけがやけに耳に響いてくる。上を見上げればかすかに光が見えたが、噴き出す白い蒸気がそれを阻んだ。
「ようやく帰ってきたね、セン」
 声がした。
 ぼくはその声の主がミアであると知っている。しかし、今喋っているのは彼女じゃなかった。
「あなたの中の魂が馴染みつつある。完成は近い。さあ、行こうか」
 彼女は笑みを浮かべてぼくに手を差し出した。ずっと掴んでいたと思っていたぼくの右手は、すでに力なく宙にぶら下がっていた。
「ああ、久しぶりだな、あなたに会うのも。あれからずいぶん経つようだけど、そうでもないのかな?」ぼくは彼女に歩み寄る。手を取ることはなく。「ぼくらが帝都に入ったから、そうして出てくることもできるってわけか。だけど案内はもう、必要ないよ。ぼくは思い出したからさ、歩き方をね」
「だろうね。あなたはすでに何度もこの町で生き、死んだのだから。おかえり、セン」
「ああ」ぼくは歩き出す。自分の生まれたこの町を踏みしめて。「帰ってきたよ、ジョウゼ」


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