トップに戻る

<< 前 次 >>

期間限定の僕ら3

単ページ   最大化   


 入学式という名の集会に、僕を含めた数百人が参加していた。
着るというよりも着られているという言葉が上手く当てはまる様な、硬く重苦しいブレザーを身に付けて、この何百人という中に紛れ込むようにして僕は立っていた。周囲の者も僕と同じように降ろし立ての制服を着用しているし、知り合いのいない空間というものが空気を更に重くしている。
 前方では、複数の教師がそれぞれ服装を正して立ち、その中の一人は壇上でありがたい言葉達を組み合わせて作られた話を熱く語っている。多分これを胸に留めているのはごく少数で、ほとんどは僕のように右から左へといった状態なのだろう。
 ほとんど何事もなく進んでしまった中学生活から、何か変化は訪れるのだろうか。よく高校デビューという言葉を見かけるが、僕はここでそんな言葉の当てはまるような学生として生活できるものなのだろうか。
 僕にとって高校という存在は、その中学時代に埋めることのできなかったピースをパスルにはめ込むためのものでしかなかった。友達は程ほどに、毎日適当に絡める奴がいればいいさと、学校行事には適度に参加して、クラスの輪の一部に適当に組み込まれておいて、それだけの事でもきっと僕の欠片は埋まる。けれどもそれができないから今僕はこうやってひたすらに目の前の不安の塊をどう砕こうか悩んでいる。
 ふと、誰かが肩に手を置く。
「……あの校長の話長すぎて飽きた」
 そんな何気ない一言を投げかけてきた彼は僕を見てにこりと笑う。僕はそんな彼に対して怪訝そうな表情を返した。
「雪群駿、だろ?」
 突然呼ばれた名に、思わず心臓が高鳴った。
「なんで俺の名前?」
 そう問いかける僕に対し、彼はにやりと悪戯な笑みを浮かべながら一枚の手帳をぴらぴらと僕に見せる。その手帳で、僕は全てを理解する。
「生徒手帳、落ちていたぞ」
「あ、あぁ……ありがとう」
 僕は彼から手帳を受け取ると、それをポケットへと滑らせる。が、そこでもまた彼は食いついてくる。
「胸ポケットに入れておけよ。絶対落ちないから」
「……」
 大きなお世話だと言ってやりたい気持ちが生まれるが、そんなことをこの場で言ってしまえば確実に空気の読めない奴として認定されるのではないだろうか。僕はふとそんな保身の入った考えを脳内で巡らせる。
「大きなお世話だとでも言いたそうな顔だな」
 心臓が高鳴る。機嫌でも悪くさせただろうか。僕はゆっくりと彼の顔に視線を向ける。
「いやまあそう思うよな。入れるところなんて自分で考えるべきだし」
 彼は、楽しそうに笑みを浮かべていた。その態度に僕はひたすらに疑問を抱き続ける。
「お、校長の話終わったぞ」
 再び視線を壇上へと戻してみると、確かに校長の姿は消え、そして各自クラスへ戻れという言葉が体育館に響き渡る。
 周囲の生徒達は教師を先頭に列を作り出口へと向かっていく。僕等のクラスも同じように並び、出口へと向かっていく。
「じゃあ、また後で」
 彼はその一言だけ言うと列の後ろの方へと行ってしまった。
 何故だろうか、声をかけられただけなのに、とても安堵感を抱いている自分がいるのだ。
「なぁ」
「え?」
 前の体格の良い男子生徒が声をかけてきくる。
「やけに楽しそうに話してたけどさ、知り合いなん?」
 多分彼は話を聞いていた。先ほどまで僕の隣にいたのだからそれは確実だ。だが、その話していた姿を見ていたことで僕に声をかける機会が生まれた。それをきっと彼は利用したのだと思う。
「いいや、名前も知らないんだよね。君は?」
「ああ、俺? 俺は坂口」
「坂口か」
「いきなり呼び捨てかよ。まあ別にいいけどさ」
 彼ははにかみながら僕にそう言った。僕はそんな彼に笑みを返し、そして心の中で、先程声をかけてくれた男子生徒にお礼を言った。なんとか高校生活の第一歩を踏み出す事が出来たことに対する礼を。

 今後の予定や授業日程、その他諸々の連絡が済んだ後、担任となる教師は出て行く。それと同時に、というかその瞬間に導火線が火薬に触れた瞬間用に、教室中で一斉に雑談が始まる。なんだかんだ既にグループができつつあるという状況に僕は多少の焦りを覚えていたりする。
「よう」
 そんな中、入学式で声をかけてきた男子生徒がやってくると、僕の机に腰をかけ、そんな陽気な言葉を繰り出す。
「おう」
 なんて返せばいいか分からなかった僕は、そんな適当な返事を返してからそっぽを向く。何故かは分からないが、顔を合わせ辛い。
「それにしてもさ、ここのクラス自己紹介ないのな」
 退屈そうな欠伸をしながら彼はひとり言のようそう呟く。ああ、確かにその意見には賛成かもしれない。
「それは俺も思った」
「だよなぁ、じゃないと話の合いそうな奴とか分からないし」
 周囲を見渡してみる。自分と似た雰囲気を持っている人間を探し出すことはできているようで、既に僕と彼を除いた生徒はグループと化していた。その中には先程会話を数回交わした坂口の姿も見えた。
「……」
「……」
 無言になる僕ら。彼は足をぶらぶらとさせ、携帯を弄りながら周囲の景色を無言で観察している。
 聞くのならば、今が良いタイミングだろう。いや、聞かないとこれからなんと呼べばいいのか分からないし。
「あの、さ……」
 彼は携帯から視線をこちらへと向けた。
「ん?」
「自己紹介っていうかなんというか、そろそろ君の名前、教えてもらえないかな?」
 静寂。いや、周囲は多分廊下に響いているであろうレベルで騒いでいるから物理的な静寂は生まれてはいない。僕と彼との間に、静寂が生まれているのだ。
 暫くぽかんと口を開けて見ていた彼が、突然噴き出し大笑いを始める。一体何事かと僕は肩をすくめる。
「そういえば名前言ってない」
「なんて呼べばいいのか分からない」
 ああごめんごめん、と彼は笑みを浮かべながら携帯を弄り、そして画面を僕の目の前に突き出す。
 そこには、馴染みのある文字が入った彼の名前があった。
「菅野、駿介?」
「そう、駿介って呼んでくれ」
 「駿」という文字を見て、僕は少し彼をじっと見つめる。
「同じ漢字が使われてる奴が一緒のクラスにいるとか、偶然で面白いだろ。ちょっとした運命を感じないか?」
「それで俺に?」
「どんな奴かと最初は思ってたけど、普通な奴で良かったよ本当にさ」
 そう言って彼、もとい駿介は僕の肩に手を回して笑い声を上げる。
 鬱陶しいけれども、嫌ではなかった。こういう付き合い方をしてくる奴もいるのだなと、なんだか心が温かくなった気さえした。
「よう、楽しそうじゃないか」
 駿介を見てなのか、先程まで向こうの集団に埋もれていた坂口がこちらにやってくる。僕はよう、とぎこちなく手で挨拶をしてみる。駿介はどういった行動に出るのだろうか、それが少しだけ気になっていた。
「おう、お前はどこ出身よ」
 駿介は非常にハキハキとした声と共に坂口に飛び付き、質問攻めを始める。少し困っている坂口と、楽しそうに笑う駿介。そんな二人を見て、僕も思わず笑った。

 それが、入学当初の僕等の出会い方。なんとも出鱈目でドラマのない、ただ単純に名前に同じ漢字が入っていた事から始まった三人組の物語。
 彼はあの時、僕と出会ったことを「運命」だと言っていた。
 ならば、こうなることも運命であったのだろうかと、僕はぼんやりと考えてしまう。
 肌寒い風の吹く屋上。閑散としたその景色の中に、僕と駿介はじっと立ち望んでいる。
 覚悟を決めた顔をした駿介と、戸惑いの色を浮かべた僕が、二人。じっと、じっとこの灰色に包まれた屋上に……。

   ―期間限定の僕ら3―
   ―金曜日①―

「おはよう」
「……おはよう」
 二日目となるこの挨拶。僕は少し控え気味な声で、彼女は昨日と変わらぬ声と笑顔で挨拶を交わし合う。
けれども、昨日と違うところが一か所だけある。
「……ふふ」
 その違いに気づいた彼女は、少し声を漏らし、そうしてから僕の顔を見て頬を赤く染めた。そんな彼女の表情を見ていると何故だか急に恥ずかしくなってきたので、さっと視線を逸らす。
 適度な力を込めて握った手を、彼女の細くて繊細な手が握り返してくる。
「行こう」
「あ、うん……」
 視線を下に向けたまま僕は笑みを浮かべ続けているであろう彼女にそう返し、僕らは歩き出す。彼女は陽気に繋いだ手を前後に振っている。下を向いてその手の動きを見る。
 なんていうか、これが恋人同士っていうものなのかなと感じる僕が心の端っこにいた。女性と手を繋ぐなんて、それもプライベートでなんてよく考えればそうないし、聖著すればするほどそれはより特別なものへと変わっていく。不思議な物が、手を繋いだだけなのに、他にも何か暖かい物が繋がり合っているような感覚を覚える事だった。この感覚は、この感情は、一体どこから沸き上がるものなのだろうか。
「雪群君」
「え?」
 不意に名を呼ばれて僕は顔を上げる。
「ちゃんと前見る」
 そう言うと彼女は繋いでいた手を離し、両の頬を挟みこむと、俯きがちな僕の顔をまっすぐ上げる。彼女の顔が目の前にあることに僕は少したじろぎ、視線をそらそうとするのだが、彼女はそんな僕をじっと、凛と輝く瞳でじっと見つめてくるのだ。そんな事をされれば見つめ返さざるを得ない。
「……ほら、ちゃんと前向けた」
 頬に手を添えたまま彼女は口元を吊り上げ、可愛らしい笑窪を作った。以前よりも間近で見るその笑みに、僕の心が強く高鳴る。この彼女の積極さが、僕の根本的な部分を次々と作り変えていっている。そんな気さえした。
「……」
不意に、自分が別の思考を抱いていることに気づく。この距離は、というかこの体勢はどう見ても「手を繋ぐ」以上に危険ではないだろうか。
 間近で潤み輝く二つの瞳を覗かせ、僕の頬に手を添えている彼女。
 もしもこのまま、僕か彼女が一歩前に足を踏み出せば……。
「よう、駿」
「……おう駿介」
 その言葉とほぼ同時に綾瀬の手が離れる。一瞬だけ心の中で空気を読まずに現れた駿介に殺意に近しい何かを感じたが、それを胸の内で抑え、朱に染まった顔をなるべく見せないようにそっぽを向きながら返事を返した。
「おはよう綾瀬さん」
「おはよう」
 声をかけられた綾瀬を見てみると、彼女は顔色一つ変えずにただただ笑みを浮かべてその声に挨拶を返していた。その反応に、僕は少し寂しさを覚え、何故かは分からないが拳を軽く握る。
「ああ、俺……もしかして空気読めてなかった?」
 その通りだと言ってやりたかったが、先程の小さな殺意と同様に僕はそれを飲み込み、胸の内にしまい首を横に振った。
「別に気にしなくて良いよ」
 彼のその少し遠慮がちな一言に綾瀬がそう言った。その発言に、僕はまたしても何かをえぐり取られた感覚を覚える。僕と彼女が七日間限りの付き合いであることを自覚させられる毎に覚えるこれは、一体……。
「雪群君、行こうか」
「あ、ああうん」
 再び手を繋ぐ僕ら、それを見つめる菅野。
「じゃあ……また、教室で」
 その視線が何故か怖くて、僕は苦し紛れにそんな言葉を漏らした。
「ああ、また後でな」
 駿介は口元だけ笑みを浮かべながら、それでも眼は覚めたまま僕に手を振った。
 そんな彼に背を向け僕と綾瀬は再び手を繋ぎ、歩き出す。
 あの表情に、一体何があるのだろうか。僕は彼に何かしてしまったのだろうか。僕が七日間だけの彼女という存在に食いついたことに呆れているのだろうか、いや、それならば昨日の祝福はあり得ないだろうし……。
「どうしたの?」
「え?」
 物思いに耽っていると、隣の綾瀬が心配そうに顔を覗かせてくる。そんな彼女に首を振り、僕は前を向く。
 駿介に対する違和感は、今後何か僕の身の回りを変えてしまいそうで、彼も変わってしまいそうな……。そんな警告を発している気がしてならない。
 何か嫌な空気を胸の内に感じ、僕は少しだけ彼女と繋いだ手に力を入れてしまった。
「ねぇ」
「何?」
 不意に向けられた彼女の視線。悪戯に微笑む口元。
「今日は、これで学校まで行ってみようか」
 僕は凍りつく。昨日、仲の良い集団を見つけると僕との関係を隠すように去っていった彼女からそんな言葉が出てくるとは全く以て思わなかった。
「いや……そんなことしたら噂になるけど、いいの?」
 焦りの色を浮かべつつ、率直に浮かんだ言葉を掬い取って吐き出した。
「いいじゃない。噂も何も、付き合ってるんだから」
 その問いに彼女はただただ笑いながら、僕の手を引いた。

   ○

「なぁ、お前綾瀬と付き合ってるって本当かよ」
 一時限目が終わると共に、誰かがそんな問いを僕に向けて放つ。登校する集団の中に彼女と手を繋ぐ僕の姿があったのだから、誰もが思っていた疑問だろう。よく見てみると周囲のクラスメイト達もじっとこちらを見つめ、僕の答えを待っているように見える。
 これはもう、言ってしまってもいいのだろう。僕は腹を決めて口を開く。
「そうだけど、何か?」
 刹那、驚きの声と歓声が混ざりあったかのようなざわめきが周囲で起こる。その光景に、僕はただただ小さくなる。こんなに目立った事が滅多になかったからか、こういった状況に免疫がないのだ。
「すっげぇなお前! 本当にまさかあの人と付き合うとは……」
 どこかのお調子者はそう言った。
「雪群君って女性を避けてるところがあったから、本当に意外」
 どこかの化粧をした女子生徒はそう言った。
「で、どこまでいったんだよ!?」
 どこかの空気の読めない男子生徒は、そんな事を言った。
 僕はその周囲から迫られることに対する圧迫感におどおどとしながら、この状況を回避するにはどうすればいいかを必死で考える。
 けれども僕の思考には何一つ回避方法は思い浮かばない。
「ほらお前ら、駿が完全に引いてるって、落ち着こうぜ」
 結果として言えば、この状況と僕の状態に呆れた翔が仲裁に入りこの騒ぎは収まった。
 翔はこちらを見てため息を吐き出しながら、席へと戻っていく。
 助かった。本当に助かったと、僕は机に突っ伏しながらそう心の内で小さく呟いたのだった。

   ○

「お前がハッキリしていればあの状況はすぐに収まってた」
 寒い屋上で昼食を取っていると、翔がそんな事を漏らし、僕に指を向けた。
「言ってやるなよ、それが駿だし、この性格はなかなか変わらんよ」
「流石は駿介……。僕の特性をよく感じ取ってる……」
「いやなかなか変わらないけど、変える努力ぐらいはしろよな」
 軽口を叩きつつ笑い合う僕ら。この引っ込み思案な性格は、入学当初からあったものだから、今更変えようと思っていても変えられない僕という存在の「特徴」だ。これが特徴であるというのはあまり納得できないが、それ以外にたいしたものを持っていないのだから、やはり引っ込み思案なのが「雪群駿」という存在の証明となるのだろう。
 まあ、そんな事よりも僕が気になっているのは駿介のことだった。
 今も確かに三人で馬鹿話を繰り広げて笑ってはいるのだが、何故だか僕を見ながら浮かべた時の笑みだけ、いつもと違うような気がするのだ。
 いや、気のせいなのだろうか。気のせいにしておくべき……なのだろうか。
「ああ、そういえば今日集会だったの忘れてたわ」
 翔は携帯で時間を確認すると、うわ、と言葉を漏らし立ちあがる。
「大変ですな、学級委員も」
 駿介が悪戯にそんな茶化しを入れた。
「うるせぇ、もとはと言えばお前ら二人のせいだろうが」
 そう言ってはにかみながら彼は一人屋上を後にしてしまった。
 彼の言った通り、彼を学級委員に仕立て上げたのは僕と駿介だ。最後の学級委員だけ決まらない時、グッスリと眠っている彼を指さし二人で「こいつを推薦します」と言ったのが全ての始まりだった。その後の翔の驚きったら――
「なぁ、駿」
 僕の中に浮かんでいた過去の映像の停止ボタンが、ゆっくりと駿介によって押された。
「何?」
 朝から感じるあの違和感を必死に振り払い僕は彼の顔をしっかりと見据える。こういう時こそ、ちゃんと前を見なくてはいけないと感じたのだ。
――ほら、前を向く。
 あの時の彼女の言葉が鮮明に蘇る。
 言われたことは、ちゃんとやらなくては、この違和感を消し去る為にも、僕は彼と向き合わなくてはいけない。
――あれ? ならば、今まで僕と駿介は、向き合う事が全くできていなかったのか?
 昨日まで何事もなくできていた筈の事が突然できなくなってしまったかのような、そんな感覚と更なる違和感が僕の中に芽生え始める。
 駿介は口を開く。
「俺が空気も読まずにあんな場面で声かけると、本当に思うか?」
 身体が、血液の流れが、全てがいつもの倍くらいに感じ始める。
――駄目だ。
彼の一言で、僕は瞬時に悟ってしまった。
「それは……」
 聞いてはいけないと思っているのにも関わらず、僕の口からはその先を聞く為の言葉が出た。
 駿介はじっと僕を見つめる。
「お前が付き合ってる期間は七日間だろう?」
実質付き合い始めたのが昨日なのだから、来週の水曜日までの一週間、ということになる。僕はゆっくりと頷いた。
 聞いてはいけないのに、その耳を塞ぐ気にはなれない。意志と身体がほぼ真逆の反応を示している事に対するもどかしさを抱きながらも、それでも彼から視線は話さない。
――できれば、言わないでくれ……。
「俺さ……」
――言ったら、もしかしたら……。
「来週の木曜日に……」

「綾瀬に告白する」

 何かがピシリと、僕の中で音を立てた。


   ―金曜日②へ続く。
3

硬質アルマイト 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る