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期間限定の僕ら7

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「おはよう、雪群君」
「……」
「ん? 私の顔に何かついてる?」
 何故、彼女はここまで何もなかったかのようにけろりとしていられるのだろうか。
 僕はじっと彼女の顔から視線を動かさずに、それでも足だけを前に動かす。その間も僕と彼女の手は繋がっていて、傍から見れば彼女と彼氏のようだねといった様子だ。
――私があんたのこと好きになると思う?
 あの夢で言われた言葉は、一日たった今では大分断片的なものとなっていた。だけれども、根本的な部分は変わらずに「これが夢だと気付け」と訴えかけている。僕はその言葉をぶんぶんと振り払う。
「昨日、さ……」
「昨日?」
――言えよ。あの光景はなんだったのか。誰かが僕の肩に手をかけ揺さぶる。ここで何も知らなかったふりをして終わらせるなんてそれこそ本物の屑だぞと。
 僕は一度だけ視線を左右に揺らした後、彼女へとそれを戻し、そしてじいと見つめる。
「昨日さ、駿介と一緒に……いなかった?」
 覚悟を決めた割にはすらりと出た言葉は、いや本当は覚悟を決めるなんてことを簡単に吐いてる時点でそれは大した力を持っていなかったのかもしれない。
 でも、僕なりの“覚悟”というものを決めたのならば、それは貫かなくてはならない。このまま知らないふりは――
「いたっていうか……うん、いたことになるのかな」
 思考が、停止した。
「やっぱり」
 苦し紛れの一言が、僕の首に巻きつく。彼女はけろりとした顔をして僕の言葉を呑み込んだ。
「二日も映画館に行くとは思ってなかったんだけどね」
 その言葉を聞いた瞬間に僕は彼女の手を離し、全力で駆け出す。後ろから彼女が僕を呼び止める声が聞こえるが、それさえもブレーキの役割とはならなかった。
 穏やかな表情や大欠伸、馬鹿笑いの集合していくいつもの校舎を駆け抜け、玄関で皮靴を適当に突っ込み上履きの踵を踏み潰して階段を上っていく。自らの教室のプレートが姿を見せた瞬間、僕の心がぞくりと震えた。息を切らし、軽い汗をかき、重たくなった足取りでゆっくりと教室へと入っていく。
「今日はやけに早いな、駿」
「翔か……」
「駿介は今日は休みだってさ」
「……そっか」
僕は一人拳を握り締めた。ぶつけたくてもぶつけられないこの感情、そろそろ見つけなくてはならない答え、何も定まっていないこの不安定な泥船の中で僕は一人うずくまっている。
一体僕はどうすればいい。
 一体僕は、何にこの気持ちをぶつければいいのだろうか……。

   ―期間限定の僕ら7―
   ―月曜日―

 空になった紙パックの口に刺さっているストローを咥えて僕は空を見上げ、虚ろで定まっていない視線で雲の数を数え続ける。いち、に……。
 三つ目を数えようとしていた時にぎしりと錆の擦れる音を聞いた。
「……うす」
「……おす」
 気まずい感覚を覚えて、僕と翔は視線を交えないようにしながら昼食を食べる。なんていうか、不味い。とにかくとにかく不味い。フルーツジュースとカレーパンの組み合わせは最強に合わないということはとっくの昔に分かっていた筈なのに、何故僕は今日この組み合わせを選んでしまったのだろうか?
 いや、多分あえて選んだんだ。組み合わせの悪さというものが一体どんなものを生み出してしまうのかを再確認する為に……。
「なぁ」
 不意にかけられた声に、僕はやっと視線を翔に向ける。
「何があったんだよ?」
 ああ、やっと聞いてもらえた、と僕は内心で安堵感を抱く。自分から言う勇気がなかったのだ。「聞いてくれよ」等といった切り出し方からなんて絶対にする気になれなかったのだ。
 僕はゆっくりと口を開き、そして事の顛末を話しだす。

「――なるほど、な」
 翔は頷くとぐいと炭酸飲料を煽った。相当な刺激がある筈なのに、翔は比較的楽な顔をして炭酸飲料を飲み干す時がある。勿論今回も半分以上残っていたコカ・コーラのペットボトルをゴクリゴクリと飲み干してしまった。
 相変わらずやるもんなぁと眺めていると、翔は一度大きくげっぷをしてからコンビニのサンドウィッチに被り付いた。暫くもぐもぐと咀嚼し続ける翔を、僕はぼんやりと眺める。
「最後まで聞いてないのに逃げてきたわけだ、お前は」
「……は?」
 そのすぱんと呟かれた一言に僕はカチンときて、思わず立ち上がってしまった。翔はこちらを見ずにサンドウィッチを更に咥える。
「じゃあどうすれば良かったんだよ! あと数日しかない状況でこんなことされて!」
「たった一週間でもお前は綾瀬さんの彼氏なんだろ?」
「それは……れは……」
 黙り込んだまま僕は俯き、拳を握り締める。何も言えない。
「恋人なら恋人なりに真実を求めるべきなんじゃないのかな?」
 俺の個人的な考えだけど――彼はそう言いつつ頭をガシガシと掻く。
 翔は三年間の中で二度だけ、自ら想いを告げたことがあり、またその二度目に彼の想いが伝わり実ったことがあった。
 けれども、その関係はたったの三週間で終わってしまったのだった。まあ、たった一週間の僕には最早笑える話とはいえないのだけれども……。
――間男、にされていたのが原因だった。
 所詮こんなもんなんだなぁ、ああくだらねぇと彼は笑っていたのをよく覚えている。
 僕は固まった肩を解し、一度深く息を吐き出した。

 視界が開いた気がした。

「まださ、間に合うと思う?」
 ぼそ、と呟くようにして僕は翔に問いかける。
「それはお前が決めることだろ」
 行って来いよ、という音のない言葉を、僕は聞いた気がした。
 こくりと頷いてから紙パックの中身を飲み干して手すりに置くと僕は地を蹴った。目の前に迫ってくる鉄戸のノブに手を伸ばし、思い切り捻りながら押し込んでそのまま階段をころげるように降りて行く。
 この先に何を願うのかを、自分自身の小さな明日を見つける為に――

   ○

 面倒臭い、本当に面倒臭い二人だと今ならハッキリと思える。特にあいつの方は本当に面倒臭い。
「はぁ……」
 苦味交じりの息を吐き出しながら俺は肩を落とした。本当に、どこまで奥手同士なんだか……。
 さっさと打ち明けてしまえばいいものを、ヘンテコな契約を付けてしまうなんて……。
「本当に参った。降参だよ……」
 それにしても、あいつが最後に言ったあの“仕掛け”というのは一体なんなのだろうか。それだけがとても気になる。読んだ特典……だとか言っていた気がするが……。
 まあいい、もうこれ以上俺が干渉することはなくなったし、そのまま突き進んでくれればいいさ。
「……」
 ほんの少しだけ笑ってしまう。何故だか、悔しいのに幸せな気持ちが滲んでくる。この気持ちはなんだろうか?
「さっさとくっついちまえばいいんだ……駿の野郎」
 俺はほんの少しの後悔をそこで吐き出した。

   ○

 階段を飛び降りて、硬い地面に着地した瞬間に、びりりと電気が両の脚に奔る。僕は思わず足に手を置きながら、それでも顔だけは下げずに、前を見つめる。
――いちっ、にっ……。
 足のしびれが、取れた。
「さんっ!」
 地面を蹴れたことに、ちょっとした感動を覚えた。
僕はその気持ちのままもう一歩を前に突き出し更に歩を速める。
――自分自身で見つけなくちゃ、意味がない。
 あの時こんな不思議な一週間を提案してくれた彼女の笑みを思い浮かべて一歩。
――この気持ちに、核心が欲しい。
 口づけをしてくれた彼女を思い出して、更に一歩。
――女性の苦手克服なんてちゃちな理由で終わらせていいのか!?
 横断歩道で呟いた聞こえない一言を思い出して、もう一歩。
 そんな理由で終わらせたくないから、いや、僕は――

 そこで、足が止まった。
「朝ぶりだね、雪群君」
 自然と拳に力が入った。
「綾瀬さん、ちょっと話いいかな?」
「うん」
 思いつめたような言葉に、彼女はほけっとした表情のまま、一度頷いた。

   ○

「朝は突然ごめん」
「別に気にしないよ」
 綾瀬はにこりといつもの笑みを浮かべながら手を振る。僕はその姿にほっと安堵の息を吐く。
「でさ、駿介と何の話を?」
「ええと、告白されたの」
 へぇ、と僕は生返事を返した。大体そういった類の部分ではあるのだろうと、冷静になってから考えてみたが、やはりそうだったのか。
「なんて返事を?」
「勿論いいえよ。仮にも今彼氏がいるのにそんなことを了承するわけないじゃない」
「そ、そうだよね。ははは……」
 乾いた笑い声がつい出てしまった。そしてそのまま空を見つめると、僕はふとあの本のフレーズを思い出した。
「“何故、空をよく見上げるんだい?”」
 その言葉に、彼女はハッとして、そうしてから少し微笑む。ああ、流石に愛読書と言っている者にとってはすぐに思いつく文章だったか。
「“求める事はつまり上を目指す事だからだよ”」
 ご明答。
「へぇ、そうなんだ。じゃあ僕も空を見上げてみようかな」
 僕がそう言うと、彼女は小さく微笑んだ。
「良いと思うよ」
「え?」
 帰ってきた言葉に、僕は思わず目を白黒とさせてしまった。
「あの時の友人と言ったことが……」
「だって、雪群君はもう決まってるんでしょう?」
 まるで僕が答えを持って来たかのように言うと、綾瀬はふに、と僕の頬を外に内にと伸ばし縮める。
「ま、まだ決まって……」
「期限、明日だね」
 どくんと、心臓が一度弱々しく鳴った。
「そう、だね……」
「まだ“楽しかった”は言わないからね」
「俺も、まだ言わない」

 それは、どちらの意味での“言わない”だったのだろうか。

「明日はあの本も一緒に持ってきてもらえるかな?」
 その言葉の一つ一つが、ゆっくりと僕の頭を現実へと引き戻していく。ずずり、ずずりと……。
「借り物だからね」
「お願いね」
 僕は頷いた。そりゃあ明日には他人になるのだ。他人の物を所持し続けるほど僕は馬鹿ではない。
「じゃあ、今日も待ってるよ」
 僕は頷く。何故彼女がこんなに畳みかけるように言葉を放っていくのかが、妙に気になるが、今はそれを押し込めて微笑みの仮面を付ける。
「放課後に」
「校門前で」

 互いに頷いた後、彼女は行ってしまった。僕はその後姿を見つめた後、はぁ、と空を見上げた。
――良いと思うよ。
 あの言葉の真意は、一体何だったのだろうか……。
 まぁ、今最もすべきなのは「借り物をさっさと消化すること」だろう。
「あの量を、一日でかぁ……」
 読書家にとっては大した事の無い量かもしれないが、僕はあまり本を読まない方だ。大丈夫なものかなと、僕は空を見上げた。
「空を見上げるのは、何かを求めているから……」

 よっしゃあと。

 僕はそう自分に気合を入れた。
7

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