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毒ガス

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しゅーしゅー


「父さん、今頃何してるのかな?」

「ばっか。よせよ、そんな……【ゴボゴボ】話題」

「だってさー」

「…………」


しゅーしゅー

淡々と続く焼け野原を焦がす真っ赤な夕日。見渡せば馬鹿な大人がごろごろ無造作に転がっている。
その数はざっと――駄目だ、数える気になれない。とにかく無様に転がっている。


「……ざまーみろ」

「え?」

「なんでもない」


世界が派手な喧嘩を始めてから6年経ったある日、ボクらの住む孤島に一際大きな工場が出来た。
島中の家のトタンを剥がしていき、寒い思いしたので忘れるはずも無い。何を作っていた工場かは知らないが、兵隊さんは「戦線での切札になる」と豪語してたことをボクはよく覚えている。日中警備も厳戒で真夜中になってもサーチライトを明るく照らしていた。たまに火薬の弾ける音が聞こえたかと思えば工場の入口に赤い血がべったりと付いている日もあった。

その工場も今ではこの様だ。昨日の晩、突然島中に響くような轟音と大きな火柱を立てた後に、今はこうやって不自然に黒い煙を吐出し続け島全体を黒く染め上げている最中だ。その煙を吸い込んだ皆は顔を真っ赤にして苦しみながら死んでいってしまった。
当事者である軍人らは当たり前のようにバタバタと死に、島の住人達もその被害に巻き込まれる結果となったのだ。

皆、黒い煙を吸ってしまった。 お母さんも、友達も、皆。


ボクらは取り残された。

助けなんか来るはずない、小さな小さな孤島の上に。



しゅーしゅー


「港の方、行かなくて正解だったみたいだね。ホラあそこ。潮風のせいで煙がもうあんなになってるよ」

「ああ、そうだな」

「それにしてもこの島に高台があって良かったね。お陰で、まだ私達まだ生きてるみたいだし」

「【ゴボゴボ】……実際、そんな変わりないだろう」 

「で、でもっ」

「みな、……とも、ホラ。あんな状況だろ? あっちの煙が全【ゴボゴボ】部晴れるより先に――」

「――ここの高台にけ、けむ……りが、来る方が早いに決まってるさ」

「……うん」

「……」

「どうせ死ぬんだ」

「ああ」


しゅーしゅー


ボクらは必死で逃げ出した。あの黒い煙から。
気が付いたらボクの友達は死んでいた。お母さんもじいちゃんも。
お父さんは日本軍の大きな船に乗っていると思うが、もう会うことも無いだろう。今ならボクにもそう確信できた。


「…………ッグ、……ひぐ」

「なんだ。泣【ゴボゴボ】てるのか」

「……泣いてっ、なんか……ない……っ」

「嘘つき、め」

「っひぐ……うるさいなァ……仕方ないじゃんかー」

「…………」


ボクの隣で「泣いていない」コイツもボクの家と似た家庭状況だと、友人に聞いたことがある。
……と言ってもこの島に住む大概の家庭がそうなのだ。御国は随分人手不足らしい。あと数年早く生まれていればボクですら軍服に身を通すことになっていたところだ。

お父さんもきっと死んでしまっただろう。


しゅーしゅー


「義一……」

「…………」

「ねえ、義一」

「ん、どうした」

「えっと。義一ってさ、神様って信じる?」

「さあ、どうだか。この場合は天皇様や軍兵様に祈った【ゴボゴボ】が利口なんじゃないかな」

「あ、意地悪。そういうこと言うんだー」

「悪かったな」

「天皇はよく分からないけど、軍人なんてなんてアテにできないもん」

「この状況を……ほったら【ガボガボ】うっ……かして、一番に逃げ出しちゃったからな」

「うん。酷いよ、本当に」

「それは同意見」

「…………」

「そんで、お前は信じるのか?」

「えっ? ああ、神様。神様ね」

「そうそう。お前が言い出したんじゃないか。どうなんだよ」  

「私は…………信じないかな」

「自分からこんっ、【ゴボゴボ】……な話振っておいて随分失礼な奴だな。神様に」

「義一、口から垂れてるよ?」

「ああ、悪い」


感覚の無くなってきている左腕で慌てて口元を拭う。
ふっと口内が鉄の味で滲んだ。


「義一、あなた、身体……」

「ははは、大分腐ってき……たみたいだね」

「ちょっと、そういう冗談笑えないよ」

「ああ、そうだった」

「……うん」

「…………」

「…………」

「冗談でも、ないんだけどね」

「……うん」


呼吸が大分苦しくなってきた。理由は分かっているけど分かりたくは無い。
この高台が黒く塗りつぶされるまでもってくれればいいのだから。


しゅーしゅー


「…………」

「……信じない」

「え?」

「私は信じないよ。神様」

「その話に戻るのか」

「なによぅ、悪い?」

「いや、どうぞ続【ガボゴボ】て」


身体の中から込み上げる液体の音が酷くなる。
痛みこそ無いがその度に視界が少し暗転する。


しゅーしゅーしゅー


「私や、私の友達にこんな酷いことした神様なんて、信じたくないし拝みたくないもん」

「そりゃ言えてるな」

「あー、神様目の前に光臨しないかなァ」

「……なんか言ってること矛盾してないか?」

「違う違う。もう慈悲とか求めてられないよっ! もう、この手で殴ってやる。ゲンコツ食らわしてやりたいの」

「神様を敵に回すの【ガボガボボ】。恐ろしいことすんなぁ」

「義一も一緒だから大丈夫」

「……ボクも入ってるのか」


本当はその案に肯定してやりたかった。首が千切れるほどの強さで引っぱたいてやりたい。
けれどもボクにはもう――


しゅーしゅー


「もう少しで死ぬっていう【ガボボガ】ろくな会話しないのな」

「男ってのは会話の手引きってのも必要だと思いますよ?」

「無茶……、言うな」

「あははっ、ごめんね」

「……それにしても人生最後の日がこんなんだってこと、誰が予測しただろうな」

「なんだかね。もうここは潔く」

「……ああ」

「最後は笑ってたいなァなんて思っててさ!」

「こんな状況でもか?」

「うん。そうだね」

「…………嘘つき」

「え?」

「…………」

「…………」

「どうな【ゴボボ】……んだ?」

「え」

「…………」

「…………あ、あははははー。いやーお見事だね、義一」

「ああ」

「…………」

「なあ、涼子」

「…………」

「涼子?」

「うるさいっ」

「え?」

「……っう、……本当に何でっ、……分かっちゃったの……っふ、かなァ……」

「なんで……って」

「義一、その目さ。……もう、見えてないんでしょ? 私のこと、ここにつれて来る為に何したんだか知ら……ないけどさ」

「【ゴボゴボ】」

「なのに、……それなのに、何で分かるのかなァってさっ。……ひぐ」

「それはお前が――」

「…………」

「ああ……」


しゅーしゅーしゅーしゅー


煙はゆっくりと確実にボクらを包囲する。
ボクらはまるで蟻地獄に掛かった小虫だ。
どうすることも出来ない。
ただ自分が『いなくなる』ことを待つだけ。それしかないのだ。



「泣いて死ぬより、笑って死んだほうが良いのかな」

「どう……【ゴボボゴ】だかな」

「こういう時ぐらい、さ。笑っていたいな、なんて思っちゃう」

「笑ってないと、どうにかなっちゃいそうだものっ」

「泣い【ガボガ】……くせに」

「もう、一々うるさいな。昔からそうだったよねェ」

「だっ……【ガボボボ】……、本当のことだろう」

「こういう時ぐらいは、……せめてさ」

「…………」

「笑おう?」

「…………ああ」


しゅーしゅー

しゅーしゅー


この目は既に彼女の表情を見ることは出来ない。
だけど、何故だか目の前の彼女は満面の笑みを浮かべていると思えた。

この煙をすべて吹き飛ばしてくれそうな。
神様さえあっけにとられるような。

そんな笑顔だったのかもしれない。



-fin-
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