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サヨウナラ


 簡単には手に入らないものがある。"それ"は人にはとても話せない、自分だけの秘め事だ。
 何故なら"それ"は常識から外れているから。
 何故なら"それ"は略奪行為だから。
 簡単には手に入らないものがある――"それ"はすでに人のもの。


 大学のキャンパス。退屈で、意味のない場所。
 学ぶことはあるのだろう。しかし学びたいとは思わない。こんなところ、本当は学びたい生徒だ
けが通ってくればいい。だがそうもいかないのだと言う。マスコミがどんなに学歴主義を扱き下ろ
したところで現実として高卒と大卒ではスタートラインからして違うのだ。だからこそ、なんとし
ても卒業だけはしなければならない――そう、親から口酸っぱく言われてきた。俺の親から。
 下らない――そう嘲笑したいところだが、現実としてそれは出来ない。俺はその言葉に頷いてい
たからだ。
 俺は、それなりに社会で通用する肩書きを得なければならない。そうでなければ、この先の辛く
苦しい社会生活を生き抜いていくことなどできない。
 マイノリティとならざるを得ない、この先を。
 加納奈美が講堂から出てきて、俺は読んでいた男性誌を投げ捨てた。


 加納奈美は吉岡壮太の彼女。俺にとってはそれだけの認識しかない女だった。一応、高校の同級
生ではあったが、会話をした記憶もほとんどない。大人しい女である。見た目と性格を表している
かのように控えめだが、胸の膨らみが目立ってしまうのは、本人にはどうしようもないことだろう。
男の大半は巨乳好き――とまでは言わないが、少なくとも、巨乳好きの方が多いことは間違いない。
 性格か、それとも体型か。加納奈美のどちらの部分が壮太に好かれたのかは分からない。
「加納さん」
「あ、黒田くん! 久し振り~」
 …あれ?
 思わず驚きが口を突いて出そうになった。おい、お前誰だ? 本当にあの加納奈美か? 席替え
で隣になった時も、芋煮会で同じ班になった時も、修学旅行で一緒に金閣寺まわった時も、ずっと
下向いて押し黙ってた、あの加納奈美か?
2, 1

  

 別人じゃないか。そりゃあ、女が男で変わる姿を何度か見たことはある。急にタバコ臭くなった
りする女、服の趣味が変わる女、そして、性格が変わる女――
 だけど、ここまで極端に変わられると、さすがに戸惑う。だけど、全くの想定外ではない。この
程度は予想の範疇にあることだ。
 計画を修正――無理矢理犯すより、余程こちらのほうが平和的で良いかもしれない。それに事後
工作も要らず、イニシアチブも取れる。事態は好転した。
「今日はこれで終わりなの」
「うん! もう帰るつもりだった」
「"偶然"だな。俺も今日この後何にも授業ないんだ。もし良ければ――」
「ゴハン食べに行かない? あたしお腹めっちゃ空いてんだ~!」
 まるで友達みたいな目で俺を見る加納奈美。こうして顔を合わせるのも、何時以来か分からない
のに。俺はお前のことなど何とも思っていないのに、お前は俺に親しげな態度を取る。
 "偶然"なわけないだろう。この女――無性に腹が立つ。


 店はなるべくうるさいところを選んだ。駅前のハンバーガーチェーン店、二階の隅のテーブル。
高校生だろうか、七、八人で群れて騒いでいる。
 あまり他から注目を浴びたくはないから、望ましい状況を作れたといえるだろう。
「うるさいね~」
 セットメニューのポテトを飲み込みながら、加納奈美は言う。言った後咳き込む。そしてコーラ
でポテトを流し込む。
「…でも、高校生とかだとあんなモンだよねえ」
「そうだな」
 いや、違うだろ。お前は違った。お前はあんな奴らじゃなかった。
「友達とかと集まるとさ、なんか気持がおっきくなって、周りになんにもなくなっちゃうんだよね。
あの感覚なんだろ、今はないね……」
 そう言った後、加納は微笑を浮かべた。そしてエビバーガーを頬張った。コロっと笑顔に変わっ
た。
 何か、違和感が残った。俺の中の記憶と加納の中の記憶とが、上手く噛み合っていないような。
 いや――そんなことはどうでもいい。早く本題を切り出さなければ、逆にイニシアチブを取られ
かねない。今の加納は、主導権を取るのが上手そうだ。
「加納、驚くかもしれないけど……」
「うん、あに?」
「…飲み込んでからでいいや」
「飲み込んだ!」
「…俺さ、お前のこと、好きなんだ」
 さあ、どう出る?
「…えーっと、うん。あたしね……今、付き合ってる人がいるんだ」
「知ってるよ吉岡壮太」
「知ってていってんだ!」
「よく、知ってる」
「それでも、あたしのことを好きでいてくれてるの?」
 言い方が少し、引っ掛かった。"くれてる"って、どういう意味だろうと思いながら頷いた。
「…一つだけ約束してくれる?」
「うん」
「絶対、壮ちゃんには言わないでね」
 俺は笑顔で頷いた。守るつもりなど更々ない約束に対して。


 厚めのカーテンで窓を隠せば、部屋はもう闇の中だった。服はすでに脱ぎ捨てた。
 加納は妙な女だった。ベッドの上でマグロのように動かず、ただ俺に身を任せている。
 加納は声も上げない。感じてはいないように思えた。しかし指に纏わりつく粘液は確かに音を立
てていた。加納は感じていないようでいて、実は感じているのだろうか。
「…暗くてよく見えない?」
 何言ってんだ、と思った。自分でカーテンを閉め切るように頼んだくせに。暗闇に目が慣れて、
多少は大陰唇の輪郭や濃い陰毛も見えるようにはなってきたが、全容を見通すまでには到底至らな
い。もっとも、そこまでして見たいとも思わない。俺は、女性器の形や特有の臭いがあまり得意で
はなかった。だから、なるべく鼻で息を吸わないようにしていた。
「ゴメンなさい、明るいと、その、恥ずかしくて……」
「いいよ別に。ヤる気はあるみたいだし――」
 言いながら、皮を剥いた。この豆が男のペニスに相当するものだと言うから笑ってしまう。俺は
女のペニスに舌を這わせた。舌先で突いたり円状に舐め回したりしているうちに、加納の体が揺れ
始める。
「ちょっとは感じてきた?」
「…あのね、あたし……どうしよう、悲しいけど、でも、うれしい……」
 喘ぎながら加納は言う。意味不明。バカな女。こんな女に壮太が惚れたのは、何故なのか理解出
来ない。
「ホントに、言っちゃダメだからね……こんな、んあっ、こと、黒田くんと、したっ、なんて、壮
ちゃんが、しったら……っ!」
 "壮ちゃん"という呼び方が一々イラっと来るんだ。バラされたくないなら、まずその甘ったるい
呼び方を変えろよ。
「…言わないよ」
 膣内の中指と人差指の動きが速くなる。感じさせたいわけじゃない。壊してやりたいだけだ。
「…黒田くん、やさしいもんね……信じてるよ。昔、一番すきだった……あっ」
 …今、"好きだった"って言った?
「誰を?」
「黒田くんの前だと、緊張しちゃって、なにもできなかった……ほかの人の前では、だいじょうぶ
だったのに……いいところ見せたかったのに、なかよく、おしゃべりしたかったのに、したいって
思えば思うほど、体がうごかなかった……昔は……!」
 途中から加納は泣いていた。泣きじゃくりながら感じていた。
 それは、みっともない憐れな女の姿だった。
「今、こうなれてうれしいんだよ、だけど、かなしいんだよ! 黒田くんのこと、すきだってこと、
忘れようって思ってた。だけど忘れられなかった! うれしいけど、壮ちゃんのこと、うらぎった
みたいで、かなしい……! 好きだ! って、言ってくれたのに――」
「うん」
 分かった。加納は変わったわけじゃない。元々、こういう女だったのだ。それが、俺の前では本
当の自分が内側に隠れていただけだった。そういうことだ。
 そしてもう一つ分かったこと――加納にとって壮太は一番ではない。一番好きな男が同じ大学に
いるのに、その気持に蓋をして、壮太をベターな男として付き合っていたのだ、この女は。
 俺は加納奈美が大嫌いだ。
 俺は加納奈美にキスをした。
「んっ」
 抵抗する様子もなく加納は舌を受け入れる。先ほどまで自分の陰核を舐めるのに使われていた俺
の舌を。邪魔な乳が俺の胸にくっ付く。全身を密着している。だから、分かる。悦んでいるのだと。
 お前には分からないか? 俺が全く悦んでいないこと。
 お前はそんなにも鈍感な女なのか? それとも「恋は盲目」なのか?
 口を解放した。
「加納、先に言っておくぞ。このまま入れて、中に出すからな」
「いいよ」
 加納に全く迷いはなかった。恐怖はないのだろうか。それとも日頃からこうなのか――だとした
ら、いずれ壮太は不幸になる。俺が守ってやらなくちゃいけない、そんな思いがより強くなる。そ
して、その思いは身体を突き動かす。
 まず亀頭が、そして陰茎のほとんどが、膣に包まれる。しかしそれに甘んじることなく腰を乱暴
に動かす。奥深くまで突き刺して、そして一気に膣口まで引き抜く。そうやってただひたすら繰り
返しているうちにテンションも上がってくる。
 たとえ嫌いな女でも、ペニスを擦りつけてさえしまえば気持を誤魔化すことだって簡単なことだ。
 頭に浮かぶのは目の前の女の顔ではなかった。俺はもう一つのことしか考えられなくなっていた。
簡単には手に入らないものがある――"それ"はすでに人のもの。だけどもうじき手に入る。
 "それ"は――俺のものに出来るのだ!
「ああっ、あんっ……」
 喘ぐことしか出来なくなった生き物に俺は矢を放つ。構わない……
 言ってしまえばいい。
「俺はお前のことなんか全然好きじゃない。俺が今こうしてお前とセックスしてるのは既成事実を
作るためであってお前が好きだからじゃない。俺が好きなのはお前の彼氏だ。俺がこうして勃起し
てるのもお前の彼氏を想いながらしているからだ」
 加納はぎょろっとした目で俺を見た。その目には驚きの色が浮かんでいる。一目瞭然だった。そ
れはそうだろう、考えるまでもないことだ。誰だってこうなる。
4, 3

  

 ――お前は、女としての自分に、それなりに自信を持っているんだろう?
 それを、俺が壊してやる。俺にとってお前という女は、男に劣る存在なのだと。
「俺はお前とこうしてセックスしていながら実際頭の中ではお前の壮ちゃんとセックスしてるんだ。
変態だと思うか? でもしょうがないんだよ、俺だって嬉しいけど悲しいんだよ! もうじき壮太
が手に入るけど、その過程としてお前なんかとセックスしなきゃならないなんて――」
 加納が血走った目で俺の肩を掴む。身体の上から引き剥がそうというのだろう。爪が刺さる。こ
の無言の抵抗の痕は、暫く消えそうにない気がした。
 もちろん、離れるのは俺も望むところだ。だけど、それは目的を果たしてからだ。
「やめて、中出ししないで! あなたなんかにヤダッ!!」
 当然そんな言葉に耳を貸すことはない。
 俺は絶頂へ向けてピストンのスピードを速めた。加納は分かっていない。引き剥がそうと力を入
れれば入れるほど膣の締りが良くなり、絶頂への手助けになるのだということを。
「やめて、やめて、やめてっ! やめてぇ!!」
「出るぞ」
「やだぁ!」
 加納の身体が無力感で震えた瞬間、終わりが訪れた。一週間溜め込んだ精液が、子宮頚付近で一
気に弾け出る。快感が下半身から上半身に伝わり、脳が痺れる。女相手であっても、そしてそれが
どんなに嫌な女であっても、射精の快感は他と変わりない。
 加納はまた泣いていた。
「…ひどい……!」
「何が酷いんだ。最初に中出しするってちゃんと言っておいただろ?」
「混ざっちゃった……こんな人のと……」
「…え?」
 加納の呟きはすぐに、射精後の痺れが残っている俺の脳に届いた。そして迅速に答えを導き出し
た。混ざった――精液が。
 あの、妙な濡れ方――あれは愛液ではなく、加納の膣内に残留した壮太の精液だったのか。
 気付かなかった。愛液など嫌いだから指も舐めなかったし、臭いにしても、膣の臭いと混ざって
しまってよく分からなかった。
 俺は衝動的に、加納の膣内に指を突っ込み、精液を掻き出した。そして奥の分から舐めていた。
それを見て、加納は嗚咽を漏らした。
 カーテンは閉めておいて良かった。明るかったら、醜すぎて堪え切れなかったかもしれないから。
俺も加納も、お互い、あまりに汚すぎる……


 俺はシャワーも浴びずに服を着た。加納はまだ全裸のままシーツに包まっていた。
「金はそこに置いてある。チェックアウトしたい時にしろ。俺は先に出る」
「……」
 加納は何も答えなかった。こっちを見もしなかった。
 加納は今、思い出もろとも凌辱された気持で一杯だろう。高校時代好きだった男が実はバイセク
シャルで、しかもその男が自分の彼氏に想いを寄せていて、それなのに思わせぶりに近づいてきて、
膣内射精されて――
 もし、加納以外の女から同じ内容の話をされたら、きっと俺はその女に同情する姿勢を見せるだ
ろう。酷いことだと。
 そう、本当に酷いことだ。あまりにも酷い……こんなこと、人間の所業ではない、と……
「…ムダだよ、黒田くん」
 まだ俺のことを"くん付け"するのかと内心驚きながら、
「なにが?」
「壮ちゃんは、言っていたよ。黒田はいいヤツだ、信用出来る"友達"だって――"友達"だよ?」
「それがどうした」
「壮ちゃんとはもう一年以上一緒にいる。あたしには分かるもん! 壮ちゃんはノーマルだよ! 
たとえこの後黒田くんが壮ちゃんにこのことを告げて、上手く取り繕って、壮ちゃんの心からあた
しのことを引き剥がしたとしても、それで黒田くんが付き合えるようになるわけじゃないんだよ…
…?」
 そんなことは――分かってる。そんなことは。
 これは、可能性の問題なんだ。
「それでも、加納と付き合っている状況じゃ目はない。俺があいつに想いを伝えるには、まずあい
つをフリーの状態に仕立て上げなきゃならない。そうじゃなきゃ、可能性さえ生まれない」
「可能性なんて、最初からないんだよ……」
 ――答えは一つ。問題は、可能性の中には存在しない。
「もし拒絶されたら、俺は生きることを拒絶する」
 久々の射精のお蔭だろうか、今、頭の中がとてもシンプルだ。
 俺の生殺与奪を壮太に握らせる。
 イエスかノーか。
 イエスなら、俺には壮太と共に生きる、厳しくも素晴らしい道が切り拓かれる。
 ノーなら、この世からサヨウナラ。
「…それでも、俺は信じている。壮太も俺と共にいることを望んでいるんだと――じゃあ、サヨウ
ナラ、加納」
「…黒田くん」
「なんだ? まだ何か?」
「壮ちゃん、多分、研究室にいるよ――」
「…そうか、ありがとう」
 俺は加納に礼を言って、部屋を出た。想像上の未来を現実へと変えるために。




「黒田くん、最後まで気付かなかったな……」
 私は、一つ嘘をついていた。
 もう、私は壮ちゃんの彼女じゃない。
 別れたのは、つい数時間前。授業間の空き時間、誰もいない研究室での最後のセックスを終えた
時。


 高校卒業と一緒に消し去ったつもりだった、黒田くんへのきもち。だけど、一緒の大学を選んだ
時点で、その決意は偽物だったんだろう。
 入学後しばらくして、壮ちゃんに告白された。同じ授業を取っていて、けっこう仲良くなってい
たし、良い人だと分かっていたから、頷こうと思った。
 だけど、頷くのに大分時間が掛かった。思いは全然消し去れていなかったんだって、この時初め
て意識した。
 ――まだ黒田くんは私の中にいたんだ、って。
 それから一年、今日までの間、私の視界の端に、よく黒田くんの姿が映るようになった。黒田く
んは私の方を見ていた。晴れの日も曇りの日も雨の日も雪の日も強風の日も……見られる度に、迷
ってた――もしかしたら、黒田くんは私のこと好きなんじゃないか――って。
 だけど、そう、今なら分かる。黒田くんが視界に入っていた時は、必ず横に壮ちゃんがいたんだ。
 それを私が勘違いした。
 今日、遂に思いに負けて、決心した。このセックスを最後に、壮ちゃんとはサヨウナラしようっ
て。最後だから、中に出させてあげた。
 壮ちゃんは、何度"なんで?"って言ってたか分かんない。理由は言いたくなかったけど、最後に
は本当のことを告げた。その瞬間の壮ちゃんの力の抜け方は、凄かった……
 だからまだ、きっとあそこにいる。


 壮ちゃんと黒田くんがどうなるかは、分からない。壮ちゃんが錯乱するのか、それともすんなり
受け入れるのか……だけど、正直言って、どうなっても構わない。
 ただ一つ確かなこと。それは、私の高校時代からの想いが今度こそ消え去るだろう、ということ。


 私は部屋を出た。中に置き去りにしたお金は、ホテルの店員さんが持って行けばいい。
 これで、サヨウナラ。黒田くん――
5

文:fu 挿絵:クロサワ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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