LOST
プロローグ
そこは『夜』。夜と言っても時間的に存在する夜ではない。
人々の思想、感情が入り混じったこの世の何処でもない場所・・・『夜』。
そこには、あまり人という存在が在ることは無い。
…いや、むしろ生物が存在することすら珍しい。
しかし今、その『夜』に二つ、人という存在が在った。
一人は膝の下まである白衣を着た、後ろにはねた白い髪が印象的な少年。
もう一人は全身が包帯のようなもので巻かれ、制服のようなものを着た少年。
しばらくお互いに警戒し合い、二人の間に緊張の沈黙が流れていた。
沈黙をといたのは白衣の少年。
「驚いたな…」
白衣の青年は微笑とも苦笑ともとれる笑顔をその顔に浮かべ、
「誰だねキミは?」
そう、包帯姿の少年に質問した
プロローグ
第一章
朝起きると、いつもと違ってすっきりしない。
僕は全寮制の学園にあるその寮の一室、ベッドの上で目を覚ました。
「変な夢を見たような気がするな…」
しかし、夢の内容は覚えていない…まぁ、覚えていたところで予知夢でない僕には
何のプラスにもならないわけだから、さほど気にしない。
しばらくぼーっとしていたが、頭が覚醒してくるにつれて、ある違和感を感じる。
目覚ましがなっていない。
僕は目覚まし時計でいつも起きるタイプだ。
いつも目覚ましがなった直後か、なる直前に覚醒する。
昨日の夜も確かにセットしておいたはずだが
これだけ時間がたってもその目覚ましがなっていない…
『遅刻』という言葉が頭をよぎる。
「今何時だ!?」
あわててベッドの近くに置いてあったデジタル目覚まし時計を手に取る。
5:32
「……早っ! 」
予想外の時間に若干反応が遅れた。
安心するとともに、何でこんな時間に?
という疑問もでてくる。
「今日なにかあったっけ? 」
思い出そうとするが、思い出せない。
そもそも何について思い出そうとすればいいのかがわからない。
まぁ、思い出せないんだからあまり重要じゃぁ無いんだろう。
少しベタではあるがポジティブな解答だ。
しかし、理由はどうあれこんなに朝早くに起きてもやることがない。
朝食は食パン一枚とコーヒーですますし、宿題も昨日のうちに終わらせてある。
…………テレビでも見るか。
ブウン……
テレビをつける。
画面のなかでは、眼鏡をかけた男性アナウンサーが今日の原稿を淡々読み上げている。
「――今日は12月15日。商店街などでは、まじかに迫ったクリスマスの飾りつけ
などが始まっており――」
そうか、クリスマスまで後十日か。
ふと、そんなことを考える。
僕にはあまり関係ないイベントだ。
友達はいるがパーティーなどに呼ばれてもいったことが無い、
全寮制でほとんど親などに会わないこの学校の生徒にとって、
クリスマスなどの休みに入ってからの行事は一層特別なものだ。
その、家族団らんを僕が壊したくは無い。
ちなみに僕には親がいない。
何でいないのかは知らない、知らされていない。
そんなことを考えながら苦笑をもらす。
まぁ、なんにせよクリスマスという行事を楽しむための要因が無いのだ。
……
こんなことを考えるなんて、今日はどうかしている。
しばらくテレビのニュースを見て過ごしていたが、
ふと誰かに呼ばれたような気がする。
「誰だ?」
耳を澄ますが何も聞こえない。
「……気のせいか? 」
テレビの音に何か混ざっていたのだろうか。
そんなことを思った時だった。
「コラァーー!!アキラァァーーーー!!!! 」
気のせいではなかったようだ。
もの凄い大声、部屋の窓を閉め切っているのにもかかわらずその声がよく聞こえる
……いや、聞こえすぎだろう。近所迷惑だ。
とりあえず窓の外に顔を出す。
僕の名前は "平井 晶" つまり彼女は僕を呼んでいる
ひょっと顔を出すと、そこには思ったとおりの女の子が僕の方を……
そりゃぁもう……すごい剣幕で睨んでいた。
僕の部屋は二階にあるので、女の子は僕を少し見上げた形になっている。
肩の下ぐらいまである綺麗な黒髪が、風でさらさらとゆれていた。
この子の名前は "高瀬 美奈" 僕との関係はいわゆる幼馴染というやつだ。
なにか用?
と聞こうとして口を開くが。
「あんたねぇ、今、何時だと思ってんのよ!!! 」
いいそびれた。
記憶が正しければ八時だ。まだ学校に行くのには少し早い。
何度もいうがここは全寮制の学校だ、学校まで歩いて10分もかからない。
……何を怒ってるんだろう?
「とにかく早く降りてきなさいっ!! 」
なにやらひどくご立腹のようだ。
これ以上ほうっておくとものすごいしっぺ返しが来る。
幼馴染をやっている教訓だ。……さっさと降りよう。
僕はすぐに制服に着替え、寮の階段を駆け下りた。
寮の前では美奈がずいぶんとまぁ……ふてくされた顔で仁王立ちしている。
今の彼女の仁王立ちは、かの弁慶が死に際の見本にするかもしれない。
「お、おはよう……」
つまってしまった……正直このあとどうなるか怖い。
なんとなく察しがつくとは思うが、僕は美奈に『けんか』と名のつくもので勝った
覚えは無い。無論口げんかもその中に入っている。
そんな彼女は未来から来た某ネコ型ロボットアニメに出てくる『大きい人』の名を
持つにふさわしいだろう。感想じゃない、皮肉だ。
「おはよう、じゃないわよ…」
なんか呆れられてるっぽい、ため息ついてる。
「いままで寝てたわけ? 」
美奈が自分の鞄の中を右手であさりながら"ついで"といった感じで聞いてくる。
「いや…結構前から起きてはいたんだけどぅわっ!! 」
鞄をあさっていた美奈の右手から何か投げ渡された。
投げなくてもいいと思う、いきなりやられると驚く。
…っていうか質問しといて答えは聞かないのか?
「なにこれ? 」
渡されたはいいが渡されたものが何なのかわからない。
なんか、バンダナみたいなもので包まれた四角いもののようだが。
「お弁当よ……」
返答はそっけないものだった。
……え?…お弁当?
僕が訝しげに思っているのに気づいたのか、説明をつけたす美奈。
「あんたいっつも昼が購買のパンだから、昨日私が作って来てあげるって言った
んじゃない」
「…………そうだっけ?……」
これがまずかった。
僕の言葉を聴いた美奈は眉を吊り上げつつ穏やかな笑みをうかべ、
「ねぇ、もしかして……忘れてたの? 」
と言いながら顔を覗き込んできた。
とてもじゃないが、「はいそうです」とは言えない。
美奈には失礼だと思うが、顔が怖い、その笑顔が怖すぎる。
思わず沈黙してしまうが、その沈黙は肯定以外の何ものにもなりえなかった。
それを見た美奈が顔を伏せ……??左足に鈍痛が…。
『すね』だ。弁慶の泣き所というやつだ。弁慶もこの場所は弱いという。当たり前だと
思う。
この痛みを受ければさすがの弁慶だってそりゃ泣くだろう。
元陸上部の足は陸上部をやめてからも健在のようだ。
思いっきり蹴ったに違いない、めちゃめちゃ痛い。
「――っ!!?―!! 」
その痛みに声すら出ず、その場で右足だけではねる……というかすねを抱える。
はねているのは片足で立っているために重心をずらしてしまったためであって、決
して踊りではない。
鞄を横のほうに投げ出してしまったが、そんなことを気にしている余裕はすでに無い。
だが弁当だけは投げ出さない。自分でも驚きだ、そんなに大事か?この食料の箱が。
「…フンッ」
不機嫌に鼻を鳴らし、そのまま去っていく美奈。
そうか…お弁当を作ってきてくれたのか。
それは悪いことをしたな、多分どこかで待ち合わせもしていたに違いない。
それならこれぐらいの制裁は……受けておこうと思ったがやっぱ痛い、泣きそうだ、
今度からは勘弁願いたい。
結局力の入らない左足を引きずりながらの登校になった。
学校の門を抜けると、いつも真っ先に目に入るものがこの銅像だ。
何の銅像かというとこれがまたなぜか『象』の銅像なのだ。
……ウケ狙いだとしか思えない。校長が立てたらしいが相当なギャグセンスをお持
ちのようだ。
その銅像(象)の横を通り過ぎ、しばらくすると校舎の入り口にたどりつく。
ここまで来るのにいつもなら考えられない時間を有してしまった、急がなければたま
たまではあるが早起きしたのに遅刻するという何とも痛ましいはめになる。
そこで見知った顔を見つける。
「……お? 」
相手がこちらに気が付いた、にこにこしながら駆け寄ってくる。
「よぉ、何ちんたらやってんだよっ! 」
ちんたらとはよく言ってくれる。
こっちは今、左足の命をとるか、無遅刻無欠席をとるかの瀬戸際なのだ。
……無論左足をとるが。
この、友人が苦しんでいるのを上から蔓延の笑みで迎えている人物が、平井 晶
の友人関係の中でも腐れ縁と言っていい程の付き合いとなる、"伊藤 紀章"(いとう
のりあき)である。
容姿は、格好いいの一個下辺り。
性格は天真爛漫というか、今楽しければ良いじゃん?みたいな感じである。
彼のその性格を表すように髪型は短めにカットしてあるものの茶髪に染まっている。
この学園の校則は緩いので茶髪等は引っ掛からないのだが彼は律儀にも、
「茶髪にしてんだから服装ぐらいはキチッとしないとな」
と言って服装だけは僕よりもキッチリしている。
蛇足ではあるのだが、服装はしっかりしていても、彼の成績は下の上と言ったところだ。
ちなみに僕は中の中。
美奈は上の中だ、まことに羨ましいかぎりである。
「なんだ、また美奈にやられたのか?本当に仲がいいな」
しししっと笑う紀章。
「蹴られて仲がいいというのもどうかとは思うけど、否定はしないよ」
まだ痛い左足をさすりながら答える。
「しゃーねぇなー、…ホラ、肩借してやるよ。その足じゃつれぇだろ? 」
「ん、ありがたい。遠慮なく借りる」
「おぅ、遠慮なんかされるとこっちが気持ち悪い」
紀章の肩を借り、やっとのことで教室に入った。
教室に入ると美奈はすでに席に着き、一度こっちを睨んだ後プイッと顔を背けた。
「あ~・・・おまえホント何したんだ? 」
紀章が『なぁ、あいつ怖い・・・…』と副音声をつけて尋ねてくる。
「いや…待ち合わせの約束を忘れただけだと思うんだけど。……他にも何かあるのか
な? 」
「いや、俺に聞かれても困るが……。ん、まぁ女子にとっちゃ、朝に待ち合わせ、って
のが一大イベントだったんじゃねぇの?それがあの凶暴女に当てはまるかは疑問だが
な……」
……そう言われてみればそうなのかも知れない。
今度何かで埋め合わせを考えておこう。
「はぁ、それなりに気がつく奴なのに。こういうことだけ疎いからなぁ……」
「?……なに??」
「いや、なんも……」
その後すぐ、紀章曰く『ヤマ張るための情報収集』なる、授業が始まり。
今日も何の進展もなく、いつもどうりの時間の速さで昼休みを迎えた。
紀章は昼休みに入るやいなやダッシュで購買に向かっていった。
僕を誘わないのは、基本的に僕が買うパンがマイナーであるため。
誘って二人で行くよりは、一人でダッシュした方が効率がいいためである。
一人残った僕は昼休みに入った教室でちょっとした、考え事をする。
「……おかしい」
何がおかしいって、おかしいと思うことがおかしい。
……いやどうなんだろう実際。
何がおかしいんだろうか?
「なんなんだ? 」
頭を抱える。
何かわからないが"おかしい"と漠然的に感じる違和感。
違和感を感じた時には確かに何がおかしいのか解っていた気がするのだが…。
どこかで頭を打ち、それすら忘れているのだろうか?
…いやいや、あり得ないだろう、頭にもこぶらしき物は見当たらない。
そんなくだらない事を考えている自分自身に、苦笑する。
「……何やってんの? 」
「……」
それより他に何か違和感の理由があるはずだ。
「…………?ねぇ……」
「……」
精神的なショックだろうか?
…いや、いったい何にショックを受けるっていうんだ。
「…………ちょっと……」
「……」
目の前で人が殺されるとか?
……まさかな。
「……無視?」
ま、いっか食堂にでも行こう。
と思い席を立つと、
「わひぁ!! 」
後ろからいきなり大きな声。
「!?――うわっ!! 」
耳元でやられたので耳がキーンとなる。
少し前に出て振り向くと、美奈がいた。
朝といい、今といい、なんて事をしてくれるんだこの人は。
「何だよいきなり!!びっくりするだろっ!? 」
すかさず問い詰める。
「う、うっさいわね!!あんたがいきなり立つから悪いんでしょ!?何回呼んでみても
返事しないから、てっきり寝てるもんだと思ったのに……」
なんだか知らないが頬を赤らめながら講義する美奈。
どうやら寝てると思い込んで起こそうとしたらしい。
「へ、変な声……でちゃったじゃない……」
「え? 」
何か言ったみたいだが、ボソボソと言ってよく聞き取れなかった。
美奈は、僕の返答を聞いてからさらに顔を赤くして、
「なんでもない……」
短くそう答えた。
その赤い顔を見てるとこっちまで恥ずかしくなってきたので下の方に目をそらす、
すると体の前に出された美奈の手に何かつかまれている。
お弁当だ。
「中庭にでも行くのか?お弁当もって」
間が持たないので思ったことを口にする。
「えっ?あっ……いやこれは……その…………」
なんか今日の美奈はいつもと違うな、いつもなら「あんたには関係ないでしょ? 」
とか言って来る筈なんだが。
なんていうか……張り合いが無い。
「ホ、ホラ。今日、私がお弁当作ったじゃない? 」
「?うん」
僕の肯定を受けてさらに続ける美奈。
「だから、その、味の具合とかも聞きたいし」
ああ。味がきになるのか。まぁ考えてもみれば当然だ。
自分の作ったものを他人に食べさせるのだから、味だって気にもなるだろう。
でもそれなら問題ない。
「ああ、それなら美味しかったよ。変な味はしなかった」
「い、一緒に食べ……え? 」
さっきまで逸らされていた目が合う。
ここまで驚かれるとは予想外、と思うも刹那。
「食べたのっ!? 」
何で!?と、問いだす美奈。
???意味が解らないが、本当にここまで驚かれるとは思わなかったな。
美奈は、はぁとため息をつき、
「早弁、したわけね」
と、一人納得していた。いやまったくそのとおりなのだが。
「えっと、なんかまずかった? 」
まさかとは思うが、消費期限切れの具材を使っていることに今きづいたとか!?
「別にまずくは無いわよ。美味しかったのならいいわ。……はぁ」
美奈は、呆れた感じでそう言う、そこまであからさまにため息つかれても困る。
「まぁいいわ。机と椅子、借りるわよ」
言って僕の座席をあっさり占拠。所用時間三十秒の早業である。
「あっ、おい」
言ってももう遅い、美奈はすでに自分の弁当をパクついている。
「僕はどこに座ればいいんだよ」
「立ってりゃ良いじゃない」
「………」
さて、この傍若無人をどうしようか?
ガララッ
教室の引き戸が開けられる音。
反射で扉のほうを見てしまう。
そこには――
アッタ事ガ有ル――――
はじめて見る、後ろ向きにはねた白い髪と着ている白衣のせいで上から下まで真
っ白の男が立っていた。
「……!?? 」
まただ……。
この漠然的な違和感。有るのに無い。
感じたのに感じない。見たけど見ていない。
この感覚はいったい……。
白衣の男は、昼食中失礼と挨拶をした後、
「三年の"正原 秀一"(まさはら しゅういち)だ」
三年生なのか。白衣のせいで先生かと思った自分が少し悔しい。
「このクラスの者に用があるのだが……」
ふむ、と周りを見渡す。
さっき言った用の有る人物を探しているようだ。
しかし、見つからなかったのかグシャグシャと頭を掻き、
「平井 晶君はいるかね? 」
てな事を言った。
とたん、変な言葉遣いをする白衣の男、正原 秀一に向けられていたクラスの視線を、
僕は図らずも独占する事になった。
「あんた、なんかしたの? 」
美奈のその言葉で、自分が指名されたことに気がついた。
「え?いや……あの人初めて会うし。心当たり無いけど」
だがまぁ、呼ばれたのだから何かあるのだろう、行くしかあるまい。
「ちょっと行ってくるよ」
美奈にそう告げて扉まで歩いていく。
「君が晶君かね? 」
本人の前まで来ると正原先輩のほうから聞いてきた。
「はい。あの、何ですか?用って」
すぐさま本題に入る。
「ふむ、まぁ廊下に出よう、そこで話す」
そう言って廊下に出ると、正原先輩はこっちだと、手招きする。
「……」
黙ってついていく。
……そういえばまえもこんなことが――
コンナコトハナカッタ――――
いや、無かったなこんな呼び出しを受けるようなこと。
結構まじめに生きてるし僕、うん。
「――ッ!???……」
ナンダ!?いまのは?
違和感があった!!
違和感をちゃんと感じることが――
「どうかしたかね?晶君」
「……え? 」
「どうかしたのかと聞いたのだ。その前の質問にも答えてもらってないのだがね? 」
「あっ、す、すみません」
どうやらボーっとしていたみたいだ、まったく話を聞いてい無かった。
「大丈夫です。えっと、それで……、なんでしたっけ? 」
正原先輩はふむ、と不思議そうな顔をしたがすぐに切り替え、質問に戻る
「体の調子はどうか、と尋ねたのだ」
「は?体の調子……ですか? 」
「そうだ。特に右の腕は?動きにくいとかは無いかね? 」
言われて右腕をにぎにぎとするが、特にこれといった異常は無い。
「いえ、そんなことは無いですね、大丈夫です」
「そうか。ボーっとしていたようだがそっちのほうは? 」
「いえ、大丈夫です」
朝早く起きた為に寝不足なのかもしれないが、問題は無い。
…?何か忘れているような……スッキリしないな。
「そうか。ならいい」
はっはっはと笑ってうんうんとうなずく白衣の先輩。体調を聞くと言うことは将
来は医者志望だろうか?
「ではもう一つ、といってもこの質問が本題なのだが……」
と言って腕を組む先輩。すると、雰囲気ががらりと変わった。
蛇に睨まれた蛙というのは、今の僕のことを言うのかもしれない。
腕を組んだ先輩に目を合わされた瞬間、背筋にドライアイスでも入れられたのではな
いかと思うぐらいの寒気がした。悪寒とはここまで気色の悪いものなのか。
先輩は僕の今の状況を解っているのだろう。
ニヤリと悪役じみた笑みを浮かべ、質問という名の尋問を続ける。
「昨日の記憶がほしくないかね? 」
その質問に僕の思考がほぼ停止する。
何を言ってるんだこの人は?
昨日の記憶なら僕は―――
なぜ、美奈との約束を守れなかったのか。
なぜ、今日が何日かニュースで聞くまで忘れていたのか。
なぜ、あったこと無かったことの区別ガデキナイノカ。
「…………」
汗が出ている。
もう冬だというのに汗が出る。
言葉が出ない、考えがまとまらない、ナントイッタノカコノヒトハ??。
「どういう…意味ですか?」
やっと出た答えがそれだった。
それしか言えなかった、意味が解らなかった。
昨日の記憶が無いことに言われるまで気がつかないなんて…。
僕の返答を聞いた白衣を着た奇妙な先輩は、また、ニヤリと顔を歪めた。
僕はこの時すでに、さっき感じた違和感を、どこかに忘れて来てしまっていた。
朝起きると、いつもと違ってすっきりしない。
僕は全寮制の学園にあるその寮の一室、ベッドの上で目を覚ました。
「変な夢を見たような気がするな…」
しかし、夢の内容は覚えていない…まぁ、覚えていたところで予知夢でない僕には
何のプラスにもならないわけだから、さほど気にしない。
しばらくぼーっとしていたが、頭が覚醒してくるにつれて、ある違和感を感じる。
目覚ましがなっていない。
僕は目覚まし時計でいつも起きるタイプだ。
いつも目覚ましがなった直後か、なる直前に覚醒する。
昨日の夜も確かにセットしておいたはずだが
これだけ時間がたってもその目覚ましがなっていない…
『遅刻』という言葉が頭をよぎる。
「今何時だ!?」
あわててベッドの近くに置いてあったデジタル目覚まし時計を手に取る。
5:32
「……早っ! 」
予想外の時間に若干反応が遅れた。
安心するとともに、何でこんな時間に?
という疑問もでてくる。
「今日なにかあったっけ? 」
思い出そうとするが、思い出せない。
そもそも何について思い出そうとすればいいのかがわからない。
まぁ、思い出せないんだからあまり重要じゃぁ無いんだろう。
少しベタではあるがポジティブな解答だ。
しかし、理由はどうあれこんなに朝早くに起きてもやることがない。
朝食は食パン一枚とコーヒーですますし、宿題も昨日のうちに終わらせてある。
…………テレビでも見るか。
ブウン……
テレビをつける。
画面のなかでは、眼鏡をかけた男性アナウンサーが今日の原稿を淡々読み上げている。
「――今日は12月15日。商店街などでは、まじかに迫ったクリスマスの飾りつけ
などが始まっており――」
そうか、クリスマスまで後十日か。
ふと、そんなことを考える。
僕にはあまり関係ないイベントだ。
友達はいるがパーティーなどに呼ばれてもいったことが無い、
全寮制でほとんど親などに会わないこの学校の生徒にとって、
クリスマスなどの休みに入ってからの行事は一層特別なものだ。
その、家族団らんを僕が壊したくは無い。
ちなみに僕には親がいない。
何でいないのかは知らない、知らされていない。
そんなことを考えながら苦笑をもらす。
まぁ、なんにせよクリスマスという行事を楽しむための要因が無いのだ。
……
こんなことを考えるなんて、今日はどうかしている。
しばらくテレビのニュースを見て過ごしていたが、
ふと誰かに呼ばれたような気がする。
「誰だ?」
耳を澄ますが何も聞こえない。
「……気のせいか? 」
テレビの音に何か混ざっていたのだろうか。
そんなことを思った時だった。
「コラァーー!!アキラァァーーーー!!!! 」
気のせいではなかったようだ。
もの凄い大声、部屋の窓を閉め切っているのにもかかわらずその声がよく聞こえる
……いや、聞こえすぎだろう。近所迷惑だ。
とりあえず窓の外に顔を出す。
僕の名前は "平井 晶" つまり彼女は僕を呼んでいる
ひょっと顔を出すと、そこには思ったとおりの女の子が僕の方を……
そりゃぁもう……すごい剣幕で睨んでいた。
僕の部屋は二階にあるので、女の子は僕を少し見上げた形になっている。
肩の下ぐらいまである綺麗な黒髪が、風でさらさらとゆれていた。
この子の名前は "高瀬 美奈" 僕との関係はいわゆる幼馴染というやつだ。
なにか用?
と聞こうとして口を開くが。
「あんたねぇ、今、何時だと思ってんのよ!!! 」
いいそびれた。
記憶が正しければ八時だ。まだ学校に行くのには少し早い。
何度もいうがここは全寮制の学校だ、学校まで歩いて10分もかからない。
……何を怒ってるんだろう?
「とにかく早く降りてきなさいっ!! 」
なにやらひどくご立腹のようだ。
これ以上ほうっておくとものすごいしっぺ返しが来る。
幼馴染をやっている教訓だ。……さっさと降りよう。
僕はすぐに制服に着替え、寮の階段を駆け下りた。
寮の前では美奈がずいぶんとまぁ……ふてくされた顔で仁王立ちしている。
今の彼女の仁王立ちは、かの弁慶が死に際の見本にするかもしれない。
「お、おはよう……」
つまってしまった……正直このあとどうなるか怖い。
なんとなく察しがつくとは思うが、僕は美奈に『けんか』と名のつくもので勝った
覚えは無い。無論口げんかもその中に入っている。
そんな彼女は未来から来た某ネコ型ロボットアニメに出てくる『大きい人』の名を
持つにふさわしいだろう。感想じゃない、皮肉だ。
「おはよう、じゃないわよ…」
なんか呆れられてるっぽい、ため息ついてる。
「いままで寝てたわけ? 」
美奈が自分の鞄の中を右手であさりながら"ついで"といった感じで聞いてくる。
「いや…結構前から起きてはいたんだけどぅわっ!! 」
鞄をあさっていた美奈の右手から何か投げ渡された。
投げなくてもいいと思う、いきなりやられると驚く。
…っていうか質問しといて答えは聞かないのか?
「なにこれ? 」
渡されたはいいが渡されたものが何なのかわからない。
なんか、バンダナみたいなもので包まれた四角いもののようだが。
「お弁当よ……」
返答はそっけないものだった。
……え?…お弁当?
僕が訝しげに思っているのに気づいたのか、説明をつけたす美奈。
「あんたいっつも昼が購買のパンだから、昨日私が作って来てあげるって言った
んじゃない」
「…………そうだっけ?……」
これがまずかった。
僕の言葉を聴いた美奈は眉を吊り上げつつ穏やかな笑みをうかべ、
「ねぇ、もしかして……忘れてたの? 」
と言いながら顔を覗き込んできた。
とてもじゃないが、「はいそうです」とは言えない。
美奈には失礼だと思うが、顔が怖い、その笑顔が怖すぎる。
思わず沈黙してしまうが、その沈黙は肯定以外の何ものにもなりえなかった。
それを見た美奈が顔を伏せ……??左足に鈍痛が…。
『すね』だ。弁慶の泣き所というやつだ。弁慶もこの場所は弱いという。当たり前だと
思う。
この痛みを受ければさすがの弁慶だってそりゃ泣くだろう。
元陸上部の足は陸上部をやめてからも健在のようだ。
思いっきり蹴ったに違いない、めちゃめちゃ痛い。
「――っ!!?―!! 」
その痛みに声すら出ず、その場で右足だけではねる……というかすねを抱える。
はねているのは片足で立っているために重心をずらしてしまったためであって、決
して踊りではない。
鞄を横のほうに投げ出してしまったが、そんなことを気にしている余裕はすでに無い。
だが弁当だけは投げ出さない。自分でも驚きだ、そんなに大事か?この食料の箱が。
「…フンッ」
不機嫌に鼻を鳴らし、そのまま去っていく美奈。
そうか…お弁当を作ってきてくれたのか。
それは悪いことをしたな、多分どこかで待ち合わせもしていたに違いない。
それならこれぐらいの制裁は……受けておこうと思ったがやっぱ痛い、泣きそうだ、
今度からは勘弁願いたい。
結局力の入らない左足を引きずりながらの登校になった。
学校の門を抜けると、いつも真っ先に目に入るものがこの銅像だ。
何の銅像かというとこれがまたなぜか『象』の銅像なのだ。
……ウケ狙いだとしか思えない。校長が立てたらしいが相当なギャグセンスをお持
ちのようだ。
その銅像(象)の横を通り過ぎ、しばらくすると校舎の入り口にたどりつく。
ここまで来るのにいつもなら考えられない時間を有してしまった、急がなければたま
たまではあるが早起きしたのに遅刻するという何とも痛ましいはめになる。
そこで見知った顔を見つける。
「……お? 」
相手がこちらに気が付いた、にこにこしながら駆け寄ってくる。
「よぉ、何ちんたらやってんだよっ! 」
ちんたらとはよく言ってくれる。
こっちは今、左足の命をとるか、無遅刻無欠席をとるかの瀬戸際なのだ。
……無論左足をとるが。
この、友人が苦しんでいるのを上から蔓延の笑みで迎えている人物が、平井 晶
の友人関係の中でも腐れ縁と言っていい程の付き合いとなる、"伊藤 紀章"(いとう
のりあき)である。
容姿は、格好いいの一個下辺り。
性格は天真爛漫というか、今楽しければ良いじゃん?みたいな感じである。
彼のその性格を表すように髪型は短めにカットしてあるものの茶髪に染まっている。
この学園の校則は緩いので茶髪等は引っ掛からないのだが彼は律儀にも、
「茶髪にしてんだから服装ぐらいはキチッとしないとな」
と言って服装だけは僕よりもキッチリしている。
蛇足ではあるのだが、服装はしっかりしていても、彼の成績は下の上と言ったところだ。
ちなみに僕は中の中。
美奈は上の中だ、まことに羨ましいかぎりである。
「なんだ、また美奈にやられたのか?本当に仲がいいな」
しししっと笑う紀章。
「蹴られて仲がいいというのもどうかとは思うけど、否定はしないよ」
まだ痛い左足をさすりながら答える。
「しゃーねぇなー、…ホラ、肩借してやるよ。その足じゃつれぇだろ? 」
「ん、ありがたい。遠慮なく借りる」
「おぅ、遠慮なんかされるとこっちが気持ち悪い」
紀章の肩を借り、やっとのことで教室に入った。
教室に入ると美奈はすでに席に着き、一度こっちを睨んだ後プイッと顔を背けた。
「あ~・・・おまえホント何したんだ? 」
紀章が『なぁ、あいつ怖い・・・…』と副音声をつけて尋ねてくる。
「いや…待ち合わせの約束を忘れただけだと思うんだけど。……他にも何かあるのか
な? 」
「いや、俺に聞かれても困るが……。ん、まぁ女子にとっちゃ、朝に待ち合わせ、って
のが一大イベントだったんじゃねぇの?それがあの凶暴女に当てはまるかは疑問だが
な……」
……そう言われてみればそうなのかも知れない。
今度何かで埋め合わせを考えておこう。
「はぁ、それなりに気がつく奴なのに。こういうことだけ疎いからなぁ……」
「?……なに??」
「いや、なんも……」
その後すぐ、紀章曰く『ヤマ張るための情報収集』なる、授業が始まり。
今日も何の進展もなく、いつもどうりの時間の速さで昼休みを迎えた。
紀章は昼休みに入るやいなやダッシュで購買に向かっていった。
僕を誘わないのは、基本的に僕が買うパンがマイナーであるため。
誘って二人で行くよりは、一人でダッシュした方が効率がいいためである。
一人残った僕は昼休みに入った教室でちょっとした、考え事をする。
「……おかしい」
何がおかしいって、おかしいと思うことがおかしい。
……いやどうなんだろう実際。
何がおかしいんだろうか?
「なんなんだ? 」
頭を抱える。
何かわからないが"おかしい"と漠然的に感じる違和感。
違和感を感じた時には確かに何がおかしいのか解っていた気がするのだが…。
どこかで頭を打ち、それすら忘れているのだろうか?
…いやいや、あり得ないだろう、頭にもこぶらしき物は見当たらない。
そんなくだらない事を考えている自分自身に、苦笑する。
「……何やってんの? 」
「……」
それより他に何か違和感の理由があるはずだ。
「…………?ねぇ……」
「……」
精神的なショックだろうか?
…いや、いったい何にショックを受けるっていうんだ。
「…………ちょっと……」
「……」
目の前で人が殺されるとか?
……まさかな。
「……無視?」
ま、いっか食堂にでも行こう。
と思い席を立つと、
「わひぁ!! 」
後ろからいきなり大きな声。
「!?――うわっ!! 」
耳元でやられたので耳がキーンとなる。
少し前に出て振り向くと、美奈がいた。
朝といい、今といい、なんて事をしてくれるんだこの人は。
「何だよいきなり!!びっくりするだろっ!? 」
すかさず問い詰める。
「う、うっさいわね!!あんたがいきなり立つから悪いんでしょ!?何回呼んでみても
返事しないから、てっきり寝てるもんだと思ったのに……」
なんだか知らないが頬を赤らめながら講義する美奈。
どうやら寝てると思い込んで起こそうとしたらしい。
「へ、変な声……でちゃったじゃない……」
「え? 」
何か言ったみたいだが、ボソボソと言ってよく聞き取れなかった。
美奈は、僕の返答を聞いてからさらに顔を赤くして、
「なんでもない……」
短くそう答えた。
その赤い顔を見てるとこっちまで恥ずかしくなってきたので下の方に目をそらす、
すると体の前に出された美奈の手に何かつかまれている。
お弁当だ。
「中庭にでも行くのか?お弁当もって」
間が持たないので思ったことを口にする。
「えっ?あっ……いやこれは……その…………」
なんか今日の美奈はいつもと違うな、いつもなら「あんたには関係ないでしょ? 」
とか言って来る筈なんだが。
なんていうか……張り合いが無い。
「ホ、ホラ。今日、私がお弁当作ったじゃない? 」
「?うん」
僕の肯定を受けてさらに続ける美奈。
「だから、その、味の具合とかも聞きたいし」
ああ。味がきになるのか。まぁ考えてもみれば当然だ。
自分の作ったものを他人に食べさせるのだから、味だって気にもなるだろう。
でもそれなら問題ない。
「ああ、それなら美味しかったよ。変な味はしなかった」
「い、一緒に食べ……え? 」
さっきまで逸らされていた目が合う。
ここまで驚かれるとは予想外、と思うも刹那。
「食べたのっ!? 」
何で!?と、問いだす美奈。
???意味が解らないが、本当にここまで驚かれるとは思わなかったな。
美奈は、はぁとため息をつき、
「早弁、したわけね」
と、一人納得していた。いやまったくそのとおりなのだが。
「えっと、なんかまずかった? 」
まさかとは思うが、消費期限切れの具材を使っていることに今きづいたとか!?
「別にまずくは無いわよ。美味しかったのならいいわ。……はぁ」
美奈は、呆れた感じでそう言う、そこまであからさまにため息つかれても困る。
「まぁいいわ。机と椅子、借りるわよ」
言って僕の座席をあっさり占拠。所用時間三十秒の早業である。
「あっ、おい」
言ってももう遅い、美奈はすでに自分の弁当をパクついている。
「僕はどこに座ればいいんだよ」
「立ってりゃ良いじゃない」
「………」
さて、この傍若無人をどうしようか?
ガララッ
教室の引き戸が開けられる音。
反射で扉のほうを見てしまう。
そこには――
アッタ事ガ有ル――――
はじめて見る、後ろ向きにはねた白い髪と着ている白衣のせいで上から下まで真
っ白の男が立っていた。
「……!?? 」
まただ……。
この漠然的な違和感。有るのに無い。
感じたのに感じない。見たけど見ていない。
この感覚はいったい……。
白衣の男は、昼食中失礼と挨拶をした後、
「三年の"正原 秀一"(まさはら しゅういち)だ」
三年生なのか。白衣のせいで先生かと思った自分が少し悔しい。
「このクラスの者に用があるのだが……」
ふむ、と周りを見渡す。
さっき言った用の有る人物を探しているようだ。
しかし、見つからなかったのかグシャグシャと頭を掻き、
「平井 晶君はいるかね? 」
てな事を言った。
とたん、変な言葉遣いをする白衣の男、正原 秀一に向けられていたクラスの視線を、
僕は図らずも独占する事になった。
「あんた、なんかしたの? 」
美奈のその言葉で、自分が指名されたことに気がついた。
「え?いや……あの人初めて会うし。心当たり無いけど」
だがまぁ、呼ばれたのだから何かあるのだろう、行くしかあるまい。
「ちょっと行ってくるよ」
美奈にそう告げて扉まで歩いていく。
「君が晶君かね? 」
本人の前まで来ると正原先輩のほうから聞いてきた。
「はい。あの、何ですか?用って」
すぐさま本題に入る。
「ふむ、まぁ廊下に出よう、そこで話す」
そう言って廊下に出ると、正原先輩はこっちだと、手招きする。
「……」
黙ってついていく。
……そういえばまえもこんなことが――
コンナコトハナカッタ――――
いや、無かったなこんな呼び出しを受けるようなこと。
結構まじめに生きてるし僕、うん。
「――ッ!???……」
ナンダ!?いまのは?
違和感があった!!
違和感をちゃんと感じることが――
「どうかしたかね?晶君」
「……え? 」
「どうかしたのかと聞いたのだ。その前の質問にも答えてもらってないのだがね? 」
「あっ、す、すみません」
どうやらボーっとしていたみたいだ、まったく話を聞いてい無かった。
「大丈夫です。えっと、それで……、なんでしたっけ? 」
正原先輩はふむ、と不思議そうな顔をしたがすぐに切り替え、質問に戻る
「体の調子はどうか、と尋ねたのだ」
「は?体の調子……ですか? 」
「そうだ。特に右の腕は?動きにくいとかは無いかね? 」
言われて右腕をにぎにぎとするが、特にこれといった異常は無い。
「いえ、そんなことは無いですね、大丈夫です」
「そうか。ボーっとしていたようだがそっちのほうは? 」
「いえ、大丈夫です」
朝早く起きた為に寝不足なのかもしれないが、問題は無い。
…?何か忘れているような……スッキリしないな。
「そうか。ならいい」
はっはっはと笑ってうんうんとうなずく白衣の先輩。体調を聞くと言うことは将
来は医者志望だろうか?
「ではもう一つ、といってもこの質問が本題なのだが……」
と言って腕を組む先輩。すると、雰囲気ががらりと変わった。
蛇に睨まれた蛙というのは、今の僕のことを言うのかもしれない。
腕を組んだ先輩に目を合わされた瞬間、背筋にドライアイスでも入れられたのではな
いかと思うぐらいの寒気がした。悪寒とはここまで気色の悪いものなのか。
先輩は僕の今の状況を解っているのだろう。
ニヤリと悪役じみた笑みを浮かべ、質問という名の尋問を続ける。
「昨日の記憶がほしくないかね? 」
その質問に僕の思考がほぼ停止する。
何を言ってるんだこの人は?
昨日の記憶なら僕は―――
なぜ、美奈との約束を守れなかったのか。
なぜ、今日が何日かニュースで聞くまで忘れていたのか。
なぜ、あったこと無かったことの区別ガデキナイノカ。
「…………」
汗が出ている。
もう冬だというのに汗が出る。
言葉が出ない、考えがまとまらない、ナントイッタノカコノヒトハ??。
「どういう…意味ですか?」
やっと出た答えがそれだった。
それしか言えなかった、意味が解らなかった。
昨日の記憶が無いことに言われるまで気がつかないなんて…。
僕の返答を聞いた白衣を着た奇妙な先輩は、また、ニヤリと顔を歪めた。
僕はこの時すでに、さっき感じた違和感を、どこかに忘れて来てしまっていた。