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6. 小さな君に、小さな愛を

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6. 小さな君に、小さな愛を



静かな闇の中、地球に向かう、一隻の宇宙船が存在した。
「……フュリスよ。今、迎えに行くぞ……」



スパーーンッ!
今日も今日とて、少女は容赦ない一撃をアキラに加える。
「バニラのアイスって私は言ったのに、何でチョコミントなんか買ってくるんですか、この馬鹿ちん」
「いや、バニラ売り切れで……チョコミントも美味いぞ、な?」
スパパパーーンッ!
もう、やりたい放題である。これほどまでにハリセンの似合う少女もいないであろう。
そんな少女に、アキラはまったく頭が上がらない。宇宙刑事とはいえ、こんな事でいいのだろうか。
正直アキラとしても、もうちょっとおしとやかな人にサポート任務についてもらいたいとは思う。しかし、深刻な人材不足である宇宙警察は、わざわざこんな辺境の惑星に送り込む優れた人材などはいないのである。
そんな訳で、三流宇宙刑事と無表情氷面冷血殺戮少女がコンビを組んで、地球の治安を守っているのだ。
「罰として、アキラのチョコアイスは私が頂きます」
「いや、そうすると俺の食う分が……」
「うるさい」
少女の言葉は絶対だ。すごすごとアキラは引き下がる。食い物の恨みは恐ろしいが、この少女を怒らせる事の方が、もっと恐ろしい。
アキラは庭に出ると、いちにのさんしと体操を始める。ストレスは、体を動かして発散するに限る。間違ってフュリスにぶつけようものなら、三倍返しではきかないのだ。
「おいっちにーさんしっと……ん、何だ?」
突如として、巨大な影が辺りを覆う。天候でも崩れたのだろうか。
空を振り仰ぐと、そこには巨大な何か。
「宇宙船……なのか? しかし、これほど大きなものが、地球圏のような辺境に、何をしに来たというのだ?」
ピピ、ピピピ……
アキラの腕時計型無線機に、着信が入る。
「一文字アキラだ。誰だ、公用無線に割り込んでくるのは?」
『……ワシはグレイ・アースランド。ここに、娘を迎えに来た』
「娘、だと……?」
『そう。ワシのひとり娘、フュリス・アースランドの事だ』



空中に浮かぶ巨大な宇宙船。その中に、アキラとフュリスは招かれていた。廊下には衛兵が並び立ち、物々しい雰囲気である。
廊下を抜け、巨大な広間に出る。豪華な装飾、赤いカーペット。まるで、王宮にでも迷い込んだかのような錯覚を起こさせる。アキラには少々場違いな感じだ。
広間の中央の大きな椅子には、ひとりの恰幅のいい男が座っていた。フュリスが入ってくるのを見ると、立ち上がり、大きく手を広げる。
「おおフュリスよ、待ちかねたぞ!」
「……」
そんな男を、冷めた目で眺める少女。
「こうして会うのも久しぶりだな、我が娘よ。お前が勝手に宇宙警察、しかもこんな辺境の地に赴任して以来だ」
その男、グレイ・アースランドは実に芝居のかかった動きで、感動を表現する。しかし、フュリスの方にはまったく感動の欠片も無いようだ。久しぶりの再会というのが本当ならば、父親に対してこんな態度はとらないだろうに。
グレイは椅子の元から、ゆっくりと娘の下へ歩み寄る。そしてフュリスの手をとり、感極まったように涙を流す。
「……それで、私に何の用ですか、お父様」
「うむ、積もる話もある。まずは別室でゆっくりとくつろぐがいい。……ところで、あの男は何者だ?」
アキラの方を、不振な者でも見るかのような目で眺める。
「彼は私のパートナー、宇宙刑事の一文字アキラです」
「ふむ、そうか貴様が……貴様は、もう下がってもいいぞ」
「何だと?」
グレイは唇の端で、にやりと笑う。
「もう貴様は用済みという事だ。分かったらさっさと立ち去れ」
「どういうことですか、お父様?」
「お前がもうこんな仕事を続ける必要はない。今日限りで、お前はまたワシと一緒に暮らすのだ。そのために、ワシはお前を迎えに来たのだから」
「そんなこと、勝手に決めないでください」
グレイはパチンと指を鳴らす。すると大勢の武装した男達が現れる。そしてアキラとフュリスを隔てるように、周りを取り囲む。
「ワシの決定に逆らう事は、誰であろうと許さん。たとえ、宇宙刑事といえどもな」
アキラは何とか囲みを突破しようとする。しかし、武装した男達を前に、迂闊に動く事もできない。
グレイはフュリスの手を引くと、歩き出す。逆らうフュリスだが、ずるずると力任せに引きずられていく。
「一文字君を、丁重にお送りしろ」
男達が、アキラを掴んで引っ張っていく。
「グレイ、貴様は一体何なんだ!」
「ワシは、宇宙統合政府議員グレイ・アースランド。去れ。そして二度とワシの娘に近づくな」



宇宙船から放り出され、アキラは呻いていた。放り出される時に抵抗し、暴力でもって押さえ込まれたのだ。
親が娘を迎えに来た。それならば、このまま黙って行かせた方が良いのだろうか。しかし、フュリスは、あの小さな少女は明らかに嫌がっていた。それをグレイという男は、無理やりに……。
だが、自分になにができる? 相手は議員、そして肉親。それに対する権利が、自分にあるのか?
「俺の出る幕じゃ、ないのかもな……」
 ぼそっと空に向けて呟く。なぜか少し、胸が痛んだ。
「……あら、フュリスちゃんは?」
夕食の席、真由美がアキラに問いかける。いつも席についている少女の姿が、見えないから。
「あいつは、親の所に帰ったよ」
「親って、あの空に浮かんでる宇宙船の所?」
弥生の言葉に、黙って頷く。
「とにかく、このままでは地球の平和が守れない。本部に連絡して、代わりのパートナーを派遣してもらうか」
予想以上に落ち着いた様子のアキラに、弥生は不満そうな顔を見せる。今までのパートナーを、あっさりとこの男は切り捨てるのか。ふたりの関係は、その程度のものだったのか。
フュリスの事を思い浮かべる弥生。無表情で、無愛想で、毒舌家で、なにを考えているのか分からない子だったけれど、それでもしばらく生活を共にしてきたのだ。
それを、この男は……。
「あなた、それでいいの? 本当にあの子がいなくても平気なの?」
「ちょうど、もう少し愛想のいいパートナーが欲しいと思っていたところだ。いいチャンスさ」
パシーン!
弥生は目を見張る。いつもにこやかで温厚な母、真由美がアキラに平手打ちを浴びせたのだ。
「ちょっと言い過ぎよ、アキラさん?」
呆然と真由美の顔を見るアキラ。自分に何が起こったのか、分かっていないかのように。
真由美は手をさすりながら、ゆっくりと語りかける。
「本当に、そう思っているの? アキラさんとフュリスちゃんは、なんて言うのかしら、気持ちが通じ合っていると思っていたけれど、違うの?」
「俺は……力しかない馬鹿だ。だけど、子供が親に従わなくちゃいけないっていう事は、分かっているつもりだ」
「それは違うわ」
真由美はじっとアキラの瞳を覗き込み、話を続ける。
「子供は親の道具じゃないの。親は、ただ子供の事を温かく見守るのが役目。不必要に干渉する事は、たとえ親や肉親であっても、絶対に許されないわ」
アキラは黙って席を立つ。
「後悔だけは、しないようにね?」
真由美達は、去っていくアキラの背中を、ただじっと見送った。



屋根の上。夜の闇に包まれたそこを、心地よい風が吹きぬける。ただ黙って、屋根の上に横になっているアキラ。
さっき真由美に言われた言葉を、反芻する。
『アキラさんとフュリスちゃんは、、気持ちが通じ合っていると思っていたけれど……』
そんな事はありえない。フュリスは基本的に他人に無関心で、誰にも心なんて開くとは思えない。
ましてや、こんな自分だ。彼女にとっては、厄介者にしか過ぎないはずだ。信頼も、尊敬も、自分に向けられるはずはない。今までパートナーでいられたのは、奇跡だ。
だから、彼女が幸せになれそうならば、黙って見送るのが、自分にできる最大の感謝だ。
……そのはずだ。
宇宙船はまだ、街の上空に留まっている。さっさと宇宙へ飛び立たないのは、何か訳でもあるのだろう。
ぼーっと夜の空に浮かぶそれを眺めるアキラ。
考えてみれば、ここに居候するまで、フュリスはずっと衛星軌道のハイペリオンにひとりでいたのだ。それがアキラがここに住むようになって、僅かずつとはいえ顔を合わせるようになった。
ひとりで宇宙にいるというのは、どんな気持ちなのだろう。サポートのためとはいえ、宇宙船に篭り、当たり前の少女の生活すら、送れないということ。
もし、彼女の心が傷ついているとしたら、それは自分のせいだ。あの少女はたとえどんなに傷ついても顔には出さないだろうが、そういう性格にしてしまったのも、自分の責任ではないのか。
自分にできる罪滅ぼしは、無いのだろうか……。
ピピ、ピピ……
アキラの腕の無線が鳴る。表示は直通。つまりはたったひとりの特定の相手から、フュリスからだ。
『……聞こえます、アキラ?』
「ああ、よく聞こえる」
『……ごめんなさい、あんな目に遭わせて』
ごめんなさい? あの少女が、自分に謝っている? 今までそんな言葉、一言も聞いた事が無いというのに。
「どうだ、そっちは。良くしてもらってるか?」
『過保護すぎます。部屋から一歩も出してもらえないし』
なるほど、あの父親ならそのくらいの事はするかもしれない。
『アキラは、私がいなくても、大丈夫ですか?』
「ああ、静かで快適だ。もうぽんぽん叩かれる事も無いしな」
『あれは躾です。アキラがどうしようもない人だから』
思えば、あれは少女なりのコミュニケーションだったのかもしれない。不器用な少女なりの、精一杯の。
『……たぶん、もうアキラとは会えないと思います……』
「そうか……」
沈黙が満ちる。無線越しに伝わる、少女の息吹。そして……。
「お前……泣いてるのか?」
『そんな事、ありません……』
しかし、確かにアキラは感じるのだ。僅かな悲しみの感情を。あのフュリスが、これほど感情をむき出しにする事なんて、今までに無かった。だからこそ、余計にはっきりと感じる。
「……何があったのか、話してくれるか?」
『何にも無いです……』
「フュリス、俺達はパートナーだ。もうお前はそうは思っていないかもしれないが、それでも腐れ縁だったんだ。話して、くれないか?」
再び沈黙が続く。無線の向こう、戸惑いが伝わってくる。
……どのくらい時が過ぎただろうか。微かに、言葉が届く。
『結婚……させられそうなんです』
「何だって?」
『政略結婚……財閥の、御曹司と』
「でもお前、まだそんな年齢じゃないだろう?」
『今は婚約だけ……でもいつかは、そうなります』
あの父親は、自分の娘を政治の道具にしようとしているのか。アキラの心の中に、激しい怒りが湧き上がってくる。
『こんなの、嫌です……お願いアキラ、私を助けて……』
プツン。
無線が途絶える。アキラは屋根を駆け下りると、玄関に向かう。
「あら、どこかにお出かけ?」
真由美が足音を聞いて、顔を出す。
「小さな女の子が、泣いているんです。震えて、助けを待っているんです。俺が、助けてやらなくちゃ……いけないんです」
「そう、頑張ってね?」
真由美に見送られ、アキラは飛び出す。
ちっぽけな、ただひとりの少女のための正義。けれどもそれは、今の彼にとって何よりも大事なものなのだ……。



宇宙船の中、部屋に閉じ込められた少女。鍵は外からかけられ、出る事もかなわない。
自分は、さっき何を言ってしまったのだろう。アキラに迷惑をかけることなんて、できはしないのに。そんな権利は、自分にはないのに。
自分はいつも、彼に酷いことをしてきた。心を開く事も無く、馬鹿な相手と見下して。そんな自分が、彼に何かを頼む資格はないはずだ。
それなのに、自分は何を期待しているのだろう。来てくれる保障はない。こんな可愛げの無い子供の事など、心配してくれる人なんて、いやしない。だけど、もしかしたら。そんな僅かな期待。
その時、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。ドアに駆け寄り、耳を当てる。
『……船内に侵入者! 直ちに発見し、排除せよ!』
間違いない、彼が来たのだ。本当に、バカで、無鉄砲で、どうしようもなくて……そして、強い人。
フュリスは扉の前で待つ。彼が来てくれる事を、信じて。
…………。
アキラは長い廊下を走っていた。フュリスの居場所は、無線機の僅かな電波を追っていけば分かるはずだ。それに、警備の厚い方に向かえば、必然的に辿り着くはず。アキラは馬鹿だ。だから、馬鹿にしかできない方法をとるのだ。
目の前に、ふたりの警備兵。相手が銃を構えるよりも早く、突撃してひとりを殴り倒す。怯む残りのひとり。そこへ回し蹴り。銃を蹴り落とす。
「フュリスの所へ、案内してもらおうか?」
銃を拾い上げ、突きつける。恐る恐る歩き出す警備兵。やがて、ひとつのドアの前に辿り着く。
「よし、ご苦労さん!」
拳を一閃、警備兵を殴り倒す。そして鍵を開け、ドアを開く。
「よう、助けに来たぞ、フュリス」
「アキラ……」
瞬間、アキラの体に体重がかかる。何が起こったのか分からないアキラ。そして、気がつく。少女が、自分に抱きついている事を。そして、その小さな肩が小刻みに震えている事を。
ぽんぽんと、優しく背中を叩く。それで大分落ち着いたのか、フュリスはアキラから離れる。その顔は、涙で濡れていた。そう、この子は少女なのだ。外見どおりの、小さな少女なのだ。その中身が、どれほど繊細なのか……。
そっと涙を拭ってやり、手を繋ぐ。
「一気に出口まで走るぞ。脱出ポットくらいはあるはずだ」
「……うん」
並んで通路を走る。背後から聞こえる、追っ手の足音。戦うわけにはいかない。ふたりがここにいる以上、コンバットスーツの転送はできないのだ。生身で戦うには、相手はあまりにも多すぎる。
追っ手をまきながら走る。しかし、広い船内、次第に追い詰められていく。
「アキラ、危なくなったら、私を捨てて逃げてください」
「それはできない。正義が悪に屈するわけにはいかないからな!」
本当に、馬鹿な男。でも、そんな彼が今はなんだか頼もしいと思うフュリス。
やがてふたりは、袋小路に辿り着く。完全に追い詰められてしまったのだ。振り返ると、兵士達に守られたグレイの姿。
「ワシを困らせるな、フュリス。その男から離れて、ワシの元へ来い。そうすれば、その男の命だけは助けてやろう」
戸惑うフュリス。自分が行けば、アキラは助かる。だったら……。
「アキラ、私行きます」
そう言って、父親の方へと向かおうとする少女の腕を掴むアキラ。
「行くな」
「でも、私が行けば……私が犠牲になれば……」
アキラはしっかりと少女の瞳を見据える。そして。
「お前は、俺のものだ。どこにも行かせない」
「えっ……」
突然の言葉。何の心構えもできていなかった少女に、その言葉は突き刺さる。
「生きるのも死ぬのも一緒だ。お前をもうひとりにはしない」
フュリスはその言葉に、覚悟を決めた。なんとしても、彼と生き残るのだ。そのためには……。じりじりと迫る包囲の輪。
「アキラ、後ろの壁のハッチを開けてください」
「しかし、これは緊急用のハッチだ。開けてもそこには何も無いぞ?」
確かに外には出られる。しかし、この船は空高く浮かんでいるのだ。外に出ても、墜落するだけである。
「アキラ、私を信じてください!」
珍しく強気な少女の言葉。だから、アキラも覚悟を決めた。
後ろ手にハッチを開ける。吹き込んでくる強風。
「お父様。私はやっぱりあなたにはついていけません。ずっと前から、あなたの事は嫌いだったから。だから、私はアキラと行きます。もしも、これ以上追いかけてくるのであれば……私は、舌を噛んで死にます」
アキラにぎゅっとしがみつき、外へと踏み出す。
「この馬鹿娘がっ!」
グレイの声が、むなしく響く。そしてふたりは、何も無い空中へと飛び出していた。
真っ直ぐに、落ちていく。その強い空気の抵抗の中でも、フュリスはアキラの事を離さなかった。服越しに、鼓動を、暖かさを感じる。ああ、この信頼できる人というものは、こうも気持ちのいいものだったのか。人との触れ合いを避けてきた少女が、初めて感じる心地よさ。
「落ちてるけど、どうするんだ? 心中するつもりじゃなかったんだろ?」
「ええ、そうですね」
フュリスは腕の小型端末のスイッチに触れる。船内では妨害されていたが、外に出た今ならば。
「飛びます!」
キュインッ!
僅かな音と光と共に、ふたりの姿は消え去った。



ドシーンッ!
大きな音を立てて、何かがアキラの部屋の押入れに飛び込む。居間でアキラの帰りを待っていた真由美と弥生は、慌てて部屋に様子を見に行く。
そこには、押入れを開いて出てくるアキラとフュリスの姿。
「良かった。無事だったのね、ふたりとも」
真由美が微笑みながら言う。
「心配するだけ無駄よ。アキラが簡単にどうにかなるわけないでしょ」
そう言いながらも、弥生はどこか安心したような顔をしている。
「それにしても……ふたりはいつの間に、そんなに仲良しになったの?」
弥生の言葉に、改めて自分達が抱き合っている事に気がつく。顔を赤くして、慌ててアキラから離れるフュリス。アキラは笑いながら『俺達はいつでも仲良しさ』などとうそぶく。
「ふふっ……ふたりとも、お帰りなさい」
「ただいま、真由美さん、弥生ちゃん」
「……」
赤い顔をして、うつむく少女。
「ほら、フュリス?」
「……ただいま」
「はい、お帰りなさい」
こうして、ふたりの長い一日が終わった。
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ツヴァイ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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