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空っぽ

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 ……痛い。
 この感覚を味わったことはある。
 脳は覚えていないだろうが体は覚えている。
 ぞくり、と悪寒とも好奇心とも思えるような感覚が全身に駆け巡る。
 口の中は鉄の味でいっぱいだ。

「痛い」
 口に出してみる。開けば閉じていた傷もまた開くのでまた新しい痛覚が生まれる。

「懐かしい」
 何年も、何年も味わっていなかった痛み。
 いまので少しボクの心境は変わった。

 ――殴ってみたい。

 ぐしゃぐしゃに人を蹴って、殴って泣いて、何も悪くないのに謝ってくる様を見てみたい。
 そんな思いが片隅に、ちょこんと居座った。

「会軌菜ぁ!」
 ボクを呼ぶ声、怒声だ。
 あぁ、この声、聴いたことがある。いつも聴いていた声だ。
 振り返ろうとするのと同時に殴られた。

「オマエ、なんで蓮葉を泣かしたんだよ! オマエなら、会軌菜ならそんなことするわけないと思ってたのに!」
 よろける。だけど倒れはしない。

 ――倒れたりしたら相手の思う壺だ。

 ボクの体がそういった。
 また口の中に新しい鉄の味が広がる。新鮮で、甘美な鉄の味が……

 ――いいか? 腰を低く、体重を乗せて思い切り殴るんだ。そうだな……出来るだけ顎を狙えばいい。脳が揺れるからな。

 体がそう教える。言うとおりに腰を低くしさっきのような不意打ちを受けないように腕を構える。

「慶介、あれは誤解なんだ……だから、そのまま何も言わずに自分の部屋に帰ってくれ。ボクは他の部屋で寝るから」
 そうでもしないとキミを……友人を酷い目に合わせそうだから……、そう呟いた。忠告のつもりで言ったつもりだったのだが慶介はボクの言った忠告、または警告を無視して怒号を誰もいない夜の廊下に響き渡らせた。

 大振りで荒々しい殴り方。明らかにケンカに関してはずぶの素人といったところだ。
 不意にボクの口は歪んだ。この状況を、今、慶介との友情が無くなろうとしているのに笑っているのを感じた。
 ボクはこんなに悪趣味だったか?

 ――なに罪悪感を抱いているんだオマエは? そもそも友情も何もオマエは……

 ――そうか。そうだな。

「そんなのじゃ、ボクには当たらないよ」

 慶介はうるさい、と何度も何度も殴ろうとする。

 ――頭が悪いな。

 そう思うと大振りな腕を掻い潜り慶介の懐に入ると間髪いわせずアッパーを決め込んだ。

「か、ふ?」
 一瞬何が起こったかわからないような感じで周りを見つめる慶介の目。
 だが脳が揺れたんだ。目の焦点が合っていない。

 そしてボクは地面にひざまずいた負け犬を見下ろしボクはなんともいえない高揚感を胸にこう告げた。

 ――何も持ってなかったじゃないか。友情も、なにもかも。
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