最終話
あれからのことは、よく覚えていない。自分の布団の中で目が覚めて、朝だった。
でも、どこか心につっかえていた、あのやりきれない気持ちがとれたことは覚えている。すっきりしたのだ。
だから、不安はあるけど、今日賢二と香奈にキスの真相を聞いてみることにする。
でも、大丈夫だという自信がある。
そして今日は、佐藤さんとのお別れの日だ。
俺はなんだかよくわからないけど、佐藤さんのあの主張のおかげで、多分悟りを開いたのだ。すっきりしたのだ。
底知れぬ不安というのはあるけれど、なんとかやっていける気がする。将来はなんとかなるような気がする。
友達だって、努力次第でどうだってなるような気がする。もう一度、今度は最高の青春を送れる気がする。
だが、佐藤さんはどうだろう。佐藤さんのやりきれなさは、はたして努力ですっきりするのであろうか?
俺みたいにある日突然、すっきりする日が来るのだろうか?
そうは俺には思えない。
彼女は…きっと、あのまま行けば、今はいいかもしれないけど、チャット中毒のせいで、なんらかのアクションが起きない限り留年して、
学校やめて、ひきこもりになる…なんてことになりかねない。可能性は十分すぎるほどある。
だが、僕は佐藤さんのやりきれなさと不安をどう取り除いたらいいのかがわからない。悔しい。
そして、タイムリミットは今日の、午後しかないということが僕の焦りに拍車をかけた。
佐藤さんが、昨日の夜言っていた。(メールで)
「やりたいことが何もない。できることも何もない。私には趣味がないし、夏休みの予定もない。ないない尽くし。どうすればいいの」
俺は、これから友達を作って青春したい! とかやりたいことがたくさんある。というより、できた。花火もしたい。
不安はたくさんあるけれど、夏のこれからがとても楽しみだ。
でも、佐藤さんはどうだろう。何もないのだ。欲さえも、ないのだ。
僕は、おせっかいだと思うけど佐藤さんの現状をなんとかしたいと思った。でも、どうすればいいのかわからないし、心の隅で
「いいじゃんもう佐藤さんなんかほっとこう」という気持ちさえある。僕は自分のことをとても嫌な人間だと思った。
でも、嫌な人間だとは思ったけど不思議と自分を責める気にはなれなかった。なぜだか。さて。佐藤さんのことはどうしようか、
と思った矢先、時計の針を見る。7時50分。朝食の時間が近いので、僕は急いで自室を出た。
テーブルに向かうと、昨日よりやる気のない佐藤さんが青色のロングキャミソールに身をつつんでいた。青はとても澄んでいてきれいだった。
青と対照的に、やる気のなく重苦しい目をしている佐藤さん。それでも、必死に元気を振り絞りながら母親の話に相づちをうつ佐藤さん。
それを見て、たいしておもしろくもない芸人を見て爆笑する芸能人を思い出した。そうだ、あれ以後どうも僕は必死に笑う芸能人がかわいそうに思えて、
パネラーのいるお笑い番組を見なくなったのだ。必死に笑う佐藤さんを見て、僕は心が苦しくなった。どうにもやりきれない気持ちに襲われた。
「佐藤さんはいつも、こんな感じなんだろうな」
そう思うと、不意に目頭が熱くなった。そのとき僕は、佐藤さんと自分との「本質的な」違いを見つけてしまった。
例えるなら、形のくずれたシュークリームと中のクリームが入ってないシュークリームの皮だ。どちらも、よくできているとは言えない。
だけど、僕は形のくずれたシュークリームだけど「中身」…、ようは充実度は高いのだ。今はぐちゃぐちゃな生活を送っているにしても、だ。
それと対照的に、きちんと形が整っている…外見「だけ」がきちんと整っている、「中身」がすかすかの…、「充実度」の低い人生を
送っている佐藤さん。おそらく、親の目からみれば佐藤さんのほうがリア充にみえるだろう。だけど、実際は違う。人生の充実度からすれば、
僕のほうが少なからず充実している人生を送ってきたのだ。だからきっと、佐藤さんには思い出がない。これはとても悲しいことだ。
きっと中学時代の同級生とも一回も会ってないのだろう。当然、メールも来ないのだ。
佐藤さんのこの現状を打開するために、自分には何ができるか。
いや、何もできやしないだろう。そんなことはわかっている。
…話を聞いてあげるのはどうだろうか? 佐藤さんのように内気でパソコンばかりしている人は、きっと人と接したいのだろう。
だから、チャット中毒になってまで、しかもそれを自覚してるのにチャットをしているのだろう。きっとそうだ。
僕は朝食が終わってしばらく経ったあと、佐藤さんのいる妹の里見の部屋へ向かった。ドアは閉めていなかった。
「あのさ、佐藤さん…昨日はごめんね」
「ちょっとさ、俺友達とかのことで頭おかしくなってたんだよ」
「だから、ごめんね」
佐藤さんは、僕に背を向けてイヤホンをしていた。だから、僕の話にまったく反応してくれなかったのだ。
と、思っていたのだが。
しばらく、沈黙があった。
自分の汗が、首筋からシャツへと一滴染み込んでいくのがわかった。
そして、何もすることがないので耳をすます。音が聞こえた。すぐにそれは佐藤さんの聞いてる音楽だとわかった。イヤホンから音漏れしているのだ。
耳を澄まして、音楽をよく聞いてみる。
少女が見知らぬ世界で人と出会って、友達を作って、恋をして、足がもつれながらも生きていく、でも結局少女は死んだ。という意味の歌詞だ。
僕は胸が熱くなった。佐藤さんは…、少女と同じように変わろうとしているのだ。現状を必死に打開しようとしているだ。
でもできない。どうにもならない。そして時間だけは残酷に過ぎてゆく。本当の友達も、思い出も何もないままに、死んでゆくのだ。
「その曲の歌詞、いい歌詞だね」
「…」
佐藤さんが、驚いた表情でこっちを向いた。
「聞いてたの…? 」
「いや、音漏れ」
佐藤さんの顔はちょっと赤くなった。
「今度、カラオケ行こう。メールアドレスは、昨日のと同じにしとくからさ。ま、気が向いたら連絡するよ。ってかそっちからもしてよ。
その曲とか、けっこう聞き込んでるみたいだし、今度どんな歌か聞かせてよ」
沈黙があった。でも、きっとその沈黙は無視という意味での沈黙ではなかった、と思う。
きっと、急に異性にこんなことを言われて動揺してどう反応すればいいのかわからなかっただけなのだ。そういう解釈にしておこう。
本当は、佐藤さんともう少し一緒に居たかったが、僕にはやらなければならないことがあった。
賢二と香奈にあって、キスとはどういうことなのか説明してもらわなければならないのだ。そして僕はそれをすべて受け止めなければならないのだ。
どういうことかの良し悪しは別にして。でも、2人に会いたい気持ちだけは本物だ。このさい、会えればどうなってもいいやとも思っている。
僕は、ポケットの中で握りしめていた自転車の鍵を握りしめた。汗はぽつり、と床に落ちた。
僕は、佐藤さんの目の前から姿を素早く消したあと、外に出て自転車を走らせた。
見上げれば、どこまでも続く青い夏空。雲ひとつない。
僕は、一心不乱で、どこにいるのかすらわからない2人を探した。僕はがむしゃらに自転車を走らせた。
その光景は、夢にまで見ていた「やりきれない青春をノンストップで駆け抜ける漫画の主人公」そのものであった。
これも、きっと青春のひとつなんだなと思った。
家に帰ると、一段とリア充さが増した妹が居た。旅行から帰ってきたのだ。
「どうだった? 旅行? 楽しかった? 」
「うん、楽しかったよ旅行! ところで兄さん、どうだった姉さん? 」
「ああ、うんまあよかったよ。うん。あ、あと、姉さんにはよろしくまた来いよって伝えておいてくれ」
「うんわかった。でさ、兄さん聞いてよ! 旅行の話なんだけどさ、岬ちゃんが泳ぐのとても上手でね……(ry」
妹の旅行の話は、あれから2時間弱続いた。うんざりしたけど、まあエンジョイしてくれて何よりだ。よかったよかった。
それから夕食を食べて、なんやかんやして時間を潰したあと、いつもよりちょっとだけ早く布団に入った。
佐藤さんはこれからどうなるのだろうか、ということを真っ先に考えた。
いや、でもまだまだ夏は始まったばかりだ! 夏休み中に連絡が一回くらいくるはずさ! とポジティブに考えるようにしたら、
とたんに睡魔に襲われた。
夢の中で、賢二と香奈に出会った。
今日会ったことが、フィードバックしていた。
昼から、賢二と香奈と僕の間に何があったのか……は、また別のお話。
とにかく、まだまだ夏は始まったばかりなのだ!
その夏以来、僕は夏が好きになった。
おわり