『七十五年目の魔術少女』
よく考えてみよう。
地球から零れ落ちるくらいに増え続けた人類の、半分を占める男性。その内の半分以上が成人しており、そのまた半分以上が所帯を持っている。いや、それ以上かもしれない。そんな世界で、所詮は日本と言う小国の、そのまた廃れた田舎、ボロ家に住んでいる俺。そんなちっぽけな俺だからこそ、この先人生を共にする伴侶を見つけることが不可能であると予想するくらいは、可能なのだ。そんな世界なんだ。
夜。俺の生活は、世間とは間逆から始まる。時間にして午前三時であり、あと数時間もすれば、完全に閉まらない窓の隙間から個の存在の自覚すら出来ないのであろう暢気なスズメ共が歌いだす。既に確立された生活、今日と言う日に何が起きるのかは簡単に予測出来るというわけだ。天候と言う自然の驚異はそういった予測をするにあたり強敵なのだが、生憎と俺は天候に左右されない生活をしているので、影響は受けない。
――へたれた布団を跳ね除けて、まずPCの電源を点ける。ピ、という電子音の後に、モニタにはPCに入っているOSのロゴが表示され、ログイン画面へ。そこからパスワードを入力し、数分待ってニュースサイトを観覧。次に濃厚な二次元の世界を堪能し、色々な部分を鎮めさせるために世界の機械時計を見る。一通り日課を終わらせた時には、既に昼を過ぎている。ちょうど腹の具合が気になり、部屋に置いてある電気ポットを手に堂々と階下へ。ポットに水を補充しながら、冷蔵庫を適当に物色し、キッチンを借りて簡単な物を作り、準備が終わったら玄関先の扉にある“ひび”に挟まっている新聞紙を手にちゃぶ台へ。すこし冷めてしまった“朝食”を摂り、再度自室に戻る。そこからは自由時間であり、大抵は小説を書くか動画投稿サイトに入り浸る。そうこうしている間に外は暗くなり、PCモニタの光が顔を照らし始めた頃に、長くぶら下がっている電灯の紐を引っ張り、部屋を明るくする。時間にして午後八時。昔から使っている勉強机、その一番下の引き出しに入っているカップ麺を取り出し、ポットの中で十分に熱くなったお湯を入れる。待ち時間の間に動画投稿サイトで丁度いい時間の動画を探して観るのだが探す時間を考えておらず、毎度のこと、延びてしまった麺を口に運ぶ。食べ終わったら食後の一服、ガタガタとうるさい音を立てる窓を開け、外に向かって煙を吐き出す。そのまま紫煙が体中を駆け巡る感覚に思考を委ねていると、寝る時間だ。こうして、俺の一日は終わる。
はずだった。
――へたれた布団を跳ね除けて、PCの電源を点けるまではよかったのだ。
ふと耳を澄ませば、階下の方でどたどたと人が慌しく動く物音。怪訝に思うも無視していると、長らく無かったノックの音が、ヘッドフォン越しに聞こえてきた。その時の俺は、さぞかし滑稽に見えただろう。ありもしない恐怖に怯えて、体を痙攣させるようにびくりと揺らし、顔を歪ませながら立て付けの悪い扉のほうを見つめていたのだから。
「はい?」
震える声を押し殺して、ノックの主が誰か確認する。返ってきたのは母親の声で、用件を要約すると、祖父が死んだので遺品が家に届いたと、そういうことだった。随分と夜中に失礼な宅配業者だと心の中で罵りながら、扉を開けようとヘッドフォンを外して立ち上がる。そして、微かに耳に届くのは暢気なスズメの鳴き声。外を見れば、なんてことはない、朝だった。……起きた時点で今日と言う日は狂っていたのだ。つまりは今日一日、狂った日になるのだろうという予感が脳天で存在を膨らませる。
寝起きの体にムチを打って扉を開けると、そこにはダンボールが一箱。人の気配がしたので母親が居ると思っていたのだが、なるほど、荷物だったのか。何故祖父が俺へダンボール一箱分もの遺品を残したのか。そんな疑問を抱かずにはおれず、体を少し急かせて部屋の中心にダンボールを持ってくると、腰を落ち着ける。……妙に重いダンボールだ。遺品とやらは、こんな俺の腰ほどまである大きさのダンボールにしか収まらず、ここまで重いものなのか。些細な疑問は大きな好奇心となり、俺は勉強机、その一番上の引き出しに入っているカッターナイフを取り出し、荒く梱包されているビニールテープを切る。切れ目を入れるとすぐに裂けるタイプの物だったので、乱暴に手で開ける。
「……どうも」
『七十五年目の魔術少女』
よく考えてみよう。
俺と言う個人がこの先人生を共にする伴侶を見つけることが不可能であるというのは、ついさっき、寝惚け眼を擦りながら予想していたことだ。この世は現実だ、この先、とてもじゃないが漫画やアニメのようにヒロイックな展開は待っていない。そもそも、そういった物語においての“機会”が俺には存在していない。曲がり角で転校生とぶつかることも、後輩から恋文をもらうことも、サークルで交友を深めることも、職場での飲み会で急に親しくなることも、ありえないのだ。ファンタジーな展開など以ての外。異世界に飛ばされたり、正体不明の生物が現れて知り合いの女の子が戦っていたり、実は俺が特別な存在だったりと、それこそありえない。
だからこそ、目の前の“現実”をよく考えてみよう。
「その、とりあえず出てもいいっすかね?」
俺の応えを待たずに目の前でダンボールから這い出てくる生き物は、この上なく二次元で言う“魔法少女”だった。ふりふりの服を着て、どこに梱包されてあったのか奇抜なデザインの杖を持ち、なによりも見た目が幼い。高めに見ても十四歳程度だろうか。
夢でも見ているのだろうか。それとも、今日と言う日が狂ったままなのだろうか。よもやダンボールから魔法少女が出てくるとは。目の前の存在を図りかねている時、魔法少女は少し不安そうな表情を浮かべながら、口を開いた。
「自分ここは始めてなんっすけど、もしかして間違えちゃったっすか?」
奇妙な沈黙が流れる。いっそ、俺の頭がおかしくなって幻覚でも見ているのだと言われれば、素直に納得できるだろう。それほどまでに、目の前の存在はこの現実において異質だった。そんなことを考えながら、俺はダンボールを開いた時のままの格好でいることに気付き、相手を見ないようにしながら向かい合わないように座る。
……わからない。目の前の少女が言っていることは、そもそもの論理が破綻している。初対面である俺に対して何の状況説明も無しに間違いの指摘を求めるだなんて。ちらりと少女を見れば、先程と同じように不安そうな表情を浮かべたままこちらを見ている。視線が重なり、慌てて畳を見る。
「あのお、どっか具合でも悪いんすか? 何なら自分、魔術少女なんで、簡単な治癒くらいは出来るんすけど」
「魔術?」
本当に魔法少女なのか、と。非常に聞き捨てなら無い言葉が飛び出し、少女の方を向いてツッコミを入れかかるも、俺は押し黙り顔を伏せる。大きな声では言えないが、俺は人と話すことが怖い。もちろん面と向かって会うなどと、考えただけで頭から布団を被りたくなる。そんな俺の衝動もどこ吹く風、少女は俺が初めて声を発したことが嬉しかったのか、少し声のトーンを上げて魔術について語り始めた。
「こほん、そいでは説明が遅れましたが、魔術について話すっす。魔術と言うのは人が想像に容易く確立しやすい事象を人為的に起こすことなんっすよ。例えば今で言う治癒なんかは、もともと人体が持つものでもあり、比較的簡単に確立することが出来るっす。簡単に言えば、治る過程と結果を頭の中で正確にシミュレート出来れば、魔術という事象は起こる、ということっすね」
「は、ごほっ、あ」
「それから――」
久々に声を出そうとするも、出たのは咳だけだった。色々なもので詰まった喉を咳で通しながら、俺は必死に意味がわからないといった風な腹芸を魔法少女に向ける。
目の前で繰り広げられている魔術理論だが、正直な話、まったくわけがわからない。少女は必死にボディランゲージを交えて説明してくれているのだが、そんなものを交えようがなんだろうが、そもそもここにいる理由すらわからない俺に理解しろと言うほうが無理だった。なんせ今、少女はこの部屋において不審人物なのだ。ダンボールに紛れて俺の部屋に侵入するなどという方法、姿の異様性、いつまでも非現実的なことを話し続けここに来た理由を語らない、など。少女が不審であるという理由を羅列するだけで、一つのSSが書けそうなくらいの充実振りだ。
俺がそろそろ、最終手段である警察への通報を考え始めていた頃、少女の話が途切れた。気になり視線を向ければ、何度目だろうか、不安そうな表情。“どうしたんだ”と聞こうとしたが、目先の不安感に負け、今日何度目かの畳の目を数え始める。そんな俺の惨めな姿を見てか、少女が“あー”と煮え切らない様子で声を出す。
「その、すんませんっす。もう一つ、説明しなきゃいけないことがあったっすね」
こほん、と、少女が可愛らしく咳払いする。
「この度、赤穂町から派遣されてまいりました、三等魔術曹である与野原よのという者っす。気軽によのっちって呼んでくださいっす」
「はあ」
なんて的を射ない。それは説明ではなく、単なる自己紹介だろう、と。呆れ果ててしまう。しかも意味がわからない自己紹介だ。
いくら人嫌いの俺でも、これではさすがに口を開きたくなるというもの。意を決した俺は、目線を畳から自らを「よの」と言う少女に向けて、今の今まで不満に思っていたこと全てをぶちまけた。
「あのですね、単刀直入に言わせてもらいますと、何もわかりません。丁寧に自己紹介するのは構わないのですが、そもそも、何故君はこんな所にやってきたんですか。義務教育すら終わっていないと思えるくらいに幼い君が平日の昼間からそんな格好をしてこんな得体の知れない家の何を血迷ったのか俺の部屋へダンボールに紛れて侵入してくるだなんて、非常識を通り越してもはや犯罪の臭いすら感じさせますよ。大体なんですかその杖は。魔術? 現実を見ましょうよ。子供向けアニメにでも影響されたのかは知りませんが、こんな茶番は止めて、早く自分の家に帰ってください。どうしても帰らないと言うのであれば警察を呼びますよ、三秒で」
「……うぇえ」
泣かせてしまった。さすがに三秒は言い過ぎだっただろうか。とにかく、先程までの険悪な空気が崩れ去り、そこからとてつもなく気まずい空気が顔を出した。
畳を濡らされては敵わないので、仕方なくティッシュ箱を少女に手渡す。少女はそのまま箱ごと受け取ると、エコのエの字も知らないと言った風にティッシュを五、六枚一気に引き抜き、それを乱暴に顔面に押し付ける。結果としてずるずると液体チックな音が部屋に反響しているのだが、それすら些細なことだと思えるほどに、俺は少女に対して未だに持つ警戒心を解くことが出来なかった。
少女はとても長い時間鼻をすすっている気がする。そんな状態の少女に対してどのように対応したらいいかなど俺は知りもしないので放っておいたのだが、そろそろ畳を見続けているのも限界なので、無言で立ち上がり電話の子機を手にする。
「それでは、今から警察を呼びます。魔術云々の話は俺ではなく警察の人に話してくださいね」
「ずずっ……ちょ、ちょっと待ってくだしあ、あぐ」
……むりやり語尾に“~っす”と付けようとでもしたのだろう、舌が回らないどころか噛んでしまった少女を見て、俺は目を伏せる。だめだ、はやくなんとかしなければ。
決断した俺は電話の子機を取りに行こうと立ち上がる。そこで、少女が叫んだ。
「じっ、実はですね、ここに来たのは貴方の祖父による依頼なんっすよっ」
「祖父の? ……ああ、これが語るに落ちた、ってやつですかね。生憎ですけど、祖父の訃報がついさっき届いたばかりなんですよ。そんな祖父から、貴女のような不振人物がどうやってその、依頼とやらを受けられると言うんですか。私も暇ではないので、そういった“設定”は何度も言いますが、警察の方に話してくださいね」
「嘘じゃないっすよ! 疑うのなら、今ここで魔術を使って見せるっす!」
「どうぞ。その間にちょっと電話をさせていただきますがね」
電話の子機を手に取り、“11”まで入力した時、不意に今日二度目の恐怖が耳に飛び込んできた。――ノックだ。母親の無遠慮なノックとは違い、今度は控え目な音。この音は……ああ、まいった。今日は休日だ。ならば、必然的にアイツが家にいるということになる。なんて面倒な。
俺は手に取った子機を畳の上に置くと、扉の前に行き、部屋の中が見えないように少しだけ扉を開けた。
「……はい?」
隙間から見えたのは、ほんのりと赤みを滲ませる頬。半分しか見えていないにもかかわらず、その容姿の良さを感じさせているのは、間違いなく俺の妹だった。久々に顔を見せた俺に驚いたのか、扉の向こう側で長い黒髪が小刻みに揺れている。
「あの、久し、ぶり」
「うん」
最後に妹と話したのはいつだったか。昔のことを思い出すように首を傾げなければ正確な日時が出てこない辺り、相当長いこと話していなかったんだろう。遠慮がちな妹の第一声を聞き、俺は淡白な一言を返した。
用があるのなら早く言えばいいものを。お互い一言で会話が完結してしまった今、この場に立ち続けるのは気まずさ以外に感じようが無い。と、そろそろ無言で扉を閉めようかと思った時、妹に動きがあった。
「その、あのさ、部屋に……誰か来てるの? お兄ちゃん、さっきから誰かと話してるみたいだったけど」
「ひぇ、へ、部屋に? いや、そんな、そんなことは、ない」
唐突に今現在の悩みを突かれ――もちろん妹と会話しているということもある――、俺は極端にどもりながら返事をする。そんな俺の様子を怪しんでか、妹が俺の後ろへ視線を向けていることがわかり、その視線を遮るように俺は体を乗り出す。「き、来てるわけ、ないだろ……っ!」と、一言。
だが、それがいけなかったのだろう。妹は今までにない強引さを発揮して俺の意識の外にあった部屋の扉を力任せに開き、何が起こったのか把握出来ていない俺の横を通り、部屋に入ってきたのだ。その時、俺は部屋でへらへらしながら立っているだろう不法侵入者を隠すことよりも、如何にしてこの状況を納得させるか、という理屈を頭の中で練っていた。だから、俺は背後から聞こえてきた言葉に首を傾げるしかなかった。
「……誰もいない。ねえ、お兄ちゃん、本当に誰も来てなかったんだよね? 強盗とかじゃないんだよね?」
心なしか口調を和らげた妹の言葉を理解する前に、俺は振り向いた。そして、傾げた首が一周するかと思うほどの光景が、目に映る。
誰もいないと言う妹のすぐ隣では、今さっきダンボールに収まっていた魔法少女が笑いを堪えながら立っていたのだ。……妹には見えていない。いや、俺にしか見えていない。そう頭の中で理解するまでに、時間はかからなかった。
「あ、ああ」
何かが。俺の中にある何かが崩れていくような錯覚。極めて現実、それも目も背けたくなるくらいに現実的な人生を送ってきた俺の目には、さも当然と言わんばかりに非現実を体現する魔法少女が映っていた。