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Perversion!

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 思い出しただけで、腹が立つ。
 午前中の筆記試験は、いつも通りに完璧だった。だけどその後の口頭試問で、
「フィノ・トラバント。午前試験の出来はどうだったかね? 他生徒の意見によると、総じて難度が高かったという意見が、大半を占めているが」
「そうですか。個人的には、いつもと変わらないように思えましたが」
「よい返事だ。君は今年で十五歳か。あと二年で学園を卒業だな……ふむ」
「…………」
「一つ質問をさせてもらおう。君は卒業後、軍に、それも魔導騎士団に在籍したいとのことだが、その希望は入学当初から、変わらんのかね?」
「はい、昔からの夢ですから」
「現在の隊長は、君のお父上だね?」
「はい、その通りです。父様のおられる場所こそが、私の目指すところです」
「なるほど。しかし失礼を承知で言わせてもらうが、君は研究者の方が向いている。そちらの道を考えてみたことは?」
「ありません」
「残念だ。我々は、君を非常に高く評価しているのだよ。知識と頭脳、そして勤勉さは、百年余りの歴史のなかでも、類を見ないほど優秀だ。しかし技術的なセンスは、今ひとつ、のようだね」
「それは……」
「断言しよう。我が校の卒業生で構成されている魔導騎士団は、王城でも有数の精鋭部隊だ。君の魔力程度では、足手まといにしかならん。我々としても、才能の適さぬところに、優秀な生徒を送るつもりはない」
「……努力は、しています。希望を変えるつもりはありません」
「魔力とは、生まれた時に、先天性に授かるものだ。その絶対量は、生涯変わらん。夢を追いかけるのも結構だが、このアカデミーが王城からの支援で成り立っている現状、君の希望は大変難しいということを、理解しておくように」
「…………はい」
「話は以上だ。引き続き、午後の実技試験を頑張ってきたまえ」
「はい、ありがとうございました」

 思い出しただけで、腹が立つ。
 私がアカデミーに通っている理由を全否定された気分だった。だけど、理由が分かっているからこそ、自分自身に腹が立つ。
「……魔力が人並みになくても、私の進むべき道は一つしかないのよ。見てなさい、今日こそ午後の試験は挽回してやるんだからっ!」
 自分の両手に収まる魔力の杖を睨みつける。杖は、持ち手が備えている魔力に呼応して、その光の強さを高めてくれる。魔力は感情が昂っている時ほど、強く反応する。――それなのに、手の中にある光は、力を否定するように、とても儚く、心細い。
 魔都ウルスラ。
 この世界に漂う魔力の発展と解析に、最も力をあげてきた都。
 街を一望出来る丘にそびえる王城の南、都の中央に位置する所に、私が在籍する魔導アカデミーは存在する。
 百余年もの昔に創立され、偉大な魔導士を数多く輩出してきたこの学園は、王城と共に、国を支える中核だと言われている。そのため、学園都市という、風変わりな愛称で呼ぶものも多い。
 アカデミーの研究資金の大半は、王城からの投資によるものだった。そして、アカデミーを卒業した賢者と呼ばれる学生達は、十七歳を迎えると、王都のために働くことになる。しかしその待遇は厚く、学園の卒業者を身内に持つものは、この国では誉れとされている。
 私も、将来は王都で働きたい。
 志望先は、前線の死地にさえ赴くこともある、王城のエリート。
 魔導騎士団。

「――――このっ!」
 今は、午後の実技試験。憎たらしい面接者の顔を思い出しながら、試験に挑んでいた。
 提出された課題は、使い魔の召喚と契約。
 ぼぅ……と淡く緑色に輝く、不思議な光を投射する石床。魔力を込めたチョークで、魔法陣を描く。
 自分の身体に流れている魔力を思い浮かべる。魔力の受け皿を傾かせ、心臓が血を送りだすように、全身を巡り、両腕に集まってくる様子を想像する。
 魔法の杖を持った両掌に、力が集う。杖が淡く光ったところで、書物から紐解いた魔術の言葉を思いだす。杖の先端を、床に叩きつける。
「今度こそ……っ!」
 魔方陣に記された文字が、一文字ずつ、光っていく。腕の先から、力が吸い取られ、足元がふらつき、頭がくらくらする。
「……っ!」
 我慢だ。我慢して、もっと。力を送らないと。これじゃ、全然足りない。
 息切れて、喉がカラカラに乾く。耳鳴りがして、頭が痛い。

『あきらめなさい、無理よ』

 弱音が浮かんだ瞬間、光っていた文字が消えていく。また、失敗。
 同時に、隣にいた生徒の魔方陣から、閃光が溢れだしていた。
「うみみやぁー!」
 現れたのは、白い翼をぱたぱた翻す、小さな黒猫。周りから、拍手が巻き起こる。
 悔しい。魔力が乏しくて、上手く魔法を紡げていないのは、私だけ。
 頭の中では理想的なイメージが広がっている。
 賢くて、かわいい使い魔。腕の中にちょうど収まるぐらいの、暖かい毛並みの子。私の言う事をなんでも聞いてくれて、いつも一緒にいてくれる。
 魔力を共有できる能力を持っていて、夢に続く道を、その子が手助けしてくれる。一人だとできないことも、二人ならできる。
「――――いでよっ! えいっ! 出てきなさいよっ!」
 なんども、なんども、意地になって叩き続けていた。
 硬質な杖の先端と石床に、細かい傷が増えていく。だけど変化はおとずれない。
 肩で大きく息をしていると、密やかな笑い声が聞こえてきた。
「ねぇ、フィノ。まだ出来ないのぉ~?」
「うるさい! 気が散るから黙ってて!」
「こんな単純な魔法なんてさぁ、それっぽく魔方陣書いて、適当に念じてたら誰でも出来るわよ? フツーなら、ねぇ」
「そぉそぉ。フツーに出来るよぉ」
 普通じゃないから出来ない。そんな言い方をされて黙っていられるほど、おとなしくない。
「アンタ達の魔導理論は、スマートじゃないのよ。魔力の無駄も大きいし、効率も悪いし、最低よ」
「ふーん。だけど上手くいってない奴が吠えたところで……ねぇ?」
「そうそう、筆記試験だけ満点とっても、意味なんてないのに」
「黙ってろって言ったでしょ。貴女たち、言葉も分からないのね。着ている物を全部脱ぎ棄てて、山の奥地にでも帰ったら?」
「なんですって! 口先だけの、落ちこぼれ魔女のくせにっ!」
 顔を真っ赤にしたクラスメイトを無視して、杖を床に叩きつける。いつもこんな調子だった。いつも一人だった。
「そこで指くわえて見てなさいっ! アンタ達よりも、凄いの出してやるんだからっ!!」
 噛み付くように答えて、もう一度床を叩いた。
 結果は変わらなかった。音だけが空しく響いて、消えていく。
「すごい使い魔ねぇ、いつになったら、見せてくれるのかしらぁ?」
「無理無理。頭がいいだけで、才能なんて欠片もないのに。優秀な私達と同じクラスってだけでも苛立つのにぃ」
 背中に嘲笑するような視線を感じたけれど、今度はなにも言い返せない。
 唇を噛みしめて、もう一度杖を振りあげた。

 魔法の勉強なら誰よりも得意だった。
 筆記テストの点数は常に満点で、学年トップの座は誰にも譲ったことがない。けれど、それに見合う成果がだせなければ意味がない。
「なんでよっ……魔力を循環させる理論はあってるはずだし! なんで出てこないのよっ……!」
 いつだって、書物から得た知識を参考に、最適の魔導理論を組み立てた。必要最低限の魔力消費を考えなければ、魔法を使うことが出来なかったから。それなのにクラスメイト達は、なんとなくで魔法を唱えてしまう。そのことに、ひどい苛立ちを感じていた。
「……私は誰よりも賢くて、誰よりも知識が豊富にあるのにっ!」
 それに見合う力がない。生まれた時から、体内に魔力を保持する器。その絶対量は個人によって大きく異なり、生涯、大きな変化はないと言われてる。
 知識を積み重ねたところで、どうにもならない壁がある。それが悔しかった。
「フィノ、残念ですけれど、今日はここまでにしましょう」
 授業を受け持っていた先生が、困った顔をして側にやってくる。
「貴方が日頃から、努力しているのは良く分かっています。ですから焦らず、ゆっくりやっていきましょう」
「……まだ授業は終わってないわよっ、先生っ!」
 いつもなら、仕方がないわねと言って、頷いていたかもしれない。だけどこの日だけは、かたくなにその言葉を拒んだ。
 私にはどうしても、魔力を共有してくれる使い魔が必要なのだ。夢を叶えるために。
「……でて来なさいよ! もうすぐ、授業終了の鐘が鳴っちゃうじゃないの……っ!」 
 召喚獣の実技試験のために、頭が痛くなるまで、難しい本を読み返した。難しい魔術理論も、この日のために覚えてきた。チョークが短くなって書けなくなるまで、床に魔法陣を書いては消して、繰り返してきた。
 どこかにいるはずの、私の使い魔のために。私だけの使い魔のために。
 言葉を紡ぐ。魔法の杖で、必死に、石床を叩きつける。心がえぐられるような想いを込めて、繰り返し、繰り返し、叩きつづけた。だけど応えは帰ってこない。
 祈るようにもう一度、大きく杖を振りあげた時だった。アカデミーの時計台にある大鐘楼が、いつもと変わらない澄んだ音を響かせた。
「……なんで……」
 その時、堪えていた涙がこぼれ落ちたことを、忘れられないと思った。
3, 2

  

夢は魔導騎士団の一兵になること。
 それが全てだった。
 夢を叶えるためには、アカデミーを卒業するのが最も確実な方法だ。しかし成績が芳しくない落第者は、卒業すら許されない。
 筆記試験は常に全教科満点だった。けど、必要なのは知識ではなく技。特に魔法を用いて戦場に立つのであれば、尚更だ。
 百点満点のテストが十科目、合計千点満点になるテストに対して、実技試験は毎回一科目しか実地されない。そのうえ点数の上限がない。時には一万点だのという、トンデモな点数が叩きだされることもあった。
 今回の結果もまた、いつもと変わらない。
「それでも、絶対にあきらめないんだからっ……!」
 唇を噛みしめて、魔力の杖を握りしめる。きめた。
 誰も見たことのない使い魔を、ドラゴンだって怯むぐらいの奴を、絶対呼びだしてやるんだからっ!

 放課後、こっそり召喚の間に訪れた。誰かに見咎められたらどうしよう。今ならまだ言いわけが出来るよ。弱気になる気持ちを飲みこんで、魔法物質を含んだチョークを取りだす。
 本当なら、アカデミーの生徒は一人で、召喚の儀式を行うことは禁じられている。術者の予期せぬ『なにか』が召喚された際、その抑止力となる熟練の使い手が必要となってくるからだ。それが分かっていて、一人でここに来た。
「新しいこの理論なら、きっと、上手くいくはず……!」
 書物で見た魔法陣を思い出しながら、一つの魔方陣を描いていく。そこには、禁じ手とされる刻印が含まれていた。
 人気のない旧館の図書室で、偶然に見つけてしまった、禁術と呼ばれる魔法。半人前の魔女には、唱えることの許されない魔法。
 規則を破ったことが知れたら、アカデミーを強制退学させられるだろう。けど、やめる気はない。
「……出来た」
 一呼吸。魔力の杖を持ち、内なる魔力を高めていく。言葉を紡いでいく。
 難しい言葉じゃなくていい。私自身の言葉で、想いで、言葉を紡いでいく。

『狭間の扉、その先にいる存在よ……。
 世界を隔てた壁の先にいる、魔力を持つあなた。私の声を、聞いて! 
 大切にするから。一緒にいてあげるから。私のところに、来て!』 

 魔法の杖を握り締める。大きく息を吸いこんで、気合いを入れて振り下ろす。

『フィノ・トラバントの名と魔力を辿り、我が前に、現れよっ!』

 すべての力を打ちこめて、杖を掲げた。鋭い音が一瞬、部屋の中を反響した。
 でも、きっと、今度もダメなんでしょ。
 心のどこかで、そう思ってた。あきらめた気持ちが残ってた。
「……あっ!」
 不安は、足元から生まれた青い閃光が、一瞬で消し飛ばしてくれた。
 魔法陣が、力強く輝いている。感じたことのない、強い魔力の鼓動。
 とまらない。力が、奔流となって、溢れだしてくる。
 閃光のように鋭い光。空中で結び合い、形を成した。
 精緻な文様を刻んだ、荘厳な一つの扉が現れる。
 音もなく、開かれていく。二つの世界を繋ぐ、狭間の空間。
「やった! できた……っ!!」
 扉の先にある世界は、奈落の底のように暗かった。だけど怖くなんてない。遠慮なく両腕を伸ばして、叫ぶ。
「私はここだよっ! ここにいるよっ!」
 手が触れ合っている感触はない。温もりも、冷たさも、なにも感じられない。
 だけどその時、なにかを掴んだという感覚があった。それだけを信じた。
「……絶対、逃さないんだからぁっ!」
 大物だという予感。けっして、犬猫などの平凡な使い魔ではない。修練を重ねてきた私にこそ相応しい、私だけの使い魔。
「ていやああああああああああああぁぁっっ!!」 
 掴んだその手を、勢いよく引きあげた。

「―――いやぁん! そんな強くパンツ引っ張っちゃ、らめえぇっ!!」
 
 扉の中から、しなやかな肢体が飛び出した。
 釣れた大物は、勢いよく半円を描いて落下する。
 手の中に、なにかが残ってる。思わず、それをまじまじと見つめてしまった。
「パ、パンツ……?」
 セクシーな黒下着。俗に言う、紐パンとか呼ばれる種類の。
「いたーい、おでこ、ぶつけちゃったじゃないですかぁ!」
 間伸びした声を聞いて、慌てて振り返る。眼尻に涙を浮かべた綺麗な女性が、額を抑えてうずくまっていた。
 その使い魔は、人間にしか見えなかった。しかし夜の闇から斬り取ってきたような黒髪と、黒い翼と尻尾、それから人の心をざわつかせるような紅い目、おまけに無駄に大きい二つの乳房が、彼女が人ではないことを物語っていた。身に付けているのは、胸を覆っているそこだけ。
「あのー、パンツ、返してもらえませんかぁ~」
「――――ご、ごめんっ!?」
 あらわになったその場所から急いで目を逸らし、黒い下着を突き返す。呼び出された使い魔は、たいして気にもせず立ち上がり、下着を受け取った。
「えへへ、ありがとう~」
「ど、どういたしまして……」
 その際も見ないように気遣う私に対して、使い魔は呑気だ。
「はぁーん、やっぱりパンツはいてると、落ち着きますよねぇ~」
「……普通は、その格好だと落ち着かないと思うけど……」
「あれ、この世界は、パンツはいてない方が普通なんですか?」
「バカっ! 上になにか着ろって言ってるのよっ!」
「別にパンツ丸見えは、恥ずかしいことじゃないですよ。むしろ見せつけてこそ、パンツですっ!」
「パンツの話はもういいっ! それより貴女、私の使い魔としてやってきた……わけじゃないわよね?」
「えへっ。ご主人様ってお呼びしてもいいですかぁ~?」
「…………嘘でしょ」
 最悪だ。呼びたかったのは、こんなのじゃない。
「第一、貴女なんなのよ。単なる変態にしか見えないんだけど」
「ひどーい。変態じゃなくて、サキュバスですよぅ」
「さ……サキュバスって……淫魔!?」
「はいですぅ。詳しく自己紹介した方がいいですか? えーと、好きな食べ物は精液、好きな体位はつばめ返し、好きな言葉は太くて長持ち。好きな……」
「だ、黙りなさいっ! 今すぐその口を閉じなさいっ!」
「ふぇ? どーしてぇ? あ、もしかして契約のキスですか?」
「耳が腐るから黙れっ! この変態っ!!」

 淫魔、サキュバス。
 その悪魔の名を、文献で読んだことはある。人の欲望を煽り精を食らって、己の血肉にするという醜悪な小悪魔。男を魅了することに長けた尻軽な魔女を、揶揄する時にも使われる名前だった。
「ご主人様、赤くなっちゃって、かわいい。もしかして未開発?」
「み、みかいはつ?」
「初々しい反応……。いいですねぇ、いいですねぇ……っ!」
 背筋が寒くなる。そっと、一歩近づいてくる足取りに、急いで後ずさる。
「こ、こないで! それ以上近づいたら、容赦しないわよっ!」
「うーん、罵られるのも嫌いじゃないですけどぉ、組紐が欲しいところですねぇ。縛らないと、しまりませんから。なーんちゃって」
「帰れっ! 今すぐにっ! 常識という名のお土産を持って、即刻退去しなさいっ!」
「いやん、呼ばれたから来たのにぃ。契約するまで、帰らないもん」
「私が貴女と契約するなんて、ありえないわよっ!」
 契約。それは、使い魔を束縛する鎖だ。生涯を主人のために存在すると誓わせる鎖。
 絶対に、切れない鎖。
 言いかえれば、使い魔を呼び出しただけでは、契約は不完全なのだ。ある記号を与えない限りは。
「ご主人様、さっきゅんにお名前、くださいな」
「アンタに与える名前はないわっ! 今すぐ魔界へ帰りなさいっ!」
「意地悪だなぁ。そういうのもいいですけど……面倒くさいのは、好きじゃないんですぅ」
「――――なっ!?」
 全身で抱きつくように飛びかかられる。どうにか押し倒されるのは免れたけど、魔法の杖が手からこぼれ落ちて、床の上を転がっていく。慌てて拾い上げようとするも、サキュバスの手が邪魔をする。
「ダメですよ、ご主人様。これからが、お楽しみですからね?」
「やめ……っ!」
 大きくて柔らかい膨らみが迫る。ぱふぱふと顔を埋めさせられて、苦しい。
「ん~、やわらかーい」
「……ちょっとっ! 離しなさいよっ!」
 回された腕の力が強くて逃げだせない。余裕の笑みを浮かべるサキュバスの紅い瞳。焦る私の顔が映ってる。
「あれ、ご主人様、もしかして女の子ですかぁ?」
「な……なによ今更っ! 見れば分かるでしょうっ!!」
「でもぉ、こうしても分かんないぐらい、あそこがぺったんこですしぃ。すっごく綺麗な顔した、男の子かと思ってました」
「黙れ! 胸はこれから大きくなるのよっ! 成長期は、これからなんだからっ!」
「じゃあこれから、ボインになるんですか、ボインボインですか?」
「ボインボインよっ……って、なにを言わせるのよっ!?」
 サキュバスは、にやにやしながら、さらに体重を乗せてくる。
「ど、どいてよっ! 重いっ!」
「失礼ですぅ。さっきゅん、身体も性格も、おつむも軽いもん♪」
「そのままどこかへ飛び去ってしまえっ!」
「やーだ」
 冷たい指先が、頬へと伸びてくる。
「安心してくださいご主人様。貧乳は、永続固有の貴重なスキルです。さっきゅんはおっぱい大きいから、貧乳な女の子が羨ましいですよぅ。いいなぁ、いいなぁ、小さいって、素敵だなぁ」
「こ、殺すわよっ!?」
「それが愛ならば、受け止めるまでですよ。えーとぉ、それでは、清く正しい交際のために、誓いのキスから始めましょう。汝、隣人とベッドを共にすると誓いますか?」
「色々すっ飛ばし過ぎでしょうがっ!?」
「はい、誓います……(ぽっ)」
「一人で勝手に誓うなっ! わざとらしく頬を染めるなっ!」 
「じゃ、ちゅーしましょうか」
「やめてっ!? 迫ってこないでえぇっ!?」
 長い睫毛が瞼を覆い、朱の唇が近づいた。辛うじて首を傾けて避けると、湿った唇が頬に触れる。バニラのような甘い香り。耳鳴り。意識が遠くなってしまいそう。
「甘くて、とぉっても気持ちいいでしょう? さっきゅん百選練磨ですから、任せてくださいな。ご主人様」
「ご主人様って呼ばないでっ! いい加減に離しなさいよっ!」
「いやですよ。せっかく呼ばれたんだから…………ねぇ?」
 もう一度、甘いキスが落とされた。雨粒のように微かな、だけど炎のように熱い口付け。体を巡る血が火照り、頭がくらくらした。
「委ねてください……かわいい、かわいい、ご主人様」
 サキュバスの紅い眼が、つぅ、と細くなる。それなのに、口元は楽しそうに、嬉しそうに、愛らしく微笑むのだった。
「……あまり、手間をかけさせないでくださいね」
 両腕に込められた力が強くなる。再び赤い唇が近づいてくる。
「……かわいい、かわいい、女王様……哀れな下僕に、おこぼれをくださいな……」
 紅い瞳が閉ざされる。熱い吐息の欠片が、すぐ間近にまで感じられた。
 体内に眠る魔力の器、そこを巡る水脈に、ひどく焦燥を煽る香りが混じる。
 朱色の唇が、水に口付けて、喉を潤していく。
「この……!」
 サキュバスには、きっと一つだけ誤算があった。もし、私が優秀な魔女であったなら、体内に眠る魔力の泉をそっくり奪われていただろう。でも、私は違う。
「いい加減にしろっ!」
 歯を食いしばり、サキュバスの首筋へ噛みついてやる。容赦などしてやらなかった。
「痛っ……!?」
 驚いて目を見開くサキュバスの頬を、自由になった両手で、思いっきり引っ叩いてやった。空気が震えるぐらいに、いい音がする。転がっていた杖を拾い上げて、急いで距離を取る。
 落ちこぼれの魔女にだって、意地がある。こんな変態を使い魔にするなんて、絶対嫌。

「炎の精霊、サラマンダー! フィノ・トラバントの名と魔力を辿り、私に力を貸し与えよっ!」
 空中に、掌サイズの火球が三つ。最も基礎的な『四大元素』の中で、攻撃的な火の魔法。
 魔力の消費が極めて少なく、私にも扱うことのできる、数少ない魔法だ。威力はたいしたことないけれど、それでも三つ当たれば、火傷ぐらいは残してやれる。
「少しでも動いてみなさい! 容赦なく燃やすからねっ!!」 
 変態サキュバスの、一挙手一投足も、見逃す気はなかった。瞬きも最小限に睨みつけていた。
「……ふえぇん……!」
 そうしたら、よりにもよって、泣きだした。片手で眼尻を拭って、もう一つの手で、頬に手を添えている。
「ほっぺ……痛いですぅ……」
「うるさいっ!」
 サキュバスの目元に浮かぶ涙。白くて滑らかな頬は、夕焼け空に照らされたように、紅色に染まっていく。
「……ご、ごめん。そんなに痛かった?」
「はいぃ。痛過ぎて、ピリピリしてて……濡れちゃいそうですうぅぅっっ!」 
「……は?」
「もうらめぇ、らめなのぉ! もっと、もっと殴ってぇ! ご主人様ーっ!!」
「いやーーーっ!? 這い寄ってくるなあああああ!!」
 悪夢だ。根っからの変態、手の施しようのない変態、それが胸を躍らせて迫ってくる。
 躊躇わず、三つの火球を投げつけ、炸裂させた。そのはずだった。

「えい」

 人差し指を一つ立てただけ。詠唱も魔道具もなしに、火球を指差した。それだけで消えた。私が魔力を込めた火球の三つすべてが、綺麗に消し飛んだ。
「…………な」
 なにそれ。いくらなんでも、卑怯――――とか思っている間に、変態が目の前に。
「えへへ、捕まえましたよぅ……あぁん、やっぱりいい匂い」
「離せっ! それ以上なにかしたら、殺すわよっ、燃やすわよっ、埋めるわよっ!!」
「えっ、フルコースですかっ!? そんなことされたら気持ち良くって、イきまくっちゃいますっ!!」
「やめてっ! そんなキラキラした眼で、こっちをみないでっ!」
「さっきゅんは、変態なのがデフォですもんっ! 変態こそ普通、普通は自然、自然な変態なのですぅ!」
「本当にやめてっ! お願いだからそれ以上喋らないでっ!?」
 おかしい。同じ言語を用いているのに、なぜか会話が成り立たない。
 もう嫌だ。助けて、父様。私が好きなのは、貴方だけなんです。
「……ねぇねぇ、ご主人様ぁ」
「ご主人様って呼ぶなっ! 早く帰れ変態っ!!」
「いやですぅ。それより、さっきゅんの眼を見ても、なんともありません?」
「眼? なによ。アンタの紅い眼を見たらなんだっていうのよ」
「……おっぱいで、ぎゅーってやっても平気ですか?」
「は?」
「こんな感じ。ぎゅー」
「ちょっとおおおおおおおおぉぉぉっ!?」
「くらくらしたり、しませんか?」
「酸欠的な意味で、苦しいわよっ!!」
「えっちなこと、したくなるでしょう?」
「なるわけないでしょっ! 死んじゃえ! 馬鹿っ!!」
「本当ですか? 実は今すぐ押し倒して、さっきゅんの巨乳を弄びたくなりません?」
「なるかぁっ!」
「そうですか。実はさっきゅんの胸を揉めば、ご主人様の胸も大きくなるのですけど、残念です」
「………………!」
 不覚にも、本当に不覚にも、少しだけ、胸がときめいた。
「……だ、騙されないわよっ!?」
「はい、嘘です。大きくなるのは、さっきゅんの胸だけです」
「舌噛んで死ね。今すぐ死ね」
 身体から出てくる嫌悪感は耐え難く、そろそろ限界を訴えていた。せめてもの抵抗として、彼女の頬を引っ張った。
「いい? 私が欲しかったのは、かわいくて、言うことを忠実に聞く使い魔なの。アンタみたいなのは、お呼びでないの」
「ひや~ん。ひゃっひゅん、おひょうひも、おひょうひも、ふぇひまふよ?」
「掃除と料理が出来たって、変態というだけで論外よ。早く扉の先に帰りなさい」
 言って、扉の中に押し返そうとした。だけどサキュバスが、不意に、悲しそうな顔をした。
「絶対、帰らないもん……」
「帰れ」
「やです。せっかく、私の力が効かない人に会えたんだもん……」
「力? 変態力?」
「……ほら、効いてないじゃないですか。うれしいなぁ」
 サキュバスが、なにを言っているのか分からなかった。だけど、単なる喜びだけじゃない、寂しさとか、悲しさとか、二つの紅い目に混じりあっていた。
「名前を教えてください、ご主人様。お願いです、お願いします……」
 強く抱きしめられる。焦って押し退けようとしたけれど、出来なかった。背中に回された両腕が震えていた。
「……大事にしてくれるって聞こえたから、お側に来たんです。激しく求めるような夜は、もう、お腹いっぱい。あったかいお日さまの下で、ご主人様と、お昼寝したい……」
「却下よ。離しなさい」
「やだぁ」
 小さな子供が甘えるみたいにして
 必死になって抱きしめてくる。
「お願いですから、一緒に居てください。どこにも行かないで……!」
 なにを言っているのか、私には分からない。だけどその声は、嘘偽りなく、切実だった。
 想っていた。私だけの使い魔は、私のためだけに、あればいい。
 一人はやっぱり、寂しいから。
「お願いです。名前を与えてください。名前を呼んでください……」
「……バカじゃないの」
 過去は変わらない。過ちも、悔いも、運命も、変えられない。
「私は、フィノ・トラバント」
 暖かい春の青空に咲く花。丘の上、風に揺られる、小さな花。
 優しい白の花びら。大好きなあの方が、世界で最も愛したその名前。
「私の使い魔となる者に、契約の名を与える。貴女の名前は、アイリス。誓うのならば、口付けなさい。その邪な唇で」
 黒くて、長い艶やかな黒髪を、優しくなでた。
「……そういえば、貴女って、魔力の共有は出来るの?」
「まりょくの、きょうゆー? ……あぁ! はい、できますよぅ!」
「どうすればいいか分かる? 書物には、使い魔によって、方法が異なるって書いてあったんだけど」
「えっちすればいいんですぅ」
「………………は?」
「だからぁ、えっちぃこと、いちゃいちゃしてればいいんですぅ。今夜から早速、頑張りましょうねっ!」
「一人でやってろっっ!!」 
 もうやだ。この変態。
5, 4

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