ちよちゃんとかみさま/蝉丸
今日は日曜日です。
ちよちゃんはリビングでお絵かきをしています。
おとうさんはその近くにあるテーブルで新聞を読んでいました。
「にゃーん」
ミーコがちよちゃんのそばに、とことことやってきました。ミーコはおかあさんがお友だちから預かってきたねこです。
さいしょ、ちよちゃんはミーコを怖がっていましたが、いまではすっかりなかよしになっていました。
ミーコはふわふわとうかんでいるかみさまを、じっとみつめています。
「みえるの?」
ちよちゃんはミーコにきいてみました。ミーコはかみさまをみつめたままです。
かみさまは嬉しそうに歌いながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしています。
ミーコとちよちゃんは、かみさまが動くのに合わせて、同じようにあっちを向いたり、こっちを向いたりしていました。
ちよちゃんとミーコの様子に気がついたおとうさんは、そうっと立ち上がると、
おやつのホットケーキを作っているおかあさんのところにやってきました。
(おかあさん、あれ見てごらんよ、ちよとミーコ)
おかあさんは手を止めて、キッチンからリビングに目をむけます。
同じように顔を動かしているちよちゃんとミーコを見て、なぜかおかあさんは少し淋しい気持ちになりました。
(なんだろうね? ふたりにしか見えないものがいるのかな?)
(どうだろう? そういえば僕も小さいころ、何かに話しかけてた気がするんだけど、その何かだけ、ぽっかり思い出せないんだよなあ)
おとうさんがそう言うと、なぜかおかあさんは少し嬉しい気持ちになりました。
おかあさんはフライパンを火にかけ、ホットケーキの素を流し込みます。
じゅっ、という音がして、いいにおいがあたりに広がると、ちよちゃんはキッチンの方に顔を向けました。
「もうすぐおやつできるから、おかたづけしなさい」
「はーい!」
ちよちゃんは画用紙とクレヨンを持って、ぱたぱたとリビングを出て行きました。
おかしなうたを歌い続けているかみさまを、ミーコはまだ見つめていました。
☆番外編(新都社夏企画より)
かみさまの休日/後藤ニコ
旧暦の十月を人は神無月と呼んだ。
それは八百万(やおよろず)の神々が雲州は出雲国へ一斉に集い、諸国が留守になることを「神の無い月」と称されたことから始まる。
全国から集いに集った神々は約一ヶ月もの間、この出雲大社にて額を突き合わせ、
一年の計について喧々諤々(けんけんがくがく)の熱き討議を交わすのである。
その折、人々は己の晒しっぱなしの妄念を出来る限り抑え込み、祭や供え物をして神々の帰還をただ祈りながら待つという。
人智を超越する存在がわざわざ重い腰を上げて集うのだから、
さぞかしとんでもない議論が行われているのだろうと読者諸氏は肝を冷やしておられるかもしれないが、聞いて驚くなかれ。
神々は一ヶ月間にも及ぶ大論争の末、男女の縁を結ぶのである。
このエコな時代、地球の環境破壊を憂うでもない、悪化し続ける世界の経済状況に目を向けるでもない。
神々はただ、男と女をくっつけるために集うのだ。
「ふざけんなコノヤロウ」とちゃぶ台を引っ繰り返したい衝動が沸き起こってしまうのは致し方ない。我々は下衆な人間である。
だが、神々にも休日が必要なのだ。集う名目など本当はどうでもいいのである。
これは、とある少女が持つ『かみさま』が過ごした休日の一片である。
○
「やうやう、久しいのう!」
桃色をした蓮池にふあふあと浮かぶ『かみさま』に声をかけたのは巨大な蝦蟇(がま)であった。
ぬめりと大きな手をバタつかせ、漆(うるし)塗りのパイプからは紫の煙が立ち上っている。
この気持ちの悪い蝦蟇、何を隠そう東京は十番稲荷神宮から参った蛙神である。
文政四年、麻布古川より始まった大火が備中成羽五千石(今の岡山県西部)の領主、
山崎ナンタラカンタラの屋敷を焼かんとする折りしに、邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、
水を屋敷に吹きかけて猛火を退けたとか退けなかったとかいう伝説がある。
世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶たず、
この蝦蟇は「ジョウノジサマ」と称され江戸では芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称された大変偉大な蛙サマである。
「主と酒を呑むのが待ち遠しいて! 毎晩胃袋を取り出し、この日に備えて洗っておったわ! ぐわっぐわっ!」
紫の煙が渦を巻いた。蓮池に浮かぶ『かみさま』から、にゅっと白い手が出て先にある鳥居を指し示した。
「よしよし、では行こうか」
蝦蟇はべたんべたんと粘着する足音を響かせながら跳ねた。
○
神の国は広大である。それは東京ドーム何個分だとか、そんな安い話ではない。
宇宙がデカイと称されるように、出雲の神国もまたデカイで片がつくほどデカイのである。
山吹色の空(天井といったほうが正しいのかもしれない)には、青や赤やオレンジや、
もうなんだか訳のわからない色をした雲が浮かんでおり、綿菓子にも似た雲に乗る神々は早くも酒を酌み交わし半分泥酔している。
周りには黒塗りの豪奢な屋敷が並んでおり、二階の座敷からは賑やかな歌や踊りの声が聞こえてくる。
調子に乗って欄干から身を乗り出しては、落ちて地面に叩きつけられる神も幾人か見受けられたが、
神は死なないので好きなだけ落ちてはまた何食わぬ顔で屋敷に戻っていく。まさに神業である。
西方に聳(そび)える二千階建ての神庁前には黄金の看板が立てられており、
「各神様方は身分証明書をご提示の上、出席簿にサインをしてから遊びに行ってください」と書かれていた。
「さあ、はようサインして呑みにいこうや」
蝦蟇は大きく喉を膨らませ、長い舌を巻いて言った。また『かみさま』が白くて長い手を伸ばし、
蝦蟇が「なんじゃ、なんじゃ」と振り返る。
すると、しゃんしゃんと鈴の音を響かせながら雅(みやび)な箱車が宙に浮かびながらこちらに向かってくるではないか。
箱車を引くのは大勢の狐であり、その周りには青白い光がぽつぽつ浮かんでいた。
「また、どえらいのが来おったのう」
蝦蟇がゲロゲロ言った。
狐達に引かれた箱車は鈴の音を鳴らしながら優雅に神庁へと向かっていく。
蝦蟇と『かみさま』がそれを見送っていると、車の中から甲高い声が響いた。
「止めい!」
箱車はぴたりと止まり、孔雀衣のカーテンから美しい女が顔を出した。
「なんじゃ、お主ら。わらわを無視するのかえ。水臭いのう」
銀色の髪は長く、頭から生える狐耳を左右に動かしながら女は言った。
「白姫や、久しいのう」と蝦蟇が喉を鳴らすと、白姫と呼ばれた女も「久しいのう」と耳を動かした。
一見美しい女性であるが、その実、こいつは白狐が化けた仮の姿である。
京都は伏見稲荷大社で稲荷神を祀る全国約四万社の稲荷神社の総本宮奥に、堂々君臨するのがこの白姫である。
我々が元日に出向く初詣にて、凄まじい集客率を毎年記録しているのがこの伏見稲荷大社であり、
最奥に君臨する白姫に向けて参拝客はこれでもかと賽銭を投げまくる。彼女はつまり西のアイドルとして人間界では名高いのだ。
「さすが、西方一の姫君じゃの。登場も派手じゃ」
「ふん。何も好き好んでやっておるのではないわ。どれもこれも、人間が勝手に決めたイメージじゃ。
神は常に人間のイメージの中で生きておる。ほれ、実体化すれば、たちまちこの姿じゃ」
白姫は煌びやかに光る花柄の着物から大きな胸の谷間を覗かせ、憮然として言った。
「神社では、わらわが二次元の美少女にされてマスコットになっておる」
「ぐわっ、ぐわっ! よいではないか。ワシなんて蝦蟇のままじゃぞ。ワシも美少女化されたいのう! ぐわぐわ!」
蝦蟇が大いに笑った。白姫が不機嫌そうに口を尖らせる。
「どうも今の風潮が肌に合わんのじゃ。願えば叶うと人間は誰しもが思っておる。
いつ、わらわが願いを叶えてやると言った? 信仰し、己が己自身で魂を磨いてこそ価値があるというのに」
「まあ、そう言いなさんな。主、今年でいくつになった?」
「千三百歳じゃ」
「まだまだ若いではないか。じっくりと世を見据え、人を見据えよ。そして酒を呑め。今宵はそのためにある」
白姫は透き通るほど白い生足を着物から放り出し、不躾に足を組んだ。
「爺さんは説教くさくて嫌じゃ」
「ぐわ! ぐわ! ぐわ!」
またゆっくりと箱車が動き始めた。すると白姫は思い出したように小窓から顔を出し
「そや、童を守りし神よ。あの娘は元気かえ?」と言った。
『かみさま』はにゅっと白い手を掲げると、白姫が笑顔を見せた。
「今年初めに、主の娘が親族と詣でに来てな。礼を言っておいてくれ。油揚げ旨かったと!」
そして箱車はそのまま高速で空を駆け、神庁の最上階を目指して雲の中に消えていった。
○
神庁にてサインを終えた『かみさま』一行は、のんべんだらりと神国内部を散策している。
右手の桜ケ丘では青い桜が咲き乱れ、左手の寒草原では雪の花が白く輝きながら揺れている。
傍らに流れる浄土川に、蓮の花がいくつも流れて光を灯していた。
ふと、浄土川の対岸を走りぬけたのは鍋の妖怪であった。
鍋からは足が生え、ばたばたと小走りでどこかへ向かう。
その後ろから続いてタイヤ、テレビ、自転車、空き缶等、多種多彩な「物」に宿った魂が短い足を忙しなく運動させ駆けていく。
蝦蟇が漆塗りのパイプを取り出して指から火を呼び、それに点じた。ぷっかり吐いた煙は虹色だった。
「付喪が増えてきたのう」
蝦蟇が口にした付喪(つくも)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、
人間に使われ捨てられた依り代(主に道具のこと)に、神や霊魂などが宿ったものの総称である。
このように道具から手足を生やし、夜な夜な徒党を組んで丑三つ時を練り歩くとされており、
それは「百鬼夜行」というお化けのパレードとして人々の滑稽話になっている。
次々に目の前を駆けていく付喪をぼんやり見やりながら、蝦蟇は一つ、手に持つパイプで何もない空間を叩いた。
すると空間が割れ、下界の様子が映し出された。そこはゴミが山積みにされた小さな河川であった。
「見てみい。数年前までは穏やかな河川だったこの場所も、今ではゴミ置き場になっておる。
こりゃ付喪が増えるのも訳ないわい。いつから人間は、このように無責任になってしもうたのかのう」
映し出された汚い河川ではまた、制服に身を包んだ男子数名が食べ終わったハンバーガーの袋を平気な顔で投げ捨てていた。
『かみさま』はその様子をただじっと見つめている。
「時代は変わって然るべきじゃが、我々の声もいつしか届かなくなってしもた」
蝦蟇は寂しそうにゲロゲロ言った。
目の前ではまだ付喪の大行列は続いている。今日も人間に使われ、身勝手に捨てられた魂達は、
当てもなく彷徨いながら帰るべき場所を探しているのだ。
○
その時であった。
空間の映像が乱れたかと思うと、そこに小さな女の子が映り込んだ。
柔らかな栗毛がくるんと肩の上に乗って、緑のワンピースを着た女の子が、
カエルのぬいぐるみを抱きかかえながらわんわん声を上げて泣いていた。とめどなく溢れる涙と鼻水で、
女の子の可愛い顔はめちゃくちゃになっている。
『おかぁさん! おかぁさんどこいったのぅ!』
どうやら女の子は母を求めて泣いているらしかった。
蝦蟇はその様子を眺めながらパイプをくわえる。
「おうおう。昼寝をしている間に、親御が買い物に出かけてしもうたのか。
かわいそうに。はて。しかし何故この娘がワシの千里眼に?」
すると蝦蟇の傍らに浮かんでいた『かみさま』がすっと手を伸ばし、そのまま割れた空間の中に入っていった。
蝦蟇は一瞬、『かみさま』を止めようとしたが、すぐに気がついてパイプをくわえなおした。
「童を守りし神、か。難儀なことよのう」
蝦蟇はそう言った後、割れた空間に向かって「おうい、宴の刻までには帰ってこいよう」と声を投げ、
そっと空間に前足をかざした。割れていた空間はみるみる復元され、そこは何もないただの平野へと戻っていった。
「ぐわっ! ぐわっ! ぐわっ! それもまた、良きかな!」
蝦蟇は天晴れといった様子で嬉しそうに笑い、べたんべたんと大きな足音を響かせながら賑やかな声のする方へと消えていった。
旧暦の十月を人は神無月と呼んだ。
それは八百万(やおよろず)の神々が雲州は出雲国へ一斉に集い、諸国が留守になることを「神の無い月」と称されたことから始まる。
全国から集いに集った神々は約一ヶ月もの間、この出雲大社にて額を突き合わせ、
一年の計について喧々諤々(けんけんがくがく)の熱き討議を交わすのである。
その折、人々は己の晒しっぱなしの妄念を出来る限り抑え込み、祭や供え物をして神々の帰還をただ祈りながら待つという。
人智を超越する存在がわざわざ重い腰を上げて集うのだから、
さぞかしとんでもない議論が行われているのだろうと読者諸氏は肝を冷やしておられるかもしれないが、聞いて驚くなかれ。
神々は一ヶ月間にも及ぶ大論争の末、男女の縁を結ぶのである。
このエコな時代、地球の環境破壊を憂うでもない、悪化し続ける世界の経済状況に目を向けるでもない。
神々はただ、男と女をくっつけるために集うのだ。
「ふざけんなコノヤロウ」とちゃぶ台を引っ繰り返したい衝動が沸き起こってしまうのは致し方ない。我々は下衆な人間である。
だが、神々にも休日が必要なのだ。集う名目など本当はどうでもいいのである。
これは、とある少女が持つ『かみさま』が過ごした休日の一片である。
○
「やうやう、久しいのう!」
桃色をした蓮池にふあふあと浮かぶ『かみさま』に声をかけたのは巨大な蝦蟇(がま)であった。
ぬめりと大きな手をバタつかせ、漆(うるし)塗りのパイプからは紫の煙が立ち上っている。
この気持ちの悪い蝦蟇、何を隠そう東京は十番稲荷神宮から参った蛙神である。
文政四年、麻布古川より始まった大火が備中成羽五千石(今の岡山県西部)の領主、
山崎ナンタラカンタラの屋敷を焼かんとする折りしに、邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、
水を屋敷に吹きかけて猛火を退けたとか退けなかったとかいう伝説がある。
世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶たず、
この蝦蟇は「ジョウノジサマ」と称され江戸では芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称された大変偉大な蛙サマである。
「主と酒を呑むのが待ち遠しいて! 毎晩胃袋を取り出し、この日に備えて洗っておったわ! ぐわっぐわっ!」
紫の煙が渦を巻いた。蓮池に浮かぶ『かみさま』から、にゅっと白い手が出て先にある鳥居を指し示した。
「よしよし、では行こうか」
蝦蟇はべたんべたんと粘着する足音を響かせながら跳ねた。
○
神の国は広大である。それは東京ドーム何個分だとか、そんな安い話ではない。
宇宙がデカイと称されるように、出雲の神国もまたデカイで片がつくほどデカイのである。
山吹色の空(天井といったほうが正しいのかもしれない)には、青や赤やオレンジや、
もうなんだか訳のわからない色をした雲が浮かんでおり、綿菓子にも似た雲に乗る神々は早くも酒を酌み交わし半分泥酔している。
周りには黒塗りの豪奢な屋敷が並んでおり、二階の座敷からは賑やかな歌や踊りの声が聞こえてくる。
調子に乗って欄干から身を乗り出しては、落ちて地面に叩きつけられる神も幾人か見受けられたが、
神は死なないので好きなだけ落ちてはまた何食わぬ顔で屋敷に戻っていく。まさに神業である。
西方に聳(そび)える二千階建ての神庁前には黄金の看板が立てられており、
「各神様方は身分証明書をご提示の上、出席簿にサインをしてから遊びに行ってください」と書かれていた。
「さあ、はようサインして呑みにいこうや」
蝦蟇は大きく喉を膨らませ、長い舌を巻いて言った。また『かみさま』が白くて長い手を伸ばし、
蝦蟇が「なんじゃ、なんじゃ」と振り返る。
すると、しゃんしゃんと鈴の音を響かせながら雅(みやび)な箱車が宙に浮かびながらこちらに向かってくるではないか。
箱車を引くのは大勢の狐であり、その周りには青白い光がぽつぽつ浮かんでいた。
「また、どえらいのが来おったのう」
蝦蟇がゲロゲロ言った。
狐達に引かれた箱車は鈴の音を鳴らしながら優雅に神庁へと向かっていく。
蝦蟇と『かみさま』がそれを見送っていると、車の中から甲高い声が響いた。
「止めい!」
箱車はぴたりと止まり、孔雀衣のカーテンから美しい女が顔を出した。
「なんじゃ、お主ら。わらわを無視するのかえ。水臭いのう」
銀色の髪は長く、頭から生える狐耳を左右に動かしながら女は言った。
「白姫や、久しいのう」と蝦蟇が喉を鳴らすと、白姫と呼ばれた女も「久しいのう」と耳を動かした。
一見美しい女性であるが、その実、こいつは白狐が化けた仮の姿である。
京都は伏見稲荷大社で稲荷神を祀る全国約四万社の稲荷神社の総本宮奥に、堂々君臨するのがこの白姫である。
我々が元日に出向く初詣にて、凄まじい集客率を毎年記録しているのがこの伏見稲荷大社であり、
最奥に君臨する白姫に向けて参拝客はこれでもかと賽銭を投げまくる。彼女はつまり西のアイドルとして人間界では名高いのだ。
「さすが、西方一の姫君じゃの。登場も派手じゃ」
「ふん。何も好き好んでやっておるのではないわ。どれもこれも、人間が勝手に決めたイメージじゃ。
神は常に人間のイメージの中で生きておる。ほれ、実体化すれば、たちまちこの姿じゃ」
白姫は煌びやかに光る花柄の着物から大きな胸の谷間を覗かせ、憮然として言った。
「神社では、わらわが二次元の美少女にされてマスコットになっておる」
「ぐわっ、ぐわっ! よいではないか。ワシなんて蝦蟇のままじゃぞ。ワシも美少女化されたいのう! ぐわぐわ!」
蝦蟇が大いに笑った。白姫が不機嫌そうに口を尖らせる。
「どうも今の風潮が肌に合わんのじゃ。願えば叶うと人間は誰しもが思っておる。
いつ、わらわが願いを叶えてやると言った? 信仰し、己が己自身で魂を磨いてこそ価値があるというのに」
「まあ、そう言いなさんな。主、今年でいくつになった?」
「千三百歳じゃ」
「まだまだ若いではないか。じっくりと世を見据え、人を見据えよ。そして酒を呑め。今宵はそのためにある」
白姫は透き通るほど白い生足を着物から放り出し、不躾に足を組んだ。
「爺さんは説教くさくて嫌じゃ」
「ぐわ! ぐわ! ぐわ!」
またゆっくりと箱車が動き始めた。すると白姫は思い出したように小窓から顔を出し
「そや、童を守りし神よ。あの娘は元気かえ?」と言った。
『かみさま』はにゅっと白い手を掲げると、白姫が笑顔を見せた。
「今年初めに、主の娘が親族と詣でに来てな。礼を言っておいてくれ。油揚げ旨かったと!」
そして箱車はそのまま高速で空を駆け、神庁の最上階を目指して雲の中に消えていった。
○
神庁にてサインを終えた『かみさま』一行は、のんべんだらりと神国内部を散策している。
右手の桜ケ丘では青い桜が咲き乱れ、左手の寒草原では雪の花が白く輝きながら揺れている。
傍らに流れる浄土川に、蓮の花がいくつも流れて光を灯していた。
ふと、浄土川の対岸を走りぬけたのは鍋の妖怪であった。
鍋からは足が生え、ばたばたと小走りでどこかへ向かう。
その後ろから続いてタイヤ、テレビ、自転車、空き缶等、多種多彩な「物」に宿った魂が短い足を忙しなく運動させ駆けていく。
蝦蟇が漆塗りのパイプを取り出して指から火を呼び、それに点じた。ぷっかり吐いた煙は虹色だった。
「付喪が増えてきたのう」
蝦蟇が口にした付喪(つくも)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、
人間に使われ捨てられた依り代(主に道具のこと)に、神や霊魂などが宿ったものの総称である。
このように道具から手足を生やし、夜な夜な徒党を組んで丑三つ時を練り歩くとされており、
それは「百鬼夜行」というお化けのパレードとして人々の滑稽話になっている。
次々に目の前を駆けていく付喪をぼんやり見やりながら、蝦蟇は一つ、手に持つパイプで何もない空間を叩いた。
すると空間が割れ、下界の様子が映し出された。そこはゴミが山積みにされた小さな河川であった。
「見てみい。数年前までは穏やかな河川だったこの場所も、今ではゴミ置き場になっておる。
こりゃ付喪が増えるのも訳ないわい。いつから人間は、このように無責任になってしもうたのかのう」
映し出された汚い河川ではまた、制服に身を包んだ男子数名が食べ終わったハンバーガーの袋を平気な顔で投げ捨てていた。
『かみさま』はその様子をただじっと見つめている。
「時代は変わって然るべきじゃが、我々の声もいつしか届かなくなってしもた」
蝦蟇は寂しそうにゲロゲロ言った。
目の前ではまだ付喪の大行列は続いている。今日も人間に使われ、身勝手に捨てられた魂達は、
当てもなく彷徨いながら帰るべき場所を探しているのだ。
○
その時であった。
空間の映像が乱れたかと思うと、そこに小さな女の子が映り込んだ。
柔らかな栗毛がくるんと肩の上に乗って、緑のワンピースを着た女の子が、
カエルのぬいぐるみを抱きかかえながらわんわん声を上げて泣いていた。とめどなく溢れる涙と鼻水で、
女の子の可愛い顔はめちゃくちゃになっている。
『おかぁさん! おかぁさんどこいったのぅ!』
どうやら女の子は母を求めて泣いているらしかった。
蝦蟇はその様子を眺めながらパイプをくわえる。
「おうおう。昼寝をしている間に、親御が買い物に出かけてしもうたのか。
かわいそうに。はて。しかし何故この娘がワシの千里眼に?」
すると蝦蟇の傍らに浮かんでいた『かみさま』がすっと手を伸ばし、そのまま割れた空間の中に入っていった。
蝦蟇は一瞬、『かみさま』を止めようとしたが、すぐに気がついてパイプをくわえなおした。
「童を守りし神、か。難儀なことよのう」
蝦蟇はそう言った後、割れた空間に向かって「おうい、宴の刻までには帰ってこいよう」と声を投げ、
そっと空間に前足をかざした。割れていた空間はみるみる復元され、そこは何もないただの平野へと戻っていった。
「ぐわっ! ぐわっ! ぐわっ! それもまた、良きかな!」
蝦蟇は天晴れといった様子で嬉しそうに笑い、べたんべたんと大きな足音を響かせながら賑やかな声のする方へと消えていった。