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セーブストーン2〜あの瞬間から続くいま〜ACT1

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セーブストーン ~あの瞬間からつづくいま~


Filename: Dialogue in the livingroom

「どこ行ってたんだよ」
「べっつに~」
「またあいつんとこか」
「そーだけど?」
「あいつんとこはおとといだろ。昨日も今日も行く必要あんのかよ」
「…なんだよ」
「毎日毎日入り浸って、お前なにやってんだ? あいつは単なるコマのひとつだろうが。ほかのターゲットはどうしてんだ」
「ちゃーんと仕掛けてますよーだ。
 仕込みは最初が肝心なの。放置っといてもちゃんと働くようになるまではいろいろと手順があるの。君みたく殴って壊してハイおわりなやつとは質が違うんだよ。ああ、シゴトのね(笑)
 ま、あいつのビギナーズラックももうじきつきるから、そしたら君ごのみのテンカイになるんじゃない?」
「冗談やめろ。セーブロード繰り返させまくって精神的に潰すなんざぞっとする。まるっきし悪人だろ」
「オレのせーじゃないもーん。君がこの国のザルな警備くらい乗り越えられないからしかたなくやったんじゃん」
「オレが侵入した直後にロードしくさったのはどこのどいつだ」
「はいはいごめんね~。それじゃボスにその日までもどしてもらおっか? オレは女の子みたくしおらしく勇を待ってるから♪」
「某DSソフトの村人のセリフハンパにパクってんぢゃねえきしょいから!!!」
「だってトレーディング待ちの間することほかにないんだもんv」
「ヤダコイツ…キライコイツ…(涙)」
「ほら泣かない泣かない。今度通信するとき化石いっぱいあげるから」
「赤カブもほしい」
「自前でガマンしろ。」



●ありえないものへの解決法 1:淳司の場合

「結論から言わせてもらうよ。
 お前とのこと、なかったことにしたいんだ」
「え」
 そういうとやつはぽろっとストローをとりおとした。
「な、…ど、どうして?! いっいやそうできればそれでありがた、っていや、そういうイミじゃなくって……」

 知らないヒトのために、説明しよう。
 オレは藤森淳司(フジモリ アツシ)という、ごくふつうの高校二年生だ。
(まあ、いっぺん死んだりしたのだが、そのことについてはおいておく。)

 実はオレは、セーブロードができる。
 もっと正確に言うと、いま自分のおかれている状況を、ゲーム同様にセーブしたり、ロードしたりできるアイテムを持っている。
(その辺の詳しい話も、今はとりあえずおいておく。)

 オレはこれを使って、幼馴染の親友――いま目の前であわてているこいつだ――を交通事故から救った。
 しかしその過程で“とんでもないもの”につかまってしまった。
 いや、それの名は、ちょっと言いたくないから言わないけれど……
 そのせいでオレは、こいつの恋路を邪魔してしまった。
 こいつ、日野森勇(ヒノモリ イサミ)は、なのにそんなオレを絶縁したりせず。
 それどころか一緒に考えて解決しよう、そう言ってくれたのだ。

 ――だけど。

 ならばこそ、オレは言わねばならない。
 これ以上、大切なこいつを苦しめないために。



●ありえないものへの解決法 1:勇の場合

 目覚めると、時間は当然、月曜の朝だった。
 俺はこの日、みすずに告白する心積もりだった。しかしこの状況じゃ――
 とりあえずまず、淳司と話さなければ。
 そう考えてると、ケータイがなった。
 メール。淳司からだった。

『突然だけど、今日の二時間目ふけない?
 話したいことと、頼みがあります』
 めずらしい。基本的にマジメなこいつが。
 でも好都合なので、俺は二つ返事で返信した。
『了解。屋上で待ってる?』
『外でもOK。オレは野暮用で一時間目もふけるから』
 なんとますます珍しい。
『じゃいつもの神社で』
『了解。じゃまた』

 最後のメールを送信したところで、ふと思い当たった。
 これはひょっとして、今日中にまた、告白できるようにはからってくれてるのか?
 そう考えると、淳司が健気に思われ、また気の毒になった。
 なんとかこいつがシアワセになれる方法、探してやらねば。
 いやもしかして、アタマのいいヤツのことだ、なにかいい方法を思いついたのかもしれない。もちろん、俺にできることならなんでも協力しよう。例えば、ガラでもないが“こいのきゅーぴっど”なんかでも(さすがに、みすずを諦めるとかヤツとつきあうとか飲酒以上の法律違反とかはムリだが…)。
 そう決意してオレは家を出た。
 近くの喫茶店でテキトーに時間をつぶし、さてそろそろ行こうと顔を上げるとなんと、窓の外を歩いていた淳司と目が合った。

 数分後、俺は驚きでストローを取り落としていた。
 俺の向かいに座ってヤツが口にしたのは、予想だにしていなかった言葉だったのだ。



●ありえないものへの解決法 2(前):淳司の場合

「いいよ、わかってるから。
 とりあえず、きいてくれ」

 確実に、予想とは違う発言だったに違いない。
 やつは驚愕し、喜び安堵して、しかしオレのことも気遣って慌てまくって、ていうかそれらを全部同時にやって。
 見ててユカイだがそんな場合でもない。とりあえずやつをなだめ、オレは話し出した。

「今日起きてさ。オレ、考えたんだ。
 ――どっちの選択肢がマシなのかなって。
 ひとつは、死亡のショックで記憶を飛ばしてしまったことにして、お前になにもいわない。
 もうひとつは、記憶が残ってること正直に申告して、お前といっしょに悩む。」
「って、お前…記憶、飛ばなかったんだ」
「ああ。
 覚えてた。
 あのとき病院の屋上でいってくれたことも、全部」

 データロードには便利? な側面がある。
 自分と無関係なところでロードされると、ロード前のことを夢や空想と思ってしまうことがある。
 ロードまえ、もしくはロードされた時点で、寝てたり死んでたり、意識のない状態だと、ロード前の記憶を夢だと思ったり、ふつうの夢と一緒くたに忘れ去ってしまうことがある。
(ある程度、慣れでなくなっていくっぽい現象だが…)
 オレはそれを、悪用することもできたのだ。
 すなわち。

「いくらお前でもさ――記憶がないっぽい様子のオレに『お前俺のこと好きなんだろう』なんてとっても聞けないよな。
 かといってそんな状態でさっさとみすずに告ってしまえるほど、図太くないし。
 逆もおんなじだ。オレと一緒にめいっぱい悩みながら、同時進行でみすずとらぶらぶできるほど、お前器用じゃないだろ。
 どっちにしろ、オレはお前の告白を阻止できる」
「た、確かに…………」


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●ありえないものへの解決法 2(後):淳司の場合

「でもね、思ったんだ。
“そうしても、何にもならない。”
 お前の恋路のジャマしたってなんにもならないじゃん。
 この――キモチ、に、未来はないから。
 どっちにしろ、おんなじだ。
 おんなじ不毛な状態にしかならない二択に悩むのって、めちゃくちゃ不毛だ。
 だから忘れたいんだ。
 それが一番、お前とみすずのためにもなるし。
 ――そしてオレの、ためでもあるから」
「淳司……
 そ、だな。それが一番かもな」
 しばし呆然としていたが勇は、うなずいた。
 その様子は、すごく、すまなそうだ。
「ごめんな。俺が事故ったりしなければ、こんなことにはならなかった、よな……」
「いやそんな! だってそれってオレが原因だし!! 勇が悪くはゼンゼンないから!!
 ……ホントに、ごめん」
 喫茶店のテーブルは、しんみりした雰囲気に包まれてしまう。
 でも、いつまでもそうしていられない。
「あの……それで、オレいまから睡眠薬飲んで寝るから。
 そしたらお前のストーンで、ロードしてもらえるかな」



●ありえないものへの解決法 3:勇の場合

 淳司が言ったのはつまり、つらいし不毛なだけだから、自分の“キモチ”を忘れたい、セーブロードの特性を利用して…ということだった。
 詳しいことをいうとジャンルが変わるくさい(爆)ので言わないが、コイツの“キモチ”はもともと、セーブロードを繰り返すうちに発生してしまった、つまり、事故のようなものなのだ。
 だから、それをセーブロードつかって解決するのは、俺的にはOKだ。
 よって俺は淳司の頼みを聞き入れた。
 睡眠薬で淳司が眠っている間にロードして、淳司の“キモチ”を夢に変えてしまうことにしたのだ。

 ――ホントいうとそれはありがたい申し出だった。
 実のところ、俺はこのモンダイをどう解決したものか、想像もついてなかったので。
 これで、淳司はもう、苦しまずにすむ。

 けれど、俺は、このことを覚えていようと思った。
 自分の不手際で一番の親友を苦しめてしまった、そのことを無責任に忘れてしまいたくない。
 これからの戒めとして、ココロに刻んでおきたく思ったのだ。

 でもそんなことを言えば、淳司は言うだろう。それじゃオレも忘れない、と。
 そもそもオレに落ち度はあったんだ、ちゃんと解決できるまで、忘れない、と。
 だから言った――


●ありえないものへの解決法 4:淳司の場合

「だったら俺もそうする!
 だってそうだろ。俺だけがこんなの覚えてるのきっついし! 俺にもよこせよソレ」
 予想通り。勇はそういって両手を出してきた。
「オッケ。
 代金は後日現金でね。端数まけとくから」
「オイ。」
 オレはポケットからピルケースをとりだし、そこから白い錠剤をひとつつまみ出し、勇の手のひらに落とした。
「サンキュ」
 オレも一錠を手のひらに置き、一気に飲み込む。
「それじゃ、明日な」
「ん」

 オレは目を閉じた。
 そして、まぶた越しに黄色い光がオレたちを照らすのを、待った。


 これで勇は、忘れられる。

 そしてオレは、忘れないですむ。



 ……と思ったら、光はいつまでたってもさしてこない。
 勇のヤツ、ロードする前にオチちゃったのか。まったくしかたないなあ。
 そう思って目を開けたオレはしかし、マジでとんでもないもんを目撃してしまった。


「いっ、勇がふえた?!!!」



●ありえないものへの解決法 4:勇の場合

 淳司がよこしたのは、ちょっとふぞろいな白い錠剤。
 俺は飲み込むフリだけして手のひらに隠した。
 淳司は飲み込んで、さくっと居眠り体勢をとった。


 テーブルの上、淳司の肩が上下する。
 そのペースがゆっくりになっていく。
 それが安定したのを確かめて、俺は、ポケットからあれをとりだした。
 セーブストーン。一見銀色のワンポイントがある、濃紺色のビーダマ。
 右手で握り、銀色の部分に親指をおいた。
 いや置こうとして、その手を大きくなぎ払った!


 俺の右手のあった場所で、誰かの両手が空を切る。
 直感する。こいつはセーブストーンをかっさらおうとしたのだ。
 立ち上がりつつ、ふりかえるとそこには“双子の兄貴”がいた。


 気配を察して起きたらしい、淳司が素っ頓狂な声を上げる。
「いっ、勇がふえた?!!!」
「いや、俺こんな目つき悪くないし!」
 それに、俺はこんな服(黒づくめかつソフトミリタリー)は着ない。
「つかてめえなんのつもりだコラ」
 すごんでにらみをくれてやると、“兄貴”は、舌打ちとともにきびすを返した。
 追いかけたい。が、睡眠薬飲んでる淳司を置いていくのも気が引ける。
 しかし淳司は言った。
「オレが行く。今ので薬吐いちまったから」
 ポケットを探る。チャリのカギを取り出す様子だ。
「て、待てよ俺も吐いたから」
 茶店で吐いた吐いたというのもアレなハナシだが、とりあえず非常事態だ。
「じゃ先行って。茶代は貸しにしとくから」
「だー」
 そういいつつも俺は駆け出した。
「つかお前、急ぐなよ! まだ治ってないんだからな!!」
「サンキュ」

 店を出ながら叫んだ――そのとき俺には見えてしまった。
 いまの俺は“あのこと”を知ってしまっている。だから、見えてしまった。

 淳司の笑顔は、ちょっと泣き出しそうだった。


 俺は悪ガキだった。よって、逃げ足は速い。
 しかし“兄貴”は俺と同等、もしくはそれ以上の実力を持っているようだった。
 駅前通りを“黒い風のように”走っていく。
「い、いさ、み!」
 淳司のチャリが追いついてくる。
「使え!」
「おう!」
 チャリを止め、淳司がハンドルをよこす。
 俺はすばやくそれをつかんで飛び乗る。
 同時に淳司が叫んだ。

「勇!! あいつだ捕まえてくれ! ひったくり!!!」

 その声に通行人が振り返る。
 淳司は“兄貴”を指差してさらに叫ぶ。

「誰か――! あいつ捕まえてくださーい!! ひったくり――!!!」

 見た目ちょっと可愛い男子高生の、救いを求める悲痛な叫び。
 これを完全ムシするほどにこの町は“都会”じゃない。
 すでに何人かの勇気ある通行人がヤツを追いかけ始めている。
 淳司の作戦勝ちだ。
“兄貴”はふりかえってちっというカオをする。
 そして……


 気がつくと俺は、ふとんの中にいた。
 机に置いたケータイが鳴っている。
 着信、淳司だ。
『勇! 今の覚えてるか?!』
「ああ」

 俺は見た。やつがポケットに手を入れると、あの黄色い閃光がふきだしたのを。

「……敵キャラ登場、てか?」
『みたいだね……』


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●リセット後、再スタート:みすずの場合(前)

 月曜日に戻って、一時間目までを過ごしたあと、またしても黄色い光。
 気がつくとまた、ベッドのなかだった。
 また、月曜か。
 ふたりの決着はまだ、ついていないんだろうか?
 ちらりと不安がよぎる。
“わたしはいつまで、勇を待てるのだろう?”
 のろのろと身体を起こす。
 まだ鳴っていない目覚ましを止める。

「…え??」

 Tue、となっている。
 曜日をあらわすデジタル表示が!

 わたしは跳ね起きた。
 ちょ、これって、どういうこと?!
 日付を確認するとなんと、あの月曜から二週間ほども前。
 ちょうど、模試の点数が発表された、日だった。



 アタマのなかで警報が鳴る。
 これは、異常事態だ、と。



 台所に下りるといつもの朝。
「おはよう~」
 ほんわかのほほんなお母さん、超無口なお父さん、サラダと牛乳とトースト、ニュースを流すラジオ。
 ラジオからは聞き覚えのある報道が流れてくる。
 首相が突然辞任した、と。

 まるで予知能力でもあるかのような、天才的な手腕で経済政策を成功させ、くすぶる景気を急上昇させ、支持率だって急上昇。
 それなのに……。
 原因はどうも、精神的なもの、らしい。

『最近こういうこと増えてますよね。業績回復に成功したものの、燃え尽きて退職してしまう…』
「ごちそうさま!」
 まあそれはいいんだ。史上最速ラップでトーストを平らげてわたしは立ち上がった。
 状況を把握したい。プリカは多分、守秘義務などからそのものずばりを話してはくれないだろう。でも、きかないよりはゼンゼンマシだ。

 階段を駆け上がり部屋のドアをしめバッグをあける。
 濃紺色のビーダマは隠しポケットのなか、静かな光をたたえていた。
 それをつまんで額に当てると、わたしは心の中で念じた。
 運命向上委員会セーブストーン普及課副課長代理、わたしにセーブストーンを売ってくれた、そしてアフターフォローもしてくれている、彼女を呼ぶために――

「プリカ、来てくださいっ!!」

「はぁ~い☆ よばれてとびでてにゃにゃにゃにゃ~ん♪ ってやっぱこれワンパかしらね? まいっかぁ~☆☆」
 すると間髪いれず小さい妖精は現れた。
 ふわふわひらひらした衣装も可愛らしい彼女は、小さな羽根を震わせて宙に浮きながらも、これまた小さいハリセンでもってぺしっと自分のおでこを叩く。
「ちょうどよかったです。このこと、ミスズさんにお話しようと思ってたとこなんですよ」
 しかし、ハリセンをしまって彼女が発した言葉は、わたしの予想をまったく裏切っていた。

「実は…
 これからしばらく、セーブストーンをお使いになるのを控えてほしいんです。
 きわめて危険な組織がこの世界に現れました」

 かれらは、セーブストーンを狙っていて。
 セーブロードが行われると、それを(どこで、どんな人物が使ったか)察知し、セーブストーンを奪いに来るらしい。

「ただ奪いに来るだけならまだいいんです。
 もし力づくで奪取できないと判断すると、いろいろと邪魔をしてロードを繰り返させ、精神的に疲弊させて、セーブストーンを手放すように追い込んだりもするんですよ」
「なにそれ!」
 なんと今日辞任した、首相もその被害者だという――なんてひどいことをするんだろう!
「あ、そうだとしたら、勇たちは? まさか狙われてたりするの?!」
「…微妙です」

 プリカが言うには、勇は組織の構成員にセーブストーンを持っているところを見られたという。
 しかし、セーブやロードをしたわけじゃないので、詳しい情報はもれていないとか。

 その構成員は、強奪に失敗すると逃げていったそうだ。
(淳司の頭脳プレーによって)通行人や店のおじさんにも追いかけられ、とっさにデータロードして。
 それがちょうど、今だという。

「…って、そんなところまで話しちゃっていいの?」
 一応彼らも、顧客であったり、しないんだろうか。
 するとプリカは晴れやか笑顔できっぱり。
「彼らが使っているセーブストーンは、わたくしたち運命向上委員会セーブストーン普及課がお取り扱いしているのとは違うものと、まがいものと盗品だけです。つまりお客様じゃありませんから」
 強っ。
「かれらは、セーブストーンが“使われれば”どこにあるかを察知できます。
 ですが逆に、使われないかぎりは察知できません。
 ですので、ユーザーの皆様にはしばらく、使用をお控え願いたいんです。
 事態が解決しましたら、わたくしたちのバックアップデータから復旧を……」
「プリカ」
 わたしのヘンジは決まってる。
 こんな事態。黙っていられると思う?
 たくさんのヒトが被害にあっているのよ。
 しかも勇たちも狙われるかもしれない。
「わたしも解決に協力させて!」


 プリカは困ったのか、うんうんうなっていた。
 けど、断られはしなかった。
 それはそうだ。わたしがこの状態でセーブかロードをすれば、いやでもおとり役一名乱入決定おめでとー☆ なのだから。
 とりあえず、ハナシはガッコから帰ってから。
『それまでになにか、できそうなこと探してみますね』
 そういうことでわたしはガッコに向かった。
 そうだ、勇たちの様子も見ておかなくちゃ。
 ひょっとして、何か進展が(決してそっちのイミじゃなく。)あるかもしれないから。



●リセット後、再スタート:みすずの場合(後)

 いつもどおりに登校すると、学校は沸いていた。
 そういえば、今日は模試の結果発表の日だっけ。
 クラスメイトたちと一緒に、掲示板の前まで行ったわたしは、しかし掲示をあんまり真剣には見なかった。
 模試の結果も、一度見ているのでわかっているのだ。
 わたしはなんとか10位に入ることができた。
 9位に勇がつけている。淳司はわたしの次の女子に僅差で抜かれ12位だ。
 8位~2位はいつもの常連。
 そして1位は、やっぱりあの男子。

『里見海利』。

「え、誰だよあの里見って!」「知らないの? 今学期赤丸急上昇中のめがね男子キャラよ!」「え~? めがねが上昇中なの~??」「ちがーう!! ちなみに名前は“カイリ”て読むんよ」「へ~変わってる~」
 どこからかなんだか説明的な会話(笑)が聞こえるけど、そんなのに教えてもらわずともわたしは彼を知っている。
 里見君は、われらが2-Dの一員なのだ。
 今学期に入ってから、どんどん成績が伸びてきたと評判の男子。
 宿題はもちろん、小テストもかならず満点。
 今回の模試も――
 大方の予想どおり。満点だ。

「お、おい来たぞ」「里見君だわ」「あいつ?」「あれが里見?!」
 そのとき、掲示板前にざわめきが走る。
 振り返ると、彼がいた。

 決して背が低いわけではないが高くはない。で、どっちかというと細身な印象。
 かといって、ひ弱なカンジもない。
 眼鏡の奥の目はわりと鋭く、肩にもなんだか力が入っていて、ぴりぴりとしたフンイキが漂っている。
 ひょっとして、毒舌はかせたら淳司を超えるかもしれない。と思っているのだが、彼はほとんどしゃべらない。
 先生の冗談でクラス中が爆笑しているときでも、ほとんど笑っていないのだ。
 よくみると結構整ったカオなんだけど、挙動が地味なためそれに気付いているヒトは少ない。

 いや、少な“かった”。

“小テストハンター”の名が広まるにつれ、彼は注目を集めるようになっていった。
 当然のように、彼の容姿に気づく者もあらわれ……
 いまでは、女子の間でひそかな人気上昇株(?)となっている。

 満場の注目の中、里見君はあの日と同じように眼鏡に手をやり、満足げに鼻で笑ってきびすを返す――

 と思ったらなんだか、かなしげに通り過ぎていく。
 ほっぺたには痛々しい絆創膏がひとつ。
「里見君!」
 そのフンイキ、ほっておけない。わたしは声をかけたが、里見君はひとつ首を振って、そのまま教室のほうへ歩いていく。
「な、なんだよ…おい、里見」
 勇が呼び止めようとしても無視。
 というか、さらに足を速めてしまう。
「里見君、…」
 淳司も気遣わしげに見るけれど、これもやはり無視。

 結局その日、里見君は早退してしまったのだった。



●リセット後、再スタート:淳司の場合

 オレたちは模試の結果をおぼえてる。
 けど、見にいかないのも不自然だ。
 勇にとっては、このときの結果が、みすずへの告白を決定させた大事なものなんだし。
 だからみすずやほかのクラスメイトたちと掲示板の前まで行った。
「はー…やっぱカンガイ深いぜ……」
 やつときたら、またしても目頭押さえてるし。
「はいはいおめでと。」
 オレは(またしても)やつの肩をぽんぽん叩いた。
「…すまんです」
「…いいってよ」

 まえにこうしたときは、オレもホントに、心底うれしかったっけ。
 はやく戻りたい。あのときのオレたちに。
 そのためにも、はやく――
 かれらをどうにかしなくては。
 今朝プリカが教えてくれた『危険な組織』。
 勇の“双子の兄貴”が属している、そいつらを。

 ちなみに、勇に双子の兄弟はいない。
 いるのは、大学生のお兄さんと、幼稚園に通う弟君だ。
 なんであんなに似ているのかフシギだけれど、それもおいおいわかってくるだろう。

 そんなことを考えていると、ざわめきが走った。
「お、おい来たぞ」「里見君だわ」「あいつ?」「あれが里見?!」
 振り返ると、彼がいた。

『里見海利』。

 もともと、テストではベスト8に必ず入る高成績の持ち主だったけど――
 今期に入ってから、宿題はおろか、小テストでもすべて満点をかっさらったというつわものだ。
 なんとこの模試でも満点。
 これを期に里見君のあだ名は『小テストハンター』から『ザ・パーフェクトマン』にかわったんだっけ。

 満場の注目の中、里見君はあの日と同じように眼鏡に手をやり、満足げに鼻で笑ってきびすを返す……

 と思ったらなんだか、かなしげに通り過ぎていく。
 右頬には痛々しい絆創膏がひとつ。
「里見君!」
 みすずが声をかけたが、里見君はひとつ首を振って、そのまま教室のほうへ歩いていく。
「な、なんだよ…おい、里見」
 勇が呼び止めようとしても無視。
 というか、さらに足を速めてしまう。
「里見君、…」
 そのときオレはあることに気づいた。

 里見君の右手。
 というか、その親指。

 これはもしかして…!


 結局その日、里見君は早退してしまった。
 オレたち三人は、家が近いし、お見舞いもしたいからと学級委員長に頼み込み、今日のプリントを届ける役割を譲り受けたのだった。


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●彼の、たぶん、素顔:カイリの場合

 殴られた頬より、胃が痛かった。
 ポケットに手を入れても、あの濃紺色のビーダマはない。
 俺の、何より大切な――『セーブストーン』。


 それは昨日の帰り道。
 いきなりとんでもないチカラで路地に引きずり込まれた。
 同時に眼鏡を奪われる。
 そうしたのは、黒の野球帽を目深にかぶった女だった。

 クラスの女子? 違う。こんな女子は絶対いない。
 黒づくめのソフトミリタリーが単なるファッションに見えない。
 胸は大したことないが、無駄のない、とても均整の取れた体躯は、確実にケンカで鍛え抜かれたのだろう、となぜか感じられた。

 一瞬の間に、俺の手首はその女の片手で一掴みにつかまれ、壁に押し付けられていた。
 女は機械的な――まるでボイスチェンジャー通したような――声でのたまった。
『おとなしくセーブストーンを渡せ、そうすれば無事に帰してやる』と。
 冗談じゃない。そんなもの知らないととぼけて逃げ出そうとしたのだが、女は一撃で俺を殴り倒した。

 気がつくと俺は公園のベンチで寝ていた。
 ご丁寧に、頬にはばんそうこう。胸ポケットには眼鏡。
 しかし、持ち物からは、セーブストーンだけが消えていた。


 ――セーブストーンのことなど他人に言えるわけもない。
 高校生にもなって、ビーダマ一個ぶんどられたからと大騒ぎなどしたらいい笑いものだ。
 かといってこいつの機能など、言っても誰が信じるだろうか。
 自分のおかれた状況を、ゲームのようにセーブロードできるなんて。

 それに――
 得体が知れないとはいえ、女に素手でKOされたなんて、どんな野郎が言えるだろう。
 俺はけっきょく、警察に届けることもなく、家に帰った。


 俺は数年前から実家を離れて一人で暮らしている。
 俺を心配する奴なんか誰もいない。
 だから俺は、いつものとおりコンビニ弁当を食べ、風呂に入って寝て、翌朝弁当の残りを食べて学校に行った。

 しかし、結局、早退してしまった。

 掲示板には模試の結果発表が張り出されていた。
 満点なのはわかっている。そうなるべく、何度かセーブロードを繰り返したのだ。
 疲れるが、充実感のある、勝利。
 しかし今の俺はそれを喜ぶ気になれなかった。

 次のテストまでになんとか、なんとかしなければ。

 セーブストーンは、正規のルートではひとりひとつしか買うことはできない。
 誰かから奪い取るか、それとも……
 しかし、こんなもの誰が持っているのだろうか。
 すでにセーブストーンはない。担当者に助けを求めることもできない。いや、連絡を取れたとしても、救済はないだろう。無駄なことだ。


 考えて考えて頭と胃が痛い。
 学校の勉強や、株のトレーディングなど、この難題に比べたら全くの児戯だ。
 なぜってセーブストーンがあれば、それらは何度だってやり直しができるのだから。
 しかし今セーブストーンはない。
 せめてもうひとつ予備があったなら……
 そう思っていると、チャイムが鳴った。

 クラスの奴だろう。無視しようかと思ったが、インターホンから聞こえてきた声に俺はドアに走った。
 聞き覚えのある声はこう言ったのだ。


『君の持ってた、あれのことなんだけど…』


 ドアを開けるとそこに立っていたのはクラスの男子だった。
 名前は、確か。
「藤森、淳司?」
 やつはにっこり笑った。正解のようだ。
「上がっていい?」
「あ、ああ」
 一旦家に帰ったのだろう、藤森は私服だった。
 白っぽいパーカーとジーンズ。どこかすがすがしさを感じさせる服装。
 ――急に俺の部屋は陰気すぎる気がしてきた。
「ちょっ、と待……」
 さくさく上がってくるところを思わず呼び止めてしまう。
 と、いつもの穏やかな笑顔で藤森はのたまった。
「なに? エロ本見てたとこ?」
 俺は思わずぶっと茶を、いや茶は飲んでいないか、とにかく吹いた。
「いいよ待ってるから。お茶入れてくれたらね」
「……………違うから。」
 藤森って果たしてこんなキャラだったか。違うような気がするんだが。
 まあそれはいいんだ。
「それより」
「あ、あれのことね。
 ……ドアにカギかけていいかな」
「……ああ」
 セーブストーンのことなどドア開け放しでしゃべっていたら、またあの女がやってくるかもしれない。
 俺は慎重にドアにチェーンまでかけて、藤森を部屋に招きいれた。


 机のイスをくるっとこちらに向けて藤森は座った。
 俺はベッドに腰掛ける。
 高さの差から、俺が藤森を少し見上げる形になる。
 その状態で、藤森は話しはじめた。

「これを見てもらえるかな」
 そういいつつ、右手の親指を立ててみせる。
「…!」
 そこには、俺の右手の親指にあるのとそっくりおなじものがあった。

 セーブやロードをするときには、セーブストーンの銀色になっている部分に指を置いて念じるのだが――
 何度もそれを繰り返しているうち、セーブストーンに押し当てる部分が、いつしかかるく、たこになっていたのだ。

 それと同じものがなぜ藤森に。

 絶句している俺に対して藤森は、あくまで穏やかに言葉を続ける。
「オレは今日、これとおんなじたこが君の手にもあるのに気づいたんだ。奇遇だね。
 ひょっとして……」
 ズボンのポケットから、取り出すのは――あの濃紺色のビーダマ!
 セーブストーンだ。まちがいない。
「そ、それは…!
 頼む、それを俺に売ってくれ! 金ならいくらでも出す!! 俺の頭脳ならトレーディングでいくらでも稼げる。だから!!」
 俺は藤森に駆け寄ろうとした。しかし腰が抜けていたらしい、最初の一歩でじゅうたんにひざをついてしまう。
 それでもセーブストーンに近づきたい、四つんばいのまま藤森に這いよった。
 客観的に言って今の俺はみっともない。それはわかっていた。しかし構わなかった。
 セーブストーンをくれるというなら、このまま土下座したって構わない……

 無限とも思える時間のあと、藤森は、答えた。
「売ってあげることはできない。でも、君のために使ってあげることはできるよ」
 先ほどまでと、まったく変わることない、笑顔と口調で。

 それは、条件がある、ということだ。
 何を持ち出されるのか。わからないが聞かなければ始まらない。
 まあ座ってよ、との言葉に従い、とりあえずそのままあぐらをかく。
 藤森は微笑んで、ゆっくり穏やかに言った。

「条件は、お金だ。
 君のいったとおり、トレーディングで稼いでもらうよ。
 失敗しても大丈夫、オレがロードするからね。
 毎日はきついからそうだね、三の倍数の日だ。オレのアカウントでログインするから、あとは目標額達成まで君がトレードしてくれればいい。あとの儲けはもち君のもの。
 ちゃんと稼いでくれれば、テスト前のセーブロードはばっちりやってあげる。シゴトの日にちの振り替えもある程度なら相談のるし」

 聞いて驚いた――予想以上の好条件だ。
 目標額以上は俺の収入でいいとは。
 日程なんかも、無理はないし。
 俺の目にはそのとき、冗談でなく藤森が、天使に見えた。
「ありがとう……ありがとう、藤森」
「それもやめよう。これからは相棒なんだし」
「あ、ああ、…えっと」
「ジュンだよ。ふたりのときはジュンて呼んで」
「… え?」

 藤森の言葉に俺はまたしても絶句した。
 それは、“淳司”の一文字目、か?!
(こいつの下の名前は“アツシ”。“ジュンジ”ではなかった、はずだ――現にいつもつるんでる奴らは“アツシ”と呼んでいる)
 ハンドルネーム? それともひょっとして、女装趣味でもあったのか?
 いやまて、こんなことを言って藤森にへそを曲げられたらたまらない。
 この契約の前にこんなことは些事だ。
 藤森がたとえ明日女装してきたって、半分幽体離脱していたって、愛くるしい仔猫を300匹ほど引き連れてきたって、俺は何も言うまい。そうだ、細かいことを気にしていてはいけないのだ。
 俺は慌ててうなずいた。

「あ、ああ! じゃ俺は、カイリで」
「了解。
 わかってると思うけど…」
「俺たちの関係については他言無用、だな」
「外ではこれまでどおり、単なるクラスメート。こんな取引考えたこともない。いいね?」
「わかった」
「よっしゃ。取引成立!」

 と、藤森…もとい“ジュン”は、ぽんっとイスからとびおりた。
 じゅうたんの上、俺のまん前に座って、にっこりわらって手をかざす。
 これは――ハイタッチの構えだ。

 俺はこの人生でまだ、一度もハイタッチをしたことはなかった。
 そんな相手はいなかったし、そんな気持ちになったことも全くない。

 しかし俺はそのとき、つられるようにして、“ジュン”の手に手を合わせていた。
 一瞬の暖かさとともに、ぱちん、思っていたよりいい音が響いた。


「はーいOK。はじめてにしては上出来でした☆」
「え、なっ」
「それじゃ、今日はこれで。明日また来るねー」
 上機嫌にのたもうて、“ジュン”は帰っていった。
 今日は2のつく日。最初の仕事の日は明日。
 今日は早く寝よう。
 で、明日は学校に行こう。そう思った。



●彼の、たぶん、素顔 1:みすずの場合

「え? 勇、オレにプリントもたせるの?」
「だって言い出したのお前……………… だーったよ!! よこせホラコノヤロ」
「さっすが勇は頼りになるね♪ ね、みすず」
「え、ええそうね……うん」
「……(照)」

 その日、わたしたちは里見君のお見舞いにゆくことにした。
 言い出したのは淳司だ。
『オレ里見君の家知ってるしさ。なんかいまのほっとけないから』
 しかし淳司は、結香(学級委員長…ちなみにユイカと読む)から受け取ったプリント群を、まんま勇に押し付けた。
 うーん……淳司ってこんなに甘えん坊だったっけ?
 そりゃ、何かっていうと勇のこといっつもたのしそーにからかってるけど、荷物持たせるなんてことはなかったような。

 でも、わたしにこんな風にふってくるのを見るかぎり、“あの件”での合意が成立しているようにも思われない……

 たぶん二人は知らない。わたしがセーブストーンを持っていることを。だからロード前の記憶がちゃんとあって、二人の抱えてしまった“モンダイ”を知っていることも。

“このさい、打ち明けたほうがいいのではないだろうか――”

 そんなことを考えていると「ここだよ」という淳司の声がした。



●彼の、たぶん、素顔 1:勇の場合

 今日は部活はない。終礼の後、俺と淳司とみすずは、そのまま里見の家へと向かった。
 俺のかばんには、今日配られた(大量の)プリントが入っている。
 委員長からそれを受け取ったのは、淳司だ。
 しかしヤツめはそれをまんまオレにおしつけ(やがっ)た。

 ――そもそも里見を見舞いに行こうと言い出したのは、淳司なんだけど。
 で、今は過去だから、手術だってまだしてないんだけど。
 心臓だってまだ元気なんだよな、一応?!
 なので、ちょっとばっかしナットクがいかないような気もするが――

 閑話休題。
 好都合にも、淳司は里見の家(つか、マンションの部屋)を知っていた。
 知り合いを訪ねてきたとき、偶然、部屋に入ってゆく里見を目撃したのだという。


「ここだよ」
 学校から歩いて十分ほど。
 淳司が指差すのは、なんか高そうなマンションだ。
 閑静な住宅街に鎮座するそれは、あんまり大きくはないがその分、格は高いのだろうということが見受けられる。
 ちょっと重厚なフンイキのエントランスに入り、これまた高級感の漂うエレベーターで、5階まで上がる。
 フロアの奥から三番目、そこに『里見』の表札はあった。
 ぴんぽーん、チャイムを押す。
 答えは予想以上の反応速度で返ってきた。

『あ、ジュ… っ藤森!
 えっと…忘れ物か?』

 俺は驚いた。
 しゃべった。
 しゃべってる。
 里見がしゃべってる。
 しかもなんだかふつうに!!!

 なぜか(チャイムをおした――つまりインターホンの画面ではど真ん中に映っているはずの――俺をさしおいて)指名された淳司はアタマの上に? マークを浮かべながらも答える。
「えっと、今日のプリント持ってきたんだ、けど…」



●彼の、たぶん、素顔 2(前):みすずの場合

 玄関まで出てきた里見君は、やっぱりいつもと違った。
 ちょっと緊張しているみたいだけれど、いつものピリピリした様子はない。なんというか、ガードが下がっている、そんな感じだ。
「ほら勇、プリント」
「あ、ああ」
 淳司が勇にプリントを渡させる。
「あ…どうも」
 里見君は、ちょっともごもごお礼をいって受け取った。
 ちらり、目を上げる。
 なぜか淳司のほうに。
 淳司はというと、里見君の手元を見ているようだ。
「えっと…?」
「あいや、なんでも」
「………、ああ」
 なんだか話せそうな雰囲気なので、わたしは質問してみた。
「あの、里見君。
 聞いてもいいかしら。そのほっぺたのケガ、どうしたの?」
「あっ、…
 家で、転んだだけ。…そのとき眼鏡を割ってしまったから落ち込んでいたんだ」
 わたしにははっきりわかった――ウソだ。
 叩かれたのだろう。たぶんガールフレンドか誰かに。
 だって、里見君の眼鏡は昨日までとおんなじで、割れた様子も全くない。
 さっきも『ジュ、…』なんていっていたし。
 でもそれをつっこんだらきっと、里見君のプライドを傷つけてしまう。
 だからわたしはそのまま言った。
「大変だったわね。
 それで…明日はこられそう、学校?」
「ああ。大丈夫。行くから」
「よかった。
 それじゃ、わたしたちもう行くわね。突然お邪魔してごめんなさい」
「あ、ああ、いや……どうも」
 頭をかきながら、里見君はわたしたちを送り出してくれた。
 数歩歩いて、ドアが閉まる音がしないので振り返ると、淳司がふりかえって里見君を見ており、里見君も淳司を見ていた。


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●彼の、たぶん、素顔 2(後):みすずの場合

 その帰り道。わたしは淳司に聞いてみた。
「淳司、里見君と友達だったのね」
「え?」
 帰ってきたのは予想外の反応。
「なんで?」
「だって、ふつうに話してたじゃない」
「いや、それは、…オレも驚いてるんだ。
 ホント別に、あいさつ以上の交流なかったし……」
 まああいさつとはいっても、彼から帰ってくるのはかすかな会釈だけだったりするのだけれど。
「ウチは知ってたけど、来たのはじめてだしさ。
 里見君て多分、ガッコにいるときはすごく緊張してるんじゃないのかな」
 勇がうんうんとうなずいて一言。
「つまりツンデレだな」
「ゼンゼン違うから。」
「…(泣)」
 穏やか笑顔で間髪いれず一刀両断。(←楽しそうだ)
「それはともかく。ふつうにって言えば、みすずとも話してただろ、ふつうに」
「淳司と話してるときほどじゃなかったわよ」
「うーん…そうかな……」
「俺的にはあいつがあんなにしゃべった時点で驚愕だったけどな」
「「それはいえてる」」
 わたしたちはうなずきあった。
「まあでもさ。里見君ともやっとふつうに話せるようになったんだよね。そこはほっとしたよ」
「そうね。やっぱり、おなじクラスメイトだもんね」
「よっしゃ! あしたあいつ来たら、おもっきし挨拶してやろうぜ!!」
「そうね」「賛成!」
 そんなこと言ってると、いつもの神社が見えてきた。
 ここがわたしたちの分かれ道。
 わたしはちょっと駅のほうへ。
 勇と淳司は120度左側へ。
「んじゃ、ここで」「それじゃ!」「明日ガッコでね」
 いつものように手を振って、いつものように解散した。



●彼の、たぶん、素顔 3:勇の場合

 翌日、宣言どおり里見は学校に来た。
「あ、里見君。おはよう」
 最初に気づいたのは淳司だ。
 対して里見はいつものようにかすかに会釈だけして立ち去り――はしない!!

「おはよう」

 里見はまっすぐ、いやちょっと照れ入って視線がそれてるが、とにかくこっち向いてハッキリ挨拶してきたのだ。
 予想をはるかに超える反応。
 2-Dにどよめきが走った。
「里見がフツーに挨拶してる?!」「無口無情の『ザ・パーフェクトマン』が!!!」「ま、まさか打ち所が……」
 そのキモチは俺もよーくわかる。でも、挨拶するやつに挨拶しないのは男がすたる。
「おっす!」
「おはよう里見君!」
 俺の隣でみすずも手を振ってにっこり。
 ……あ、ちょっと妬けたぞいまのこれっていやまあそれはいいかいいよな。
 ヤツの記念すべきガチ挨拶デビューなのだ。トクベツに許してやろう(笑)

 いや、これでもおふくろに『あいさつは、三度のごはんと同じくらいに大事ですっ』とサンザンしつけられてきた俺だから、あんなつれない反応の相手でも索敵エリア(違)に入ったら一応、あいさつはしてたのだ。一学期の初日からいままでずっと。
 だからそのつまり、なんつーか、やっぱりこれは嬉しかったりするのだからして。



●彼の、たぶん、素顔 3:みすずの場合

 里見君はちょっと照れたように視線をそらしつつ、でもハッキリ挨拶してきたのだ。
 2-Dにどよめきが走った、でもわたしたちは構わない。
 勇はわんこがしっぽを振るかのごとく、ものすごっく嬉しそうに手をあげる。
「おっす!」
 わたしだってうれしい。一緒に手を振る。
「おはよう里見君!」
 すると里見君は眼鏡をなおしながら……
「っあ、ああ」

 うーん、やっぱりちょっと淳司の場合と反応が違うよね。
 ひょっとしてガールフレンドな彼女が、淳司に似ているとか?
 仲良くなれたら、そこのところも聞いてみようかな。
 まあ、それはおいおいだ。

 いまのを契機に里見君のまわりには、おはようの輪ができた。
 里見君は照れながら返している。
 よかった。里見君が、あいさつしてくれるくらい心を開いてくれて。
 勇と淳司はしかし、なんだかシリアスな様子でうなずきあっていた。



●逡巡:勇の場合

 驚きが収まると、クラスの連中が何人も、里見におはようをいいに集まった。
 里見は照れながら返している。
 なんだかんだいって、気のいい連中ばっかりなのだ、この2-Dは。

 俺は昨日から――ナゾの組織のことが片付いたら、データロードしよう、そう思っていた。
 淳司の“キモチ”を夢に変えるために。
 しかしそうすると、このこともなくなってしまうのだろうか。
 クラスメイトのひとりがやっと心を開いてくれた、今日が。
 人間、一人ぼっちで寂しくないわけなんか、ないはずだ。
 里見がまた、心を閉ざした『ザ・パーフェクトマン』に戻ってしまうのは正直、可哀相に思われた。
 淳司も同じことを考えたのだろう、目が合うと、ひとつうなずいてきた。


 休み時間を待って、俺たちは廊下に出た。
 壁にもたれ、声を潜めて、固有名詞は伏せて打ち合わせる。
「なあ、あいつ……」
「うん。……可哀相だよね、リセットしたら」
「ああ。でも……」
「いや、オレは、…だいじょうぶ。
 セーブロードなんか、知らないでさ。こういうの、真正面から解決するしかないやつらだって、世の中にはいっぱいいるんだ。
 ……だからさ。もし、勇さえ嫌じゃないなら……」
「お前が大丈夫だったら俺はいいけど、……
 でも、お前、ほんとにだいじょぶなのかよ。
 俺はいいんだ、そもそも、覚えてようと思ったんだし。
 一番の親友を苦しめたこと、ホイホイ忘れるなんて、そんなのありえないからよ」
「はあ?!」
 淳司は素っ頓狂な声を上げて身を起こし、俺の顔を覗き込んだ。
「じゃあなんで薬よこせっていってきたんだよ」
「いや、こんなこといったら、お前も忘れるの、やめちまうだろうと思って。
 お前だけ苦しめられない、とか言ってさ」
「…………………」
 淳司は視線を外すと、再び壁にもたれて、ずるずると、そのまま座り込んでしまった。
「……おい?」
「お前さ、そーゆーのみすずの前だけにしろよな。
 もーちょっとカッコ悪くしててくれよ……」
 呼びかけると、小さな小さな声がこたえた。
「ゴメン」
「謝るなよ」
「……… ゴメン」
 声がくぐもってた。
 俺は、考えて、ハンカチを渡そうとして、忘れてきてたのに気づいて、どうしよう、ポケットをかき回す――
「はい。これ使って」
 ――そのとき、目の前に白いハンカチが差し出された。
 そこに立っていたのは、みすずだった。
「邪魔しちゃって、ごめんなさい。
 でも、わたし、あなたたちをほっておけない。
 知ってたわ。そして覚えてるの。わたしも」

 ――ハンカチを広げるとそこには、濃紺色のビーダマ。

 みすずはにっこり笑った。
「放課後、神社で会いましょう。
 プリカもきてくれるわ。
 きっと二人の役に立てるから」



●訪問、運命向上委員会:みすずの場合

 神社に集まったわたしたちは、社殿の裏手に移動した。
 すると約束どおり。目の前にプリカがあらわれた。
「ちょびっとぶりです、みなさん。
 さっそくですが、わたくしどものオフィスにいらしてください。
 詳しいハナシはそこで……」

 プリカがちっちゃな指を一振りすると、その瞬間、そこは別の場所に変わった。
 なんとなく、SFに出てくる、基地っぽいカンジ。
「ようこそ♪ ここが運命向上委員会のおふぃすです♪♪
 皆さんにおいでいただいたのは、今後の話を致しすためです。
 こちらのミーティングルームへどうぞ」
 プリカがすぐわきにあったドアを示す――わたしたちは顔を見合わせた。

 このドアを開けたら、プリカみたいなちっちゃい妖精(みたいなカンジの人たち)が、わんさと浮遊していたりして………

 まあ、それは、…そのときだ。
 とりあえず勇がドアを開けた。
 果たして中にいたのは、ちょっとだけ未来っぽい服装のしかし、ふつうサイズの人たちだった。



●訪問、運命向上委員会 2:淳司の場合

 運命向上委員会のメンバーは、まあつまり、ふつうの現代人だった。
「わたしたち営業担当だけはトクベツなんですよぉ。だっていきなりいろんなとこに現れて営業やフォローするんなら妖精のカッコのほうが都合がいいですからぁ♪」
 オレはちょっとだけびっくりした。
「え、プリカは妖精じゃないんだ」
「そうですね~、どっちかっていうと天使ですぅ♪ なんてきゃっ、あたしったら☆」
「委員長」
 見かねたらしいメンバーのひとりが割って入った。
 四角いフレームの眼鏡にきちんと梳かれた髪。髪の色はこげ茶色だが、たぶんこれは地色なのだろう。マジメそうな青年だ――ちょっと里見君に似ている。
「んも~ちーちゃんはカタブツなんだからあ。
 わかりました~。とっととホンダイに入りますよーだ」
 ぷーんだ、なんていいながら、プリカは演壇に向かった。
 いまのメンバー氏がオレたちをイスにかけさせ、一礼する。
「申し訳ありませんお客様。
 わたくし運命向上委員会セーブストーン普及課副課長、チェストナットと申します。
 アプリコットがお世話になっております。」
「あ、どうも」
「こちらこそお世話になってます」
「いつもお世話になってます。あの、……」
 チェストナットさん、今プリカを『委員長』て呼ばなかったか?
「はい、アプリコットは運命向上委員会の長とセーブストーン普及課の課長を兼任しております」
 なんと、プリカはこの小ささで(いや、たぶんこれは本当の姿じゃないんだろうけれど)、この基地をまとめるリーダーだというのだ。
「副課長代理じゃないんですか?」
 しかしみすずの問いにその威厳はぶっ壊れることになる。
 チェストナットさんは思いっきりジト目で上司を振り返った。
「……………………………………………委員長」
「だってそのほうが~親しみを持ちやすいじゃない」
「それ以前にそういうポストは古今東西存在しないようにわたくしには思われますが」
「……… いいの! いいオンナには幻想がひつようなのっっっ」
 今の間について追求すると、たぶんこの席はむちゃくちゃになるのだろう。
 オレたちは期せずして同一の結論に達し、とりあえず黙ってお茶を一口飲んだ。


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●訪問、運命向上委員会 3:みすずの場合

「とりあえずは見て」
 プリカに促され、わたしは彼女からもらっていた、もうひとつのセーブストーンを取り出した。
 淳司は首をかしげる。
「色違い…?」
 勇はぽんと手を打つ。
「黄色バージョンってことは、ネズミ型電気怪獣が」「「でてこないからぜったい。」」
 わたしと淳司は同時に突っ込みを入れた(プリカは笑っていた)。

「えーと、ごほん。
 これはブランクのセーブストーンね。
 まず、セーブします」
「ちょっ…!!!」
 二人は慌ててとめようとした。でももちろん間に合わない。わたしはセーブを遂行した。
「…え?」
 しかし、あの青白い光は、でてこない。
「新開発! ステルスタイプのセーブストーンですぅ♪」
 プリカがにっこり笑顔で説明する。
「ステルス…??」

「このセーブストーンはですね、なんていうかつまりスタンドアロンのセーブストーンなんですぅ。完全に自機内に全システムを搭載しており、セーブロードのさいマスターデータバンクへのアクセスを行いませんので、つまり通信傍受されずにすむんですね~。
 さっすが運命向上委員会! このシアワセをあなたのために! う~ん、マンボ!! じゃなくってサイコー!! ひゅー!!」
 プリカが見得を切ってブイサインする。バンクシーンありがとう。

「つまりこれさえあれば、イザっていうときのセーブロードもばっちりなわけですねえ。
 まずはこれをおふたりに貸与いたしますぅ」
 プリカがぱちんと小さな指を鳴らすと、勇と淳司の目の前に、黄色いセーブストーンがあらわれた。
 ふたりが手のひらを差し出すと、ぽとり、ストーンがおちる。
「えっ、いいの?」
「はい」



●訪問、運命向上委員会 4:勇の場合

「セーブストーンはおひとりさまにひとつしかお売りできないことになっておりますが、これはあくまで貸与ですのでゼンゼンモンダイないんですねぇ♪」
 アプリコットは俺と淳司に、黄色いセーブストーンをよこした。
 濃紺色が黄色に変わっただけの印象。銀色のワンポイントはかわらない。
「で? コレつかって、どうするんだ?」
「ああ、これは“保険”です。
 イザというときのために、ご自分の判断でセーブなさっておいてください。
 お持ちのストーンのデータのコピーも承りますが、それはのちほど。
 ……で、攻撃用にお使いいただくのがコレです」
 さっきと同じようにして、空中経由で赤いセーブストーンが俺たちに渡された。
 これは…!



●訪問、運命向上委員会 5:みすずの場合

「赤バージョンってことは」「絶対違うから。」「………(泣)」
 勇の言葉は1.5秒でぶった切られた。あいかわらず淳司は容赦がない(笑)。
 しかもしゃがみこんでいぢけてる勇をきっぱり放置してプリカに笑顔で向き直るあたり、オニに磨きがかかっていることを感じずにはいられない。
「それで攻撃って、何をするの?」
「目には目をです。
 こちらもロードを繰り返し、組織側に揺さぶりをかけます。
 このセーブストーンは基本黄色のほうと同じですが、ロードのさいだけダミーのパルス発信を同時に行います。
 ほかのユーザーの皆様にはすでにパルスキャンセラーをお渡ししてありますので混乱などの影響はご心配なさらず。
 で、いいかげんキレてきたところで、わたくしどもが用意しますノーマルのストーンでロード、パルス発信を行って、刺客をおびき出し……
 あとはセオリーどおりに片付けます」
「セオリーってよ…………」
 にっこり笑顔で断言するプリカに、勇はなぜかいたくびびっている。
 一方で淳司は冷静に発言。
「プリカ、いくつか質問いいかな。……」



●初仕事の日:カイリの場合

『こんにちわー♪ カイリ君いますかー?』
 それは学校からかえってしばらくしてからのこと。
 予想よりずいぶん早く“ジュン”はやってきた。
 ドアを開けると彼は、両手に買い物袋を下げていた。

 おっじゃまっしまーす、とのたまって“ジュン”は、まるで自分の家のようにさくさく上がってきた。
 向かうは台所。
「うっわーキッチンキレイすぎ!
 つかさ、カイリは自炊しないの?」
「……気が向いたら」
 ウソだ。キッチンが汚れるのが面倒なのと、作るのと洗うのが面倒なので、最近はほとんどコンビニ弁当だったりする。
 それを隠す程度には、俺にもプライドはある。
 しかしそれはむなしい抵抗だった。
 やつはガコッと冷蔵庫を開けて、ガンガン食材をしまいはじめたのだ。
「ウソだー。そのゴミ箱弁当の箱しかはいってないじゃん。冷蔵庫はからっぽだし。
 ダメだぞ~いい若者がコンビニ弁当ばっかじゃ。
 しょーがないからオレがおいしい夕飯を作ってあげよう!
 栄養偏ってると馬鹿になっちゃうんだぞ、どっかの馬鹿みたく」
 どっかの馬鹿って、こいつの相棒(確かイサミ、日野森勇といった)のことか?
 マジに藤森って、こーゆーキャラだったっけ……
 いやいや、気にしないことに決めたんだ。それにいまのこいつは藤森じゃない。
 こいつが何を言ってきたって、俺は気にしない。気にしないんだ。
 藤森、もといジュンは、持参してきたらしい三角巾と、仔猫柄のエプロンを装備しながらのたまった。
「オレ、メシの仕込みやってっからさ、その間に準備しときなよ。
 エロ本とかしまったりさ」
「……………見てないから。」
「マジ?!」


 ジュンはデイトレード用ソフト一式も持参していた。
 USBメモリーと、ケータイマニュアルくらいのマニュアル。
(というか、本来こっちがメインだったが、昨日ちらっとみたキッチンの様子から俺の“台所事情”を推察し、買い物してきてくれたということだ)
 軽く読んどいて、と言われて俺はマニュアルを開いた。
 マニュアルは得意なのだ。ジュンが呼びに来るころには、ほぼすべての内容を覚えることが出来ていた。
 もっとも、部屋にいる俺のところまでうまそうなにおいがただよってきた頃から、集中力は落ちっぱなしだったのだけれど。


 食卓に並んでいたのは、ごはん、味噌汁、焼きシャケに肉じゃがにトマトサラダ。
 コンビニ弁当ばっかりの俺がいうのもなんだが、かなりのできばえだ。
 こんなうまそうかつ美しいメシは、数年来見たことがないかもしれない。
 俺は思わず聞いていた。
「マジ?」
「マジって?」
「これホントにお前が作ったの?」
「ふっふっふー。当ててみそ?
 おかわりもあるけど、食べ過ぎたらダメだかんな」
 一口食べたそのとき俺は、一杯だけだが、山盛りにおかわりしようと決意していた。


 軽く腹ごしらえをすると、時間は7時。
 はじめてのシゴトは始まった。
 ジュンはさくさくとソフトのインストール、セットアップをすますとのたまった。
「マニュアル読んでくれたね? じゃ、始めよっか。
 今日は初日だし、目標額はあくまで目安。最悪、達成できなくても構わないよ。とりあえず操作覚えるカンジでやってみて。
 でもロードが必要なら遠慮なく呼んでくれ。
 じゃ、がんばれよ。夜食もあるからな!」
 もちろんそのつもりだ。
 ジュンは洗い物すっから、とキッチンに戻っていった。

 小一時間してジュンが戻ってくるころには俺は目標額の1/3を稼ぎ出していた。
 今日も順調だ。
 これは、ビギナーズラック(このソフトの)もあるのだろうが……
 正直、前首相の経済対策のおかげが大いにある。
 政治にはいまいち興味がないが、かなり儲かっているのだ、恩義は感じてしまう。正直、なんとか続投してほしかったくらいでもある。
 ジュンが後ろからモニターを覗き込み(いきなりなのですこし驚いた)、嬉しそうな声を上げる。
「へー、すごいじゃん。期待どおりだよ。
 カイリならすぐ覚えると思ってた」
「……いや、似てたから。俺の使ってるソフトと」
「そっか。そりゃよかった♪
 あ、キッチンは軽く掃除しといたからな。心置きなくおしごとするべし」
「……………………………………え」
 キッチンのことは正直、メシのうまさで忘れていた。
 ので、俺は思いっきり絶句してしまった。

 そういえばなんかの雑誌の記事にあった。カノジョが見舞いにきて料理作ってくれたはいいが、洗い物はせずに帰り辟易した、とか。
 というのにこいつは洗い物した上にキッチンの掃除までコンプリートしたのだから、ただものではない。

「メイワクだった?」
「いや、……」
「嬉しかった?」
「………ああ」
「じゃ、ありがとうは?」
「…………………………………………………」
 再び絶句した俺にいきなりヘッドロックがかけられた。
 俺はおもいっきり操作をミスった。

 ――しかし、それが幸いした。
 あやまって売りをかけるその瞬間、その銘柄の値段は跳ね上がっていたのだ。


 その後は順調に推移。
 ジュンは後ろのソファに待機し、片手間に携帯型ゲームもはじめた模様。
 脇で覗き込んでいられるよりは心臓に悪くなくていいので、俺はそのままトレードを続けた。
 何時間たった頃か、ちょっとめまいがした。好調が続き思ったより没頭してしまっていたらしい。
 その時点で俺はすでに目標額の二倍をたたき出していた。もういいころあいだろう。
 そんなわけで手仕舞いすると時刻は零時を大分回っていた。
 ジュンはと見ると、ソファで眠っていた。
 なんとなく起こすのも悪いような気がしたので、予備の毛布を引っ張り出してかけてやり、テーブルにあったみそむすびを一気食い(思わず。これもまたうまかったのだ)すると、そのままシャワーを浴びて寝た。


 翌朝、起きるとソファにジュンはいなかった。
 毛布はきれいにたたんでソファの端においてある。帰ってしまったの、だろう。
 だが確認のため部屋を出た俺は驚愕した。
 部屋を出ると――短い廊下がありダイニングにつづいているのだが――そのダイニングから何かを刻むトントントン、という音と、なんだかいいにおいがしてくる。
 これはまさか。
 眼鏡をかけて戻ってみると、果たして台所にはジュンがいた。
 エプロンに三角巾を装備して、味噌汁にいれるらしいねぎを刻んでいる。
「え、、おま、…」
「冷蔵庫空っぽのヤツ放置して帰れるわけないだろ?
 はやく顔洗って着替えてこいよ」
「……………………あ、ああ…」
 一体これは、何の夢だろうか。
 クラスの男子がトレード契約もちかけてきて、で、ウチでメシを作っている。
 そしてそれは馬鹿うまい。
 しかしこみあげる、懐かしさ。
 いや、固まっている場合ではない。とりあえずやるべきことをやるだけだ。
 顔を洗って着替えなければ。
 顔を洗って……
 いや、その前に。
「ちなみにつまみ食いしたらねこぱんち500発だから。」
 テーブルに忍び寄った俺にジュンは、全開の笑顔(包丁を持ったまま)で振り返った。
 やつは本当にやる。直感した俺は、急いで洗面所に向かった。

 俺がそうして席に着くと、ジュンは帰り支度を終えたところだった。
「ごめんカイリ、オレもう帰らなきゃなんだ。
 作りっぱなしで帰っちゃうのは申し訳ないんだけど……」
「いや、…」
 とんでもない。善意でやってくれたのに。
 そんなところまで文句をいえるか。人間として。
(それにこいつのキッチンの使い方はきれいだし…。)
「ナベに昨日のとかもちょっとあるしさ、それでゴメンしてくれ」
「あ、ああ」
 それどころか、他人に近いクラスメイトの家に突如泊り込むことになってしまって。
 風呂だって入ってないだろうし。
 とりあえず、風呂だけでも入っていかないかといおうか。
 しかし、そう考えている間にジュンは靴を履き終わってしまった。
「それじゃまた」
「あ」
 がちゃ、ばたん。
「あ………」
 もたもたしているあいだに、ドアが開けられ閉められた。
 ――ありがとうを言い損ねてしまった。言うべきだったのに。
 今度ジュンが来たときに絶対言わねば。
 俺はメモ帳を探し出し、一枚ちぎるとボールペンで大きく書いて冷蔵庫に貼った。

『ジュンが来たら朝飯の礼を言うこと。風呂入ってもいいということ』

 もちろん、学校では言えない、だろう。
 しかし、俺は今日も学校に行こう、と思った。


62, 61

るきあ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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