第一部
1 ユウ―1
1
つまんねぇし、狭い世界だ、と俺は思う。この教室はそんな世界の縮図だ、って俺は
思う。
春に高校に入学してからこっち、馬鹿みたいに意気込んでたけど、夏を過ぎたらあっ
けらかん。部活には入り損ねるし、友人だって中学校からのお古の連中ばかりとつるん
でて、目新しいってことが1つもない。少しは変わるって思ってたんだけどね。まぁこ
んな狭い世界じゃこれが精一杯ってことなんだろう。神様のやつも気が利かないもんだ。
「それでは今日はここまで。明日は1度目の大洪水以降をやります」
30過ぎの死にかけたおっさん教師が本を閉じて教室を出てく。神話学なんてどこが
面白いんだろうね、本当のとこ。御伽噺……とは言えないかもしれないけど、実感わか
ない。今朝見た、世界が止まってるってニュースだって、どっかの阿呆が言い出した世
迷言って片付ければ、気にもならない。世界が止まっていようが、俺の世界は狭いまま
だ。
なんか面白いことねえかなっていつも探そうと思うけど、結局ぐーたら。同級生たち
は、部活やらなんやらで楽しそう。
机にうつぶせになって目を閉じると、教室の喧騒がどっかいっちまって、静かになる。
放課後のひと時、帰宅までの小休止、俺はそうやって時間をつぶす。
「ああ、若人よ、情けない。のろまなユウは時流に乗れず、おいてけぼりか」
顔を上げるとヨウジのにやついた顔。
「ほっとけよ、部活いってろ」
「ああ、球蹴り部のことか?止めちまったよ、んなもん。それよりもっと楽しい部活見
つけたんだ。一緒にどうだ?」
ヨウジがにやにやしてる時ってのはたいていロクなもんじゃない。地上に降りようと
持ちかけられてのっかったはいいものの、CGにとっつかまって狂信者に間違われたり、
馬鹿みたいにバッドトリップするキノコを食わされたり……枚挙に暇がないとはこのこ
と。今回もまたくだらないゴタゴタに巻き込もうって腹だろう。
「止めとく」
その手には乗らない。
「まあ、聞けって。すっげー頭のイカレテる女教師と電波娘2人がいる部活があるんだ
よ」
あ~あれか。俺も聞いたことある。校内でも有名な阿呆な部。
「しかも、部員が足りずに廃部の危機。つぶすにはもったいないクレイジーな部だとは
おもわないか、朋輩」
「神話学部だろ?知ってるよ朋輩。だが、俺は、そんなとこに入る気はない」
「しかも後2人必要ってんだ。ここは乗っかっとくべきだろう」
話を聞け、朋輩。
「俺とお前ってこと?」
「ほら入部希望用紙」
用意のいいこった。ぺらっぺらの紙切れが眼前でヒラヒラ揺れてる。クラス名と名前
だけの簡単なもの。
俺が乗ってこないことにしびれを切らしたヨウジが耳元で囁く。
「あいつら、世界を救おうって考えてるらしい。その一環には、外の世界の探索も入っ
てる」
それ、本当か?と、俺は体を起こし、ヨウジの肩をつかむ。ヨウジはしめたもんだと
いった顔。また乗せられちまったと半ば後悔しながらも、言葉を継ぐ。
「CGから許可下りんのかよ?」
「それは入ってから確かめようじゃないか」
ヨウジは俺の手を払い、入部希望用紙を胸に押し付ける。
「さっさと書け」
俺は紙を受け取りクラス名と名前を書き、ヨウジの胸に押し返す。
「つまんねえとこだったら、辞めるからな」
「面白いこと請け合い」
ヨウジのニヤニヤ。あ~あ、と俺は思う。単純だな、俺。
2
イカレタ女教師とか電波娘2人なんかにゃ興味はない。俺が求めるのは外の世界へ降
りることだ。俺たち人類は2000年もおあずけをくらってんだ。我慢の限界ってとこ
だろう。
2000年前に偉いさんたちが外の世界に降りるのを禁じた。何でも外の世界は人間
のせいで汚れちまってて、それに歯止めをかけるにはこの星の自浄能力に任せるのが一
番なんだそうだ。以来、俺たちはハコブネって呼ばれるでかい町に押し込められてる。
大昔の馬鹿どものせいで環境破壊が進んじまったせいってことになるんだが、たまには
俺たちだって外に出たい。ただし、なかなか許可は下りない。そこらへんは中央政府が
がっちりと固めてて、学術研究やなんかじゃなければ外に降りられないってことになっ
てる。そんでも、たまには外に出たいって思う馬鹿どもや、箱舟原理主義の狂信者たち
が暴れたり外へ出ようって無茶するから、CG、セントラルガードって呼ばれてる中央
政府の犬どもがそいつらを片っ端から取り締まってく。このCGってのはまったく暴力
的なやつらで、町の安全を守るって名目で政府肝いりで始められた組織なんだが、やっ
てることは野蛮。狂信者の鎮圧のためにばんばん銃を撃つ。そんで、よく人死にがでる。
ただでさえ寿命の短い連中を殺すなよ、って俺は思うけどね。まぁ、人口の管理も兼ね
てるって思えば、合理的なやり方かもしれないんだけれど。
と、まあ、そういうわけで、俺は外に出たい。昔そう思ってる。外はここみたいにつ
まらないってことはないと思ってる。何よりここよりずっと広いし。広いだけでも、ち
ょっとは楽しくなるってもんだ。
ヨウジにまんまと乗せられた気がするけど、外に出られる可能性があるんなら、試し
てみる価値はあるだろう?
3
旧校舎――文科系の部活が押し込められてるところ――にやってきた俺とヨウジ。か
び臭さが鼻につく。神話学部は旧校舎の一番奥。昔物置に使われてた場所。ノックもせ
ずにヨウジは入ってく。ちょっと気後れしてる俺。ここにきて、怖くなったとは言わな
いけれど、心の準備くらいはさせてほしいもんだ。
「こんちわ~入部希望です」
ヨウジの後について中に入る。中には女性徒が2人、椅子に座って、長机の上に雑誌
を拡げておしゃべりに興じてる。見るとファッション雑誌。中身は今期流行のファッシ
ョンアイテムってところだろう。おしゃべりをやめた2人がこっちを見る。
「ひやかし?」
黒髪ショートカットの方が言う。パーマをかけてんだろうけど、なんかちょっと、動
きのある髪ってやつだ。
「ひやかしなら止めといた方がいいよ~キリコさんめちゃ怖いから」
肩まである黒髪の女が言った。そいつが言ったキリコさんてのが有名なイカレタ女教
師。専門は神話学なんだが、授業内容があまりに電波なため、哲学の授業を持たされて
るって話だ。
「いやいや、マジですよ。俺たち。この部の活動内容ってやつが気に入ってね」
ヨウジはずかずか入り込み、空いてた椅子に腰を下ろす。
「世界を救うってんでしょ?」
ヨウジの言葉に女2人は顔を見合わせ苦笑。俺はっていうと入口の近くで成り行きを
見守ってる。いつでも逃げられる準備は万端ってところ。
「ああ、それね。どういう意味かわかってんの?」
ショートカットが言うとヨウジは胸を張った。
「これから知れば良いだろ?」
女2人はそれを聞いて爆笑。ヨウジは意味がわからず、きょとんとしてる。
「騒がしいね」
声は俺の後ろから聞こえてきた。振り向くと、長髪でするどい眼差しの女が立ってい
た。見たことがある。これが噂のクレイジー女教師。
「あ、キリコさん」
キリコさんと呼ばれた女は俺を一瞥すると、押しのけて中へ入る。
「入部希望だそうですよ?」
「入部希望?」
キリコは眉をへの字に曲げて俺とヨウジを見る。
「動機は?」
ヨウジは気圧されて黙ってる。キリコは俺の方を向いて、顎でしゃくる。俺は答える。
「外に出てみたいです」
キリコは俺を真正面から睨む。
「信者?」
「いや、違います。ただの願望です」
「ふうん」
キリコはジャケットの内ポケットからタバコを出してくわえた。
「とりあえず、座りなさい」
俺は言われるがままに、長机についた。
4
「なるほど。外に出てみたいってことが一番の動機ってことね。脱走未遂経験者か」
キリコはくわえてる火のついてないタバコを上下させる。
「ま、入部する動機は悪くないわね」
「そうでしょう!」
ヨウジが割り込む。ここぞとばかりに熱意――みたいなもん――をぶつけて話しては
いるが、キリコは知らん顔でタバコを上下させてる。女2人は欠伸を噛み殺したり、雑
誌をぱらぱらめくったり、退屈そう。
熱弁を聞いてたキリコはヨウジの言葉を手で制止、頭を掻いた。
「わかった。入部を認める。人が足りなくてまいってたんだ。本当のところ、ね。あん
たらみたいな連中でも何かのタシにはなるでしょう。ユキ、ハツ、しばらく面倒みてや
んなさい」
「は~い」
声をそろえて返事する2人。
「まず何をすればいいんすか?」
ヨウジが尋ねるとキリコは笑う。
「部室でだべってりゃいい。活動はもうちっと先なんだな。そうしてくうちにユキとハ
ツから色々教えてもらえるから」
キリコは立ち上がり、本棚に近寄り一冊の本を机の上に置いた。
「最低これくらいは読みなさい」
『神話篇』と書かれた本。だいぶ古いものだ。
「読書苦手なんすけど」
と言うヨウジを睨みつけ、キリコは手を振りながら部室を出て行った。本に手を伸ば
し、ぱらぱらとページをめくるヨウジ。
「これ、全部読むの?」
「まずは正伝だけでいいわよ。他の部分はあとまわしで」
正伝?俺が首を傾げるとショートカットが笑った。
「ユキ、まずは基本的なことから説明したら?」
ユキと呼ばれた女がはぁ、とため息をつく。
「授業で習うでしょうが」
5
そんなこんなで、俺とヨウジは神話学部の部室にたむろするようになった。昼飯はパ
ン買って、部室でゆっくり。ユキとハツも同じ感じ。何をするでもなくだべる。『神話
篇』の話をすることもあれば、世間話もしたりする。生徒の恋愛の噂や嫌な教師の悪口。
町にできた新しい店について……
もう秋に入ってた。部室には窓がないから秋風なんてわからないけれど、新校舎から
旧校舎までの渡り廊下を通ると、涼しげな風が匂う。
春からこっちの意気込みも冷めた頃に、俺は、つまらない生活が終わるんじゃねえか
って期待を抱き始めてる。外に出られるならば……
ヨウジが俺の前を歩いてる。いつもの、かび臭い、埃臭い、部室へ、俺たちは向かう。
続く
2 ユウ―2
1
ある程度仲良くなると、ユキとハツが噂ほど電波娘じゃないってことがわかってきた。
じゃあどの辺がお花畑なんだってことになるけど、それは世界を救うっていう妄想にと
りつかれてるってとこだと思う。大真面目に、世界を救うための神話学部よ、ってハツ
が言った時は、盛大に吹き出してしまった。おかげで、それからしばらく口をきいても
らえなかったけど。
俺は世界を救えるなんて信じちゃいない。理詰めで説明されても『神話篇』が実話だ
とは思えないし……
「過去に洪水があったことも学術的に証明されているし、箱舟の遺跡も見つかっている
のに今更否定するなんておかしいと思うけど」
放課後の部室。正面に座ったユキが腕を組んで口を尖らせる。ヨウジは便所行ってて、
ハツは掃除当番で遅れるらしい。
「そういうの見つけた奴がつくった話ってほうが、より説得力があると思うけど」
「『神話篇』が今の形に編纂されたのが225年。洪水の痕跡の発見は1000年越え
てから、箱舟の遺跡だったそれくらいまでは発見されてない。それに『神話篇』は22
5年以前から存在してたのよ」
「集合的無意識って知ってるか?どうやら我々人類は共通した前提みたいなもんを無意
識で共有してんだぜ?妄想だって共有してるだろ?」
「本当にユウって外に出たいだけでこの部に入ったのね」
「そうだよ。キリコさんにそう言ったじゃないか」
ユキは机をバンと両の手の平で叩き立ち上がる。
「トイレ!」
戸に手をかけるユキに俺が声をかける。
「どこ行くんだよ」
からかい半分。
「小便よ、馬鹿!」
思いっきり引き戸を閉めていくユキ。ピシャンという鋭い音だけが部室に残る。俺は
手盛り無沙汰になって、机の上においてある古ぼけた『神話篇』を手に取る。
正伝の9つの章と別伝『博物誌』『人物列伝』『箴言』『詩篇』の4つの話にわかれ
てて、他に外伝と呼ばれる無数の――有象無象――の話しがある。通常『神話篇』とい
ったら正伝のみを指すらしいが、広義では別伝も含むそうだ。これは全部ハツとユキか
らの受け売り。俺たちが子供の頃聞かされてた昔話もすべて『神話篇』からきてるそう
だ。
「むかしむかし、で始まるあの、何だっけ?あの話もそうなの?」
「『旅人と4賢者』ね。そうよ、「旅行記」の話しね」
「すべての元ネタってわけか」
「う~ん。そこが難しいとこなのよね。昔話を集めて『神話篇』に編纂したって説もあ
るくらいだし。どっちがどっちって言いがたいわよね」
とまあ、こんな感じでハツに教えてもらったりしてるわけだ。
『神話篇』をパラパラとめくって、元に戻したところで、キリコさんがやってきた。
「なんだ、ユウ1人か」
「ヨウジは便所行ったっきり帰ってきません、ハツは当番でユキは小便です」
それを聞いて、キリコさんは笑った。
「そうか、そうか。それじゃみんなが来るのを待つとしよう」
キリコさんはタバコをくわえた。火をつけずにぶらぶらさせてる。
2
待てども待てども連中は来ない。せっかくだから俺はキリコさんに普段聞けないよう
なことを聞いてみた。
「キリコさん、幾つなんですか?」
「女性に歳を聞くと呪われるぞ」
…………
「結婚してるんすか?」
「してない」
…………
「好きな食べ物はなんすか?」
「人参」
…………
「なんで教師に?」
「神話学を広めるため」
…………
「休日は何をしてるんですか?」
「本を読んでる」
…………
「どんな本?」
「神話学の本」
…………
「世界を救うって本気ですか?」
「どうかな」
…………
質問大会は気詰まり。会話になりゃしない。キリコさんは苛々してんのか、タバコを
激しく揺らしてる。あまりの勢いにどっか飛んでいってしまいそうだ。
「みんな遅いっすね」
「『神話篇』は読んだの?」
キリコさんは俺の言葉に答えない。
「正伝は読みました」
「ほかは?」
「あとは絵本の知識くらいっすね」
「じゅうぶんだね」
はぁ、とため息をつく、キリコさん。タバコをポケットにしまうと立ち上がる。
「また明日にしよう。みんなによろしく伝えておいてくれ」
そう言うとキリコさんは部室を出て行った。
3
結局ヨウジやハツはおろかユキもこなかったから、俺は部屋へ帰った。
俺の部屋は高校のすぐ近くにある。当然1人暮らし。1人暮らしってのは、高校生に
なった証拠って感じがして、くすぐったいもんだ。中学までは普通、寮にぶちこまれる。
生まれてからすぐに寮にぶちこまれて、団体生活ってもんを学ばされる。俺にも親って
ものがいるらしいが、人類が正常に生きるには親と別々に暮らすことが一番らしい。誰
が決めたか知らないが、結局1人で生きろってことなんだと思う。肉親って――本でし
か知らないけど――血をわけてるから、結構重要な存在なんだろうと思うんだけれど。
こんな時代だし、誰かに頼るってほうが難しいのかもしれない。それに、俺の親なんて、
もう、寿命で死んでるくらいだと思う。
部屋に帰ると、速攻音楽をかける。ストロークスをかける。ジュリアンのだるそうな
声が部屋に充満したあたりで、飯を食い始める。コンビニで買った弁当。寮の頃は寮母
が飯を作ってくれてたんだけど、高校入ってからはコンビニ飯ばっかり。味は悪くない
んだけど、飽きるのが困るところ。行くコンビニを変えても大して味が変わらないのは
不思議。
腹も満たされて、ベッドに横になる。そんで、外の世界のことを考える。図鑑やテレ
ビでみる外の世界はとても美しい、とは言えない。町には外の世界にあるものはほとん
どすべてあるから、見慣れないってもんがない。でも、外の世界は広い。だだっ広い。
宇宙もあわせればおよそ、無限。その広さが美しいって俺は思う。自由って感じがする。
狭いとこより広いところに気持ちが惹かれるのは、別に俺だけじゃない。実際、みんな
そうなんだろう。水が低いほうに流れるように、人は広いほうへ流れる。
俺は目を閉じる。外に出たら何をしようかって考える。まずは、海に行きたい。この
何でもアリの町でも海だけはない。それっぽいのはあるけど……広すぎるから作れない
んだと思う。だから、俺は海に行きたい。
海のことを考えてたら、うとうとしちゃって、意識がどっかいく。
4
翌日の放課後は部室に全員揃ってた。みんなでキリコさんを待つ。
「ようやく、まともな活動が始まるのかしらね」
ハツが楽しそうにそう言う。なんでも、これまでまともな活動はしたことがないらし
い。ほとんどがキリコさんによる神話学の講義だったそうだ。
「外に出る話だったら、いいな、なぁユウ」
ヨウジが鼻をでかくして言う。そうだったらいいな、と俺も思う。
そうこうしてると、キリコさんが部室に入ってきた。
「みんな、揃ってるね」
キリコさんは座ってる俺たちを見回す。
「神話学部初の活動を発表します。町の下層の調査よ。CGの許可はとってあるから」
キリコさんはCGの印鑑が押してある書類をぴらぴらと揺らす。 ハツとユキは手を
叩く。俺とヨウジはげんなりした顔。
「あの~、いいすか?」
ヨウジが手を上げる。
「なに?」
「もう何度も見学させられてるんで、飽きてるんですけど」
ヨウジの言うとおり。俺たちは学校の課外実習ってやつで、小学校の頃から何度も下
層へは連れてかれてる。うそ臭い史跡を見せられたりするんだけど、どれも後から再現
したもんばかりだから、安っぽい。町のガキどもは、中央博物館と下層には行き飽きて
る。
ヨウジの発言にキリコは勝ち誇ったように、ふふん、と鼻をならす。
「今回行くのは見学コースにないところ。いわば、裏コース。面白いものが見られるか
もよ。それに新入部員にはちょうどいい勉強会になるはず」
「先生、先生、機関部にも行けるんですか?」
ユキが興奮して尋ねる、頬が紅潮してる。
「もちろん」
キリコさんがピースする。ユキとハツが向かい合って喜んでる。俺とヨウジは顔を見
合わせて首を傾げる。そんなにいいもんかね?さあね、って具合に。
「今週の土曜、朝九時に校門に集合ね」
キリコさんはそれだけ言うと、さっさと部室を出て行ってしまった。
「ねえねえユキどうしよう、夢の裏コースよ!」
「そうよ、ハツ!わたしたちやっと機関部や船着場に行けるのよ!」
わぁわぁ、きゃぁきゃぁ、騒いでる女子2人はほっといて、俺とヨウジは部室を出た。
5
「どんなもんかねぇ」
「退屈だろうよ」
俺がそう返事をすると、そうだよなぁ、とヨウジが欠伸をしながら言う。
秋の午後5時過ぎは、肌寒い。もうちょっとで紅葉って感じの、体半分黄色くしてる
木々の間を、俺とヨウジは歩いてる。
「キリコさん、もうちょっと頭のおかしいことする人だと思ってたのになぁ。ただの変
人学者って感じだな」
俺がそう言うと、ヨウジは、う~ん、と唸った。
「でも、俺、キリコさん好きだなぁ」
「は?」
「いや、俺、年上好きだろ?」
「いや、知らないけど」
「とにかく年上好きなんだよ」
ヨウジはそう言って背伸びをする。
「キリコさんが幾つか知らないけど、10年くらいで死んじゃうぞ」
「愛に時間は関係ないのだよ、ユウくん」
ヨウジが気持ち悪い顔で言う。下心、変態丸出しの顔。
「俺なら一緒に死にたいって思うけどな」
「あ~ら、ロマンティストですねぇ」
「悪いかよ」
「べっつに~」
そう言ってヨウジはでかい声で笑う。ちょっとむかついたけど、まぁ、自分でも恥ず
かしいこと言ってるって思う。一緒に死ぬなんて、と俺は思う。そんな器用な真似でき
るわけないよな、と。
ヨウジと別れて部屋に帰り、いつものようにストロークスを流してると、自分の発言
が今頃になって恥ずかしくなって、ベッドに飛び込んで、しばらく悶えた。
続く
3 ヨウジ―1
1
朝起きて、まずやること。ヤクをやること。粉をガラス板の上に乗っけて、ストロー
で端から吸い込む。しばらくすると頭ん中で赤や黄色がばんばん爆発を始めて、どっか
別の世界にいったみたいに気分になって、天国の荘厳な音楽が流れてくるんだけど、こ
れは別に詳しく話すようなことじゃない。ヤクをやればみんな同じ感じになるんじゃな
いかな?
俺がいつもやってる奴は、イエス・ジーンって名前のヤク。巷じゃほかにも、サクリ
ファイスとかスピット・マムなんてのが流行ってる。俺はずっと前からこれって決めて
る。浮気はしない。
ヤクがきれてくると気分が悪くなったりひどく落ち込んだりするんだけど、迎え酒み
たいに、ちょろっと粉末を舌先につけると、それが消える。爽快な気分のまま一日を始
められるってわけだ。それでもいつかヤクはきれるわけだが、準備は万端。シャーペン
の芯を入れるところに粉末を入れといて、カチカチってやれば先っちょから粉末が出て
くる。それをペロリとやれば大丈夫。シャーペンの中にヤクをいれるって考え誰が思い
ついたか知らねえけど、そいつ天才なんじゃねえかなって思う。おかげでヤクやってる
奴のほとんどは筆箱を肌身離さず持ってるってんだから、笑っちまう。悪いジョークみ
たいだ。
2
せっかくの週末を下層で過ごすのもなんだな、って思ったけどキリコさんに会えるん
なら別にいいかって思う。私服のキリコさんを見れる!それはけっこうな喜び。
と思ったけど、実際にやってきたキリコさんはいつもどおりの灰色のテーラードジャ
ケットに白いインナー、黒のパンツ。変わってると言えば背中にリュック背負ってるだ
け。ユキ、ハツの女の子連中なんて制服!私服なのは俺とユウだけ。そのどっちもデニ
ムにTシャツってつまんない格好。もうちょっと小奇麗にしてくりゃよかったかと後悔
する。せめてユウと違う格好が良かった……
キリコさんに連れられてバスに乗り、下層への入口に向かう。でかいエレベータがあ
るんだ。中央ブロックのど真ん中。CGの本拠地である中央議事塔のすぐ傍の公園。中
央議事塔の1階から5階までがCGの施設で、その上には町のお偉いさんたちがくだら
ならい会議をするとこやなんかがある。
下層への入口はほかにも数ヶ所あるんだけど、どこもCGに封鎖されてて、現在使え
るのはそこのエレベータだけ。
バスは中央議事塔前で停車。バスを降りると中央議事塔がこれでもかってくらいに偉
そうに立ってる。入口付近にはCGが警備に立ってる。俺たちはそんなもんを無視して
となりの公園へ向かう。公園の中心にエレベータはある。
キリコさんが警備してるCGに許可証を見せると、CGたちは俺たちをエレベータの
中に入れてくれた。エレベータの中は全面銀色。目が痛くなりそう。30人は乗れそう
ってくらい大きい箱の中に俺たち4人だけだと、ちょっと変な気分。空いてる空間が気
になってしかたがない。
「本当なら、途中で降ろされるんだが、今回は機関部まで降りるんだ」
キリコさんがそう言うとハツとユキが手を叩いて喜んだ。
「元々は機関部から上層に出るためのエレベータだったそうなんだけれど、見学用に途
中で止まるように作り直されたらしいわ」
キリコさんは壁にもたれてる。いつもみたいに火のついてないタバコをくわえてる。
その唇がちょっと薄くて血色が悪い感じが、俺はとても好きだ。キリコさんは爪で壁を
とんとんと叩く。
「遺跡が発見されたときはこのエレベータも壊れてたらしいわ。それをこうやって再現
したの。材質は元のものじゃないから薄っぺらいわね」
ちょっと不満な表情をするキリコさんを見てると、襲っちまいたくなるんだけど、そ
れをやっちゃったら犯罪だから、俺は我慢するわけだ。
3
機関部ってところについた。だだっぴろくて何もないただの広間。機関部って名前の
意味がないって俺は思う。
「キリコさん、ここに森があったって本当なんですか?」
ハツが尋ねるとキリコさんは首を振る。
「それはわからない。とうぜんそういった説もあるけどね。痕跡がないから確かめよう
がないわよね」
俺たちは広間をぶらぶらと歩く。よく見ると扉が壁一面に等間隔に並んでる。部屋が
あるんだろう。キリコさんは部屋には目もくれず、先に進む。
「機関部の見物はもう終わりですか?」
ユウがそう言うとキリコさんはタバコを口から離して、肯く。
「ここには何もないから」
「機関部って名前なのに?」
俺が聞くとキリコさんは困った顔をした。
「それが問題なのよね。機関部って呼ばれてるのに、ここに何があったのかわかってな
いのよ。機関部って呼ばれるようになった由来もわからないしね」
「変なの」
「きっと何か重要なものがあったんでしょう、ってくらいしかわからないわね」
キリコさんはそう言ってタバコをくわえた。
「先に進みましょう。今日は最下層まで降りる予定よ」
4
広間を抜け、長い廊下に出る。俺はハツと並んで一番後ろを歩いてる。
「なぁ、ハツよぅ。これが箱舟の遺跡ってのはわかってんだけどさ、どうして再現しよ
うとしたんだ?昔の人は観光地にでもしたかったのかな」
「さあね。心理学者は、箱舟を再現することに心惹かれる性質を我々は持っている、っ
て理由付けをしてるけど。この遺跡の発見は終暦400年前後。それから2500年近
く経ってるけど、いまだに再現作業が行われてるということは、心理学者の言うことも
あながち間違ってはいないのかもね」
「でも、わざわざこんなとこに住むようにしなくてもいいよな」
俺がそう言って笑うと、ハツは真面目な顔で答えた。
「たぶん、中央は洪水がくるって真剣に信じてるのよ。だからこの箱舟の上に人を住ま
わせ、箱舟を修復している」
おいおい、妄想も大概にしとけ。やっぱり、こいつちょっと電波だな。
「再現って何を参考にしてんの?」
「別伝の『博物誌』にある程度の箱舟の情報が載ってるからね、それを参考にしてるっ
て言われてる。でも、私やユキは中央が世間から隠している『神話篇』を持ってて、そ
れを参考にしてるんじゃないかって思ってるの。そうじゃないと説明のできない再現場
所だってあるんだから」
これ以上質問すると電波話が過熱しそうだから、俺は黙ることにした。ハツから半歩
遅れて歩く。こっそりシャーペンを取り出して、カチカチやる。穏やかな気分になる。
この通路の先に天国があるって思えてくる。
5
通路を抜け、幾つかの広間を抜けても景色は同じ。キリコさんは歩みを止めない。携
帯を見るとすでに昼12時に近くなってて、俺は腹が減ってきた。足も疲れてきたし、
ちょっとヤクがきれかけてきてて、気分も悪い。
「ちょっと休みましょうよ。2時間近くも歩きっぱなしですよ」
我慢できずに声を上げるとキリコさんは止まり俺の方を向いた。
「そうだね。ちょっと休んで昼ごはんにしようか」
幾つか目の広間で休憩。シート広げてピクニック気分。飯はキリコさんが用意してた。
これでもかってくらいでかいおにぎりが各自1つずつと、漬物、それと水筒にいれてき
たレトルトの味噌汁。げんなりしちまいそうなメニューだけど、愛する人が作ってきて
くれたもんだから、と俺は喜んでおにぎりにかぶりつく。
シートの上で談笑しながらの昼飯。悪くない。ここが下層じゃなければもっといいん
だけれど。
「今日の目的はどこなんですか?」
味噌汁すすってたユウが尋ねるとキリコさんは指先についたご飯粒を一粒ずつ食べな
がら答えた。
「『博物誌』の中にね、船着場の記述があるの。箱舟に入るための船着場。中央が情報
公開してる中にはその船着場は存在してない。ちょっとひっかかるのよ。中央って箱舟
の再現には異常に力を注いでるじゃない?それなのに博物誌に堂々と記載されてる船着
場が再現されてない。大した施設じゃないから無視したって言えるかもしれないけど、
意味のわからない空き部屋まで再現してる中央が船着場を作ってないってのはおかしい。
もしかしたら何か隠してるのかもって思うのよ」
「でも、中央が隠してるものを見つけられるかなぁ。CGががっちり守ってそうだけど」
俺がそう言うとキリコさんは、その通り、とこっちを指さした。ご飯粒のついた指で。
「たぶん、隠されてる。だから、学術調査の振りして、見つけちゃえばいいのよ。きっ
とCGがいるでしょうけど、たまたま見つけちゃったらしょうがないでしょう?殺され
はしないわよ」
大雑把な考え方だな、と俺は思う。そこがまた魅力なんだけれど。
飯を食い終えて、みんなシートでくつろいでる。その中で俺は手をあげる。
「キリコさん、便所いきたい」
「たしかあの扉の先にあるはずだから行ってきなさい」
「使えるんですか?」
「中央が再現してるからね」
いってきま~す、と俺は便所へ向かって突っ走る。便所に入って――どこでも見るよ
水洗式――にまたがって、鍵をかけ、シャーペンを取り出し、芯を入れるところの蓋を
外し、鼻から中の粉を吸い込む。
こういう使い方もできるから、これを考えた奴は天才だって俺は常々思ってる。
そのうち、頭ん中でいろんな色が爆発を始めて、天国の音楽が聴こえ始めて、視界の
端から黄色が拡がっていって、天使が俺にあっかんべ~をしてるのが見えて、俺は気分
が良くなる。
とりあえずはこれとキリコさんがいれば、何でもいいや、と俺は思う。
続く
4 ユキ―1
1
夢を見る。夢の中の私はずっと昔の世界に生きている。そこで私は何かの役目を果た
すために道を歩いている。漠然と、それが何かを救うたびなのだと、私は知っている。
目が覚めると夢の内容は忘れてしまうんだけれど、夢を見て、その中で何かを救おうと
しているのだけはわかる。私はその「何か」を世界だと思っている。
高校に入って、神話学部があって、キリコさんが世界を救おうと考えていることを知
って、私はそれを運命だと思った。私は世界を救うのだ、と。そんな私を人は狂ってい
ると言う。けれど、あれだけ繰り返し夢を見ると、狂ってるのは私じゃなくて他人の方
なんだって思える。
私は世界を救うのだ。
キリコさんの下で神話学を学び、世界について多くのことを知ることができた。キリ
コさんは世界についてこう語る。
「時代が進めば進むほど、通常、人は多くの事柄を知ることになる。だが、今の世界は
時代が進めば進むほど、多くの事柄が隠されていっている。私たちは昨日よりも無知に
なっていく」
キリコさんはCGと中央のことを言っているのだと思う。キリコさんは『神話篇』の
未発表部分か何らかの外典があることを信じて疑わない。そしてそれを中央が隠してい
ることも。
ありがちな陰謀話だが、私自身はそれを信じている。CGの情報統制の厳しさと都市
伝説の多さが、何かしらの陰謀があることを示しているように思えるから。
2
ヨウジがトイレから帰ってくるのを待って、私たちは改めて最下層を目指して出発し
た。しばらく進むと通常見学できるコースの終わりに着いた。「これより先許可なく立
ち入りを禁ず」という看板がある。
「さあ、これから先はみんな入ったことがないところよ。それに、再現をされてないと
ころが多いから発見された当時のまんまだったりして興味深いわよ」
キリコさんはそう言って看板の先に進む。私たちもあとに続く。
進んでいくとキリコさんの言うとおり再現されていないところや、古いままで壊れて
いる床や壁が目に付くようになってきた。ここまで来ると、退屈そうにしてたユウとヨ
ウジも興味深く周りを見ている。私の隣を歩いているユウが話しかけてくる。
「どんぐらい昔の遺跡かわからないけどさ、人ってあんまり進歩してないんだな。昔の
技術と今の技術がさほど変わらないなんてな」
「大洪水のせいで1度文明はリセットされてるからね。もしそれがなければ今頃宇宙に
も行くことが当たり前になってたかもね」
「まさか」
「本当よ。旅人が宇宙へ行ってたらしい記述もあるし。可能性はあるわ」
「何だか馬鹿みたいな話だな」
「馬鹿みたいな話の中に私たちは生きているのよ」
「大洪水前の遺跡ってここ以外に発見されてるの?」
「わからないのよ。たぶん見つかってたんじゃないかってくらいかな」
「どうして?」
「箱舟に暮らすようになって2000年経つからね。その前の文化がうまく伝わってな
いことが多いでしょ?遺跡の調査物もそれと同じでどっかになくなったのかもね」
「どうせCGの陰謀とか言うんだろ」
「だってそれ以外に考えられないじゃない」
ユウは私を馬鹿にするように苦笑。
私たちの目の前に下りの階段が見える。キリコさんが立ち止まりこちらを向く。
「さて、ここから先は私も入ったことがない場所。存分に楽しみましょう」
そう言ってキリコさんはにやっと笑い、階段を下りていく。
3
それから1時間くらい、最下層と思われる場所を、念入りに探索。何もないところ。
階段を降りると目の前に一本伸びる廊下。両側には部屋が1つずつ。右側の部屋は長方
形の部屋。左側の部屋は長方形の大きな部屋がさらに等間隔に3つに分けられている。
部屋にはなにもない。廊下も両側の部屋と同じ長さまで伸びて、行き止まり。再現され
てはいないけど、それほど壊れていないので当時の趣がわかるというものだけれど、味
気がない。期待外れ。
「何もないっすね」
ヨウジが言うとキリコさんは首を振る。
「どこかに船着場へのルートが隠されてるはず」
私たち4人――キリコさんを除く――階段の前に座りこんでる。本当のところ少し疲
れてる。最初はしゃいでた私とハツもさすがに体力の限界。ユウやヨウジもへたばって
る。
「でもどこにもないじゃないっすか。船着場なんてないんじゃ……」
ヨウジがそこまで言いかけて、止まった。キリコさんが廊下の行き止まりを目指して
歩いている。
「キリコさん、そっちも見ましたよ」
私たちは仕方なく立ち上がり、キリコさんへ着いていく。
キリコさんは行き止まりの壁をまじまじと見つめてる。わたしたちはそれを見守って
る。
「うん、古く見せかけてるけど、新しいものだわ。CGの連中隠してたのね」
キリコさんは何かぶつぶつと呟いてる。そして、うん、と肯いて壁から距離をとる。
そのまま壁に向かって突進し、飛び上がり両足で壁を蹴る。呆然とする私たち。キリコ
さんのドロップキックを受けた壁はきしみ、揺れ、そしてばたんと倒れた。
「あ~あ、体ごと滑っちゃった。不可抗力よね」
こちらを向いたキリコさんの笑顔があまりにも可愛かったので、私たちはつられて笑
ってしまった。
「さ、行きましょう」
乱れた衣服を正して、キリコさんは壁の先に進む。わたしは胸がどきどきしている。
新しい何かに期待してるんだ。
4
しばらく進むと広間に出た。さっきまでと違って、明るい。広間の先に光が見える。
「ここが船着場なのね」
キリコさんは腕を組んで仁王立ちし、広間を眺める。よくみると小型のボートが何艇
か広間に転がっている。ボートには詳しくないが、とても古いもののように見える。当
時のものかもしれないと思うと、胸が躍る。
「誰だ!」
私たちはその声に驚き、その場で止まる。広間の先の光に黒い人影。人影はこちらに
近づいている。
「誰の許可を得てここへ入っている」
現れたのは、まぁ予想通りのCG。濃紺の上下、胸元にCGを表すバッジ。白い長方
形の中に赤い丸。意味はよくわからない。何かを象徴しているのかもしれない。
CGの兵士は銃を向けている。私たちは仕方なく両手を上げる。
「下層の探索許可をもらったものです」
「ここの許可が下りたなんて聞いてないぞ」
「どうやら迷い込んだみたいです」
柔らかい調子でキリコさんが言う。白々しいといえば白々しい。壁を蹴り倒して入っ
てるんだから、迷い込んだ、もない。
「とにかく、ついて来い」
兵士が無線みたいなものに何やら話しかけると、広間の先の光から3人の兵士が現れ
た。
「話を聞かせてもらう」
そのまま、私たちは兵士にがっちりガードされ、上層に戻り、CGの取調室に連れて
行かれた。
せっかく、船着場を見つけたのに!と、ちょっとムカついたけど、兵士の持ってた銃
がやけに生々しかったから、余計なことは言わずに黙ってた。
5
「お世話かけました」
そう言って頭を下げるキリコさん。
私たちはCGから取調べを受けた。一番は信者かどうかってことが気になってたみた
いだけど、学生証なんかを見せたらわかってもらえたみたいだった。次に脱走する気が
あったかどうかを尋ねられたが、そんなことは微塵も考えていなかったので無罪放免。
ただし、ヨウジとユウには前科があったことはすぐにばれて、怪しまれたけど、キリコ
さんがうまく説明してくれた。勉強熱心なんです、といった感じで。私とハツはそれを
聞いて笑いそうになったけど。
帰りのバスの中でキリコさんは興奮しっぱなしだった。
「ねえ、あれ、きっと船着場よね。ボートもあったし。それにあの光は外の光よ!間違
いないわ。やっぱりCGは船着場を隠してたのよ!ちくしょー、あの連中楽しみを独り
占めしてるんだわ。もうちょっとよく調べられたら何か発見があったかも」
「まぁまぁ、生きて帰れただけでも、よしとしましょうよ」
ヨウジが疲れた顔でつり革にぶら下がってる。異常に疲弊してるように見える。顔色
がよくない。CGに捕まって縮こまってるのかしら。
「信者と間違われて撃たれててもしょうがないとこでしたね」
ユウが欠伸をしながら言う。
「それに俺とヨウジは前科持ちだし」
「今度はもっとうまくやればいいのよ」
キリコさんは握りこぶしを作って、手の平を叩く。目は大きく開かれてる。
「今度はもっとよく調べるんだ」
私はずっと前からキリコさんに聞いてみたいと思ってることがある。どうしてそこま
で『神話篇』のこだわるんですか、ってこと。学者興味にしては、度が過ぎるように思
えるし、そこまで研究したければ大学に残った方が得なのに。大学の神話学研究チーム
は年に何度か外界調査で外にでることも許されてるのに。それなのになぜ……
結局、いつも聞けないでいる。そんなことを聞くのは失礼だって思うから。
バスを降りて、解散。キリコさんは楽しそうに、それでいて怒っている顔で、さっさ
と帰っていってしまった。残された私たちも顔を見合わせて、肯きあって、解散した。
帰り道、陽はすっかり落ちていて、星空が見えた。旅人がもし、本当にあそこに行っ
ていたのだとしたら、あんなに遠くで、何を想っただろうか。寂しい?楽しい?それと
も……
続く
5 キリコ―1
1
波の音が聞こえる。それは幻聴や、防波堤にぶち当たる人工湖の波じゃない。自然で
雄大で、浜辺を――まだ見たことがないけれど――優しく撫でるような、柔らかな音。
30過ぎた――情けなくなる。自分の人生が後10年切ってるなんて――おばさんが夢
見がちなこと言ったってサマになりゃしないけれどね。耳の裏をくすぐる音。
あたしは、産まれてすぐの記憶がある稀有な人間だろう。父と母とおぼしき人――記
憶の中では影になっている――の優しい眼差しと声。どこからか聞こえてくる、波の音。
波の音は父と母の音楽。
あたしが神話学にのめり込んだのは、この社会がとてもいびつに作られているからだ。
産まれてすぐに両親から離されて、1人生きることを強制される。そもそもそれが正常
な人間だと決め付けたのは誰だろう?いつからあたしたちはそうやって生きるようにな
ったんだろう?『神話篇』に欠落部分が多いのはなぜなんだろう?どうして『神話篇』
の確信に迫るような部分だけ現存しないのだろう?この箱舟という町はどうして作られ
たのだろう?どうして中央は箱舟を再現することに固執するのだろう……
疑問はいくらでもある。その疑問がすべて『神話篇』の欠落部分に収束する。
あたしたちはどうして、こうなってしまったのか!
2
「波の音、聞こえた?」
CGにこってりしぼられた翌週の月曜。放課後の旧校舎。部室にはあたしと、ユキし
かいない。他の連中は――ヨウジとユウはさぼりだろう――用事があるみたいだ。
「聞こえませんでしたけど」
本から顔を上げるユキ。16歳の少女の白い肌とつやのある黒い髪を見ていると、自
分がますます老け込んでいるように思えてくる。ふと、自分の手を見る。皺が目立つ。
爪は手入れをしていないから不恰好。いつからだろう、自分を飾らなくなったのは?口
にくわえてるタバコを上下に揺らし、考えてみる……タバコに火をつけなくなった頃か
な?
「箱舟ってさ、海の上にあるのよ。今は人工的な殻に覆われてるから外がどうなってる
かわからないけれど、箱舟は地中海と呼ばれていたところに作られたの。だから箱舟に
乗るために船着場があるのね。でも、船着場へいっても、波の音はしなかった。これっ
ておかしいわねよね。それが今になって、すごく気になってるの」
ユキは本を閉じる。
「『神話篇』には箱舟が造られた場所の具体的な記述はないですよね」
「そうね。1度目の世界ではヒトが最初に住んだ町に造ったということになってるけど
ね。2度目は記述がない。地中海に造られたというのは、別伝の中にあるわね。たしか
……」
あたしは本棚から『博物誌』を取り出し、該当のページを開く。
――地中海と呼ばれる親海から切り取られた子海の中に造られた。人々は舟でそこへ集
められた。
「『博物誌』の信憑性はいまだ議論のつきないところだけど、的外れではないものが多
いから正伝に加えるべきだという声が多いのは事実。もちろんむちゃくちゃなとこも多
いけどね」
本を閉じて本棚に戻す。
「私は好きだなぁ、『博物誌』」
ユキが拗ねた声を出す。
「正伝より面白いって思うところも多いし」
「そうね。あたしも好きよ。それで、『博物誌』の記述を信頼するとなると、海の上に
箱舟は建造された。それなのに、海の音がしなかった。これはどういうことかしら?」
「う~ん、海の上にないってことですかね」
「そうね。もしくは、何らかの理由で箱舟が移動したか。まぁ一番可能性があるのは、
地殻変動かなんかで、地中海のあった場所が海じゃなくなったってのだけどね。でも、
問題は、中央が海の上に建造されていることを公認してることよね」
「あっ」
ユキは思い出したように声を出す。
「そうですね。忘れてました。中央が海の上にあるって言ってるんですよね」
「そうなの。そこがおかしいのよ。別にそんな嘘つく必要はないわよね」
「中央は何かを隠している……」
「そんなところじゃないかしら?」
ユキは、うーむ、と唸って眉根に皺を寄せている。
でも、とあたしは思う。あたしは波の音を聞いている、と。
3
神話学の授業から外されて、あたしはつまんない歴史の授業をさせられてる。
――あなたの授業は偏りすぎている。生徒たちに正しい知識が身に付かない。
あのアホ教頭め!情報統制、教育検閲の中央から送られてきた官僚の言いそうなこと。
教育とは何なのか、知識とは何なのか、そんなことをあのミジンコ脳みそは考えたこと
もないんだろう。
あ、あの生徒欠伸してる。あっちじゃ無駄話。寝てる馬鹿もいる。あ~あ退屈!あん
たらも退屈だろうけれど、こっちも退屈なのよ!
おまけにあたしの代わりがあのやる気の欠片もないような影の薄い教師だなんて!信
じられない!なんて間抜け!いい面の皮!自分がもっともっと間抜けに思えてきて、泣
けてくる。
腹いせに教頭の新車を鉄パイプでぼこぼこにしたのがばれたのかわからないけれど、
神話学には絶対戻さないって面と向かって言われた。今度はあいつの部屋に火をつけて
やろうかしら。
4
時間がない、とあたしは思う。もう10年もない。ううん、本当はもっと短いのかも
しれない。あたしたちの寿命を40年にしたのは誰?神話どおりでいくなら〈大きな音
の神〉のせいなのかしら?生物学的にはテロメアがそれだけの細胞分裂にしか耐えられ
ないってことになってるけれど。そもそも40年しか生きられないっておかしい。神話
には老人という人が年老いた状態を指す言葉が出てくる。これは過去に人が老人と呼ば
れるほど長く生きることができたからじゃないかしら?それなのに今は40年!なんだ
か、馬鹿みたいだ。
部員たちが次の活動を楽しみにしている。ユウやヨウジは早く外界へ降りたいって急
かす。ただ、前回のやんちゃに対するCGからのお咎めは、下層への立ち入り禁止の上、
当然それまでに申請していた外界調査の却下。しかも今後も許可はでないときつく言わ
れた。あたしには時間がないのに、それを邪魔するCGや中央。どいつもこいつもクソ
食らえだ!
こうなれば非合法もやむなしって思ったりする自分が怖い。でも、それはやらなけれ
ばならない時は、いつか来るって思う。あたしたちがこれからしようとしていることは
きっとこの世界の根幹を変えてしまうようなことなんだろう。それでも世界を救おうと、
あたしが住む世界がこのまま衰退していくのは嫌だ、という気持ちは変わらない。タバ
コに火をつけるのを止めたひから、ずっと。
5
もう、秋と冬の中間くらい。人工的に作り出された四季にでも、雅を感じるのは、遺
伝子が本当の四季を覚えているからだろうか?
活動もまともにできなくなった神話学部は、たま~に、あたしによる神話学の講義を
聞くくらいしかできない。おかげでユウやヨウジの知識が赤ん坊から中学生くらいまで
にはなったけれど。
ユキやハツは不満みたい。ユキなんかは過激だから、信者に紛れて外の世界を出る方
法を探りましょう、と提案する。信者たちが外へ出る手段を持っているという噂は前か
ら知っていた。信者たちは外の世界にこそ唯一神の定める正しき場所があると信じてい
るからだ。信者たちが脱出未遂で検挙されればされるほど、その噂が信憑性を持つよう
になっていった。
――あいつらはどうやって出て行こうとして捕まったんだ?それじゃあすでに脱出して
いる奴らもいるんじゃないか?
外界には脱出したものたちのコミュニティがあると言う。理想郷みたいに語られてい
るけれど、どうせ信者たちのプロパガンダだろう。草の根勧誘作戦とはよく言ったもの。
でも、このままで良いわけない、と思う今日この頃。あたしの「運命」は刻一刻と短
くなっていく。
何か策が必要だろう、とは思っている。ただし、とっかかりが見つからない。あたし
たちはまず何から始めたらよいのだろう?
そんな頃、あたしは1つの噂――あ~あ嫌になるな――を耳にする。新生教が、公表
されていない外伝を手に入れた、と。
続く
6 ユウ―3
1
新生教が公表されていない外伝を手に入れたという噂をキリコさんに教えたのは俺だ。
ネットを巡回してたとき、とある掲示板で仕入れた。たまたま新生教関連のスレッドが
あったので覗いたら、そんなことが書かれていた。真偽は定かじゃない。そもそも、そ
の掲示板を信じる奴は馬鹿だって言われてるくらいなんだ。それに信者連中の自作自演
って線が濃厚。奴らも信徒集めにやっきになってる。いつものブラフって笑い飛ばすの
は簡単。俺だっていつもなら一笑に付して、スレッドを閉じて終わりってところなんだ
けど、とんでもない――信者たちにとっちゃ最高の――タイミングで緊急ニュース。中
央議事塔に侵入者があって幾つかの公的文書が盗まれたって内容。スレッドで、外伝は
中央議事塔から盗んだって書き込みが――外伝の情報を流した奴の書き込み――あった
もんだから、スレは騒然。ログががんがん流れていって、何度もスレは立て直された。
緊急ニュースの直後書き込みの主がレスを止めたもんだから、俄然沸き立つ。俺もつい
ついつられて、朝までそのスレに張り付いてて、その日は徹夜で学校に行くことになっ
た。しかも、その日の朝、外はCGがいっぱいでそこらで検問かけてるもんだから、こ
いつはいよいよやばい感じだな、って俺は思った。
たまたま校門で出会ったキリコさんにスレの件を伝えると、目を剥いて俺の襟首をつ
かんだ。
「さっさとURLをよこしなさい」
URLなんて覚えちゃいないから、スレの名前だけ伝えた。キリコさんは職員室へ飛
んでった。
と、まあこんなとっかかり。そんで、俺たちは厄介ごとに首を突っ込むことになる。
2
新生教ってのはもともとアングラから生まれたものだ。いつからか存在を囁かれるよ
うになってて、いつの間にかCGと揉めてた。公には認められてない宗教だし、教会み
たいなもんもないから、いまいちどこで何をやってるのかわからない連中だけど、たま
~に駅で勧誘活動やら何やらをやってるところ見かける。中央は予想値として、1万人
程度の信者がいるって発表してる。町の人工が約100万だから、かなりの数ってこと
になる。
新生教は箱舟原理主義をかかげてる。たまにポストに冊子が入ってるので目を通すと
そんなことが書かれていた。なんでもこの箱舟の町は偽者であって、本物ははじまりの
場所にあると主張してる。そこへ帰ることこそが〈大きな音の神〉の望みだと言ってる。
連中は情報戦に強いってイメージ。ネットでの工作も熱心みたいだし、噂ってシステ
ムをうまく使って、新生教の魅力的な部分を強化してる感じ。外界志向の強い阿呆な若
者たちがよくひっかかるみたいだ。そんな若者たちはコミュニティに惹かれてる。外界
にあるという、そこに住むものたちが築いた町。自給自足で原始的な生活を営んでるっ
て話。原始共産主義の理想形ってネットでは言われてる。俺なんかは共産主義なんて妖
怪みたいなもんだって思ってるから、クソ食らえって思うけど、そういうオママゴトを
好きな奴もいるんだろう。
新生教は着実に信徒を増やしてるって話。その分CGに睨まれてるからよく騒動が起
きて人が死ぬ。
3
部室に着くと、キリコさんがいて――授業が終わって速攻だったから一番乗りだと思
ってたのに――ノートパソコンの画面に顔面近づけてた。俺が入ってきたのにも気がつ
かないみたいで、マウスを激しく動かしたり、キーボードをかちゃかちゃいわせたりし
てる。俺は黙って椅子を窓際に持っていって、座る。このまま誰か来るまで待とうって
思う。
ヨウジがキリコさんを好きだって言ったのはあながち冗談じゃなくて、結構マジっぽ
い。あのヨウジがねぇ、とは思うが、まあ好みをとやかく言っても仕方ない。あいつな
んだかんだ理由をつけてても、本当はキリコさん狙いで部活に入ったんじゃねえかな?
だとしたら、俺は間抜けってことになるが、外界に出られそうな雰囲気もあるし、それ
に退屈だけは避けられそうだって思う。ユキやハツだって電波なとこを除けばなかなか
の美人だし、仲良くなっといて損はない。
ユキとハツが仲良くやってきて、キリコさんの姿を見て、唖然とする。キリコさんは
2人にも気づかずにパソコンに夢中。まさか朝からこの調子ってわけじゃないだろうっ
て思いたいけど、キリコさんならやりかねないから、否定もできない。たぶん、朝から
ネットに張り付いてんだろう。
ヨウジもすぐ後にやってきて同じ反応。なんかここまでくると、笑える。ただし、俺
含め3人とは違うのがヨウジ。
「キリコさん、目を悪くするよ」
マウスを動かす手が止まり、キリコさんが画面から顔を離す。
「なんだ、みんないたの?」
ここは盛大にずっこけるべきなんだろうかって迷ってしまう言葉。
「ユキ、ハツ、新生教が公表されてない外伝を入手したみたいよ」
ユキとハツが顔を見合わせる。
「それ、ネットの嘘だってニュースやってましたけど」
おずおずと返事をするユキ。それを聞いたキリコさんは勢いよく立ち上がる。
「それが中央のやり口なのよ!今朝のCGの検問見たでしょ?これは尋常じゃないわ。
やはり、盗まれた公文書ってのは外伝なのよ」
「でも、外伝ですよね。眉唾も多いし、トンデモな内容だったから公表しなかったって
こともじゅうぶんにあり得ますよ」
ハツの言葉にキリコさんは机を叩いた。
「いや、これは中央が焦ってる証拠よ。発表されるとまずいのよ。たった今CGが新生
教のたまり場と思われる場所に捜索に入ったわ。これはただごとじゃない!」
キリコさんを除くみんなが、ちょっと引いてた。キリコさんの勢いに。
4
それからが大変、キリコさんは今すぐに新生教に入信して、外伝の内容を調べるなん
て言い出すし、ユキやハツはその案に乗り気で、この時間なら駅に信者いるんじゃない
かな、なんていらん知恵をだす始末。興奮しすぎてどうにかなるんじゃないかなって思
えるほどの狂騒。キリコさんは部室を歩き回り、思い出したように壁を蹴る。
「CGが出張ってんだから、連中もしばらくは身を隠すんじゃないですかね」
俺がそう言うと、キリコさんは止まり、それもそうね、と呟やいた。
「ねえ、ユウ。新生教の連中が隠れてそうな場所の情報ってネットにない?」
そう言ってキリコさんは俺を見る。
「それがわかりゃ苦労しないでしょ。俺が知ってることなんてCGはとっくに掴んでる
し、新生教も馬鹿じゃないから肝心な情報はしぼってると思うんですけど」
「う~ん、あなた冷静ね。こんな時なのに。若さがないわ!若さが!こんな時はとにか
く突っ走って、玉砕するくらいが10代にはちょうどいいのよ」
玉砕しちゃ駄目でしょう、とは言えずに苦笑いの俺。
良い案は浮かばずに解散。俺はキリコさん直々に勅命を受けた。ネットに張り付いて
連中の隠れてそうな場所、たむろしてそうな場所を調べろとのこと。
今夜も徹夜かな。
5
部屋に戻ると、言いつけどおりネットに張り付く俺。あのスレはすでに230も消化
してて、さらに勢いは増してる。有象無象が書き込むからスレは混沌としてる。ネタか
マジか。もはやコントと化したスレは、俺の目の前で231番目のスレを消化し終わっ
た。
スレから、ノイズを除去して、得た情報として、
1 捜索のあった場所では外伝は発見されなかった。
2 外伝は幹部が持っている。
3 近々大規模な集会が行われる。
4 終わりが近い。
どこまで本当かわからないけど、1,2,3は一応、まとも。4に関しては……オカ
ルトか?
終わるなら終わってくれって思う。もう終わってんだ、こんな町。俺が生まれる前か
らずっと終わってた!洪水でもなんでもくればいい。
明け方5時過ぎ。うとうとしてて、流れるログが柵を飛び越える羊に見えてきてた。
スレはすでに400を数えるほどの伸び。CGに家宅捜索されたって書き込みもちらほ
ら。
マウスを持つ手が怪しくて、ふらふらと画面の中を舞う。そして、ある特定のIDに
触れた時、俺の眠気は一気に吹っ飛んだ。そいつの書き込みだけが画面に並べられる。
専用ブラウザだけの機能。一見すれば何気ない書き込み。荒らしとも思えるような内容。
ただ、それはレスを単独で見た時だけ。レスをまとめて並べると、意味が浮かび上がる。
縦読みってやつ。古き良き伝統。大昔からの遊戯ですらある。
”2 四 ぶ ろ く せ ん 当 び ル に 皆 胃 ル”
『西ブロック尖塔ビルにみんないる』
偶然かはたまた寝ぼけた頭が引き当てた当たりクジか……
気がつけば朝。人工太陽お目覚めの時間。厄介ごとの始まりの朝……
続く
7 ヨウジ―2
1
ユウの情報はキリコさんを喜ばせた。あんまりキリコさんが喜ぶもんだから、ちょっ
とユウに嫉妬。シャーペンの先をチロッと舐めて冷静さを取り戻すんだけど、どうもこ
もう、なんか口出ししたくて、偶然だろう、とか、ひっかけられてんじゃねえの?って
言ってみるけど、もうキリコさんは、ユウの情報をハナから信じてて、どうにも止めら
れない。
西ブロックの尖塔ビルってのはファッションビルだ。5階建てのビルは大昔のどっか
の宗教の尖塔をイメージして作られてる。5階すべてに洋服のショップが入ってて、そ
の上、5階には飲み屋もついてる。俺はよく出かけるから尖塔ビルには詳しい。と、い
うか、俺はそこへヤクを買いに行ってる。噂でヤクは新生教の資金源って聞いたことあ
るけど、本当なのかもしれない。
西ブロックは東西南北のブロックで一番人が多いとこ。理由は簡単。西ブロック全体
が商店街になってるからだ。ブロックごとに特色がある。西は商店の集まり、北は工場
地帯、東は教育、芸術、南は住宅街、そんで中央に重要な施設。とうぜん人は西に集ま
る。西ブロックにはアミューズメントパークなんかも多いから。
「放課後、さっそく尖塔ビルに行ってみましょう」
キリコさんは張り切ってる。ネットのいいかげんなネタですよ、って俺が言う。
「動かないよりマシ。人の多いところに行ったほうが何か情報がつかめるかも。それに
CGの動向も気になる。強制捜索がまだ一件でしょ。奴らにしちゃ数が少ないわ」
まぁ、それもそうだけどさ。と俺は独りごちる。
ユウの情報ではしゃいでるのを見るのは、ちょっとつらい。
2
「さて」
キリコさんは尖塔ビル2階のアイスクリームショップの前で腕を組んで仁王立ち。ア
イスでも食うのかって思ってたら、周りを見渡してる。
人、人、人。これでもまだ少ないくらい。CGの検問や新生教に関するデマのせいで
危ないことが起きるかもてびびってる奴も多いんだろう。
「どこが怪しいかしら?」
5階バーだよ、って言いかけて口をつぐむ。なんでそんなとこだと思うんだって突っ
込まれたらボロが出そう。いや~ヤクを買いによくくるんですよ、なんて言った日には
矯正施設へゴートゥーヘヴン。天使みたいな顔で、勤めを終えて出てくるところが容易
に想像できる。
結局1階からしらみつぶしってことになった。
片っ端に服屋をまわる俺たちの姿は異様。男2人がいるってのに、ランジェリーショ
ップにもがんがん入ってくから俺やユウは目のやり場に困ったり、店員の視線が気にな
ったりする。
キリコさんの形相にびびる連中も多い。キリコさんお後ろ歩いてたら、前から来る連
中がみんな怪訝な顔で避けるから、歩きやすい……てか、キリコさんどんな顔で歩いて
んだろう……
そんで、なんか気まずいけど、5階に到着。5階は他の階に比べたら店の数が少ない
からそれほど混んでない。バー『アルビノ』は一番奥まったとこにある。さて、信者は
いるんだろうか?
3
ヤクが切れる間隔が短くなってる。常用してると耐性がつくってやつ。実際体験する
と自分がどんどんレベルアップしてるように感じられるから面白い。もっと、もっと!
俺にヤクを!
あ~あ、ヤクやりたくて我慢できないってのに、シャーペンは取り上げられるし、な
んか囲まれてるしで、まぁ、ピンチですな。
店は休みだって店員が言ってんのに、キリコさんがむりやりドアを蹴破って入ったも
んだから、中にいた新生教って思われる奴らにとっ捕まった。CGだとは思われて――
微塵も。こんな乱暴なことする阿呆がCGだとは思わないだろう――はないけど、得体
のしれない連中ってことで荷物全部取り上げられて、店の一番奥、便所の前の席に座ら
されて周りを囲まれてる。
店の中には20人程度。若い男女もいればおっさん連中もいる。みんな落ち着かない
様子であっちゃこっちゃでわいわいがやがや。CGの動きにびびってんのか、それとも
これから何かしでかそうかって思ってんのか……
俺の横にはユウ。ユウは不機嫌な顔で座ってる。
「なぁ、ユウ」
「なんだよ」
「これからどうなると思う?」
「CGが来るな」
「なんで?」
「お前、西ブロックにきておかしいと思わなかったか?」
「何が?」
「西ブロックでCG見たか?」
「そういや、見てねえな」
「学校周りや、駅、電車の中にまでいたってのに、西ブロックにはゼロ。おかしいだろ。
普通、一番人の多いところを警戒するだろ。それなのに、ゼロ。こいつはおかしい。絶
対なんかたくらんでるよ、あいつら」
「へ~、お前、そんなに賢かったっけ。頭良さそうに見えるぞ」
「うるせー」
俺とユウの目の前に立ってた男がこっちを睨む。無駄話すんな、って顔。
「まぁ、CGがきたら俺たち完全にアウトだな」
「なんで?俺たち信者じゃないよ」
「馬鹿、この場にいてそんなこと言えるかよ。それに俺たちはこのあいだこってりしぼ
られたばかりだ。アウトだよ。下手すりゃ殺される」
なるほどね、って俺は思う。ヤクが切れそうな俺よりやばい状況ってことね、と。
4
キリコさんは暴れるからってロープで椅子に縛り付けられてる。なんかエロい。でも
キリコさんは猛り狂って暴言を吐きまくってる。クソ野郎とか、FUCK!とか、便所
虫ども、とか。そんなところも魅力的。縛られてるのに、強気、とかってなんか、いい
よね。そんなことを考えてたら、もっともっとヤクをやりたくなってきて……ヤクをや
って少しあとに浮遊感があるんだけど、その状況でオナニーすると、どっか別の世界に
いっちゃうんじゃないかって思うほど、気持ちいい。だから、俺は、ヤクをやった状態
でキリコさんとセックスがしたいし、少なくとも、今、縛られたキリコさんを見ながら
オナニーをしたい……下衆野郎とは俺のこと。最低だなって自嘲しても、もう戻れない。
俺はイエス・ジーンを止められない。
どっかで爆発音。店の中が静まりかえる。そしてすぐ後に騒ぎ出す信者ども。ユウの
予想通りってとこかな?
「さて、みんな聞いて。あたしたちは今、ピンチです。おわかり?」
キリコさんがそう言うとみんな肯く。ユウの話を聞いてたからだ。
「ユウの言うとおり。下手したら、死ぬ。どうすると思う?」
尋ね方がおかしい。普通、どうしようか?だ。どうすると思う、って誰がどうするん
だ?
「ユウ。あなたならどうする?」
「そうっすね」
ユウはちょっと考え込んで、口を開いた。
「逃げる、かな」
「良い案ね。でもどうやって?」
「CGと新生教って今までずっとやりあってきてんのに、決着ってついてないっすよね。
それって、新生教の実態がつかめないってことと、信者が増えていってることが理由だ
と思うんすよ。狐と狸が化かしあいをしてんですよ。それが終わらない。
俺が思うに。CGって実はもっと強制捜査とかしてると思うんすよ。だけど、成果が
上がらない。だから公表しない。公表したら連中に言いようにやられてるってのがばれ
るから。でも、CGは強力な情報網を持ってる。それなのに成果があがらない。ってこ
とは、信者たちはいつも逃げてるってことでしょう?このバーが信者の溜まり場だった
としたら、脱走ルートがあると思うんすけど、みんな逃げる準備をしてない。それにこ
こは5階。逃げるのが難しいって事ですかね。だから、信者連中と協力してなんとか逃
げ出すってとこですかね」
「お~お~、ユウ、満点に近い答えね。ただ、満点はこれからわたしがすることよ」
そう言ってキリコさんは大声を上げる。
「誰か、この中で一番偉い人、こっち来なさいよ」
5
騒ぎの中、キリコさんの声に、反応して1人の男が寄ってくる。手には小銃を持って
る。どっかに武器を隠してたんだろう。
「あんたが偉い人?」
「一応ここの責任者だ」
男はキリコさんに銃口を向けてる。威圧的な態度が気に入らない。キリコさんにそん
なものを向けるんじゃねえ。
「あたしがあんたらを逃がしてあげるから、このロープをほどきなさい」
キリコさんの言葉に笑い出す男。
「あんた頭どうかしてんじゃねえか?そんなこと言える立場かよ?」
「あんたら逃げないの?そんな武器でCGと戦うつもり?全滅するわよ。それよりは逃
げた方がいいんじゃない?」
「言われなくてもそうするさ」
「でも、他の場所みたいにはいかない。そうでしょ?さっきの爆発音は下の階で信者と
CGがやりあってる証拠。それなのに、逃げない。ぐずぐずしてる。ってことは、あん
たらもじゅうぶん追い詰められてるんでしょ?」
「へっ。あんたみたいに頭のイカレテル女に言われたかないね」
男は鼻で笑ってキリコさんから離れようとする。
「外伝!」
キリコさんの大声が響くと、再び、店内は静まり返る。
「ここにあるんでしょ?」
男は振り返り、キリコさんの額に銃を押し付ける。
「余計なことは喋るな」
「あ~ら、図星?」
男は強く銃口を押し付ける。キリコさんはひるむどころか、体を前に倒し銃を押し返
してる。
「お前ら何モンだよ」
「神話学部よ!」
その啖呵にはさすがに、俺もユウも笑った。大した人だ、ってね。そんで、俺は、勃
起したってわけ。
続く
8 ユウ―4
1
キリコさんの啖呵にびびったのか――呆れたのか――男は後ずさりをする。その機を
見逃さず、キリコさんはたたみかける。
「あんたらの目的は外伝を無事どこかへ運ぶこと。違う?そのためにはあんた1人でも
ここから逃げなきゃならない。そうでしょう?ただ、今は絶体絶命。CGの襲撃が思っ
たより早かったってとこかしら?それとも外伝の運び先がまだ決まってないとか?どっ
ちでもいいわ。とにかくあたしは死にたくない。それにあんたらを見捨てるのも寝覚め
が悪い。だから、あたしがあんたらをまとめて助けてやるって言ってんのよ。はったり
じゃないわよ?あたしはあんたら全員、確実に助けてやる方法を知ってる。時間はどん
どん過ぎてくわよ。下であんたらの為に体張ってる仲間の犠牲を無駄にしたくないなら、
あたしに従いなさい。あんたら全員。早くこの縄をほどいて、あたしの指示に従いなさ
い!」
店内の全員がキリコさんに注目してる。大したもんだ、と俺は思う。こういった危機
的な状況を収めるのに必要なものは、自信と迫力、そして希望、だ。自信と迫力は周囲
からの信頼を得るし、希望は餌になる。追い詰められた人間を従順にさせるには最も有
効。キリコさんはそのすべてを連中にぶつけてる。根拠があるかどうかは知らないけど。
「ほら、そこの!ぼけっと突っ立ってるあんた。この縄をほどきなさい。死にたくない
でしょ」
銃を突きつけてる男の後ろに立ってたおっさんはびくっと体を揺らし、周囲をきょろ
きょろ眺めて、泣きそうな顔でキリコさんを見てる。
「あんたに言ってんのよ。あんたを助けることができる人間の縄をほどくの!簡単でし
ょ」
おっさんは口をもごもごと動かしてる。目は地面を向いてて、萎縮してる。銃を持っ
てる男が何か言いかけたが、何も言えずに、ただキリコさんを睨む。うまいやり口。見
ているだけで傍観者だった周りの人間すべての気持ちを揺らした。おっさんへの言葉は
その手段に過ぎない。これで、店内すべての人間が平等に選択を迫られた。
そして、2度目の爆発音。店内が揺れる。
「時間をかけるほど、状況はまずくなっていくの!そんなこともわからないの?あんた
リーダーなんでしょ?偉い人なんでしょ?」
男は唇を噛み、頬を震わせて、そして、銃を下ろした。
「騙したら殺す」
精一杯の虚勢ってとこだろう。完全にキリコさんのペース。おっさんがリーダーの言
葉を待たずにキリコさんの縄をほどく。良い傾向。キリコさんの思惑通り。キリコさん
は、うんうん、と肯いて、両の手首を交互に揉む。
「任せなさい。あたしの作戦に必要なのは、まず、情報。現在CGがどの位置にいるか、
手持ちの武器はどれくらいか……すぐに調べなさい。さあ、始めて!」
2
リーダーが、周りの連中に指示を与える。若い男が店を飛び出していき、俺たちが座
らされていたテーブルの上に武器が並べられる。
手榴弾が3つ。リーダーが持つ小銃を含めて、短銃が2挺、小銃が2挺。小型無線機
に、ノートパソコン、それにスタンガン。
「こんなとこだ。あとは店の料理器具とか食材くらいだ」
そう言ってリーダーは自嘲気味に笑う。キリコさんはそれらを一瞥して、リーダーに
ビルの見取り図を持ってくるように言う。リーダーはおっさんに持ってくるように指示
する。
「外伝はどこ?」
「手提げ金庫の中だ」
そう言ってリーダーがレジに行き、手提げ金庫を取り出す。鍵と数字を押すボタン式
の2つ錠がかかっている。
「鍵はここにあるが、パスワードは知らない。知ってるのは幹部だけだ」
テーブルの上に置かれた金庫をじっと見つめるキリコさん。歯軋り。目の前にお宝が
あるのに手を出せないことが悔しい様子。
「これをどこに持ってくの?幹部と落ち合う場所は?」
「外界だ」
外界!俺とヨウジが身を乗り出す。聞き捨てならない。外界!キリコさんは眉1つ動
かさず、ふん、と鼻を鳴らすだけ。
「方法は?」
「外界へ出る方法を知るのは、教団でも限られたものだけ。俺はそれを知らない。ただ
し、このサイズの手提げ金庫だけなら外界へ持ち出せる」
「どうやって?」
「生ゴミだ」
「なるほど」
何がなるほどなんだって俺たちが首を傾げてるとキリコさんがそれに気づいた。
「あんたら勉強不足ね。中央の政策で、外界の土壌を肥沃にするために、土に還る生ゴ
ミは外界に排出するの。ゴミ処理の問題も解決で一挙両得ってわけ」
なるほど、と神話学部の面々は感心する。
「ここは飲み屋。生ゴミが出るってわけ。怪しまれずに捨てるのは可能ね。家庭の生ゴ
ミと違って、業務用生ゴミは認可を受けた業者が直接排出口にぶち込むからね。CGの
監視も少ないし、中央の分別チェックもそれほど厳しいってわけじゃない。ほら問題に
なってるじゃない、ずさんな管理体制って。人間は無理でも、これくらいの金庫なら余
裕よ。ただし、鍵よね、問題は。それはどうやって運ぶの?」
「俺が直接届ける」
「それって、外に出るって事よね」
「ああ」
「方法を知らないんでしょ?」
「ああ」
「どうすんの?」
「今夜、連絡がある。それを待つ」
「連絡手段は?」
「無線だ」
そう言ってリーダーは無線機を指さす。
「傍受されるんじゃない?」
「それは心配ない」
「ずいぶんな自信ね」
「〈大きな音の神〉はわれわれを見捨てはしない」
「……ま、いいわ」
キリコさんが短銃を手に持ち、安全ロックを外した時、店のドアが開いた。偵察に行
っていた若い男が帰ってきた。
「今、奴らは3階にいます。仲間が防衛線を張ってはいますが、どれくらい持つか……
それに、ビルの周りはCGに封鎖されてます」
若い男は額に汗を浮かべてる。走ったことによる汗か、冷や汗か……
「さあ、行動開始よ」
キリコさんは短銃をインナーとベルトの間に突っ込んだ。
「あんたらは必ず脱出できる。信じなさい」
店内の空気が変わる。絶望から希望へ。俺たち神話学部の面々も互いに顔を見合わせ
て、力強く肯き合う。
そりゃそうさ。脱出するんだ。こんなとこで殺されるなんて馬鹿げてる。俺にはまだ
やることがある。外に出るまでは死んでも死にきれない。
3
キリコさんが目をつけたのは、店内に設置されている生ゴミ廃棄用ダストシュート。
高所にある飲食店では当たり前のもの。そこに直接ゴミ袋を放り込んだら、そのまま地
下の生ゴミ用コンテナに直行。ゴミの日に業者がそれを回収する。地下には駐車場や荷
物の搬入口、倉庫などがある。たしかに地下まで出ることができれば生き残る確率は上
がる。ただし問題がある。当然、地下にもCGは出張ってきているだろうってことだ。
奴らも馬鹿じゃないからダストシュートの存在くらい知ってる。当然警戒してるだろう。
死ににいくようなもんだ。
俺には良い策には思えなかった。そもそも20人以上の人間をこの状況下ですべて脱
出させるなんて不可能に近い。神話学部5人だけならまだしも……
「生ゴミのコンテナのある場所ってさ、不法投棄を防ぐためや臭いなんかを漏らさない
ために、狭い場所に作られてんのよ。その上、頑丈にね。しかもこのビルには大きな飲
食店はここだけ。けっこう狭いはず。12畳くらいあればじゅうぶん事足りるはず。と
いうことは、コンテナがある部屋にはCGは5,6人ってとこかしら。その周囲を警戒
してるCGも多くないはず。ここから地下に降りるにはダストシュートしかないって相
手はわかってるからね。だから、チャンスなのよ。だから、お料理をしましょう!」
目が点になった、とはこのこと。もともとだいぶイカレテたけど、ここまでとは……
キリコさんは厨房に入っていき、両手一杯に小麦粉を持って帰ってきた。
「これを使えば、コンテナの部屋にいる連中は料理できる」
「あ~なるほど」
思わず、俺は声を出してしまった。古い手だなって思うけど、古臭いからこそ、効果
的ってことだな。
粉塵爆発。小麦粉はそれに最適な材料。狭い部屋いっぱいに小麦粉が舞うところが容
易に想像できる。そこで火花が起きれば、爆発。たぶん、CGはうまいこと料理される。
でも、火は?
「粉塵爆発の環境をつくるのは容易い。じゃあ火種はってことになるけど、それはこの
あたしを縛ってたロープにでも油を染み込ませて火をつけて、ダストシュートに投げ込
めばいい」
うまくいきそうな気がする。ただ爆発による影響がどの程度か予想できないところが
つらい。もしダストシュートが破壊されたら……
「さあ、やるわよ。まず小麦粉の袋を開けて放り込む、そんでしばらく経ってロープを
投入。そしてダストシュートの蓋を閉める。様子を見計らって降下。ちょっと危ない滑
り台ってところよ。死にはしないわ。それで、地下に着いたものが、部屋の外に手榴弾
を1つ投げ込む。それからこの、倉庫側に逃げる。その後は……その後は倉庫に着いて
から説明するわ。時間がない、早くしましょう」
4
店内にいた連中すべてが厨房の周りにいる。ダストシュートへ店にあったすべての小
麦粉の袋を同時に放り込んだ。少しでも多くの粉を地下に届けるためだ。袋は粉を撒き
散らしながら、滑っていく。おっさんが油を染み込ませたロープに火をつけてキリコさ
んに渡す。キリコさんはそれを広い皿に載せる。
「あとはこれを滑らせるだけ……」
ダストシュートの中はまだ粉が浮いてる。このままじゃこちらが危ないので、粉が収
まるのを待つ。その時間が待ち長い。今にも店のドアが開いてCGが入ってくる気がす
る。いつの間にか俺の手は汗でぐっしょり。汗をズボンで拭く。ヨウジの様子を見よう
とその姿を探すが厨房周りにはいない。背伸びしてフロアの方を見ると、取り上げられ
てたカバンをごそごそやってる。何やってんだ?
俺はフロアへ行きヨウジに声をかける。
「どうした?」
ヨウジはびくっと体を揺らす。見るとシャーペンの先を舐めてる。理解ができないで
いるを俺を見て、ヨウジは、気まずそうに笑う。
「いや、なんとなく、な。へへ」
どういうことだよ、って聞こうとしたら、厨房からキリコさんの声がする。
「ぶち込むわよ。準備はいい?」
俺とヨウジは急いで厨房へ向かう。
5
キリコさんは皿を滑らせて、すぐに、蓋を閉じた。周りにいた俺たちは固唾を飲んで
成り行きを見守っている。
……
ドコンッ!って音がして、地下からの爆風で蓋が吹っ飛んだ。蓋は天井にぶちあたり、
厨房にいたおっさんの上に落ちた。男は頭を抱えてうずくまった。キリコさんは男の心
配などせずに、ダストシュートを覗き込む。俺とヨウジはキリコさん背中越しに除く。
ダストシュートの内部は黒く焦げている。この中を滑るのか?かなり熱そうだ。
キリコさんが合図を出す。
「さあ、行くわよ」
躊躇せずに、リーダーが手榴弾を持ってダストシュートへ入って滑っていく。それに
続く信者たち。神話学部の面々はキリコさんの指示で一番最後に滑ることになってる。
信者たちが次々にダストシュートに落ちていく様は、何やら象徴的。それが何を象徴し
ているのかって聞かれたら、答えられないけど……
信者たちが滑り終わり、俺たちの番。まず、ユキとハツ。続いてヨウジ。そして俺。
ダストシュートの入口に手をかけ、俺はキリコさんに言う。
「うまくいきますかね?」
「運が良けりゃね。下がどんなになってるか予想出来ない。まぁ爆発で、マット代わり
のゴミが吹っ飛んでなきゃいいけど」
キリコさんが楽しそうに笑ったのを見届けてから俺はダストシュートに滑り込んだ。
運は良い方だ。たぶん……たぶん、ね……
続く
9 キリコ―2
1
あたしは滑り降りた先が地獄ではないことを祈る。ダストシュートの中は焦げ臭い。
先に滑ったユウの姿は見えない。暗闇の先に、小さな灯りが見える。出口だ。
下に降りると部屋は黒焦げ。爆発のすごさをわかる。部屋の隅にCGの死体がある。
先に降りた連中が4人の死体をそこへ置いたのだろう。自分がやったこととはいえ、目
のあたりにすると、さすがに良心の呵責を感じる。
それでも、あたしはやることがあるんだ……
先に降りた連中はすでに倉庫へ移動している。ユウだけが待っていた。
「キリコさん、急ぎましょう」
「ええ」
あたしたちは倉庫へ向かう。倉庫の入口には銃を持ったリーダーと若い男が立ってい
た。CGへの警戒だ。ぐずぐずしてると、CGがやってくることはみんなわかっている。
「これからどうするんだ?」
リーダーはあたしが中に入ると、倉庫のドアを閉めた。
「手榴弾があと、2つ残ってるわよね。それを使って壁をぶち破るのよ」
「壁?」
「そうよ。忘れたの?尖塔ビルのすぐ脇に地下鉄が走ってること」
「そうか!」
リーダーはあたしの考えがわかったようだ。そうだ、あたしは地下鉄を利用して逃げ
ようとしてる。
2
20人か……すべて生き延びさせるには骨が折れる。地下鉄へ出たら二手に分かれる
予定。あたしを含めた神話学部とリーダーは地下水路へ。他の信者たちは地下鉄の駅へ
紛れ込んで逃げる。あたしたちは外伝があるため検問は避けたい。他の信者たちは顔も
割れてないみたいだから、一般人に混じれば、まず間違いなく信者だとは思われない。
手榴弾をセットする場所を探す。壁の薄いところを。その間に3度、電車が通り過ぎ
ていく音がした。
「さあ、やるわよ」
倉庫の奥。どこぞのブランドのダンボール箱が並んだ一角。女なら泣いて喜ぶブラン
ド。そういやあたしも昔買ってたっけ……あんまり昔過ぎて忘れたけど……そうそう、
ハツやユキくらいの歳だったかな?それとも大学生くらい?
みんなが離れたのを確認して手榴弾のピンを抜き、壁に投げる。あたしもすぐにそこ
から離れる。
爆発音。爆風。
壁にはばっちりと穴があいている。身を屈めればじゅうぶん通れる。
「さあ、行きましょう。あたしと神話学部、そしてリーダーは地下水路へ。他はそのま
ま駅に向かって。じゅうぶん用心するのよ。作業用通路を通れば誰にもあわずに、駅に
出られるから」
みんな肯く。そして穴から地下鉄へ出る。電車の間隔が短いので、急ぐように言う。
駅へ向かう信者たちがみんな出て行ってから、あたしたちは線路へ出た。生温い風とど
こからか聞こえるゴオオという音。
「地下水路への入口を探しましょう」
リーダーは大事そうに手提げ金庫を抱えている。もうすぐだ。もうすぐ、その中身を
読むことが出来る……あたしは自分に我慢するように言い聞かせる。
3
町の地下には地下鉄網があり、そのすぐ下に水路が張り巡らされている。そしてさら
に下に遺跡。
水は町中を循環している。中央の発表では外界から取り込んだ水を浄化して利用して
いるとのこと。それを循環システムにのせている。生活用水、人工湖やプール、川など
すべてが循環システムの上にある。水を無駄にしないようにという努力は素晴らしいん
だろうけど、なんだか、下品に思えるのはあたしだけだろうか?
地下水路に入って、あたしたちは驚く。水が青く光っているからだ。
「浄化するための薬品ですかね?」
ユウが気味悪いといった顔で水路を流れる水を見ている。誰だって気味が悪いだろう。
こんな水をあたしたちは飲まされているのか?
「水飲んで死んだってやつを聞かないから無害なんじゃないの?」
ヨウジはそう言って、水をすくった。ヨウジの手には薄く光る水。それを宙に放ると
薄暗い地下水路内に輝く飛沫が一瞬、火花みたいに散った。
「まぁ、良い気はしなけどね」
ヨウジはそう言って濡れた手をズボンで拭いた。
「キリコさん、これからどうするんですか?」
ハツが不安そうな顔で言う。
「新生教幹部からの連絡を待つしかないわね。ただ、この外伝をゴミとして外に出すの
は難しいから、鍵と一緒に渡すことになるわね。新生教からしたら鍵は無理でも外伝だ
けはって思って別々の受け渡しにしたんだろうけど。この状況じゃ無理ね」
「それまで地下水路にいるんですか?」
「う~ん。そうね。安全は安全だから良いんだけど、上の様子がまったくわかんないの
はまずいわね。夜を待ってから上に出ましょう。もう7時前よ。人工太陽が沈む頃よ。
それから上に出ましょう」
あたしたちは出口への梯子を探して歩く。みんな疲れてるのか、無言。こういう雰囲
気――沈んだ、生気のない――は苦手。つい口を開いてしまう。
「ねえ、リーダーさん。あんたの名前を教えてよ」
リーダーは小さな声で呟く。
「イエス」
「変な名前ね。〈大きな音の神〉がつくったモノと同じじゃない」
「俺はこの名前を誇りに思っている」
「どうして?」
「わからないが、とても誇らしい」
「これだから狂信者ってのは」
「何とでも言え」
梯子を見つた。あたしたちは、その下で夜を待つ。その間、あたしは水路を流れる輝
く水を眺めていた。
4
あたしたちが出たのは、飲み屋街。夜の闇にネオンサインや華美な看板が目立つ。人い
きれ、反吐の臭い、アルコールの香り、どこかの店の自動ドアが開くたびに大きな音が漏
れてくる。
あたしたちはばらばらにネットカフェに入る。大人数でネットカフェに入るのは目立ち
すぎるから。それぞれ個室を借りて、チャットで話をする。
キリコ:イエスさん、連絡がきたらすぐに教えてね。
イエス:わかってる。あんたのおかげで仲間は全員助かったからな。
キリコ:もう連絡をとったの?
イエス:掲示板のスレッドで確認した。
ユウ :また縦読み?
イエス:まさかCGだけじゃなくて、お前みたいな高校生にも見破られるなんてな。
ユウ :どうして、あそこに信者を集めたの?危険が増すだけでしょ。
イエス:その通りだ。だが、俺たちにも事情ってもんがある。外伝を盗んで以降のCGの
行動はかなりやばかった。報道はされてないが、かなりの数の信者と信者と思わ
れた人間が捕らえられるか、殺された。多くの信者は町を出ることを望んだ。あ
のバーは町を出ることを望んで幹部に認められた信者たちの集合場所だったんだ。
キリコ:出る方法知らないんでしょ?
イエス:鍵は直接幹部へ渡すことになっていた。幹部は外にいる。鍵の受け渡し方法と外
へ出る方法は同じなんだよ。
ヨウジ:出られるのは、イエスさんと俺たちだけになりそうだね。
イエス:仕方ないだろう。だがいいのか?1度外に出たら戻ってくるのは難しいぞ。
ハツ :ちょっと悩むな。そんなこと言われたら。もし外が嫌なところだったら戻ってき
たいと思うし。
キリコ:わかったわ。行きたい人だけ行きましょう。ちょうどいい具合にみんな別々のと
ころにいる。イエスさんに幹部から連絡があったら、飲み屋街の入口で落ち合い
ましょう。ただし、外に出たい人だけ。出たくない人はそのまま帰ればいい。誰
も恨まないから、好きな方を選びなさい。
チャットを終え、あたしはしばらくディスプレイを眺める。これから外に出るのだと思
うと、気持ちが昂ぶる。海が見られる。知りたいことを知ることが出来る!
あたし、椅子を倒し、目を閉じる。暗闇。しばらくして、耳の裏に微かに波の音がした。
5
あたしが集合場所へ行くと、すでにユキとユウが到着していた。2人ともあたしの姿を
見て、笑った。
「キリコさん、いよいよっすね。俺このためにこの部に入ったんですよ」
ユウは興奮してる。
「絶対に戻ってこられないってわけでもないし」
ユキは複雑そうな顔。
それからすぐにイエスが来て、ヨウジが来て、一番最後にハツが来た。ハツはまだ迷っ
てるみたい。表情は暗い。人に流される習い性は誰でも同じ。ハツの気持ちは痛いほどわ
かる。
「大丈夫よ」
そう声をかけてみたものの、根拠がないってことが自分でもわかっていて、情けなくな
る。これで教師面してたんだから、お笑いよね……
「目的地は北区。食料プラントだ。そこから外に出られるらしい」
「どうやって?」
「それは行ってのお楽しみってとこだ」
イエスは自信満々に笑う。
あたしたちは歩き始める。これからはこれまでとはまったく違う生活になっていくって
わかってるのに、いつもと同じように足を出して歩いている。住めば都って言葉がある。
でも、あたしたちはこれからまったく別の世界に行こうとしているのだ。住んだって都と
は思えないようなところへ。
人工太陽が眠りについて、空に月と星。そういえば、とあたしは思う。あれだけは本物
なのよね。透けて見えるあの月と星だけは。これからは天井を透かして見なくてもいいん
んだ。あたしは本物の夜を知ることができるんだ。
あたしは楽しくなって、思わずにやけてしまう。それを誰にも見られないように、すぐ
に真顔に戻す。そして、また、思わず緩んでしまった頬をあたしは、つねってみる。
続く
10 ユウ―5
1
あんだけのことがあったんだから、当然といえば当然だが、町にはCGが溢れてた。
何を探しているかは俺たちが一番よく知ってる。イエスが持ってる金庫。そん中の外伝。
酔客に混じって、電車に飛び乗る。さすがに電車の中にはCGもいないから、ようや
く一息ってところ。俺たちは固まらずにばらばらで行動してる。集団でいると否が応で
も目立つから。年増とガラが悪いおっさん、それに高校生が4人。どういう組み合わせ
よって突っ込まれること間違いなし。それでもばらばらでいると単体になるから目立た
ない。それに、まだ、高校生が歩いていても怪しまれる時間じゃない。
北区、食料プラント駅で降車。夜勤の連中も降りてくるからホームはごった返してる。
食料プラントは工場、と言うより、工場地帯と呼ぶに相応しい規模。幾つモノ工場が
敷地にひしめきあってる。それをまとめて食料プラントと呼んでる。社会科見学で来た
以来のご無沙汰。ガキの頃に、コンベアに載せられて機械の中に入れられる正体不明の
肉を見たのが印象深い。説明では人工動物の肉――それ以外の動物は保護条例によって
食用とするのを禁止されてる――ってことだが、噂では遺伝子を培養して「肉」的な代
物を作ってるって話。何の肉か?ではなく、それは「肉」そのものなんだろう。
イエスの後を歩いている俺たち。それぞれ距離をとって歩いてる。まだここら辺――
食料プラント前の大通り――を歩いてても怪しまれないけど、プラント内ってなると話
は別。作業員以外の立ち入りは原則禁じられてるから、俺たちなんか入れてもらえない
し、入れたとしても目立ってしょうがない。どうするつもりなんだろう?
そんなことを考えてると、イエスはコンビニに入っていった。ヨウジとキリコさんは
それについていき、雑誌コーナーで立ち読みしてる。俺やユキ、ハツはコンビニの外で
誰かを待ってるフリして、立ちんぼ。見るとイエスは店員と話をしてる。店員も信者な
のだろうか?
イエスは話を終えると便所に入ってった。こんな時に小便かよって思ったけど、すぐ
後に、店員に声をかけられるヨウジ。ヨウジはわけのわからない顔をして、そのまま便
所へ入ってった。そして今度はキリコさん。キリコさんも便所行き。どうしたもんか、
と待ちぼうけしてる俺たちのところにも店員がやってくる。
「バイト募集の子たちだね。面接をするから中に入りなさい」
若い男に連れられ店の事務所に通される俺たち。便所じゃないの?って不安は中に入
ると消えた。そこには便所に行ったはずのイエスがいた。
「さあ、行こうか」
店員の若い男はイエスに頭を下げる。
「お気をつけて」
イエスは軽く肯き、俺たちに手招きする。
「裏に入口があるんだ」
イエスは事務所の裏口から出て行く。
裏口にはマンホール。また穴倉かよ、とげんなりする俺。
「2人は先に降りてる」
そう言ってイエスは梯子に手をかけ、地下へ降りていく。
「また地下ね」
ハツがうんざりした声で言う。その気持ちはよくわかるぞ、と俺は心の中で呟く。
2
水路かなって思ってたらぜんぜん違ってた。話によると北区を工場地帯にしようって
計画が持ち上がった頃――いったいいつの話なんだか俺には見当もつかない――地下に
ベルトコンベアを敷いて物資を流通させようって話があったらしいんだが、この通路は
その名残らしい。なんらかの理由で地下を流通させるって話はご破算になってしまった
んだそうだ。
「まぁ、中央からしたら、そこまでオートメーション化したら流通業をつぶしてしまう
って考えたんだろう。連中も色々とゴマをすらゃなきゃいけないってこった」
並んで歩いてるイエスがそう言った。
俺とイエスはいつの間にか一番後ろを歩いてて、他の連中はちょっと前を歩いてる。
「さっきのコンビニは新生教の息がかかってるの?」
俺がそう聞くとイエスは肯いた。
「そうだ。わざわざフランチャイズ登録してまであの場所を欲しがったって噂だ」
「この通路があるから?」
「そうだろうな」
「唯一の出口?」
「それはわからない。俺だってこのコンビニ来るのは初めてなんだ。ここを教団が買っ
たってことは知ってたけどな。理由は知らなかった」
「ほかにも出口がある可能性がある?」
「おそらくそうだろうよ。むしろここは今回だけの特別なとこかもしれんな。このコン
ビニを買ったのはごく最近だしな。今回の件を見越してたんだろう」
「新生教ってどのくらいの人数がいるの?かなり多そうだけど」
「さあな。信者同士の交流が少ないからな」
「イエスさんはなんで教団に?」
「〈大きな音の神〉を崇めてるからさ、というのは建前でわからん、と言うのが本音。
物心ついた頃には入ってたからな。あんまり覚えてないんだ。でも、教理には賛同して
る。この町はどこかおかしい。そうだろ?」
俺は答えなかった。おかしいからなんだ、って思う。そんなの大したことじゃない、
って。問題なのは退屈ってことと狭いってことだ。
「まぁ、人それぞれ考え方はあるんだろうけどな」
そう言ってイエスは笑った。
30分も歩いただろうか。通路は行き止まり。壁には上への梯子がついてる。イエス
は梯子を登ってく。それに続く俺たち。
町がおかしい……イエスの言葉をもう1度考えてみる……町がおかしいのか人がおか
しいのか、結局わかんねえだろって、イエスに言えばよかったと、梯子を登りながら、
俺は思う。
3
梯子を登ると、俺たちは工場内のボイラー室みたいなとこに出た。イエスは辺りを警
戒する様子もなくさっさとボイラー室を出てく。
工場内は明るい。というか、馬鹿みたいに明るい。目が悪くなりそうってくらい。ガ
キの頃に見学で見たのとは違う光景。見たこともない植物がレールの上を流れてる。こ
れを何かの野菜と勘違いさせられてんのかと思うと、げんなり。レールの途中には手品
師が使うみたいな黒い箱があって、その中かから出てくると、植物は箱に入る前より成
長してるように見える。
イエスはレールの間を縫うように歩いていく。イエスの手には紙切れ。それに何か描
かれててそれに従って進んでるよう。地図かなんかか?
イエスはレールの始点を目指してるみたいだ。レールに載ってる植物のサイズがどん
どん小さくなってる。まるで時間を遡ってる気持ちになる。
レールの始点。なんだかでかい窯みたいなのがあって、その中から植物の苗が流れて
くる。窯の傍にはパネルをいじってる作業服の男がいる。イエスは男に近づき話しかけ
る。
「外伝を持ってきた」
男は作業を止めて、イエスを見る。そしてにっこりと笑うとイエスに抱きつく。
「よくきた仲間よ。さぞ困難が多かっただろう」
男は体を離し俺たちの方を見る。
「こちらは?」
「信者ではないが、協力者だ」
「なるほど」
男はうんうんと肯き笑う。
「〈大きな音の神〉はすべての人の味方です。あなたがたに良き未来を授けてくださる
でしょう」
なんていうか、そういう祝福はごめんだ。背中が痒くなるし、それに大げさなとこが
気に入らない。
「さあ、時間はそれほどあるわけではない。終わりはまだ止まっているがいつ動き出す
かわからない状況だ。それまで、やれることはやらなければならない」
イエスは肯く。
「出口はこっちだ。もっとも今日だけの特別な出口だがね」
男はにっこりと笑う。
「本来ならばもっと多くの信者とともに来るはずだったのですが」
「話は聞いています。命があっただけでも良しとしましょう。それに彼らにもチャンス
はある」
「それを聞いて安心しました。さあ行きましょう」
俺たちは完全に置いてけぼりをくらってる。電波な会話はそれぐらいにして、さっさ
と出て行こうぜ、と叫んでやりたいくらい。
4
連れてかれたのはでかい窯の裏側。そっから窯に入れるらしい。男に促されて中に詰
め込まれる俺たち。中は赤い光。生温い。窯の底には土が敷かれてる。変な臭いがする。
臭いは足元からきてる。どうやら土が腐ってるようだ。
「腐った土の交換の時期なんだそうだ」
イエスは独り言のように呟く。
「土が腐るなんて聞いたこともない。いったい何をしたらこうなるんだ」
イエスは怒ってる。たぶん、環境がどうのこうのとかそんなことに怒ってるんだろう。
見るとキリコさんが土をつまんで臭いを嗅いだりしてる。何してんすか?とヨウジが
聞くとキリコさんは土を足元に落とし手をはたく。
「腐った土なんて珍しいじゃない」
「でもあの植物、この土で育てられてるんでしょう?気味が悪い」
ユキが言う。
「おかしいんだよ、この町は」
イエスが怒鳴った。声が窯の中に響く。
「ねえ、それよりどうやってここから出るの?」
キリコさんが尋ねる。
「この窯は土の交換期にきてるんだそうだ。50年ぶりのね。この窯の土は外界に捨て
られて、窯の中には新しい土が敷かれる」
うんうん、とみんな肯く。
「土は外界から採取してるんだ。結局植物を育てる源である土だけは再現できなかった
んだろう」
うんうん。
「ただし、腐るまで使われた土は再利用できないそうなんだ。だから捨てられる」
うんうん。
「外界にね。とても効率の良い方法で」
うんうん。
「窯の底は開閉式になっててね、そのまま外界への排出口に繋がってるんだ」
うんうん。
「そして、まもなく底が開く」
うんうん……え?
「みんな、体勢を低くして。かなり揺れるらしい」
どこからか響く警報。ああ、わかるよ。落ちますよ、ってことでしょ?
その通りです、ってな具合に足元が崩れていって、俺たちは真っ暗闇の穴に吸い込ま
れてく、町の肛門を目指して、腐った嫌な臭いのする土と一緒に、流されてく。
5
気を失ってたみたい。目を開けてまず思ったのが、体中に糞をひっかけられたみたい
な臭いが自分の体からするってのと、空気が冷たいってこと。真っ暗で、頭の上の、ず
っと先にちらちら何かが光ってる。それが星だって気づいた後に、ここはもう外なんだ
ってわかった。空気が冷たいのは気温調整がされてないからだろう……
外界の夜は、俺が知ってるものよりももっと不気味。どこかしこに何かの気配を感じ
るし、絡みつくような粘度の高い闇、ざわざわと風の音が耳に障るし、背中のあたりが
スースーする。あ、そうか、外界には壁がないから背中がスースーすんだなってわかっ
た。そんで俺は壁のない後ろを見ようと振り返ると、俺はとてつもなくでかくて、その
上ちょっとばかし宙に浮いてる物体を見つける。ごつごつしてるんじゃなくてツルッと
した岩肌、下部はソフトクリームのコーンみたいに尻すぼみ。上部には蓋をされたソフ
トクリーム。蓋は透けてて中身が見えてる。キラキラ光ってる。
そいつはゆっくりとい動いてた。迷子になった子供みたいにフラフラとしながら。
それが今さっきまで俺が住んでた町だって気づいて、びっくり。あんなとこから来た
んだって思うと、なんだか情けなくなる。俺はハコブネを見てる。だけど、俺の視線は
次第にずれていって、ハコブネの愚鈍な図体の先に見える、何だかわからない一本の線。
夜の闇にだんだん目が慣れていって――雲が晴れたんだろう、月明かりで周りが明るく
なってく――その一本の線上にある光るものたちが星だってことに気がついて、それが、
大地と空の境界だってことを理解する。
壁がないんだ。
俺はなんだか嬉しくなってついつい大声を上げたくなる。みっともないから我慢しよ
うと思うんだけど、体が震える。それで、もうどうにでもなれ、と思って叫ぼうと口を
開けると、後ろからキリコさんの大声。ウオォォォォーって感じ。やられた、って思う
暇もなく、俺は叫ぶ。そんで、叫び声が増えてく。ヨウジやユキやハツだろう。みんな
どんな気分で叫んでんだろうか……俺と同じだったらいいな、なんて考えて、照れくさ
くなって、余計に大きな声で叫ぶ。
ここは外だ!
続く