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愛しの彼女のお父様!?

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 五.愛しの彼女のお父様!?

「いらっしゃい」
「サヤちゃん、キンジさん、いらっしゃ~い」
 橙也は雛と一緒に、玄関で靴を脱ぐ友人二名を出迎えた。
「お邪魔しまーす」
「ヒナっち、久しぶり~」
 Tシャツにジーパン姿の紗弥は家に上がるなり雛に抱きつくと、彼女の頭の後ろ、ツインテールに手を伸ばす。
「ヒナっちはいつ見てもかわいいのぅ」
 そう言って今度は雛の背中に回ると、ツインテールを操縦桿か何かに見立てて歩き出した。
「ゆけー、ヒナっち号!」
「サヤ艦長。おにい島(とう)を発見したであります」
「よし、上陸せよ!」
「らじゃー」
 そんなことをしながら突っ込んでくる雛の肩をつかんで、動きを押さえつける。
「やめなさい」
「けちなお兄ちゃん」
 これは紗弥である。
「誰がお兄ちゃんだよ…」
「勝手に上がってるぞー」
 そんなやりとりに冷やかな視線を送りながら、上下ジャージの金治は階段を上っていった。
「あ、うん。じゃ、僕ら勉強するから」
 そう言うと、雛はぷぅ、と頬を膨らませた。
「悪いね、ヒナっち。あとでさ…ごにょごにょ」
 紗弥に何事か耳うちされ、満面の笑みを作る雛である。
「うんっ!」
 二人から同時に向けられるこの意味ありげな視線は何なのだろうか…。
 部屋に入ると、金治がベッドの上にあぐらをかいていた。
「なぁ、雛ちゃんさ、俺の名前キンジだと思ってないよな…?」
「そ、そういえば聞いたことなかったかも…」
「いーじゃんキンジで。呼びやすいし」
 そう言って、後から入ってきた紗弥が部屋のドアを閉めた。
「呼びやすいとかじゃねーんだよサル」
「ほほぅ。もう一回言ってみる?もれなくこの部屋を血に染めてあげるけど」
「頼むからやめて…」
 紗弥の肩を押さえて床に座らせると、橙也は自分の机の椅子を引いて、二人の方を向くように座りなおした。
 時刻は午後八時五〇分。まだゲーム開始までには少々時間があるというところで、本日の合同合宿提案者である武島紗弥が、まず口を開いた。
「えー、本日はチーム武島、ゲットアスレイブ集中攻略合同合宿に、ようこそお集まりいただきました」
 芝居がかった口調でそういう紗弥に、男子二名はぱちぱち、と気のない拍手を返す。
 余談だが、彼らは未だ誰一人スレイブの意味を理解していない。
「昨日、とうとう我々は、大魔王の城に乗り込むためのアイテムを集め切りました!」
 とうとうも何も、彼女は昨日ゲームを始めたばかりであるが。
 さぞ製作チームも歯噛みしていることだろう。
恐るべし、武島紗弥である。推奨到達レベルなんてお構いなし。並みいる強豪モンスターを相手に身体能力のみを武器にして、ちぎっては投げちぎっては投げの大活躍。
 昨日のモンスター討伐数を比にすれば、紗弥:金治:橙也=7:2.9:0.1 と言ったところか。
 ちなみに橙也の0.1は、紗弥に散々ぼこぼこにされた挙句金治に切りつけられたことで、橙也に向かって倒れ込んできたゾンビ兵みたいなやつの背中に、恐る恐る突き出した剣が刺さってとどめとなったという、なんとも情けない0.1であった。
「というわけで、今日は花の週末金曜日ですし、ぱぱーっ、と攻略して、祝杯をあげようじゃありませんかぁ!」
「サヤ、一応勉強してることになってるからね…」
 人差し指を鼻の前にあてて声量を落としてほしいという旨をアピールする。
「おっと、そーりーそーりー」
 振り上げた拳を下ろすと、紗弥は「では!」と言って背負ってきたリュックを開き、メガネ型ゲーム機を取り出した。
 橙也と金治もそれに続く。
「なんかさ、この吸盤?人がつけてるの見ると結構まぬけだね」
「確かに」
 橙也もそう言う二人の様子を眺めて小さく噴き出した。
「よーし、じゃあ全員でカウントダウンするよー」
「三〇秒前だね」
 机の上の時計を見て、橙也は二人にそう告げた。
「諸君、ゴーグルを装着したまえ」
「了解です、サル隊長」
「あたし目悪いから、モンスターと見間違えちゃったらごめんねーっ!」
「一〇秒前」
 橙也がそう言ったのを合図に、三人は同時にメガネをかけた。
「「「………五、四、三、二、一―」」」
 側面に伸ばした人差し指が、ボタンを押しこむ感覚を告げる。
 視界がホワイトアウトした。

「やあ、アユガイ」
 目の前に浮いていた小さな女子高生にあいさつをすると、彼女も「先パイ、待ってましたっす!」と敬礼をして見せた。
 自分の身体を見回して、もうゴキブリ装備ではなかったことを橙也は思いだした。
 レベルの上昇によって重厚な甲冑を身につけることも可能になったのだが、橙也には幾分重すぎた。そこで彼が今身につけているのは、金治のお下がりである。例の鎖を編んだ鎧程度の重さであれば、橙也にもなんとか支えることが出来た。
 その金治はといえば、全身を新品の銀甲冑につつんでいる。ただし、こだわりなのか、兜は断固としてかぶろうとしない。
 かくして、新生チーム武島は、ゲットアスレイブの地に今日も降り立ったのである。
「さてと、早速行きますか」
 そう言って、紗弥が移動用アイテムを取り出したときだった。
「君たち、ちょっと」
 聞き覚えのある声が背後からして、三人は同時に振り返った。
「…何の用だよ?」
 金治が、視線の先にいる人物を睨みつけた。
「君たちの活躍を見せてもらってね。協力してもらいたいことがあるんだ」
「今さらどういうつもりか知らないけど。お断りよっ!この―自主規制―っ!」
 紗弥のこの最低なセリフにも動じる様子を見せず、初めて会ったときとはうって変わった様子で、依(より)井宗(いむね)貴(たか)は微笑んだ。
「昨日はすまなかった。私事になってしまうが、会社の方もいろいろあって少々気が立っていてね。けれど、それは君たちには関係のないことだ。本当に、申し訳なかったと思う」
 そう言って、宗貴は腰を折り、頭を下げた。
 日本のトップ企業のナンバー2が、一高校生相手に見せるものとは思えない行動である。
 けれど、マントから出した右腕の仕草や、極端なくらいにゆっくりと頭を折るその様子に、橙也にはどこか慇懃無礼といった印象を受けて、口元を一度強く結んだ。
 頭の上に乗ったアユガイも緊張した様子なのか、つかんだ髪がわずかに強く引かれる。
 たっぷりと三秒頭を下げ、また同様のスピードでゆっくりと身体を起こすと、宗貴はやや大げさに聞こえる調子でしゃべり始めた。
「驚いたよ。君たちはこのゲームの中で、今や誰よりも先を進んでいる。ここ最近の停滞していた様子を考えれば、ものすごい快挙だ」
 宗貴はそう言って、一度ゆったりと頷いて見せた。
「そこでだ、先ほども言ったように、君たちの実力を見込んで協力してもらいたいことがあるんだが」
「試しに言ってみろよ」
「ありがとう。話が早くて助かる」
 金治の明らかに敵意の混じった言葉にも、余裕の笑みを返す。昨日の出会いとのあまりのギャップに、橙也はやはりどこかうすら寒い思いがして、せめて気を抜かないようにと、宗貴の目に真っ直ぐに視線を固定した。
「実は、他でもない大善寺まお嬢のことなんだがね」
 彼の口からまおの名が出たことに、少なからず橙也は動揺をした。そして、この後に続く言葉を予感する。
「君たちと一緒に、これから僕も大魔王の城に乗り込みたい。そこで、彼女、まお嬢を倒す権利を、僕にくれないか?」
「お断りだ!」
 宗貴が言い切るとほぼ同時に、金治は叫んだ。
「もちろん、ただでこんなことを頼もうだなんて思っていない」
「一〇〇〇ゴールドか?」
 そう吐き捨てて、金治は宗貴に背中を向けた。
「勝手に言ってろ」
「三億」
「…は?」
 反応したのは紗弥である。
「君たち一人に付き三億円、用意しよう」
 変わらず笑顔でそう言う宗貴に、全員が口をつぐんだ。
「冗談でこんなことは言わないよ。信用してもらうために、もう少し突っ込んだ話をしようか。
 我がYORY(ヨリー)が国内では圧倒的なシェアを誇っているのは、おそらく君たちもご存じのことかとは思う。自慢話をするつもりではないが、君たちの家にも、何かしら我が社の製品があるのではないかな?」
 金治は振り返らない。橙也と紗弥は、宗貴に向き合ったまま、彼の話を聞いていた。
「けれど、まだ足りないんだ。というのはね、海外進出なんだよ。世界と対等に戦っていくためには、さらなる規模の拡大が必須になる。YORYはまだまだ伸びる。だからね、そのための足掛かりが必要なんだよ。
 何が言いたいのか、分かってもらえたね。そう、大善寺とのパートナー関係が必要だと、僕は考えている。そうなれば、はっきり言おう、九億なんてのは、はした金だ。
 どうだろう、君たちに信用してもらうために、ここまで話した。九億がはした金だと言ったのが気に障ったのなら、もっと出そう。それだけの価値が、まお嬢にはあるんだ。君たちはまだ若い。彼女にこだわる必要なんてないじゃな―」
「ふざけんなっっ!!」
 その絶叫に、宗貴が言葉を止めた。
 紗弥が隣に視線を移した。
 金治が後ろを振り返った。
「……僕たちは、金が欲しくてここにいるんじゃないっ…!大善寺さんのことが好きだから、ここにいるんだっっっ!!」
 叫び終えて、橙也は口の端から小さく息を漏らした。
 宗貴の、小さく開いたままだった口がゆっくりと閉じて、また笑みを作った。
「そうか、それは残念だよ。…それでは、お互い公正に、ゲームで決着をつけるとしよう」
 そう言って、宗貴はゆっくりと振り返った。
 けれどその振り向きざま、彼の顔に浮かんだ表情を、橙也は見逃さなかった。
 それは冷笑。
 その笑みに、あるいはもっと別の、何か良からぬことを思索しているような気配を感じ取り、橙也は彼の後ろ姿に視線を走らせる。
 通りの先、角を曲がって宗貴の姿が視界から消えたのを確認し、ようやく、橙也はその場に座り込んだ。
 それを合図に、金治が橙也に駆け寄った。
「よく言ったじゃねーか橙也!」
「痛っ!」
 ばしん、と背中を思い切り叩かれて、橙也は背筋を伸ばした。
「すっきりしたぜホント。なぁ、サヤ」
「……」
「サル?」
 これにも、紗弥の返答はない。先ほど橙也に視線を向けた、そのままの姿勢である。
「サヤ?」
「え、なに?」
 橙也の問いかけに、ようやく紗弥は彼に視線を落とした。
「だから、すっきりしたよなって。なぁ」
「…ああ、うん、すっごいすっきり!」
「見なおしたぜー。さすが、俺のライバル!」
 肩を組んでそう言う金治に、橙也はかわいた笑いを返すことしか出来なかった。
「ごめん、ちょっと回復アイテム買ってくるね」
「ん、おう、分かった」
 立ち上がり、二人に背を向けて駆けだすと、橙也は広場から数本離れた通りの陰に、身を寄せた。
「アユガイ」
 頭の上のアユガイに、声をかける。それは通りの喧騒にかき消されそうなほど小さな声。けれどアユガイは、それを聞き逃さなかった。
「なんっすか?」
「僕は、ダメだね…」
「そんなことないと思うっすよ。さっきの先パイは、すっごくカッコよかったと思うっす」
「………でも、それは君のおかげだ」
 ヒロイックボイスエフェクトをOFFにして、橙也はそう呟いた。
 一〇分後、三人は大魔王の居城前、悪魔のレリーフが施された禍々しい雰囲気の巨大な門を見上げていた。
 空は暗雲に覆われ、周囲は薄暗い雰囲気である。ときおり遠くに輝く雷がレリーフを照らし、門の禍々しさをより際立たせていた。
「なんかさぁ、どっかで見たことねぇ?」
 周囲の雰囲気など意に介さずといった様子でそう言ったのは、金治である。けれど、これに対する返答はない。
「どしたお前ら?今さらビビってんじゃねーだろうな?」
 そう言って笑う金治に、橙也もなんとか笑顔を返す。
「そんなことないよ。ね、サヤ」
「もちろんよ…。むしろ魔王なんてぎったんぎったんのけちょんけちょんにしてくれるわ…。ふふふ」
 古めの擬音語を織り交ぜながら低く笑う紗弥にどこか邪悪な気配を感じ取って、橙也と金治はわずかに身を引いた。
「ま、まぁほれ、ともかく例のヤツ、出してくれよ」
 促された紗弥が腰の袋に手を入れる。
 一つは彼女が一人で手に入れた透明な玉。橙也がこれを受け取った。
「それから、はい、キンジ」
「おう」
 彼が受け取ったのはこれまた透明な、繊細な仕事という言葉がしっくりとくる、片翼の天使が鐘の部分を抱きかかえる姿をかたどったベル。
「そんじゃ、やるよー」
 最後に彼女が取り出したのは、マドラーのような物。けれどその先端には、よく見れば翼がかたどられていた。
「ここを、ちりん♪」
 金治の持ったベル、天使の背中の部分にそれをそっと打ちつけると、紗弥の持ったマドラーはすう、と姿を消した。そして、先ほどまで片翼だったはずの天使には、しっかりと両の翼が現れていた。
「で、こいつを鳴らせばいいわけだな」
 金治がベルを軽く振ると、それは小さく音を立てた。神聖な気配の感じ取れるような、けれどどこか軽やかな音色。小さな音を数度鳴らして、そのベルもまた、ゆっくりと姿を消す。
「光った…」
 橙也が右手の玉に視線を落とすと、先ほどまで透明だったはずのそれは、白く、まばゆい光を放って輝いていた。
「さ、先パイっ!」
 頭の上からそう言うアユガイに頷いて、橙也は目の前の門、ちょうど橙也の胸の高さにある丸い窪みに、輝きだした玉をはめ込んだ。
 特に出っ張りがあるわけでもないのに、半分ほどの深さまで埋まったその玉は、外れることなくそこに収まる。
 直後、ずずずずず、という低い音が響き始めて、橙也は一歩身を引いた。
「いよいよだな」
 呟く金治。
 無言でぱん、と拳を平手に打ちつける紗弥。
「とうとう、最終決戦っすねぇ~!くぅ、腕が鳴るぜぇっす!」
 自分が何かするわけでもないのに、盛り上がるアユガイ。
 橙也は、一度目を閉じ、胸に手を当てた。
 二人に守られてばかりの自分。
 アユガイの力を借りなければ、言葉を紡ぐことの出来ない自分。
(もう、やめるんだ…!)
 目を開けると、ちょうど奥に向かって門が開き切るところだった。
「あー、なるほどね。見たことあると思ったわけだ」
 そう言って笑ったのは金治である。
「豪邸再現かぁ、やるねぇ」
 紗弥が豪邸と称したのは、目の前数百メートルのところに現れた魔王の城。それは、橙也にももちろん見覚えがあった。
 色彩や装飾は異なるものの、それはまぎれもなく、以前訪れた―
「大善寺さんの家だ…」
 当然、城にたどりつくまでには、正確に再現されただだっ広い庭を抜ける必要がある。けれどそこは緑の芝生ではなく、小さな枯れ木がところどころ顔を出すだけの荒れ果てた荒野。そこに、無数のガイコツ達がうごめいていた。
「うわっ!キモ!」
「こいつは、骨が折れそうだなぁ。ガイコツだけに」
「キンジ、五点」
「うっせ!」
 叫んで駆け出した金治に、橙也と紗弥も続いた。
「どけどけぇっ!」
 ランクアップした剣を振りまわし、的確に一体一体を仕留めていく金治。打ちつけるたびに硬く、鈍い音が響く。
 二体のガイコツに囲まれたその隣を、影が通り過ぎた。
「おっさき~!」
 駆け抜けた紗弥が大きく跳躍し、その勢いで前方に居並ぶガイコツの頭部めがけ、回転蹴りを叩きこんだ。
 ごしゃあ、という音に文字通り頭蓋が砕け散り、数体のガイコツが一斉に倒れ込む。
「まだまだぁっ!」
 どこかで見たことのあるような―具体的には↓←+キック―連続空中回し蹴りで、先を行く紗弥。みるみるうちに骨の道が出来上がる。すでに一〇〇メートルほども前を行く彼女を眺めて、男二人は苦笑いを浮かべた。
「あんまり、サルサル言わない方がいい、なっ!」
「そのうちホントに殺されちゃうかもしれないから、ねっ!」
 金治を囲んでいた二体を蹴散らして、二人はまるで乱雑な横断歩道のようになった道を駆けた。
 紗弥は既に城の眼前である。最後の空中回し蹴りを叩きこむと、すとん、と着地をして振り返り、後ろを走る二人に手を振った。
「先入ってるねー!」
「ちょっと待ってろっての!」
 無数の骨が触れ合い、きちきち、という音を立てるガイコツたち。左右から群がるそれらを剣を打ちつけてあしらい、開き始めた扉に向かって全力でダッシュする。
「閉めちゃうよ~」
「待てーっ!」
 滑り込み、扉を閉めると、橙也はその扉を背もたれにして座り込み、呼吸をした。
「トーヤくん、男の子だろ?」
 腰に手を当てて、ぴんぴんしながら見下ろす紗弥を橙也は見上げた。
「そうだね…!」
(この、くらいで…)
 ゆっくりと立ち上がり、もう一度呼吸をすると、幾分鼓動も落ち着いたようである。
 三人は辺りの様子を見渡した。
「中は、微妙に違うみたいね」
 紗弥もメガネを受け取る際に一度訪れているのだろう。周囲の壁に目を走らせて、そう呟く。
 一面が石の壁。広さはなく、幅二メートル程の通路になっており、それが真っ直ぐ先に続いていた。
 じめっとした空気がまとわりつく。
 明かりはまばらに壁に取り付けられた、頭蓋をかたどった燭(しょく)台(だい)から。けれどそれに灯る炎は赤ではなく、青。
 それによって、余計に不気味さが演出されていた。
「うーわ、分かりやすいなあ」
 金治の視線の先、五〇メートルほど先には、重そうな両開きの鉄の扉がわずかに口を開けていた。
 その隙間から、紫の光が漏れている。
「往年の名作をしっかりとフィーチャーしてるところに好感が持てるわよね。クロノ・ト―」
「はい実名禁止ぃ!」
 金治と紗弥が、相変わらず意味の分からないやり取りをかわし終えたのを合図に、三人は歩きだした。
「大善寺さんが魔王って、なーんか想像できないな。いかにもお嬢様って感じじゃん?」
「それがなかなか、ノリノリなんだよな、橙也」
「うん」
「ふーん、そいつは楽しみだわ」
 俯いてそう呟く紗弥の、拳の骨がこき、と音を立てた。
「開けるよ」
 扉の前に立ち、左右を交互に眺める。二人が頷くのを確認して、橙也はわずかに開いた右の扉に手をかけて、押しこんだ。
「いよいよ、因縁のご対面っすね!」
 重厚な感覚が腕に伝わる。全身で力を入れながら、次第に大きく開いていく隙間に身体をねじ込む。
 そこは、開けた空間だった。
「雰囲気ばっちりじゃん。まさにクロノ―」
「だからやめろっての」
 後ろに続いた二人の声の反響の様子から、広い場所であることは間違いないらしい。橙也は辺りを振り仰ぐ。
 発光源は分からないが、全体に紫色のかかった空間に、視界が慣れるのに時間がかかった。
 天井は高い。三メートル以上はあるだろうか。
 左右を見渡す。奥の方は暗がりになってよく見えないが、延々と続く空間ではないということは分かった。
 そのとき、ちょうど彼らの正面で、激しく光が瞬いた。
 それは稲光。わずか一瞬ではあったが、部屋全体が明るく照らされた。
 そのおおよその広さを、ごく最近見たことを思い出して、橙也は「あ…」と声を漏らす。
 ごろごろ、と遅れて来た音に続いて、二度目の稲光が輝いた。
 窓枠の影が床に落ちる。その中に、人の頭と思しきものが混ざっているのに気がついて、伸びる影の根元に向かって、橙也は視線を這わせた。
 その人物に焦点が合うのとほぼ同時に、部屋の明るさが増し、全景が明らかになった。
「来たわね、トウヤ、カネハル、……サヤ」
「なんで今ちょっと考えたのよっ!」
 紗弥のこれには応えずに、声の主は部屋の奥、唯一置かれた家具である大きな椅子から立ち上がった。
 物が少ないところまで一緒である。この部屋は、どうやらまおの部屋をモデルに作られているらしい。
 部屋の主は、五歩ほど歩いて立ち止まると、そこで大きく両腕を広げた。
 それと同時に、重く低い音が遠くから徐々に這ってくるように鳴り始め、それはすぐに大音量へと変わる。
 オーケストラの壮大なBGM。けれどもちろん、この部屋に楽器隊の姿などはない。
「おー、雰囲気出てるじゃん」
 この金治の笑い声に応じるように、魔王は喜悦の笑みを浮かべて、叫んだ。
「始めましょう!」
「そんじゃ、いっちばんっ!」
 その声を合図にして、紗弥が勢いよく飛び出した。一気に距離を詰めて跳躍する。けれど、まおはそれより早く、広げた両腕にそれぞれ魔術を編み終えていた。
 右腕から現れたのはあの絶対障壁。身体の前面を覆うようにして展開されたそれに、紗弥は左の跳び蹴りをはじかれて、その勢いのまま一度地面に手をついた。
 そこに襲いかかったのは左の魔術弾。体を転がしてそれをかわす。
「俺もいくかなっ、と!」
 叫んで金治が飛び出す。まおの右側から打撃を入れる紗弥と対称に、左に回り込んで剣を振りかぶった。
 けれど、それが打ちつけられるよりも早く、薄紫の空間の中で、より強く輝く紫の光が軌跡を描く。
 まおが両掌を左右に広げると、そこに現れた魔術陣から、こんどは極大の雷が走った。
「おっと!」「すごっ!」
 二人はかろうじてこれをかわすと、それぞれに距離を取ってまおに向き直る。
 橙也の脳裏に、宗貴の冷たい表情が浮かんできた。
 金治との約束を思い出す。
(クリアするのは、僕か、金治…!)
 橙也は両手で剣を握りしめた。
「先パイっ!」
 頭上からのアユガイの声に応えるように、叫んだ。
「大善寺さん、行きます!」
 視線でそれに応えたまおに向かって、橙也は走り出した。
「腕は二本しかないぞ、どうする、まお?」
「あっちの二人に攻撃しといてくださいっ!」
 金治と紗弥も同時に走り出す。
 橙也は正面、金治は左、紗弥は右。
 三方向から囲まれた状態にも関わらず、まおはその表情を変えることなく、二本の腕は激しく文字を紡ぐ。
 あとわずかで完成するというところで、けれど、その腕は魔術を発動することなく、動きを止めた。
 その様子に、全員がまおの手前一メートルのところで足を止める。
「まお?」
 正面、顔の見える位置にいた橙也が、誰よりも早く異変に気付いた。
 まおの表情は、大魔王としての彼女のそれではなくなっていた。けれど、普段の彼女が見せる無表情とも違う。
 それはなにかに怯えるような表情に橙也には見えた。
「大善寺さん!」
 そこから小さく―
「助けて」
 ―そう漏らすと、すう、と彼女の姿は消え去った。
「……ちょ、ちょっとちょっと、どういうこと?」
 彼女が消えた位置に移動して、紗弥が橙也と金治を交互に見る。
「俺に分かるかよ…」
「アユガイ、これは?」
「いやー、ちょっとわたしにも分かりかねるっすね…」
 そのときだった。直前まで鳴っていた大音量のBGMが急に止み、一瞬あたりはしん、と静まった。
 その直後、再び鳴り響いた大音量によって、空間が震えを取り戻す。けれど今度のそれは壮大なBGMではなく、激しいサイレンの音だった。
「ゲットアスレイブ参加ユーザーの皆様に緊急連絡をいたします」
 三人が疑問の声を差しはさむよりも前に、今度はそんな声が、頭上から響いてきた。
 丁寧な口調ではあるけれど、どこか焦りを含んだその声音に聞き覚えがあって、橙也は耳を澄ます。
「まおお嬢様が何者かによって誘拐されました。これは現実での話です。まおお嬢様が何者かによって誘拐されました。現在追跡中ですが、緊急の事態に付き人手が足りておりません。ユーザーの皆様のなかから、手をお貸しいただいた方には、ゲームが有利になる褒賞が贈られることになります」
 声は、柳のものであった。最後まで言い切られる前に、三人は顔を見合わせた。
「そんなもんはいらねーけど、とにかくここにいる場合じゃないな」
「やれやれ、決着もついてないしね」
 そう言って紗弥が拳を鳴らす。
「行こう」
 三人は同時に、各々の左肩に顔を向けた。
「「「アユガイっ!」」」
「りょーかいっす、気をつけてくださいっすよ!」
「ありがとう!」
 恐らく先ほどの内容を英訳したものだろう。頭上から響く柳の流暢な英語を最後まで聞き終わるよりも前に、三人の意識は現実へと飛んでいた。
7, 6

  

「どうしたの?」
 どたどた、と駆け下りてきた三人の足音に気付いたのだろう。雛がリビングから顔を出した。
「ごめん雛、留守番頼む!」
「え、ちょっと!」
 彼女の声を背中に受けながら、三人は家を飛び出すと、紗弥がいち早く自分の自転車を走らせた。
「橙也、後ろ乗れ!」
「うん!」
 橙也は、スタンドを蹴り上げてそう言う金治の、自転車の荷台に腰を下ろす。
「飛ばすぞ!」
 金治がペダルをこぎ出した。
「サヤ、どうする!」
 二〇メートルほど先を走る紗弥に、金治が叫ぶ。静まり返った夜の住宅街に、その声は大きく響いた。
「とりあえず家に行ってみるのが先っしょ!」
「ま、それが妥当だな!」
 橙也はスピードを上げる自転車を強く握った。
 まばらに街灯が照らす道を、二台の自転車が走る。
 車輪の音。金治の息使い。
 それ以上に、自分の鼓動がやけに鮮明に聞こえて、橙也は一度胸に手を当てた。
 あのときの、まおの表情を思い出す。
 彼女が初めて見せた表情。
 「助けて」という言葉。
 ここにきて、誘拐という言葉が急に重く橙也の胸にのしかかってきた。
「アユガ…」
 左肩に視線を落とし、出しかけた言葉を飲み込む。
「ん、何か言ったか!」
「…ううん、なんでもない」
 ゲームの世界とは違う、現実に起こっている出来事。
 そのとき、きいっ、と高い音がして、橙也は顔を上げた。
 紗弥が自転車を止めて片足をついていた。
 金治もゆっくりとブレーキをかけ、彼女の隣に自転車を止める。
「どうした?」
「しっ」
 金治の問いかけを小声で制すると、紗弥は五〇メートル程先、十字路になった角の手前、道の右側にある電柱のあたりを指差した。
 ちょうど街灯の光が差さないその部分は、暗がりでよく見えない。
 紗弥はスタンドを起こし、自転車を止めると、そちらに向かってゆっくりと歩き出した。橙也も荷台から降り、彼女に続く。金治が橙也の後ろについた。
 一〇メートルほど進んだところで、紗弥が足を止めた。
「どうしたの?」
 橙也の問いかけに、紗弥は正面、自分たちとあの電柱の間に立つ街灯を指差した。
 これ以上進むと自分たちの姿が見える、ということだろうか。
 もう一度、紗弥が先ほど指差した電柱の下を見ると、確かに、そこには誰かがいるようだった。
 うずくまるように影が二つ。
 橙也がその正体を確認するよりも早く、紗弥が飛び出した。
 その足音に気付いたのか、影の内一つが立ち上がった。
 男だろうか。背はそれほど高くないが、がっしりとした体つきをしているように見えた。
「あいつかっ!」
 背後の金治も続いて駆けだす。橙也もその後を追った。
「おりゃあああっ!」
 先を行った紗弥が跳び上がり、右足の蹴りを見舞う。男は左手で顔の側面をガードしたが、衝撃はかなりのものであったらしい。道の反対側に向かってよろめいた。
 わずかに街灯が男の姿を照らしだした。全身黒のジャージかトレーナー。顔には目の部分だけが開いた覆面をかぶっていた。
 金治が男に向かって走る。体型では負けていない。
 押さえつけるように、男の身体に向かって体当たりをすると、その勢いで、再び男はよろめいた。
「橙也、まおをっ!」
 意味はすぐに理解できた。もう一つ、電柱の下にうずくまったまま動かない影に向かって走る。
「大善寺さんっ!」
 目が合う。まおは黒いジャンパーを背中にかけられていた。下はあの白いワンピース姿である。
 橙也は彼女の正面にしゃがみ込み、ゆっくりと、彼女の口に張られたガムテープをはがした。
「大丈夫ですか?」
 彼女は小さく頷き、呟いた。
「ありがとう」
「キンジっ、頭下げてっ!」
 紗弥の声に後ろを振り向く。反対側の壁に押し付けられた男に向かって、紗弥が跳躍するところだった。
 得意の左が、ガードする腕を押さえつけられた男の顔面に、今度こそ確実にヒットした。
 とん、と軽やかな音を立てて、紗弥が着地した。揺れる亜麻色の髪が、街灯の光を受けて輝く。その後ろで、金治に身体の支えを解かれた男が倒れ込んだ。
「「いぇい!」」
 二人がぱんっ、と高い音をさせてハイタッチをするのを見て、橙也は大きく息を吐き出した。
「まお、大丈夫か?」
 金治の問いに、まおはやはり小さく頷く。
「大善寺さん、それじゃ見えないと思いますよ」
 足に巻かれたガムテープもほどき、そう言って笑った橙也だったが、次の瞬間、まおが目を丸くしたのに気がついた。
「柚代くん!」
 言い終わるよりも早く、橙也は振り返った。
 紗弥の背後、反対側の角から、同じような姿の男が、長い棒を脇に抱えて顔を出していた。
「サヤっ!」
 橙也は立ちあがり、走りだした。
 鈍く輝く棒を男が振り上げるのとほぼ同時に、橙也は、その懐に思いっきり飛び込んだ。
 どんっ、という衝撃が身体を走る。
 先ほどの男とやはり同じくらいの体型。橙也にとっては相手が悪い。けれど、離すわけにはいかない。
「このっ!」
 男の声に、橙也はどこか聞き覚えがあるような気がした。けれど、それを考える余裕などないくらいの力で男が身をよじる。離れないようにするのが精一杯だった。
 ごっ、という音。頭を一度強く打ちつけられた。
「ぐっ…!」
「離しやがれっ!」
 もう一発来る!
 そう思った瞬間、頭上で甲高い音がして、橙也は固く閉じた目を開いた。
 今度は何か金属が地面に落ちた音。
 視線をそちらに向けると、男の斜め後ろに、彼が今握っていたのであろう棒が転がっていた。
「くそっ!」
「うわっ!」
 身体を思い切りふりほどかれて、橙也は尻もちをついた。
「トーヤ、サンキュー」
 振り返ると、紗弥が蹴り上げた左足を下ろすところだった。
「こっちこそ…、助かったよ」
 男は出てきた角を曲がり、走って行ったようである。
「とりあえず、こいつをなんとかしないとな」
 そう言って、金治が倒れた男を見下ろしたときだった
 悲鳴のような声が、もう一人の男が逃げた方向から聞こえて、橙也と紗弥はそちらに顔を出した。遅れて金治と、まおも橙也の後ろに立つ。
 街灯で照らされた道の真ん中に、人影が立っているのが分かった。その足元にもう一つ、これもおそらく人影。
 立っている方の人影が、こちらに向かって歩を進めるのが分かった。
 紗弥と金治がゆっくりと前に出る。
 橙也はまおをかばうように彼女の前に立った。
 手前の街灯の照らす範囲に、その姿が入る。
 最初に見えたのは黒の革靴。それから、スーツ。
 そして、間もなくその見知った顔も明らかになった。
「やあ、君たちか、奇遇だね」
 そう言って笑みを浮かべたのは、つい二〇分ほど前にゲーム内で顔を合わせたばかりの、依井宗貴だった。

 柚代橙也、瀬良金治、武島紗弥、それから依井宗貴の四人は、大善寺家の客間、長テーブルについていた。
 入口から見て左側に金治、橙也、紗弥。右側に宗貴が一人。
 橙也の正面が、ちょうど宗貴である。つい数十分前のこともあり、橙也は彼と顔を合わせぬようにしていた。
 代わりに、ときどき視線を動かして、無遠慮にならない程度に部屋を眺める。
 大きさはまおの部屋と同じくらい。部屋に置かれた調度品は、どれも一目で高級品と分かる、そんな雰囲気を醸し出していた。
 五分ほどが経っただろうか、誰ひとりとして声を発することの無かったその空間に、宗貴の背中側に置かれた背の高い柱時計から、時を知らせる大きな音が鳴り響いた。
 一〇回目が鳴り終わるのとほぼ同時に、部屋の奥の扉が開き、グレーのスーツ姿の男が姿を現した。
 やや白髪の混じり始めた頭と顔のしわから、四〇代後半といったところだろうか。しかし、身体はよく鍛えられているように見える。オールバックに撫でつけた頭からはどこか威厳を感じ、目の光も、男が只者ではないという印象を橙也に与えた。
 柳同様、かなり若く見える要素を男は持っている。
「お待たせしてしまって、申し訳ない」
 これに、宗貴が立ち上がって礼をするのを見て、三人もなんとなくそれにならう。
「なんと、依井くんだったか」
「ご無沙汰をしております」
 そんな会話を二人がするのを眺めて、橙也たちはまた腰を下ろした。
 男は席に着くと、四人を見回して口を開いた。
「この度は、娘を救ってくれて本当に感謝している。ありがとう」
 この言葉で、彼がまおの父親、確か、大善寺剛三郎と言ったか。その人物であることを橙也は理解した。
 以前彼が想像した人物との共通点は、「厳格そう」ということくらいだろうか。
「いえ、とんでもございません。当然のことをしたまでです。それに、彼らの方が私以上の活躍をしています」
 そう言って、宗貴は橙也たちに目で頷いて見せた。
「君たちは、まおの学友だったね。ありがとう」
「いえ」
 これには金治だけが答えた。
「約束通り、君たちには攻略が有利に進むよう、工面しよう。それから、個人的にも、礼をさせてくれ」
 これは金のことを言っているのだと気づき、橙也は剛三郎を見る顔をしかめた。
「ありがとうございます。それでは、私はこれで」
 立ち上がったのは、宗貴である。
「それじゃあまた、ゲームの中で会おう」
 三人に向かってそう言い、去ろうとする宗貴に金治は言った。
「まおのことを助けようとしてくれたのには感謝してるけど、俺はあんたのこと嫌いだから。出来ればもう会いたくないね」
「気をつけるよ」
 背中でそう言って、宗貴は部屋を出て行った。
 ほどなくして、「お送りいたします」という声。「いや、結構」とそれを断る宗貴の声も聞こえた。
 扉を開いて入ってきたのは柳である。
「お送りいたします」
 促されて、金治と紗弥は席を立った。
「橙也」
 金治に声を掛けられる。けれど、橙也はそれには応えずに、左の肩に視線を落とした。
 そこに、彼女はいない。
「トーヤ?」
 紗弥のこれにも応えずに、橙也は、大善寺剛三郎に視線を向けた。
「どうして、なんでもお金で解決しようとなさるんですか?」
 剛三郎の強い眼光が、橙也を射抜いた。
「お、おい、橙也…!」
「柚代様…」
「柳、構わない」
 剛三郎はそう言って、橙也に近づいた柳を制した。
「少し、君と二人で話がしたい。いいだろうか」
 大きく開かれ、らん、と輝いた目を向けられながらも、視線を逸らさずに、橙也は答えた。
「はい」

 二人だけになった空間で、剛三郎は席を立ち、柱時計の前、橙也の正面に立って背を向けた。
「知っていることとは思うが、私は世界中を飛び回っていてね。昔からほとんど娘の近くにいてやれたことがない。今日だって、たまたま日本にいなければ君たちにこうして礼を言うことも出来なかった」
 表情は見えない。口調からだけでは、彼の本心が分からなかった。
「君は、こう思っているんだね。礼などもらうまでもなく、まおを助けることはあたり前のことだったと」
 剛三郎がゆっくりと振り返る。彼と正面に向かい合うのを待って、橙也は「はい」と頷いた。
「……君を、あるいは君の友人たちもか。君たちを不快にさせてしまったことは謝ろう。けれどね、ゲットアスレイブに参加している中には、君たちのような、まおに対して純粋な好意を抱いて臨んでいるものは恐らくいない。それこそ、依井くんのようにね」
 彼女に対して好意を寄せていることを、父親に公言してしまっているようなものだということにようやく気づき、橙也は顔を赤らめかけたが、しかしその後に出てきた宗貴の名前を聞いて、ひとまず平静を保つ。
「こういう言い方はしたくないが、まおは、今やステータスなんだよ。彼らにとってはね」
 これを聞いて、橙也は立ちあがっていた。
「大善寺さんをそうしたのは、あなたでしょう…」
 押し殺した、低い声だった。
 剛三郎はこれには答えない。一度橙也に視線を向けて、再び柱時計の方に振り返った。
「悪いが、話は終わりだ、帰ってくれ」
 橙也は剛三郎の背中を強く睨みつけてから、無言で入ってきた扉に向かった。
 扉の柄に手をかけた、そのときだった。
「さてと、あの若者も帰ったことだし、少し独り言でも呟くか」
 柄を下げかけた手を止めて、橙也は首だけで振り返った。
「私は、親馬鹿だったのだろうな。娘を守るためだと、あんなゲームを作らせて」
 当然、橙也がいることは分かっているのだろう。独り言にしては、あまりにも大きな声。
「それが逆に、まおではなく、大善寺の名を目的とした有象無象を集めることになってしまった。スレイブなんてふざけた名前を付けたにも関わらず、な。
 ……結局、私のエゴがあの子も、あの子の友人までも、苦しませている。本当に、馬鹿なことをしたものだ…。
 あわよくば、あの子の本当に好きな男がゲームをクリアしてくれればうれしいが、まおはあれで照れ屋なところがあるからな。わざとやられるようなことも出来んだろうし…」
 橙也は息をのんだ。
 彼のことを、どこか信用していない自分がいた。
 娘の婚約者をゲームで決める。そんなことを考えた彼に、少なからず橙也は疑念を抱いていた。
 けれど、今の独り言を聞いて、彼は冷淡な父親などではなく、心からまおのことを想っているのだということが理解できた。
 扉の柄から手を離し、橙也は剛三郎に向き直った。
「すみませんでした…!」
 そう言って頭を下げた橙也の声に、剛三郎は一度動きを止めた。
「どうやら、疲れているかな。今日くらいは早めに休むとしよう」
 柱時計を見上げてわざとらしくそう言うと、彼はその姿勢のまま、声だけで柳を呼んだ。
 すぐに橙也の背後の扉が開き、柳が入ってきた。彼は一度橙也に視線を落とし、剛三郎の隣まで歩いた。
「お呼びでしょうか」
「今日はもう休むことにするよ」
「はい、その、柚代様を…」
「彼は、もう帰っただろう?」
「は…?」
 そう言って、柳は一度橙也を見たが、剛三郎の意図を理解してか、すぐに視線を背けた。
「彼は、なかなかいい男だな」
 柳の方はどこか背後を気にするようにして答える
「…私も、ええ、失礼ながら先ほどの彼を見て、そう思いました」
 父親程の年齢の男性二人にそんなことを言われて、橙也は背中がかゆくなる思いがした。
「まおお嬢様も、彼のことは相当気に入っていらっしゃるご様子で」
 けれど次のこの言葉に、橙也の胸は大きく鳴った。
(大善寺さんが…?)
「お嬢様が頑張って、と。そう仰ったそうなのです。そんな人物を、私は後にも先にも、彼一人しか存じ上げません」
 一昨日の、車内でのことが思い出される。
 あのときの、柳のどこか興奮したような様子。
 橙也は顔が熱くなった。
「それは、実に楽しみだ」
「はい」
 そう言って、もう一方の扉から出て行った二人に、橙也はもう一度、頭を下げた。
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