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アンドロイド

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 自分のことをアンドロイドだと思うようになったのは小学五年生のときだった。
「アンドロイドはいれてあげない」
 校庭で遊んでいるクラスメイトの輪に入れてもらおうと声をかけたとき、一人の女の子にそう言われたのがきっかけだ。
 元々病弱で入退院を繰り返すことが多かった。まともに学校に通えるようになったのは小学五年生から。すでにクラス内ではグループが固まっているから私はいつも一人ぼっちだった。そろそろ友達を作らなきゃと思い切って声をかけた結果がこれだ。
 無口で誰ともコミュニケーションをとらずにいた私は陰でアンドロイドというあだ名を付けられていたのだ。
 アンドロイド――人造人間はこの時代では当たり前のものとなっていた。とある科学者が生身の人間と瓜二つなアンドロイドを発明した。そして僅か数年でそれが量産されるようになったのだ。今ではアンドロイドは新たな労働力として人間と共に活躍している。
 外見だけでなく動きまで人間同様となったアンドロイドだが、感情だけはプログラムされていない。あくまで労働力としての認識なので感情は不必要とされているのだ。
 私はその感情のない人造人間のようだと周囲の人間から思われていたのである。今思えばしょうがないことかもしれないが、まだ子どもだった私はその言葉を真に受けてしまった。
 その頃は感情があるかないかなど小難しいことは考えなかったし、子どもの目にはアンドロイドも人間も外見だけなら同じに見えたのだ。
 その日、帰宅していの一番に「私はアンドロイドなの?」と母に問いただしてしまった。あのとき母が見せた悲しそうな顔を私は今でも覚えている。
「あなたはアンドロイドなんかじゃないわ。お母さんとお父さんの間に生まれた女の子。心が、感情があるかわいいかわいい私の子ども」
 そう言って母は私を抱きしめてくれた。
 その日の晩、母から話を聞いた父も私の頭を優しくなでてくれた。
 だけど次の日学校に行けば私はアンドロイド扱い。今までは相手にすらされていなかったのに前日を境にからかわれるようになったのだ。
 子どもの言葉は残酷だ。ストレートに思ったことをぶつけてくる。そして私はそれをストレートに受け取ってしまった。
 それ以来、自分はアンドロイドなのかと疑いながら生きてきた。
 なんだか入院していたときよりも前の記憶があやふやに感じるようになったりもした。
 リストカットをするようになったのもその頃だった。
 アンドロイドであることを否定する心が、私にカッターナイフを持たせた。手首を切り裂くたびに流れる鮮血。アンドロイドにはない、生物の、人間の証。
 それを見て安心したかった。ただそれだけの理由で私は自分の身体を傷つけていたのだ。
 小学校を卒業するまで、そんな悲惨な生活が続いた。今でもあの日々のことはあまり思い出したくはない。
 小学校卒業後は私立の中学校へと進学した。小学校時代の知り合いとは完全に離れたため、アンドロイド扱いされることはなくなった。
 さらに身体的、精神的にも成長してあの頃の自分は思い込みが激しかったのだとはっきり理解できるようになった。
 入院前の記憶があやふやなのは当たり前。いい思い出ではないし記憶は常に薄れていくもの。
 それにアンドロイドは生物じゃないから成長しない。でも私はこうしてすくすくと成長している。
 結果として私は性格が明るくなり、リストカットをすることもなくなった。人並みの平穏な生活を送ることができるようになったのである。
 それからは何事もない日々が続いた。
 優しい両親。信用できる友達。充実した学校生活。夢と希望が溢れる未来への期待。
 この生活に満足していた。きっと私は幸せだった。
 ついさっきまでは。
 私は今とある冊子を手に持っている。埃にまみれて薄汚い、恐らく十年以上前のものと思われるアンドロイドのカタログ。
 父の書斎を家族三人で掃除している最中だった。本棚の間に挟まっていたこれを、私は偶然見つけてしまった。
「どうした、何か変なものでもあったか?」
 動きの止まった私に父が声をかける。
「ううん、なんでもないよ。ちょっと埃が目に入っただけ。ちょっと洗ってくる」
 そう言って私はカタログを服の中に入れて隠すと、書斎から抜け出して自分の部屋へと向かった。
 どうして。どうしてこんな物があるの?
 カタログに載っているのは小学生くらいの子どもの姿をしたアンドロイド。写真の横には値段や詳細が書かれている。
 我が家にアンドロイドはいない。他の家庭には家政婦型アンドロイドなどがいたりするが、我が家では母と私が分担して家事をする。
 じゃあなぜ? なんでこんな昔のカタログがあるの? 買ってないなら普通は捨てるはず。科学関連の書籍が入った本棚に入っていたので捨て忘れたとも思えない。どうも隠していたように思えてくる。
 このカタログを見つけたと同時に思い出した過去の記憶が頭の中をずっと巡り続けている。
 一つの仮定。私は両親が購入したアンドロイドなのではないのか。このカタログはそのときの物なのかもしれない。
 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。私はアンドロイドなんかじゃない。
 私はベッドに転がり込むと、忌まわしい過去の記憶を振り払おうと必死になる。
「おーい、大丈夫かー?」
 父が私を呼ぶ。
「ごめん、ちょっと気分悪くなっちゃった。自分の部屋で休んでる」
 嘘は言っていない。私は今気分が悪い。
「どうした、風邪でもひいているのか?」
 扉がノックされる。心配して父がこちらに様子を見に来たらしい。
「大丈夫だから! お父さんは向こう行ってて!」
 思わず怒鳴ってしまう。今は両親の顔が見たくなかった。
「そうか、ごめんな。お父さんとお母さんは書斎の掃除を続けてるから何かあったら言いにおいで」
 お父さんは優しい。罪悪感がこみ上げるが、アンドロイドなのではという疑惑がそれを覆い隠す。
 私は頭を抱えたままベッドの中でうずくまっていた。
 それから時間を流れるのはあっという間だった。両親の呼びかけを無視し続け、同じことを何度も何度も考え続けていた。
 のそのそとベッドから起き上がると机に向かい引き出しを開ける。大量の文房具が散乱していた。それらの中からカッターナイフを手に取り、カチカチと刃を露出させる。
 数年ぶりの自傷行為。私は恐れることなく手首に刃を当て、そしてすぅっと引いた。
 傷つく身体。あふれ出す鮮血。真っ赤な真っ赤な、人間の証。
 びっくりするほどの安堵感。私は人間、アンドロイドなんかじゃないのだ。血はそう示してくれる。なんだかたまらなく愛おしい。まるで私の唯一の味方。
 驚くほどに冷静さを取り戻していた。止血をし、今の時刻を確認する。午前二時を少し回ったところだ。
 私は部屋を出ると父の書斎へ向かった。よせばいいのにと心のどこかで忠告する声が聞こえるがそれを無視する。
 両親の寝室は二階、書斎は一階だ。明かりを点けても問題ないだろう。書斎を明るくし、父の机から漁りはじめる。
 仕事関係の書類ばかりでおかしなものは何もない。というより書類と文房具しか入っていないようだ。父は研究者として働いているので当たり前のことかもしれない。何の研究をしているのかは聞かされたことがないけれど。見た感じ電子工学とかそんな感じのものだと思われる。
 電子工学……。嫌な汗が流れ出す。まさかアンドロイドと関係している?
 やっぱり調べなければよかった。私はまた自分の存在を疑い始めてしまう。冷静にならなければ。父がアンドロイド関連の研究をしているとしても、私自身がアンドロイドであることに関係はないはずだ。
 深呼吸、そして手首の傷跡を見る。包帯ににじむ血が私を落ち着かせてくれる。
 時計を見ると午前四時を回っていた。もう寝よう。きっと私は疲れているのだ。
 自室に戻り、ベッドに入る。眠りに落ちたのは朝日が差し込みはじめたころだった。
 正午過ぎに起床。休日だから許される生活だ。私は簡単に食事を済ますとパソコンを起動し、インターネットブラウザを開く。
 アンドロイド関係でいろいろと検索をかけるがこれといって私の興味をひくものにはヒットしない。
 次に有名な匿名大型掲示板を見ることにする。アンドロイド関連のスレッドを流し読み。すると一つの気になるレスが見つかった。
『金持ちは特殊改造されたアンドロイドを人間として扱うために買ったりしてるって話は昔からよくあるよな』
 手首が疼く。ページをどんどんスクロール。自分の目とは思えないほどの速度でディスプレイの情報を脳に送る。
『定期メンテナンスのさいにパーツのサイズを大きくして成長させる』
『子宝に恵まれなかった人が買ってるとか』
『実は昔から裏で感情プログラムが流通している』
 喉が渇く。目が瞬きすることを忘れる。私はそれらの情報に釘付けになっていた。気がつくとシャツが汗でびっしょりと濡れて身体に張り付いていた。
 所詮ネットの情報だ。信憑性などないに等しい。こんなものを鵜呑みにするのは馬鹿な子どもだけ。
 じゃあなぜ私は手首の包帯を必死になって巻き取っているのだろう。
 そう言えば病気が治ってからも半年に一回くらいのペースで一泊程度の入院をしていたっけ。定期的な検査が必要だと医者は言っていた。一体何の検査? 私の身体のパーツでも検査していたの?
 違う違う違う。私はアンドロイドなんかじゃない! 一人の人間なんだ! もう駄目、これ以上考えてはいけない。
 それなのに私はページをスクロールさせる手を止めないし目はディスプレイを見つめたまま。
『今の技術じゃこんなのできて当たり前だもんな』
『人間とほぼ同等のアンドロイドは二十年前にはもう完成していたしな。感情プログラムもそれくらいで完成してたみたい』
『科学の力ってすげー!』
 眩暈がする。私はふらふらと立ち上がると自室へと戻った。
 すぐさま机の引き出しを開ける。カッターナイフを手に取り手首を切り裂く。大量の血が噴出す。ああ、血は私を裏切らない。やっぱり私は人間なのだ。
 止血もしないまま、私は部屋を出てパソコンの前へと戻る。床に血がたれるが気にしない。真っ赤になった腕をぶらさげながら私はまた掲示板を見る。
「何やってるの!?」
 悲鳴に近い母の声。どうやら私の腕を見て驚いているらしい。しかし今はどうでもいい。
 ページをスクロール。目から脳へと文字が情報に変換されて送られる。
 何が書いてあっても私はうろたえない。この血がある限り私は人間なのだ。いくらアンドロイドが人間に限りなく近くても、私がアンドロイドということにはならないのだ。この血がそう証明してくれる。
 腕に滴る血を舌ですくう。口の中に溢れる鉄の味。しかし今ではそれさえ甘美に感じてしまう。
 口の中を血で満たしながらディスプレイを見つめる。
「!?」
 一つのレスが、衝撃となって私の身体を貫いた。
『人工血液を血管を模した極細のパイプを巡らせたりもできるね。映画の撮影なんかで役者そっくりのアンドロイドを作って死ぬシーンを撮ったりするし』
 私は口の中の異物を吐き出した。人間の証。私の唯一の味方がたった今無くなってしまった。
 腕を赤く染める鮮血も信じることができない。
 じゃあ何? 私はアンドロイドなの? 違う! 私は人間! じゃあ証拠は? 血液? それはもうただの液体に成り下がってしまった。
 私の身体にある人間としての証。何がある? 何がある!?
「あ……」
 あった。
 なんだ、たくさんあるじゃない。私の人間としての証。身体の中にたくさん詰まっているのにどうしてすぐ気づかなかったのだろう。
 私は椅子から立ち上がるとキッチンへと向かった。途中で涙を流しながら父に電話をしている母を見た。何をそんなに慌てているの? 私が自分の正体に気づいてしまいそうだから気が動転している? 違う! 私は人間だ!
 台所から包丁を持ち出す。銀色の刃がきらりと光る。うん、これを使えば見られるはずだ。私の人間としての証。
 母が包丁を持った私を見て受話器を床に落とした。
「やめてぇ!」
 大声で叫びながら母が私のもとに駆けてくる。
 邪魔される前に早く見なければ。私の人間としての証。
 刃が腹部の方を向くように包丁を両手で握る。
「私を早く安心させてね」
 そう呟いて、私は両腕を後ろにひいた。
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