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呪い

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「斉藤さん、あなた呪われてるわよ」
「え?」
 仕事を終え、荷物をまとめて退社しようとしたところで、斉藤多佳子は同僚である本城早苗に声をかけられた。
 多佳子は早苗と仲が良い訳ではない。普段は事務的な会話しか交わさないような間柄だ。そんな彼女から現実味のない言葉を受け、多佳子は少し混乱する。
「本城さん、あなた何を言ってるの?」
 この人は頭のどこかがおかしいのではないだろうか。少し落ち着くと、そんな失礼なことを考える。
「呪いよ。あなたは誰かに恨まれていて、呪いをかけられている」
 私が誰かに恨まれている? そんな馬鹿な。多佳子は憤慨する。なるべく表情に出さないようにして。
「誰かに恨まれるような覚えはないわ」
 多佳子は自負していた。自分は誰からも好かれるような人間であることを。
 誰にでも愛想よく。敵は決して作らない。それが彼女が常に心がけていることだった。
 事実、学生時代から多くの友人に恵まれ、付き合う男性にも困らなかった。会社では上司にも気に入られ、順風満帆な生活を送っている。
「あなたにはなくても他の人がどう思っているかなんて分からないものよ」
 早苗は見透かすような視線を多佳子に向ける。
「忠告はしたわ。これから気をつけてね。何かあったら会社に迷惑がかかるんだから」
 多佳子は気味が悪くなり、早苗を無視して、その場から駆け出した。

 ビルを抜けて、さらに駅に向かって走る。途中で息が切れて多佳子は立ち止まった。
「なんなのよ。気持ち悪い」
 肩で息をしながら、ゆっくりと重たい身体を前に歩ませる。陽はすでに落ちており、街灯と立ち並ぶ建物から漏れる光が、駅へと向かう人々を照らす。
「私が誰かに恨まれるなんて、そんなこと……」
 ありえない。そんなことありえないと多佳子は自分に言い聞かせる。誰からも嫌われないよう、常に心がけて生きてきたのだ。
 早苗から言われたことが頭から離れず、多佳子は歩きながらそのことばかり考える。やがて駅の改札まで来たが、思考に耽りすぎてもたついてしまう。
「チッ……」
 大きな舌打ちが多佳子の後ろから聞こえた。時間がかかっている多佳子に圧力をかけたのだろう。
 多佳子は改札を抜けると早足でホームへと向かう。
 確かに全員に好かれることは難しい。私を嫌っている人がいてもおかしくない。多佳子は少し考え直す。でも、それでも呪いなんてものがあるわけない。きっと本城さんは私をからかったに違いない。だが私たちは決してそういう間柄ではないはずだ。
 多佳子は早苗がどんな人物だったのかを思い出す。
 女子社員の中ではひときわ暗く、社内でも少し浮いた存在。飲み会には滅多に参加せず、背中まで伸びた長い黒髪と影のある顔が不気味だ。社員の一部からは「貞子」というあだ名がつけられている。オカルト的なものが好きだという。
 そんな彼女から発せられた呪いという言葉。それが今になって現実味を帯びてくる。本当に呪いが存在していると想定した場合、彼女ならそれに精通していそうだ。
「まさかね」
 アナウンス。轟音。電車がホームへと入る。ドアが開き、中から人が降りてくる。多佳子は入れ替わりに電車の中へと入る。
 吊り河に身体を預けると、今までの生活を振り返る。自分は誰かに恨まれるようなことを無意識にしてしまったのかもしれない。
 電車に揺られながら、必死に過去の出来事を脳内で再現する。しかし記憶とはあやふやなもので、多佳子は自分が行った業務以外にはこれといったことを思い出せない。
 結局、自宅についても、思い当たる節は見つからなかった。これを、早苗さんの妄言だったと安心すべきか、完全に無意識のまま人に不快にしたと認めるべきか、多佳子には判断がつかなかった。

 翌朝。多佳子は悪夢から逃げるようにして目を覚ました。
 時計を見ると、まだ六時にもなっていない。目覚まし時計が作動する前に起きてしまった。 
 体中が汗にまみれてパジャマがビショビショに濡れていた。不快感に顔をしかめると、ゆっくりと起き上がり、体に残る眠気をこらえて風呂場へと向かう。
 熱いシャワーを全身に浴びながら、多佳子はさきほど見ていた悪夢を思い出す。
 
 多佳子は会社の事務所内でいつも通りの仕事をこなしていた。
 何者かの強い念をこめた視線を背中で感じ、不快に思いながらもキーボードを叩き続けていた。
 するとしばらくしてから喉に違和感を覚え、次第に呼吸がうまくできなくなった。念力のようなもので首全体を締め付けられるような感覚。しだいに吸い込める酸素の量が減っていき、多佳子は椅子から床に転げ落ちた。
 明らかな異常事態。しかし他の人間は誰一人として多佳子を気にかけなかった。最初に感じた視線の主以外は。
 苦しさは加速度的に増していく。もはや誰も助けてくれない。意識を失い、死ぬのをただ待つだけの状態。
「お前なんて、死んでしまえばいい」
 見えないところから投げかけられたその言葉を聞き取ると同時に、多佳子は意識を失い――現実世界で目を覚ました。

 嫌な夢だった。明らかに昨日の話の影響を受けている。もしかしたらこの夢自体が呪いの一部かもしれない。
 嫌な考えが頭を巡る。朝食を満足に取らないまま、多佳子は家を出た。
 こうなったら、早苗に詳しく話を聞くしかないのだ。呪いが本当なら対処法を教えてもらえばいい。もしも多佳子に対するジョークなのだとしたら、それはそれで何ら問題はないのだ。
 会社に着く。いつもより早く家を出たため、まだ他の社員がほとんどいない。しばらく待っていると、早苗が出勤してきた。
 朝礼まではまだ時間がある。多佳子は早苗を誰もいない社内の休憩室へと連れて行くことにする。
「本城さん、ちょっといいかしら。昨日のことで話があって」
 早苗はこくりと頷くと、黙って多佳子の後ろについていく。
「それで、何が聞きたいの?」
 早苗は休憩室の扉を閉じると同時に多佳子に質問を促した。
「昨日あなたが言っていた呪いって、本当のことなの?」
 多佳子は唇を僅かに震わせながら、恐る恐るたずねる。手のひらは汗でびっしょりと濡れている。どうか、冗談でありますように。
「ええ、本当よ」
 早苗はきっぱりと答えた。
「私の趣味については知ってるでしょう? だから呪いに関してもそれなりに知識はあるのよ。私から見て、あなたは明らかに呪われている」
 冷水をかけられたような、ぞっとする感覚が多佳子の全身を走る。早苗の表情と語調から、冗談ではないと感じてしまったのだ。最悪の展開だ。
「だ、誰が私を呪ってるのよ……どうやったら助かるのよ!」
 多佳子は不安のあまり声を荒げて、早苗の肩に掴みかかる。だが、早苗は臆することなく、むしろこの状況を楽しんでいるのではないかと思わせるような表情で答えた。
「呪いをかけている相手がそんな簡単に分かるわけないじゃない」
「じゃあ呪いからどうやって身を守ればいいのよ!」
「一番手っ取り早いのは自分を呪う相手を自力で見つけることね。そうすれば呪いを相手に直接返すこともできるわ」
 早苗は多佳子の手を自分の肩から退かせると、休憩室の扉を開ける。
「私からできる助言はこれだけよ」
「そんな……」
 今多佳子が頼れるのは早苗しかいない。しかしその早苗もこれ以上は力になれない。一気に自分の周りが真っ暗になったような錯覚に陥る。早苗という希望の灯りが消えたのだ。
「もう朝礼が始まっちゃうわ。早く行きましょう」
 早苗は踵を返し、休憩室を後にする。多佳子はその後ろ姿をぼうっと見ていることしかできなかった。

 時計が十七時を示している。朝から呪いのことが頭から離れず、仕事がまったくはかどらない。机の上には書類が小さな山となって溜まっていた。
 雑念を振り払い、仕事に集中しようとしても全身にけだるさを感じて集中力が長く持たない。風邪を引いたりしているわけでもない。原因不明の体調不良。
 もしかして、これが呪いなのではないか……?
 現在進行形で多佳子を蝕む、恨みの念から生まれた呪い。相手が分からなければそれに退行することもできない。
 多佳子はここ最近の自分を振り返り、呪いをかけている相手はこの会社内にいるのではないかと目星をつけていた。
 この一ヶ月、プライベートで会った人間は彼氏一人だけ。互いの仲は良好で彼に恨まれているとは到底思えない。他に接触があった人間は会社の人だけになる。
 見えない敵。見えない攻撃。早くも多佳子は早くも精神的に憔悴していた。
 気がつけば二十一時を回っていた。ようやく仕事に区切りがつき、多佳子は荷物をまとめ始める。呪いをかけられたままでは仕事が進まない。早く解決しなければならない。
 ふと早苗の言葉を思い出す。
「何かあったら会社に迷惑がかかるんだから」
 そう、これは多佳子だけの問題ではない。呪いで仕事に支障が出れば会社に迷惑がかかるのだ。義務感に近い何かが僅かに生まれる。
 なんとしても相手を見つけなければ。

 翌日、多佳子は昨日よりも早く出勤していた。後から出勤してくる人間全てを観察するために。何事も行動を起こさないと始まらない。
 昨日の疲れが取れないのか、それとも呪いのせいなのかは分からないが、身体がやけに重く感じ、非常に不快だった。しかし、耐えなければならない。
 出勤してきた人を怪しまれないように観察する。気取られてはいけないような気がして、いつも通りに挨拶して不信感を抱かせないようにする。
 しばらくして全員が遅刻をせずに出勤し、いつも通り朝礼が始まる。期待していた成果は得られず、多佳子は少し落胆する。しかしまだ一日はまだ始まったばかりである。
 仕事に集中するふりをして人間観察を続ける。誰も彼もいつも通りで多佳子は自分のしていることに意味があるのかと疑い始めた。雰囲気に呑まれただけで、早苗の言っていることが嘘だという可能性もゼロではない。
 時々他の人間と会話を交わすが、その時ですら多佳子は神経を尖らせ、相手の言葉を一言一句漏らさないようにする。しかし、何も分からない。やはり誰も彼もいつも通りなのだ。
 しかし突然腹部を襲った痛みで、考えを改める。苦痛に少し顔を歪め、席を立つとトイレへと駆け込む。
「なんなのよもう……」
 多佳子は鏡に映る自分の顔を見る。今朝よりもやつれており驚く。たった数時間でこんな風になってしまうものなのか。
「どうして私がこんな目に会わなくちゃならないのよ」
 やはり何者かが呪っている。多佳子は確信した。そして同時に怒りがふつふつとこみ上げてくる。
 顔を上げると、多佳子は鏡に映る自分の表情が修羅のごとく怒りで歪んでいるのを見て少し驚く。疲労と怒りがごちゃごちゃになった顔は今までに無いくらい醜くなっていた。
 容姿は優れている方だと昔から自覚していた多佳子にとって、今の自分の顔は衝撃的なものだった。私が今こんなに醜いのも、呪いのせいだ。
 足音が近づく。鏡に他の女性社員が映る。多佳子と同じ部署の後輩だ。
「せ、先輩……」
 後輩の女性は驚きを隠せないようだった。こんな表情の多佳子を見たのは初めてだったのだろう。
「ごめんね、見なかったことにして」
 多佳子は自分の顔を隠すようにしてトイレを後にする。
 こんな状態では今日は仕事も呪いをかけている相手を探すのも無理だ。精神を落ち着けなけないといけない。
 そう判断した多佳子は上司に無理を言って早退した。

 その日の夜。多佳子の恋人である片倉裕二が家を訪ねてきた。
「今日は仕事が早く終わってね」
 心身共に疲労困憊だった多佳子には、愛する裕二の訪問が嬉しくてたまらなかった。玄関先で思わず抱きつくと、弱音を吐く。
「ねえ裕二、私を助けて」
「どうした、すごく疲れているんじゃないか? ひどくやつれているみたいだ」
「うん。私ね、誰かに呪われてるみたいなの」
「呪い? 呪いってホラー映画とかで出てくるようなやつのことか?」
「そうみたい。信じられないかもしれないけど」
「君の様子を見てると冗談には思えないな。詳しく聞こうじゃないか」
 多佳子は裕二の身体から離れると、部屋の奥へと戻る。裕二が後に続き、二人は真っ白なソファーの上に腰を下ろした。多佳子は座ると同時に裕二の肩へと首をもたげ、全てを話した。
「なんとも信じがたい話だね」
「でも、現に私は呪いのせいでこんなにやつれているわ」
「うん。君の様子を見る限り信じざるを得ないね」
「ね、どうしたらいいのかしら」
 多佳子は裕二の腕をぎゅっと抱きしめる。
「あれは……いつのことだったかな?」
「あれ?」
「会社の先輩に告白されたって話さ」
 多佳子は思い出す。そんなこともあった。確か半年くらい前だったか。異性からの告白など今まで幾度となく経験してきたため、他の記憶の中に埋もれていた。
 浦沢良人。それが多佳子に愛の告白をした男の名前だ。異性に惚れやすく、陰で女好きと言われている。ねちねちとしてしつこい性格とお世辞にも良いとは言えない容姿から女性社員からはあまり良い印象がない。
 多佳子も一時期、飲み会のたびにしつこく迫られていたが、自分の印象を悪くしないためにやんわりと断っていたのだ。
「そんなこともあったわね。あの時は苦労したわ。あんなしつこい人は初めてだったもの。」
 他の女性に興味が移った瞬間、今までのしつこさがまるで嘘みたいに多佳子へのアプローチがなくなった。その時を思い出し、苦笑する。
「僕はその先輩が怪しいんじゃないかと思ってね」
「あ……」
「驚いた。自分で気づかなかったのか」
 口をぽかんと開けている多佳子を、裕二は不思議そうに見た。
 苦労の甲斐もあって、多佳子は浦沢と気まずさを感じるようなこともなく、現在も普通に接している。だからだろう。彼が自分を呪っているという考えに思いつかなかったのは。
「ありがとう裕二」
 多佳子は裕二を見上げると、唇を重ねた。
 
 その日の朝も、多佳子は悪夢にうなされながら目を覚ました。
 寝てもとれない疲労感、やつれて醜くなった顔、磨り減った精神。全ては浦沢のせいだ。そう思いながら会社へと向かう準備をする。まだそうと決まったわけではない。だが多佳子の中では完全に浦沢が呪いをかけた張本人となっていた。
 待っていろ。問い詰めて全て吐かせてやる。
 多佳子は満足に食事を取らないまま、早足で会社へと向かった。
 人気のない事務所の中でひたすら浦沢を待ち続ける。鬼気迫る表情で出入り口を睨み続けているため、後からやって来る他の社員から不審に思われるが、多佳子は意に介さない。
 二十分ほど待ち続けたところで、浦沢が事務所の扉を開けた。
 多佳子は待ってましたと言わんばかりに椅子から飛び上がると、一目散に彼のもとへと向かう。
「浦沢先輩ッ!」
「な、なんだ!?」
 突然掴みかかられて浦沢は動揺する。そんな彼を多佳子は思い切り睨みつける。目の下にできたくまが表情と相まって彼を完全に畏怖させる。
「分かってるんですよ。あなたが私を恨んでいること、呪っていること!」
 事務所内がざわめき始める。多佳子の呪いという言葉に反応しているようだ。ただ一人、本城早苗だけが無言で二人を見つめている。
「い、意味が分からない。呪いってなんのことだ」
「しらばっくれないでよ。私が振ったのがそんなに嫌だったの? ねえ!」
「そんな前のことを気にしちゃいないよ。僕にはもう恋人だっているんだから」
「じゃあなんでよ! なんで私を恨むの? なんで私を呪うの?」
「だから僕はそんなこと知らない。君を呪ってなんかいないんだよ!」
「嘘つかないで! あなた以外に誰がいるっていうのよ!」
「僕以外にもここにはたくさんの社員がいるじゃないか」
「ありえないわ。私は人に恨まれるような生き方なんでしてこなかったもの! この私が人に嫌われるなんてありえない!」
「本当に他人から好かれる人間になれたと思っているのか?」
「思ってるわよ!」
「そうかい」
 物怖じしていた浦沢も次第に強気になってくる。
「醜い本性を隠していたんだな。そんなこと言っているけど、現に君は呪われてるんだろう?」
「だからあなたが呪ってるんでしょう!」
「違うと言っているじゃないか!」
 スーツの襟をずっと掴んでいた多佳子を浦沢は両手で突き飛ばす。多佳子は床にしりもちをついて倒れた。
「言わせてもらおう。君はね、君が思っている以上に人から好かれちゃいないんだよ」
 散々罵詈雑言を浴びせかけていた多佳子の口が動きを止める。
「今では僕だって君にいい思いを抱いていないし、それにこの職場のみんなだって君のことを快く思っちゃいないんだよ」
「何を言ってるの……」
「君はここにいる全員から呪われてもおかしくないんだよ!」
 勢いにのった浦沢は、多佳子を指差しながら叫ぶ。周囲の人間が何事かと二人を囲むようにして集まった。
「嘘……嘘よ……」
 多佳子は頭を抱えながら否定の言葉を繰り返す。そんな彼女に事務所内にいる人間全員の視線が集まる。
「嫌……見ないで」
 ざわめきが事務所内を埋め尽くす。多佳子と浦沢を除く全員が、同僚から野次馬へと変貌を遂げていた。
 多佳子にはそれらが皆、自分に恨みを持つ人間にしか見えなくなっていた。ざわめきは呪詛の言葉となって彼女の鼓膜を震わせる。視線は彼女の脳に負の念がこめられたものと認識され、精神を蝕んでいく。
「見ないでええええええええ」
 視線とざわめきに耐えられなくなったのか、多佳子は絶叫しながら事務所内を飛び出した。
 翌日、多佳子は会社を辞めた。


「浦沢さん、あなたって本当に素敵よ」
 とあるホテルの一室。二人の男女が裸で身体を寄せ合っていた。
「君のためならなんだってできるさ」
 男――浦沢良人は自分の腕の中にいる女に優しく口付ける。
「早苗、僕には君しか見えないよ。僕をここまで愛してくれる女性は、君が初めてだ」
 女――本城早苗は一言「ありがと」と言うと、上体を起こした。「喉が渇いちゃった」
 ベッドの横に置いてあるグラスにミネラルウォーターを注ぎ、喉を潤す。
「それにしても、あんなにうまく行くとは思わなかったわ。全部、あなたの演技のおかげ」
「僕は君に言われた通りに行動しただけさ。君の計画が完璧だった。それだけのことだよ」
「前から斉藤多佳子は嫌いだったのよ。明るくて容姿が良い。社交性もある。私とは正反対の女。それだけならまだよかったけど、明らかに周りの女を見下してた。本人は自覚なかったかもしれないけどね」
「そんな卑下することはないよ、君は十分に魅力的だ」
「自分だけは他の女と違って完璧な人生を歩んでいます。そんな雰囲気をいつもかもし出してたわ。本当、不快だった」
「でも、彼女は会社を去った。僕らの手によって、ね」
「ええ。あの女、あそこまで呪いを信じるとは思わなかった。こればかりは自分の容姿と暗さが役にたったわ。皮肉なことにね」
「思い込みとは恐いものだね。彼女、他人から見ても分かるくらいにやつれていた」
「最初は半信半疑だったのに、後から私にすがってきたときは笑いを堪えるのが大変だったわ」
「いい気味さ。自分の容姿が優れているからって、男を惑わすような内面の醜い女だ」
「あなたの言うとおりよ。その後はあの女があなたを疑うように仕向けて、あなたが止めの台詞を言い放つ」
「まさかあんな簡単に僕を疑うようになるとは思わなかったよ」
 早苗の言葉には嘘が織り交ぜられていた。彼女自身は多佳子に干渉し、浦沢を疑うように仕向けてはいない。さすがにそこまでしたら、自分が怪しまれる。早苗はそう考えていた。
 何もしなくても多佳子が最初に疑うであろう人間、それが浦沢だった。早苗はそのことを踏まえて彼と関係を持つようになり、この計画を持ちかけたのである。
 幾度となく女性に振られてきた浦沢には、自分に好意を寄せる女性がとても魅力的に見えたのだろう。お世辞にも女性としての魅力に優れていない早苗に、彼は骨抜きになっていた。
「浦沢さん、あなたって本当素敵よ」
 この言葉は嘘ではない。自分の手駒として、ではあるが。
 この時点で浦沢は完全に早苗の人形と成り下がっていた。一方通行の感情。それに気づかないまま、彼は彼女の思うままに操られていく。
「ね、もう一人この会社から追い出したい女がいるんだけど――」
 早苗は浦沢の首に腕を絡めると、身体を密着させた。悪意を仮初の愛へと変えて、再び交じり合う。
 夜が、更けていく。
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