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性春狂騒曲Ⅰ

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 新しい生活というのは新しい靴と同じようなもので、始めのうちはピカピカでもどこか具合が悪く、やっと馴染んで来たと思ったころにはもうボロボロなのだ。
 この物語は、わたしの輝ける生活がボロボロになっていくまでを描いた、悲劇である。あるいは、ボロボロな靴が少しでもピカピカに戻らないかと無駄な努力を続けた結果、もうどうにもならないくらいボロボロにしてしまうという喜劇である。

  ☆

 わたしが私立エトワール学園高等部に入学してから三度目の春が来て、桜も散り始め、わたしはイライラしていた。今、わたしは高円寺駅前のマクドナルドの前に立ち、人を待っている。自動ドアが開くたびに聞こえる店員の元気な声すら癇に障る。
 このごろのわたしはイライラすることが常態になっていて、むしろイライラしていないと不安でイライラするというほどになっていた。その理由というのはすべて、これまでの高校生活があまりにもあんまりで、わたしの純真無垢にして清浄可憐だったはずの乙女心を清々しいほどに歪めて壊して狂わせてしまったからである。
 ため息がでる。排気口から漂うむせ返るようなファストフード臭が鼻をつく。こんなはずじゃなかったのに、人生。
 イライラは募るばかりで、明らかに出入りに邪魔な位置でまんじりともせず立ち尽くしていたら、たっぷりの油とてんこもりの食品添加物で不健康になろうとしていた男と肩がぶつかり、わたしはすかさずその胸倉を掴んで、「おいお前、ぶつかって侘びもなしか? 死ぬか? 死ぬのか? ぶん殴るぞイベリコ豚め、どんぐり食うか?」と言えばその男は気持ち悪い笑顔で「すみませんすみません」なぞと逃げようとするので、「本当にぶん殴るぞこのうすのろめ」とさらに脅迫、マクドナルド店内を見てみれば店員が呆然としていて、客も呆然としていて、自動ドアのガラスにわたしの姿が写っていて、その時のわたしときたら高円寺の狂犬とあだ名されかねないほどの荒れっぷりに見え、いっそ誰かわたしを保健所に連れて行って薬殺してくれればいいと思った。そして犬鍋にでもして食らってくれ。それで全部すっきりだ。このイライラともおさらばだ。そんなことを考えながら拳を固めていざ殴ろうとしたとき、一人の女が駆け寄ってきて「どうしたの、ケンちゃん?」「いや、なんかこの人が……」すると女はわたしの目をじっと覗き込んできて、「アブない人だよ、行こうよ」ああそうだ、わたしはアブない人だよ! あっち行っちまえ、ケンちゃんとその名も知らぬ恋人よ! そして二度とわたしの前に姿を現すな! なんていわずとも、二度とわたしの前に姿を現したくなんてないだろうし、現すこともないだろうけど。
 気炎を吐きまくり、気炎どころか放射能火炎でも吐きそうになっている怪獣王わたしを通行人たちが遠巻きにしている。それがまた気に障り、何見てんだ! などとアブない人御用達のセリフをぶち吐いて、さらに通行人との距離を広げるわたし。はっきりいって、アブない上にカワイソウな人である。イライラしながらも、客観視している自分がいるのが悲しくてならなかった。いっそ完全に狂ってしまえれば楽であろうに。
 そもそもこんなにわたしがイライラしている総ての元凶は悪の総本山はといえば乙女心を歪めて壊して狂わせてしまった奴といえば、横断歩道の向こうから、エトワール学園の妙に優れたデザインの制服に身を包み校則違反スレスレまで髪を脱色した優男が近づいてきて、「悪ぃ待った?」この脳味噌に蛆虫とその糞が詰まっているに違いない糞野郎こそがわたしの青春を狂わせてしまった悪漢なのであり、そして、「八十光年は待ったよこのドグサレが!」「光年は距離だろ」「知ってるよアホ! ケツの穴ハンダづけしてやろうか!」わたしたちは腕を組み、連れ立って歩いていく、どこへ向かうのかもいまいち自覚しないで、そう、そしてわたし達は恋人同士なのだ。この上なく不愉快なことに。しかし世の中に愉快なことなんてそうそうないので問題じゃない。不愉快の程度が問題なのだ。こいつといるのははじめのうちはあまり不愉快ではなかったし、時と場合によっては、つまりマリファナのセッティングと同じことで、ある条件の下では愉快なものともなった。特に愉快だったのはいわゆる男女の秘め事とされる例のアレであり、端的に言えばこいつとわたしは身体の相性がこうかはばつぐん、わたしは数えるほども男を知らないながらも、これほど相性のあう相手がそうそういないことくらいはわかるほどだった。
 書店、喫茶店、ゲームセンター、コンビニで売ってる軽薄な週刊誌に載ってそうなデートスポットをお遍路さんみたいに回って、存分に退屈したところで予定調和のように彼の部屋へ行く、とはいえいきなりことをおっぱじめるわけではない。はじめはやはりこれも軽薄な情報誌にのっているような恋人の決まりごとを踏襲し、お茶を飲んでみたり音楽を聴いてみたりテレビを観てみたり、それで退屈のピークが頂点に達したあたりで彼の手がわたしの髪に触れ肩に触り、もっと下の方へ「シャワーは?」「いいよ、別に」これも決まりごとの一つ。シャワーを事前と事後二回も浴びることは面倒くさいし地球環境にも優しくない。精子を三億匹ほどムダに殺すのだから、少しくらいは他の生き物のためになってもよかろう。
 そして始まる、情緒も技巧も風流あったもんじゃない、獣のように激しく求め合うだけのファック、ファック、ファック。汚れた肉と肉をぶつけ合うだけぶつけ合って、勝手に達して唸るだけ。退屈の極地に達してわたし達は達する。達したままにぐったりと倒れこんで、彼を胸に抱き、その背中の熱を手の平で感じていると、枕元に何か落ちているのに気づいた。情けないしなびたチンポコみたいに液体を湛えて揺れるゴム袋。わたしはその用途が避妊であると知っている。「なんだこれは?」わたし達が使っているモノとは色が違うし形も違う。そうなると、これをこの男が何に何のために使ったかなんて考えなくてもわかる。それでも一応社交辞令として質問してみたわけだが、このウスバカゲロウの答えは簡潔明瞭「忘れた」死ね! 死んでしまえ! さっきまでキスしてた顔に今度は拳をお見舞いする。「痛ってえ!」そのまま跳ね起きて、破壊活動を始める「おいやめろよおい」手近にあったバットを振り回して、勢いのままに壊しつくして壊しつくして、CDラジカセ、パーソナルコンピューター、窓、机、手につくもの総て壊しても満足することはなく、涙だけが出た。すると「泣くなよ、ほら」と彼はそっと優しく全裸のわたしの肩に手を添えた。それで涙は止まった。かわりにまた猛烈に腹が立った。なんでこんなに腹が立つのか? すでに冷めた恋のはずなのに。ほんとうはわかってる。わたしたちにはもうとっくに心の繋がりなんてなくて、身体のつながりしか残っていない。心が通じているのなら、一度や二度の肉体的な浮気などどうとでもなる。しかし、肉体しか通じていないのに、肉体的な浮気をされれば、それはもうどうしようもないのだ。「謝るよ悪かったと思ってるからさ」「うるさい! 死ね! 死んじまえ!」「明日また電話するよ」「するなばか!」
 そのままわたしは肩をいからせて、すれ違う人を恐怖のずんどこに叩き落しながら帰宅し、そういえば明日は朝から部活動紹介の集会に出なくてはいけないのでとっとと寝ることにした。
 わたしが所属する文藝部は所属部員数三十人を越える校内随一のマンモス部であるが、その実態は幽霊部員が九割九分を占める、悪徳建築事務所のような名義貸し部なのであった。総ての生徒は部活動に参加せねばならぬ、なんて規則を作るからこういう部活が発生するのだ。
 そういうわけで、文藝部の実働部員はわずか一人、部長の武内タケヤという男であるが、この男も図書室にこもってなにやら難儀な本を読んでいるばかりで、一般的にイメージされる部活動らしい活動は何もしていない。そんな肥溜めの方が肥料になる分だけまだ有用な部活動の紹介活動にわたしが参加しなければならないのはひとえに、先日の会議におけるじゃんけんで負けたというそれだけ。
 翌日わたしは堂々の遅刻をして私立エトワール学園の門をくぐり、体育館の演壇裏に入り、他の部活のパフォーマンスを真剣な顔で見つめていた武内に問う、「何をやるんだよ?」彼は得意げに笑い、「漫才」「なぜ当日に言う!」股間を蹴り上げてやったら悶絶した。男性機能の危機に直面しているのだから当然といえる。
 わたしは絶対にやりたくない、と口角泡を飛ばして抗議をしたが、やるしかない、やるしかない、と連呼する武内に負けてやることになった。漫才以外の何かをする案がなかったからでもある。その場ででネタ合わせをしてわたしは、これは確実に日本の芸能の歴史を変えると確信した。もちろん、悪いほうに。
 予想通りわたしたちの漫才はそれはそれは壮絶なもので、前衛芸術もかくやというほどであった。静寂の中で繰り広げるまったく面白くないお笑いというものは、死を決意するに十分であった。でも死なない。スベったから死にます、といえるほどお笑いに打ち込んじゃいないし、恥ずかしいから死にます、というほど乙女でもない。わたしは曖昧な半笑いで部隊袖に引っ込み、そして観客から見えなくなると同時に武内の股間を蹴り上げた。本日二度目の男性機能の危機にこの部長様々はなんとか倒れずに耐えた。見上げた根性といえる。それどころか笑顔でこちらを振り向き、親指を立てて、「大、失敗だったね!」その頭に拳を叩き込んでやる「当たり前だばか! へらへらすんな! ブギーマンみたいな顔にしてやろうか!」その辺に転がっていたホッチキスを引っつかんだわたしを実行委員の連中が必死に羽交い絞めにする、「なんでそんなに嬉しそうな顔をしているんだ、このばか」「間近で見ると真田さんってやっぱり美人だなぁと思って」「ば、ばかやろうそんな甘言でわたしがなびくとでも思ったかこのやろう! ……これアドレスと、一応番号もかいておいたから、登録しておけ! フナ虫!」「早っ」心と身体は裏腹で、それどころか心と心すら裏腹で、我ながら分裂状態、自分で自分が支離滅裂、何を言っているのか考えているのか良くわからない。いつもの暴走状態。こうしてわたしは輝ける青春の日々を全力でドブに投げ捨ててきたのだ。
「電話なんかするんじゃないぞ、このやろう! で、電話くれても嬉しくなんてないからな! メールもするなよ! 寝る前とかにメールされると、寂しくなくなって心ぽかぽかでぐっすり眠れちゃって迷惑なんだからな! 絶対やめろよ!」
 武内に念を押してわたしは体育館を走り出た。なぜか知らないが体温が上昇してしまったようなので、外の風に当たりたくなったのである。
 体育館を飛び出して中庭に降り、一息ついて深呼吸をし、なにか新しい日々が始まりそうな予感に鼻歌交じりに歩いていると、電話の着信音が鳴った。その着信音は『ボックス・オブ・レイン』あいつが好きだった音楽、牧歌的で叙情的な不愉快なメロディ、昨夜、あいつが明日電話するといっていたことを思い出す、その時の怒りが瞬間湯沸しのごとき勢いで蘇る、通話ボタンを押下して、というよりほとんど殴打して、力任せに送話口に叫ぶ「今更何の用だうすらとんかち!」「え、あ、ごめんなさい」がちゃん、つーつー。笑えることにその電話は元・恋人からではなかったようだった。聞き覚えがある声のような気がして少し考えて思い出す。ああ、あいつだ、武内だ。わはははははははははは。笑えてきた。このばか、よりにもよって、今更何の用だ! だってさ。本当に、一体何の用だったんだろうね? 今となってはわからない。わたしの新しい恋、約二分で終了。くたばっちまえ、自分。
 笑いたくなって、空を見上げると笑えるくらいに晴れ渡っていた。
 高校生になりたての頃は、もっと素敵な毎日が待っているのだと思っていた。いや、あいつと付き合い始めた頃も、いくぶんスれはじめていたとはいえ、やっぱりそう思っていた。今では……よくわからない。そもそも青春ってなんだ? セックス? アクション? サスペンス? バイオレンス? 全部違う気がする。もっとセンチメンタルでロマンチックなものじゃなかったのか? 青春というのは、それはそう、ラ……ラ……ラーメン? ラウドパーク? ラン・アンド・ヒット? いまいち思い出せない。確か最初にラがついて、最後にブがつく言葉だったような気がするのだが。もしかしたら心のうちに答えがあるかと思って自らを鑑みてみるも、わたしの心はもう、よどみすぎて元の色が何色だったかさえわからない。
 このわたしの明日はどっちだ。北か。南か。上か。下か。もしかしてどこにもないのか。だとしたらどこに辿り着くんだ。とりあえず北北西に進路をとるか。でもそっちは新潟だ。米しかないぞ。さらに進むとウラジオストクだ。ロシア怖いぞ。
 歩きながらあたりを見ると、散り遅れた桜が葉に紛れてひっそり咲いており、妙に物悲しく目に映る。
 このわたしの総ての総てをどうにかしてくれる救世主が現れてくれればいいと思った。できればそこそこいい男でわたしと付き合ってもいいという優しい人希望。条件その他についてはお気軽にお問い合わせを。連絡先は070‐XXXXXXX。さて、それでこの求人広告はどこに載せればいいのだろう? R25?
 くだらなすぎる思考を打ち切るために頭を振って、中庭の何にもないところにわたしは立ち止まった。理由などない。ただ立ち止まりたかったから立ち止まっただけだ。強いて言うなら、少し風が強く感じられて気持ちよかったというところかもしれない。そしてふと気配を感じて、頭上を見上げた。
 そこにわたしは救世主を見つける。
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