此れは、二つの運命の歯車が噛み合った瞬間のお話。
第二話
春、という言葉に出会いや始まりという言葉を繋げる人は少なくない。
だがまた、別れや終りという言葉を繋げる人も、そう少なくは無いだろう。
佐倉朋音という人間は、後者の人間である。
特に彼女は、死別、命の終わりといった生死に特定された言葉を、春に連想するのである。
春になる度に、彼女はやるせない気持ちになるのだ。
「…あったかー」
澄んだソプラノの声が響くその場所は、海を見渡す場所に作られた霊園である。
青々とした芝生と、赤い煉瓦造りの道が広がり、個性的な墓石が所狭しと建てられている。
墓石が無ければ、幼い子供とその両親が仲良く遊んでいそうな、明るい雰囲気に満ちている。
その霊園内に設置されたベンチに一人座って、朋音が青く澄み渡った空を見上げている。
幾ら明るい雰囲気の場所とはいえ墓地であるから、お盆くらいにしか人で賑わう事のない場所。
その場所に居るのは、霊園の管理者である佐倉家の人間か、管理所の人間くらいだ。
そう、朋音は管理者である佐倉家の娘なのである。
正確にはだった、というべきであろう。
五年前までは朋音の父親が、この霊園を管理する管理所の所長であった。
だが、現在はその息子であり、現在の朋音の唯一の肉親である兄の智哉が、所長を勤めている。
元々此処は寺であったのだが、珍しいもの好きの父が、デザイン墓に興味を持ち始めたのがこの霊園である。
そして、この海を見渡せるという絶景と、自由にデザイン出来、且つ安値というのを売りにした。
父の代から始めた事だったが、元々なんでもそつなくこなす父の事、今の所景気は上々。
そんな父も、今まで共にしてきた母と、今やこの個性的な霊園の住民の一人である。
「…五年、かぁ」
空を見上げ小さな声で呟いては、朋音は頭の中で去年の事を振り返る。
其れは、五年前の春のこと。
朋音と智哉、そして両親を乗せた車は、一本の山道を走っていた。
その山を越えた先にある、母の実家へと赴く為にだ。
実家には見事な桜の大樹が植えられており、毎年春には帰省して花見をするのが恒例であった。
車は、もう何度も通りなれた山道をグングンと進んでいく。
運転席の父も、助手席の母も、後部座席の朋音と智哉も、これから何が起こるかなんて分からない。
眠気覚ましのガムを強請る父に、母はバッグからガムを一枚取り出す。
母が差し出してくれるガムを、前を見て運転しつつ、首を伸ばして食べようとする父。
其れを見て笑うのは兄の智哉で、釣られて朋音も其れを見て笑った。
山道と言っても確りと舗装された二車線の道路で、通る車も多くはないが少なくもない。
気を付けていれば何もないはずの、緩やかな山道の筈だった。
「…なぁ、前の車、幾ら何でも速すぎないか?山道だぞ…」
そう声を上げたのは、朋音の右隣で携帯ゲーム機で遊んでいた智哉だった。
「あぁ…事故らなきゃ良いんだがなぁ」
「嫌ねぇ。若い人が運転してるんだわ、きっと…智哉はあんな運転しちゃ駄目よ?」
父に続いて、母も前の車に目を向けながら溜息を吐いた。
そして、後部座席を振り返っては、再びゲームを始めた智哉へとそう言葉を告げた。
思わぬとばっちりに、智哉は顔を上げて母に向かって苦笑の表情を向ける。
「んな事しないって…」
「そうそう、お母さん。まず、兄さんは免許取る事から始めなきゃなんだからさ」
「うるせ!エコに協力してんだよ、エコに!」
「免許取るための資金が無いだけの癖に…」
車内に明るい笑い声が響き、柔らかな雰囲気に車内は包まれる。
だが、其れは次の瞬間に一変する。
突如、ギュルルルッと何かが強く擦れて捩れるような音が響いた。
それは、前の車から響いている音だった。
「な、なんだ…!?」
父親の声がするのが早いか、それとも同時か。
前を走っていた筈の車は突如、Uターンして反対車線へと移る。
そして何を思ったのか、其の侭物凄いスピードで走り出した。
二車線といっても山道の事、それほど幅は広くないし、突然のUターン。
運転席側の車体が、まだ朋音達の乗る車のある車道に、残ったままだ。
だが、その車は構う事無くスピードを上げる。
「ぶっ、ぶつかッ―――」
「いやぁああ!!!」
父親の言葉は最後まで紡がれず、そして母親の悲鳴が響いた。
瞬きをする余裕も無く、朋音は自分達の車に向かってくるその車を見た。
やがて、父親の座っている運転席側に、その車は物凄い勢いで衝突する。
ドガンッと硬い何かと何かがぶつかる音と、ガシャンと車体の窓全てが割れる音は、ほぼ同時だった。
フロントガラスも、運転席の窓も助手席の窓も後部座席の窓も、全部全部割れて、其れは車内へ溢れた。
悲鳴を上げるよりも早く、朋音の体は智哉に押し倒された。
そして、飛び散る硝子の破片から守るように、智哉は朋音へと覆い被さる。
何が起きたのか理解出来ない侭、朋音は必死に、兄の体の下で祈った。
助かる事だけを祈り願い、声も無く泣いて怯えていた。
衝突の衝撃で揺れていた車体がやがて静かになると、朋音は閉じていた目を開く。
兄の智哉も、ゆっくりと、朋音の肩を抱いた侭起き上がる。
「朋音…大丈夫か?」
「ひっ、く…うっ……だい、じょ、ぶ…にいさ、はっ…」
嗚咽に塗れた声を上げる朋音に、智哉は優しくその頭を撫でて笑いかける。
「俺は大丈夫だ…けど、母さん達は…」
言われて、朋音は前を見る。
ひしゃげた、車の一部だったもの。
それに、赤い何かがべっとりとこびり付いているのをまず、朋音は目にした。
「お父さん!お母さん!!」
朋音は椅子に手を付けて運転席と助手席の間に体を滑らせる。
手に、椅子に刺さっていた硝子が突き刺さり、痛んだ。
だがその痛みを凌駕する精神的ショックが、次の瞬間朋音に襲いかかる。
運転席には、父だったモノが、ぐったりとハンドルに覆い被さるようにしていた。
助手席には、矢張り前方に倒れこんでいる、母だったモノが居た。
ぐったりとした体は重く、兄妹の様に起き上がる気配は一向にしない。
ただ、足元へと流れる赤い液体が、二人の死を明らかにしていた。
其れからの事を、朋音はもう覚えていない。
ただ、父も母も、あの事故では即死であった事。
朋音を庇った兄智哉も意外に軽傷であり、朋音に関しても足首を捻った程度だという事。
そして、Uターンしてきた車の運転手は、事故ではなく犯罪として罰せられたという事。
だが、その刑は二人の人間の命を奪ったにしては、余りにも軽すぎる物だった事。
それだけは、覚えている。
今年も見事な桜が日本各地で咲き乱れ、今はお花見シーズン真っ只中だ。
だがもう、母の実家に行く事は恐らく無いだろう。
少なくとも、家族で花見をする事はもう、永久に出来ない。
朋音は霊園に植えられた桜の並木を、高台にあるベンチに座って見下ろす。
五年前からずっと、朋音は世界の滅亡を願う。
両親を二人殺しておきながら軽い刑罰で済み、今ものうのうと生きている人間のいるこの世界。
軽い刑罰しか与えない、能の無い人間達のいるこの世界。
そして、兄に守れら両親を目の前で亡くし、それでも生きている自分のいるこの世界。
守られて、生き残ってしまったという罪悪感に苛まれながらも、自傷すら恐れて出来ない弱虫の自分。
皆無くなってしまえばいいと、思っても思っても、如何にもならないのが現実。
「…うっ……ふ、ぅ…ううっ!!」
ベンチの上に座らせたその体を、曲げて、太腿に上半身を密着させる。
目に拳を当てて、溢れる涙を必死に抑えて、零れる嗚咽を必死に殺そうとする。
だがどんなに抑えて、殺そうとしても、涙も嗚咽も自分の意思とは無関係に溢れ零れていく。
不意に、あの日両親と見る事の出来なかった桜の香りが、体に纏わりつくような感覚に囚われる。
「そんな所で泣いてっと、連れてかれんぞ」
そして、唐突にその声は響いた。
其れは、幼さの残る、テノールというよりはアルトの様な、変声期の少年の声だった。
朋音は酷く慌て、涙の溢れる目を手の甲で拭いながら、バッと顔を上げる。
そして、先程の声の主を探そうと、顔をブンブンと左右に振ってみる。
「此処だっつの。アンタの左後ろ」
その声に誘われる侭、朋音は自身の左後ろへと腰を捻る。
其処には、栗色の髪に白い肌、半袖のワイシャツと半ズボンに包まれた、酷く目付きの悪い少年が居た。
その顔は、幼さを微かに感じさせながらも、既に男を感じさせるような形に整っている。
まるで、大人と子供が入り混じったような不思議な姿だけれど、でも奇妙ではない。
身長的にも小学校高学年か、中学校入りたてといった感じだが、その雰囲気は酷く大人びている。
その不思議な存在に、呆然としている朋音を見れば、少年は朋音の額を軽く小突く。
「ぼおっとしてんなよ。なんか言えよ」
「…へ?え、あぁ…えっと、あー…どちら様?」
少年の言葉に我に返る朋音だったが、いまだ思考回路の覚束無い頭では、気の利いた事は言えなかった。
だが、少年は何処か満足したように唇の端を上げれば、ベンチの前へと回りこみ、朋音の隣に腰を下ろす。
「芦屋涼…だったっけな」
「は?だった…って、え、なに…」
少年の返答に、イタイ子?とか思わず目を丸める朋音。
だが、少年―芦屋涼―は、ニンマリと意地の悪い、子供っぽい笑みを朋音へと向ける。
「だって俺、ユーレイだもん」
「…は?」
朋音の顔が、呆然とした表情から、訝しげな表情へと変わる。
朋音の中で、少年はイタイ子?からヤバイ子へとジャンルを変えた瞬間でもあった。
だがそんな朋音の反応とはお構い無しに、涼はすっと後ろにある墓石を指差す。
横長の楕円形の墓石には『RyoAsiya』という名前が刻まれており、両隣にはマントを羽織ったブタの小さな石像がある。
「あれ、俺の墓…隣のはブーターマン。生きてた頃に、妹と考えたヤツ」
涼の言葉に、朋音は少しだけドキッとした。
あの墓の事は、朋音にも記憶があった。
そう、幼い少女の世話を頼まれた時に、見せてもらった絵がアレだからだ。
その時はただ、物凄い変なキャラだと思ったけれど。
「…って、そんなのじゃ騙されないって!もう、友達なんでしょ?ほら、一人でこんなとこ来ないで、帰って遊べ」
「嘘じゃないって。まったく、頑固なヤツだな…」
だからと言って、彼がその墓の主とは信じきれない朋音は叫んだ。
当たり前の事を言ったまでだったが、そんな朋音の様子に、涼は不機嫌そうに呟く。
元々目付きの悪い目が、不機嫌さが滲み出て更に悪くなる。
「んじゃ、此れで分かるだろ?」
そう言うや否や、涼は朋音の左手首を強く掴めば、グイッと引っ張った。
そして、自分の胸へと朋音の掌を押し付ける。
相手は男の子であるが、思わず朋音は挙動不審になる。
「な、何してんの!?変態?変態なん!?こんな霊園でお姉さんに襲えと!?」
「誰が変態だ!ちげぇよ馬鹿!そういう発想するお前が変態だ!!落ち着いて手に集中しろよ!」
思わず変態発言をした朋音に、涼は顔を真っ赤にしながら叱咤した。
言われるまま自分を落ち着かせれば、左手に意識を集中する。
薄いワイシャツ越しに、柔らかいとも硬いとも、まだどっちつかずな少年の胸板を感じる。
最初はそれだけしか考えられなかったが、暫く触っていれば、朋音は掌の違和感に気付く。
其れは、普通に考えれば有り得ない事だけれど、時間が経つにつれ確信へと変わっていく。
「…心臓、動いてない」
朋音は思わず、その違和感を口にする。
まだ春だから体が冷たいという程度なら見過ごせる。
けれど、たった一枚の薄いワイシャツ越しに、心臓の鼓動を感じられない筈が無いのだ。
それでも、目の前の少年の体は冷たく、心臓の鼓動は欠片程にも感じられない。
死体なんて触った事は無いけれど、それでも分かる。
この少年はもう、死んでいる筈なんだと。
そう改めて頭の中で確信してしまえば、朋音の顔から血の気がサァッと引いていく。
目の前に死んでいる筈の人間が座って、尚且つ自分の死を確かめさせているのだから。
「おおおおおおっ、おばっ、おばばば、おば…あばばばばばばば」
「うわっ、壊れた!」
思わず意味不明な叫び声を上げた朋音に、次は涼の顔が引き攣った。
涼は朋音の左手を解放すれば、取り敢えず、朋音を落ち着かせようとする。
立ち上がり、落ち着け、と何度も言いながら、滑稽に震えている朋音の肩を掴んでみる。
暫くすると朋音も漸く落ち着いて―顔の血の気は引いたままだが―、改めて、涼を見詰める。
「…で、本当に幽霊なんでしょうか」
「まぁ、幽霊なんじゃねぇかな。でも、生きてないとはいえ肉体があるわけだし、妖怪みたいなもんかもな」
「よっ、よーか…い。その妖怪が何の用かい…」
「いやダジャレとか良いから」
ダジャレを言う朋音の額に、少年の右手チョップが落ちる。
自分の恐怖心を誤魔化す為のダジャレだったが、意外にもツッコミを入れられてしまった。
思わず、彼は生きているのではないかと疑ってしまうが、つい先程の事を思い出せば直ぐに疑うのは止める。
「…まぁ、さ。アンタが泣いてたみたいだから、なんとなく?ほら、マイナス思考の時にこういう所いると、連れてかれるって言うじゃねぇか…まぁだから?」
「なんでそんな疑問符大量なのさ…何々みたいな?ってヤツか?お姉さんは嫌いだねそういうのは」
「いやそういう話じゃねぇだろ…まぁ、そんだけ」
「はぁ!?」
それだけ、という涼の言葉に、朋音は益々首を傾げていぶかしむ。
そんだけの為に出てきたのか、と。
「まったく、意味ワカラン…」
「…否、まぁ伝えたい事はあるっちゃあるんだけどな」
俯きながら考え込む朋音に、涼は苦笑を浮かべながら明後日の方向を見る。
如何してこの少年はこうも、子供らしくない仕草が多いんだろうと、疑問に思う。
「…ほら、アンタ両親の事で悔やんでただろ?そういうの止めた方が良いぞ。死んだ方は、悔やまれたって、良い思いしねぇし…寧ろ、悪い気しかしねぇよ?俺だったらさ…だからほら、まー…アンタもクヨクヨしてねぇで、頑張れって言う話だ」
涼は、まるで言葉を選ぶような間を入れながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
その唐突な言葉に、聞かされる朋音は呆気に取られて、丸くなった目で涼を見詰める。
そして、彼は家族を残して死んでしまったのだと、理解する。
言うなれば、彼は自分の両親と同じ立場の人間なのだと。
突飛な話しだし何故か偉そうだし、最初に頭は小突かれるし変態呼ばわりされたけれど。
それでも、何故か朋音はその言葉で、救われたような気がした。
見ず知らずの幽霊に慰められて、それでも救われたような錯覚に陥る。
「…お父さんもお母さんも、そうなの?」
「え?あ、あぁ…当たり前だって!だからほら、頑張れって」
「…そ、か」
ゆっくりと、朋音は立ち上がる。
そして両腕を上げ空を仰ぎながら背伸びをすれば、涼の方を振り返る。
「あんがとね、涼君。今度お礼に、お墓綺麗にしてあげるよ」
「…サンキュ。じゃ、俺も帰ろうかな」
そう言って、涼も立ち上がる。
そして、本当の自分が眠っている墓石へと向かう。
その背中を見詰めながら、朋音は心の中で何度もお礼を言う。
胸のしこりが取れてスッキリとした気分だった。
そんな気分になれたのも、彼のお陰であると、理解しているから。
彼が消えてしまうのは、少しだけ残念だけれど、ゆっくりと眠らせてあげなければならない。
だが、そう思った矢先――。
「…あれ?戻れ、ねぇ…」
「は?」
涼の言葉に、朋音は目を丸め、口をポカンと開きながら、首を傾げた。
今までの爽やかで和やかな雰囲気をぶち壊すには、充分なほどに、あまりに間抜けな声だった。
一方、戻れないと言う涼は、墓石の前で顔面を蒼白にしてオロオロとしていた。
当然だ、自分の居るべき場所に帰れないのだから。
墓石やブーターマンの石像をペチペチと叩いてみたりするものの、一向に消える気配はない。
暫くすると諦めたのか、ぐったりと墓石の前で座り込む。
「…帰れ、ないの?」
「……あぁ、そう…みたいだ…」
今にも泣きそうな震える声で、明後日の方向を見ながら涼は答えた。
朋音は前屈みになって涼の顔を覗き込む。
涼はブツブツと、あぁしないと駄目なのかとか、こうしないと駄目なのかと、一人何かを呟いている。
「…若しかして、体があるからじゃない?本当の幽霊みたいになったら、帰れるんじゃ?」
墓石の前に座り込み、ブーターマンの石像を見詰めながら朋音が小さく呟いた。
意外に可愛いじゃないブーターマン、なんて思いながら。
そしてその朋音の言葉に、涼はハッとした表情で顔を上げる。
「それだぁ!…って、どうやってなるんだ?」
「…はい?え、分かんないの?」
「…だって、出て来た時からこんな体だったし」
「…」
二人の間に沈黙が流れていく。
若しかしたら解決策は合っているのかもしれないが、解決法が分からない。
試合に勝って勝負に負けたような状態である。
だが、一番深刻に感じているのは、間違いなく少年の方である。
涼は呆然と項垂れて、地面を見下ろしているのか太腿や手を見下ろしているのか分からない。
幽霊とは言え元はれっきとした人間であるから、彼だって絶望する事はあるだろう。
そう思うと、朋音の胸は締め付けられるような痛みに襲われる。
若し彼が此の侭、帰る事が出来なかったら、どうなるのか。
其れは分からないけれど、この侭放っておく事は出来なかった。
「よし…家に来なさい少年!帰れるようになるまで、私が世話してあげる!」
朋音は勢い良く立ち上がれば、項垂れて、湿気てキノコでも生えそうな程落ち込んでいる涼を見下ろし、言った。
「は?な、何言って…」
「だって、元はといえば私がこんな所で鬱になってたのが原因なんだしさ。それに、幽霊とはいえ、困り果てている幼い少年を残して去っていくような、最低な大人になったつもりはないのさ!」
朋音は自分の胸元をドンと左の拳で叩けば、涼を見下ろし笑う。
一人暮らしだから何とかなるでしょう、なんて根拠の無い自身を抱きながら。
涼は呆然として朋音を見上げていたが、やがて立ち上がれば小さく頷く。
もう其れしかないと、涼も判断したらしい。
「よ、よろしく、な…」
「おうともさ!さて、んじゃ帰ろう。帰って夕飯にしよう…って、お腹減ってる?」
「…減ってる」
「食べるんだ」
「…食べたい」
「おけ。んじゃ行こ!」
そう言うや否や、朋音は霊園の出口に向かって、道を駆け出していく。
彼女の長い黒髪がユラユラと揺れる。
「……変なヤツ」
駆け出す朋音の背中を見詰めながら、涼は小さく呟いた。
唐突に現れた非常識な存在を、家で世話をするなんて言い出したある意味非常識な人間。
全ての始まりはこの日唐突に起こった事か、それともずっと前から決められていた事なのか。
それでも、運命の歯車だけは、ゆっくりと廻り始める。
そして、彼女と彼の物語は、こうして始まったのだ。
「ところで、涼君って目付き悪いよね。そういうのは幽霊らしいよね」
「……目付き悪いのは生まれつきだ馬鹿」
ユーレイ日和 第二話 ひょんな事