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俺の名前は吉野。吉野渉。
この春高校3年になる、何の変哲も無い普通の学生だ。

ガラリ、と開けるドアの音と軽さで分かる。
幽霊部員でいっぱいの誰も居ない、部室。ある一人を除いて。

「よぅ。いらっしゃい」

いかにも不真面目そうなこいつは同じパソコン部の部員、染井。1年の時に同じクラスだった。

「ようこそ貸切のパソコン室へ」

「ホームルーム終わるのが早いな。A組は」

貸切。そう言えば聞こえはいいものなのかもしれないが……
授業が終わった瞬間、特別教室から部室に変わるこの部屋は
一クラス分の台数があるパソコン室に使用する人間が現在2人。
全く殺風景だ。下手したら頭もそんな良さそうに見えない俺達は居残り組に見えてしまうかもしれない。

パソコン部には理数科出身の真面目な部長が1人と、
「イマリ」というたまに顔を出す部員、そして俺とこいつ。
本来なら他の学年を含め、部員は全員で10人くらいはいるのだろうが
去年の「よろしくお願いします会」みたいな物以来、見たことが無い。

それもその筈。履歴書に部活で取った適当な検定の名前と
「パソコン部」と書いてあればちょっと出来そうに見えるだろうし。

「時代はインターネットだっていうのにどうかしてる。」俺がそうこぼすと、部長は
『みんなは家でインターネットやってる方が楽しいんだよ』と悲しく笑う。
彼も去年の今頃、『部長としてパソコン部部員のみんなの面倒をキチンと見るように頑張ります!!』
と「よろしくお願いします会」で目を輝かせながら言っていたのに。

かと言って、現在の部活では特にやることもない。
ワープロ検定に向けて頑張っていた日々が懐かしい。
適当に動画でも見て時間を潰して部長の顔を見たら様子を見て帰ろう。

そう思っていると、染井が声を掛けてきた。

「吉野!『1日で447万4435キロメートル』これ、なーんだ」

また始まった。

先週は1回降った雨の水を全部集めると学校のプール何杯分という話。
先々週は、人間の大きさのノミが東京の高層ビルを飛び越える話。

今度は何なのだろう。1粒で300メートルなら、あのキャラメルだってわかるんだが。

「チッ、チッ、チ ぶー、時間切れ」

「カウントはえーよ」

「なんと1日で伸びる日本人全員分の髪の毛の長さです!ちりも積もれば山となるとはまさにこのこと」

「気持ち悪い話だな……」

脳内のイメージがキャラメルと打って変わって、グロテスクな大量に切り替わる話題に、もう一人の自分が「妄想狂乙」と罵る。

「人の髪の毛は1日平均0.35ミリメートル前後伸びて、平均10万本生えてる。
それを掛け算すると、3万5000ミリメートル。1人あたり1日に35mも伸びるってことだよな。
だから、日本の人口が1億278万1000人てことは 1日で日本人の44億7443万5000メートル。447万4435キロメートルもあるってことだ。
月まで余裕で届くんだ!それどころかそれすら追い越して、もっと遠い惑星まで届く!!」

なんでかこいつは目を輝かせてる。それ程ロマンがある話なのだろうか。
人類の自然な力は星まで届くってか。

「で、限界で大体どこの星まで届くんだ?」

「知らない。もう飽きちった」

そりゃそうだ。
さっきから難しいような事を話してるのとは裏腹に、算数のSの字すらわからないお前が
インターネットで髪の毛のうんぬんやら、月から地球の距離を調べて携帯の電卓で計算した数字を並べてるんだからな。

しかも、「ミリメートル」「センチメートル」「単位」なんて調べてるようじゃ、大学の受験も思いやられる。

だけどこいつは自分が疑問に思ったこと、しかもそれがどんなにくだらないことだろうと忠実に調べ上げる。飽きっぽいのに、こういうことだけはマメで一々尊敬してしまう。

きっと髪の毛の事も一日中考えていたんだろう。
そして授業が終わり、画面から吐き出される青白い光を受けるこの時を待つ。
インターネットはこいつにとって最高のオモチャだ。

「どうせなら世界人口で求めるくらいやってみろよ」

「ええ、でも他の世界の人の髪の毛は違う色じゃんか。なんか全く別なものみたいでさ」

「アホ。日本人で金髪やら茶髪やらの人間もごまんといるだろ、ちょっとした人種差別だぞ」

「いやいや、そんなつもりは無いよ。じゃあ今度は世界の金髪だけの人数でも調べてみるしかないな」

染井はそう言ってニヤリと笑う。そういえばこいつの女のタイプはブロンド美人だという話を昔聞いたような。

「その髪の毛が何か役に立つといいな」

毎度こんな言葉を言ってしまう、俺も俺だ。

こんなくだらないことを計算した答えをもっと他の事に利用出来ないかと考えてしまう。

もしその日本人1日分の髪の毛があったらそれを資源にして何か出来ないだろうか。
先週は水道が止められても、1回分の降った雨の水でどれくらい持つか考えたっけ。

昔、ハイジャック犯を捕まえる為に乗客のネクタイを全部集めて長くしたもので犯人を縛り上げた話と、アウシュヴィッツでガス殺された人々の髪の毛が集められ、マットレスや生地に加工されたという話が脳内を駆け巡る。
それを応用して、あるいは最新のテクノロジーで新しい何かを考えられないだろうか。
少なくとも三つ編みにしたらある程度強度は増すだろう。
そしたら何に使える?運動会の綱引き用の綱?無難につけ毛?初心に戻ってカツラか。

「おい、染井。もし何かの番組で髪の毛の特集とかあってさ。 それを見た視聴者が自分の髪の毛を確かめる為に1本づつ髪の毛を抜いちまったらどうなるんだろうな」

「視聴率と人口と0.35ミリメートルをかけて、さっきの答えから引き算すればいい。それでも月には届く、きっと」

「その番組の視聴率が悪かったらな」

悪乗りするのも何度目だろう。最初はからかうつもりだったのにいつの間にか楽しくなってきてしまった。
お互いの顔を見ないでニヤニヤする俺達は他人から見れば絶対に気持ち悪い。

「でももし人類が、全員うちのじいちゃんみたいにマルハゲドンだったら
 月までどころか、空に届かないかもしれない。そしたら吉野、俺どうしよう」

「別に誰もどうもしねーよ」

こいつのアホさは痛快だ。思わず笑ってしまった。
染井も悪戯にヒヒッと笑った。

「そういえば、ジャンプで連載してた漫画であったよな。
鼻毛で戦う主人公が地球を侵略しようとするハゲ軍団を打ちのめす話」

「ああ、俺んちにある。明日持って来るか?」

「今からお前んち行くわ!!帰ろうぜ」

「部長、今日も誰も来ないって泣くぜ」

きっと何も役に立たない計算をするお前と、それを何かに使えないだろうかと
考えてしまう俺はきっとガラクタ拾いと勿体無いおばけだとつくづく思った。

日本人全員の一日伸びる分の髪の毛なんて、手に入る筈も無いのに。まさに「取らぬ狸の皮算用」。明日はその髪の毛を何に使うかインターネットを使ってひっそり考えながら、哀れな部長を待っていよう。

勿論、部室にこいつが居なかったらの話だが。
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