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第二話 奈落

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 翌朝、木島はいつも通り七時に起きた。だるい体をなんとか起こし、洗面所で顔を洗う。洗面所に映っている自分の顔にたくさんしわがよっている事に彼は気づいた。しょうがない年のせいだ。彼はそう思った。
 新聞を読みながら朝食をとる。新聞を読みながら彼は呟いた。
「まったくもって政治家はだらしないな……」
 と。新聞には政治家の不祥事が書かれていたのだ。

 木島は今日もまた会社に向かう。この行動を彼は三十六年間続けてきた。晴れの日も雨の日もだ。
 
 そしていつものように木島は会社に着いた。だがしかし、今日はいつもとは全く違った日になった。
 五階建ての自社ビルの前には人だかりができていた。彼はそれがどういう事態を表しているのか分からなかった。
 彼は部下の一人を見つけて尋ねた。
「これは一体どういう事態なんだ」
 部下は少し驚きながら言った。
「部長も知らされてなかったんですか。倒産したんですよ。うちの会社」
 彼にはその言葉が信じられなかった。毅然とした態度で言い放つ。
「君、冗談はよしたまえ。そんな事ある訳ないだろう」
 その男はむっとしながら答えた。
「本当ですよ。入り口の張り紙を見てください。夜逃げした社長のいい訳が書いてありますから」
 木島は前に前へと進んだ。張り紙には

 弊社は諸事情により倒産いたしました。みなさまの永らくのご愛顧を頼りに、今まで頑張っておりましたが 残念ながら私、代表取締役社長石橋の力不足の限りです。
 
 木島は途方に暮れた。まさか自分の会社が倒産するとは夢にも思っていなかったからだ。
 彼はふらふらした足取りで会社を離れ、近くの公園に入った。別に考えがあるわけではない。何となく入ったのだ。とりあえず彼は公園のベンチに座り込んだ。
 落ち着け、落ち着け冷静になるんだ。彼はそう自分にいい聞かせるが冷静になればなるほど自分が置かれている状態がひどい事が分かってくる。
 
 まず退職金が受け取りないだろう。とするとどうするんだこれからの生活は。
 様々な不安がこみ上げてきた。
 まず、家のローンだ。あと十年間、毎月五万円ずつ払わなければならない。それに、娘の大学進学もある。それらが終わっても、毎月生きていくには金が必要だ。年金だけで足りるだろうか……。

 木島は自分が悪い方向ばかりに考えている事に気づいた。彼はいい事が何かないかと考えたが、何も出てこなかった。
 
 木島はおぼつかない足取りで公園の中を歩き出した。別に目的がある訳ではない。
 真っ青な顔で焦点が合わない中年男性が、ふらりふらり歩いてる姿は周りの人から見れば不審者そのものだったろう。
 二十分もふらついていると、もう彼は疲れてしまった。運動不足と年のせいだ。彼はとりあえず近くのベンチに座った。

 木島の目の前に鳩がよってきた。彼は手を差し伸べる。が、鳩はそっぽを向き別の方向に行こうとした。
 彼は駅で買ったスナック菓子を投げた。鳩がよってきて、手の上に乗る。その様子を見てかれは呟いた。
「現金な奴だなあ。お前も」
 と。そう言いながら、彼はしばらく、鳩にえさを与え続けた。
 
 木島はいつのまにやら、手帳を手にしていた。長年の癖だ。暇なときも仕事の予定を確認するのが癖になってしまったのだ。
 が、もはや予定などすべてなくなってしまった。彼は既に書いてあった予定をすべてボールペンで打ち消した。
 彼は帰らなかった。いや、帰れなかった。木島には妻に自分の会社が倒産した事を打ち明けられる勇気がなかったのだ。
 が、別にやる事はない。ぼんやりとしていた彼に暇つぶしをする場所がひらめいた。

 木島が思いついた場所は図書館だった。彼はこの近くに図書館がある事を思い出し、そこに向かった。
 うろ覚えでなんとかたどり着き、ゆっくりとドアを開けた。
 彼は自分が図書館に何年ぶりに入ったかまでは覚えていなかったが、ずいぶん久しぶりだという事は何となく分かった。なぜなら彼が昔利用した図書館とこの図書館はまるで違ったからである。
 少し、戸惑いつつ彼は適当に館内を歩いた。何を借りるかまでは考えていなかったからだ。

 木島の目に一冊の本が飛び込んできた。カールマルクス著『資本論』だ。
 彼はずいぶんと自分がこの本に感化され、高揚させられた事を覚えていた。だから、彼は迷いなく本棚から本を引き抜け椅子に座り読み始めた。
 
 目に飛び込んでくる文章に彼は確かに見覚えがあった。そして懐かしい。  
 だが、しかし読み進めても高揚はなぜか訪れなかった。おかしいなと思いながら読み進めていく。
 が、やはり面白くなかった。彼は久しぶりに読んだせいかと思い、さらに一時間ほど読む。
 が、やはり面白くないし、理解できない。それでも頑張って読もうとするがもはや、苦痛だった。時計を見るともう十二時だった。彼は弁当を食べる事にした。
 
 館内は飲食禁止なので公園のベンチで食べる。弁当は妻が作る。
 弁当を妻が作ってくれるのは別に愛情からではない。前にも書いたが、木島の妻は彼に対する愛情を持ち合わせていなかった。経費削減のためだ。金のためだ。

 
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