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終章 「蟲姫様の埋葬」

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「……そう、今回遭遇した蟲は、あの時のものと同じ種族、というよりは、言動からして全く同じものと見ていいかもしれない。だとすると、あの蟲はもしかしたら、待っていたのかもしれないね。自分を消してくれる存在、則ち静馬君が現れるのを」

 五條は感慨深そうに、腕組みをしながら話す。

「この蟲は本当に悲しい蟲だね。恐らく、あの蟲は自ら望んで破壊行動を繰り返したわけではないのだろう。幼い子どもが機関銃を手にした様に、望まざる所為だったとしか言えない。結局のところ、あの蟲は助けを請うために、あんなことをしたのかもしれない」
「その点で見ると、僕のケースにも少し似てますね」
 静馬は、厳粛な表情で一言投げる。
「だからこそ、僕の能力って言うんですか? それも目覚めたのかもしれないですし」
「……まさにその通りだね」
 五條は微笑みを浮かべて、続けた。
「静馬君の能力……闘って傷を付けることなく蟲を消滅させられる。現存する<インセクター>の中では、恐らく唯一と思われる力だ」
「代わりに、《蟲の望むものを差し出すこと》が条件ですけどね。もし相手が僕の死を望んだしたら、そこで終わりです。何とも、扱いづらい力ですよ」
「……だけどそれゆえに、<インセクター>にとっては不可欠な存在になりうる。確かに直接的な戦闘能力もなく、一見大したことない力に見えても、裏を返せば誰にも殺せない蟲が出現したときに頼らざるを得ない、最強の力になる」
 静馬は笑って答える。
「ははは、杞憂ですよ。今回だって稀に起こるケースだったみたいですし、僕の力が役に立つことなんて、滅多にないと思いますよ」
「……ま、それが第一だからね。それじゃなくても、静馬君には素晴らしいくらいの推理力と観察眼が備わっているし」
 そんなことないですよ、と静馬は肩を竦める。

 その時、五條と静馬の傍を、救急の担架に乗せられた宗太が通る。
 静馬は救急車の中に運ばれる宗太を見て、眉根を寄せた。
「宗太君は、助かりますかね?」
「彼には……必ず助かって欲しいね。彼はこの事件の証言者として、強く生きていかなければならない。しばらくうちで保護をすることにはなるね」
 躊躇うように間をおいて、一言、
「彼の両親ももう、無事では済まないからね」
「……《女王蜂の卵》、ですか」
 一段と厳しい表情を浮かべて、五条は話し続ける。
「祐一とエリカ君に退治してもらってるけれど、もう既にこの町全体といっていいほどに拡大している。この町はもう、人なき町に変わってもおかしくない。どうりで、やたらと人通りが少なくなっていたわけだ。まさか、町中の人間に卵が産みつけられていたとはね」
 五條はぐっと伸びをして、大きく欠伸をした。
「ともかく、初めての《蟲害》お疲れさま、静馬君」
「はい、ありがとうございます」
 静馬は欠伸を堪え、その代わり涙腺を刺激されて涙が伝う。
「雪村さんや柚樹ちゃんももう戻っているだろうから、後は祐一たちに任せて、僕らも戻るとしようか。色々と事後処理も待っているだろうからね」
「……そうですね、帰りましょう」
 静馬が答えると、五條は一足先にタクシーに乗り込み、運転手となにかしら会話を始めた。


 静馬は一人、目の前にある家を見上げる。降り始めの雨が少し、顔を打つ。

 さっきまで自分は死の目前まで手を伸ばしていて、本当にギリギリで助かったことが、まるで夢のように思えてくる。
 静馬は心中でそう述懐しながら、ひっそりと呟いた。
「僕も……ああだったのかもしれない。勉強に夢中になりながらも、どこかで助けを求めていたのかもしれないな。自分の意志とは裏腹に、救難信号を発していたのかもしれない。
 ……もしかしたら、"死なない蟲"っていうのは、みんなそれを発しているんじゃないのかな? だとしたら、僕が殺さなきゃいけない蟲ってのは過去の自分であって、知らず知らずのうちに自らの所業に苦しんでいる蟲たちばかりなのかもしれない。
 それを殺さなきゃいけないのか、僕は……」





 《蟲害》を乗り越えて、静馬の得た力。
 それはくしくも、過去の自分と同じ状況の蟲を殺すための能力。
 自分は助かったけれども、自分はそれを殺さなければならない。これからそうなることを考えると、静馬は胸が張り裂けんばかりの思いに襲われた。
 だけど、それを乗り越えていかなければいけないことも、事実。
 静馬はこれから、深い悲しみと向き合って、手を取り合って進まなければならないということを、今一度痛感した。
 手にした力。そう――――











 《ラケシスの報償》と銘打たれた、〝自分〟を殺すための力。









         ∮






「……エリカ君」
「何です? 瀬川さん」
 瀬川は他人の血で身体を紅く染めながら、話す。
「本当にこれで、いいと思うかい? 卵を産みつけられた人間を全員殺して、この事件を"無かったことにするって"」
「……五條さんの力を使えば、そんな事は簡単です」
 エリカは、頬についた返り血を拭いながら吐き捨てる。
「私たち<インセクター>に、必ずしも正しいこと、善いことが纏わりつくことは不可能だと思います。大部分の《蟲害》は、蟲が憑いたために殺さざるを得なくなった一般人が何人もいます。今回だって、三人じゃ済まされてません。現に今、私たちがこうやって殲滅を続けています。それは救済でも何でもなく、常人から見れば私たちのほうが狂っていて、殺人行為を繰り返しているとしか見れません。<インセクター>が理解される日なんて、来るはずがないんですよ。……私、あっちの方の見回りに行ってきます」
「………………」
 何も言わずに、エリカは闇夜の中に溶けて行く。
 瀬川はその後姿を、それが消えるまで、哀惜の表情を浮かべて見届けた。
 そして自分の右腕で蠢く、"赤い蟲の群生"を眺める。

 自らの体に残されている、蟲への代償と、その力。
 蟲に憑かれた人間を"殺すためだけに"生み出された、それに似る凶器の塊。

 瀬川は永遠に蟲と闘い続けることを約束された。

 昔はそんな事は苦ではなかった。自分を苦しめた蟲を駆逐する為なら、何をしたって構わない。そう考えていた。
 くしくもその考えは……否定された。
 瀬川にはまだ、人を殺すことに対しての躊躇いが存在する。
 例え相手が完全に<蟲化>してしまったとしても、わずかに殺すことを躊躇してしまう。
 それだから、いつもケアレスミスで怪我を負ってしまう。
 だから、人に対する感情なんてものは、もう既に捨てたつもりでいた。
 その考え方自体が、間違っていた。 

「僕は……どうしようもなく弱い人間だ。<インセクター>の力っていうのは、自らの体験に相反する思いに比例して得られる。自分の感じた恐怖が、そのまま力になるんだ。僕は極度に蟲を恐れていたから、その蟲を絶対的に殺すことの出来る力を手に入れた。……だけど、静馬君やエリカ君は違う。二人には絶対的に蟲を殺す力はないし、万事に対応できるほど万能でもない。逆に言えば、二人の力はそれほど優れている。それに加え、静馬君には常人にはない強靭な精神力がある。僕なんかにはない、屈強な精神が。僕は二人に偉いことを言える立場なんかじゃない。強くならなきゃいけないのは、僕なんだ」

 瀬川は本降りになり始めた空を仰ぎ、弱く呟いた。







         ∮






 まだ完治していない左足を引きずりながら、それでもエリカは走る。眼の奥に容赦ない怒りを湛え、視線の先に真っ暗闇を走らせながら。
 暗いのと、雨が降っているのに影響して、彼女の髪はひどくどす黒く見えた。
 右手には黒光りする血を滴らせた、大鉈。左手にはそれと同様に、肉厚の鉈。
 切って、殴って、殺して。壊して、燃やして、消す。呪文のように、エリカはひたすら呟いていた。
 そうでもしなければ、そうでもしなければ。




 この怒りは、収まらなかったから。




「…………あァっ!!」


 怒号をあげながら、力任せに両鉈を振るう。
 二つの狂気は、手当たり次第に建造物を破壊し、無差別に人を殺す。
 自分の歩いた痕には、何も残らないことを知っていた。
 それでも尚、壊して、壊して、壊して、壊して、壊し続ける。
 相手が一般人だろうと、<蟲化>しかけた半ば人間のものだとしても。
 エリカは、目配せ一つくれなかった。


「私は……間違ってなんかいない……」
 恨み言のように、エリカは言い残す。
「私はただ……全てを壊すために……生まれてきた……。壊すだけのこの力を……私は恥じはしない……」
 何度も、何度も。声を、荒げながら。
「だから私は……壊し続けるだけ……。誰が何をしようと……関係ない……」


 一瞬立ち止まって、ポツリと、


「私の力は"破壊者《ヴァンダル》"。ただ、破壊するしかないんだから……」




 そして再び、闇夜に消えた。





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