第十四話 「決戦 その二」
起:反撃開始
気の抜けた炭酸水の様に”終わった”と言う開放感から、一気に冷水を浴びせられたかの如く、その場に居合わせた者達は皆、自然に視線を綾ノ森少佐へと集中させていた。
後々、彼が僕に教えてくれた事だが、”ここが一番重要だ”との事だった。
何せ総指揮官である足利大佐自身が”この件は終了”として早く帰る事を望んでいるのだ、下の者が浮ついていても仕方が無い。
まず我々は既に主導権を奪われている不利な状態から、同じ高さまで昇り詰めなければならない。
この握手と言う行為自体に大きな意味は無いが、場の空気を超人Xから取り戻す手段としては上々であった。
「このような素晴らしい探偵と知り合う事が出来、今回の推理劇も実に見事で勉強になりました」
頬笑みを浮かべ手を握る。
超人X(本物の佐伯先生が出るまでは超人Xで通します)も微笑み返し、
「私もですよ。大変勉強になりました」
何の躊躇も無く、すらすらと次の言葉が出るのは流石としか言えない。
「所で、その偽物の宝石ですが何故この様な物を作られたのですか?」
彼は笑顔で超人Xの手にある偽物の宝石を指差した。
超人Xはこの時どう思ったのだろうか?
少なくともまだ警戒は解いていないのだろう、佐伯先生の仕草をそっくり真似て
「最悪すり替えておこうかなと思ったんですが、結局使わずに終わっちゃいましたが」
と、照れ臭そうに頭を掻きながら下を向いた。
多分その時、その顔を見たのは僕だけかもしれないけど、超人は下を向いた時ニヤリと凍る様な笑みを浮かべていた。
「で、今それを使おうと言う訳ですか?」
「はい、好い案とは思いませんか?」
指で銀縁の眼鏡を抑え、ゆっくりとした口調で綾ノ森少佐に質問を返す。
「良い案だとは思うのですが、やはり私は軍部で預かるのが一番だと思います」
再び室内は騒然とした。
僕らの反撃が開始された瞬間だ。
承:疑惑
「綾ノ森君!!」
一気に騒々しくなった室内は足利大佐の大声で再び静まり返る。
「大丈夫です。今度は僕が一名にかけて守り通します。“伽羅の仏像”の二の舞はしませんよ」
そう言った瞬間、足利大佐は顔を赤くして彼の胸倉を掴む
「綾ノ森ぃ!!」
僕にはその時、何故足利大佐がこうも興奮するのかは分からなかった。とにかく分かっているのは、綾ノ森少佐が足利大佐の腕を優しく払い再び超人Xの方を向いた。
「失礼、話を戻します。僕の考えはやはり軍部が預かるのが一番だと考えています。貴方は優秀な探偵ですが、あくまで一般人。その偽物の宝石は使わせて頂きます、良い考えと思いますので、しかし本物の“永遠の炎”は私達に預けてもらえませんか?」
こうなると超人Xも引けなくなる。せっかく手に入れ、危険を払って手に入れた目的の宝を無条件で返さねばならなくなる。それはあまりにもばかばかしい上、再び奪おうと思ったら更に厳重な軍隊の基地へ乗り込まねばならなくなる。
「…お言葉ですが、本当に軍部が安全と言い切れますか?」
悩みに悩んだ末、超人Xは口を開く
「それはどういう意味ですか?」
綾ノ森少佐は掌をグッと握り締め、超人Xの次の言葉を待った。
「超人Xならば必ず軍部の基地ですら止める事は出来ません。いや、厳重な警備があるからこそ超人Xはそれを奪う事が出来るのです」
この言葉によって転機が訪れる。
転:伽羅の仏像
「警備が厳重と言う事はそこに“何か秘密がある”とも考えられますよね。…超人Xはその名の通り超人です、彼の美術品の嗅覚は物凄いものだと考えています。この美術館の“永遠の炎”が偽物だと分かったら直ぐに貴殿の基地へ狙いを定め、それを奪いに行く事でしょう」
「どうして、そう思われますか?そして何故貴方が持つ方が安全と言えますか?」
二人の男の周囲に異様な空気が流れた。
「まず第一に、人が多ければ超人Xが紛れ込む余地を与えます。奴の変装術は知っての通り、まず見破れません。その点、私の様な一介の探偵事務所には人は多く居りません。それに“ここに隠してます”言わんばかりの基地より、私の様な一般人が持っていた方がバレにくいでしょう。…もちろん特別な隠し場所に隠し年中見張っておきます」
彼は淡々と軍部へ隠すことへの警告をするが、ここへ来て若干の違和感は否めない。
恐らく誰もが感じたはずだ
“何故そこまで自分が預かる事に固執したのか?”
これは彼が行った大きなミスであった、二度手間を惜しんだが為に“疑惑”を与えてしまったのだから。
「何故そこまで自分が持つと固執するのですか?おかしいですよ、貴方に何の利益も無いのですよ、それにあなたが言う程我々の守りは薄くありません。必ず守り通しますよ」
此処へ来ても綾ノ森少佐は淡々と述べる、彼は既に大きな罠を超人Xの足元に仕掛け終えているのだ。
「私は守れる自信がありますし、宿敵である超人Xが私の所に来たら必ず捕まえる自信もあります。逆に軍部で保管、監視をした場合、絶対に守れる自信はあるのですか?超人Xが紛れ込めば誰もが疑心暗鬼になり、最終的にその隙をついて奴は盗んで行くとは考えられませんか?」
「…それは“伽羅の仏像”の一件の事を言っておられるのですか?」
「はい、そうです。聞いた話では奴は中に潜り込むと、兵隊の一人に化け、あえて見つかりそうな所に自分を縛り上げたそうじゃありませんか。そして奴はこう言った“自分に化けた男が中に潜り込んだぞ!そいつが予告状を寄こした盗人だ!”と…その後は既に皆さんご存じでしょう?基地内は続々と同じ様な事をされた兵隊に溢れ、皆が皆“疑心暗鬼”に陥り、最後は仏像を盗まれてしまった…人が多い警備が厚いと言うのは時に大きな弱点なのです」
超人Xは“してやったり”と言う様な顔で室内の皆の顔を眺めた。
これ以上無い完璧な演技と実際の事件を例に出し“警備が厚いと言う事が安全とは限らない、少なくとも相手が超人Xと言う化け物相手の場合”と言う事を説いた。
兵隊の中には「確かに…」と言う声も漏れだす。
再び奴はこの窮地を知恵と演技によって切り抜けたのだ!
だが…
「…何故…貴方が“伽羅の仏像”の事件を知っているのですか?」
綾ノ森少佐の眼が鋭く光る。
そう…彼はこの時を待っていたのだ
結:証拠はこれだ
事件は超人Xがその名で呼ばれていなかった頃に遡る(さかのぼる)。
この事件は超人Xが最初に行った仕事で、標的は鎌倉時代末期、名も無い無名の彫師が作ったとされる“伽羅(非常に高価な香木、森の宝石とも呼ばれる)の観音像”。
事件前日、大日本帝国陸軍福知山駐屯地の小金井司令官の元に一通の手紙…いや、予告状が届いた。
「今晩 ソチラデ 管理サレテ オラレル 伽羅ノ仏像 ヲ イタダキニ 参上 イタシマス」
始めは悪戯かとも思ったが、“伽羅の仏像”は国宝級の美術品、問題が起きてからでは対応し様が無いと言う事で、足利大佐率いる第二十三歩兵連隊が警備に当たる。
しかし、結果は超人Xの言うとおり、散々な目に遭い仏像は奪われてしまう失態を犯した。
足利大佐は、この事を世間に知られてしまっては日本陸軍の面子が汚れるとし、この一件に関する情報を闇に葬った。それ故、世間一般で知られる超人Xの盗み働きは京都の富豪“桐野家”の家宝が奪われた件が最初なのである。
しかし、面子を汚された軍部がこのままで終わらせる訳にはいかなかった。小金井司令官は軍警察の人事変更を行い、超人X対策部隊として足利大佐らを逮捕に当たらせるようになった。
本来、仲が好いとは言えない警察と軍警察が手を組み超人X逮捕に動いているのはこう言う背景があるからなのだ。
話を戻そう、綾ノ森少佐の問いに超人Xは固まってしまう。
勝利を確信した瞬間にどん底へ落とされたのだから無理も無い。しかし流石に立ち直りは早い、頭をフル回転させ次なる言葉を口に出す。
「何を言ってられます?僕は探偵ですよ、その位の情報は筒抜けですよ」
「それは無理だよ…超人X…、この件は例外なく余所に漏れない様に極秘裏に処置されたのだから…今この場でこの件を知るのは情報部の私と当人である足利大佐のみだ…」
遂に彼の口から“超人X”と言う名が飛びだした。
「話と言うのは何処からともなく漏れるものです…絶対と言う訳ではありませんよ」
超人Xも引かない
「無理だよ…、当時いた福知山の兵隊は今…台湾にいるんだから…」
足利大佐の命令でその日の夜の内に駐屯所にいた400人の兵隊は例外なく全員口封じの為に台湾へと飛ばされたのだ。当然その日の出来事を話す事は固く禁じられ、少しでも列を離れた兵隊には後ろから鉛玉が飛ぶと言う厳しさで日本から追い出されたのだ。
台湾に飛ばされた後も情報の規制は厳しく、福知山での出来事や伽羅の仏像の話に関しては徹底した制限を与えている。
綾ノ森少佐の言うとおり、この事件を知る者はこの場でたった二人しかいないのだ。
「君が超人Xだと言う事は証明された、観念したまえ」
「まて!あくまでそれは君の推理だ、推理はあくまで事実では無いぞ。私が超人Xだと言う確固とした証拠はどこにある!!」
超人Xは吼えた。その姿にいつもの優雅さや余裕は無い。
「証拠はあるぞ!確固とした証拠がな!!正太郎君、出番だ!君の手で奴が超人Xだと言う事を証明してやれ!」
綾ノ森少佐も吼えた。
そして一斉に全員の眼が僕に突き刺さる。
…でも僕は不思議な自信が体の底から湧き上がるのを感じた。
(佐伯先生…僕は負けません)
胸に手を当て、目を閉じて大きく深呼吸…
…そして、もう一度目を開く。
そこに臆病な僕はもういなかった。