これは完全に勝ち組だろう。
そう、例えるなら、運命の女神にディープキスされたような――
そんな錯覚さえ抱いた。
桜の季節を越したばかり、淡紅色を散らし終えた木々が林立し、放課後の喧騒も届かぬ学校の裏庭。
静謐の満たす空間にたたずむ二人は、どことなく面持ちに緊張を帯びて。
ていうかその一人はメンズの俺で、もう一人は見目麗しいオナゴだったりする。
「････････････」
俺のすぐ前に立つ彼女は、しばらく伏し目がちに黙っていて、そよそよと春風に吹かれるまま、たおやかな輪郭を保っていた。南中まっしぐらのまばゆい日光を、細緻な長髪がつやめいて照り返す。自己主張しすぎない白のへアバンドから、大和撫子然とした清楚な顔立ちまで、可憐な黒の格子が柔らかく垂れ降りていた。
と、丹念な描写をしてみせたところで、要するに彼女へ見とれているに他ならず。
「あ、あのっ･･････」
清澄な、鈴を転がすような声が飛んできて、思わず俺はびくついてしまう。
「ひゃ、ひゃい！」
ナイス上擦り声！ バッチリ挙動不審！
リカバリーを試みるもうまいかない。それもそのはず、この場の特殊性に気づいているから。
「わたし、青野（あおの）くんのこと･･････ずっと気になってたんです！」
やれみろ、ほらきたぞ。これだけそろえば十分だ。
ひと気のない裏庭、女子生徒と二人きり、そして意味深長なセリフ。
まさしくスリーセブンだ。誰が何と言おうと。
そこから導き出されるものといえば、おのずと限られてくるわけで。
いやおうなしに心拍が高まる。バレないようにこぶしを握り、平静を装う。
「気になってたって･･････な、何が？」
声音が震えようが、挙措がぎこちなかろうが、とにかく関係ない。
今の俺は紳士だ。ジェントルぶる、略してジェントる。身も心も冷静に徹する。
しかし、見てみれば彼女の頬には、一筋の朱が差しているではないか！
「はい、実は、気になってたっていうのは･･････」
勝利の美酒じみたものに酔いしれつつ、不思議と自分も赤ら顔を禁じえない。
君の瞳に映る俺に乾杯。
懸命に言葉を絞り出す彼女へ、我が視線は釘付けなり。
「青野くんの二の腕･･････」
うっほほーい！ よくやったぞ俺の二の腕！ この時のためによくがんばった！
･･････え？
え、二の腕？
「とても茶道に向いていると思いますっ！」
「････････････」
沈黙。
「････････････」
というより絶句。
一陣の風がびゅう、と制服を撫でていった。葉ごもりがひそひそとささやいている。
あまりの冷気が俺の肌身に沁みた。
「え、ちょ、え？」
お口ぱくぱく。
わけがわからん。茫然自失する。
両足は地に縫いとめられ、立ちつくすしかない。これでも健闘している方だ。
かつてないテンパり具合。脳ミソはんがひっくり返ってはります。
なぜか京都弁になるほどテンパってやがる。やばいやばい、何なのこれ。
何なのこの状況。
「･･････さどう」
恐る恐るつぶやく。
――これは、一人の女子高校生と一人の男子高校生の、めくるめくヤング茶道物語――
なわけがねぇ。めくるめかねぇ。
「ほ、ほう、それで？」
強引に押し通すことにした。若干えらそうなのはご愛嬌。
とりあえず落ち着こうと俺は思った。
･･････そうだ、落ち着け。どう考えてもおかしいだろ。うんおかしい。
だってスリーセブンなんだぞ？ ベストコンディソ、噛んだ、コンディションだぞ？
と、きたらやっぱり告白じゃないのか？
それとも俺の勘違いなの？ 夢と魔法の世界へようこそなの？
いや待て、きっと彼女は、いかに前衛的に告白できるかを模索しているに違いない。
ふはは、そのフロンティア精神は買おうじゃないか。関心関心。まれに見るよき若者だ。
だからもう終わりにしようそれは。次は茶道だなんて言わないでおくれ。
「あとっ、青野くんの足腰、茶道に向いてると思いますっ！」
･･････今度は足腰ときたよこの娘っ子。いつ俺が強靭な足腰を披露したよ。
「あとっ、青野くんの心意気、茶道に向いてると思いますっ！」
こいつ止まんねぇ。むしろもはや茶道じゃねぇ。
いずれにせよ、ここぞと浴びせられる賛辞のラッシュに、ひたすら俺はうろたえるばかりだった。
「ちょ、ちょっと待って！ いきなり茶道とか言われても俺」
慌てて制止にかかる。事態の収拾を図らねば。
たぶんこの娘、必死に解析した結果、レッツ暴走タイプに属すると思われる。
レッツ暴走タイプは即座に止めないと泥沼にはまってしまうから困る。
「あ、そ、そうです、よね･･････いきなり、でしたよね･･････」
あわ、と口を開きかけ、それを両手で押さえる彼女。さらさらと黒髪が付いて回る。
うむ、こういうちょっとした所作は可愛らしいのだから、少し余裕とゆとりをもって行動してほしいものだがや、とか言ってるそばから俺も名古屋弁になっちゃってるので困る。ほんとテンパリすぎ。
まあ、でも当然だろう。俺はてっきり、彼女に愛を告げられると身がまえていたのだ。
それがどうだ――二の腕？ 足腰？ 何のこっちゃ。俺と彼女、どっちが場違いかさえ判じかねる。
今年のザ・ベスト狼狽にノミネートされるぞこれ。
「冷静になろう。よくわからないけど、まずは結論を聞かせてくれないか？」
ゆっくり語りかけてやる。自らを落ち着かせる意味も込めて。
華奢な手を胸に当てて彼女は深呼吸している。肩口の髪がはだけてのぞいた首筋に、玉のようにきらめく汗の雫が見えた。ぞくりと妙な色気を感じて俺は視線を背ける。何だかまじめで精一杯な彼女を裏切ってしまう気がして。
「あ、あの･･････青野くん」
どうやら平常心を取り戻したようだ。彼女の物腰に決意の気配が立ち昇る。真一文字に結ばれた桜色の唇を前に、俺は今一度気を引き締めて相対するも、もうどうにでもなれ、といった思惑の方が胸中には強かった。
だが俺は彼女に対して、最後まで真摯でいたかった。
純粋かつ無限の輝きを秘めた、透き通る瞳がこちらを見据えてくる。
「青野くん、それでですね」
ええ、一瞬でもトキめいた俺がバカでした。
「茶道部に入りませんかっ！？」
目まいを覚えてのけぞる。
このまま後方宙返りを打ててしまえそうな、そしてそのまま「ガッデム」だの「神は死んだ」だの叫びたい気分で。
知らなかった。知らなかったんです刑事さん。昨今のうら若き乙女のあいだで空前の茶道ブームが巻き起こっているだなんて、地元じゃあ「流行の最後尾」とか「流行の尾てい骨」とかうたわれた俺が知っているわけがないんです刑事さん。
「あのう･･････」
彼女の声にはっとする。
脳内刑事さんがかき消える。さらば警部補、二階級特進だね。
「だめ･･････でしたでしょうか？」
汚れを持たない眼差しにのぞきこまれ、理由もなくうしろめたくなる。
いや待て、違う違う、何で俺が悪いんだ。そもそもこの状況はいったい――
――何がこの状況を誘発したというのか。
俺は彼女の眼を受け止めつつ、いまわの悪あがきとばかり、しばし回想に耽る。
つまりすなわち要するに、現実逃避であった。