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レシピNo.2 アトリエのカギ

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~大家、もしくはベルガモット氏のコメント~

 我が所有のアトリエに入居したいと? ふむ、よかろう。設備、家賃は提示の通りだ。実験、家畜を飼育することは構わんが、部屋の原形は留めるように。
 家賃は原則月末、手渡しで支払いだ。滞納した場合には――


レシピNo.2 アトリエのカギ
 アトリエの入り口のカギ。現在、入居者であるバルサム氏が所持している。
 ――資産家ベルガモット=A=シルヴェストリの覚え書きより


 手順1.運命はかように呼び鈴を鳴らす。

 ついさっき、ヤツはオレの財布をスった。
 いや、それは今のオレのじゃない。過去のオレのだ。

 今のオレはそんなマヌケじゃない。だいたい、ラサがそんなんさせるわけない――まあ今のオレなら財布一つ程度、恵んでやったところで別段、痛くもかゆくもないのではあるが。

 しかし五年前ならハナシはべつだ。
 あの財布には全財産が入っていたのだ。

 あの時、オレは財布がひとつしかなかった。金がなくて買えなかったからだ。
 また分けておくほど金なかったし、そもそもその日は入ったバイト代をそのまま、家賃として大家に払いにいくとこだったのだ。

 それを、スるとは。

 しかもそれを知らなかったならまだ情状酌量の余地もある。
 だがヤツは、それを承知の上でやったのだ――あの時も今回も。

 必要なことだ、わかっている。それは必要な人材としてのオレに取り入るためで、ちゃんとそれ以上のものをヤツはオレに返しているし、今回もそうなるはずである。
 しかしその瞬間をスペキュラムごしにこの目で見たとき、オレはヤツをいま一度、本気でぶん殴りたいと思った。

 一旦スペキュラムを外し深呼吸――落ち着け、オレ。
 これは仕事だ。
 スペキュラムのなかのガキは、昔のオレに似ているが、オレではない。他人に等しい存在だ。
 そう自分に言い聞かせ、冷たいミントティーをあおる。よし、アタマが冷えてきた。
 折しも過去のオレが財布がないのに気づいた。アタマが冷えた状態で見ると、意外と笑えるあわてっぷりだ。
 大丈夫だからな、オレ。
 すぐに救いの悪魔がやって来る。
 ほら、呼び鈴がなった。迷ってんじゃねえ、とっとと出ろ。ヤツは――

手順2.悪魔がうちにやってきた。

「…はい」
 スペキュラムのなかのオレは、びくびくしながらドアを開けた。踏ん切り悪くも細ーく。
 そしてそのドアにすがりつくようにして、そーっと外を伺う……うああ情けねえ! こんなんだったのかオレ!! いぢめたくなるじゃないかマジ!!
 つかちょっとはしゃきっとせんか、ママのスカートのかげで人見知りしてる幼児じゃあるまいし!!
 ラサのヤツもほら、まるで悪人のように(いや、善人じゃないけど)笑ってのたまった。
「錬金術師タイム=オランジュ=バルサムだな?
 お前に依頼だ。茶を入れてもらおうか」
「……あのう」
 するとスペキュラムのなかのオレは――ああまどろっこしい、あんなん小僧で充分だ、小僧はおどおどとのたまった。
「アマツリカ茶で構いませんでしょうか? ぼく今お金なくてそれしか……」
「好物だ」
「よかった」
 すると小僧ははにかんだ、しかしうれしそうな笑みをみせた。
「ぼくもアマツリカ茶とても好きなんです。どうぞ、お兄さん。小さいアトリエですが……」
 ああ馬鹿、全開笑顔でドア開けるな。盗られる金などもうないが、お前自身がむしろヤバいわ。
 つーかラサ! わかってるんだろーな。ここで小僧をどうにかしたら、計画は粉々だ。まああらかじめゲッシュはかけてある、オレの許可がないかぎりヤツは小僧に手出しはできないはずだ、しかしどーも心配というか……
「んっじゃ入るぜ」
「は~い」
 オレの心配を察知したのだろう、ラサはにやっと笑って(アレは明らかにオレに向けた笑顔だった、間違いない)貸しアトリエのドアをくぐった。

 ラサが小さなテーブルに落ち着くと、小僧はばかていねいに茶を入れ、差し出した。
「本当はお茶受けも差し上げたいのですけど……ごめんなさい。ちょうど今、無一文なんです。
 お兄さんがお茶を依頼して下さって、本当に助かりました」
「……は」
 そう言って深々とアタマを下げる小僧にオレたちは絶句した。
「えっとあのいや……それはそうじゃなくってね……」
 どうやら小僧は、ラサが言った『茶を入れろ』という一言が依頼の全容だと思いくさったらしい――嘘だ、嘘だと言ってくれ。オレは断じてこんなじゃなかった。
「えーと……じゃもうひとつついでに、依頼いいかな」
「はい、ぼくにできることでしたら何でも!
 あ、ぼくに無理でも、アカデミーの同期生にご紹介いたします。どうかお話してください」
 いい子ちゃん全開の小僧にすでに、ラサの目尻は下がっている――おおよしよしめんこいのう。おぢさんおこづかいあげちゃうぞ。なんて感じだアノヤロウ。
 オレの時はあんなじゃなかったのに……
 睨んでいるとヤツも自分のマヌケ面に気づいたらしく、こほん、咳ばらいをすると作戦に戻った。
 人間の数倍の聴力を誇る(らしい)、魔族の耳がぴく、と動く。
「実はこの金をだな……」
 ヤツはゆっくりとボストンバッグを開く。小僧が息を呑む。
「しばらく、お前の好きにさせてやる」
 と、ちりりりん。タイミングぴったり、呼び鈴が鳴った。
「いいぜ、出ろよ」
「はい、じゃあ……」
 ドアを開けると果たして立っていたのは、銀髪ロン毛仏頂面の吸血鬼――もとい大家こと、シルヴェストリの若旦那だった。

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手順3.冬将軍の騎行。

「どうした、バルサムの。遅いから案じたぞ。
 ついではないが暇潰しを兼ねてわざわざ足を運んでみたのだ。かといって茶などはいらんのでそのつもりで」
「あ、あ、はい……」
 若旦那はそしてずかずかとアトリエに入ってきた。
 本人は自覚ゼロだが、つねに必要以上にタイドがでかく、ときおり異常に威圧感を発揮する、ヤツはその紅い双眸で小僧を見下ろした――
 小僧はすでに怯えきっている。無理もない、無一文の状態でこんな大家が部屋入ってきたらオレだってビビるわ。
「ところで今日は何故私がお前を訪れたかわかるか」
「あ、…」
 後からわかったのだが、この若旦那はかなりの近眼だ。だからガンガン相手との距離つめてきやがる。周りの状況見えてない。そしててめえの面がどーいう属性もってやがるか気づいちゃいねえ。
 おかげで哀れな小僧は(こればっかりはオレも同情せずにいられなかった、マジで)いまやすっかり壁際に追い詰められて涙目だ。
「あの…えと…じ、じつは……」
「?」
 ハナシを聞くときは相手の目を見なさい、と言われる。コイツもそういうように育てられたのかも知れない。
 しかしそれは、それを実行するヤツによるとオレは思う。何が言いたいかというと、あんたは少し無礼にしてくれ。その目で至近距離から凝視されたら、ハナシなんざするどこじゃねーっつの。
「あの、…今日の、帰り、お金……落としてしまって………」
「家賃は身体で払いたい、と?」
「オイオ~イ」
 そのときラサが割って入った。
「大家の若旦那さんよ。見物代払ってもないのにじゅーはちきん開始するのはちょっと待ってほしーんですが」
「? じゅーはち…?」
「とりあえずオレ、依頼のハナシが途中なんすけど。
 コイツにこの金好きにしていーから増やしてくれってさ。
 だからコイツを売り飛ばされでもしたらオレ様不法行為とかかまさにゃならなくなっちゃうんすけど」
「………。」
 大家はラサが披露するボストンバッグのなかをじっと見た。
 そして小僧に向け一言。
「その金額ならこのアトリエを買い取れるな」
「あー。それしちゃうとちょっとヤバいんだよねえ。コイツは投資の種銭だから、あんまりほかに使っちゃまずいんだわ」
「そうか。
 ではやはり」
「だからダメっつの。
 とりあえず今回ぶんここから払うから、タイムくんはね。あとオレもしばらくここ置いてもらいたいからそのぶんのアレも必要なら」
「……貴様はバルサムの何だ?」
 この大家は変わってやがる。“貴様”が一応敬語だというのもその一つだ。
「スポンサーの代理人、兼未来の師匠。タイムくんに金儲けを指南するため遣わされましたハイ」
 すると一瞬、大家はかすかに片目を細めた。
「貴様、カシュー&ナットの社長専属占術官、S=L=ウォータムか」
「えーと、ま、そんなとこ。だな」
「いいだろう。貴様もここに住むがいい。
 バルサムの後見、しっかりと務めるのだな、ウォータムの。
 諸規則等についてはバルサムより聞け」
「うぃっす。
 てなわけでよろしくっス、大家殿」
 ラサと大家はあの日のように握手を交わした。
 そして大家はあの日のように金を持って出て行った。

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