七章 戦うみんな
耳をつくような不気味な声が城中に響き渡っていた。
声。それは確かに声だった。
恐怖に駆られる声。生を望む声。我を忘れて叫ぶ声。
人の断末魔の悲鳴だ。これほど耳障りが悪く、これほど腐った音は他には無い。
俺は目を閉じて、この腐った歌に聞きほれた。
歌だ。悲鳴が幾重にも重なって、一つの歌を奏でている。
醜く、汚らしく、腐った歌を。
声の限りに。
俺も声の限りに笑う。
これ程腐った歌で目覚める王とやらは、どれ程腐った野郎なのだろう?
それが楽しみで仕方ない。
朝。目覚めは最悪だった。
夢は見ていない。最近毎晩悩まされていた悪夢。それを見ていない。
なのに最悪の寝覚めだった。
俺はベッドから起き上がり、部屋のカーテンを勢いよく開けた。
うざい程明るい太陽の光に一瞬目が眩むが、すぐに元通りになる。
窓の外から見えるのは、何時も通りの光景だ。
やたらめったらにでかくて広い隣の詩織の家。ちょうど朝日で俺の部屋に細長い影をつくってくれる、邪魔な電柱。犬を連れて道路をジョギングしている、クラスメイトの田中太郎の姿。何の変哲も無い、何時も通りの朝の光景だった。
俺はあくびを噛み殺し、ドアを開けて外に出る。見る。見てみる。廊下を挟んですぐ手前の大樹の部屋だけが、何時も通りではなかった。
「はぁ」
と溜息が出る。
目の前のドアが揺れていた。昨日俺が鍵をこじ開けて、ノブごと壊れたドアが、俺が向かいのドアを開けた風圧を受けて、ぎこぎこと音を立てて揺れていた。
俺はむしろ、ここだけがいつも通りであって欲しかった。
俺はコーンフレークに牛乳をかけ、バリバリと噛み砕く。別に不味くは無いのだが、いつも大樹が作ってくれていた朝食に比べると酷く味気ない。
食べかけのままぶらぶらスプーンを弄んでいると、明守が階段を降りて部屋に入ってきた。
「昨日結局大樹帰ってこなかったの?」
当たり前だが、第一声はそれだった。大樹が無断で外泊した事なんて生まれて初めてだ。心配しない方がおかしいだろう。
「ああ……なんか友達の家に泊まるらしいぞ。三日間ぐらいな」
適当に嘘をつく。
「そんな、なんで連絡もなしに」
「いや、明守には関って欲しくないそうだ。ほら、この前おまえさ、家の屋根に登って騒ぎ起こしたろ? アレが噂になってて、恥ずかしいから友達と喋って欲しくないそうだ」
ぺらぺらと嘘が口から出てくる。こういう時は嘘つきってのは得だ。
「でもでも! 正樹も一緒に屋根に登ったじゃないか! なんで僕だけなの!?」
「はっはっはっ、心配するな。俺も関わるなと念を押された。つまりは友達の家に要る三日間、俺らに干渉して欲しく無いって話のようだ。彼を『アレな兄弟がいる』という理由で苛められっ子にしたく無ければ、黙って見守るしかないだろうね」
「家出!? これってもしかして家出なの!? 帰ってこなかったらどうするの!?」
俺の適当な嘘に頭を抱える明守に、最後に一言だけ本当の事をつげる。
「安心しろ。三日後には俺が首根っこひっ捕まえてでも連れ戻す」
風が髪を撫ぜていく。妙な気分だ。落ち着いているのか、取り乱しているのか、それともどうもないのか。何がなんだかわからない。
「あと、二日……」
口からそんな言葉が出る。
「あと、二日だ」
俺はまたそう呟く。二日後、だ。俺はどうする? あいつらのやってる事は、人として絶対に許せない事だ。それに、世界全部を破壊するのが目的、なんていう化け物を復活させなんてしたら、きっととんでもない事になる。少なくともこの町の一つや二つは消えてなくなるだろう。
あいつらのしている事は、絶対に止めなきゃならない。
そして、止めるには大樹を殺すしかない。二日後に、俺は大樹を殺さなきゃならないのらしい。二日後には俺は大樹を
「殺す……のか?」
あと二日。
二日――。
「何よ、元気ないわね」
詩織の体当たりに体制を崩され、俺は屋上の椅子に座ったままがくんと横に倒れた。起きあがる気力もない俺に、さすがに詩織が不思議そうな顔で聞いてくる。
「どうしたの?何か悩みがあるんだったら、このしおりんが聞いてあげるわよ? 恋の悩み以外なら」
「恋の悩みなんだ」
「あ、そう。じゃあ仕方ないわね」
そう言うと詩織は無理矢理俺を起きあがらせ、ちょこんと隣りに座ってくる。俺は意味も無く横を見て詩織を眺めた。何故こいつは、後二日後に世界が滅びるかもしれないという時にこんな顔で笑ってられるのだろう。不思議で仕方が無い。
「馬鹿ねー、乙女ってのはそんなものなのよ」
ふいに、ひょいと指を立てて詩織が言ってくる。
「何がだよ?」
「え?視線で〝何で恋の悩みは駄目なんだ?〟て聞いてきてたんじゃないの?」
「それもちょっと思ってたけど。だけど確か他人の越路の邪魔をしたら呪われるから、じゃなかったのか?」
「変わったの」
「変わったのか」
「……本当にもう、あんたは! そこで突っ込んでもらわないとあたしが困るでしょ!?」
「そうだな。ごめん」
適当に頷いていると、詩織がふぅと息を吐いてふいに手をふりあげる。そして俺の顔に向けて振り下ろして―― て、え?
「しおりーん・ぱぁぁんちっ!」
妙な駆け声と共に、詩織はいきなりやたら凄い威力で俺の顔を殴りつける。そしてびしっと俺を指差して怒鳴ってきた。
「何かつまんないわよあんた! 何したのか知らないけど、あたしだってね色々厄介事抱えてんのよ!? 見てよ、それなのにあんたに心配かけまいと笑顔を振りまくあたしの気心! あんたちょっとは見習ったらどう!?」
「そう言うのって自分で暴露していいのかよ!? つーか絶対俺の悩みの方がでかいんだよ! 少しぐらい悩ませってくれっていいだろ!?」
「駄目! 却下! 不許可!」
「おまえが決めんなよっ!だいたいなぁ――」
俺はそこまで叫びかけて、思わず押し黙って詩織を見る。そしてぼりぼりと頭をかいて、顔をそらした。
「わかったよ。何かしらんけど俺の負けだ。泣かれるとどうもなぁ。だいたいなんで泣く?この場面で。俺は泣く様な事何もしてないのに」
「うっさいわね。あたしだって、女の子なんだから。少し、こういう気分になっちゃう時とかだって、あるのよ。護れなかったらって思うと、怖くて怖くて仕方ないのよっ!悪いっ!?悪いのっ!?」
「だから泣いて駄々っ子パンチするなよ!しかも異様な威力で!なんか人に見られたら勘違いとかされそうな場面になるだろーが!」
「あんたがそんなだと…はりあいないじゃない!あたしだって―!」
詩織にはもう俺の言葉が聞こえていないようで、勝手に人の胸に顔を埋めて泣いている。もうどうとでもしてくれ。まったく、人が居ないからいい様なものの―
「まあ、そうだよな」
俺は空を見上げて、ぐっと拳を握り締める。
護らなきゃならないものが今この胸に居る。
その為に、俺にはしなきゃならない事がまだ山の様に残っているはずだ。
だん、と三日前閉鎖中の人払いがしてある広場――三日前に起きた謎のクレーター事件のせいである――に着地し、俺は空を見上げた。雲一つない夜空に、ただ静かに月が浮かんでいる。
「すでに変身してのご来場ですか。覚悟はできた、という顔ですね」
「……まあ、そんなとこです」
俺は建物の影からそっと出てきた恭平さんに、笑って言う。
「――貴方が気に病む必要は何もないんですよ。どちらかといえば本当は私の責任なんです。両親がともに同じ種族の血を引いていたというのなら、貴方だけでなくご兄弟も同じ血に目覚めている可能性は十二分にあった。いくら滅多にない事とは言え、全てはそれを確認しなかった私のミスだ」
「二人で何こそこそ言ってんのか知らないけど、そこの銀色の。ちょっと遅刻よ? 今まで何してたのよ。まだ始まってないからいいものの」
頭上に浮かぶ詩織が、腰に手を当てて批難の口調で言ってくる。同時にぱりん、と空間が避ける音がして、そこから大きな城が現れる。
「まあ、色々と準備をな」
俺はにぃっと笑って、手をごきごきと鳴らして構えた。
「へぇ、逃げなかったのかよ。まあそうこなくちゃ面白くないがな」
忘れるはずもない――あの人を小馬鹿にした様なその声の持ち主が、すたっとそこから地面に飛び降りてくる。
「え……?」
詩織が驚いた声を上げる。俺はかっとして怒鳴った。
「てめぇ……! 何のつもりだ!?」
「この女か? いや、実はまだ〝歌〟を完全にするには音って奴が少し足りないみたいでさあ。さっきちょいと城を抜け出して拾って来たんだよ」
そいつは笑って答える。確かにそいつの手には、猿轡を噛まされて両手を縛られた、中学生ぐらいの女の子が抱えられている。そいつはいやらしい笑みで震えるその子を地べたに放た。
「そうじゃねぇ!何でわざわざその姿なのかって聞いているんだっ!」
俺はかっと声を荒げる。そいつの姿は人狼のそれではなく、人の――狼森大樹の姿だったからだ。
「いやだなぁ、何言ってんだよ、〝兄弟〟。知ってるだろ? どっちかと言えばこっちの方が俺の本当の姿なんだぜ?」
「…………なんで?」
呆然とした声をあげる詩織を前にそいつは女の子の服を切り裂き、その胸元をぺろりと舐める。
「さあて、楽しいショーの始まりだ」
「てめぇぇぇっ!」
心底嫌らしく笑うそいつを見た瞬間、俺の中で何かが完全に切れた。俺はもう何も考えられなくなってただ力の限り駆けてそいつに跳びかかる。
ばちんっ。
俺の爪がそいつの顔を捕らえようとした瞬間、電撃の様なものに弾かれ、俺は吹き飛ばされてしまう。何とか態勢を立て直し着地すると、大樹の周りには地面から生えたうじゃうじゃとした化け物が山の様に連なって生えてきており、大樹を護る様に揺らめいていた。
「な、何だ……!?」
「驚く事はありません。ただの魑魅魍魎です。魔王の力に魅せられ、彼に陶酔して彼の手足となる生き方を選んだ魔物達。魔王と共に封じられていたのが、彼の封印を解く〝歌〟の影響を受け目覚めたんでしょう。が、所詮は王の前で自我を保てなかった程度の雑魚達です」
と、声がしたかと思うと、恭平さんの投げた札がその化け物をした姿のそれに命中し、ばちっと弾けさせてそいつらを四散させる。
「かつての魔王の手の者で力のある者は、白蛇君以外はのきなみフェンリル君が倒してくれましたからね。つまり注意すべき敵は彼と、目の前の金狼君だけです」
「確かにこいつら雑魚だよなぁ。もう意識もほとんど残ってねぇんだよ。ただ俺が怖くて従ってるだけみてぇでさ。ま、数だけは結構あるんだけどよ」
大樹がそう言ってばちんと指を鳴らすと、似たような化け物がうじゃうじゃと地面や大樹の体から這い出してくる。
「――しかし、さすがにこれだけの数となるときついですね」
恭平さんもそう言ってたらりと汗を掻く。一体や二体ならともかく、これだけの数になるとさすがにそう簡単に片付けられそうにもない。下手をすれば、こいつらと戦っている間に儀式を終えられ、魔王とやらに目覚められる、なんて事になりかねない。そんな俺達の考えがわかっているのだろう。その大樹の顔をした〝魔物〟は声をあげて笑った。
「さあどうする?もしかしてもう手詰まりだったりするのか? 他にも色々プレゼントは用意してあるんだけどな?」
「誰が、この程度で手詰まりになる訳よ?」
ぼんっ。
赤い光が辺りを覆い、化け物どもの半分ぐらいを無差別になぎ倒す。そして詩織はすとんと地面に降り立ち、その指先を大樹に向けた。
「悪いけど、あたしもう覚悟を決めちゃってるのよね」
ひゅんっ。
その指先から出た光が、槍の様に伸びて大樹の肩を居ぬく。相手が避けなければ、心臓をえぐっていたに違いない位置だ。詩織は指先にふっと息を吹きかけると、その指でびしっと大樹を指差した。
「たとえ相手が誰だうと何だろうと、あたしは思いっきりやるわよ? それが例えあいつの大事な弟で―それをしたらあいつに恨まれる事になっても、それであたし自身一生後悔する事になっても……あいつを失うよりは、マシだから」
「……ふぅん、たいした覚悟だ。まあそうでなくちゃ面白くないよな、おまえらもよ」
大樹が笑う。同時に周りからは先程以上の数の化け物が這い出してくる。
「ちなみにここに居る奴らと、今あんたらが倒した奴らでちょうど全体の百分の一ってとこだ。なに、あんたらなら倒せない数じゃないさ」
そいつがぴんと指を鳴らすと、そいつらは群れを成して俺達に襲いかかってくる。
「くそったれ!」ろ
俺はざんっとニ三匹まとめて爪で引き裂く。そしてそのまま一気に大樹のところに向かおうとするが、その前に地面から這い出してくる化け物に道をふさがれる。
「くそっ!」
そいつらを掻き分けて必死で前に進もうとするが、地面すら伸びる手が、触手が、次々と俺らを掴んでくる。近づけない――!
そんな俺達を心底楽しそうに笑って、大樹の姿をしたそいつは告げた。
「ところで、この特別ゲストの女の子の事を紹介するのを忘れてたな。誰だと思う? 岸本明菜って名前だったか? 何と狼森大樹――この体の中に居る、もう一人の俺のクラスメイトだ」
そいつは笑ってその子の顔俺らに見える様につい、と上げさせる。確かにその顔には見覚えがあった。何度か家にも来た事がある子だ。
「大事な子なんだってよ。狼森大樹にとって。実はさっきからあいつ、俺の中でがんがんわめいてるんだ。〝やめてくれ、やめてくれ〟てな。笑わせるだろ?それでも俺から体の所有権を奪えねぇんだ。本当に困ったガキだよ。こんな奴と一緒な体に入ってなきゃなんねぇと思うと、虫唾が走るぜ」
くっくっと喉をならしてそいつは笑う。そしてそいつの手はゆっくりと、その子の喉元に伸びる。
「やめ……っ!」
そいつのしようとしている事を理解して、俺はまとわりつく化け物ども振り払って必死で駆ける。駄目だ。間に、合わない。間に合わない――!
「いい加減、俺の中から消えろよ狼森大樹。まあ、てめぇの手で惚れた女の喉を掻っ切ったっていう事実に耐えられるんなら、残っててもいいけどな」
そいつは冷たく言い放ち、その手を一気に横に引いた。その鋭い爪が、その子の首を切り裂き真っ赤な噴水があがる。しかしそれはしばらくの間だけで――やがてそこからは何も出るものがなくなり、同時にもがいていたその子の動きも止まった。それは、呆気なさ過ぎる、死の光景。
「おっといけねぇ、ちゃんと〝音〟にしとかねぇと」
そいつはその血のついた手をぺろりと舐めると、その指先で心臓の辺りをなぞり文字の様なものを描いた。それが淡い光を放ったかと思うと、いきなり耳を突く様な悲鳴がすでに事切れたはずの女の子の口から上がる。
「おお、なかなかいい音してるじゃねぇか。見る目ぐれぇはあるんだな、狼森大樹。あれ? もしかして本当に壊れて消えちまったのか? はは、はははははは! 本当かよおい!」
とそいつは悲鳴を上げ終えた赤い血が足れるそれを――その今まで人間であったカタマリを――ガラクタの様に投げ捨てた。
「音の収集作業、完了、と」
ころころと。本当に人形みたいに、その動かないカタマリは地面を転がる。死体。殺し殺されていた。大樹じゃない大樹が、殺した死体を見下ろして、楽しそうに笑っていた――。
どくん、と。
心臓が弾けて。
「てめぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
もう訳がわからなかった。俺は力の限りに吼えて、ただ道を塞ぐ魔物をかきわけて、駆けて、腕を振り上げた。渾身の力を込めて大樹に向けて爪を振り下ろす。
「いいねぇ。この気迫。やっぱこうきてもらわないと面白くねぇよ」
目に映ったのは、心底楽しそうに笑う大樹の姿。その手は俺の爪を何でもなさそうに受け止めていて、そしてもう片方の手で無造作に俺を殴りつける。
同時に衝撃。
「が、やっぱこんなもんか? ちょっと期待外れだぜ、同族さんよ」
地面に叩きつけられた俺の耳に、大樹の笑い声が届く。何時も聞いていた、大樹の声。同じ声だ。なのに何でこんなに嫌らしい声になるのだろう。俺はぎりっと歯を食い縛って立ちあがる。すぐさま駆け出そうとするが、態勢の悪い俺に、化け物達はここぞとばかりに襲いかかってくる。
「くそったれ……!」
俺は必死でそいつらの相手をしながら、拳を握った。大樹は笑っていた。あいつは、元の場所を一歩も動いていない。力の差―大樹はまだ腕だけしか変身していない。なのに全力で放った俺の一撃は、片手で受けとめられていた。そしていかにも無造作に放たれた大樹の一撃は、俺の体力をごっそりと奪っていっている。悲しいくらいにわかる。
力の差が、ありすぎる。
がつんっ。
余所見をしていた俺は後ろから殴りつけられ、地面に伏した。そこに不気味な触手みたいのを伸ばした化け物が、それを伸ばして俺を締め付ける。俺は歯を食いしばりそれをほどこうと――
「〝漸〟」
と、その声と同時に、その魔物が、切り裂かれた様に血を噴き出して倒れる。その後ろからすっと現れた黒帽子にスーツ姿のその人は、体制の悪い俺を護る様に札を巻きながら、すっと帽子を被りなおして俺に言う。
「何を呆けているんです? 気持ちはわかりますが、感傷にひたっている暇なんてない事ぐらい、貴方もわかっているはずでしょう?」
「恭平、さん……」
「そうよ。だいたいねぇ、あんたショック度ではあたしが一番上なんだから。あの人狼の子、もろにあたしの知り合いなのよ?言ってる意味、わかる?」
頭上からは詩織の声。同時に光が降り注ぎ、何匹か魔物を消し去る。俺は―大きく息を吐いて拳を握り締めた。
「だよな。とりあえずは、こいつらを片付けるのが先決、か」
がつんと近くの奴を蹴り飛ばしてやって、俺はそのまま勢いよく立ちあがる。改めて周りを見ると、腕が五本ある犬や、目が三つある猿みたいのやら、うじゃうじゃと気色悪いのが周りを囲んでいる。数は数百ってとこか。多少きついが、やるしかない。
「きゃああああああ!? 何ですかこれ!? いやぁぁぁぁぁぁぁ! 気持ち悪いっ! いやっ! 近づかないでっ!」
「わんっ、わんわんっ!」
広場の入り口の辺りで声があがり、そして次にばんばんと銃を打つ音、そして愛くるしい子犬君の〝闇雲に撃つな!俺に当たるだろーが!〟という怒りの声が順に響く。
「ええい、うろたえるでないわ。この程度の魔物など、常にそこらをただよっておる。実体化しているかしていないかの違いがあるだけじゃ」
そして凛とした落ち着きの在る声と共に広がる、魔を払う破邪の術の波動。俺はそれを振り向かないまま感じ、うん、と頷いた。
「……何とか、なりそうかな」
援軍も来てくれた事だし。驚いた様子で降りかえる詩織と恭平さんを尻目に、俺は少しだけ得意げな笑みを浮かべる。
「遅れてすいません! 何度も本部に連絡してみたんですが、その結界とかのせいかやっぱり通じなくて! でもでも、その分私が頑張りますから!」
「わんわん、わんわんわんっ。(本当におまえって役に立たないよな)」
蔵岡さんが、息をきらせながら俺の方に駆けてくる。その横で、バディ君は嫌味を言いながらも倉岡さんを狙って襲いかかってくる魔物達を、例の黒い影で叩き落しながら後をついてくる。倉岡さんはバディ君の言葉に、思わずうっと涙ぐんで。
相変わらずいいコンビだ。
「遅れてすまぬな、正――人狼殿。多少準備があったのだ」
あれだけ俺を苦しめてくれた、玲菜さんの神通力も健在の様だし。でも今のちょっとヤバ目っスよ、玲菜さん。詩織に正体ばれたらどうするんですか。
「ああー! どっかで聞いた間抜け声だと思ったら、あんた恵美じゃない! 何よその警察のコスプレに銃みたいなの!? 玲菜さんまで居るし!」
「し、詩織さん!? あ、貴方こそ何なんですか、その卑猥な格好は!?」
「失礼ね!この芸術的な衣装の――って、それ以前に私は神崎詩織じゃないからね!」
「し、詩織……親御さんが泣かれるぞ……」
「だから違うのよ玲菜さんっ! 私は神崎詩織じゃないって言ってるでしょ!?」
「ふぅん、応援を頼んだのか?確かどっかの刑事だっていう女と、知り合いの巫女か。まあ悪くねぇ判断だな」
皆が多少動揺した声をあげる中、一人だけ落ち着いた様子で大樹が笑ってみせる。素性を知っている所を見ると、恐らく俺があの人達と戦うところを見てたんだろう。まあ驚きも無い。玲菜さんとの時など、あいつの声を直接聞かされ、かつ体まで乗っ取られそうになっているのだ。そのほんの数時間前でしかない倉岡さんとの出来事も、同じ様に見られていたとしても不思議はない。
「まあこちとら悩みに悩みぬいて行動してる訳でな」
俺はへっと笑って言ってやり、ごきごきと拳を鳴らして地面を駈けた。
七章 戦うみんな
「ええと、ギャ、ギャラクシー・ポリスです!手をあげてください!これ以上反逆の意志をみせる様なら、貴方達を危険指定生命体として排除します!こ、降伏するなら、その、い、今のうちですよ!」
「わぅ、わぅわぅ。(誰が震えて銃を落すような奴に降伏すんだよ)」
「ちょっと恵美! 何か知らないけど、その犬可愛くない!? 後で頂戴っ!」
「わうわうっ!(よし行くぞ恵美! 俺達の親友としての絆を見せてやろうぜっ!)」
「鳴神八賀陣の加護あらん事を――」
例によって矢を放つ玲奈さんや、必死で銃を連射する倉岡さんの気配を背中に感じながら、俺は息を切らせて薄笑いを浮かべる大樹と向き直っていた。
「王手だぜ。そろそろ、覚悟を決めた方がいいんじゃないか?」
周りには、必死で蹴散らした魔物の死体が何十匹と転がっている。まだ魔物の数はかなり残ってはいるが、他のみんなが頑張っているのでこちらは少し余裕ができていた。少なくとも、こいつと向き合えるぐらいには。
「ちっ、あんたは最後にとっておきたかったんだがな。まあいい――」
大樹は楽しくて仕方なさそうに笑った。同時に音を立てて大樹の体が変形していく。
「ウォォォォォォォォォン!」
金色の毛に覆われたそいつは、一声大きく天に向かって吼えた。それだけで大気が本当に震えるのがわかる。
「――やろうぜ、同族さんよっ!」
その声を聞くと同時に、俺は後ろに吹き飛ばされていた。一呼吸おいて、ようやく胸に奴の爪痕が残されている事を痛みで知る。前と同じだ。光が走った様にしか見えない――だが、飛ばされたおかげで傷事体は深くない。俺はだんっと足を踏ん張り体制を立て直す――が、その時にはすでにそいつの姿を見失っていた。
「ひゃっは! こっちだぜ!」
後ろ――と、思った瞬間に、背中に一撃を食らってめきめきと体が軋む。振り返ろうとしたところで、そいつが駆ける姿を何とか目に捕らえ、必死で爪を繰り出す。が、それは単に宙を裂くだけだった。金の閃光。またそれが走ったと思った時には、俺は思いっきり顔に衝撃を受けて後ろに飛ばされる。
「がっ……!」
これ程差があるとは思ってなかった――頭がぐらぐらとして訳かわからず飛ばされる俺を、がしりと何か柔らかいものが受け止めた。
「旗色悪いわね?代わろうか?」
俺を抱えたまま、ひょいと詩織が後ろから首を出してくる。俺は咄嗟に金狼の姿を探すが、そいつは前の位置でにやにやとして向かって来いとばかりに手をこまねいている。俺は詩織の顔とは逆の方向に口の中のものを吐いて、そいつを睨み返してやりながら言った。
「いや、いい。あいつは俺が倒したいんだ。同族だからな」
「余計に相性が悪いんじゃない? あんた空回りしてるだけじゃない」
その詩織の言葉が終わる前に、俺は詩織の手を振り払ってあいつに向かって駆け出していた。空回りか。そうかもしれない。何せ未だに弟なんかとどう戦っていいものかわからない。どうしようもない歯がゆさが胸をつく。
「らぁぁぁぁぁぁぁっ!」
渾身の力を込めて繰り出した爪――は、片手で軽々と受け止められ、がむしゃらに続けて放った蹴りはひょいとしゃがんで避けられる。噛み付きは左にかわされて。突きは方向をそらされ、爪は――
「もっと気合いを入れろよな、兄弟」
金色の閃光。まただ。俺はどんな攻撃をされたのかもわからずに飛ばされる。
ばしっ。
まただ。また柔らかい何かが俺を受け止める。
「代わろうか?」
「あいつとは知り合いなんだろ? 無理すんな」
また詩織だったらしい。俺は手の甲の口の血をふくと、詩織の頭を逆に抱えて地面を蹴った。
「ちょっきゃあっ!?」
その横を金色の閃光が駆け抜ける。抗議の声をあげようとした詩織は、逆に俺にしがみつく形になってそれを何とかやり過ごした。方向ぐらいは何とか掴める様になってきたな。いけるかもしれない。
「だげど――何て言うか、おまえって結構胸あるんだな」
「っ……!」
何か言おうとしてた詩織の手を振り払って押しのけ、だんっと地面を蹴る。そこをまた金の光――今度は残像ぐらいは見えた――が駆け抜ける。
「へえ、やるじゃんか」
そいつは俺の前にとんと着地すると、感心した様子で俺に言う。その様には攻撃をかわせる様になってきた俺に対して恐れも、おののきも何も含まれていない。要は、まだ余裕があるって事だろう。俺は拳を握りながらも、強がって笑った。
「明守に約束したからな。大樹を連れて帰るって!」
一気に間合いを詰めて突きを打つ。やはり交わされるが、さっきよりは多少奴に近いところを通った気もする。俺は手の動き無理矢理に変えて、そのまま横なぎに爪で奴を払う。しかしやはり交され、奴の蹴りを食らって後ろに飛ばされる。
だが、今度は――見えたぜ!
「ひゃっは!いいなぁ、こうこなくちゃよ!」
両足を踏ん張ってこらえた俺に、そいつは飛び込んで爪を放ってくる。相変わらずとんでもない『速さ』で、交すのは無理だ。なら、避けなけりゃいいだけの話だ。俺はあえて前に飛び込んでそれを食らってやる。位置がずれて威力の半減した奴の攻撃は、それでも俺の胸に深々と突き刺さってくれたが、俺は構わずにそのままそいつの顔を思いっきり殴りつけてやる。驚いた表情をするそいつに、続け様に蹴りを放つ。腹辺りを狙っての攻撃だったのだが、やはり動作が大きすぎて、奴に跳んでかわされてしまう。しかし俺は休まずそれを追って跳んで――そいつに向けて思いっきり牙をむく。初めて驚いた表情を見せたそいつの足に、俺の牙がしっかりと食い込んだ。
肉を食い千切る感触。むせる様な血の匂い。それにひるんだ俺の隙をつき、そいつは自由な方の足で俺のわき腹を蹴り上げ、足を引きぬいて地面に着地する。
いける。何とか大樹の動きを止めて――
「足りねぇなぁ。まだ殺し合いする覚悟がねぇのかよ」
動きを止めて、玲奈さんにでも頼めば、何とかなるかもしれない。そうだ。何とかなる。
「おっさんが言ってたぜ。〝歌〟の核は俺とおっさんの心臓の鼓動だってな。俺とおっさん、どちらかの心臓が動いてる限り、〝歌〟は止まらねぇ」
そいつは心底楽しそうに俺に告げる。
楽しそうに、楽しそうに笑っていた。
「何度かあんたの戦いを見せてもらったが、あんたは何時でも相手を気遣ってる。俺はそれじゃつまんねぇんだよ。俺がしたいのは殺し合いだ。食うか食われるか、そういうのがいいんじゃねぇか」
そいつは傷ついた足をとんとんと地面に着けながら言ってくる。その声は、心底楽しそうだ。傷つけられて、逆に喜んでいる。
「ちなみにあんたが死んだ場合は、あんたの仲間も全員俺が殺すぜ? 気合入れないとな?」
そいつは俺が吐きそうになった血の匂いを、逆にかぐわしそうにかいでいる。
「さあ、はじめようじゃねぇか。殺し合いを」
こいつは心底、殺し合いを楽しんでいた。
理解して、改めて認識する。
飛び掛ってくるそいつに向けて、俺は牙を剥き出しにした。
なにせ俺は今からこいつを――大樹を殺さなければいけないのだから。
「わぅ、わぅわぅ。(誰が震えて銃を落すような奴に降伏すんだよ)」
「ちょっと恵美! 何か知らないけど、その犬可愛くない!? 後で頂戴っ!」
「わうわうっ!(よし行くぞ恵美! 俺達の親友としての絆を見せてやろうぜっ!)」
「鳴神八賀陣の加護あらん事を――」
例によって矢を放つ玲奈さんや、必死で銃を連射する倉岡さんの気配を背中に感じながら、俺は息を切らせて薄笑いを浮かべる大樹と向き直っていた。
「王手だぜ。そろそろ、覚悟を決めた方がいいんじゃないか?」
周りには、必死で蹴散らした魔物の死体が何十匹と転がっている。まだ魔物の数はかなり残ってはいるが、他のみんなが頑張っているのでこちらは少し余裕ができていた。少なくとも、こいつと向き合えるぐらいには。
「ちっ、あんたは最後にとっておきたかったんだがな。まあいい――」
大樹は楽しくて仕方なさそうに笑った。同時に音を立てて大樹の体が変形していく。
「ウォォォォォォォォォン!」
金色の毛に覆われたそいつは、一声大きく天に向かって吼えた。それだけで大気が本当に震えるのがわかる。
「――やろうぜ、同族さんよっ!」
その声を聞くと同時に、俺は後ろに吹き飛ばされていた。一呼吸おいて、ようやく胸に奴の爪痕が残されている事を痛みで知る。前と同じだ。光が走った様にしか見えない――だが、飛ばされたおかげで傷事体は深くない。俺はだんっと足を踏ん張り体制を立て直す――が、その時にはすでにそいつの姿を見失っていた。
「ひゃっは! こっちだぜ!」
後ろ――と、思った瞬間に、背中に一撃を食らってめきめきと体が軋む。振り返ろうとしたところで、そいつが駆ける姿を何とか目に捕らえ、必死で爪を繰り出す。が、それは単に宙を裂くだけだった。金の閃光。またそれが走ったと思った時には、俺は思いっきり顔に衝撃を受けて後ろに飛ばされる。
「がっ……!」
これ程差があるとは思ってなかった――頭がぐらぐらとして訳かわからず飛ばされる俺を、がしりと何か柔らかいものが受け止めた。
「旗色悪いわね?代わろうか?」
俺を抱えたまま、ひょいと詩織が後ろから首を出してくる。俺は咄嗟に金狼の姿を探すが、そいつは前の位置でにやにやとして向かって来いとばかりに手をこまねいている。俺は詩織の顔とは逆の方向に口の中のものを吐いて、そいつを睨み返してやりながら言った。
「いや、いい。あいつは俺が倒したいんだ。同族だからな」
「余計に相性が悪いんじゃない? あんた空回りしてるだけじゃない」
その詩織の言葉が終わる前に、俺は詩織の手を振り払ってあいつに向かって駆け出していた。空回りか。そうかもしれない。何せ未だに弟なんかとどう戦っていいものかわからない。どうしようもない歯がゆさが胸をつく。
「らぁぁぁぁぁぁぁっ!」
渾身の力を込めて繰り出した爪――は、片手で軽々と受け止められ、がむしゃらに続けて放った蹴りはひょいとしゃがんで避けられる。噛み付きは左にかわされて。突きは方向をそらされ、爪は――
「もっと気合いを入れろよな、兄弟」
金色の閃光。まただ。俺はどんな攻撃をされたのかもわからずに飛ばされる。
ばしっ。
まただ。また柔らかい何かが俺を受け止める。
「代わろうか?」
「あいつとは知り合いなんだろ? 無理すんな」
また詩織だったらしい。俺は手の甲の口の血をふくと、詩織の頭を逆に抱えて地面を蹴った。
「ちょっきゃあっ!?」
その横を金色の閃光が駆け抜ける。抗議の声をあげようとした詩織は、逆に俺にしがみつく形になってそれを何とかやり過ごした。方向ぐらいは何とか掴める様になってきたな。いけるかもしれない。
「だげど――何て言うか、おまえって結構胸あるんだな」
「っ……!」
何か言おうとしてた詩織の手を振り払って押しのけ、だんっと地面を蹴る。そこをまた金の光――今度は残像ぐらいは見えた――が駆け抜ける。
「へえ、やるじゃんか」
そいつは俺の前にとんと着地すると、感心した様子で俺に言う。その様には攻撃をかわせる様になってきた俺に対して恐れも、おののきも何も含まれていない。要は、まだ余裕があるって事だろう。俺は拳を握りながらも、強がって笑った。
「明守に約束したからな。大樹を連れて帰るって!」
一気に間合いを詰めて突きを打つ。やはり交わされるが、さっきよりは多少奴に近いところを通った気もする。俺は手の動き無理矢理に変えて、そのまま横なぎに爪で奴を払う。しかしやはり交され、奴の蹴りを食らって後ろに飛ばされる。
だが、今度は――見えたぜ!
「ひゃっは!いいなぁ、こうこなくちゃよ!」
両足を踏ん張ってこらえた俺に、そいつは飛び込んで爪を放ってくる。相変わらずとんでもない『速さ』で、交すのは無理だ。なら、避けなけりゃいいだけの話だ。俺はあえて前に飛び込んでそれを食らってやる。位置がずれて威力の半減した奴の攻撃は、それでも俺の胸に深々と突き刺さってくれたが、俺は構わずにそのままそいつの顔を思いっきり殴りつけてやる。驚いた表情をするそいつに、続け様に蹴りを放つ。腹辺りを狙っての攻撃だったのだが、やはり動作が大きすぎて、奴に跳んでかわされてしまう。しかし俺は休まずそれを追って跳んで――そいつに向けて思いっきり牙をむく。初めて驚いた表情を見せたそいつの足に、俺の牙がしっかりと食い込んだ。
肉を食い千切る感触。むせる様な血の匂い。それにひるんだ俺の隙をつき、そいつは自由な方の足で俺のわき腹を蹴り上げ、足を引きぬいて地面に着地する。
いける。何とか大樹の動きを止めて――
「足りねぇなぁ。まだ殺し合いする覚悟がねぇのかよ」
動きを止めて、玲奈さんにでも頼めば、何とかなるかもしれない。そうだ。何とかなる。
「おっさんが言ってたぜ。〝歌〟の核は俺とおっさんの心臓の鼓動だってな。俺とおっさん、どちらかの心臓が動いてる限り、〝歌〟は止まらねぇ」
そいつは心底楽しそうに俺に告げる。
楽しそうに、楽しそうに笑っていた。
「何度かあんたの戦いを見せてもらったが、あんたは何時でも相手を気遣ってる。俺はそれじゃつまんねぇんだよ。俺がしたいのは殺し合いだ。食うか食われるか、そういうのがいいんじゃねぇか」
そいつは傷ついた足をとんとんと地面に着けながら言ってくる。その声は、心底楽しそうだ。傷つけられて、逆に喜んでいる。
「ちなみにあんたが死んだ場合は、あんたの仲間も全員俺が殺すぜ? 気合入れないとな?」
そいつは俺が吐きそうになった血の匂いを、逆にかぐわしそうにかいでいる。
「さあ、はじめようじゃねぇか。殺し合いを」
こいつは心底、殺し合いを楽しんでいた。
理解して、改めて認識する。
飛び掛ってくるそいつに向けて、俺は牙を剥き出しにした。
なにせ俺は今からこいつを――大樹を殺さなければいけないのだから。