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Network Sex

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第三章

Network Sex



「ホテルの扉を蜂の巣状態にされること、3回。車にランチャーを打ち込まれたのは・・・2回だったな。それから、4回コンビニで買い物をしたら、車で突っ込まれたな。得体の知れない車に連れ込まれそうになったのは、5回だ!通りを歩いていて、いきなり刺されそうになったのは、何回だったかわかるか?」

「・・・・7回」

「12回だ!馬鹿やろうっ!!」

 周りの、騒音ともいえるロックの音楽に消されないように、ジェット・リンクは声を張り上げた。

 “BGの遺産”に無謀にも手を出した世界最高のハッカー、ショーティ・スレンダーに呼びつけられ、ジェットはとんでもない巻き添えを食らっていた。

 どこの組織だか知らないが、彼らはあきらかに自分たちの動向を把握しているようだった。

 始めの追っ手を交わしたとき、まずジェットは手じかなモーテルに部屋をとり、ショーティの身体検査をした。ジェットの予想通り、彼の体には3つの発信機がつけられていた。上着の襟の裏、ベルトのバックルの部分。そして、もう一つは驚くことに、彼の奥歯に仕込まれていた。本人にまったく気付かれず体内に仕込むとはまさにXファイルの世界だ。

 発信機を全て破壊して、ショーティには年の為、全ての衣服を着替えてもらい、ついでに体全体を丁寧に洗ってもらった。

 それから車を乗り換えた。(車泥棒もこの際致し方ない)人ごみにもまぎれてみた。それでも彼らは正確にジェット達を追い詰めていた。

いくらショーティというお荷物がいたとしても、サイボーグの能力を使わないにしても、ジェットが追っ手を振り切れなかったとは・・・。

追跡がばれたと知れると、彼らの動向はさらに大胆で危険なものに変わった。そうして、ジェットが先に述べたような、派手で危険な事態をなんとか、交

わしこのクラブへと飛び込んだのだ。

車の整備工場だった場所を内装だけ変えたこのクラブはラスベガスのはずれに位置しながらも、客入りはまずまずだった。

非常扉に近い位置に腰を下ろして、ビールを瓶ごと煽る。炭酸が喉を焼いた。

喉を通る冷たい液体の感触が、心地よかった。

「ったく、なんだって俺がこんなことに・・・」

 巻き込まなければならないのか。

 ぼやきたくもなるだろう?そもそも自分はショーティからの依頼を受けるつもりはなかったのだ。ただ、彼から一方的に送りつけられた小切手をつき返すためにここ、ラスベガスまで来ただけなのだ。

 “BGの遺産”なんかが関係していなければ、彼がどうなろうと、ほうってニューヨークに帰れるのに。

運の悪さは生まれつきなのか。

 神様、なんで俺ばっかり。

 天井を仰ぐジェット。しかし、いつまでも運の悪さを嘆いている場合じゃない。

「いいか、スレンダー」

瓶に残ったバドワイーザーを飲み干して、ジェットは目の前に座る男を睨みつけた。

「お前は今までに二桁は天国の門くぐっている。そのうち5回は自分でも気付かないうちに、だ。それがどういうことだか分かるか?」

「あ、ああ。お前には感謝している」

「感謝なんざ・・・」

 ジェットは大げさにため息をついた。一方的に巻き込んでおいて「ありがとう」の一言で済むなら世界は平和そのものだ。

「俺が言いたいのは、そういうことじゃねぇんだ。いいか、ショーティ・スレンダー。お前は確かに世界トップクラスのハッカーだ。それは俺も認める。NO1だと思うぜ?だが、それだけだ」

 天才ハッカーであっても彼は所詮それだけの人間だ。裏社会の人間との取引が出来るような度胸も知恵も持ち合わせていない。

「これは俺の親切心から言うんだがな。これ以上、“BGの遺産”とかいうもんに関わったら・・・お前本当に殺されるぞ」

 今なら、俺がなんとかしてやる。そんな物騒なもん忘れて一切手出ししないというなら、無事ラスベガスから脱出させてやる。

 ジェットの言う事はもっともだった。もう、これは個人レベルで対応できる問題ではないのだ。

「・・・・」

「奴らは本気だ。プロが動いているんだ。目的のためならどんな手段も問わない相手なんだ」

 一言一言、言い聞かせるように言葉を区切る。真剣なジェットの瞳をショーティ・スレンダーは迷いながら見つめていた。

「だめだ・・・」

 BGMに消えそうな声で、彼は呟くと、首を振った。

「スレンダー」

「今、ここで俺が手を引いても、奴らは諦めないだろう。そうじゃないか?」

「く・・・」

 それも正論だ。すでに事態は動き出してしまっている。彼らはショーティに目をつけた。その実力も知っている。手を引くには遅すぎるのだ。

「ったく・・・」

 ジェットは額に手をついて、うつむいてしまった。

「リ、リンク」

 頼む。最期まで付き合ってくれ。俺にはお前しかいないんだ。

 俺が認める男は。

 お前なら、何とかしてくれる。そう信じている。俺を捕らえることができた唯一の男なら。

「買いかぶりすぎだぜ・・・」

 ため息をついて、天井を見上げた。その視線の隅に移った人影を、彼は見逃さない。

「それじゃあ・・・」

 ジェットはゆっくりと立ち上がった。

「これから、どんなことがあっても、俺は責任もたねーぞ。たとえお前が殺されてもそれは俺のせいじゃない。報酬はもちろん返さねぇからそのつもりでいろよ」

「あ、ああ!もちろんだ」

 ぴしりと指差して念を押すジェットにショーティは顔を輝かせて頷いた。

「金をもらう以上は俺もプロだ。最善を尽くす。だが、最期はお前がお前の命を守るってことを忘れるな。俺の命令は必ず守れ。まず座るときは壁に背を向けろ。窓に近寄るな。見通しのいい場所は避けろ。通りを歩くときは車道側を歩くな。いいな」

「あ、ああ」

「それから・・・」

 ジェットがゆらりと、ショーティの背後に回った。赤と緑のライトが走る踊り場に鋭い視線を向ける。

「人に背中を向けるな!」

 ジェットの怒声と、ロックのBGMが重なる。踊り狂う人ごみから突き出された上段蹴りを、ジェットは肩と右腕で受けた。

 皮を張ったような気持ちいい音が鼓膜に響いた。素人の蹴りではない。実戦訓練をされた格闘家の蹴りだ。

「な、な!?」

 背後で行われた一瞬の攻防を、ショーティは目を丸くして見つめていた。ジェットが彼を庇わなければ、彼は後遺症も残さない見事な蹴りで意識を失っただろう。

「動くな!」

 ジェットはショーティを背後に庇って目の前の男を睨みつけた。

 黄色人種特有の肌の色、黒い髪と黒い瞳。白めの部分がやけに美しい。一切の感情を消し去った戦闘マシーンのようだ。裏組織に席をおく男であろうが、あきらかにこの国の人間ではない。

 思わぬ邪魔者にも男は躊躇することはなかった。低く腰を下ろして構える。

 その立ち姿だけでも、かなりの腕前だと判断できる。胃の辺りから肩に立ち上る闘気がジェットに叩きつけられる。

「シッ!」

 短い呼吸を吐いて、男の拳がジェットを襲う。顔面を狙った抜き手を、ジェットは間一髪で交わした。

 かなり、できる!

 ジェットの背筋に冷たいものが走った。戦慄の奮えだ。

肩の動きが読めれば大抵の攻撃は難なく交わせる。しかし、この男は予備動作なしに拳を振るってみせた。

「ちっ!」

 場所が悪い!

 ショーティを背後に庇いながら、ジェットは踊り場に場所を移した。

踊り狂う人ごみの中、激しい攻防を繰り返す彼ら。

DJが操る音楽にのって、体が動く。それは最高のダンスをしているように、周囲には見えた。格闘技のセンスはリズム感に左右されるとも言われている。それはダンスのそれとなんら変らない。

 BEAT

 交わした。

 BEAT

 また、交わした。

 DAM!

 乾いた音と供に、ジェットの左肩に男の掌ていが入る。軽く小突かれただけに見えても威力は抜群だ。肩から上半身に走る衝撃。まるで体内で爆薬が破裂したようだ。

「くあっ!」

 ジェットはうめきと供に痛みを吐き出す。膝から力が抜けた。

前のめりに体を折り曲げたジェットを見て、男は勝利を確信した。

 その一瞬の隙。

 BEAT・HERT!!

 重低音のリズムに乗って繰り出された蹴り。とっさに男が身構える。ジェットの鋭い視線は男の動きを正確に把握していた。

 小気味のいい衝撃が足から伝わる。くるりとリズミカルに反転してジェットが踊り場に立ったのと反対に、男はその場に崩れ落ちた。

 踊り場に、声もなく失神した男は自分がなにをされたのか気付きもしなかっただろう。

 まさか、自分が見て防御した方の逆の足で蹴られるとは・・・。

 サイボーグの強化筋肉を持つジェットならではのフェイント攻撃だった。

「出るぞ!」

 男の仲間がまだいるはずだ。いつまでもここにいるのは危険だ。

「こっちだ!リンク!」

 非常口に向かおうとするジェットをショーティが呼び止めた。彼は店のさらに奥を指差している。そういえば、このクラブを指定したのも、この男だった。

 ここになにかあるのか。

「どこにいくんだ!?」

「いいからついてきてくれ!」

 騒音に負けないように怒鳴りあいながら彼らは店のさらに奥に進む。

 階段を下りて、狭い通路を抜ける。だんだんうるさかったロックの音楽も聞こえなくなってきた。

 通路を曲がって、いくつも階段を下りて、彼らはようやく目的の場所へとたどりついた。

一つの重い鉄の扉の前で、全身に刺青をした男が立っていた。ショーティとジェットを値踏みするように見てから、道を彼らに明け渡した。

「ここは?」

「まぁ、見てろよ」

 ショーティは得意そうに言うと、扉の横にある指紋センサーに右手を押し当てた。緑の光源がそれをスキャンして扉の鍵が開く音がした。

 黒ずんだ取っ手を掴んで、押し開く。

 扉が開くと自動的に部屋の明かりがつくようになっているらしく、蛍光灯が淡い光を放つ。

「これは・・・」

 部屋の中央におかれたそれを見て、ジェットはため息ともつかない呟きをもらした。

 だたっぴろい部屋に置かれているたった一つのそれ。7台のモニターに3つのキーボード。それらは見事に連結されていた。

 その姿はまさに圧巻。とても個人では所有できないコンピューターシステムだ。

 ジェットは以前、これと同じような装置をみたことがある。

「ヘイ、ベイビー。いい子にしてたかい!?」

 両手を胸の前で打ち鳴らし、ショーティはその装置に歩み寄った。長い間、主の訪問を待ち焦がれていたように、システムは歓喜の起動音を上げる。

「これは、お前の自宅にあった・・・」

「そうだ」

 ショーティはシステムのチェックをしながら、得意そうに頷く。

「お前に逮捕されてから没収されちまったがな。あれと同じものがここに置いてあったんだ」

 正確にいえば、ここにある機体の方が先に組み立てたものだ。ニューヨークで使っていたものはこれをベースにしてさらに扱いやすいようにした改良型である。

 あの街で生活する前、彼はこの地で青春を送っていた。ラスベガスは彼の故郷なのだ。

「ニューヨークで使っていた方が性能はいいんだが、こいつもそこそこいい出来だぜ」

 エンターキーを軽く叩くと画面が変った。

 ジェットはそれを注意深く見つめる。

 マルチシステムタイプの機種のようだ。

 DS3回線を装備。大容量のそれなら最低7つのネットワークに同時接続が可能なはずだ。ただし・・・

 どうやら、他人が使うことはできないようになっているらしい。画面に表示されている暗号を解読しなければ、システムは立ち上がらない。暗号コードは恐らく100ビット以上だろう。

 100ビット以上の暗号を解読することは、素人はおろかハッカーと名乗る人間でも容易ではない。

 まさに、天才のためだけに存在するシステムだ。

「ベイビー。パパの帰りをいい子で待ってたようだな」

「お楽しみのところ、悪いんだがな」

 ジェットはシステムを眺めながら、声をかける。

「なんだ、リンク」

「どうやって、データーバンクを盗む?」

 かりにも相手はBGのシステムバンクだ。このシステムも最高のものだが、相手は恐らく、その上をいくだろう。

「俺が売るのはワームだ。それもヒドラタイプの」

「相手の暗号タイプは?」

「バナーム型」

 はっ!とジェットは皮肉めいた笑みを浮かべ、首を振った。

「不可能だ」

 バナームタイプの暗号は未承認のアクセス、またはウィルスが実装された段階で破壊される最高のファイヤー・ウォールだ。

「バナーム型なら最低128ビットはあるだろう」

「相手は512だ」

 ショーティはにやりと笑う。呆れてジェットはまた首を振った。

「なおさら不可能だ」

 512ビットもの暗号解読など出来るはずがない。

「不可能はないさ」

 ショーティ・スレンダーの表情は自信に満ちていた。

「さっきも言っただろう?組織の内部がかなり混乱している。俺が目をつけた“BGの遺産”の管理もかなりずさんになっているんだ。システム管理がされていない今なら突破は可能だ」

 そう、今しかない。今を逃したら、組織の秩序が戻ればもう二度と、チャンスはないだろう。

「ヒドラタイプのワームなら、7つのネットワークから進入できる。一つでも突破できればこちらの勝ちだ」

「追跡破壊システムはどうする?」

 BGのシステムが相手なら、むろん装備されているはずだ。

 データーを奪われたことを考えて相手をどこまでも追いかけて破壊するシステム。いかにデーターを奪うことが出来てもこのシステムに追いつかれればこちらが逆に攻撃されてしまう。

「だから、こいつを使う」

 ショーティが一つのキーボードのエンターキーを押した。呼び出されたシステムの右端の画面に表示される。

 『ゼウス・システム』

「やあやあ、ゼウス。いい子にしてたかい?」

 まるで自分の子供に語るように、システムに呼びかける。

 自らが開発した完全防御ネットワークシステム。国の組織に捕らえられていた間に作り出したこのシステムなら、敵の追尾も交わせるはずだ。

「へい、ベイビー。お前の弟分だぜ。仲良くしてくれよ?」

 『ゼウスシリーズ』と今のシステムをリンクさせる。連結に問題はないようだ。

ショーティはシステムチェックを終えると、備え付けの椅子に勢いよく腰を下ろした。上着を脱いで太ももの上で軽く両手をこする。

「さぁ、ベイビー。お仕事の時間だ」

 “BGの遺産”を取り出す作業に入るのだ。

 モニターの前で瞳を輝かせるショーティを、ジェットは呆れ顔で見つめていた。どうやら、この男は先ほどの命を削る追いかけっこも、彼にとってもは、すでにどうでもいいことらしい。

いかなる道徳概念も通じない存在。

ある意味彼らはジェットたちを改造した科学者たちに良く似た性質をもっていた。

 根っからの電脳フリーク。

 それが、ショーティ・スレンダーという男の正体だ。

 



 石畳の道が続く静かな田舎町の中心にある大きな屋敷。そこに訪れるものは誰も裏社会では名の知れたものばかりだ。闇であろうと表の社会であっても秩序は変わらない。力のあるものがのし上がり弱者は退くのが常だ。

 この屋敷には弱者はいらない。

「ミスター」

 屋敷の主が中庭にいる男に呼びかけた。強い日差しの中、彼の周囲だけはまるで冬のように冷たい静寂の空気がとりまいていた。幾戦もの裏社会の紛争を乗り切ってのし上がってきた男でさえ、彼の背後から声をかけるのはためらわれた。

「ミスター・ハインリヒ」

 男はもう一度、彼の名を呼んだ。やしの木陰からゆっくりと振り返る銀のまつ毛。蒼灰色の、霧がかかったような瞳が男を見つめた。

初めて挨拶を交わした時から思っていた。

まるで永久氷河のようなその瞳は背筋が凍りつくほど冷たく、それでいて、魅了せずにはいられない美しさをもつ魔性の瞳。口元に微笑みを浮かべていても、その瞳が彼の本性を物語る。

「ドン・カルロス」

 男、アルベルト・ハインリヒが屋敷の主の名を呼んだ。低い、耳ざわりのいい声だった。ゆっくりと自分に歩み寄る男を、カルロスと呼ばれた男は恍惚と見つめていた。

「どうしました?」

 目の前まできたアルベルトが、首をかしげて尋ねる。それで、ようやく男は目に見えない呪縛から解放された。

 場を濁すように咳払いする。まさか、男に見ほれていたとは、イタリアン・マフィアの中枢にいる自分は口が裂けてもいえない。同性を性の対象にしたことはある。しかし、これではまるで初恋も知らない生娘ではないか。

「い、いや。頼まれてました資料が手に入りましたので・・・。ミスターブリテンからの連絡はまだですか?」

 彼が呼んでいますよ。

 カルロスは、鼓動を落ち着かせると、アルベルトに笑いかけた。手にしていた資料を絹の手袋をしている彼に手渡す。

「まだです」

 アルベルトは穏やかに微笑んで、書類を受け取ると礼を述べた。このイタリアン・マフィアの幹部の1人である男の屋敷に足を踏み入れてだいぶ時間がたっている。彼は突然現れた自分とグレートを快く歓迎してくれた。

 グレートは彼に“BGの遺産”についての情報提供を依頼した。彼らの間にどのような交渉があったのか、それについては今は省かせていただこう。とにかく、カルロスは彼らの要望を聞き入れ、自分の部下を使って最新の情報を集めてくれた。それを元に、グレートは動いている。

 潜入が主だった動きではアルベルトの出番はない。こうして情報を待つしかない。

「グレート・・・彼の友人というだけで、こんな無理な頼みごとをしてしまって、おまけに俺までやっかいになって」

 感謝してます。

 肩を並べて中庭を歩きながら、アルベルトは心からの感謝の言葉を贈った。他人からの感謝の言葉を言われたのは一体いつ以来だろうと男は思った。

「いや、いや。ミスター・ブリテンはわたしの大事な友人だ。彼の友人はわたしの友人でもある。お気になさることはない」

 彼はまだ、芸能社会で名を馳せていた頃のグレートの熱狂的なファンであった。

「彼の演技は素晴らしかった。わたしはヨーロッパのあの貴族ったらしい世界が大嫌いなのですがね。彼の演技は違う。存在感がまず違う。声量があって、声に張りがある。繊細でありそして、どこか野性味あふれていて・・・・彼の『カルメン』を観たことがありますか?あれは最高だった。イギリス人があれほど遊牧民の心を演じられるとは思いもしなかった。魂が震えるほどの感動というのを、わたしは彼に教えられたんです」

 グレートが芸能界から落ちぶれて行方がわからなくなってしまった時も彼はずいぶん消息を探したが、調度組織内で紛争が始まってしまい、結局グレートの消息を掴むことができなかったのだ。天才の消失を彼は嘆いた。

 それゆえ、突然現れたグレートを見たとき、嬉しさのあまり涙を流しそうになってしまった。

「そうですか・・・俺は、彼が舞台に立ったところをみたことがないんですがね・・・」

 残念そうに、アルベルトは笑った。

「それは、損をしていますな、ミスター。どうです?今度、彼の舞台を一緒に見ませんか?なに、時間がとれればでけっこうですよ」

「そうですね、ぜひ」

 アルベルトは胸ポケットからマルボロを取り出した。その口元にカルロスが火を近づける。瞳で笑いかけて、アルベルトはタバコに火をつけた。ゆるりと煙る視界。アルベルトの青を含んだ銀髪が光を反射させて輝く。いついかなる時でも、手袋を外さないこの男を、カルロスは好いていた。胸が高鳴る思いなど、感じたこともない。初めてのことだった。

「しかし・・・」

 カルロスの心情など気付かない様子で、身を離すとアルベルトは紫煙を吐き出した。

「あなたは興味がないのですか?」

 アルベルトはずっと不信に思っていた思いを口にする。

 裏社会の人間にとって、“BGの遺産”は喉から手が出るほどのものではないのだろうか。どんなものが出てくるにしろ、最高科学の結晶であるあの暗黒組織の遺産はまさに金のなる木だ。

 だが、カルロスの組織はそれの奪還に動いている様子はない。少なくともアルベルトの見た限りでは他の組織の動向を探っているだけのようだった。

「ミスター。我々裏社会の人間にも、分というものをわきまえているんですよ。あれは我々の手には余る存在だ」

 彼らにとってBGなど大きな組織に加担することはもちろん関わることも遠慮したい相手なのだ。

強者には従い、弱者は蹴散らす。それが、裏社会で生き抜くコツだ。

 むしろ・・・

 カルロスは横目で隣にいる男を見つめた。

「相手が、あなたなら・・・話は違うかもしれませんが・・・」

 魔性の瞳を持つ、氷のような男。

 闇に巣食う恐怖と死をつかさどるディアボロ。

それがわかっていても、魅かれずにはいられない。

 己の破滅がその結末にあろうとも。

 手に入れたい。

 狂うほどに願う、想い。

 凶暴な純愛。

「・・・・」

「いや、すみません。冗談ですよ」

 カルロスは笑った。笑ったその顔が凍りついた。

 彼は、見た。

 男の顔を。

美しい青を含んだ銀の髪とまつ毛、白い肌、蒼灰色の瞳。口元に浮かべた微笑み。その総ては変わらない。しかし、中身が変わった。

 別人のように。

 周囲の気温がぐんと下がったように、体が震えた。強く大地を照らす太陽の日差しさえ、氷ついたような静寂。男の右手から煙る紫煙さえ。

 いくつもの修羅場を潜り抜け、千人もの部下の命を指先一つで操るイタリアン・マフィアの幹部が恐怖に声も出せなくなった。

 恐怖に。

 その二つの瞳に宿った光を見てしまった。

 死神の、瞳を。

 ゆっくりと、男は歩み去る。

 その場に凍りつく男に一言の言葉を残して。

「過ぎた欲は身を滅ぼすぞ」



 屋敷の中に入ったアルベルトは彼から手渡された資料を封筒から取り出した。

 それには、一組織とは思えないほど詳細に裏社会の動向が記載されていた。

「ふ・・・ん」

 先ほどの男からの求愛など、まるでなかったようにアルベルトは資料に瞳を釘付けにする。

 やはり、想像したとおり、世界各国の情報機関が“BGの遺産”を求めて動き出している。他のマフィアのようなこまごました組織はその動きを静観しているようだ。ま、もっとも『鳶に油揚げ』を狙っているところもあるだろう。

「ん・・・?」

 アルベルトの瞳がある項目で止まった。

「組織のデーターバンクの競売?」

 あるハッカーがデーターバンク、“BGの遺産”に関して有力な情報を掴んだらしい。その競売をするといのだ。

 場所は

「アメリカ・・・」

 紙面にはラスベガスと記載されていた。

 





 グラスに残る赤い液体を一気に飲み干す。喉を湿らせるその味を味わっている余裕は今、この男にはない。

 沈黙のまま、目の前の画面を睨む男。

 画面には箱型のシステムが表示されていた。

 “BGの遺産”を取り出すために作っているヒドラ型ワームだ。だが、先ほどからその制作は一向に進まない。

「くそっ!」

 忌々しそうにサイドテーブルの上に空になったグラスを置く。足元に転がっているワインボトルはもう3本になっている。

「どうして、連結が切れる!?」

 ヘイ、ベイビー。パパを困らせないでおくれ。さあ、形を成すんだ。

 ショーティ・スレンダーの指先がキーボードを叩く。あせりがその指先の動きから見て取れた。

「・・・・」

 ジェットは彼の後ろ、斜めの位置にたってその様子を黙って観察していた。

 目の前で移り変わるシステムを自分の頭の中でシュミレートする。現れては消える数値とコードの関係とそれらの誤差を見つける。そして、もっとも効率のいい方法を考える。

 短くなったタバコを壁に押し当てて、静観を決め込んでいたジェットはゆっくりとシステムに近寄った。

「リンク?」

「このセッティングなら・・・」

 この方がいいだろう。

 ジェットは左の端末を軽やかに操作した。次々と数値が現れては消える。猛禽類を思わせるような瞳はそれらを無視してその先にあるものを見つめていた。

「ワームシステムを構成するなら・・・」

 さらにジェットは次のシステムを呼び出す。

「PD-3がいい。現役で活動中だが、誰も知られない古いコードだ。容量はある」

 ジェットの指がエンターキーを叩く。自信のある動きだった。

 しばらくの沈黙の後、画面に数値と文字がランダムに映し出され、

「おお・・・」

 ショーティが驚愕とも歓喜ともいえない呟きをもらす。

 ワームの基本形が姿を現した。

「これで、基本形はできた」

 ジェットはショーティの視線を無視してさらにコントロールを続ける。

「あとは7つの回線から同時にもぐりこむ“触手”を完成させれば・・・」

 ワームの完成だ。

「よし、そっちはまかせた。仕上がったシステムの構成はこちらでやる」

 出来上がったものからこちらにまわせ。

 ショーティは立ち上がると、キーボードに指を走らせた。3台のキーボードにジェットとショーティの指が走る。目にも留まらない速さ。もう座ってなどいられない。気分が高揚している。体中の血が騒ぐ。歓喜だ。これは。

 指の動きのリズムに合わせて腰を振る。

「OK、ベイビーいい子だぜ」

 最高だ!

 まるで、クラブで踊る観客を操るDJの気分だ。背中を合わせて彼らは画面に視線を向け、次々とシステムを構築させてゆく。

 ぴたり。

 キーボードを打つ手が同時に止まった。

 画面に表示される文字列と数値を食い入るように見つめる。

「3、 2・・・・」

 システムが連結するまでカウントを取る。

「1、レッツゴー!」

 ショーティの合図に合わせて、ジェットの指も再びキーボードを叩く。

 基本ワームを中心に触手がそれを包む。

「ワオッ!」

 歓喜の声を上げる。思わず両手を挙げて踊り出してしまった。

まるでセックスの最中のような快感。いや、射精の瞬間ですらこんな高揚感など得られない。

 次々と構築され、連結されていくヒドラタイプのワーム。

「ベイビー!最高だ!!」

 腰を突き出し踊り出す、ショーティ・スレンダー。オーガニズムの絶頂だ。

「次だ、次!」

 興奮したショーティとは対象に、ジェットは冷静にキーボードを叩く。

「さぁ、変身の時間だぜ」

 ワインを瓶から直接飲む。口から溢れたそれが喉を伝う。

その液体の感触すら快感だ。空になった瓶を後方に投げると画面を睨む。

床に落ちて砕けるワインボトル。その音が合図になった。

ジェットの指がキーボードに走る。その軽快なリズムにショーティ・スレンダーは頭を振って踊り狂う。

「カモン、ベイビー」

 一緒に往こうぜ!

「まてまてまて!接続が切れる!」

「こっちにまわせ!強制プログラムは使うな」

「サンキュー、ダーリン」

「いや・・・・ダメだ。ここを・・・こうして、ツールはどうだ・・!?」

「ゼーウス!しっかりしろ!接続するんだ!いいぞ、いい子だ!」

「OK。いくぞ、最終割り込みだ。送るぜ?」

「まて、まて!・・・よぉーし、来い!」

 ジェットの指が小気味よくエンターキーを叩く。送られたデーターをショーティが組み立てる。さらに早くなる指の動き。それに呼応するように画面に表示されているワームが形を成していく。

 7つの触手が固定された。基本プログラムを囲むワーム。

「ッ・・・イエスッ!」

 突き抜けるような爽快感。天井を仰いで叫んだショーティが隣にいるジェットを見つめた。額に粒のような汗がにじんでいる。それを、中指を立てて返すジェット。彼も呼吸が荒い。

 いいたかないが、認めたくないが、確かにこれは快感だ。

 最期の“触手”が固定される。

 ワーム設定、完了。

 画面に表意される文字とツール。

「完成だ・・・」

 先ほどの興奮が嘘のように、ショーティ・スレンダーは呟いた。詰めていた息を長く吐き出す。

「リンク・・・」

 あえぎ声ともいえない呟きをもらす。興奮しきったせいで喉がかすれている。力の入らない体を椅子に沈める。

「やっぱりお前は最高だ・・・・」

 俺が選んだだけはある。

 ショーティは満足そうにジェットを見つめた。

「暗号コードを変えないとな」

 前髪をかきあげて、額に浮かんだ汗を拭うとジェットは彼の隣に立った。かがみこんで画面を見つめる。

BGに改造されて、さまざまな事を脳内に焼き付けられた結果がこんなところで役に立つとは思わなかった。

「それは、“BGの遺産”を手に入れてからの作業さ」

 ショーティは満足そうに呟くと、そっとジェットに手を差し出した。画面を睨んでいるその頬に指を滑らせる。

「まったく、お前は不思議な奴だ」

 夢心地な声だった。

「お前ほどの腕があれば、どうしたって名が知れるだろうに・・・その形跡がまったくない」

「興味がないだけさ」

「は・・・。それは宝の持ち腐れというやつだ」

 掠めるように、頬を愛撫する指先が、そっと赤毛をつまんだ。ジェットはそれを振り払おうとはしなかった。

「なぁ、俺と組まないか?」

 今だけではない。これからもずっと一緒にやっていこう。お前と俺が組めばまさに無敵だ。世界のシステムが俺たちの思うままになるだろう。“BGの遺産”などなくても世界を握ることが出来るだろう。

 俺の側にいろ。かつてない、お前が見たことのない世界を見せてやろう。俺が仕込めばお前は最高のハッカーになれる。

 俺のものになれ。

「なぁ、リン・・・」

 ベットに誘うような声が途中で途切れた。その眉間に突きつけられたのは、鉄の塊。銃口だった。腰に回そうとした腕が宙で止まる。

 ジェットの右手が素早く動き、腰からCZ75を取り出して、彼に突きつけたのだ。その動作は人間の目に留まるものではなかった。

「調子に乗るな」

 冷静な、感情のこもらない声だった。ぴんっと張り詰められた空気。

「デスクを渡せ」

 突きつけた銃口はそのままに、ジェットは左手を差し出した。

「どうするつもりだ・・・」

「後は俺がやる」

 このワームがあれば、BGのシステム・バンクへの侵入も容易いだろう。何とか“BGの遺産”を手に入れて仲間の元に行けば・・・。

「・・・・まったく、お前は・・・」

 突きつけられた銃口にもひるまず、ショーティは苦笑いを浮かべた。そして、今組み立てたばかりのシステムの入ったデスクをコンピューターから引き出す。

「ほらよ」

 指先でひっかけて、あっさりとジェットに差し出す。

「・・・・」

 ジェットは警戒しながら、ゆっくりとそれに手を伸ばした。

「それだけでは、役に立たないぞ」

 ジェットがデスクを取り上げる前に、ショーティは余裕の笑みを浮かべてジェットを見つめて言った。

「・・・・どういうことだ」

「言わなかったか?こいつは『ゼウスシリーズ』を通過しなくちゃこちらにダウンロードされない。『ゼウスシリーズ』は俺の持っている暗証コードだけに反応するようになっている」

 つまり、完成したワームだけではBGからシステムを取り上げられても、こちらに持ち込むことはできないのだ。

「通過の暗証コードがなければ、引き出したデーターは各国に回る。60秒ごとに10年間ずっとだ」

 そうプログラムしてある。

 そうなれば、もう誰にも止められない。消えた“BGの遺産”を求めて10年は人々が争うのだ。

 それでもよければ、もっていけ。

「どうする?」

 目の前でデスクをちらつかせる男に本気で殺意が沸いた。

「てめぇ・・・」

 銃を握るジェットの腕に力がこもった。いくらBGに教育されたとはいえ、ネットの世界では彼に敵わない。彼は専門家であり、ネットの天才であり、電脳フリークであるのだ。

引き金を引きたい衝動をなんとかこらえると、ジェットは舌打ちして銃を下ろした。

「ふふん・・・」

満足そうに笑うとショーティ・スレンダーはくるりと指先でデスクを回すと、懐に収めた。

「さて、交渉にいくか」

 場所を変えよう。とショーティは立ち上がった。

「リンク」

 扉に手をかけて、コンピューターの前に立っているジェットに振り返る。

「楽しませてもらったぜ」

 やっぱりお前は最高だ。

 ショーティ・スレンダーは笑った。

3

隼人 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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