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「弱し僕から、生まれた僕は」作:蝉丸

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☆ ☆ ☆

 僕はどこまでも歩いていこうと決めた。

 たとえ、空一面が灰色の雲に覆い尽くされていようとも。
 たとえ、見渡す限りが砂塵舞う、果てしない砂漠だったとしても。

 あの雲の向こうには青く澄んだ空があり、夜には星が輝くだろう。
 砂漠の果てには緑が生い茂り、清らかな水をたたえたオアシスがあるだろう。

 僕は信じている。
 この世界には美しい場所があることを。
 いつか僕は、その美しき世界に辿り着けることを。


  * * *


 僕は随分と長い旅をしてきた。
 旅を始めた頃、僕はまだほんの子供で、傍らにはいつも母がいた。
 母は僕が空腹を感じないよう、十分な食料を与えてくれた。
 凍るような風が吹けば、僕をその胸に抱いてくれた。

 けれど僕はそれを嬉しいと感じなかった。
 ただ、疎ましさだけがあり、心のどこかで母の死を望んでいた。
 思えば、あの頃から世界は薄暗いものだった。

 いつからだろう。
 僕のそばから母が消えたのは。

 別れなどなかった。
 何もなかった。
 ただ、気付いたら母がいなかった。

 悲しくはなかった。
 でも、ひとりは淋しかった。
 僕の望む誰かが、僕の隣にいない。

 だから僕は会うべき誰かと出会うため、人の集まる街へと向かった。

 街には大勢の人がいた。
 青年になっていた僕は、歳の近い何人かと交流を持った。
 けれど、一緒にいたいと思える人はあまりいなかった。

 それでも、ほんの少しだけは素敵な人もいた。
 命ある限り、一緒にいたいと思える人もいた。

 けれど、僕が想う人たちは、僕を必要とはしなかった。
 僕を必要とするのは、僕が必要としない人たちばかりだ。

 届かない想いが僕を傷つける。
 望まない好意が僕を傷つける。

 僕は強くなろうと思った。
 何にも傷つかないほどに強く。
 人を傷つけられるほどに強く。

 柔らかな草色の上着を捨てて、あの人と同じ水色の服を買った。
 あの人の真似をして、服を飾りつけた。

 ストーン、チェーン、ベルト、ワッペン。
 ひとつ装飾が増えるたびに、僕は強くなっていくように感じた。
 ひとつ古いものを捨てるたびに、僕は望む僕に近づいていると感じた。

 けれど、僕の隣にはまだ誰もいなかった。
 あの人はいつしかこの街を出て、僕はひとりこの街に残っている。
 それでも僕は、何事もなかったかのように慣れた日々を繰り返していく。

 僕は傷ついていないふりをしているのか。
 それとも本当に傷ついていないのか。

 そんなことも分からなくなった僕は、望んだ僕になれたのだろうか?

 それでも、日々は繰り返す。
 世界はあいかわらず、薄暗いままだ。

 静かに膿んでいくような日々の中で、いつしか僕の傍らに昔の僕がいるようになった。
 あの頃と同じ、柔らかな草色の上着と、髪の色と同じ紫色のトラウザー。

 互いを意識しながらも、言葉を交わすことはない。
 ただ、互いにそこにいることだけを感じている。

 思えば、あの頃の僕は、今のような僕を夢想してはいなかっただろうか。
 だとすれば、今の僕は彼の想像の産物なのだろうか。

 友人たちと集まれば、昔の僕も話し出す。
 そして、あの頃の僕のように、彼は些細なことで傷ついている。

 だからこの街を出ようと決めた。

 行くあてなどないけれど、彼には今の僕ではない僕になってほしいから。
 僕はもう戻れなくても、昔の僕ならまだ間に合うかもしれないから。

 僕たちは旅を続けた。
 変わらぬ灰色の雲の下、果てしない砂漠が広がる大地を歩き続けた。
 そんな時、彼はひとりであることに傷ついていた。

 点在する小さな街を見つけては立ち寄った。
 他人との束の間のふれあいの中で、彼はいっそうひとりであることに傷ついていた。

 変わらぬ灰色の雲の下、果てしない砂漠が広がる大地を歩き続けた。
 そんな時、彼は僕でないことに傷ついていた。

 僕はもう彼を振り払ってしまいたかった。

 ある夜、テントで眠っていた僕たちは、いくつもの駱駝の足音で目を覚ました。
 外に出てみると、周りを盗賊たちに囲まれている。
 僕は彼をかばい、盗賊たちと対峙した。

 剣を抜き、声もなく襲ってくる盗賊たち。
 僕は腕を切られ、頭を割られた。

 やらなければ、やられる。
 無我夢中で戦ううちに、僕は彼のことなど、いつしか忘れてしまっていた。

 我に返った時、僕は転がる盗賊の死体に囲まれて立っていた。
 違和感を覚えて頭に手をやると、金属の感触を感じた。
 頭に伸ばした右手は肉が削げ落ち、機械で創られた骨格が剥き出しになっている。
 いつの間にか僕は、人間ではないものになっていた。

 僕を囲む盗賊の死体からは離れたところに、うつぶせで横たわる死体を見つけた。

 逃げようとしてやられたのだろう。
 柔らかな草色の上着に、髪と同じ色をした紫色のトラウザー。
 僕は盗賊の死体をまたぎ、僕の死体へと近づく。

 白砂に広がる血液。
 ぴくりとも動かない、よく知った身体。

 僕は彼の傍らに座りこみ、力なく投げ出された左手に、自分の右手を重ねた。
 命を失った手と、人ではなくなった手が初めて触れあう。
 体温を持たない手と手が重なり合った時、僕の視界が赤く染まった。

 砂に落ちる僕の目からこぼれ落ちた赤い液体。
 これは僕の身体を流れるオイルなのだろうか。

 それとも、まだこの液体を血と呼んでもいいのだろうか。
 まだ、この液体を涙と呼んでもいいのだろうか。

 砂漠の果てで、小さな明かりが瞬いた気がした。

 夜が明ける頃、僕は僕の死体をここに残して、歩き出すことだろう。
 そしていつか、ここに死体を残していったことすら忘れてしまう。

 だけど今は、もう少しだけこのままでいたかった。

 僕は彼の手を握った。
 僕の頬を赤い液体が撫でていった。

☆ ☆ ☆
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